ひもろぎ逍遥

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(11)吉野離宮はダムに沈んだ?


(11)吉野離宮はダムに沈んだ?


愛読者さんから、「吉野」に関してのコメントがありました。
以前にもそれに関してコメントをいただいていたので、心に残っていたのですが、
嘉瀬川ダムで思いがけない話を聞きました。

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それは「吉野離宮はダムに沈んだ」という話でした。

古川氏によると、佐賀県の県議会での質問に、
「大切な吉野離宮があるのに沈めていいのか」という内容のものがあったという事です。
その県会議員が誰なのか、また、いつの議会なのかは未調査で、
吉野離宮という名称かどうかも未確認だそうです。

また、ダムが出来るときには地元の調査がされますが、
その報告書は佐賀市立図書館で開架されている、
という所まで、古川氏が調べています。

これを踏まえて愛読者さんのコメントを読むと、うなずけることが沢山あります。

淀姫神社がある嘉瀬川流域は面白いですね。見て回ったことがありましたが、神社には気づかずパスしていました・・・残念!

嘉瀬川は上流に吉野山があり、下流は過去は吉野ヶ里方面に向いて流れ、「吉野」地名も旧河川沿いに残っているなど、この付近が「吉野」と呼ばれていたとしても不思議はないと思います。

『書紀』に斉明天皇が吉野宮を作ったとあり、万葉36番で吉野宮を「水激る瀧の宮処」と歌っていますが、奈良吉野宮とされる宮滝付近には「宮滝には滝はありません」(吉野資料館)とのこと。

一方、古湯の下流に雄淵の滝があります。大きく立派な滝でした。肥前国庁跡も川岸にありました。

『肥前国風土記』に「宮処郷は郡(神崎郡)の西南に有り。同天皇(景行)行幸の時、此村に行宮を造り奉るに因りて、宮処郷と曰ふ」と「天皇が宮を『宮処』に造った」との伝承があります。「滝の宮処」の「宮処」です。

奈良吉野よりこの「佐賀吉野」の方が古くて本物の吉野であり、「天皇」とは九州王朝の天子で、嘉瀬川(吉野の川)沿いに「吉野宮」を造ったということだったのではないかと思っています。

奈良吉野には滝がないという情報は地元でないと得られない話で驚きました。

佐賀県において、景行天皇の「宮処」があったのは私も気になっていました。
「神埼」(かんざき)といえば、真鍋は物部がいたと伝えています。
鞍手の神埼神社(こうざき)も物部の里です。
そこに天皇の宮処を造営するのは合理的です。

私も以前から調べたい神社が吉野ヶ里町にあります。
田手神社(太神宮) です。

ネットで採集した社伝に
「主祭神として、撞賢木厳之御魂向津媛命をお祀りし、
応仁天皇、管原道真、仁徳天皇を合祀する。」
 
「天智天皇筑後に暫く皇居された時、清浄晴沙の地を選んで、この地に皇太神宮、
撞賢木厳之御魂向津媛命(天照皇太神宮)を勧請し、荘厳な 一宇を建立された」

「天智天皇筑紫に暫く皇居せられし時に、御心願ありし此地を撰ひ、皇大神の荒魂
撞賢木厳之御魂向津媛命を奉斎ありたりと、又一説に斉明天皇とも伝ふ」

などと出てきます。
撞賢木厳之御魂向津媛命は「つきさかきいつのみたまむかつひめ」と読みます。
この撞賢木厳之御魂向津媛命こそ、仲哀天皇の崩御の原因に関わった神です。
(小山田斎宮で神功皇后が祟った神を尋ねたときに名乗った神)

神功皇后から四百年以上経って、再び新羅との戦いを迎え、
旗頭となった斉明天皇もまた突然崩御します。
仲哀天皇と同じ不吉が起こったので、天智天皇は同じ神の祟りを連想した可能性は
なかったかと考えています。

社伝では、天智天皇が祀ったのがいつの時点なのか分かりませんが、
この場所を選んだということで、宮処は近いのではないかと考えていました。

現地に行かないと、これ以上の理解は出来ないのですが、
愛読者さんの言われる「吉野宮」の傍証になるのではないかと思いました。

佐賀市近辺の方、一肌脱いで、調べていただけませんか?
議事録。尋ねた議員名。吉野離宮の正式名称。伝承。ダム資料の地図。
などです。


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by lunabura | 2014-02-28 19:01 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(0)

