ひもろぎ逍遥

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お知らせ 語り部します


お知らせ 

語り部します



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(ガイドブック 扉ページです)

地名研究会で神功皇后伝についてお話をします。



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2014年2月1日 (土)13:30~16:30

第45回 太宰府・久留米合同地名研究会
場所:えーる・ピア久留米(久留米市生涯学習センター)
  久留米市諏訪野町1830-6 0942-30-7900(ナビ用)

タイトル:「神功皇后伝――倭国大連合と高良玉垂神――」

神功皇后伝承のあらましと共に、仲哀天皇軍を支えた古代豪族に注目してお話します。
筑紫に初めて足を運ぶ仲哀天皇と神功皇后は土地勘もないのに、どうして豊浦宮(下関市)から香椎宮(福岡市)へ安全に遷都することができたのでしょうか。

筑紫路の各地で天皇と皇后を迎え入れる準備と軍備をした古代豪族たちの伝承を辿り、倭国が大連合して行くようすを見て行きます。キーワードは孝元天皇。
また、高良の神と高良玉垂神の違いについてもお話します。この二神は共に高良下宮社の祭神です。

オープン参加 会費500円
(どなたも参加できます)

会場地図


車は現地に有料駐車場があります。






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2014年2月15日(土)13:30~16:30

第17回 玄海地名研究会
会場:福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社内 別館 文華学院 2階 直会殿

タイトル:「神功皇后伝承を歩く ――足跡をたどる旅のガイド――

福岡県に伝わる神功皇后伝承地を移動ルートにしたがって丹念に見て行きます。
仲哀天皇が天下を治めた豊浦宮、洞海湾の立ち往生、男女の二神の引き止め。遷宮した香椎宮、崩御の地、羽白熊鷲との戦いの地など、『日本書紀』に書かれた現場を紹介します。神社巡りに活用して下さい。


オープン参加 会費500円
(どなたも参加できます)

会場は宮地嶽神社の境内の中、民家村自然公苑の右手、白い二階建ての文華会館です。
車は境内に止められます。

追記 2・9
直会殿(なおらいでん)に変更です。
直会殿は本殿の右手の大きな建物です。こちらは畳です。


会場地図




◆資料の準備をしますが、何部準備していいのか分かりません。
そこで、オープン参加の方はコメント欄に参加の旨お知らせください。
(コメント欄に記入して、「非公開」にチェックを入れれば、他の方には見えません。名前もハンドルネームなど、ご自由に)

◆変更があるかも知れないので、再確認してくださいね。
連絡先はサイドバー 久留米地名研究会へ



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by lunabura | 2014-01-31 18:08 | お知らせ | Trackback | Comments(33)

ヨド姫三社めぐり(2)與止日女神社・津波の女神たちと神功皇后の妹

ヨド姫三社めぐり(2)

與止日女神社

佐賀市大和町川上
津波の女神たちと神功皇后の妹

福岡から高速道路・長崎自動車道に乗って吉野ヶ里遺跡が左に見えると、まもなく佐賀大和インターチェンジ。
「巨石パーク」に行くために何度も利用したICで降りました。
巨石パークという安易な名前が付いているけど、
風土記にも書かれているという巨大な磐座が次々に現れる謎の聖地です。

その対岸に與止比咩神社はありました。
ずっと行ってみたかった神社。
ようやく参拝できました。
今なら祭神の意味も少しは分かるのかもしれません。

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境内には駐車場があり、そこから心地よい川の広がりが見えました。
川の名は嘉瀬川。別名、川上川。
肥前国風土記には「佐嘉川」と書かれているそうです。


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参道です。右側に嘉瀬川。

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二の鳥居。
肥前鳥居です。特徴として柱が三つの石で出来ている!たくましい。
おっ。柱の上の方には宇佐で見かけた輪も乗っかっていますね。
でも八幡系ではないですよ。

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目に飛び込んでくるクスノキ。誰もが足を止めて撮影しています。
ド迫力です。
近づくと、二股に分かれていました。
そう。神功皇后の伝承地でもよく見かけた形です。

クスノキは長寿になると二股に分かれています。
2000年以上たつと、中央部が空洞化していくのが経験的に分かりました。
ガイドブックで逍遥する方、クスノキ、見逃さないでね。

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拝殿です。

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正面に神鏡が置かれていました。時を経た木の表情に魅入られてしまいます。

ご祭神は與止日女または豊玉姫

與止日女
ヨドヒメと言えば、「夜渡七十」という自然現象を思い出します。
「七十」を昔は「ヨト」と発音していたそうです。
かつては七十年に一度、有明海から津波がさかのぼり、
何度も何度も岸辺を洗っていたと真鍋大覚が伝えています。

