ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

<   2015年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧

新聞切り抜きー弥生時代


新聞切り抜きー弥生時代編―



『宮地嶽神社と筑紫君磐井の末裔たち』、とりあえず、脱稿しました。
この言葉、何度目でしょうか (^_^;)


さて、今日は頭脳労働から離れたいので肉体労働を、と真っ先にやったのが窓ふきです。
毎朝、最初に開ける窓をきれいにしました。
これで良い風が入りますように~ ^^


古代史からも離れてと思って、車の点検を待つ間の暇つぶしに、新聞の切り抜きの整理をしました。やっぱり、古代史が沢山 (*^^)v


新聞の切り抜きって、ジャンル分けしないと、いざ必要な時に全く訳に立ちませんよね。探す事って、必要以上にエネルギーをロスします。

ラベルが貼れるってことは、理解していることと同じだなとよく思います。未分類のときって、やはり無理解な状態ですもん。

で、考古学的なもので九州のものに絞ると、けっこう面白いものが出土していました。


今日は、弥生時代を紹介します^^ 四つだけですが。

1 紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半) 春日市 須玖タカウタ遺跡
多紐細文鏡の鋳型


鋳型ですぞ!!! 
鋳型片のサイズは5.1×2.5厚さ2.3センチ。重さ39グラム。滑石。

多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)といえば朝鮮半島製と言われますが、その根拠が示されず、専門家に尋ねると、出土数が半島の方が多いからと説明する方もあって、納得いかなかったけど、日本で鋳型の一部が見つかりました。

出土数うんぬんに関しては、未発掘の遺跡が沢山あるし、科学的根拠にならないと思います。

出土した場所は須玖岡本遺跡の西約200mだそうです。
ここは弥生のハイテクランド。
昨年はここから有柄式銅剣の石製鋳型や、銅戈の土製鋳型が出土しています。

タイトル、見直して下さい!その鋳型片は「紀元前」のものなんです!

銅の道がここから豊の国まで続いています。
この鋳型の時代から数百年後、神功皇后はこの道を通って周防灘に抜けました。
(『神功皇后伝承を歩く下巻』86番「綱分八幡宮」にちらりと書いてます)

どんだけ古い (/・ω・)/ .



2 紀元50~250年(弥生時代後期) 鳥栖市藤木町 藤木遺跡(ふじのき)
ボタンの鋳型


青銅製のボタン状の飾り金具とみられる「銅釦」(どうこう)の石製鋳型が出土しています。


弥生時代にボタンです!

ここは環濠集落で、銅釦1点、矢尻の銅鏃2点、腕輪の銅釧(どうくしろ)1点の鋳型も発掘されています。

鳥栖市ですから、田代のハイテクランドの近くかな。また地図で調べないと…。
弥生時代のファッションが貫頭衣だけではない根拠となりますね。





3 紀元1~3世紀頃(弥生時代後期)壱岐市 カラカミ遺跡
鉄の地上炉跡


炉の大きさは直径約80センチ。同様のものは朝鮮半島で見られるそうです。

半島などで使われなくなった鉄製品を輸入して炉で溶かして加工したとみられると書いてありますが、精錬炉跡の可能性もあるとも書かれています。

精錬炉が国内で始まったのは6世紀以降とするのが定説と書かれています。これが精錬炉と確認されると定説が覆ることになります。(熊本、無視されています)


カラカミ遺跡は「原の辻遺跡」から約6キロ北西。一支国を構成するエリアだそうです。

「使われなくなった鉄製品を輸入した」というのは如何でしょうか。
何か変。
古代って、鉄はすごく貴重品。古い鉄は輸出するより、地元で再利用しそうだけど。
鉄鋌(てってい)を輸入するなんて発想はないのかなあ。




4 弥生時代後期後半 のろし通信網 「東九州―北部九州通信ネットワーク」


九州大分自動車道に重なるように弥生時代後期後半の高地性集落が発掘されていて、そこで溝やのろし跡が見つかっています。

白岩遺跡(大分県玖珠町)、若杉遺跡(同湯布院町)、西ノ迫遺跡(福岡県杷木町)


c0222861_2234798.jpg


これって、ちょうど邪馬台国の時代。
井上悦文氏の唱える邪馬台国の配下の国々のエリアに重なってますね。

現代の高速道路のデザイナーと弥生時代の狼煙台のデザイナーの注目するラインが同じだというのは大変興味深いです。

弥生時代に存在した狼煙ネットワーク!