ヨド姫三社(10)淀姫神社 古湯 豊玉姫と海津見神

ヨド姫三社めぐり(10) 

淀姫神社 古湯
豊玉姫と海津見神

ヨド姫神社めぐり。最後のお宮です。
ここは温泉で有名な古湯(ふるゆ)。
前回の下無津呂から川を下っていった所、川と道路に挟まれた所に鎮座しています。

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神社の向こうには貝野川が流れています。

ここは見覚えのある社でした。淀姫神社だったんですね。
思いがけず参拝できました。

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一の鳥居をくぐるといかにも古社の風情。
この鳥居の神額は諏訪神社と書かれていましたよ!
今、気付きましたが、向こうに神名備山が見えていますね。

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そして、拝殿前の境内です。
ご祭神は豊玉姫と海津見神(わだつみ) 他 11神。
伝承が手に入っていません。
淀姫神社ですが、ヨド姫の名はありません。

真鍋大覚によれば「ヨト」と「トヨ」は混同されたそうです。
ここもそうなのでしょうか。

地図を見ると、貝野川はすぐ先で嘉瀬川に合流し、下流では天河川が合流。
つぎつぎに支流が流れ込み、十字路のようになっていて、
上無津呂の淀姫神社の地形とそっくりでした。
やはり、大雨が降れば氾濫するような場所に水の女神を祀ったのではないかと思われました。


嘉瀬川流域のヨドヒメ神社を振り返った
嘉瀬川流域の上流から下って行くと、
上無津呂の淀姫神社では豊玉姫と玉依姫を祀り、下無津呂の乳母神社では玉依姫と海神。
そして、中流域の古湯の淀姫神社では豊玉姫と海神。
最後、古有明海に注ぐ下流域の與止日女神社では與止日女または豊玉姫
が祀られていました。

こうして並べてみると、嘉瀬川流域には安曇族の女神と海神が意図して配置されているようにも見えます。

安曇族が九州王朝であったという事が分かった今、
この流域は九州王朝にとって、重要な存在だったことが伺えます。


磐座とムクノキ

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拝殿の左手に磐座群がありました。

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もともとこちらが起源なのかもしれませんね。


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そこにはムクの実ムクロジュの実が落ちていました!


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幹の肌のアップ。

やはり真鍋が言うように、隕石が落ちた場所にムクロジュを植えたのでしょうか。
(真鍋はムクロジュをムクノキとよんでいるのが判明しました)
ここはそれに加えて磐座も置いた?

安曇族は鉄のためなら長野までも行って安曇野を展開しています。
ここも隕鉄の落下視点として、製鉄に励んだのでしょうか。

ヨトヒメ神社めぐりが、思いがけなく安曇族との出会いとなりました。
志賀海神社で行われる夜渡祭は、こうして各地の淀姫神社の平安の祈りも
含まれていたのかなあと、今さらながら気づかされました。


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淀姫神社の狛犬さん、どうなんでしょうか?



地名研究会の旅はここまで。あとは温泉組と帰宅組に分かれて解散です。
帰宅組の私たちは福岡に一番近い距離をナビで見ると、三瀬峠越え!
糸島が近かった。
そして、帰り道、虹のアーチを二度もくぐって福岡へ戻りました。




淀姫神社
佐賀市富士町古湯




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by lunabura | 2014-02-25 18:46 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(11)

八所宮にて


今日は宗像市の八所宮に参りました。
ここは神武天皇を赤馬に乗った神が導いたことから、
赤間(あかま)という地名が出来たという謂れの宮です。

初めて参拝した時、八柱の神が大変古い神々だったことに驚いたことを
今でもよく覚えています。

泥土煮の尊(ういじにのみこと)     沙土煮の尊(すいじにのみこと)
大戸の道の尊(おおとのじのみこと)  大戸の辺の尊(おおとのべのみこと)
面足の尊(おもだるのみこと)      綾かしこねの尊(あやかしこねのみこと)
いざなぎの尊                いざなみの尊