だから、ヨドヒメを祀る神社はその警戒線に鎮座し、
それは現代の洪水線とも重なっているというのが私見です。


豊玉姫
もう一柱の女神、豊玉姫と言えば、玉依姫の姉神です。
干珠満珠とも例えられる姉妹神で、豊玉姫は潮満珠(しおみつたま)でした。
言い換えれば津波の寄せ波のシンボルです。

これらからは與止日女も豊玉姫も「津波を象徴する女神」となります。

地形を見ましょう。


南を走る高速道路は昔の水際線とほぼ同じだそうです。

やはり、ここは七十年に一度の津波に襲われる場所だと考えられます。

テレビを見ていたら、オーストラリアではモーニング・グローリーという
巨大なロールケーキ状の雲が七十年に一度、現れると言っていました。

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(モーニング・グローリー)
七十に気をつけていると、気象現象に特異なパターンとして時々みかけられます。


さて、話を戻しましょう。
與止日女神社の由緒には祭神の事はどう書かれているのでしょうか。


與止日女神社略記

一、 鎮座地 佐賀郡大和町大字川上一番地
一、 御祭神 與止日女命(神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。
一、 御神徳 海の神、川の神、水の神として信仰され、農業をはじめ諸産業、厄除開運、交通安全の守護神
一、 由緒 欽明天皇二十五年(五六四)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一の宮と崇められ、弘長元年(一二六一)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
一、 祭日 春祭 四月十八日
(「玄松子」より転載)

與止日女は、「神功皇后の妹」となっていました。
豊玉姫は竜宮城の乙姫様。
「海の神、川の神、水の神」とも書かれています。
命を支える恵みの女神であり、時には荒れ狂う畏るべき女神でもあります。

ところで、神功皇后の妹は『古事記』では「虚空津姫」となっています。
しかし、筑紫の伝承では「豊姫」という名で各地に伝えられているので、
同一人物の可能性が高いなと思うようになりました。
でも、当社では「ヨトヒメ」なんですね。 (;一_一)
(謎は簡単には解けないようになってる…)

さらに、この女神には複数の表記や名称がみられます。(「玄松子」より)
   豫等比咩神 『三代実録』
   淀姫命 『特撰神名牒』
   與止比女神 『明治神社誌料』
   世田姫 『肥前国風土記』
   豊姫(ユタヒメ) 『神名帳頭註』

ヨドの「ド」に「等・止」という字が当てられているので、かつては「ヨト」と発音されていたのかも知れませんね。
そうすれば、「ヨト」「ヨタ」「ユタ」は簡単に音韻変化します。
聞き取ったままに読めるように漢字を当てたと思われます。

まとめると、
  與止日女…七十年に一度の津波現象
  豊玉姫…潮満珠に例えられる津波現象
そして
  豊姫…神功皇后の妹。
という三種の女神が祀られているようです。

この豊姫については、境内の金精様の説明板に、次のように書かれていました。

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その昔、神功皇后三韓征駐の折り、当地におとどまりなされし妹君の与止日女様が子宝に恵まれぬためにひそかに館の一隅にあった男根の自然石に肌をふれて子宝を願ったところ、色あくまで白く、きめこまやかにして、玉の如き子供が授かったという。以来金精さんとして河上神社の一隅に安置してありましたが、今度皆様の要望により一般に公開致します。 
平成16年5月吉日
奉納 長崎県佐世保市有福町1712-3 中央ビル管理 有限会社


これによると、妹の名は「与止日女」となっています。
館があったということですが、奉納されたのは佐世保市の方。
そうすると、金精石はもともと佐世保にあったのでしょうか。
「与止日女」のご縁で移されたのでしょうか。
もともと、どこにあったのかが分かれば妹の住処が分かるのですが。

なお、豊姫は竹内宿禰の妻とも言われています。
竹内宿禰の父母が武雄市に祀られているので、
二人の館が近くにあるのかも知れないなとも思ったりするのでした。

「ヨト」と「トヨ」。
現代でも間違えそうですね。

(つづく)



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by lunabura | 2014-01-29 00:07 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(0)

ヨド姫三社参り



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(河上神社にて)

昨日は、地名研究会のフィールドワークに参加してきました。
佐賀県にはヨド姫を祀る宮がいくつもあるのですが、
今回はそのうちの三社と関連する寺社や廃寺跡に行きました。

実は、昨日が初詣でになります。
籠りっきりで、参拝にいく余裕がありませんでした。
今年は水の女神の宮巡りができて、新たな地平線を見た思いがしました。

ヨド姫の神社はどれもが川沿いに鎮座していました。
美しい山里に清らかな川が音を立てて流れ、私の心に眠る琴を響かせます。
豊かな植物相の冬枯れの多彩な色が、忘れていた何かを思い出させようとします。


