ひもろぎ逍遥

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志賀海神社・冬至の日の出ライン


志賀海神社

冬至の日の出ライン


蘇我氏は「朔旦冬至」を元旦とするので「とひ」族となりますが、
冬至と新月が重なるのは19年に一度。
その天文的ビッグイベントが起こるのが今年の12月22日なんですね!

「とひ」族の蘇我氏の居留地が福岡市早良区の脇山だったという話と期を一にして、
志賀海神社から冬至の日の出は宝満山から昇る!
その宝満山と志賀海神社を繋ぐ女神は玉依姫、
というコメントをいただきました。

壮大でロマンチックな古代の物語が、またもや紡がれました。

まずは、インドラさんのコメントから。
志賀海神社からの写真、宝満山が見えますが、山頂の竈神社のご祭神と志賀海神社相殿のご祭神が一緒、筥崎宮と宇美八幡も一緒でしかも全部が一直線上に並び、冬至の日の出のライン上にあるというのはすごいですね。
その写真はこれ。
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宝満山の玉依姫は志賀海神社の相殿に祀られています。
冬至の朝は、両社の玉依姫が曙光で繋がる瞬間になります。

そして、tatsuさんが、画像を作って送ってくれました。

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ここから宝満山との間に宇美八幡宮と筥崎宮があるんですね。
二社に共通する祭神は応神天皇です。
太宰府は谷の辺りでしょうか。

画像を作ってくれたTatsuさんのコメントです。
ブログの写真を拝見しました。インドラさんのコメントを読んで眺めると山の存在感がまるで違いますね。Webで宝満山山頂の画像も見ましたが、磐座と言っていいのか、ただならぬ岩塊がありました。

地図などで見ると、僅かなぶれはありますがインドラさんが仰るとおり、四つの地点は並んでいました。現代の暦で言う冬至の日出方位とはずれますが、冬至の日に、ある地点と太陽が顔を出した地点を結べば、それはその場所の「冬至の日出ライン」ですね。

志賀海神社から目標としたのが宝満山山頂なのか、その北東約400mの三角点があるもう少し高い頂なのか、ちょっと迷うのですが、肉眼で見る朝日の見かけの大きさと山頂、稜線との関係は、実際に志賀海神社から見ないとわかりませんね。でも稜線から出る太陽はもう眩しくて見られないかも。

古代人はどうやって至点分点を知ったのでしょうか。何百年も観察を続けた結果なのか、宇宙のリズムの僅かな変動を感知するシャーマンがいたのか、個人的には観察・シャーマン併用説です(ますます不明)。

同じ地域で少なくとも4つの神社が冬至に関わると思われる同一線上に並んで、いずれも祭神が同じというのは古代祭祀と太陽の関係、それに関わった古代部族を考える上で重要な要素のひとつになるのではないかと思います。

宝満山頂には巨大な磐座があり、
7合目か8合目には梵字が彫られた巨石がありますが、これも磐座ですね。

古代人の観測力は現代人から見るとホント驚かされます。
ある観測点から昇った太陽も70年経つと、一般人の目にもズレているのが分かるとか。
そうすると大王の威光も薄れるために遷宮するというようなことを
真鍋が書いています。

冬至や春分などの光を利用した古代神殿のモニュメントも
一世代しか使えないということでしょうか。

インドラさんのお返事です。
冬至の日の出角(地平線での)とグーグルアースの示す121度とは3度ほど違います。 ただ宝満山の高さを800メートル、距離を28キロ、太陽の南中高度を33度とすれば、だいたいそんなものかと思われます。 冬至の日に行って確かめてはいません。
漁師さんは漁礁を見分けるのに遠くの山と近くの岩を結んだ線が重なる等を用いておられます。
海神族にはそんな技術があったのだろうと思います。 この神社の山ほめも気になっています。
志賀海神社の元宮は勝馬で、宝満山のイワクラの位置は変わらない等を考えると神社が出来た順番もなんとなく予想されます。 貝原益軒の筑前国続風土記にハコザキ宮の遷宮についてふれていますが、これも面白く感じます。

漁師さんは上記に加えて、岩礁の在り処も「山当て」で伝承してあるそうです。
山が無い時は祠(神社)や灯籠を置いていると、ヨットマンが言っていました。
湊に戻る時の大事な目標物です。

また、筥崎宮には夏至ラインがあるそうですから、
何だか立体的な構造が垣間見えてきました。

このあと、tatsuさんが、12月22日の太陽と新月のようすを
画像にしてくれました!