『日本書紀』に書かれた烽火の記事を「天智天皇が初めて烽火を作った」と解釈してはいけないと言う、るなの根拠がこれです。天智天皇は整備したに過ぎないと思います。

ノロシの情報量ですが、相島の江戸時代の話を過去記事で紹介しています。

台風のために相島で61名が遭難して大変な時、壱岐から朝鮮通信使の一行を乗せた船が「今から出港する」という狼煙を上げたのを見て、困ったという話です。

烽火はいろんな意味を伝えられて、すごい速さで伝わるんですね。


以上、新聞切り抜きの一部を感想を交えつつ紹介しました。

ようやく平常モードです。( ´艸`) 辛口~。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-29 22:04 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(2)

使い倒した (+_+)



昨夜、ついにプリンターが壊れてしまいました。

一か月ほど、ガリガリと音を立てていたので、リセットしながらゴマカシごまかししていたのですが、ガガガガガガーと機関銃のような音を立てて、逝きました。

五年ほど使ったかな。使い倒した感じです。

ありがとう。

スットックのインクも今朝、貰い手が見つかって一安心。

プリンターはもう一台、親戚から貰ったのがあるので、それを使う事にしました。これはインクの減りが速いから、互換インクの安い所を探しています。



ついでに白状すると、カメラの中にカビが生えてしまいました。雨の日に写真を沢山撮ったあと、手入れをしなかったので、ワヤです。(ワヤって方言?)

これももう一台同じものがあったので、画像が駄目だった神社には撮り直しに行ったりしました。

このカメラで本の写真も全部撮りました。別のカメラだと空気感が変わる心配があったので、同じものがあって良かったです。

こうして、物理的な環境がサイクルを終えたのと、新しい本の原稿の仕上がりが同時期なのも、大事なサインだと思っています。


種を蒔いて育てて刈り取る。そして土づくりをする。
春、夏、秋、そして冬。

この3年間は種蒔、刈り取り、種蒔、刈り取り、という無理なサイクルで走り続けました。


土づくりこそ豊かな収穫を約束してくれます。
『ガイアの森』に書いた、あの、ふかふかの土が妙に懐かしいです。

人生においても、土づくりの時期を意識して作らないと、ついつい走り続けてしまいますね。



c0222861_2333344.jpg

(宮地嶽神社)



あとちょっとだあ。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-27 23:36 | にっき | Trackback | Comments(5)

とり急ぎ


マイペースで本(『宮地嶽神社と筑紫君磐井の末裔たち』―巨大古墳と九州王朝の謎―)を仕上げていたのですが、急きょ、推敲を仕上げなくてはならなくなって、ブログに手が付けられませんでした。

この事情は良い事情なのですが、内容に関しては、確実になってから書くことにしますね。

推敲を仕上げたとはいえ、さらに二項目ほど追加をするので、流れが途切れないように、もう一度推敲することになります。

今月中に終わったらいいなあ。



今日の宮地嶽神社の菖蒲です ^^

c0222861_18233663.jpg




c0222861_1823533.jpg


菖蒲祭の準備が進められていました (^。^)



コメントを下さった方へ

いただいたコメントが内容があるものばかりなので、じっくりと読んでから返事をします。少しお待ちくださいね。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-25 18:24 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(0)

「炎のピラミッド」(8)草部吉見神社

「炎のピラミッド」(8)

草部吉見神社

くさかべよしみじんじゃ

前日に三社を回って一泊しました。二日目も三社ほど回ります。

四社目は草部吉見神社です。日本三大下がり宮ということですが、ようやくの御縁を得ての参拝です。



c0222861_20532498.jpg

鳥居の先が下がっているのが分かりますか?