中にはダムに沈もうとしている宮がありました。
周囲はダムだらけなのに、さらにダムが建造されるといいます。

写真は200枚以上。
整理しつつ紹介して行きたいと思います。

帰りの車の中は女子会。
スピリチュアルな話が花盛り。

神社というものはスピリチュアルな世界そのもの。
シャーマニズムの理解が古代の理解に大切だなと思いました。

ヨド姫という女神は佐賀の里でどのような恵みをもたらしたのでしょうか。
いずれ訪問記をつづって行きたいと思います。

昨日から富士町上無津呂の美しさに、ずっと浸っています。


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淀姫神社一の鳥居



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by lunabura | 2014-01-27 23:30 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(4)

本が届きました


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今日、本が届きました。
表紙はアマテラスの宮・天照皇大神宮。
想像以上に迫力があって、思わず見入りました。


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私がパッチワークをするから、その好みも入れてくれて、小さな写真が並びました。


一番左は豊功神社(とよこと・下関市)
そこから満珠干珠島が見えます。
忌宮神社とセットで是非訪れて下さい。
その海は龍神の海と言われています。
神功皇后はそこで如意の珠を手に入れたと『日本書紀』に書かれているのですが、
それが干珠満珠の事でした。

これは安曇磯良の授けた秘法ともされ、交響曲のサブテーマのように、
繰り返し歴史のなかに現れて来ます。
最後、皇后が再び豊浦宮に戻ってきた時、その珠を二島に置いたとされますが、
それが満珠干珠島になったとも言い伝えています。

ガイドブックを書いた時、最後に和布刈神社を書いたのですが、
この話を知って、まるで計算されつくしたドラマを見終わったような、
不思議な思いをしました。


左から二つ目の古社は高良下宮社。
目次には出していませんが、高良玉垂宮で紹介しています。
このエリアは古代史の中でも特に重要な場所。
伊都国との接点が見えて来て、少し見通しが出てきたかな。
そういえば、祇園山古墳の周囲に埋葬されていた甕棺が伊都国の形式でしたね。
菅原道真が袴をはいて正装するほどの大事な宮も紹介しています。


次の赤い建物は香椎宮。
この写真はお気に入りの一つです。
透明感があって、何故か、海との繋がりが感じられるのです。

ここは仲哀天皇が天下を治め、崩御したという重要な宮です。
沙庭斎場のある古宮も是非訪れて下さい。



一番右で五色の幡が風に舞っているのが小山田斎宮。
仲哀天皇の崩御の原因となった神々を尋ねた場所です。
皇后が絶対的に信頼した人がこの秘密の場所を提供したはず。

船原古墳はそこから数分のところ。
船原古墳の被葬者はその末裔に当たると思っています。
そのそばの川を下れば阿曇郷。
糟屋の屯倉の候補地があります。


不知火書房さん、今日から発送を始めたそうです。
直接注文された方は数日内に届くと思います。

また、最速で手に入れる方法を尋ねた方へ。
今日の段階では不知火書房さんに電話を入れるのが一番早いそうです。

いつも応援ありがとうございます。





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by lunabura | 2014-01-25 21:02 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(0)

若八幡宮 神功皇后が立ち寄った


若八幡宮
宮若市沼口195
神功皇后が立ち寄った


神功皇后のガイドブックの百社を選んだ後、どうしても伝承が確認できない神社がありました。

古い本に一行書かれていたのを調べ、参拝したのですが、宮の方は不在。
何度か電話をかけでも連絡がつかないので、別の神社にまで掛けました。

そこには石碑があったと教えていただいたので、再び電話をしてみても、
どうしても連絡が取れない。
未確認のまま本には出せないので、ついに断念。
図書館に行って、想定ルート上に伝承のある宮を調べる事にしました。

そして、『宮若町誌』についに伝承を見つけたのです。
それが、今日紹介する若八幡宮です。

昔、神功皇后が異国遠征のときにこの地に立ち寄った。そのゆかりの地に、保元二年(1157)九月二十四日、村人は力を合わせて神社を建立した。


こんな素朴な社伝に心ひかれます。

ただ、そこに存在する。
これこそ、「古代が、すぐ近くに息づいている」世界ですね。

神功皇后が通過しただけの神社は省いてもいいのではないか、と言われたのですが、
私にとってはそのような神社こそ宝です。

地図を広げて現地を探すと、何度もその前を車で通過している所だと分かりました。

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山口川の向こう。
近くの目印は工場が散見されるくらい。
その川の向こうに鳥居と灯籠がありました。
まっすぐ200m。

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それらしき杜(もり)。

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落ち葉が参道を彩っています。

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古木の間を通って境内に出ると、石垣の上に拝殿が見えました。

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氏神様の宮のようです。
御祭神は応神天皇 神功皇后 武内宿禰 ほか。
八幡宮の三柱目が珍しく武内宿禰ですよ。


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一目ぼれした古木。
名前が知りたい。

仲哀天皇と神功皇后が靡山(なびきやま)を見ながらゆるやかな勾配を下って来て、この川に出て来ました。

境内は川より少し高い地点。


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境内からわずか見える山々の稜線に、とても心が解放されました。
皇后たちもきっと同じ景色を見たことでしょう。

