ひもろぎ逍遥

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豊玉姫の宮へ


豊玉姫の宮へ


今日は天気に恵まれて心地よいドライブルートを志賀島へ。
歴史講座は文献読みをしましたが、
熱心に聞いてくださってありがとうございました。

『志賀島所聞録』に書き取られた志賀島の歴史は、
伊邪那岐の禊で始まっていましたが、
その後は神功皇后の三韓征討が大きな画期だったようで、
皇后の伝承地が沢山ありました。

6年前には一行しか分からなかった話でしたが、
いつの間にか殆どフィールドワークしていたことに、今更ながら驚きます。


講座が始まる前、困ったことに、
新しいパソコンにプロジェクタをつなぐポイントが無いことが発覚。
事務所のパソコンを借りてピンチをしのぎましたが、
まさかのトラブルでした。
でも、USBをちゃんと準備していましたよ(^^)
パワーポイントの接続はいつもハラハラドキドキものです。




さて、講座が終わって志式神社に参拝しました。
豊玉姫へのご挨拶です。


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お潮井が沢山乗せられていました。

ご祭神が分かっての参拝なので、格別な思いです。
講座を終えて参拝された方ともバッタリ会って立ち話。
「隠されていたものが現れていますね」
と言われました。
これからは、そんな時期を迎えるのでしょうね。





奈多の海を見に行きました。
豊姫が海神から干珠満珠を授かった海です。
海風はもう冬の冷たさを含んでいました。


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by lunabura | 2015-10-31 20:42 | にっき | Trackback | Comments(4)

明日は



明日は志賀公民館の文化祭です。
私が担当する歴史講座は1:30から。

天気も良さそうですね。
福岡からはフェリー金印に乗っての来島が素敵です。
時刻表が昨年と違っているので確認して乗船してください。

また昨年はスリッパが足らなかったので、念のため、持ち込みをお勧めします。
車は漁港の広い駐車場に止めてください。

そこは、かつて「棚の浜」と言って、神功皇后の船に棚を取り付けた所だそうです。
皇后は祭壇が必要だったのかな。^^

弥生時代の棚ってどんなん?
そう思っていると、実際に出土しているんですね。
板は1センチほどの厚みに加工されていて、近代の文机とよく似ています。

木を切って板に加工するのに必要な道具を考えると、
古代も現代と大差ない道具があったのかもしれません。

当然、船を造る技術もあるのですから、精巧な匠の技があったはずです。

文机の本物は九州国立博物館にあります。
レプリカは吉野ヶ里の大型建物の中の巫女の前の祭壇になっていました。

弥生時代の技術力を過大評価している、というコメントを
かつて、いただきましたが、精巧な銅鐸や鏡、巨大な剣を
作れる時代ですからね。(^_-)-☆

銅鐸は現代の技術でもまだ再現できないんですって。
水銀朱の製造なんか、どれだけの工程をこなしたのだろうかと思います。


さて、明日は江戸時代に志賀島で取材された伝承の記録を読みます。
地味な作業ですが、時間をかけて読むことを積み重ねることによって、
歴史の確かな理解が進みます。

原典を読むのは知的好奇心を満たしてくれる楽しみもありますね。(^^♪

奇跡的に出会った『志賀嶋所聞録』を地元の方に伝えられる明日が楽しみです。



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(志賀海神社から海の中道をみる)



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by lunabura | 2015-10-30 21:08 | にっき | Trackback | Comments(0)

志賀島歴史講座の御案内


志賀島歴史講座の御案内



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昨年に引き続き、「福岡市志賀島文化祭 歴史講座」で話をします。 

今年のテーマは

       ―江戸時代、大門さんがやってきたー 
           『志賀島所聞録』を読んでみる


です。


大門さんとは糸島の老松神社の神職で、宮崎大門と言います。
江戸末期、1830年に志賀島に来て、地元の伝承を聞き取って『志賀島所聞録』を書き遺しました。

志賀島の地名と由来、安曇の系譜、山誉祭の神楽歌(セリフ)などが記録されています。
大門はこの聞き取りをしばらく放置していたのですが、安政4年(1857)に貴人の仰せがあって清書したということです。(人間とは今も昔も、あまり変わりませんね)