c0222861_20534397.jpg

正面です。この石段が130段あります。数えましたよ!でも、これが本来は129段だそうです。(理由はまだ読んでません)






c0222861_2054266.jpg

真下に本殿があります。
御祭神は12柱。一の宮は日子八井耳命です。神武天皇の第一皇子で、草部吉見神あるいは国龍命とも言います。

良く似た名前の神八井耳命は神武天皇の第二皇子です。神八井耳命は阿蘇神社の健磐龍命の父に当たります。


日子八井耳命がここに宮居を定めた翌年、健磐龍命がやって来て、日子八井耳の姫(阿蘇都比咩命)を妃にしたそうです。

結局イトコ同士の結婚になるんですよね。

この健磐龍命は阿蘇大神とも、阿蘇都彦命ともいうそうです。
こりゃあ、系図を書かないと分からないですね。いつかトライしましょう。



c0222861_22483261.jpg
これは両神社に書かれていた系図ですが、健磐龍命は神八井耳命の系統だということが確認できます。日子八井耳命の系統を付け加えると、理解が進みそうです。






さて、「炎のピラミッド」の観点で境内を見ましょう。
当社の境内の特色は本殿を中心として盛り土がなされた円形があるということです。

そこで裏手に回りました。
c0222861_20552126.jpg

神殿の真裏のようすです。確かにカーブを描いていて、周りより高くなっているのが画像からも分かると思います。本殿の前の方はこの形状は分かりません。




本殿の右手に塩井社があります。そこからは、さらに下って行くことができます。

c0222861_20554432.jpg

すると、吉ノ池(八功徳水)という湧水池があります。美しい水源の小道を辿るとぐるりと回って本殿の左手に戻る事ができます。




c0222861_2056580.jpg

そこから見える神殿は殊のほか美しいたたずまいでした。






この草部吉見神社のエネルギーは「左黄金螺旋」の縮小化を意図した造形だそうです。

これは私の想像ですが、エネルギーは石段を下りて吉ノ池に降り、ぐるりと回って本殿前に出るとさらに左回りになって神殿に収束していくということでしょうか。
(現在の所、想像なので、間違っていたら消去します)

国造神社と陰陽の関係になっているそうですが、また別の日に検討しましょう。今日は、境内の観察に留めます。



そして地図上では、両神社と国造神社と草部吉見神社が一本のライン上に乗っています。両神社から12本のラインが出ていると最初に書きましたが、その一本がここに来ています。

阿蘇王家ともいえる神武天皇の二人の皇子の開拓の歴史が暗示されているようです。

福岡と阿蘇の違い
ここまで書いていて気付いたことがあります。
それは福岡と阿蘇では神社の鎮座地の意味合いが違うということです。

福岡というか、神功皇后の関連地の場合ですが、神功皇后が祭祀をしたり、お腹が痛くなったり、腰をかけたり、化粧をしたりと、皇后の行動した場所がそのまま神社になっています。

またそれを支援した氏族の館や、陣営が起源になるので、「そこ」でないと神社が鎮座する意味がありません。ですから、ピンポイントです。

ところが、阿蘇の四社だけでの印象ですが、神武天皇の皇子二人が入植して宮を構えて国造りをした地域に神社が建っているもようなので、神社が鎮座する場所は必ずしもピンポイントの必要はないのです。

二皇子によって出来た弥生初期の邑(むら)の中で神社を作るので、神殿の位置はある程度自由裁量になります。ですから、熊本の場合は測量をして祠を置く場所を決め、それが神殿に発展していったと考えることは可能です。

以上の点が福岡と熊本の違いのように思えました。まだ探査の途中ですが自分のため、備忘のために書いておきます。最初に系図を理解せねばと思ったのは当たりでしたよ。


「炎のピラミッド」の設計は二次元の精密な地図が存在していることが前提なのですが、阿蘇王家ともいえる神武の二皇子の入植地と歴史を組みこむように意図的にデザインすることは可能だと思いました。


草部吉見神社

阿蘇郡高森町草部2175




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-21 21:02 | 阿蘇山・炎のピラミッド | Trackback | Comments(8)

ひといき



『宮地嶽神社と筑紫君磐井の末裔たち』の推敲をしていたら、書いておきたいことが次々に出て来て追加をしていました。気付くと一カ月は書いていました。

ようやく一段落ついてほっとしています。
この本もカラー刷りです!写真を沢山載せるので、今日から追加の写真の選択をします。

ガイドブックにしたい、と不知火書房さんからの希望が有りましたが、古墳って住所がないんですよね。基本。(^_^;)

