ひもろぎ逍遥

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系図途中経過



今日の大掃除は天井などをやったので、
いつもと違う体力を消耗しました(^^;
その合間に、鞍手町誌を読んでます。

六ケ岳上宮の祭祀を始めたのが長田彦(おさだひこ)って
書いてあったので、
町誌に載っているのを思い出したのです。

長田彦は小狭田彦とも書いて、香月氏の始まりの人なんですね。
小狭田彦の孫が神功皇后軍に従軍したので、
何度も読んだ本です。

「磐井の末裔」のことも載っているので、その時も読みました。

でも、あまり理解できていませんでした。
「脇巫女」で土地勘が出来始めたので、急に理解が進んで来ました。

六嶽神社には宇佐宮から辛島禰宜が参詣に来てます\(◎o◎)/!
宇佐との関係が出て来た!

まとめるのに時間が掛かりそうなので、今日は途中経過を。

パソコンを変えたあと、従来、系図を作る時に利用していたソフトが
使えなくなって、いろいろ試みて、ようやく良いものを見つけました。


系図を作っているといろいろと閃きが来るので
時間が掛かっても大切な作業です。



さて、途中の系図です。


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小狭田彦を赤で囲みました。福岡県神社誌に書いてあったのが次。
「成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、
この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。」
山上が六ケ岳です。
長田彦=小狭田彦です。
ヤマトタケルを先導したそうですよ。

そして、系図の上の方には市杵島姫とか、ニギハヤヒの名が…。(驚)
まるで「脇巫女」の世界そのものです。

町誌には室木に「タタラグチ」という地名があったようにも書かれています。
古墳から出てくるおびただしい鉄製品は地元産らしい!

「ミルザムとシリウス」を「砂鉄と出来上がった鉄」と
みなした部族がいた可能性も出てきました。

鞍手の白山神社が行方不明になったそうですが、
久山町白山神社の場合、ご神体が鉄滓だという事なので、
鞍手にもそのような信仰があった可能性があります。

今から、系図の続きをやります。

以上、今日は、忘れないためのメモでした。





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by lunabura | 2015-12-30 21:45 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(8)

脇巫女26 六獄神社縁起


脇巫女26
WAKIMIKO

六獄神社
むつがたけじんじゃ


今日は肝心の六嶽神社に関して過去記事を編集しなおしてみようと思う。

西川を遡りながら町の一番大きな山に向かって行くと、
田んぼの中にぽつんと鳥居が見えて来る。

c0222861_13344614.jpg

両脇の植え込みを過ぎると石段だ。


c0222861_13352028.jpg

ひと登りすると、さらに石段と鳥居が迎えてくれる。


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だんだん古代の世界にいざなわれるようだ。


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ここちよい杜の中を抜けていく。
足元は松の落ち葉がふわふわと気持ちいい昔ながらの道だ。
ずっと奥にお宮が見えて来た。

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とても古い趣だ。
古来、賑わった華やかな残り香がそこかしこに漂っている。


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陽光が降りそそぐ、拝殿前に出た。


参拝を済ませて、案内板を読んでみた。
六獄神社由来
紀元前700年のころ、皇女三神 霊山六獄崎門峰に御降臨あり、この地を上宮と定め室木の里に下宮を建立し、安産交通安全の守護神として鎮守の杜とす。
御祭神 田心姫の神 湍津姫の神 市杵島姫の神
大祭日  春季大祭  4月8日 秋季大祭  10月17日
六獄神社社務所


今から2700年頃前に、三女神が霊山・六ケ岳(むつがたけ)の
崎門峰(さきとやま)に降臨されたので、
そこを上宮とし、麓の室木の方を下宮としたという。

三女神は現在は宗像市に祀られているが、降臨の地はこの鞍手町の六ケ岳という。

この山は特別な山として崇敬を集めていた。



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正面が六ケ岳。
最高峰から左へ、旭岳(あさひだけ)、天冠(てんがい)、羽衣
高祖(たかす)、崎戸(さきと)、出穂(いずほ)。

この山にはニニギノ命の御陵も伝わっている。
旭岳になきがらを、天冠岳に冠を、羽衣岳には衣を埋葬したという。

左手前の方にはヤマトタケルの住まいがあった八剣岳が見える。
この六獄神社は右下の方にある。

境内は巨木に囲まれて、森厳な趣に包まれているが、
裏手に木がなければ六獄を遥拝できたと思われた。


御神体は玉と鏡だった

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『福岡県神社誌』を見てみよう。
六嶽上宮としていて、
由緒は宗像三女神が影向(ようごう)された霊地である。

成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、
この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。

これがこの神社の始まりで、昔は堂々とした社殿だったが、
享禄年間に燃えて、社殿が無くなってしまったので、
御神体を下宮に移してその後、社殿が再び作られる事は無く、
今わずかに石殿が一宇あるだけである。
 
影向(ようごうー神が一時姿を現すこと)
神籬(ひもろぎー神が降りる所)


成務天皇の御世に、長田彦に神示が降りて、
六ケ岳の山上にヒモロギを作って、お祀りをしたという。

昔は山上に社殿が建っていたのが、戦国時代に火災に遭い、
石の祠だけが残った。御神体はこの下宮に移された。

成務天皇と言えば、ヤマトタケルの弟である。
と言う事は、そばの八剣岳でヤマトタケルをもてなした記憶が
まだ新しい頃の話だという事になる。



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続きを読もう。

『宗像宮縁起』の記事に『西海道風土記』に、宗像大神が天より降って、崎門山にいます時から、
青蕤(ずい)玉」を奥宮の表に置いて、
八尺瓊(やさかに)の紫玉」を中宮の表に置いて、
八咫(やた)の鏡」を辺宮の表において、
この三表が御神体の形となって三宮に納めて、人の目に触れないようにした。
これによって身形(みのかた)郡といい、後の人が宗像(むなかた)と言い改めた。
『筑前国続風土記附録』


「奥宮、中宮、辺宮」という三つの宮のそれぞれに御神体が置かれたという。
それはどんな姿だったのだろうか。一つずつ調べて行こう。

「青蕤(ずい)玉」
「蕤(ずい)」を調べると「垂れさがる花・実」の意味とあった。
「青」は古代では「青」も「緑」も青と呼んでいた。
さらに「灰色がかった白」を指すこともある。
形は垂れさがるイメージからは勾玉だろうか。

「八尺瓊(やさかに)の紫玉」
「八尺」は長さの単位。
「八尺の長さの紐に通した」という説や「大きい」という説がある。
「瓊」は玉。
「大きな紫玉」という事か。

「八咫鏡(やたのかがみ)」
「八咫」も古代の寸法だが、「大きい」という意味で解釈されている。
真鍋は13歳の女子が両手の親指同士、小指同士を合わせた円
の大きさと伝えている。




次の写真は地元の古墳から出土した玉である。
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(鞍手町歴史民俗資料館)





地図 六ケ岳 六嶽神社 神興神社 宗像大社


福岡県鞍手郡鞍手町室木





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by lunabura | 2015-12-28 21:28 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(0)

脇巫女 25 神秘のセイリオス


脇巫女 25
 WAKIMIKO
神秘のセイリオス


2015年12月25日。

ようやく天気予報に星マークがついた。
六ケ岳に出るシリウスを観測するチャンスだ。
カレンダーを見ると、すでに「シリウス観測」というメモを
その日の所に書き込んでいた。
星読から初めて聞いた日に書き込んだものだ。
結局、当初の直観が正しかった。

この日をメモしたのには理由があった。

古代の人が冬の間ずっと出続けるシリウスを祀るために
祭日を設けるとしたら、新月か満月の時だろうと睨んだのだ。

しかし、新月を待つとしたら来年になってしまう。
それなら、満月しかないな。一番星が見えない日だけど、
と思いながらチェックしたのだった。

今年は満月とクリスマスが重なる。
ベツレヘムの星はシリウスとも言われている。
何か意味ありげでもある。

タツさんの予測した時刻は20:30。
シリウスが六ケ岳山頂で輝く時間だ。
実際に確認した星読が「その10分ほど前に稜線に現れて山頂に昇っていく」
という興味深い現象を話したので、20時頃に現地入りすればよい。

いや、待てよ。
夜だから場所が分からない事もあるかもしれないから、もう少し前だ。
と考えて7:50には到着するようにした。

六嶽神社に行って参拝を済ませて境内の右手から出れば目的の公民館がある。
しかし、夜中の神社は漆黒の闇に包まれていて、さすがに恐ろしげだった。
すぐにあきらめた。

次に公民館を目指すが、ナビに出てこない。
最初の路地から入ってみて、星読を待つことにした。
まもなくやって来た星読に先導されて六嶽神社の裏手に出た。
やはり、案内人がいなくては夜中の探査は無理だった。

公民館の周囲は明るかった。
「ボッコン、ボッコンの左の方」
と星読が崎戸山を教えてくれるが、それじゃあ分からん。
ボッコンという単語は私には引っ込んだ所という印象なのだ。
星読にとっては山を指す表現らしい。
星を見ているうちに、二つのピークの左手が「崎戸山」ということが分かった。
「崎戸山」(さきとやま)こそ、三女神が降臨したと言われる山なのだ。

観測ポイントを決めたので、裏手から入って六嶽神社に参拝する。
初めて当社に来た時もこの道からだったが、
木の根に足を取られ、記憶とは違う道のように思えた。
社前に出て、ようやく見慣れた景色を思い出した。

常夜灯が一つだけ、境内を照らす。
参拝を済ませて上空を見ると満月が木の枝の向こうに輝く。
足元はまるで木漏れ日を通したような影が出来ている。

そして、拝殿の屋根の上方にオリオンの三ツ星がかすかに姿を見せていた。
星読がメールで「三ツ星が三女神ではないか」と言った理由が腑に落ちた。

三女神を祀る神社の上空に三ツ星が掛かろうとしていた。
もうすぐ、真上に来るだろう。
まっすぐ。立ち上がって。

「ここに座って見上げると、六ケ岳が正面に見えて、
シリウスと三ツ星が縦に並ぶのが見えたのでは」
と星読が言う。

星読の心にはアグラをかいて星の出を待つ氏族の長(おさ)の姿が
あるようだった。
その発想は私にないものだった。
星読自身が過去世で、ここでそうやって祀ったのだろう。
そして、2700年経って再発見した。
そう考えると面白い。
過去世をやり直すことは、ままあることだ。

私は初めて三脚を設置した。
デジカメも「星空」バージョンだ。
こんなことは明るいうちにして置かねばならない、
とテレビで言っていたが、本当だった。

夫が懐中電灯で照らしてくれて、シャッターを押せる状態になった。
――ようわからん。押してみるわ。
すると、いきなり「15秒」が出てきて、
カウントダウンし始めたのでびっくりした。
何と便利なのだ。

こんな風にごたごたしていると、
星読が公民館の方から「ミルザムが頂上に出た」という。
三脚を持って移動する。

もう、少し離れていた。
「撮れた?」
「分からない」
星影のような小さなものはパソコンに移さないと分からないだろう。
「ミルザムを撮ってから、神社に戻って三ツ星だね」
「そして、公民館でシリウスの出を撮る」
結局は、もう一度神社に戻って三ツ星を撮った。
次回はこれで行こう。

本来、境内から見えていたと思われる景色は
社殿と杜があるので、行ったり来たりして撮らねばならない。

外気温は5度。

満月に照らされる崎戸山を見つめる。

宙でピカッピカッと何かが光った。

そしてその真下からついにシリウスが出て来た。

樹木の間からクリアなプラチナ色がぽつんと見えた。

太陽と違って光芒がないのでクリアだ。

色は赤、青、緑、黄色、白と変化しながら光彩を放っている。
白銀色ではあるが、チカチカと変化しているのだ。

全体が出ると、シリウスは稜線を昇り始めた。
速い。
シリウスの動きが目で観測できるのだ。
木のいただきを一つ一つ辿りながら動いているのがよくわかる。
まるで意思を持つ者のように。

三分の一ほど稜線を辿るとシリウスは上を見た。
そしておもむろに稜線を離れていく。
離陸した飛行機より大きな角度でぐんぐんと頂上を目指す。
シリウスが頂上のラインに達した時には山頂からかなり上だった。
タツさんが計算した通りだった。

そして、私たちは更にその上で淡く輝くオリオンの三ツ星も気にしていた。

山頂と三ツ星とシリウスが一直線に並ぶのではないか。

シリウスがガンガン昇ってくるのを三ツ星は歩調を緩めて待っていた。
それはまるで三女神がセイリオスを待つ姿に見えた。

シリウスの別名、セイリオス。
これがセオリスと変化したのなら、まさしく
セオリツ姫を三女神がお守りするような位置関係だった。

だから、六つのピークのうち、三女神が降臨したのは
「崎戸山」でなければならなかったのだ。

三女神が降臨したというのはこの瞬間ではないか。

そして、何故その時、セイリオスが山頂にあるのか。

その訳は星読の託宣にヒントがあった。
クマソの絶対神セオリツ姫の血を受け継ぐ巫女が三女神なのだ。

「周囲の四つの星は三女神を祀っているように見えるね」
と星読が言った。
――まるで四天王のように、と言いかけて私は止めた。
それは仏教的思想だ。
しかし、思えば三つの星を囲んで四方に鎮座する星々の位置関係は
仏教の曼荼羅とそっくりだ。
阿弥陀の両脇を脇侍仏が固め、四天王が四方の睨みを利かす。
まるで、オリオン座そっくりだ。
四天王の発想もまた、オリオン座から生まれたのかもしれない。
知識による先入観は豊かな発想を封じ込める。
こうして現地で感じるものこそ、古代の人の発想を知ることになるのだ。


崎戸山の稜線は黒く神奈備山のシルエットを描いていた。
シリウスを追う間、残像が白い雪のように山を覆ったり、
雲のように下がったりする。
二人の男性は神秘的だという。
山のオーラが変化しながら輝いているという。

この不思議な山の変化を残像と思い込んだ私は
どうやら男性陣より夢のない人間のようだ。

そして、私たちは拝殿前に戻って三ツ星を見上げた。
ようやく三ツ星が真上に移動してきた。
シリウスがあれほどの距離を移動した間に
三ツ星はほんの少ししか移動していなかった。

もう一度シャッターを切った。

これがその写真だ。

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三ツ星信仰がここにあったに違いない。





しかし、シリウス信仰は?
それは長谷寺の主仏が十一面観音という形で残されているかもしれない。
十一面観音はセオリツ姫のもう一つの姿とされているからだ。









こちらがシリウスの出。

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三ツ星とシリウスと崎戸山。

c0222861_22175962.jpg





試しに撮ってみると、想像以上に撮れていた。
しかし、キラキラと色を変えるシリウスはやはり静止画像では分からない。

いつか、町おこしとして、撮影大会を催してこの神秘の現象を
多くの人に見ていただきたいと思った。

それが、物述の魂たちを呼び出す手段になるのかもしれない。





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by lunabura | 2015-12-26 22:21 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(10)

脇巫女 24 ミルザム


脇巫女 24
WAKIMIKO
ミルザム


ミルザム星はシリウスと同じ大犬座にあり、
シリウスよりほんの少し先に昇ってくる。

初めて聞く星の名だったが、真鍋はその倭名を伝えていた。
それは鐸石別星(つくしわけのほし)という。

鐸石別の名の皇子がいた。

『古事記』に出てくる伊登志別王(いとしわけのきみ)のことで
筑紫(ちくし)では鐸石別命と言ったそうだ。

この命は垂仁帝(すいにん)(前29~後70)の皇子で、
筑紫の人々は蹈鞴(たたら)の元祖として敬っていたという。

鐸石別命は豊前足立山(あだち・北九州)に祀られていたそうだ。
足立山は龍体だと、友人が言っていたことを思い出した。
実際に登ってみると、ところどころに露出した岩は
まるで龍のウロコのように見えた。

足立山の名の由来は、そこで和気清麻呂(わけのきよまろ)が
追っ手に足を切られたが、幸いに治ったことからついたと聞いた。

この和気清麻呂こそ、
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)の天皇即位を阻んだ人だ。

宇佐での託宣事件は当ブログでも紹介した。
そこでは占星術が行われていたという。
脇巫女たちが逃れた先で伝えていたのだろうか。


さて、タタラの元祖・鐸石別命は和気清麻呂にとって祖に当たるという。
和気氏の拠点は備前国藤野で、鉱産氏族であり、医家でもあったという。

ゆえにだろうか、鐸石別命は工人や医人の元祖として拝まれていたが、
天平の世から薬師如来になり、
行基菩薩の石像が祠に安置されるようになったと真鍋は言う。


冬の凍てつく夜にオリオンの後を追って昇ってくるミルザム星を見て、
工人たちは仕事の出来を祈ったのだろう。
その直後、全天一の明るさを誇るシリウスが昇ってくる。
その輝きは工人が作り出した鉱物の輝きと重ね合わされたのかもしれない。

ふと、そう思った。

そして和気氏の活躍を知る人は「医術」の神としても祈ったのだろう。


このミルザム星を見て「ささらのほし」という人たちもいた。
「さざれいし」の古語だ。
「さざれいし」は「細石」とも書くように、砂鉄(磁鉄鉱)のことである。

これを鉄に還元する名匠は伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、
後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼ばれた。

そう、糸島の五十迹手(いとて)の話の時にもよく出て来た名だ。
あのシリウスの輝きが込められた名でもある。

そうすると、ミルザムは砂鉄。シリウスはその結晶。
そう見立てて仕事の成功を祈ったというストーリーも生まれてくる。


思えばここ、鞍手は石炭が採れる所だ。
「燃える石」に関しては古文書に登場するのは中世頃らしいが、
当然ながら古代人たちはそれを知っていたことだろう。
物部たちがこの地を制したのはこの「燃える石」も一因だったのかもしれない。


ミルザム星にはさらに真金星(まがねのほし)という名もあったという。

   真金吹く 丹生(にふ)の真朱(まそほ)の 色に出て
   言はなくのみそ 吾が恋ふらくは
                (万葉集巻14 詠み人しらず)

「まそほ」の色はサイドバーにある下巻の帯の色だ。
デザイナーが私のために、日本の色から選んでくれた色だった。


ミルザム星にはさらに吉備星、気比星という名もあった。
ここで再び「吉備」の和気清麻呂にループした。


他にミルザム星は相模星(さがみのほし)、さねさしの星とも言った。

  さねさし さがむのをのに 燃ゆる火の
  火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

  (古事記景行紀 弟橘比売(おとたちばなひめ)の御歌)

「さねさし」とはタタラの火の勢いを加減調整する名匠のことだと真鍋は伝える。
そうすると、意味不明とされた初句二句には
産鉄の名匠の見つめる炎のような熱い恋が詠み込まれていたことになる。

まさか、ここでヤマトタケルのために海に身を投じた姫の歌が
出てくるとは思ってもいなかった。


そして、今回は行基の名も出て来た。

鞍手には長谷寺がある。
奈良より古いこの古刹(こさつ)の十一面観音が行基の作とも言われている。

この長谷寺が長遠寺別院(じょうおんじべついん)の真北6キロの所にあるとなると、
ここにも解き明かされることを待つ謎が残されているようだった。



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by lunabura | 2015-12-24 22:25 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(5)

脇巫女23 オリオンの三つ星とミルザム?


脇巫女 23

オリオンの三つ星とミルザム?



星読から六ケ岳のシリウスの出の報告があったのはいつだったろうか。
手帳を見ると12月8日となっていた。
今日は2015年12月22日。

あの日から一夜も、星の出を観ることはできない。
今夜も薄雲が広がってオリオンの三つ星が辛うじて見える程度だ。

ステラシアターをダウンロードして星の出を観てみることにした。
今日の六ケ岳の山頂にシリウスが至る予定時刻は20:43だ。
その10分前にシリウスは鞍部に出てくるという。

星読が現地入りしていた。
20:20
星読から「三女神はオリオン座の三連星に関係あるのでは…」とメールが来た。
気になった。
六嶽神社の絵馬の三女神は二つの山の窪みの真上に
描かれていたのを考えていたからだ。

ちょうどその位置に三連星が立つなら
三女神がセオリツ姫を先導するようなイメージとなる。

20:26
「別の星が山頂から上がった」とメール。
星図を見ると「ミルザム」のようだ。
この星にも何か意味づけがあるかもしれない。


c0222861_0344177.png

20:43の星図だ。
これは福岡市からの観測図。
鞍手ではないので正確ではないが、
このシリウスの真下に六ケ岳の頂上があるイメージだ。

真鍋の本を調べると、「ミルザム」は
鐸石別星(つくしわけのほし)と言ってタタラに関連する星だった。
時代は紀元前だ。そして宇佐や和気氏にも関連があった。p218

また、じっくりと調べることにしよう。

そして、実際に見て確認しないとこれらは妄想に過ぎないのだ。




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by lunabura | 2015-12-23 00:36 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(0)

宗像大菩薩と「なかて」シリーズの件



過去記事の<宗像大菩薩と「なかて」>シリーズに番号を打って、
順に読めるようにしました。

(1)宗像大菩薩とは男神だった
(2)紅白の「なかて」と北欧神話フライヤとユール
(3)紅旗と白旗・古代の宗像の王と旗
(4)「なかて」はメイポールと同起源
(5)古代の紅とシルク

カテゴリは「宗像大社」です。
http://lunabura.exblog.jp/i37/


「宗像族」と「水沼族」(むなかた族とみぬま族)
どちらも三女神を祀ることから、
その関係をブログの当初から考えていて、
両族は同族だという自分の仮説を検証している段階です。

宗像氏の系図を書いた本があって、祖先は「出雲族」でした。
これに関しては「宮地嶽―磐井の末裔」本でも少し触れます。

今、それらをまとめると、
「出雲族」と「水沼族」が通婚して「宗像族」となった、
という感じになるのかな…。

宗像族にとっては、父系が大国主命で、母系が三女神となります。


さて、
今日は、志賀島の歴史講座を投稿できるかなと思っていましたが、
先方との確認がまだできていないので、明日ぐらいになると思います。

「高良玉垂宮神秘書」を安曇族の観点で構成しようと思っています。


で、「神秘書」には「物部を秘す」と書いてあります。
秘密だと言われると、ついつい、突っ込んでしまうよね (^_-)-☆

でも、志賀島ではあまり突っ込んではなりません。
このあたりが工夫のしどころです。

「脇巫女」でも水沼族と宗像族と物部氏が話題になっていますが、
高良山の麓でも近い時代の物部氏のようすが見えてきます。

宗像の高磯強石将軍とか、物部氏の武内宿禰とか、
具体的な名前が出てくると、急にリアルになるので面白いです。

「脇巫女」が中断していますが、
これがどうなるのか、私も知っていません。

忙しくなるのが分かっていたから、急いで投稿していたのですが、
予定外の講座が入ったので、こちらを優先しています。

でも、どれもがリンクし合っているので、お付き合いくださいね。




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by lunabura | 2015-12-20 21:05 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(0)

(1)宗像大菩薩とは男神だった


 
(1)宗像大菩薩とは男神だった


平安時代以降、歴史が絶えたという筑後の水沼族(みぬま)。
宗像では、いずこからかやって来たのか分からない宗像族
宗像市の宗像大社に関しては平安時代以前に遡る記録をまだ見つけていない。
両者には三女神を祀るという共通点がある。

ミヌマカタとムナカタ。多分これは同一氏族。
そんな仮説で、解決しなければならない問題が有る中に、「宗像大神」がありました。
それは福津市の縫殿神社に祀られる縫姫の兄媛を引き止めた神です。
この宗像大神はいったい誰だろう。


呉から連れて来たの縫い姫は四人いたのですが、宗像大神がどうしても一人置いていってほしいと言われたんですね。それで兄媛が福津に残ったのですが、この「宗像大神」とは誰なのか。
 これは応神天皇の時代の話です。すなわち神功皇后の御子の時代です。

そして、別件で「御長手」を調べていた時、『宗像大菩薩縁起』に、次のような文があることが分かりました。
「宗像大社の無形民俗文化財」 森弘子 より
http://www.okinoshima-heritage.jp/files/ReportDetail_22_file.pdf

「御長手」の起源について『宗像大菩薩御縁起』(以下『御縁起』)「強石(ごうせき)将軍(今宗像大菩薩)依神功皇后勅命三韓征伐事」14)の項に、次のように記されている。
神功皇后出兵の折、一人の老翁が「御長手」を捧げて出現し、自分は瑞穂国の帝であり、天照大神の御子である。これまで夷敵征伐7度の棟梁を務めた「高礒(たかいそ)強石(ごうせき)将軍である」と名乗った。強石将軍は今の宗像大菩薩である。

『御縁起』によると、宗像大菩薩とは高磯強石将軍という人物で、神功皇后の新羅の役に参加している男性でした。三女神ではなかったんですね。老翁の姿だし、天照大神の御子なので男神に間違いありません。

アマテラスの五人の子の名前は「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命」。この中の誰かということになります。でも、今日のテーマはこの中の誰なのかということでなく、ミヌマとムナカタに関しての考察でした。

引用文の先にはこんな文が載っていました。
武内大臣は赤白二流の旗を織り持ち、強石将軍(宗像大菩薩)の御手長19)に付け、これを軍の前陣に捧げて進んだ。軍が旗を指すことはこの時より始まった。

「武内大臣が紅白二流の旗を織り持」ったという話は織幡神社に出てきます。るなのお話会では毎回出てきますね(^_^;)

この紅白の旗を捧げて進んだのが強石将軍だというのです。


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宗像大社の「みあれ祭」紅白の旗がなびく

ガイドブックなら「4織幡神社」を見てね。そこに「この旗を戦の時に司った神を旗指大明神と言い、宗像市多禮(たれ)の指来(さしたり)神社に祀られているという」と紹介しています。

ここはまだ参拝していないのですが、捨て置けない伝承だったので本に書いておきました。どうやらこの神が宗像大菩薩だということになり、その拠点は宗像市多禮にあるということになりそうです。


ここまで考えていたところで急ぎのゲラ刷り校正が入って来て、この記事はストップしました。

そして本の校正のため、三女神を祀る久留米の赤司八幡神社の資料を見直していたとき、「宗形金己呂神」という名が出て来たのです。\(◎o◎)/!

この神は「キンコロ」と読むのでしょうか?「強石」と意味が通じそうな名前です。でも分からない。

分かるのは「宗形神」が筑後国に祀られていた。しかも数カ所もということ。
これは天慶二年(939年)、平安時代の記録です。これをどう解く?

平安時代の終わりごろ、筑後国では既に宗像神が各地に祀られていた。ということは水沼はすでに筑後で宗形に変化していた?

一方で、宗像には旗指大明神がいて、強石将軍と言い、のちに宗像大菩薩と称されるようになった。この一族が呉の縫い姫を留めた?

これらを時代的にどう解く?

「そうだね。今日は頭も働かないし、備忘録ということにしておこう。あとは訪問者諸君に解いてもらいたまえ。」 (-。-)y-゜゜゜
と、るな探偵は仰せになるのでした。

土地勘がある人でないと、多分さっぱり分からないテーマでした (+_+)
とりあえず、「宗像大菩薩とは男神なり」だけはクリア。



赤 宗像市 多禮   青 久留米市 赤司八幡神社




2015,02、27


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by lunabura | 2015-12-20 20:22 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(8)

(2)紅白の「なかて」と北欧神話フライヤとユール


(2)紅白の「なかて」とは神を先導する器

北欧神話フライヤとユール

今夜は獅子座が空を駈けながら木星を咥えようとしていました。

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今日は3月14日。三寒四温の波の中、暖かい日差しに騙されてコートを着ずに外に出ると冷たい風に身を縮めてしまいます。

そんな冬とも春ともいえない季節に夜空を駈けるのが「獅子座」。獅子座は占星術では7~8月生まれの人の星座なので夏を思わせますが、これは春の星座だそうです。

今日は真鍋を紐解きましょう。(『儺の国の星拾遺』p129)獅子座ヅール星
獅子座を軒轅(けんえん)といった。黄帝軒轅氏(前2698~2599)の御車のことである。(略)

軒轅とは早春の星である。これを古人は仲女星(なかてのほし)・中條(なかてのほし)といった。「なかて」とは長門(ながと・仲渡)とも書く。時間空間の無明未妙の状を形容した古語である。

「とりづぎ」或は「ひきあひ」など媒酌人的存在であった。宮中では三太夫(さんだゆう)という。能の舞台で三番叟(さんばそう)がこの主旨を生かした例である。

古代中国では獅子座は皇帝の車に例えられていました。これを日本では「なかての星」と呼んでいたと言います。

「なか」とは「時間空間の無明未妙の状」を表すのですね。それは、人と人との間、演目と演目の間、そして春と夏の間、そんな所にも使われていました。

時あたかも冬至から春分、或は立春から立夏までの夜空に輝く黄金の星であって、一年の終りと始めの季節である。

獅子座の腰あたりに輝く星をDuhr(ヅール)と言い、黄金色をしているそうです。春の星座、獅子座。この獅子座が象徴する季節を一年の終りと始めとする部族なら「春分の日」を年の始まりとしたのでしょう。あと一週間で春分の日ですね。

昨年末、朔旦冬至で極寒の中を走り回ったのは遠い昔のようです。まだ三カ月前の話だというのに。

つづき。
「なかて」とは竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて、神を先導する器である。今も宗像沖ノ島にこの伝統が守られている。五十年程前は祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱にこの様式が採用されていた。

子供の頃、運動会の入場門の柱は紅白で巻かれていましたが、もしかしたら地域的なものだったのでしょうか。今もそうするのでしょうか。ネットで調べるとこんな商品がありました。

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この紅白の「なかて」は、本来「神を先導する器」だったと言います。沖ノ島に伝わっていたそうですが、今はどうでしょうか。

この紅白こそ、竹内宿禰が織幡神社の近くの波津(はつ)で織らせ、宗像大菩薩が新羅戦の時に船の先頭で振ったものでもある訳です。

さて、「紅白」と言えば現代日本では、それだけで大晦日に行われる紅白歌合戦を表しますが、北欧でも「行く年来る年」を象徴する二神に現れていると木下祝夫は言います。

香椎宮司木下祝夫博士(1894~1980)によれば、北欧の神話に出る二神で紅Fraiya(フライヤ)であり、白はJuhl(ユウル)であり、紅が来る年、白は去る年である。

木下祝夫は50年かけて『古事記』のドイツ語訳を完成させた人で、香椎宮の宮司でした。その一族の方が当ブログにコメントを入れられたので、香椎宮で尋ねると、香椎宮の宮司は世襲ではないとのことで、木下の話を聞くことはできませんでした。

木下祝夫はドイツ語が出来るので、北欧神話にも詳しかったのでしょう。その神話にも「紅白」がありました。「紅」はフライヤという女神です。

ネットでは「フレイヤ」と検索すると出てきます。ウィキペディアを見てみましょう。

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(画像出典 ウィキペディア)

美、愛、豊饒、戦い、そして魔法や死を守護する北欧神話の太母。美しい女性の姿をしており女性の美徳と悪徳を全て内包した女神で、非常に美しく、自由奔放な性格で、欲望のまま行動し、性的には奔放であった。

「太母フライヤ」その自由な生き方はウィキぺディアでゆっくり読んでください。

一方、「白」はユウルです。

ユールは、古代ヨーロッパのゲルマン民族、ヴァイキングの間で、冬至の頃に行われた祭りのこと。のちにキリスト教との混交が行われたが、北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼ぶ。

ユールとは冬至の祭なんですね。のちにキリスト教に習合していきます。次はユール・トムテ。

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(画像出典 ウィキぺディア)粥をもらうユール・トムテ

北欧のサンタクロースは、ユール・トムテやユールニッセといわれる。ユール・トムテはスウェーデンのサンタクロースである。元々はノームで、赤い帽子に、白く長いあごひげを蓄えている。元々トムテは人間に善行を施す妖精で、家事を手伝ってくれたお礼として、クリスマスに椀一杯のスープまたは粥をもらう。

ユール・トムテはもともとノームですって。いろいろ手伝ってくれる小さいおじさん^^

ユール・トムテの帽子は赤。あごひげは白。ここにも紅白のシンボルがありました。その色にも「行く年来る年」の意味合いが込められているという事なのでしょう。冬至が新年の始まりなら「とひ族」かな。

春分や冬至をそれぞれ新年とする部族の話のようですが、真鍋の文には「時あたかも冬至から春分、或は立春から立夏まで」という不思議な表現があり、曖昧な季節感が書かれているのも、「なかて」の状態を表しているようですね。

そして先述のように、現代日本の「紅白」歌合戦も、まさに「行く年来る年」の祭典です。これは偶然なのでしょうか。それとも北欧と共通のシンボルが日本人の無意識層にあって、それが顕現したのでしょうか。

真鍋の話は心が地球規模に拡大し、また集合意識の深層を覗かせてくれるので、不思議な感覚になります。

さて、話は違いますが、今朝の新聞にフランス人の画家が「亡くなった仲哀天皇を偲ぶ竹内宿禰」という絵を香椎宮に奉納した記事が載っていました。日本神話の絵本を11冊も画かれたとか。

フランス人がどうして『古事記』を知っているのかと思ったんですが、木下祝夫がドイツ語訳しているので、ヨーロッパでも手軽に読めるのでしょう。この記事とシンクロして驚きました。



そして、明日は八幡東での下巻のお話会です。ガイドブックはあいにく間に合いませんでしたが、美しいフクオカ。画像でお届けします ^^


2015.3.14


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by lunabura | 2015-12-19 12:46 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(5)

二度目の延期だよ



今日は朝から晴れてクリアな空気。
今夜こそ、六嶽神社からシリウスの出を観ようと準備していたのですが、
日が暮れた頃から厚い雲が西から東へと広がっていきました。

観測は中止です。実はこれで二度目の中止なんです。
その間、ずっと雨や曇りだったので、
冬の星の観測は意外とチャンスが少ないのが分かりました。

先ほど、空を見ると雲がいくらか切れて月が見え、
オリオン座のベテルギウスがやけに赤く光っています。
シリウスは雲の中。

それにしても真冬の夜の星の観測の時、
古代の人はどうやって寒さをしのいだのでしょうか。

じっと座って観測するとしたら、よほど寒さに強い人で、
意思が強い人でないと無理だと分かりました(-_-;)

宝珠山の神社には太陽観測の崖や、天体観測の崖がありましたが、
実際に観測する条件は天候や寒さ、足元の暗さなど厳しいものがありますね。
夏は蚊!


さて、来年早々の志賀島の歴史講座、「高良玉垂宮神秘書」をします。
小祝に安曇氏がいます。
また安曇磯良はアントンイソラという名で登場します。
高良大社の縁起は仲哀天皇と神功皇后から始まっているのです。

この夏、この本を一気に七分の一ほど選んで訳をしてしまいました。
それを見直しています。
ばらばらのピースを分類して並べると、神秘書のカラクリも見えてきました。


この内容は久留米や筑後の方には興味津々と思われますが、
志賀島から見たらそれほどでもないでしょうから、
どのように安曇族が広がって行ったかという視点で構成しないといけないな、
と考えています。

明日には詳細が投稿できると思います。


再掲載中の過去記事ですが、読み直してみると、
ちょうど脇巫女に近い時代の話ですね。

宗像大菩薩の話、脇巫女の観点からみるとまた違って読めます^^





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by lunabura | 2015-12-18 21:58 | にっき | Trackback | Comments(6)

(3)紅旗と白旗・古代の宗像の王と旗


(3)紅旗と白旗

古代の宗像の王と旗


「古代の宗像」
宗像大社の「みあれ祭」は正平23年(1368)の行事記録を参考に昭和37年に復興されたのですが、その船に掲げられている紅白の旗は宗像大菩薩が出現した時に捧げ持っていたものが由来でした。それを「御長手」と言い、この宗像大菩薩の時代は思いがけず神功皇后の時代のものでした。

当時の宗像大菩薩の名は「高磯(たかいそ)強石(ごうせき)将軍」。新羅戦の前にすでに七度の夷敵討伐の棟梁を務めたと自ら説明しています。

この紅白の旗は同じ宗像の織幡神社の縁起によると、竹内宿禰が波津(はつ)で織らせたと伝えています。波津とは神社のすぐ麓の入江の集落で、もともと「はた」と呼んでいたので、秦氏の入植地と考えています。

竹内宿禰に織らせる権限があったということは、宿禰が秦氏と通婚し、縁戚関係を結んだからではないか、だから竹内宿禰の長男の名が波多八代宿禰というのではないか。そんな仮説を以前書きました。

これらから、古代宗像のクニを治めていたのは高磯強石将軍で、応神天皇の時代に縫姫を留めた宗像大神とは、この将軍か、その子孫と考えられます。

その神を祀る宮は宗像大社の側を流れる釣川(つりかわ)の対岸にあります。

宗像大神はいったい、いつ男神から女神に変わったのか、新たな謎が出て来たのですが、これもまたいつか解ける日を待ちましょう。



「紅白の旗」
先日からターゲットにしているのは「紅白の旗」でした。
「御長手」とは「神を先導する器」で「紅白を巻いた竿」であり、そのルーツは北欧神話の女神フライヤと男神ユール。紅白は春分の、年の変わり目を表すものでした。

以上がこれまでの復習です。

そもそも「紅白」の始まりは源平合戦とされているようですが、織幡神社で「紅白」の概念が存在しているのを見て、実は違和感がありました。「紅組」と「白組」に分かれて戦うというイメージが染みついているので、「紅白」一緒に持っているというのが違和感の原因かもしれません。

しかし、それが「神を先導する器」という意味を持っていたのなら少し納得できます。

実はガイドブックを書きながら気にかけていたものがありました。
それが「八本の白旗」です。

神功皇后が新羅戦から帰国後、祭祀のアイテムとして登場したのが「白旗八本」なのです。紅旗の存在が見つかりません。いつか調べて見ようと思っていましたが、リンクしている「遠野物語」さんからの問いかけに触発されて、今、見直してみようと思いました。

ここに八幡信仰の謎解きのヒントがありそうなんですね。

旗の伝承を伝える神社を時系列に並べてみます。

●竹内宿禰は紅白の旗を織らせた。(織幡神社)

●宇美町宇美八幡宮では新羅からの帰国後も警護を怠らず、神功皇后の産所の四隅に八本の白旗を立てたことから八幡麻呂と呼んだ。(宇美八幡宮)

●その時に警護兵だった田原麻呂は大事にその白旗を持って帰った。(正八幡神社)

●飯塚市撃鼓神社に再訪した神功皇后は白旗八流を納めた。(撃鼓神社)

この通り、帰国後は白旗だけが登場します。
次に、二社の絵巻を比べてみましょう。



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これは大善寺玉垂宮。

紅白がありますが、水色っぽいのもありますね。




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これは志賀海神社。

いずれも白旗です。


どちらが正しいのか判定は出来ませんが、より現地に近い方の志賀海神社の「白旗だけ」が気になります。
絵巻の時代は14世紀頃で、すでに1000年以上経って描かれています。風俗は平安~鎌倉っぽいですね。

「紅」を染めるには染料と染めの技術が必要です。
かつては貝で染め、のちに「あかね」で染めるようになった?

紅旗は大変貴重なものなので「ながて」という神を示すシンボルのみに使われ、戦いに使われた旗は「白」だけだったのではないか。と今の所考えています。



2015年3月 投稿


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by lunabura | 2015-12-18 17:20 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(7)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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