ひもろぎ逍遥

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(5)風土記的ガイド・奈良時代の基肆国の歩き方

佐賀県東部(5)

風土記的ガイド

奈良時代の基肆国の歩き方


佐賀県の国府は佐賀市にありますが、「風土記を作りなさい」と命令を受けた時、役人は、さて肥前をどう紹介しようとしたか、そんな視点で読んで見ると面白くなってきました。

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肥前国風土記の冒頭では「肥国」の語源を紹介しています。

総記
肥前(ひのみちのくち)国はもともと肥後国と合わせて一つの国だったが、10代崇神天皇の時に、火が空中に現れて山に降下したという不思議な事があり、「火の国」という名になった。

12代景行天皇の時には夜の航海で困っていた時、火の光が現れて着岸できた。

――肥国の元の字は「火国」。不思議な火が現れたのが国の名の起こりになっていました。景行天皇の時の火は不知火とされていますね。いずれの天皇も熊本での話が紹介されています。熊本までが「火国」です。

この話のあと、風土記は各郡の紹介に入りますが、その筆頭が今逍遥している基肆郡(きのこおり)でした。有明海沿いに国府のある西に向かって紹介しています。

筑後国造さんが私たちを案内するとき、合理的なルートを考えられたと思うのですが、現代人と奈良時代人が同じ感覚だったのが興味深いです。

で、風土記の基肆郡の構成は
1基肆(き)の語源、2永世神社、3酒殿の泉、4姫社(ひめこそ)神社
となっています。

1 基肆の語源
景行天皇が高羅の行宮(かりみや)から見ると、霧が基肆の山を覆っていたので「霧山」(きりやま)と呼ぶがよいと言われて基肆国となった。

――これ、面白いですね。起点が高良行宮なんです。高良大社の方でも景行天皇が来た、また神功皇后の行宮が朝妻にあったと伝え、国府跡もあるので、代々重要な拠点だったことが分かります。が、あくまで行宮なんです。

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2 永世神社 郡役所の東方にある
景行天皇が高羅行宮から酒殿泉に戻って食事をしていた時、甲鎧が普段より輝くので占うと、地元の神がほしがっていると分かり、神社に奉納した。

――これは、コメントで教えていただいた神社です^^
ここでは景行天皇が戻って来たとあるのが興味深いです。基肆国訪問は一度だけではないのです。

そして、永世神社は郡役所の東にあります。ということは郡役所は西にある。どこかなと地図を見ると、例の愛宕神社付近が掛かってきました。わずか1.5キロ。歩いても20分でしょうか。

(追記 永世神社はもともとインターの所にあったのを遷しているそうです)

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愛宕神社から北を見ると弥生が丘がありますが、この丘陵地帯全体が弥生遺跡でした。その上にすっぽりと新しい町が出来ています。

その西の一端に赤い漆塗りの鞘を持った柚比の王らしき人が眠っていました。もちろん、当時は大型古墳はまだ存在していません。

景行天皇の時代を想像すると、高良山の麓、味水御井神社あたりから船出して、北をめざし、山下川に入って永世神社付近に上陸したと考えられます。



弥生時代の基肆国の中心は「弥生が丘」だったのでしょうか。地形からして、3キロ平方以上はその範囲だったと考えられます。

永世神社から愛宕神社を過ぎてさらに西を見ると、「神」のついた地名があります。「神山」「神辺」(こうのえ)。これもまた、調べるポイントになります。ここに郡役所があるとなると、基肆郡の範囲は鳥栖市も含む広大なものになります。奈良時代ですからかなり拡大していると思われます。

基肆郡の郡役所は特定されているのでしょうか。地元の方教えてくださいね。

神功皇后の夫君・仲哀天皇が14代。その祖父が12代景行天皇。

仲哀天皇の崩御を西暦200年とする立場を採っていますが、これから逆算すると、景行天皇は西暦150年頃になるでしょうか。あの赤い漆の鞘を持った王は西暦0~紀元前100年の頃なので、二人が会う事はなかったことになります。

基肆国は「弥生が丘」を中心に栄え、景行天皇との関係は良好で、地元で生産された武器などは天皇の掌握下にあったと今の所考えています。







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by lunabura | 2015-03-30 23:24 | 佐賀東部の神社と古墳 | Trackback | Comments(2)

(4)今日は「肥前国風土記」なんぞを読んでみた



今日は「肥前国風土記」なんぞを読んでみた

昨日今日は、忙しくて記事が書けませんでした。お誘いいただいたイベントも行けずに残念です。

さて、真鍋大覚が旗や媛古曾について面白い話を書いています。肥前国風土記をよく読んでいるようです。

そこで肥前国風土記を見ると、編者はこの国を紹介するのに、東から西へと書いているんですね。

ちょうど、今回の佐賀東の旅に似ています。その重なりが面白くて、ブログの書き方について、ざっと流すか、とことん調べながら進めるか、思案中です。

肥前国風土記では景行天皇が一つ一つのクニに出向いて、マツロウか、マツロワヌか、軍事力を示しながら船を進めています。佐賀には多くの女王たちがいましたよ。

また、目立つ古社の創立も景行天皇が絡んでいる物が多いです。8世紀の本なのに、弥生時代の話ばかりです。♪(´ε` )

前回書いた柚比本村遺跡を含む弥生が丘という丘陵地帯全体のクニや、吉野ヶ里遺跡と時代が重なっているんですね。

誰か、肥前国風土記に出てくる弥生の国々の特定、そして景行天皇との攻防を研究していないかな、と思ってネットを見ると、当ブログしかヒットしない(^_^;)
学者さんが論文書くのにちょうどいい長さの史料だけどな‥。

論文なければ、「肥前国風土記を歩く」ってガイドブック、佐賀県の方々に書いてほしい。神社と弥生遺跡を辿って東から西へと観光コースが出来るのになあ、と思いました。
神功皇后の伝承地は数百カ所あるけど、風土記なら少ないから、一冊の本にまとまりそう。

これからはグルメだけでなく、知的好奇心を満足させる旅がいいのにな。佐賀県、古代の歴史で盛り上げるべし。近畿より濃厚に古代が広がっていますよ。

なんて、思いました。

コメント、メールの返事、今日は失礼します <(_ _)>






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by lunabura | 2015-03-29 23:39 | 佐賀東部の神社と古墳 | Trackback | Comments(0)

(3)柚比本村遺跡・この美しい赤い刀の鞘は紀元前のものだった

佐賀東部神社と古墳(3)

柚比本村遺跡

この美しい赤い刀の鞘は紀元前のものだった
 
さて前回の田代太田古墳を離れて西へと向かう時、車窓から次々と見えてくる案内板の名が「ヒャーガンサン古墳」「安永田遺跡」etc.etc.
\(◎o◎)/!
テンションいきなりマックス。思わずキョロキョロと見回しました。名前なら知っている遺跡が集中している!ここは古代の銀座か?

今回の訪問の対象外だったので、これは行かなくちゃ、と帰宅後すぐに鳥栖市観光課に「古墳と神社に関する地図」を依頼しました。

すぐに送られた資料を見てビックリ。くじらさんが教えてくれたあの赤い漆の鞘(さや)があるではないですか!あれはこの近くから出土していたんだ!



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これを見た時の衝撃はずっと心に根付いていました。真っ赤な漆を塗った鞘(さや)は紀元前のものだったのです。今、落ち着いてその写真をしげしげと見ていると、鞘の中にはまだ刀身が残っているではありませんか。細いです。古い時代のものです。

糸のように見える白いものは玉石です。ずらりと貼り付けています。おしゃれですね。

柚比本村(ゆびほんむら)遺跡と言います。この赤い鞘は弥生時代中期前半(約2100年前)の甕棺墓から出土しています。これほどのものが全国規模では、あまり知られていない??私ももちろん知らなかったです。

そして、次回の訪問のために資料を読みこんでいくと、この遺跡は破壊されていた(@_@;)
二つの道路の交差点になっていた。(´・ω・`)

この遺跡には王宮か神殿らしき大型建物、祭祀跡、甕棺墓群などが100×200mほどのエリアに集中しています。


安永田遺跡
しかも、遺跡のすぐ南500mには青銅器鋳造工房の安永田遺跡があり、銅鐸の鋳型が出ています。定説を覆した鋳型なのです。そう、九州は銅剣だけしか出ないという古い定説。(これも某資料館ではまだ堂々と出されているけど)


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復元された銅鐸の高さがまだ20センチほどなので、原初の楽器の雰囲気が残っていますね。(「まだ」と書いたのはのちには巨大化して1mくらいの大きさになるからです)

時代は2000年~2100年前です。谷間の風の道からは銅を熔かした跡も見つかっています。

この遺跡は国指定史跡となって残されています♪

大久保遺跡
またすぐ東200mには土器工房の大久保遺跡があって破壊。こんな王城と弥生のハイテクランドの存在がいともあっさりと消滅か…。

地図を見ると、その横は公園になっています。わずか数十メートルの配慮があれば遺跡群は残せたのに。これは日本の歴史のあけぼのの抹殺?当時の市長を調べたくなっちゃった。



さて、気を取り直して…。



地図 柚比本村遺跡あと


柚比本村遺跡の祭祀形態が分からないかなと思って地図を見ると、250mほど西に神社マークが見えます。これは天満宮と書いてあります。

柚比の王が歩いて参拝できる距離なので、古代の祭祀場に天満が上書きされた可能性もあります。

杓子ケ峰への祭祀もくじらさんが指摘してありました。現地にたったら、まだ古代人の息吹が残っているかもしれません。

さらに東南500mには愛宕神社があります。
愛宕という言葉は「あた」が飴状に溶けた赤い鉄、「ご」は具と言う意味で、合わせて溶鉱炉と言う意味だと真鍋は書いています。ここもちょっと高台なので、風を利用した施設があったのかも知れません。


鳥栖市の解説シートによると、この弥生遺跡のハイテク集団が、田代太田古墳など大古墳を築いた部族に発展した訳ではないそうです。新たな支配層がやってきたということで、それが磐井の乱前後ということのようです。


今回利用した遺跡の解説シートは鳥栖市公式ホームページからダウンロードできます♪剣なども凄いです。






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by lunabura | 2015-03-27 21:41 | 佐賀東部の神社と古墳 | Trackback | Comments(6)

(2)田代太田古墳・なんと美しい装飾古墳なのだ

佐賀東部神社と古墳(2) 

田代太田古墳

なんと美しい装飾古墳なのだ

鳥栖市にある田代太田古墳。
前回、その衝撃的な装飾復元図を紹介しましたが、この壁画の存在を知ってからずっと現場を見たいと思っていました。年に一度程度しか公開されないので看板だけでも見たかったのです。



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これは日下八光(1899~1996)の復元模写です。

何という世界観か…。
説明板の写真ではありますが、初めて現地でゆっくりと見ることが出来ました。一つ一つの文様には見覚えがあるのですが、いったい何を伝えたいのでしょうか。

ここは個人の公開日記ですから、自由に思いを書いてみましょう。ただの個人の思いです。備忘のためのものです。^^


被葬者はどれか?
それは横たわっている人物。

一番上の人物は赤いオーラをまとっている。また右にいる顔の白い赤い円の人物も赤いオーラだ。二人の手の振り方から推測すると巫女ではないか。

死者の御魂を天に向かう天鳥船に導く儀式を行っている情景だ。


右下に靫(ゆぎ)が並んでいる。王塚古墳ではそれは主体的な位置にあった。やはり装飾文は氏族を象徴しているのではないか。

黒い渦巻は蕨手文(わらびてもん)というそうだ。蕨手文と同じ大きさで同心円文が描かれている。その二つを見守るように双脚同心円文が並ぶ。靫文もこれを見守っているかのようだ。

中央では同心円文と蕨手文が寄り添っている。そしてさらに左を見ると上下に描かれている。

この横一列の画像には一つのストーリーがある。



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左右、どちらから読んだらよいか。それは馬の向きが教えている。右から左へと読むのだ。

赤い馬には赤い人物が乗っている。まるで幽霊のようにはかなげだ。しかし赤い色ということから、女性を表しているのではないかと思った。

左部には双脚同心円文も靫文もない。船だけだ。

これらをつないで右から読むとこんなストーリーが生まれた。

同心円文族と蕨手族という対立する豪族がいた。それは二大勢力だ。双脚同心円文族、靫族なども加わっての話し合いで、二大勢力の対立を緩和する話し合いがなされた。

その結果、縁組が提案され、蕨手族から姫が馬に乗って嫁ぐことになった。



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中央の二つの文はこの縁組が功を奏し、両族は友好関係を築いたことを表す。

船は同心円文族が水軍、船運で繁栄するようすを表す。まさにここに古有明海が湾入していた頃の話だ。

一番左にある二つの文が上下に描かれているのは、当地は同心円文族が主体、すなわち治めていることを示す。その右肩の花文と言われる小さな八つの円文はその子供たちではないか。

靫が王塚古墳に死者を悼むように並んで描かれていたことを思い起こすと、靫族は飯塚市を拠点とする王族か。蕨手文族もまたその近隣か。

対立していた二大豪族とは鳥栖の豪族と遠賀川流域の豪族で、遠賀川流域から姫を差し出すことで両族の和解が図られて、それは上手く行った。

そして、姫が先に亡くなったことが、この古墳の造営のきっかけとなった。

以上、るな探偵の妄想コーナーでした (-。-)y-゜゜゜




さて、蕨手文族に関しては、王塚古墳では伽耶の王族と書いていますが、今は白紙です。伽耶諸国の地には倭人が多く居て、倭国の一部だった可能性が高いですし。(^_^;)


顔料を持っている部族は大変裕福な部族です。王塚古墳を描いた技術者集団を伴っての輿入れだったのではないでしょうか。

この古墳には部屋が三つもあり、この壁画が描かれた最奥の部屋には死床が複数あるので、王族一家が追葬されるようになっていたのでしょう。


時代背景
さて、この古墳の成立時期は6世紀後半とされています。
筑紫の君磐井の乱527年。その後、葛子が弔い合戦を行って筑紫の君となっている時代か、あるいは次の勝村勝頼の時代でしょう。

この古墳は円墳ですが、宮地嶽古墳とサイズや外観の雰囲気がよく似ています。勝村勝頼が祀られている宮地嶽古墳は7世紀前半とされています。


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関連する古墳の年代は次の通りです。

6世紀中頃 王塚古墳 飯塚市
6世紀後半 田代太田古墳 鳥栖市
7世紀前半 宮地嶽古墳 福津市
です。

この古墳が出来た時代には、筑紫の君・磐井を滅ぼした継体天皇も物部麁鹿火(あらかひ)ももういません。次の世代です。

この基肆郡では何が起こっていたのでしょうか。

6世紀になると鳥栖市域ではこれまでと違って大型古墳が次々に造られるようになりました。

鳥栖市教育委員会の「とすの文化財解説シート 6世紀代の大型古墳」には次のように書かれています。

これらの古墳が成立した背景には筑紫国造磐井の乱(527年)の影響が考えられ、乱後、九州に物部氏の部民(べのたみ)が設定された際、物部氏に関係のある鳥取部(ととりべ)(鳥飼部)が基肆郡内に認められることから、その母体となる有力豪族の墓ではないかとおもわれます。

とあります。
物部氏が関連していました。

るな的な壁画の解読は、佐賀東部の豪族と遠賀川上流域の豪族の通婚の歴史が描かれているというものですから、同心円文族とは物部氏ということになります。

思いがけない結論です (^_^;)

とりあえず、思考途中のメモ書きです。





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by lunabura | 2015-03-26 20:39 | 佐賀東部の神社と古墳 | Trackback | Comments(4)

佐賀東部の神社と古墳巡り(1)


佐賀東部の神社と古墳巡り(1)


竹内宿禰は「紀」の武内宿禰とも書かれています。「紀」は和歌山の紀伊を指すのではなく「木・基肆」で、肥前の地名だろうと考えています。

もちろん紀伊の方には徐福の縁で竹内宿禰の拠点もあるだろうけど、出生に関わる地は肥前の方だろうという意味です。

その基肆(きい)をようやく訪れることが出来ました。

いえ、正確には何度も訪れているのですが、古代の探訪を目的とするのは初めてです。ですから全く別世界に来てしまったようで地理が混乱しています。

もともと方向音痴なので、今回は地図に訪問先を落とすことから始めようとしましたが、家にある地図では適当なのがなかったので昭文社の道路地図を購入しました。

養父町(やぶまち)の地名が見えます。基肆郡と養父郡の境目はどこでしょうか。綾部八幡神社はどの郡に当たるのでしょうか。ネットを調べましたが、よく分かりません。

訪問したのは鳥栖市と三養基郡みやき町、神埼郡吉野ヶ里町です。

今回は古代の地名をシリーズ名につけたかったので、とりあえず「基肆国の神社と古墳巡り」としましたが、「養父」が含まれるなら、タイトルも途中で変更したいと思っています。どなたか、古代の鄕名を教えてくださいませ。

※分かりやすく「佐賀東部の神社と古墳巡り」に変えました。

さて、今回は神社と古墳を付き合わせながら、古代の氏族を見つけられないかという試みが目標です。神社の神宝と古墳の埋納物が共通することから、古墳の被葬者の近くの神社はその氏神だろうという考えを持っています。

氏族は祭神と地名を持って入植する、と言った方が簡単かな。

さて、「鳥栖市・基山・みやき・上峰町」の地図で神社をざっと拾うと、天満と老松が広く分布しているのが分かります。道真公を祭祀する冶金集団が多いのではないかという印象でした。

その中で姫古曾神社、千栗八幡宮、物部神社、綾部八幡神社が個性的な名を持っています。

姫方の姫古曾神社はかつて夢に出て来て探して行った宮だったので、印象深いのですが、当ブログでは再訪しようとして小郡の方に行きついてしまった思い出があります。そして再訪を果さぬうちに、昨年焼失してしまいました。もう再建されたでしょうか。

今回、御縁があったのは綾部八幡神社でした。これが基肆郡なのか、養父郡なのか、分かりません。

もう一つ、吉野ヶ里にある田手神社も参拝しました。祭神があの向津媛で、天智天皇の祭祀によるものなので注目していました。

向津媛。アマテラスとも瀬織津媛とも言われますが、新羅戦に掛かる前に仲哀天皇に悲劇をもたらしました。同様に筑紫で崩御した斉明天皇の悲劇が重ねられているようで、気になっていたのです。

今回案内して下さったのは「山歩き古墳巡り」の筑後国造さんです。装飾古墳のスペシャリストです。その筑後国造さんと神社好きの、るなの組み合わせで古代へのアプローチです
^^

古墳に関しては専門用語の知識がないので、間違っていたらコメントをお願いします。訂正しながら書き進めたいと思います。


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田代太田古墳






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by lunabura | 2015-03-24 21:30 | 佐賀東部の神社と古墳 | Trackback | Comments(11)

朝倉の磐座巡り


朝倉の磐座巡り


昨日、朝倉に行った♪
今日も朝倉に行った♪

昨日は古墳巡り。
今日は磐座と高木の神巡り。

待ち合わせ場所。


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じゃーん。


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じゃーん。


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じゃーん。
道の駅「三連水車の里 あさくら」



今日の案内人はくるま座さんでした。
これも、内容濃いで~^^
私の力量に余る内容 (^_^;)

糸が切れるとどこまでも飛んでいく凧みたいな、るなさん。
どうするっぺ?





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by lunabura | 2015-03-21 19:42 | にっき | Trackback | Comments(5)

古墳巡り


古墳巡り

今朝、不知火書房さんが自宅に原稿を取りに来てくださいました。
原稿はいまだに手直しが多かったのですが、修正されたのち、いよいよ印刷の段階に入ります。本の場合はブログと違って修正が効かないので大変です。

さて、長い間籠っていた暮らしの御褒美は古墳巡り♪
リンクしている「山歩き古墳巡り」さんの御案内で古墳を見てきました。エリアは佐賀県のみやき郡~吉野ヶ里、そして朝倉。谷あいの古墳群や山頂の大きな前方後円墳など、さまざまな形態がありました。


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谷あいの古墳群などは、古代の産業を考えると製鉄などしか思いつかなかったのですが、途中で訪れた綾部神社の伝承で裏付けが取れたのです。とても驚きました。そ・し・て、そこには「はた」があった (@_@;)

古墳群の近くに神社があれば、被葬者たちの守護神が分かり、ある程度は部族が分かるだろうと思っていたのですが、今回は上手く再現できそうです。しかも、真鍋の本に書かれていた内容までも具体的に残っていた。

これを記事にするにはかなりの時間がかかりそうですが、忘れないように少しずつ進めていこうと思っています。


そして、今日は先週御紹介した古代史マップ「ふくおか古代ロマンの旅」が届きました♪

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このブログでも紹介した遺跡や神社が沢山載っています。それがマップに載っているとフクオカの姿がまた違って見えてきました。
裏には簡単な年表があったので、古墳が出来た時代を想像できてちょうど良かったです。フクオカの歴史。少しずつ再現したいですね。



そして、もう一つ。

マップの表紙。このイラスト!

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エジプトの壁画と福岡の装飾古墳の壁画に同じシンボルが画かれているという噂をしていたら、表紙にズバリ、描かれていた。\(◎o◎)/!

上が日本の壁画。下がエジプトの壁画です。

このシンボル、うきは市吉井の古墳に描かれているのですが、朝倉にもあって、「山歩き古墳巡り」さんたちによって発見されていたのです。

今日の「はた」と「エジプト璧画」だけでも学ぶことが沢山あります。
なんとしても皆さんにも紹介できるよう、頑張ってみます。
(一番の問題は関心がアチコチに飛ぶこと(^_^;))

今から200枚の画像の整理をします^^


◆古代史マップ「ふくおか古代ロマンの旅」申し込み先◆
福岡県大阪事務所
〒530-0001
大阪市北区梅田1-3-1-900 大阪駅前第1ビル9F
TEL:06-6341-3627
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by lunabura | 2015-03-20 21:32 | にっき | Trackback | Comments(6)

最終ゲラ



いよいよ最終チェックです。
今回は上巻より難航しています(^_^;)
でも、大好きな海の写真がいっぱいです^^

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明日の朝までに仕上げま~す。
明日は御褒美の一日が待っているんです♪





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by lunabura | 2015-03-19 21:55 | にっき | Trackback | Comments(4)

逆取材 



いつもはあちこちで突撃取材をする私ですが、それとは逆に、今日は新聞記者の方から取材を受けてきました(+_+)
日経新聞です。

神功皇后に関する特集があるとのことで、私のガイドブックをご覧になっての取材申し込みでした。
博多に出て、一時間余り、お尋ねの内容についてお答えしました。

記事になる時には多分、数行にまとめられるのでしょうが、これもまた神功皇后関連の不思議な盛り上がりの一端なのでしょうね。
掲載は4月の末頃とのことです。

取材では最初に、ガイドブックを書くきっかけを聞かれたのですが、答えながら古物神社を参拝した辺りから、鞍手の古道沿いに仲哀天皇と神功皇后の名が点在するのに気付いた時の感覚を思い出していました。

古代の霧の中からひそやかに聞こえてくる人々の営みの気配。
霧の中に動く影がしだいに輪郭を取り始め、色彩を帯びてくる。
そんな感覚です。

古物神社は伊藤常足という『太宰管内志』を著した大家が宮司を務めていましたが、あの人気(ひとけ)の無い古代の杜に何故、仲哀天皇と神功皇后の伝承があるのか。きっと私と同じ思いで歴史を調べ始めたのだろうと思ったものです。

多分あの辺りから、私の方針が固まった。

それまでは行き当たりばったりだったのが、この道筋を天皇と皇后は通ったに違いない、じゃあ誰が道の手配をしたのだ?そんな思いで神社誌や郡誌を紐解いて、物部氏が手配したと確信し、日本書紀と突き合わせ始めた。

そして、他の人にも古代の道を通って欲しいという思いが生まれ、ガイドブックを作りたいと思い始めた。ちょうどその頃、久留米大学公開講座で話す機会を得て、本格的に取り組み始めた。

そんな展開でした。

さて、これで連続したイベントが終わりました。あとはガイドブックの最終校正を済ませるだけです。

長い間、いろんなお誘いを断っていましたが、春になったし、少し出歩きたいなと思う今日この頃です。^^




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by lunabura | 2015-03-16 22:27 | にっき | Trackback | Comments(4)

今日もありがとう



今日は八幡東区でのお話会。ようやく『神功皇后伝承を歩く』の下巻を最後まで話すことができて、達成感に包まれています。上巻だけを二年近く話していたので、一区切りがつきました。

英彦山だんらん村さんのお蔭で二回に分けて話せたのも有りがたかったです。北九州方面の神社については時間を取ったつもりですが、それでも快速列車なみに、飛ばし飛ばしでした。

神功皇后のわずか3年間なのに、福岡の各地で数百の伝承が伝えられたお蔭で大正時代まで十五代神功天皇とされていた人物の具体的な姿が浮き彫りになりました。


今日は始まる前から、また終ってからも皆さんと交流をして、「ガイアの森」や神功皇后に関連した不思議なシンクロの話を沢山伺いました。

フランス人画家のマークエステルさんが百に上る神社に日本神話の絵を奉納されていたのを教えていただいたり。あるいは過去世を思い出して、「ガイアの森」に涙した方があったり。また日本の女神のことを遠くローマで話す予定の方があったり。

そんな話を伺うと、私がガイドブックを書いたことも、大きな流れの中にあるのが分かって来ました。

これからの時代は、誰か一人がリーダーになって導くのでなく、各人がそれぞれの人生の目的を歩むだけで日本の神界とリンクしながら完成していくものだと思っています。

何度も失敗する事象にこそ、自分の使命が隠されていて、それに気づくのを御魂(みたま)は待っています。いったい何に気づけばいいのか?それはひたすら自分に問い続けるしかありません。答えは外になく、内にあります。

そんな話も楽しいひと時でした。同じ思いを持つ人たちが意気投合してメルアドを交換されている姿を見るのも嬉しいことです。

私も先日から思い立つことがあります。「閃いたら実行」と人に伝えた以上は、私もまた新たにチャレンジします。いつかここでお伝えしますね。

英彦山だんらん村さま、またお越し下さった方々、ありがとうございました。

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ねこやなぎとバラ。


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by lunabura | 2015-03-15 22:27 | にっき | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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