掲載した神社もよその人が参拝しないような所も多く、廃寺となった所もあります。でも、皆さんが自分の足で、目で確かめられるように努力をしたいと思います。




『神功皇后伝承を歩く』の下巻もようやくアマゾンや楽天でコンスタントに在庫が置かれるようになりました。遠方の方は御利用下さいませ。



「炎のピラミッド」も「肥前国風土記」の旅も何もかも中断していて、ストレスではあるのですが、ブログには書いていないいろんな出来事もあって、日々充実しています。




真鍋大覚の本を取り寄せて読んで見ようという方も出て来て有り難いです。
あまりに分野が広くて個人ではどうにもなりません。
「チーム・アンドロメダ」
なんて、真鍋研究チームが出来たらいいなと思っています。
アンドロメダの和名が大覚です♪

夜空の星々の名を外来語だけでなく、日本語でささやけたらいいですね。



c0222861_9364913.jpg


アンドロメダ星雲 画像出典 ウィキペディア




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-20 09:42 | にっき | Trackback | Comments(6)

ヒアデス星団の一部だけど読んでみる?



先日から、真鍋大覚の引用に関していくつかコメントをいただきました。真鍋の文で謎が解ける方、イライラする方、いろいろ反応があって当たり前だと思います。イライラする原因は人の引用文のため全容が分からないからだと思います。

『儺の国の星』と『儺の国の星拾遺』はわずか100冊ずつしか印刷されていません。
が図書館の広域ネットワークサービスを使えば、福岡県内の方は確実に近くの図書館で借りることができます。

たまには県外からの本を借りるケースもあるので、まずは近くの図書館に問い合わせてください。また那珂川町に対しては個人的に直接復刻をお願いしに行って、好感触を得たのですが、その後進展はありません。

この本が皇室から依頼されて出版された事情は、『神功皇后伝承を歩く』の上巻をお持ちの方はあらましを書いているので、そちらをご覧ください。

私個人としては、書き写したりブログに書いたものを集めるとファイル6冊ほどになりましたが、いまだに1パーセントも読解できていません。でも、昨年久留米大学で発表した内容に関しては考古学的な裏付けを採ったりしながら発表しました。

水城に関してだけでも、十人ほどの講座を受けたでしょうか。ブログにはまだ書いていませんが、水城の中央部の欠損部から古代のレンガや瓦が出て、水城が一本ラインではない事例も出ています。そこには矩形の遺跡の痕跡があるのを発表された方もあります。これが真鍋の伝える天智天皇の工事、運河だと考えています。

でも、書くと為ると、膨大な資料を理詰めで書かねばならず、それは論文のレベルでもあるので、ブログでは書いていません。

針摺の瀬戸も、すでにボーリングで海の貝が出土しているので、これを批判したい人はそれ以上の研究が必要です。

「まさかね」とか「聞いたことが無い」という意見はよろしくありません。

論文を書いた方はそれなりに人生の数年を費やしているのですから、その論文をまずは読んでから批評する覚悟が欲しいものです。その態度が無いと、古代史はいつまでも経っても語呂合わせや、妄信の世界を超えられません。

神功皇后の伝承地も然り。先日、日経新聞から取材をされたのですが、その記者の方は3000箇所もの伝承地があると集計されました。

この膨大な伝承を「それは神功皇后でない誰か」、など新しい捏造を造り出してはいけません。

自分の足で確かめて、数百社の神社に対して直接「嘘を言っている。誰かがが創作した」その誰かとは誰の事かと言えるまで調査してください。

仲哀天皇や皇后を支えた氏族の末裔も大勢いらっしゃるんですから、その人たちにも面と向かって言えるかどうか、自分の心に尋ねてください。


『炎のピラミッド』に関しても、今、本を理解するために実際にフィールドワークを始めました。読まないと批評も出来ません。

本を手に入れたい方は熊本の八坂神社に直接尋ねてください。あと100冊ほど残っていると聞いています。

ブログを見てすぐに神社に行かれた方もありますね。八坂神社に直接話を聞きに行かれた方もあります。

また、昨夜は友人に電話したら、「今、八坂神社から帰って来た所よ。まだ荷物もほどいていないわよ」という返事。福岡から熊本まで本を買いに行ったんですって。私の電話のタイミングにお互いびっくりでした。これは私にとっては読み遂げなさいというサインです。

早く参拝した六社だけでも終わらせたいのですが、写真だけでは満足できず、やはり本を読みながら書いています。(+_+)

例の調子で三菟を追っている、るなさん。あと、一ふんばりです (/・ω・)/ .