ちょうど、この正面辺り、わずか一キロの所に竹原古墳があるのです。
あの装飾古墳。

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馬を連れていた武人。ブーツを履いていたね。

仲哀天皇と神功皇后を迎えた時代から数百年たって、そこに眠る男。

歩いて15分。(川があるけどね)
どんな古代社会があったのでしょうか。
装飾古墳というものは何にもまして、驚きと真実を与えてくれます。

船に乗ってやって来た男。
もし、この武人がずうっと船に乗って来るとしたら山口川を遡って来なければなりません。
この川は遥か遠賀川に注ぎます。
ですから、玄界灘から岡の湊を通って来たことになります。
火を噴くドラゴンは夜空の星座だと、るなは確信しているんですがね。

竹原古墳(1)福岡県宮若市竹原 この優美な装飾壁画は通年公開!
http://lunabura.exblog.jp/15619249/

竹原古墳(2)日本の古墳に火を噴くドラゴンが何故描かれている?
http://lunabura.exblog.jp/15638086/

さて、仲哀天皇の一行は川を渡って、山口八幡宮に向かいます。
その後、いよいよ厳しい見坂峠を越えて福津市へ。
時は真冬。

車で走ると、途中、三か所ほど鳥居が見えます。
見坂峠のピーク付近とそれを挟んで前後二か所。
車が多いので止められないのですが、そこで一行は休息したのではないかと考えています。


若八幡宮
宮若市沼口195



「神功皇后伝承を歩く」 上巻 22 掲載神社


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by lunabura | 2014-01-24 22:21 | (ヤ・ラ・ワ行)神社 | Trackback | Comments(0)

謎の欠史八代(9)開化天皇2 佐保姫もでてきた


謎の欠史八代(9)
開化天皇2

 佐保姫もでてきた

さて、続きを訳していたのですが、『古事記』は崇神天皇ではなく、
日子坐王(ひこいます)の系譜を語り始めます。
崇神天皇と日子坐王は異母兄弟です。
ところが、日子坐王には子供が11人。
系譜はさらにその子供たちの流れを辿って行きます。
その中に、有名な佐保姫が出て来ました。

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そして、最後には息長帯姫命へ至る系譜を並べていきます。

ざっと見て100人以上の名前が出て来ます。
これを全部書き写すとなると、数日はかかりそう。(´・ω・`)
あきらめます。

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系図でも分かるように、「日子坐王」には「日子」の字が当てられています。
崇神天皇にも「御真木入日子印恵命」という名前の中に「日子」があります。

もしかしたら、日子坐王が皇太子だったのかも、とふと思いました。
王は丸邇臣(わに)の系譜になります。

百人近い名前を費やして神功皇后へ糸をつなぐ編集は
丸邇氏から天皇が出るはずだったことを伝えたかったようにも見えます。

開化天皇は丸邇氏と縁を持ちつつ、ウチ家のイカガシコメとも縁を持ちます。
系図を見ていると、この時代、ウチ家(竹内宿禰の実家)と丸邇氏が二大豪族として
天皇家を支えていたように見えて来ました。

天皇を取り合ったと言う方が実態に近いのかも知れません。
皇太子が入れ替わった可能性がありますね。

丸邇氏の本貫地はどこでしょうか。どなたか教えてください。
系図からは北陸のイメージが感じられます。

『古事記』には息長帯姫と竹内宿禰の系譜にこだわりがあるのが分かりました。
この二人に関しては特別扱いの印象が強いです。

それでは、せっかくだから中断した所まで。(『古事記』)

御真木入日子印恵の兄、ヒコユムスミ王の子、大筒木垂根王(おおつつきたりね)。次に讃岐垂根王。この二王の娘は五柱です。

日子坐王(ひこいます)、山代のエナツ姫(亦の名・苅幡戸辨・かりはたとべ)を娶って生まれた子は大俣王小俣王志夫美宿禰王。(三柱)

また、春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘、沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)を娶って生まれた子は沙本毘古(さほびこ)王。ヲサホ王沙本姫命(亦の名サハヂ姫)。この沙本姫命は伊久米天皇の后となりました。
(後略)


系図を書くと、いろんな情報や矛盾が見えて来て面白いんですけどね。
時間がかかり過ぎ。
また、必要になったら書く事にしましょう。

神功皇后と竹内宿禰の特別扱いは、『唐書』辺りの、倭人のセリフにも出て来ました。
神功皇后を15代と中国で説明していた話、紹介しましたね。

さて、欠史八代に取り組んだ本来の目的は雷神社に書かれていた異国の襲来の時代について
調べるものでした。
やはり、それは書物からは伺えませんでした。


「欠史八代」についてのメモ

欠史八代について分かったのは、

①近畿においては実際に欠史八代であった。ウィキペディアの編者が説明しているように、古墳との繋がりも不自然だった。伝承でも、考古学上も、近畿に2代~9代の存在は認めがたい。