『古事記』の冒頭を飾る神々。
紙の上で知った神々が実際に鎮座する宮に出会ってどれほど感動したことか。

そして、宮地嶽神社の講演の日。
最後まで待っていてくれた女性が見せてくれた縁起。
それは八所宮の巻物を写したものでした。

「何年かかってもいいので、読めるようにしてくれませんか」

一見して、記紀では知りえない内容が含まれていました。
自分も知りたいし、何よりも、それを知ろうとする人が一人でもいるなら、
力になろう。

そう思って承諾した私に、資料を送ります、と言われたのですが、
これは神社で戴くべきものだと思い、一週間後に八所宮に出掛けることにしました。

そこに集ってくださった数人の方たちは皆、このブログを読んでくれていました。
口々に、このブログのお蔭で色々分かった、と言われます。
私もお役に立てて嬉しいです。

それぞれの体験を聞かせていただいたのですが、神々はメッセージを下さる時、
一言だけ、というケースが多いんですね。
『古事記』を読んでいないと、きっとムズカシイ言葉ばかり。

それで、このブログに行き当たったと言われます。

最近、立て続けにそんな方たち数組に会いました。
私はそれぞれから聞かせていただいて、全体がどうなっているのか、
これからの日本の成り行きを垣間見させていただいています。

今日も剣の話が何度も出てきました。

すでに新しい枠組みが動き始めているようです。
私たちはネガティブな思いや言葉を剣で切っていかねばならい段階に来ています。

ちょうど、浅田真央選手が見せてくれました。
失敗しても、昨日は昨日。今日は今日。

苦しい思いを断ち切っての自己ベスト。
これこそ、剣の働きだと思いました。

今日は皆さん、ありがとうございました。
新しい日本の枠組みに向けて、私なりに出来ることをやって行きましょう。
その中の一つとして、古代史の真実を明らかにする。
これが今取り組んでいる課題です。

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気がついたらこんな時間。
木立のシルエットの間に見える一番星はシリウス。二番星は木星でした。


地図 八所宮



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by lunabura | 2014-02-22 23:43 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(9)

鶴見塚古墳・葛子の墓を探しに行った


鶴見塚古墳

葛子の墓を探しに行った


今日は、葛子の墓を探しに行ってきました。
粕屋町原町に鶴見塚古墳があり、それが葛子の墓と言われているそうで、
撮影に行って来ました。

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前方後円墳ですが、形が分からなくなっていて、後円部と思われる所には昭和の墓が並んでいます。
墳丘を歩くとお墓だらけ。
撮影がはばかられました。

古墳から出ると、犬の散歩をされている殿方たちとバッタリ。
例の調子で尋ねてみると、ここが古墳とは聞いたことがなく、
ましてや葛子という名も聞いたことがないようでした。

図書館で尋ねても、葛子の名をご存じなかったです。
測量もされておらず、地元の史跡マップにも載っていません。

なんだか不思議な思いがしました。


古代の海に面する丘に作られています。
ヲホド王(継体天皇)に滅ぼされた磐井の君の子という立場を考えると
葛子が堂々と墓を営めたのだろうかと、立地的に疑問が残りました。

もし、葛子の墓だとすれば、寿墓(生前に作った墓)とでも考えないと、
あまりにも好適地。
葛子はここに埋葬できただろうか。

近くには志賀神社がありました。
安曇族の停泊する湊があると聞いていたのはこれでしょう。

再び会った散歩の方から「ここはスズメバチが沢山いますよ」
と最後に言われて、びっくり。 (@_@;)
冬でよかったです。

ここまで変形したなら、発掘して保存した方がいいのではと、
行く末が気になる古墳でした。
もし、未盗掘なら船原古墳並みの出土物があるはずですが…。

追記
江戸時代に一つは開口していたのが分かりました。


糟屋郡粕屋町原町





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by lunabura | 2014-02-21 23:08 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(0)

取材


今日は久しぶりに晴れ間が見えて、ここちよい寒さでした。

次の本の原稿を見直しています。
予定では横書きという新しい試みで、週刊誌サイズだったのですが、
今のガイドブックと並べて置けるようにと、サイズを変更することになりました。

そこで、横書きも縦書きに変更することになって、その作業を始めています。
縦の方がやはり読みやすいですね ^^

論を進めていく中で、気になっていても、
新事実は出てこないだろうとあきらめた所があったのですが、
もう少し調査してみることにしました。

「どうぞ、誰かに会わせてください」とお願いしながら。

目的の神社は写真を撮っただけでしたが、神社から出ると、いましたよ!

散歩中の殿方!