真鍋大覚の文「ヒアデス星団」の一部だけですが、タイプしました。読んでみてね。

『儺の国の星拾遺』 
徳勒星
牡牛座 Taurus θ(71)

日本書紀巻八 仲哀紀二(一八三)年三月十五日に、
  天皇、南国を巡狩す。
  紀伊国に至りまして、徳勒津宮に居します。
紀伊日高衣奈が徳勒津であった。
 山海経から倭人伝に至る間、露紒無針の記述のごとく一枚の広い麻布、時には絹衣を背中から腰にあてて前で合せる服装があった。

裾が股から膝の形にひらきやすいところから、風に孕み風に靡く姿をヒアデス星団の鏃型の分布に見たてて、衣奈星、或は伊奈星などと書いた。星群の散開した分布を坩堝の中から飛び跳ねるすさまじい火花の光景にみたてたのか、碾盪星、或いは瞳 とも書いた。

今も光度は落ちたものの熔融金属特有の朱赤色の光を出す星であるから、その昔は蹈鞴の別名なる牡牛座の主星アルデバランと、その東なるオリオンの間に炯炯爛爛たる光芒を下界に照らしていたものと推察される。

‘とろく’とは日向臼杵土呂久のごとく辰砂水銀の鉱床が存在する地名である。水銀は金銀を溶かし、ついで坩堝に移して三五六・七二度に沸騰されると純粋の金銀を蒸留することができる。

蹈鞴の遺跡はすでに縄文の貝塚の中から発見され、その年代は肥前彼杵滑石の三九一五年前、筑前宗像上八の三七七九年前、豊前国東富久の二六四五年前などが列挙されるから、アルデバランを中にして、南西のプレアデス星団に対する対称点の位置にヒアデス星団が輝いていた時代を考証することができる。

‘とろく’には猛毒の砒素の鉱脈が存在する。人間の骨髄も皮膚も、あたかも水銀に会った銅鉄のごとくとろけて腐爛するからこの名が出たのであるが、氷河時代の人類の祖先を脅威した野牛を刺殺した毒矢の形をヒアデス星団の鋭く尖ったV字型に当てたのかもしれない。

漢名で觜と言う、大きな角のある鹿であった。現在のオロッコ民族が極東でラップ民族が北欧で飼育している馴鹿の原種であったかもしれない。

希名でウラフア、羅名でケルト、胡名でセラと言う。聖書に出てくる大きな耳の猪のことである。現在の欧州のどの民族も飼育している豚の原種であった。

かつて凍土の広原を風のごとく疾駆していた野性の動物であった、虎や獅子や狼の爪牙の気配を気遣いながらも〝生めよ殖やせよ地に満てよ″なる天帝の言葉のごとく群衆をなして繁殖したのであった。倭名に猪鹿の名があった。

ヒアデス星団の数は六つとも云い、又七つとも数えられている。天空の中で最も運動の速い星座として遠い昔から祖先の目を集めていたのであった。

蹈鞴の名人、賀茂の氏族の故郷を、筑紫で猪無、東国で秩父と言う。動きの速きことを猪や鹿に例えたのであって、和珥津の船出は戦捷凱旋の早きことをこいねがって、これが夜半に天頂を通過した時期をもって解纜している。(略)


いかがでしたか?面白そうなのに理解不能なんです (´・ω・`)



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-18 21:02 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(8)

針摺の瀬戸と水城・古代、玄界灘と有明海はつながっていた

針摺の瀬戸と水城
古代、玄界灘と有明海はつながっていた


c0222861_220948.jpg

(大野城市で発行されているパンフレットです。
1.2キロの大堤が築かれていて、日本書紀にも書かれています。
その目的が分からないと言われていますが、眞鍋家ではその歴史が伝えられていました。)

昨日、初めて講演をしました。

このブログを始めて一年と四か月になりましすが、、ブログを通しての御縁で、講演を依頼されました。
・『儺の国の星』の存在と真鍋 大覚氏について。
・かつて古代において、有明海と博多湾は海峡で結ばれていたこと。
・ふたつの海の潮汐の差を調節するために初期の水城が築かれたこと。その他。