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当日は新月で、月の出から既に肉眼で見ることは困難ですが日出から日入まで太陽に寄り添います。

当日の太陽と新月の軌跡図を作りました。まるで宝満山から志賀海神社へ太陽と月が渡って来るようでもあります。

海も干満の差が大きくなりますが、潮満珠・潮干珠とは月と太陽のことで、珠を授けるとは潮汐の知識のやり取りではなかったかとも思えます。

冬至の新月は次回は19年後(メトン周期)に巡ってきます。まだ生きているかどうか。日食や月食のような人気の天体ショーではありませんが、太陽と月が並んで復活する、宇宙の律動を感じる19年に一度のイベントです。

これは美しい。
新月は目に見えませんが、太陽に寄り添ってまさしく影のように一緒に「おみ渡り」です!

冬至は玉依姫が宝満山から志賀海神社へ「おみ渡り」される日、
なんて想像したくなります。

この月と太陽のイベントは、もちろん何処でも見られる訳です。
もし、神社と山が結ばれるようなラインがあれば、
そこは古代の人々の息吹が感じられる聖地になっていることでしょう。

蘇我氏も、この19年に一度の天文イベントに格別の思いを抱いたんでしょうね。
この日から太陽は輝きを取り戻していきます。

インドラさん、tatsuさん、ありがとうございました^^



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by lunabura | 2014-11-30 20:01 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(6)

晩秋のキャンパス




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久留米大学のキャンパスです。
けやきの並木!



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夕べの雨で空気もしっとり。



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まだ、紅葉が残ってた!


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鳩と黄葉。
羽根がこんなに多彩な色をしている。


今日は、無事に公開セミナーを終えました ^^

途中で休憩を入れようと思っていましたが、
一時間経っても皆さんの集中力が途切れないので、
二時間、話し続けました。 (^_^;)
ご清聴、ありがとうございました。

準備をすることで、自分の理解が深まり、
リアルタイムに話すことが出来るのは、素晴らしいことですね。

こんな機会を与えていただいたことに感謝します。
そして、集まってくださった大勢の方々にも。

今年は、数えてみると、六回も人前でお話しました。
来年は志賀島での安曇磯良の第二弾がありますが、
日程変更を御存じない方があって、ちょっと心配。

12月14日の歴史講座は1月11日に延期ですよ!!!

フィールドワークのお誘いも溜まってきました。
来年は古墳に潜ったり、磐座を見に登ったり。
本来の好奇心満開の年にしたいなあ、
と思うのでありました。

明日から、別の事で忙しいのですが、ブログの時間は取れそうです。
コメントも沢山ありがとうございました。
一つ一つ、これから読ませていただきます ^^






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by lunabura | 2014-11-29 20:56 | にっき | Trackback | Comments(6)

久留米大で「ありなれ川」の話をします


久留米大で「ありなれ川」の話をします

久留米大学比較文化研究所 古代史研究会の公開セミナーで話をします。

タイトルは
      古代筑紫を貫流した「ありなれ川」
                ―磐井の君から中大兄皇子までー

太宰府で暦官をしていた物部氏の末裔、真鍋大覚の著書
『儺の国の星』と『儺の国の星拾遺』および福岡の神社伝承を通して、
古代の筑紫の中央を流れた「ありなれ川」の環境を再現する試みです。

夜空に流れる天の川を古代筑紫では「ありなれ川」と呼んでいました。
その時代、玄界灘から有明海が針摺で繋がり、その川も「ありなれ川」と呼びました。

筑紫君磐井が水城を作りましたが、大洪水のために水城が崩壊、
修復を重ね、中大兄皇子は疎水式の水路を作りました。

水城に堰き止められた湖には多くの「ダウ」「タウ」(船)が行き交い、
水城は「タウの水門(みかど)」と呼ばれ、
太宰府の「とおの朝廷」の呼称となりました。

国際都市だった太宰府には異国の船が泊まり、
役所では各国の暦の照合を行っていました。

蘆木、平群、曽我、葛城、巨勢、国栖などの古代氏族たちの領域、
三のつく地名、中大兄、麻氐良などの語源、
そして、斉明天皇の宮「朝倉橘広庭宮」のありかを伝える神社縁起などなど。

古代史の理解に欠かせない「ありなれ川」の環境を、
筑紫君磐井から中大兄皇子の時代まで俯瞰します。

      **********************

郷土の古代史公開セミナー
      ―古代九州と神話伝説―
第一話 古代筑紫を貫流した「ありなれ川」
-磐井の君から中大兄皇子までー
                  綾杉るな 11:00~13:00

第二話 「天孫降臨」と吉武高木遺跡・吉野ヶ里遺跡
                  佃 収  14:00~16:00

2014年11月29日(土)
久留米大学御井学舎 800号館 82A教室
       (会場が夏の講座とは違っています)

主催 久留米大学比較文化研究所 古代史研究会
久留米市御井町1635
TEL 0942-43-4411(内線330) (福山研究室)
FAX 0942-43-4797
Mail  fukuyama_hiroh@kurume-u.ac.jp

申し込み 不要
受講料  無料
(問い合わせはメールで)


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画像 蔵前仁一




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by lunabura | 2014-11-28 09:59 | お知らせ | Trackback | Comments(15)

縮小中


パワーポイント、大幅に時間超過 ( 一一)
かなり縮小する作業をしています。


メールやコメントをいただいているのに返事をしていません。
どれも、ゆっくりと吟味したい内容なので、少々お待ち下さい。

夢中になると、その時空から戻ってこれない症候群を発症しております。

何が楽しいかというと、
白黒の文献の世界が、だんたんカラー化していき、
古代の人々の息吹が感じられ始めることが楽しいんですね。

そんな世界に没頭すると、意識の転換が難しくなります。

みなさんのコメント一つひとつが心を込められているので、
さらっと読み流せないんですね。


返事できないのに、コメントいただくと嬉しいです^^







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by lunabura | 2014-11-26 00:52 | にっき | Trackback | Comments(0)

「柴崎るり子作品展~そらの庭~」


季節が歩みを止めたような暖かな日々が続きます。

『ガイアの森』の扉絵を描いて下さった柴崎るり子さんの作品展の案内が届きました。

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『アネモネ』の表紙を描かれる方といえば、分かる方も多いと思います。

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寒くなる前に庭の手入れをと、柿の木を大胆に剪定して、
大量の枝葉の後片付けをしましたが、とても幸せな気持ちになりました。

柴崎るり子さんが妖精を描かれることを思い出し、
そうか、どんな庭でも妖精がいて、そばにいてくれるんだと気付きました。

だから、畑も草取りも心が満たされるんですね。

作品展の案内は下記の通りです。
ナチュラル派には魅力的な出店もたくさん。
近隣の方、素敵な空間を共有してみてくださいね。



「柴崎るり子作品展~そらの庭~」
2014.12/6(土)~11(木) 11:00~18:30
*6日の夜はちょっとしたパーティーなど企画中です!
中央区銀座6-7-18デイム銀座8F
TEL03-6274-6633
http://www.creche.jp/page4/page4.html


さて、私の方も、もう今週末は久留米大学での公開セミナーです。

ありなれ川の話。
レジメもほぼ出来あがり、沢山の画像も準備できました。

真鍋大覚の解釈が基本の流れですが、これで解けそうな、いくつかの謎。
相島の積石や久米八幡宮の石づち。
水城の水は上流と下流のどちらに貯えられたのか。
(当ブログでは解決済みではありますが)

橘広庭宮、観世音寺の鐘。
河童と言われた人たちの真実。
それに、何といっても古代豪族たちの領地。

あまりにも盛りだくさんなので、ゆっくり話していくつもりです。
きっと、皆さんの謎解きのヒントも沢山あるのではないかと思います^^

パワーポイントの枚数は最大数 (^_^;)
今から時間調整に入ります。




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by lunabura | 2014-11-24 20:28 | にっき | Trackback | Comments(0)

蘇我はどこ?


蘇我はどこ?

今日、メールで蘇我の場所の問い合わせがあったので、
ブログの方でお答えします。

Q 平群は早良区にありますが、蘇我または石川は何処にあるのでしょうか。

早良区(さわらく)は福岡市の西にあります。
平群は残っていますが、蘇我や石川の地名が残っていないんですね。

それでは、真鍋大覚の本から蘇我の記述を抜き出しましょう。

昔、祖先に「かひ」と「とひ」の二つの氏族があった。「かひ」とは夏至を元日とする氏族であり、「とひ」は冬至を元日とする氏族であった。(略)敏達帝12(583)年に百済の暦書を太宰府が編輯する頃から、万邦世界に普遍な暦法も必要になってくるところから、次第に両方併用の時代に移り変ってきた。

かすかな口伝ではあるが、平群氏は望旦夏至に固執し、曽我氏は朔旦冬至に改革したと説かれる。皇極帝4(645)年はまさに暦法の採否をめぐって中大兄皇子(619~672)の激烈な論争と対決が背景にあったことを心得なければならない。

「そが」は素娥と書き、月の東洋的異称であった。これに対して「へぐり」は平群と書き、月の西洋的異称であった。

和名鈔には筑前国早良郡の条に、まだ平群、蘇我の郷名が記録されているが、今はない。所は脇山であって、改名の由来は文書にはない。月を女人に事寄せる泰西の民族の伝統に「わき」なる異邦人の租界の古称を重ねて作り上げたものと古老は語っていた。『儺の国の星拾遺』p245

結論としては、「蘇我」の場所は福岡市早良区脇山です。

◆蘇我は脇山に改名した。
蘇我と言う地名が脇山に変わった事情は文書にはないけど、
古老の伝えでは、
「月を女人に事寄せる泰西の民族の伝統に「わき」なる異邦人の租界の古称を重ねて作り上げたもの」
となっています。

「ソガ」とは「月」。
「泰西」とは「西洋」。
「ワキ」とは「異邦人の租界」すなわち「外人居留地」。

「月を女人に事寄せる」とは、「月を見て女性をイメージする」。
世界には、月を男神とする民族と女神とする民族があり、
日本の場合、月読命を男神とするのが主流です。

以上から、蘇我氏は西洋から来た異邦人だったので、
その居留地という意味で「わき」と呼んだという解釈になりますね。

地図を見ると、山裾にあるので、「ワキ山」となったということでしょう。

◆皇極四年
「皇極帝4(645)年は、まさに暦法の採否をめぐって中大兄皇子(619~672)の激烈な論争と対決が背景にあった」
「皇極四年」とは、蘇我入鹿が殺された年です。
ウィキペディアより。
乙巳の変
皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討ち、翌日、入鹿の父の蘇我蝦夷が自害する(乙巳の変・大化の改新)。その翌日の6月14日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。日本史上初の譲位とされる。

中大兄皇子と蘇我氏の対立の原因に暦の採用があったと真鍋はいいます。

「曽我氏は朔旦冬至に改革したと説かれる」とあるのは、
「一年の始まりを冬至の新月の朝とする」太陰暦だったということです。

中大兄皇子はのちに太陽暦の鐘を太宰府で鳴らさせたということなので、
全体としては太陰暦と太陽暦の対立だったと解釈できます。

どの暦を採用するかということは、
それを担う一族が滅ぶかどうかという重大事で、
蘇我氏はこのために中大兄皇子に滅ぼされたということになります。

◆百済
あと一点。
上記の段には、ものすごく重大な内容がサラリと書かれています。

「敏達帝12(583)年に百済の暦書を太宰府が編輯する頃から、」
太宰府が百済の暦書を編集したというのです。
「天子は暦を配る」のですから、
百済は倭国の属国だったという意味になります。
重要すぎてビビってしまいそうです。

実際、先日、これを別の方のメールの返事に書きこんだら、
メールが消滅してしまった (^_^;)
今日は大丈夫かな…。

◆蘇我稲目
もう一か所、真鍋の本から。

稲目は伊儺面(いなめ)と書き、怡土郡と那珂郡の間に新開の土地を開いた業績を讃えられたのであって、継体帝21(527)年に出る筑紫国造磐井と共に雄略帝17(473)年の洪水を修めたのであるが、神埼の物部氏と那珂中臣氏の間に水利の紛争が昂じて欽明帝13(552)年の仏像を巡っての対立に及んだのである。『儺の国の星拾遺』p134

蘇我稲目は「怡土郡と那珂郡の間に新開の土地を開いた」とあります。
これが、先程の脇山でしょうか。

稲目は磐井の君と共に、洪水を治めて、水城の建造に関わっています。


脇山の神社を調べると、何か手掛かりがあるかも知れませんね。
すぐ近くの「横山神社」の祭神は分かりませんが、
ネットを見ると、背振神社の下宮だと書いてあります。

葵祭はもともと脊振山の祭だったのを、
中大兄皇子が京都でも行うようにしたそうですから、
脇山という場所はこれから、注目したい場所ですね。

以上、Aさんへのお返事です。
Aさん、あとの調査、よろしくお願いします^^
なお、質問の石川は情報を持ち合わせていません。

大伴武以に関しては、もう少しお待ちください。





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by lunabura | 2014-11-22 20:31 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(8)

「キトラ古墳」NHK


キトラ古墳


今、NHKで「キトラ古墳」の話を見て、面白かったです。
コンピューター・グラフィックのチカラはすごい。

イメージがつかみやすいですね。

被葬者が誰か、最後に二人に絞ってありました。
皇族派の先生が、その論拠として
天井画の「中央に北斗七星がある」と言われていましたが、
それは勘違いではないかな、と思いました。

内規という赤い輪の中に北斗七星はありましたが、端っこでしたよね。
北斗七星は天子の「乗り物」ですから、それを皇族の印とするのは勘違いでしょう。

天子はやはり北極星です。
不動の星。

もし、北斗七星が中央にあって、皇族のシンボルとするなら、
あの内規という円の中にある他の星についても、調べてみるべきでした。


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出発点が残念なので、結果も残念です。



私が古墳壁画のデザイナーなら、
皇族の為には華やかな女官や官人、また豪華な乗り物とか描きます。

もう一人の候補者は、阿部御主人(あべのみうし)でした。
安部清明の父?と言ってましたね。

陰陽氏の一族の壁画ならどんなデザインにする?
やはり暦の根源である星座。
キトラ古墳の画は質実なデザインなので、阿部御主人の方に軍配を挙げたいですね。

しかも、地名が阿部山なら、なおのこと。
皇族なら、宮山とか、そんな雰囲気の地名だと思うな…。


で、番組全体はとても面白かった。
それぞれの古墳について、あんなふうな検証番組があればいいなあ。





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by lunabura | 2014-11-20 22:10 | にっき | Trackback | Comments(0)

あれは健さんだったのだろうか


その日、全校生徒集会に向かう群れから、私は一人抜け出して、
普段使わない通用門から校舎を出た。
気づく人はいなかった。

私は、そのまま校門を出て、線路を渡って近くの寺に入り込んだ。
その奥に行けば川が臨める。

すると、見慣れた境内に、見知らぬ男性が立っていた。
その人は存在するだけで格別の雰囲気を持っていた。

研ぎ澄まされたというか、
隙が無いというか。

一瞬、ヤクザかも知れないと思った。
それなら関わりたくないと思って、その人の後ろを通って奥に行った。

私とその人は10mくらい離れていただろうか。
二人それぞれに川面を眺めた。

こんな時間に女高生が学校をサボって寺なんかに来ているのだから、
その人はきっと変に思っただろう。

その人だって、人が働く時間に、隙のない服装をして立っていたのだ。
特殊な人に思えた。

私から挨拶をすれば、きっとその人は笑顔で応えただろう。
しかし、私は挨拶しなかった。

私の記憶はそこまで。
今、思い返すと、私が先にその場を離れたのだろう。


それから何年後だったか、私は映画の中にそっくりな姿を見た。

しかし、こんな有名な人が、あの川のほとりに立っていることなどあるだろうか。
それでも、あれほど存在感のある男性を見た記憶は、この人生にない。

その人は、ただただ、立っていた。

もし、その人が高倉健だったとしたら、
あの時、彼はどんな思いで立っていたのだろうか。

今、その人生を辿ってみると、離婚したり独立したりで、
困難な時期を迎えていたようだ。

今朝の新聞に、高倉健はいつも立っていた、という一文を見て、
こんな事を思い出した。

あれは健さんだったのだろうか。
今でも、そんな思いとあの孤高の姿が蘇る。



御冥福をお祈りします。

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by lunabura | 2014-11-19 19:17 | にっき | Trackback | Comments(3)