さっそく、つかまえて尋ねたら、とても詳しい方でした!
るなさんの猛質問にどんどん答えてくださいました。

新事実は出てこなかったのですが、厚みのあるレポートになりました。

本は今度も総カラーです。
ガイドブックでは「花が一厘あったら」と友人に言われましたが、
今度は四季の花も織り交ぜています。^^

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梅が満開でした。(^-^)
天神さま、梅とお似合い。
一番装いの綺麗な日でした!





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by lunabura | 2014-02-20 22:16 | にっき | Trackback | Comments(0)

ヨド姫(9)乳母神社 母なる玉依姫と海の神

ヨド姫三社めぐり(9) 

乳母神社
めのと
母なる玉依姫と海の神

上無津呂から下無津呂へ。

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どんな山の中でも、道路は見事に舗装されています。
高架から降りた所に乳母神社がひっそりと鎮座していました。

周囲に人家はありません。

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参道も??から入って行くようになっていました。
一見して古社だと分かります。

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祭神は玉依姫と大海祇神。(おおわだつみ)

そうすると、玉依姫が乳母神ですね。
姉の豊玉姫の子・ウガヤフキアエズを育てました。
オオワダツミ神は海の神。
ここにも安曇の神々が祀られていました。

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周囲が開けた境内に、ひときわ古い巨木が祀られています。
木のコブが膨らんでいます。
安産の神木のようですね。


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そして天満宮が!
道真公です。
このように大切に祀られています。
そして、縄には海藻が結ばれていました。

海人族の証しです。


道真公は思いがけない所で出会います。
九州王朝と深く結びついているのが分かってきました。
そのためでしょうか、道真公が過酷な追跡を受けた状況を耳にします。

道真公は福岡の人にとっては学問の神様として慕われていますが、
京都辺りでは三大祟り神の一つに挙げられているのをネットで見て驚きました。
道真公もまた、その真実を明らかにされるのを待つ神なのでしょう。


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その横の祠には十一面観音が祀られていました。
神社に観音さま。
珍しいですね。
どこからか合祀されたのでしょうか。
あるいは廃仏毀釈から免れたのでしょうか。

でも、十一面観音って、瀬尾律姫とも言われますよね。
禊ぎ祓いの神で、水の神でもある女神。

その真後ろには、ほら、清らかな流れが。
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「この川には温泉が湧く所があるそうです」と古川さん。
地元の人が子供の頃、ここで泳いでいて暖かい場所を見つけたそうです。


集落からは遠く離れた地に湧き出す温泉。
ふと、古代社会では産屋を別に建てる話を思い出しました。

あるいは、産婦のためにここは産屋が建てられていて、
暖かい水を汲んで産湯を使ったのかなあと、妄想しました。

そこで神武天皇の母なる玉依姫を慕って祀ったのでしょうか。
産宮神社(糸島市)の奈留田姫を思い出します。

奈留田姫もまた、玉依姫と豊玉姫に安産を祈り、神武天皇の子を無事に生んだのでした。
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ここは佐賀市の北部の山の中。
しかし、さらに山の中に入ると3キロほどで雷山に出て、糸島市に出てしまいます。
雷神社までも5キロほど。

海草を取りに行くとしたら、川を遡り、長野峠を越えて糸島に出る方が早いです。
安曇族たちは、いったいこの山に何を求めたのでしょうか。

志賀島では忘れ去られた古式の祭祀形態が残っていそうに思われて、
いつまでも心に残る宮でした。

穏やかな天気は急に変わり、冷たい風が吹き始めました。

佐賀市富士町下無津呂
乳母神社の場所は不明




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by lunabura | 2014-02-19 22:16 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(0)

ヨド姫(8)淀姫神社 上無津路 豊玉姫と玉依姫を祀っていた

ヨド姫三社めぐり(8)

淀姫神社 
佐賀市富士町上無津路
豊玉姫と玉依姫を祀っていた

車を降りると、川の音が耳に飛び込んできました。
もはや、せせらぎというレベルではなく、渓流のような大きな水音でした。
「ここは川の合流点よ」とマーサが教えてくれます。

後で地図を見ると、十字路のように川が合流している所でした。
ここは佐賀市内ですが、ずうっと北上した山の中です。

ヨド姫…。
津波が来るところではありませんでした。
しかし大雨が続けば洪水が起こりやすい地点。
それで水の神としてヨド姫を祀っているのだろうか。
周囲を見回すと、冬枯れの山あいの里は、それはそれは清らかでした。

駐車場からすぐに橋を渡りました。

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「砂鉄がある!」
そんな声に川底を覗きました。
どれが砂鉄かよう分からん。
あの赤茶色の集合物がそうなのかな?