こんなお題なのですが、本を調べると、
古代の福岡の地形を抑える事が正しい歴史の把握に繋がると思い、
お引受けする事にしました。
あちこちに散らばっている話探し出して、構成しなおしました。
その結果、構成は
1 真鍋大覚 略歴 暦法家としての眞鍋家 星の観測法 
2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
3 ありなれ川とハリチ 針摺(はりずり)
4 瀦水塘と水城(大水城 小水城 上津土塁)
5 ありなれ川と水城の歴史
6 ありなれ川の風景と地名 舟 遠の朝廷 国栖(くにす) 太陽暦 鎮西 やす 三並 古賀・通古賀 中大江 板付 三笠・三原・御井・三潴・三池 三井郡 三原の潟 あさつま 夜渡七十 有明

としました。

ありなれ川とは、銀河、天の川の事です。
これを地上に映して、滔々と流れる大河もありなれ川と呼んでいました。
古代の筑紫にもそんな大河が真ん中を流れていました。
洪水や土砂の堆積などとの戦いの連続でした。
この話を世に残して下さった真鍋大覚氏と、
治水工事に取り組んだ先人たちへの敬意をこめて、

2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
5 ありなれ川と水城の歴史

を紹介します。
2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
昭和57年・60年出版 那珂川町 原本は『石位(せきい)資正』(星暦)
「高松宮宣仁親王殿下が昭和のはじめに、日本人の祖先が空に輝く星々に向かって懐(いだ)いていた心と、その呼び名について調べることを、香椎宮宮司木下祝夫博士に指示されたが」、当時、木下氏は古事記のドイツ語訳で忙しかったので、真鍋大覚氏に依頼された。

本の内容は、300程の星の和名とその由来や歳差運動の計算、地名の由来、各渡来人の風俗や聖数や暦などの背景、古代鉄(隕鉄、スズ鉄、砂鉄)、暦(金星暦、土星暦ほか多種。)神の名の由来などなど、星暦を以って天皇家を支え、星辰を祀った物部氏に伝わる伝承が書いてある。

天皇の遷宮の理由、太陽の観測、銅鏡の使用法など門外不出とされた内容も含まれる。また日本書紀を補う文化背景が豊富に書かれている。

失明されたので、口述筆記。昔の記憶を辿りながらなので、難解な文脈になっている。

地図 針摺 と ありなれ川(灰色の市街地がそれに近い姿です。)

☆地図は拡大して行くと見えるようになっています。

5 ありなれ川と水城の歴史
氷河期 2万3500年前。肥前三根で水と雪を堰き止める堤の工事跡から炭が出土。瀦水塘の痕跡。この時代から灌漑と耕作を始めていた。

前255年 高来山(2987m)が爆発して現在の雲仙岳(1360m)に山容を変えた。
147~167 倭国はその領有権をめぐって大乱となる。

200年頃 太宰府の北西にあたる四王寺山(535m)は昔は潮路(しおじ)見山(みやま)、或いは四(し)明山(みょうざん)と呼ばれた。麓の別院が安楽寺で、今は天満宮になっている。ここで南と北の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられている。(高良大社の絵巻物がこれを語る)

248年 卑弥呼死去。
________________________________________
473年 ありなれ川で大洪水大氾濫が起こる。このころ、筑紫の東島(あかりのしま)と西島(いりのしま)が針摺で繋がれた。筑紫国造磐井は曽我の稲目と共に洪水を修め、473年から523年の間に、水城の築堤工事を開始したと伝えられる。

現在の石堂川を中にして粕屋一体を灌漑して百姓を潤す目的であった。曽我の稲目は怡土郡と那珂郡の間に新開の土地・早良郡を開いていた。

この頃は神功皇后が作った裂(さく)田(たの)溝(うなで)の水の勢いが新開の那珂・板付あたりでは減少していた。これを補給して、大洪水で干潟が進展した事に対処するためである。

527年 磐井の乱

573年 夏5月の台風で水城は徹底的に壊滅した。筥崎の砂浜の下に堆積している博多の家屋や調度の破片から推定すると、2万戸~10万戸が被害に遭って、玄界灘に漂没した。箸、下駄、椀が出土。瀦水塘が却って被害を大きくしたことから、この時から遺跡が急に陰をひそめる。
________________________________________
628頃 網代跡が出土。早春に海の魚が上って来るのを捕える木組で、汀線にはどこでも出土。