②「卑弥呼=ヤマトトモモソ姫説」は時代が数百年違っている。ヤマトトモモソ姫は欠史八代の中に出て来る姫である。

③北部九州においては、欠史八代の伝承が見られる。考古学的にも、該当する時代の遺跡がある。

④欠史八代という名称そのものが実態を表していない。
特に、8代、9代の歴史は『古事記』には長々と書かれていた。(るなが根負けした (+_+))
そんな事が今回の印象です。

今回、るなは言いましょう。

「欠史八代」とは「筑紫八代」である。

言っちゃった ( ´艸`)

孝元天皇の宮
さて、八代・孝元天皇を祭神とするのは高良下宮社(久留米市)です。
サイドバーから入れますが、孝元天皇について、真鍋の説を紐解いているのは
「出目・袴着天満宮」の方です。

真鍋は孝元天皇=伊覩国王説でした。
仲哀天皇が神功皇后と共に伊都国に行って、高良山にもやってきた目的として、
伊都国の坩堝の材料として高良山の温石を求めたと言います。

今まで、孝元天皇が高良下宮社に祀られている理由が分からなかったのですが、
仲哀天皇が伊都国の技術者を連れて来て、採掘・加工のために定住させたとすれば、
その技術者たちが自分たちの祭神を当地に祀ったと考えられて、説明が上手く行きます。

うむ。
これで高良下宮社の祭神たち、揃い踏みですね。
二月には久留米でお話しますよ (^-^)

    
   日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)若倭根子日子大毘毘命(

10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇





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by lunabura | 2014-01-23 20:35 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(7)

謎の欠史八代(8) 開化天皇1 神功皇后が出て来た


謎の欠史八代(8)
 開化天皇1 


神功皇后が出て来た

開化天皇の名前ってよく聞きますよね。
この天皇にも不在説があるんですか?
何でだろ~。

続きを読むと分かるけど、この時代の人たち、後の方にどんどん登場しますよ。
学者さん、全体を読まないで「欠史八代」って名付けたの? (´・ω・`)

さて、開化天皇の項は、前回の孝元天皇の倍の長さがありました。
長いので、今度こそスルーしようと思ったら、神功皇后が出てきちゃいました。

何で、開化天皇の所に…。
こうして好奇心がそそられて、ポツポツと漢字変換するのでした…。
訳すといっても、人の名前を書き写しているだけです ( ´艸`)

開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびび)は春日の伊邪河宮(いざかわ)で天下を治めました。

この天皇は旦波(たには)の大県主・ユゴリの娘、竹野姫を娶って生まれた御子はヒコユムスミ命。(一柱)

又、継母(ままはは)イカガシコメ命を娶って生まれた御子は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)。次に御真津姫命(みまつひめ)。

また、丸邇臣(わに)の祖、日子国オケツ命の妹、オケツヒメ命を娶って生まれた御子は日子坐王(ひこいますのみこ)。(一柱)

また葛城の垂見宿禰の娘、ワシ姫を娶って生まれた御子は建豊ハヅラワケ。(一柱)

この天皇の御子たちは合わせて五柱です。(男王四人。女王一人)
御真木入日子印恵命が後を継ぎました。
(つづく)

さて、ここでイカガシコメ命が出てきちゃいました。
二度目ですよね。
つまり、イカガシコメ命は孝元天皇と開化天皇の両人と結婚したということです。
親子と結婚したんですね。
しかも、血が濃く繋がっています。

大毘毘命(開化天皇)から見たら、イカガシコメ命は義理の母で、血が繋がっている上に、父親の妻でもあります。
結婚制度がどうとかは、分からないけど、系図が複雑になります。
書けるのだろうか。

とりあえず、結婚した段階の系図を書いてみましょう。
個人的な関心で、竹内宿禰との血縁関係を見たいので、竹内宿禰を残します。

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これは二人(イカガシコメと大毘毘命)が結婚した時の系図。

息子が継母と結婚できた状況を考えると、
大毘毘命の実母・内色許売命も実父・孝元天皇も亡くなった後だということが分かりますね。
大毘毘命自身が即位してからの結婚でしょう。

年齢の差を考えると、イカガシコメの方がずうっと年上です。
二人の間に生まれたミマキイリヒコイニエ命が崇神天皇になるんですね。
(なんだか、源氏物語を読んでいるような雰囲気です。
光源氏が継母と結ばれて子供が出来てしまいます)

さて、次に大毘毘命が結婚した後の系譜を書きましょう。


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竹内宿禰との血縁を見ると、開化天皇はすごく近い血筋になるのが分かります。
竹内宿禰が迷うことなく天皇家を守護する理由は一族だったという事が背景にあるんですね。

ところで、竹内宿禰は13代成務天皇と同じ誕生日じゃなかったっけ。
そうすると、この系図の時代にはまだ生まれていなかったということにもなりますよ。
少しホコロビが見えたような気がしました。
(つづく)

       日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)若倭根子日子大毘毘命

10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇

最後まで読んでくれてありがとう^^




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by lunabura | 2014-01-22 00:05 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(2)

ページ見本です



わお。済みません!
今日、早速、書店に本を買いに行って下さった方があると聞きました。

出版が少し遅れていて、書店に出るのは今月末から来月初め頃になるそうです。
御迷惑をおかけしました(ペコリ)

不知火書房さんに直接、注文した方は25日頃から順次発送の予定です。

『神功皇后伝承を歩く』
このタイトルや表紙だけで注文して下さった方、有り難く思っています。

中味を見ていただく方法がないかなと思いまして、
「ページの見本をブログに出したいので、選んで送ってください」
と頼んだら、「縫殿神社」が送られてきました。

   あ。
   昨日、話題にしたばかりの所だ。

奴山(ぬやま)古墳群は津屋崎古墳群に含まれていて、
世界遺産登録の周辺施設に含まれています。
津屋崎って、写真でも分かるように、道路からも古墳がポコポコ見えます。
古墳好きにはたまらない光景です。

当地を完全に調査した訳ではありませんが、少彦名神や大己貴神が多く祀られています。
「津屋」も砂鉄の暗号。
「古出雲」の候補地として、最近注目している所なのです。

そのエリアの北の端にある縫殿神社。
「織物文化から秦氏ではないかと考えた」と昨日紹介したばかりです。

ここと基山(?)の媛社神社(ひめこそ)とも関連付けて考えています。
媛社神社の女神が望んだ織物の技術者は当地から招かれたのではないかと考えているのです。
両地には似た地名がある上に、物部氏とも関連がありそうなんです。
何の伝説か分からない方も多いと思うので、
別の機会にきちんと紹介したいと思います。

それと、磐井の末裔の名前が津屋崎古墳群に見られるので、
古墳のマップと観光マップを手に入れました。講演の時にお届けします。
(ただし、今回の話は磐井でなく、神功皇后ですよ。磐井の話はいずれ、必ずします)


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こんな感じで、由緒と祭神と説明文、探訪、そして地図とアクセスと
沢山の写真で構成しています。
どの神社も煌めくような伝承と歴史があるんです!

この本はすべての書店に置かれるとは限らないので、近くの書店に注文してくださいませ。

一番早いのは、不知火書房さんに電話かFAXでの注文です。
(送料無料。到着後一週間以内に郵便振り込み。振込料無料)





 ◆ ◆ ◆ 語り部 ◆ ◆ ◆
◆ 2014年2月1日 (土)13:30~16:30
 タイトル:「神功皇后伝――倭国大連合と高良玉垂神――」
           第45回 太宰府・久留米合同地名研究会
           会場:えーる・ピア久留米(久留米市生涯学習センター)
                   
◆ 2014年2月15日(土)13:30~16:30
タイトル:「神功皇后伝承を歩く ――足跡をたどる旅のガイド――」
           第17回 玄海地名研究会
           会場:福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社内 文華学院 あるいは 直会館
                          
詳細は コチラ




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by lunabura | 2014-01-20 20:00 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(2)

謎の欠史八代(7)孝元天皇の末裔たち


謎の欠史八代(7)

孝元天皇の末裔たち


系図を書いてみました。
神功皇后伝承に名を残す人たちの名前がチラホラ見えます。
あの人は、こんな事をした。
この人はこんな事をした。
そう思いながら思い出を辿っているような気分がしました。
系譜は、それほど出鱈目ではないのではないのかも知れません。

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孝元天皇
孝元天皇はウチ家に妻問しています。
ふつうは姉妹と結婚するけど、ここでは叔母と姪。
珍しいです。
以前、系図を書くのに工夫が要ったからよく覚えています。

あっ。そういえば「ウチ考」が途中でストップしてるのを思い出しました。
歴史はまっすぐには辿れません。
ラセン階段を下っていくように、同じ所に何度も戻りながら深まって行くものなのですね。 

このブログも同じ話が繰り返し出てくるけど、そのたびに理解は深まっています。
誰も辿っていない道だから、皆さんと知識を共有しながら歩みたいと、
系図も時間をかけてイラスト化しています。

内家。これは歴史の深い地層に眠っているようです。
時がくれば自然とその姿を現してくれるのでしょう。 

さて、「大倭根子日子国玖琉命」という孝元天皇の名前。
「ネコ」とは南北線。「子(ね)」の方向は北。
「ヒコ」とは東西線。「日」は日の出、日の入りの方向。
真鍋がそんな事を書いたのですが、その続きがどこにあるのか、
分からなくなったので、またいつか。


味師内宿禰 (うましうちのすくね)
竹内宿禰の異母兄弟です。
が、竹内宿禰を殺そうとしたのは味師内宿禰でしたね。
竹内宿禰が筑紫で謀叛をたくらんでいると応神天皇に讒言をした人。

応神天皇はそれをまんまと信じて竹内宿禰追討の勅命をだしてしまう。
ところが、竹内宿禰とそっくりな壱岐真根子が代わりにと自害する。
でも、今では自害でなく、殺されたんだろうな、と思うようになりました。

竹内宿禰の9人の子。
妻の名前が書かれていません。
当然何人もいたのでしょうが、その一人が「豊姫」だという話を聞きます。

豊姫は神功皇后の妹という話があるけれど、妹の名は虚空津姫(そらつひめ)。
豊姫と虚空津姫は同一人物なのかどうか、今でも課題です。

昨年の久留米大学の講座で質問がありました。
神功皇后の出産の地はどこかという内容だったと思いますが。

神功皇后の出産の地は数か所、伝えられています。
赤司八幡宮(久留米)でも神功皇后のために産屋まで準備していたというのですが、
神功皇后はここで出産したのか?
神功皇后が宇美八幡宮(宇美)で出産したなら当宮では誰が出産したのか?
そんな話題だったと思います。

「豊姫」
即座にそんな答えが出て来て自分でも驚きました。
赤司八幡宮はもともと「豊比咩神社」というのですね。
だから、ここで出産したのは豊姫だと思ったのです。

あの時、皆さんに、妙に納得した空気が流れたのが印象的でした。
豊姫も神功皇后も共に懐妊していたのだと思います。

古代の天皇たちの旅というのは、夫婦は一緒。
そうしないと、妻を残して旅をしたら、妻はあっという間に奪われてしまいます。
ヤマトタケルは妻と一緒に征討の旅に出ました。
古代は出産も子育ても旅の中で行われたケースは沢山あると思います。

想像もつかないけど、何日か山の中を歩くとそれがよく分かります。
侍女たちも、もちろん妊娠したり出産したりしながら旅をしたでしょう。

神功皇后の出産の地が対馬から筑紫、豊と各地にあるのは、
多分、侍女たちの出産が神功皇后当人として伝えられているのではないかと
考えるようになりました。

オオビコの子・建沼河命
阿部家の祖と書かれています。
糟屋郡久山町(トリアスの隣)の黒殿神社は阿部家の祀る神社。

建沼河命が久山町にいる間に阿部家の娘に子を生ませたんですね。
現地伝承と『古事記』がぴったり符合しました。
その阿部というのは安曇族だという話を宮地嶽神社で伺いました。

膳臣(かしわで)と共に旧糟屋郡の豪族なのが系譜でよく分かりました。
黒殿神社はガイドブックでも紹介していますよ。


竹内宿禰の子・波田八代宿禰
竹内宿禰を祀るのが織幡神社(宗像市)。壱岐真根子の子孫が祀り続けています。
オリハタ。ハツ。
秦氏のキーワードです。
福津市の縫殿神社も布を作っています。

るなは「奴山古墳群」の所で、「宗像族の奥つ城(き)」と、
受け売りで記事を書いたのを反省してラインで消しています。

まだ当時、宗像族はそこでは活躍していません。
中世時代に宗像族が攻めて来ました。
今思う。
福津市の奴山から宗像市の鐘崎までは秦氏だろうと。

竹内宿禰の長男が波田八代宿禰。ハタですね。
宗像族が支配するのはもうちょっと後の話だと思います。
(奴山古墳群のマップを貰って来たので、講演の時、配りま~す)

さて、何で欠史八代を調べ始めたのかなって、思い出すと、
雷神社で異敵の襲来があった時代を調べていたのですね。

       日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)

10崇神天皇
11垂仁天皇

12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇

赤字の部分がその時代。『古事記』からは戦いの歴史は見えて来ませんでした。
結局、異敵と戦わずに済んだのは景行天皇と成務天皇の時代だけですね。

景行天皇は外国と戦わずに済んだから、九州の土蜘蛛たちを討伐できた?
成務天皇は即位後すぐに病死です。
そして、仲哀天皇の時代に再び外敵が攻めて来ます。
この時、初めて記紀に異敵との戦いが記録されたのだと分かりました。






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by lunabura | 2014-01-19 22:14 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(4)

謎の欠史八代(6)第8代 孝元天皇 建内宿禰が出て来た


謎の欠史八代(6)
第8代 孝元天皇

 建内宿禰が出て来た

「欠史八代」とはいえ、次の孝元天皇はさらに長い文章でした。
訳はスルーしようかと思ったら、途中に竹内宿禰が出て来ちゃった。

こりゃあ、訳するしかありませんね。
でも、系譜しか書いていないので、読む人はいないだろうなあ (+_+)