志賀島歴史講座 日程変更のお知らせ


志賀島歴史講座 日程変更のお知らせ

12月14日に予定していた志賀島での歴史講座、
「安曇磯良と神功皇后」の日程が変更になりました。

会場の志賀公民館が選挙会場になったためです。

話し合って、会場が空いている1月11日(日)に延期しました。
歴史講座の時間は1:30から。
これは変更なしです。

予定を組んでいた方、よろしくお願いします。
お友達にも伝えてください。

1月11日は志賀海神社で歩射祭があります。
これは午前中なので、合わせてご覧になれればと思っています。

お昼ごはんは、地元の海鮮料理などが食べられるように、
お店を紹介していただく予定です。

お正月の志賀海神社。
想像するだけでも、すがすがしさが伝わってきます。


さて、この一週間、
志賀海神社に縁が出来た方からメールをいただいたりしています。

海神(わだつみのかみ)に会った方。
この方はナマズの神にも会われたとか。
海亀が現れた方もあります。
対馬で磯良の思いを聞いた方も。

やはり、志賀島は日本の歴史の始まりの地として、
もっと深く掘り下げ、人々に知らせる時が来ているのでしょうね。


真鍋大覚はアヅミのことも、あちこちに書いています。
アズマ人もアヅミから来ている。
安土(アズチ)もアヅミから。

年内は「ありなれ川」を押さえることになりますが、
来年は、前回の記事のような、渡来人たちの出自にもチャレンジしたいです。

その流れの中に安曇族もまた、あるのですから。


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志賀海神社からの眺め
あの砂の道を通って島に来たんですね!





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by lunabura | 2014-11-18 20:27 | お知らせ | Trackback | Comments(7)

やがて土蜘蛛は大和に東遷した。


やがて土蜘蛛は大和に東遷した

今日は真鍋の本から「筑紫と土蜘蛛」について。

土蜘蛛
(1)筑紫は土蜘蛛の故郷である。やがて土蜘蛛は大和に東遷した。 

(2)「つくみ」とは「つくどり」即ち夜の間も眼光炯炯(けいけい)として目を輝かす梟や木菟(みみづく)の類をいう。元来地中海のEtruria(エトルリア)人の子孫であり、後にはTroia(トロヤ)人 Phoenicia(フェニキア)人、更には Persia(ペルシア)人などの総称たる土蜘蛛であった。金工の術に長じたところの西域出身の異邦人であった。「つくみ」とは鉄を熔かす爐(ろ)の火口(ほくち)の形容であった。仕事が終るまで昼夜の別なく、赤く燃え熾(さか)る炎の中味を覗く窓であった。

筑紫にはかなり昔から異邦人たちが住んでいた。
真鍋の本にはあちこちに、こんな感じで、さらりと名前が出てきます。

これを公開セミナーで解説するにはまだ力不足ですが、
当日、皆さんの研究用として上の文は資料に出しておきます。

これを見て、思い出して独り笑いしたのは、昨年のF教授の話。
日本人のルーツを調査するのに、何故か、九州は「はずす」んですって。\(◎o◎)/!

どうやらその理由が、九州人は他と違うって。
それがピンとこなかったのですが、このあとの質問が盛り上がりました!

そんなことを思い出したんですね。

九州人は土蜘蛛の血が濃い?

土蜘蛛で思い出すのは田油津姫。
神功皇后に滅ぼされた姫。

やはり手足が長い人種で、金工の術にすぐれていた。
田油津姫と夏羽と神夏磯媛は土蜘蛛ということになるのですが、
景行、仲哀、神功と、代々攻められてばかりです。

羽白熊鷲もエトルリア人だと推測したのですが、(金星のところで)
景行天皇もまた金工の術にすぐれていた氏族だと書いてありました。

何だか、内輪もめみたいだな…と感じていたのですが、
ガイドブックではさらりと匂わせる程度にしています。

(1)筑紫は土蜘蛛の故郷である。やがて土蜘蛛は大和に東遷した。

これみて、あ~あ、やっぱり、そうなんだと思いました。
これって、神武天皇のことですよね。
そうそう、他にも氏族たちがいた。

地中海のEtruria(エトルリア)人 … 羽白熊鷲・田油津姫
Troia(トロヤ)人 … 豊人
Phoenicia(フェニキア)人 … 道真(菅原氏)
Persia(ペルシア)人 … 現人(あらひと) 住吉
木菟(みみづく) … 平群氏… 月氏ササン
以上は当ブログで、推測した人たちです。

筑紫は土蜘蛛たちがそれぞれ集落を作っていて、その一部が東遷した。
残った人たちも異邦人すなわち土蜘蛛ばかり。
だから、九州は日本人のルーツ調査のターゲットからはずされる?

縄文人か弥生人か、頭蓋骨の角度を調べて「入れ歯」を作られるO先生。
九州には第三の人種があって、中東の角度を使ってあげないといけない人があるとか。
これ、土蜘蛛ってこと…になる?

あは、今日はワイン飲んでます~

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北部九州

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by lunabura | 2014-11-16 22:29 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(16)
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