594~661皇極帝の御代に、磁鉄鉱で作った巨大な皇極が献上された。天智帝はこれを見て、指南車なる真方位補正済みの磁石を創案したと伝えられる。その磁石を水城に設置して、舟人にもその航法を授けられたと聞く。

c0222861_21561496.jpg

恵蘇八幡の拝殿にある羅針盤

c0222861_21564957.jpg

恵蘇八幡 時の公園にある、水時計
恵蘇八幡宮は 斉明天皇のモガリの宮です。

659年と663年 新羅にて大地震が起こる。新羅の都慶州を震撼させ た大地震の余波は玄界灘を渡って那の津を揺らせた。早良郡田隈野芥では津波高潮で倒壊漂没した家屋が出土している。斉明天皇(659)或いは天智天皇(663)年の頃に建てられた校倉である。天智天皇(626~671)は斉明天皇(594~661)と共に筑紫の長洲宮にあった。行宮の場所は那珂郡安徳村梶原。

天智天皇は磐井がひらいた水城(瀦水塘)を、玄界灘から有明海に疎水式に船を通す湖に切りかえる大工事を完成した。都府楼に自ら開発した時計を据え、玄界灘と有明海の潮時をみはからって、水城の上を往来する舟人に太陽暦の時鐘を響かせた。

後にこれは御母斉明帝の菩提寺・観世音寺に移されたとも聞く。(参考 698年京都妙心寺に同型の梵鐘 粕屋の評・舂米(つくしね)連広国が鋳造。 鴻盧館に8世紀の鐘の鋳造あとが出土。)

(講演後、福岡の南部にある「広川」を「ありなれ川」と今でも言う事を教えていただきました!感激です。)

講演デビューという事で、
久留米地名研究会の皆さまたちには暖かく迎えていただいて、
なごやかな雰囲気の中で話させていただきました。
ありがとうございました。

本は完売してしまっていますが、アーカイブに取り組む提案もあったりして
どなたでも手に出来る可能性も出て来ました。
実現したら、またお知らせします。


この話に関連するお散歩コース
『ひもろぎ逍遥』
高天原(1)志賀島に高天原があった なぜ海の中に高天原がある?
              2000年前の博多の姿

恵蘇八幡宮と木の丸殿 (1)筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
                  中大兄皇子はここで喪に服した
          (2)なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
          「高市郡越知岡村」は牽牛子塚か?車木ケンノウか?
          (4)こんな所に大きな漏刻(水時計)があった

牽牛子塚古墳 八角形の古墳はまるでピラミッド 斉明天皇陵に確定か?

『古事記の神々』
筑紫の君・磐井
斉明天皇




気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-17 22:16 | <地名・地形・伝承> | Trackback | Comments(13)

「炎のピラミッド」(7)阿蘇神社

「炎のピラミッド」(7)

阿蘇神社

国造神社から阿蘇神社へ向かいました。


c0222861_2025250.jpg

これは国造神社を出た所から撮った写真です。正面に阿蘇五岳の高岳がなだらかな稜線を見せています。

国造神社と阿蘇神社と高岳が一直線に並ぶそうなので、理屈上では、ひたすらあの高岳に向かえばよいことになります。

どちらもカルデラ湖の跡にあるので、移動は楽です。



c0222861_20253283.jpg

阿蘇神社に着くと、正面の駐車場が満車のために右手にある2番駐車場に案内されました。そこから入ると大鳥居があり、何と正面に高岳が見えたのです。\(◎o◎)/!



これには驚きました。もし正面の駐車場に留めていたら気づかずに終わった光景です。

この阿蘇神社の参道は横参道。つまり左右から入る様式になっていました。横参道は宇佐でよく見かけましたね。
 
阿蘇神社のアプローチが特殊に感じたのは横参道のせいでした。
写真の右手から楼門をくぐると、すぐに本殿なのです。



c0222861_20261714.jpg

この宮は速瓶玉命が父の健磐龍命と母の阿蘇都比咩命を祀ったのが始まりだそうです。
速瓶玉命は前回の国造神社の御祭神でした。

c0222861_22483261.jpg

今ごろ気が付いたのですが、国造神社は夫婦と子供二人の四人家族が一緒に祀られていたんです。

そして、夫の速瓶玉命が自分の両親をここに祀ったことになります。


偶然ですが、両神社(母と子)、国造神社(父と母と子)、阿蘇神社(祖父母と父)と先祖に遡りながら参拝したことになります。

神系図が少しずつ理解出来てきました。

国造神社は両親を祀る阿蘇神社と高岳をいつも見ていることになる訳ですね。かなり意図的な配置を感じます。












さて、今回のテーマの境内の形ですが、阿蘇神社の場合は神域の形が挙げられていました。大きな長方形の後ろに小さな長方形がくっついている形です。この二つの長方形を足すと内側面積が1.592㎡となるそうです。1592mは高岳の高さでしたね。