今回はこの本を、現代の地名と照らし合わせながら、志賀島の観光歴史ガイドブックとして読んでみたいと思います。
 
日時   2015年10月31日(土) 13:30~15:00
場所 志賀公民館  福岡市東区志賀島736-60 
          092-603-6706

駐車場 志賀公民館裏 漁協広場
バス  西鉄バス 志賀島バス停下車1分
船   ベイサイドプレイス 志賀島渡船(博多発) 船きんいん  
 出発時間  ① 9:40  ②10:15 ③ 11:50 ④12:30
                          (所要時間30分)

参加費 無料
申し込み方法  志賀公民館に電話かFAXで申し込んでください。
        電話 092-603-6706
        FAX 092-603-6172
主催 福岡市志賀公民館

当日のカフェ さざえめし ケーキ おまんじゅう など
      (事前予約をしてください)







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by lunabura | 2015-10-30 19:00 | お知らせ | Trackback | Comments(9)

岩波文庫が隠そうとした真実とは?



岩波文庫が隠そうとした真実とは?



先日、古代史ファンの数人で話し合ったとき、
中国正史に書かれていた倭国の話題が出ました。

このとき、
「岩波文庫が一行目を削除していた」
という、信じられない話を聞きました。

真実を書く文庫と思っていたのでショックを受けて、
どの正史で隠蔽が行われたのか、聞きそびれてしまいました。
岩波文庫の該当する本も持ち合わせていないので確認することもできません。

そこで、今日は「講談社学術文庫」の『倭国伝』から
列代の正史の冒頭部分を書き抜いてみることにしました。
これが結構面白かったです。


『三国志』(いわゆる魏志倭人伝)
「倭人」倭人は帯方の東南、大海の中に在り、山島に依りて国邑をつくる。

『宋書』
「倭国」倭国は高麗の東南の大海の中に在り、世貢職を修む。(貢物を持ってくる)

『隋書』
「倭国」倭国は百済、新羅の東南、水陸三千里に在り。

『旧唐書』
「倭国」倭国はいにしえの倭奴国なり。
「日本」日本国倭国の別種なり。

『新唐書』
「日本」日本はいにしえの倭奴なり。
(倭国の記事は『新唐書』には無い。)

『宋史』
「日本国」日本国は本(もと)倭奴国なり。

◇◇ ◇

講談社文庫では、「倭奴」を「倭の奴」と訳していますが、
「倭奴」としておきます。

こうやって、並べてみると、日本の国の変化がよく見えてきます。

紀元前には「倭人」という集団だったのが、
「倭奴国」→「倭国」としてまとまって中国と交渉するようになった。
そののち「日本」が東に出現して中国と交渉を求めてきた。
しかし、中国では「日本」を国として認めなかったので、
「日本国」とは書かなかった。
ところが、次の時代には「倭国」が消滅して「日本」が「日本国」となっていた。

こんな感じですね。

しかし、私たちはこの歴史を「倭国」が「日本国」に国号を変更したと教わります。

それはちょっと違ってたんですね。
「倭国」と「日本」が存在していた時代があったのですから。


こんな歴史を学校で教わったことがないから、
どこの歴史講座でも、ここをきちんと説明しないと会場がざわつきます。
これは私以外の講座でもそうです。

しかし、ここを押さえないと真実の歴史は語れないのです。

真実は真実。あるがままに説明する必要があります。
これまでは真実を捻じ曲げた「嘘」を国民は教わっていました。

一部の学者しか歴史書が手に入らない時代ではそれで済んだのかも知れませんが、
今では文庫本で手軽に読める時代になったので、
いろいろと隠されていたことが明らかになってきました。

でも、その文庫本も信じられないとしたら、困ったものです。

嘘をつかずに真実を隠す巧妙な手法があります。
それは「書かない」という手法です。

これは『日本書紀』がよくやる手法で、神功皇后を書いている時に気づきました。
豊浦宮の時、新羅軍に上陸されて皇居が襲撃され、
仲哀天皇があやうく殺されかかったこと。
このとき、天皇と皇后を守って阿部兄弟が戦死したこと。
天皇と皇后に宮殿を提供し、船を出した古代豪族、すなわち安曇族がいたこと。
それらを「書かない」ことで隠蔽した。


岩波文庫も同じ手法を取ったようです。
上のリストの内のどれを隠蔽したかったのでしょうか。
「書かない」ことで国民に教えたくなかった事とは何でしょうか。

いや、主犯は著者だよね。著者が隠したかったんだ。

さあ、準備は整いました。答えは何でしょうか。

でも、本がない (~_~;)
皆さんの中でそれを持っている方は教えてくださいな。
本のタイトルも著者も分かっていませんが… (^^;