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神社はすぐそこでした。

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木の根元に「力石」が!
ケルトの風習と同じ。
バスク地方では今でも丸い石を担ぎ上げる祭が残っていますが、
この日本にも「力石」が伝わる町があります。

福岡県の南部の宝珠山村では民家の軒先などに置かれていました。
成人式にこの石を抱えるんだそうです。

ここの石もそんな使われ方をしたのでしょうか。
海人族の匂いがします。

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開けた境内に砂が敷かれているのが印象的です。

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ご祭神は豊玉姫命、玉依姫命、高皇産霊神 猿田彦命 
句句之智命 保食神 大山祇命 新田義貞 鎌倉景政

社号は淀姫神社ですが、ヨド姫の名はありませんでした。
その代わりに豊玉姫と玉依姫。
干珠満珠の女神たち。安曇族の女神たちが祀られていました。

高良山を追われた高皇産霊神がここに祀られているのは唐突な印象です。
どんな歴史が秘められているのでしょうか。

道案内の神、猿田彦。
木の神、ククノチの神。
食べ物の神、ウケモチの神。
村人の暮らしがしのばれます。


境内の由緒書によると、
淀姫神社の創建は詳らかではない。が、記録によれば、西暦515年継体天皇の御宇の勧請であろうと察せられる。

ということは、磐井の時代だね。


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「これが重要なのです」
古川さんが示した所には高良山の紋と一つ巴、二つ巴、三巴の紋が並んでいました。
一つ巴は薦神社にあったのと同じ。
思いがけない所で再会しました。

ここに高良の紋がある理由が由来書に書かれています。
続きを書き写しましょう。(一部分かりやすく変更)

正親町天皇の永禄4年(1561)山内の領主神代勝利、同長良父子は、龍造寺隆信の攻撃に敗れ、この地に救いを求めた。社人賀村大和守舎種は、神代父子を社内に隠し、にわかに村民を集めて大祭の態して神楽を奏していた。

追手の兵が来て探索したが、神代父子は見当たらず、社務所に火を放って退いた。幸い社殿は焼失をまぬかれ、神代父子は無事であった。

神代は神恩の大なるを謝して、即座に佩刀二振りと田七町五反を奉納して、神代家鎮護の神と仰いだ。

社殿はその後、幾度か改築されて今日に及んでいる。(後略)
平成25年11月吉日 上無津呂自治会

戦国時代に山内の領主神代勝利らが当社に逃げ込んで助かったので、お礼に祀ったのですね。
山内ってどこだろ。

資料を見ると、神代家は高良玉垂神の末裔となっていました。
高良玉垂神は安曇磯良と奉斎する海神だから、神代家は安曇族の系統となります。

敗戦して落ち延びる場所は縁故の場所のはず。
ここはもともと安曇族が入植していたと考えれば、
山の中に海神の姫神たちが祀られているのもうなづけます。

目の前の川は「神水川」と書いて「おしおい」川と読むそうです。
「おしおい」といえば、各地の神社で見かけましたね。
身を清める海の砂を「おしおい」と言い、参拝する前にそれで体を清めます。

志賀海神社には一の鳥居の所と拝殿の所、二か所にあります。
山笠の始まりの時、筥崎宮の「おしおい」を取りに行く行事は今も続いています。
日少神社(飯塚市)では海がないため、社殿の裏を流れる川に「おしおい」を取りに行きます。

この神水川では海の代わりに、その砂を取って無病息災を祈ったのではないでしょうか。
  境内のサラサラの砂がそんな想像の裏付けをしてくれないかな。

それにしても、こんな山の中。
目的がないと入植できません。
  山の中にあるのはやはり鉱山だろうか。
  何か採掘していたのだろうか。

初めてここに住まいを定めた人々の生業を思っていると、「ム、ムクの木だあ」
ついに見ました。
社殿の右手に威風堂々としたムクノキ。

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真鍋大覚の言う「隕石落下地点に目印としてムクノキを植えた」
あの木をついに見た。
冬枯れで葉っぱが無いけど、ムクの実が落ちてるかも…。
足元を探すけど、掃除が行き届いていて、何も残っていませんでした。

そうだ、木の肌を覚えておこう。

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それはウロコのように一つ一つはがれそうな表面でした。


そして、祠の所には、こんなゆかしい風習が。

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手前には藁で作ったお皿がありました。「わらでしお」と言うそうです。
昔の人たちは草を編んでお皿にしたんですね。
熊本では伸びている部分を切るそうです。

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そして、これが古墳の直弧紋のデザインの元ではないかという説もあるんですって。
何々?
直弧文!
ずっと気になる文様の名前を聞いて、へえ~。

ここはまだ古来の風習が伝えられる大切な山里でした。

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また、いつか訪れたいな…。
今度はゆっくりと。


淀姫神社




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by lunabura | 2014-02-17 21:24 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(0)

ヨド姫(7)真手山 熊襲タケル対ヤマトタケル

ヨド姫三社めぐり(7)

真手(まて)山

熊襲タケル対ヤマトタケル


再び、佐賀のヤマトタケルの伝承に戻ります。

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佐賀市大和町大字川上大願寺から見える山は真手山といい、
小碓尊(ヤマトタケル)に襲撃された熊襲タケルが逃げ込んだ山だと伝わっています。

念のため、『大和町誌』の方も読んでみました。
概要は前回の「大願寺の伝承」とほぼ同じで、るなが注目するポイントだけ羅列します。

熊襲は筑紫を根拠地にして北部九州地方をおびやかしていた豪族。
九州全土を征服して各地の穴ぐらに陣を張っていた。

小碓尊と熊襲タケルは筑紫で一度、会っている。
小碓尊は弟の彦王を大将、竹内宿禰を補佐役として筑紫の穴ぐらの本陣を攻めたが、頭(かしら)の熊襲タケルは逃げた。

小碓尊は筑紫から船に乗って堀江に寄港、蠣久で上陸。
小碓尊の二太刀目が熊襲タケルの頭の急所に決まった。
小碓尊が平定するのにおよそ6年かかった。

あとは、健福寺伝承とほぼ同じで、町史の方がより詳しく書いてありました。


これらから当時の状況を推察すると、
熊襲タケルは筑紫を根拠地にして九州全土を支配していた大王です。

穴ぐらの陣が各所にあったということは、金属採掘の集団ではないかと考えられます。

熊襲タケルの立場から見ると、小碓尊から急襲されたということになります。

これを書いていて、神功皇后の戦いの時に作った地図を思い出しました。
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紫色が神功皇后軍の傘下の国々。青色が滅ぼされた国々です。
山門県では葛築目が景行天皇に殺され、続けて田油津姫が神功皇后に殺されています。

ちょうど、昨日、宮地嶽神社で話した時に質問があったのがこの辺りの問題です。
熊襲は一般に九州の南部に居たと思われていますが、実態はまだ不明です。
そういう中に、拠点が筑紫にあったという伝承が出てきたのです。

「ソ国」とは脊振山一帯に想定している国で、「襲国」とも書けるので、
ここが「熊襲」のクニかと一瞬、思ったのですが、残念ながら、ここは肥前であって、筑紫ではないですよね。
熊襲の根拠地は筑紫の穴倉の分布するような山域に探すのが妥当です。

ミイ国が気になります。
そこには高樹神社があり、「高良の神(竹内宿禰?)に一夜の宿を貸して
高良山に戻れなくなった高木の神」が祀られています。

この高木の神が仲哀天皇に祟ります。
だから、高木の神を追い出したのはヤマトタケルと竹内宿禰が組んだ時と考えることも可能です。
ヤマトタケルはまだ16歳前後。竹内宿禰はヤマトタケルの弟と同じ年齢。

話の辻褄は合います。
この仮説が合っていれば、高木の神は熊襲の神となります。

ずっと前からこの逍遥の前に立ちはだかる「鷹」の神々を思い出します。

歴史の奥深い所にある古代のベール。
そのベールを開く所まで行かないと、九州の古代は明らかにならないのだと
古代の神々は伝えているように思われてなりません。


次の写真は真手山の中腹にある健福寺の境内から見た景色です。

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襲ってくる敵の姿は丸見えです。
ヤマトタケルが女装して女たちに紛れて侵入する作戦を立てたのも納得です。


この寺には熊襲タケルの墓も伝わっていました。
寺の背後の山の中にあるそうです。
目印の石があったそうですが、今はたぶんブッシュ。

山頂には高地性集落遺跡があるんだろうなあ。
発掘されたなら、弥生遺跡と伝承が重なる稀有な遺跡となるかも…。



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by lunabura | 2014-02-16 17:54 | ヨド姫の宮めぐり | Trackback | Comments(0)

宮地嶽神社にて

 
宮地嶽神社にて


今日は朝から雨が降ったり止んだりの空模様でしたが、
午後からは雨も上がり、すがすがしい宮地嶽神社でお話をすることができました。

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開運桜がピンクに染まっていましたよ!