c0222861_20275832.jpg

裏手に回ると長方形がくっついた形が伺えます。





c0222861_20283557.jpg

しかも、真後ろの石垣の長さ(内のり?)が15.92mだそうです \(◎o◎)/!

まだまだラインはあるのですが、今日はここまで。





c0222861_20292399.jpg

御祭神の建磐龍命の御神陵。神武天皇の孫にあたります。






c0222861_20293769.jpg

妃の阿蘇都姫の御神陵です。



阿蘇宮司家は天皇家と深い関わりがあるのが分かりました。




さて、いただいたコメントに返事が間に合っていません。少しお待ちくださいませ。





炎のピラミッドのシリーズで読む方は下の「炎のピラミッド」からどうぞ。



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-16 20:36 | 阿蘇山・炎のピラミッド | Trackback | Comments(6)

「炎のピラミッド」(6)国造神社

「炎のピラミッド」(6)

国造神社

こくぞうじんじゃ

阿蘇のカルデラ湖の跡に出来た町に入るには、外輪山の急斜面を下りなくてはなりません。どこもすごい急カーブです。そして、途中には御褒美のように展望の効く所があります。




c0222861_0152669.jpg

雲が離れました!阿蘇五岳のうち、根子岳(ねこだけ)と高岳(たかだけ)が見えています。根子岳はギザギザだからすぐに分かります!高岳は五岳の中で一番高い山。1592mです。これ暗記が必要です。友達のかつての電話番号なので、私はすぐに覚えました!

国造神社は山陰にあるので、途中の道がクネクネとしていて、道に迷っているのではないかと心配になります。ナビを当てにすると、わざと細い道を選ぶので困ったもんです。




駐車場は参道の左手にありました。
車を降りると川の瀬の音が響いていました。

c0222861_016729.jpg

一の鳥居です。右手に川が流れています。
川沿いに参道があります。



c0222861_0164314.jpg

橋を渡ると石段です



二度目の参拝ですが、全く記憶にありません。



c0222861_017738.jpg

拝殿に出ました。
御祭神は速瓶玉命(健磐龍命の第一子)、雨宮媛命、高橋神、火宮神の四柱です。

速瓶玉命は初めてですね。あとの三神は両神社の御祭神でした。この宮は「北宮」とも言います。





境内は右手の方が広くなっています。そこには杉の神木が祀ってありました。



c0222861_0173163.jpg

ここで、記憶が一致しました。平成3年の台風19号で倒れた杉が丁寧に磨かれて祀られています。私が行った時は倒れたばかりの頃だったようです。すると、20年も前のことになります \(◎o◎)/!



さて、「炎のピラミッド」によると、この境内は三角形になっています。

その特徴として、参道の正中線が阿蘇神社を通って高岳山頂三角点を正確に指している点が挙げられます。





c0222861_0205197.jpg

帰り道に参道から一の鳥居を撮りました。森が邪魔をしていますが、高岳の裾が見えていて、山を見ているというのはすぐに分かりましたが、阿蘇神社が途中にあるとは驚きです。



田尻宮司は阿蘇の神々は阿蘇山を見て日々徳を積んでいらっしゃると言われました。




国造神社
阿蘇市一の宮町手野2280









いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-15 00:19 | 阿蘇山・炎のピラミッド | Trackback | Comments(2)

並べ替え



今日は「八幡の謎」シリーズの並べ替えをしました。
まだ六番までですが、いつか完結したいと思います。
新しい記事を書く時間がなかったので、よかったら読んでみてください。
この記事の続きに出しています。



只今次の本の推敲中です。古墳時代を行ったり来たりしています。
学校では習わなかった事ばかりなので、手探りです。


昨年から先月にかけて幾つもの講演をさせていただいたお蔭で全体が俯瞰できるようになって、今新しい視点でチェックしています。






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2015-05-13 00:00 | にっき | Trackback | Comments(0)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー