ひもろぎ逍遥

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熊本から粗塩



熊本支援の皇帝塩の粗塩が届きました。

開けると、やっぱり大きなツブツブです。
初めて見る人はびっくりするかも。

これはお店に届いた塩の中からツブの大きなものを
ピンセットでよけたからです。
普通の皇帝塩は小さなツブでサラサラしています。

結晶が大きいので岩塩みたいに味が単調になっていないかな?
と思って、
昨夜は粗塩だけ入れてカシワの鍋仕立てにして、味見をしましたが、
ウマイ!
醤油を入れるのももったいないほどおいしかったので、
かつお節だけ入れて食べました。


で、この大粒の結晶が、実は欲しかったのです。

というのは、もう十年以上前の新聞記事になりますが、
イギリスの医学雑誌に、
天日干しだけで半年以上かけて作った塩には
癌に対する効力がある(表現は記憶が曖昧)があると掲載されていたからです。
結晶が長いほど、効力があると書いてありました。


皇帝塩がそういう作り方なので、我が意を得たり、
とずっとこれを使っているのです。

今は環境汚染の問題があるのですが、
重金属が出たら売らないということなので、
これから先も出ないことを祈るばかりです。



で、大粒のものは炒め物や漬物には溶けるのが遅いので、
普通の皇帝塩に粗塩を混ぜて使ったり、
汁物、スープ、鍋もの、カレーなど液状の時にたっぷりと使っています。

粒が大きくてびっくりされた方は、こんな使い方をしてみてくださいね。




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こんなラベルが貼ってあった♪




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by lunabura | 2016-06-29 20:20 | にっき | Trackback | Comments(0)

ことのかたり 田原麻瑠


ことのかたり

田原麻瑠
たばらまる 


ワシの子供の頃は、山から鬼が降りて来ては村人をよくさらっていた。
鬼たちは山で金やら鉄やらをこしらえていたらしい。

さらわれるのは女だけではない。
男もさらわれては死ぬまで穴の中で働かされると聞いていた。


だから、景行天皇が来て、鬼たちをやっつけてくれてからは、
ワシらはようやく安心して暮らせるようになったんだ。

その御子のヤマトタケルさまも残りの鬼たちを退治したが、
タケルさまご自身が早くに亡くなってしまった。



続けて、その御子の仲哀天皇が来られた時には、
ワシも成人していたから、是非ともその軍に加えてほしかったんだが、
仲哀天皇もまた亡くなってしもうてのう。



ところが、そのお后様の神功皇后が天皇の意思を継いで熊襲を成敗したうえに、
新羅を成敗すると聞いたもんだから、
ワシは飛んで行ったさ。

この鷹羽(田川)の田舎は、ワシの力を発揮するには少々狭いでの。



海を渡っての戦いだ。
ここら辺の小さな舟ではなく、たいそう大きな船だと聞いた。
海とはどんなものか、一目見たかったしな。

だがな。
海はしんどかった。
波があってのう。

生きた心地がしないというのは、あんなことを言うんだなあ。




皇后さま?
それはそれはお美しい方だった。

肌が白くて、蝋のようだったぞ。
ここらの女にそんな白い者はいないで、びっくりしたさ。


戦いから戻って皇后がお産をされた時、
その産屋を八人の兵士が白旗を掲げて守ったというが、
その一人がこのワシだ。

12月も終わりの頃で、それは寒かったさ。
凍えた手で持つ旗竿は氷のようだった。

しかし、大きな産声を聞いた時は、男のワシでも涙が出たさ。



皇后さまが皇子さまを抱いて輿に乗って聖母宮に向かわれる時には、
ワシ等は白旗を掲げてお守りしたものだ。

音楽隊も誇らしげに音を鳴らしていたぞ。
音楽隊は武内宿禰さまの楽隊だ。


春、雪解けを待ってショウケ越えをした。
あの山道の厳しさは今でも語り草だ。




皇后さまは大分(だいぶ)宮で軍隊を解散されたが、
ワシはすぐには帰らなかった。
ずっとお傍にお仕えしたかったからな。

だから、再び豊浦宮へ戻られる時も、旗を掲げてお守りしたさ。
他の武将たちも、分かれ難くて、飯塚までお供していたな。


ワシが鷹羽に戻ってくると、皆が迎えてくれてビックリしたさ。
ワシは英雄になっておった。

どうだ。この白旗。
今でもワシの宝だ。



家宝にして、子々孫々、伝えることにしたぞ。





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『神功皇后伝承を歩く』上巻16




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by lunabura | 2016-06-27 20:13 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

歴史カフェ 磐井の末裔でした



今日は、梅雨の晴れ間、ぐんぐん気温が上がりましたが、
歴史カフェ、皆さま集まって下さってありがとうございました。

磐井の乱の実態がどんなものか、
実際に記紀を読み、問題点を洗い出したりしながら、
記紀には書かれていない、磐井の乱の後の約百年間、
筑紫や豊の情勢を俯瞰しました。

磐井の末裔たち、十人の様子を見ていったので、
猛スピードでしたが、
これから出会う歴史上の人物や遺跡などを考える時の
「一つの指標」になればと思います。


皆さんからも不思議な話や、風習など聞かせていただいて、
口コミならではの楽しい時間を持ちました。




次回のテーマは「八咫烏」ですが、
日程をまだ決めていません。

テーマが大きく、さらに古層に分け入っていくので、
準備の目途が立ってから、お知らせします。

少々お待ちくださいませ。






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by lunabura | 2016-06-26 23:09 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(8)

火清鳴弦御祈祷 ひきめんごきとう


ことのかたり

火清鳴弦御祈祷
 ひきめんごきとう



神功皇后さまが出産されるときは、
まだ戦(いくさ)のさなかということで、
周囲には八人の兵士がそれぞれ白い旗を掲げてお守りしていました。

皇后さまは槐(えんじゅ)の木に取りすがって出産されましたが、
難産でございました。

亡霊たちの障りがあってはならぬと、
磯良さまは弓を取って鳴らし、魔を払われました。

これを火清鳴弦(ひきめん)御祈祷と申します。

風浪宮でも大善寺玉垂宮でも、後の世までも
幾久しく執り行っていると聞きます。




大善寺では高良大菩薩がされたというのですか?

風浪宮でも火清鳴弦は磯良さまがされたと伝えているので、
高良大菩薩と磯良さまは同じ方なのでしょう。

火清鳴弦は船を出すときに行うものと聞いておりますゆえ、
海の民の風習なのでございましょうよ。



その甲斐もあって、皇后さまは、見事、玉のような皇子をお生みになりました。
それはそれは、皆の衆は喜びに沸きたちました。

落ち着いてから、皇后さまは警護の十分な久山の斎宮に遷られました。
皆はそこを聖母(しょうも)の宮と呼びました。


しかし、皇后さまの産後の肥立ちが悪く、皆はとても心配しました。

ご神託を受けることになりました。
すると、武雄で療養するように、とあったのです。

そう、そこには温泉が湧いているのでございます。

武内宿禰さまのご実家がある所でもあり、警護も充分な場所ということで、
良き日に遷られました。

あとから豊姫さまも向かわれました。
豊姫さまは神功皇后の御妹で、武内宿禰さまのお妃さまです。


真冬の寒さ厳しい日々でした。
私どもは、どれほど心配してお待ちしたことか。

皇后さまが元気になって戻って来られると、皆、寒さも忘れて喜んだものです。

皇后さまが皇子様にお乳をふくませると、皇子様の頬が真っ赤になって、
お世話する私たちも幸せな心持ちになったものでございます。




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『神功皇后伝承を歩く』77 風浪宮

82 宇美八幡宮
37 斎宮






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by lunabura | 2016-06-25 21:03 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

磯良の最期


ことのかたり

磯良の最期
 

海で鍛えた、たくましい肉体を持った磯良さまも、
最期は足が弱られたのでしょう、
再び大善寺に来られた時には御輿に乗っておられました。


すでに、ここを死地とする覚悟を決めておられたようでした。

三韓から戻って留め置かれたままの御座船の覆いを取るように命ぜられると、
棚や道具を一つ一つご覧になり、
そのあと、竜骨を除いてすべてを燃やすように命じられました。

棚は、神功皇后が志賀島で命じられて作った棚でございます。
皇后さまは朝な夕な、その棚に供え物を置いて神々に祈られたと聞きます。

磯良さまは、一時期は戦いに船団を出すことをためらうようになられたのですが、
皇后さまの祈りの姿に心打たれ、
その船の舵取りをすることを決意されたと聞きました。

奈多(なた)の浜で八乙女が七日七晩、磯良さまを前にして
豊玉姫さまたちのために神楽を舞った時の華やかさは
今でも聞き伝えております。


竜骨だけは、ご神体としてお祀りするように命じられました。

御座船の跡には、朝妻を勧請されました。
あさづまとは、味水御井神社のことでございます。

かつては朝妻七社といって、
神功皇后を始めとする七柱の神が祀られていたのです。


すべてを采配されると、磯良さまは静かに息を引き取られました。

その墓所は高三潴(たかみづま)にございます。
石の棺に剣を二振り置いて、埋葬されました。

磯良さまの名前はシリウスという意味です。
夜空で一番明るく、真っ白に輝いて、航海の民を導く星のことです。

私どもは、その御墓に参る時、牡蠣殻を持っていっては、
封土に置きました。

そう、夜空にシリウスが輝くように、
牡蠣殻で磯良さまの墓を白く輝かせたかったのです。

高良玉垂宮神秘書 534条 536条 





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『神功皇后伝承を歩く』下巻78 大善寺玉垂宮









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by lunabura | 2016-06-23 20:03 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

磯良と大善寺


ことのかたり

磯良と大善寺
 




磯良さまと大善寺のことをお尋ねですか?

磯良さまは大善寺から「ありなれ河」に小船を召されて、
皇后さまと筑前宇美の河内にお着きになられました。

皇后さまが出産されると、ご一緒に都に上られましたよ。



当時の都ですか?
長門(下関)にございました。
仲哀天皇の都でございます。


そののち、皇后さまが崩御されると、磯良さまは
仁徳天皇の御代になって、大善寺に船で戻ってこられました。

大善寺は三韓征伐から戻って来た時、初めて上陸された所なので、
その時の御座船を大事に置かれていたのです。
もちろん、磯良さまが舵取りをされた船です。


その前の川は「天の川」にちなんで「あれなれ河」と名付けられました。
そうして、川のほとりの黒木で船を新たに作らせて、
酒見に上陸され、風浪権現を祀られました。

風浪権現とは玄界灘の荒波から船団を守られた綿津見神のことでございます。
それから九十九尊を祀られました。
九十九尊とは、天の二十八宿、地の三十六宿に二十五を合わせたものです。

磯良さまは、それから黒崎に船を寄せられ、
高良山に御遷幸されたように、そこに遷幸されたのです。
黒木の船を寄せたので、黒崎と言うようになりました。

他に、暗くなって着いたので黒崎と言うようになったと言う者もございます。


高良玉垂宮神秘書 533条






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拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻 77 風浪宮




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by lunabura | 2016-06-22 20:43 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

初なり





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きゅうりがなりました。
素手で、もいだらトゲが沢山あって、痛い(泣)

こんなのは、そのままガブリと、かぶりついてしまう。


ピーマンも出来たけど、写真を撮る前に食べてしまった(^^;

一坪菜園で、今年は植えるのも遅かったので、
こうして出来ると、嬉しいですね。







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by lunabura | 2016-06-21 22:19 | にっき | Trackback | Comments(0)

磐井君の末裔たちのレジメ完成



磐井君の末裔たちのレジメ完成




次回の歴史カフェのレジメが仕上がりました。


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神社の縁起を調べていくうちに、磐井君の末裔について、
子供は四人、孫は六人、合わせて十人の存在が分かりました。

今回はこの十人について、磐井君に近い順から、
系図や伝承、また墓や神社など、分かった事をお話ししていきます。

パワーポイントではなく、史料を読んでいくので、
かなりの理解が進むのではないかと思っています。

この史料を読み込めば、
磐井君が新羅寄りではなく、百済寄りだったこと。

宮地嶽神社の境内にある宮地嶽古墳の被葬者は
宮地嶽神社の祭神であること、
など、おのずと明らかになります。

徳善説の誤解
宗像族の人物が安曇族の聖地に葬られることはあり得ません。

胸肩徳善説を唱える方は、時代が100年以上違う点について、
説明すべきでしょう。

なにせ、徳善は天武天皇の時代に活躍した人物ですから、
生まれる前に墓を作ったということを立証するのは出来ないことです。



新羅寄り説の誤解

また、磐井君新羅寄り説の方は、
磐井の孫の鞍橋君が百済王子と共に戦っていることを知らないのでしょう。

宮地嶽古墳から出土した「鉛系ガラス板」は磐井と百済の深い関係を物語っています。





逆賊という汚名を、しかも濡れ衣を着せられながらも、
自分たちの矜持を守り続けた磐井君の末裔たち。

今回は、久留米と糟屋、福津を結んで「磐井の乱の後の世界」を描いていきます。




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by lunabura | 2016-06-20 20:50 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

梅雨の晴れ間






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梅雨の晴れ間








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いい天気。





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猫ちゃん、お空でおいたしてる。 (=^・^=)


わかる? 右の方にいるね。左手でチョイチョイしてる。







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by lunabura | 2016-06-19 17:08 | にっき | Trackback | Comments(0)

皇帝塩で熊本応援



皇帝塩で熊本応援



もう長~く愛用している皇帝塩。
中国の皇帝のために作られていた天然塩ですが、
その一部を熊本の皇帝塩本舗が輸入しています。

日本では最近まで天然塩を造ること自体、禁止されていたから、
出会ってから、ずっと使っています。

ミネラルが豊富なので、料理が甘く仕上がります。
このおかげで砂糖を使わずに済むようになり、
今では味醂(みりん)も使わなくなりました。

初めて使ってみた知人は、
ご主人が「今日のはうまい」と言ったので、
「私の腕が上がったの」と言ってやったと話していました。(^_-)-☆



皇帝塩本舗では、この貴重な天然塩を使って味噌や醤油やクッキーなど
地元で造ってもらっています。

その生産者が被害にあって、厳しい状況にあるので、
皇帝塩本舗が以下の「粗塩」の売り上げを全額、生産者に届ける と、
チラシが送られてきました。



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逼迫しているようです。



この話をしたら、その場に居合わせた方がみんな注文してくださって、
すごくうれしかったです。

何時もいただいている粒のそろったものではないけど、
皇帝塩は1キロ1800円で、支援の分は2キロ3000円。

税込みで、送料と代引き(432円)は当方負担なので、
普段の値段と変わらない。
そのうえ、直接支援が出来る。

何だか申し訳ないほどです。

皇帝塩本舗さん、ありがとう。




皇帝塩本舗HP
http://www.k-sio.com/






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by lunabura | 2016-06-17 21:40 | にっき | Trackback | Comments(6)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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