私の住む田舎の書店に岩波文庫が置かれているはずもないし (-_-;)
真実を隠す本なんか買いたくないよ。





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by lunabura | 2015-10-29 19:50 | メモ | Trackback | Comments(4)

伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


羽根を広げたような博多湾の描き出す円弧。
その焦点の位置に志賀島がある。
島の最北部は国民宿舎があり、勝間海水浴場がある景勝の地だ。

そこには志賀海神社の三宮があり、綿津見三神がそれぞれの宮に祀られている。
沖津宮
仲津宮
表津宮
これらに祀られている三神はこの海から生まれた神々だった。

その三つの宮に囲まれた海域にはいくつもの名前がついている。

三瀬 神遊の瀬 大戸小戸 舞能ケ浜 御手洗

ここは伊邪那岐が禊をした海だった。

これは糸島の神職、宮崎大門が記録に残してくれていた話だ。
その記録を『志賀嶋所聞録』という。
次にその記録を要約してみよう。

【御手洗】
伊邪那岐大神が与美国の穢れを洗い清め給いしところ。

―イザナギは黄泉の国から戻ると海で禊をした。
衣服を脱ぎながら神々が生まれた。
海に潜ると綿津見の神々と筒男の神々が生まれた。
海と星の神々だ。
そして、最後にアマテラスとスサノオとツクヨミが生まれた。
そのうちの綿津見の三神がここに祀られている。
これを志賀皇神とか志賀大神という。

【神遊の瀬】しんゆうのせ
志賀皇神たちはこの三瀬で遊居されたことからここを「神遊の瀬」ともいう。

【大戸小戸】
神遊の瀬から入海に入ると奥に穴があった。
志賀皇神は神遊の瀬からこの穴に出入りされた。ゆえに「大戸小戸」という。

【舞能ケ浜】まひわざ
息長足姫(神功皇后)は諸臣を連れて志賀大神を招いたが、神は来られなかった。
諸臣は変だと思ったが、かがり火を焚いて天岩戸の神楽を奏すると、
志賀大神は金色の亀に乗って来られた。
ゆえにこの時の様子を9月8日の神幸の神輿の前で奏する。

―亀に乗って現れたのは安曇磯良で、神幸の夜は鞨鼓の舞が奏される。

◇◇ ◇

こうして、志賀島の北端で、イザナギの禊によって生まれた志賀皇神は、
この海域と奥の穴を行き来して遊居したという。

西暦200年、神功皇后はその志賀皇神に参拝するためにやってきた。
安曇族の祖神であり、自らの祖神にもあたる神に渡海の神助を得るためだ。

三宮の手前で馬から降りたことから、そこを「下馬ケ浜」という。
しかし肝心の安曇の長の磯良は、なかなかやって来なかった。

天岩戸の神楽を奏しようとしたが、アメノウズメの舞を舞えるものがいなかった。
臣下の中に、磯良が舞える、と言う者がいた。
磯良抜きで神楽を奏すると、磯良は金の亀に乗って鞨鼓を胸に下げ、
舞いながらやってきた。

志賀島の北端で起こった話だ。

ここでイザナギが禊をした。
そうすると、ここは「橘の小戸のアワキが原」ということにもなる。

イザナギの禊のために志賀島は禊が厳しい島となった。

志賀海神社では、参拝者は一の鳥居の前で「おしおい」で清め、
本殿前でもう一度清める。


『神功皇后伝承を歩く』下巻の表紙はこのシーンを伝えるために選んだ画像だ。
かつて神功皇后が馬から下りて歩いて行った浜辺には今も波が寄せている。

下巻には安曇族の物語が満ちている。
安曇族の功績は正史からは巧みに消されていた。
宮崎大門が残してくれた『志賀嶋所聞録』のお陰でそれを復元できた。
特に志賀海神社の項は長くなった。


奇跡的に出会ったこの小文を志賀島の方々に伝えたい。
そう思い、
今月の最終日、10月31日の志賀島歴史講座の題材に決めた。


神遊の瀬






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by lunabura | 2015-10-28 20:19 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(0)