会場の直会殿は伝統的な木造建築で風格があり、
こんな素晴らしい所でお話が出来るとは想像もしていませんでした。

神社からは松ヶ枝餅のご接待がありました。
いつもながらありがとうございます。
誰だい!?六つも食べた人 (*_*)

会場で準備を始めると、パワーポイントが画面に映らないというトラブル発生。
急きょパソコンを借りて、データを移し、事無きを得ました。
大きなスクリーンとプロジェクターを運んで設置してくださった、
くじらさんありがとうございます。

準備が整ったら、走って神殿の神功皇后にごあいさつに行きました。
「神功皇后の伝承を歩く」というテーマで「神功皇后の宮」で話が出来た幸運に
感謝していると、突然、後ろから風が吹いて来て、雲間が切れてお日様がキラリ。
神さまの後押し!!
いただきました。

会場ではニコニコ顔の皆さまたち。
初めてなのに、ブログでコメントいただいた方など、
旧知の友に会えたようで懐かしく思われました。

無事に話を終えました。
ご清聴ありがとうございました。

質問の時間には、熊襲、葛子、九州王朝、宮地嶽神社の祭神など、
古代九州の謎に関する質問が出ました。
今知り得ることをお話ししましたが、いかがでしたでしょうか。
質問を受けることで、こちらも学ばせていだだきました。

宗像三女神からの、るなへのメッセージを届けてくださった方。
ブログでシンクロする方。
由緒ある神社の縁起を見せてくださった方。
情報をプリントアウトして来てくださった方。

などなど、皆さんと会って話していると、
歴史が真実の姿を現そうとしている時代に来ていることを実感しました。

今の段階で分かった事を発信し、リアクションをいただいてさらに深化する。
そんな探求の旅の第一ステップだったんだと、今日を位置づけました。

今日はありがとうございました。

今、九州王朝としての宮地嶽神社をテーマとした出版の準備をしています。
ブログと執筆の二兎を追いながらも、少しずつ前に進んで行きます。

これからも、よろしくお願いしますね。

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開運桜、見頃でした!



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by lunabura | 2014-02-15 21:07 | にっき | Trackback | Comments(10)

2月15日の予定




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予定通りに、宮地嶽神社で「神功皇后伝承を歩く 上」のお話をします。
場所は「直会殿」に決定しました。

本殿の右手の大きな建物です。
畳敷きなので、リラックスできるように膝かけなどご用意ください。

話の内容は下記の通りで、2月1日の久留米での話とは趣向を変えています。

2014年2月15日(土)13:30~16:30

第17回 玄海地名研究会
会場:福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社内 直会殿
タイトル:「神功皇后伝承を歩く ――足跡をたどる旅のガイド――」

福岡県に伝わる神功皇后伝承地を移動ルートにしたがって丹念に見て行きます。
仲哀天皇が天下を治めた豊浦宮、洞海湾の立ち往生、男女の二神の引き止め。遷宮した香椎宮、崩御の地、羽白熊鷲との戦いの地など、『日本書紀』に書かれた現場を紹介します。神社巡りに活用して下さい。

オープン参加 会費500円 (どなたも参加できます)
車は境内に止められます。

会場が広いので、当日、気が向いての参加も大丈夫です。
福津市観光協会の協力で、福津市の観光マップと津屋崎古墳群のマップを配布します。

各地の観光ボランティアの皆さまも、史跡マップをご持参いただけたら、配布させていただきます。

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開運桜(2012年2月20日撮影)
早い年は2月8日に咲いていました。

もしかしたら、「開運桜」が見られるかも^^
「開運桜」の場所は神殿の右手です。
上記の神殿の写真は開運桜の附近から見上げて撮りました。


直会殿




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by lunabura | 2014-02-13 22:16 | お知らせ | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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