訳していると、このブログに登場する名前がチラホラ出て来ましたよ。
なんだか懐かしい。
訳すのは『古事記』です。

孝元天皇
大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくる)は軽(かる)の堺原宮で天下を治めました。

この天皇は穂積臣らの祖、内色許男命(うつしこを)の妹、内色許売命(うつしこめ)を娶って生まれた御子は大毘古命(おおびこ)。次に少名日子建猪心(すくなひこたけいこころ)命。次に若倭根子日子大毘毘命(おおびび)の三柱です。

又、内色許男の娘、イカガシコメを娶って生まれた御子は比古布都押之信命(おしのまこと)。

また、河内の青玉の娘、ハニヤスビメを娶って生まれた御子はタケハニヤスビコ命

この天皇の御子は合わせて五柱です。
この中で、若倭根子日子大毘毘命が後を継ぎました。

その兄の大毘古命の子、建沼河別命阿部臣らの祖。
ヒコイナコジワケ命膳臣(かしわで)の祖である。

比古布都押之信命は尾張連らの祖・オホナビの妹、葛城之高千那姫を娶って生まれた子は味師内宿禰(うましうちのすくね)。山代の内臣の祖である。

また、木国造(きのくにのみやつこ)の祖、宇豆比古(うづひこ)の妹、山下影姫を娶って生まれた子は建内宿禰この建内宿禰の子は合わせて九人いる。(男七人。女二人)

波多八代宿禰(はたのやしろ)は波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君の祖である。

許勢小柄宿禰(こせのおから)は許勢臣、雀部臣、軽部臣の祖である。
蘇賀石河宿禰は蘇我臣、川辺臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣らの祖である。

平群都久宿禰(へぐりのつく)平群臣、佐和良臣、馬御樴連(うまみくひ)らの祖です。

木角宿禰(きのつぬ)は木臣、都奴臣、坂本臣の祖。
久米能摩伊刀姫(くめのまいと)。
怒能伊呂姫。

葛城の長江曾都毘古(ながえのそつびこ)は玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣らの祖です。
また、若子宿禰(わくご)は江野財臣の祖。
この天皇の御年、57歳。御墓は剣池の中の丘の上にあります。

や。系図だけでしたね (・.・;)
でも、いくつも知っている名前や臣が出て来たよ。
赤色は特に記憶に残っている名称。

岩波の古典体系を見ているんですがね、
面白い事に、頭注では「佐和良臣、阿部臣、膳臣(かしわで)」は不明って書いてある。
みんな筑紫ですよ~。ね。

本文の「平群都久宿禰は平群臣、佐和良臣…」という所、
先日、福岡市西区の吉武高木遺跡の所で出て来たばかり^^

佐和良は早良ですね。
平群と早良は隣同士だし、平群都久の末裔は糸島市(宇美八幡宮)だし。
身近な地名が出て来るから、急に面白くなっちゃいました。


この系譜で注目すべき点は「孝元天皇の項」なのに、「竹内宿禰の9人の子供」が詳しく書かれている点。

これは、他の所でも同じケースがあったけど、
竹内宿禰が臣下にありながら、どれほど重要な人物だったのかが伝わってきます。

彼の母は山下影姫。佐賀に複数祀られているし、墓所は小郡市。
ガイドブックのマップにも御勢大霊石神社・隼鷹神社の近くに
さりげなく書きこんで貰っているので、一緒に廻ってみてください。
前方後円墳の形がよく残っています。

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(境内の向こうの屋根とか、周囲の円形とかみてください)

前方後円墳の発祥は近畿と言われますが、
古いスタイルの細っこい前方後円墳が神功皇后のガイドブックでも数か所見られ、
考古学界で調査・評価して、整理してくれたらいいなと思っています。

竈門神社(玉母宮)
福岡県小郡市力武宮の脇
竹内宿禰の母・山下影姫の墓所だった
http://lunabura.exblog.jp/16421532/


「木の国」とは基肆国(きい)にまちがいありませんね。
佐賀県です。
的臣(いくは)は、うきは市浮羽。

「阿藝那臣」は阿曇那臣ではないかと考えています。
阿曇は那国(奴国)ですもん。

「膳臣」は、香椎宮の不老水の近くの高倍神社が関連あるんじゃないかなあ。
「祭神 香椎武内家始祖 香椎廟廟司 大膳紀宿禰氏連命」と書いてあります。
写真はこちら
香椎宮(6)武内神社・不老水・高倍神社 竹内宿禰について
http://lunabura.exblog.jp/17464215/


筑紫や佐賀が沢山出て来るので、少しテンションが上がりました。

竹内宿禰の九人の子と、高良山の九躰皇子はどう関連があるの?
どちらも9人の子なので、ずっと気になってるんです。
どなたか調べていませんか?

(つづく)




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2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)

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by lunabura | 2014-01-17 23:37 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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