ウィンドウズ10を買う前に



ウィンドウズ10を買う前に、東芝に、これまでのワードなどのデータが使えるかどうか尋ねてみたら、当社では分からないのでマイクロソフトに尋ねてください、と言われました。

尋ねる余裕もないので8.1を購入したのですが、昨日ブラザーから、
これまでのプリンターは10には対応していないとの連絡がありました。

数か月前に購入したばかりのものも使えないとのこと。

8.1を買ってよかった。

ウィンドウズ10を買いたい方は、周辺機器の各メーカーの動作テストが終わってからの方が賢明のようですね。

新パソコンはまだまだインストールし直すものもあって、時間が取られてばかりです。
8.1では従来のメールが設定できないということも分かり、
新旧二台のパソコンを机の上に広げています。

買ってみないと分からないというのも困ったものですね。




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by lunabura | 2015-10-27 20:10 | にっき | Trackback | Comments(4)

神武天皇の諱は彦火火出見だった (@_@)



神武天皇の諱は彦火火出見だった (@_@)
 

え?
皆さん、知ってました?

神武天皇の名前を改めて確認しようと思って『日本書紀』の「神武天皇の巻」を開いて思わず二度見しました。

「神日本磐余彦天皇、諱(いみな・ただのみな)は彦火火出見。」
と書いてあったんです。
諱(いみな)とは実名。
まさか、神武天皇の実名が彦火火出見とは。

それでは、あの彦火火出見は誰だ?
そう、豊玉姫の夫こそ、彦火火出見ではなかったっけ?
と思って豊玉姫の夫の名前を探すと、ちゃんと彦火火出見と書いてある。
こちらは山幸彦。

二人の彦火火出見がいるなんて!


神武天皇には次のような別名がありました。

 神倭伊波礼琵古命 かむやまといわれびこのみこと
 神日本磐余彦尊 かむやまといわれびこのみこと
 始馭天下之天皇 はつくにしらすすめらみこと
 若御毛沼命 わかみけぬのみこと
 狹野尊 さののみこと
 彦火火出見 ひこほほでみ

山幸彦の別名は

 天津日高日子穂々手見命 あまつひこひこほほでみのみこと
 日子穂穂手見命 ひこほほでみのみこと
 火折彦火火出見尊 ひおりほほでみのみこと
 火々出見尊 ほほでみのみこと
 火遠理命/火折命 ほおりのみこと

そうすると、彦火火出見と書かれていた場合、山幸彦か神武天皇かを確認しないといけないことになります。

糸島の山々に祀られる「彦火火出見」とはいったいどっち?






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by lunabura | 2015-10-26 21:21 | メモ | Trackback | Comments(4)

7年目



7年目に入った今日、新しいパソコンで投稿します。

旧パソコンはブログを書き始めたあとで購入したので、6年近く活躍してくれたことになります。
その間に、通信手段は大変化をしました。
もっともっと進化していくのでしょうね。

当ブログのほうは深化していきたいと思います。
変化もありかな。

一つのテーマをまとめてみたり、
メモだけを書いたり。

原典を読んでいると、びっくりすることに出くわすのですが、
きちんと記事にするのには多大な時間がかかるので、
メモ書きとして、ツイッター並みに短いものも有りかも。

私自身、ブログ内での検索を頼りにするようになったので、
短文も残しておけば便利だなと思うようになりました。

さて、6年間で投稿した記事の数は1051件でした。

これを地域別のファイルに閉じたり、テーマ別のファイルに閉じたりしています。
少しずつそれらをまとめてみたいなと思っています。

文章修行です。


これからもよろしくお願いします。




(パソコンのお引越しは時間が掛かるんですね。もう少し格闘します(^^; )






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by lunabura | 2015-10-25 22:46 | にっき | Trackback | Comments(6)

志賀海神社・御神幸祭(3)磯良の舞


志賀海神社

御神幸祭(3)磯良の舞






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神輿がお旅所にやってきました。





三基が並ぶと、ムシロが敷き並べられて、いよいよ神楽が始まります。
と、その時、いきなりの雨。

先程より強い雨がムシロをたたきます。
敷き詰めたムシロを畳み、並べられた椅子も片付けて模様見です。

私も祠の軒先で雨宿りしていると、社人(しゃにん)さんが一人、雨宿りに入って来ました。

「こんなことは初めて。雨が降ったことなど一度も無かったんですがね。もともとおくんちだったのを10日にしたんですが、(十月十日は)特異日だから雨は絶対降らなかった。最近は祝日が動くんで(雨に遭った)」

夜中に降りだした雨は止むのか、先行きは分からない。

それでも、30分すると雨が小止みになり、社人さんが飛び出して行きました。

「夜渡(よど)の祭って、どんなんですか?」
と隣の人に尋ねていると、飛び出した社人さんが立ち止まって振り返って言いました。
「これが夜渡の祭ですよ!」

そうか。今からそれが始まるんだ。

真鍋の書いていた「夜渡の祭」だ。

そして、これこそ神楽の初源とも言えるものでした。




「龍の舞」(たつのまい)

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龍(たつ)の都、志賀島の神、綿津見の神は龍神です。






「八乙女の舞」

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これから海を渡る神功皇后が海神に捧げた八人の神楽舞。
こうして、1800年経っても、その祈りが続けられています。











「磯良の舞」
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最後は磯良の舞です。
鞨鼓を胸に下げ、白布を顔に下げ、右回りで三度回ります。

「まいのうのきしの、ねまつや~」
(舞能の岸の根松や)(子松?)


白い浄衣のアントンイソラ。
シリウスの名を持つ海人族の長。



ついにその歌を聞きました。

「まいのうの岸の、ねまつや」

「舞能」とは勝馬の海。江戸時代には「まいわざ」と言っていました。



「志賀嶋所聞録」ではこう伝えています。

舞能(まひわざ)
昔、息長足姫尊、諸臣を集めたまいて、志賀大神を召し奉り給うに、神は来られなかった。

ここにおいて、諸臣ら怪しみ、かがり火をたいて、賢木(さかき)の枝に白幣を取り掛けて「天の磐の神楽」を奏されると、志賀大神は金色の亀に乗ってあらわれた。

故に、九月八日、神幸の神輿の前に舞能という事、一奏あり。その時の形相(かたち)を表すとはいうなり。
(綾杉、原文を変更)



こうして、志賀島の北端、勝馬の神遊瀬(しんゆうのせ)は舞能ケ浜とも言うようになりました。

ここはイザナギ尊が禊ぎをして神々が生まれた小戸でもあります。





ブログを書き始めて六年です。
思えば、この六年という月日は神代の志賀島の姿を理解するために紡いできた日々でした。

香椎宮から始まり、志式神社の磯良舞を見、高良大社で見せられた高良玉垂宮縁起絵巻。
それを理解するための日々。

そしてようやく舞能の岸の磯良舞を見ることができました。

神功皇后のガイドブックを製作するとき、参考にしたのは『日本書紀』でしたが、安曇族の姿が巧妙に消されていました。

そのため、『神功皇后伝承を歩く』は神功皇后の物語でありながらも、消された大王を復元する物語でもあったのです。


その消された歴史は奇蹟的なシンクロニシティの連続で教えられました。

例えば
「香椎宮史」
「天照皇太神宮史」
「高良玉垂宮神秘書」

これらは、それぞれの人から不思議な御縁で届けられた本です。



今なら、言えます。
安曇磯良は倭奴国に君臨した大王でした。
高良玉垂命、その人でもあります。

しかし磯良の名は巧みに消され、玉垂命の真実も闇に押し込められました。


私が本や講座でお伝えした時代は次の三つです。

神功皇后の時代。
磐井の末裔たちの時代。
斉明天皇と中大兄皇子の時代。

これらが横糸なら、縦糸を紡いで壮大な歴史のタペストリーを織りなす段階に来ているのかもしれませんね。

このブログは明後日、6周年を迎えます。





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by lunabura | 2015-10-23 20:58 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(13)

いよいよ、危うし

 

今日はパソコンがシャットダウンしまくって、末期症状が現れ出したようなので、
さすがに買い替えをすることにしました。

機種を選んでクリックする寸前に、ちょっと待てよ、これで本当にパワーポイントが使えるのか?

と気になって、メーカーに尋ねてみると、何と、使えないとの返事。
オフィスソフトも、パーソナルではパワーポイントは駄目なんですね。ビジネスでないと。

確認して良かった。
危うく、泣きを見る所でした。

そして、夜になるとサクサク動いたので、また買う気が失せるのですが。(^_^;)

もし、ブログ、だんまりが続いたら、新しいパソコンと格闘しているなと
思ってくださいませ。





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by lunabura | 2015-10-22 21:41 | にっき | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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