ひもろぎ逍遥

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加茂神社(1)七山滝川



加茂神社(1)

七山滝川



さて、唐津市七山の玉島川を挟む二つの「かも」神社。
滝川の方は「加茂」という表記になっていた。





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微高地ではあるが、対岸の賀茂神社に比べれば平地の印象だ。
人里の中にある。







鳥居がいくつもあって、それぞれに違う名前が彫られているので
ここも周囲の神社が合祀されているのだろう。






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これが加茂神社の鳥居。





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拝殿には神紋は見当たらない。
祭神は「佐賀県神社誌要」によると、
加茂別雷神、加茂次郎義賢、素戔嗚尊、天神七代、天忍穂耳尊
となっている。

加茂次郎義賢が祭祀されている事情は
「加茂次郎義賢、肥前守に任ぜられ、安元二年八月下向して
暫時此処に止まりたり。義賢逝去の後、里人其徳を欽慕し、
加茂別雷神と共にその霊を祀りて産土神と斎き奉れり。」

とあり、1176年に加茂次郎義賢が肥前守となって下向して、
しばらくここに止まったことから、里人がその霊を祀ったという。
その時、加茂別雷神を祀った。
他の神々は合祀したとある。

合祀された神々の顔ぶれが
「素戔嗚尊、天神七代、天忍穂耳尊」という点、
この地域にこのような組み合わせで祀られていたのが不思議な感じがした。









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神殿の裏に石段があるので、稲荷ではないかと上ってみると、やはり稲荷だった。






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円錐形の丘の上に平地があり、何度も見て来た稲荷の地形だ。
賀茂神社で製錬された鉱物はこちらで武器や農機具を作り、
保管したのではないか。

そうすると、加茂次郎義賢が下向する前からあった地形ではないかと思われた。


ここには早くから賀茂氏が入植して活動していたが、
のちに京都から改めて勧請されたのではないか。


七山では「がも」という発音があるそうで、
「賀茂」と「加茂」の書き分けもあるので、
「がも」と「かも」と言い別けをしたのだろうか。
二つで一組だろう。
この二つの「かも」神社がいかにも古社の形を伝えているように思われた。





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境内からの眺め。
(つづく)



加茂神社






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by lunabura | 2016-07-30 22:29 | (カ行)神社 | Trackback | Comments(0)

一日に三件って?




昨日、今日とお出かけしました。
いろんな方と出会い、新しい風が吹いています。

今日は、ある女神について三件、話が出ました。
少し謎解きする必要があるようです。

お出かけを控えて、情報があまり入らないようにしていたのですが、
同じ女神について一日に三件となると、動かざるを得ません。

ブログを書いている私への情報ですから、
周知してよいものだとは思いますが、
深層に触れていくと、書くことをためらう側面もあります。

夕方、好ましくない方向について考えていたら、
包丁がすべって指を傷つけました。

やはり女神の世界は畏れの心が必要です。

時期が来たら書けることなのでしょう。

歴史カフェではブログに書かないこともお話ししたりしています。
参加者それぞれが直面していることをシェアすることで、
次のステップが示されるからです。

明日も出かけます。
今から明日の準備をします。






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by lunabura | 2016-07-29 22:14 | にっき | Trackback | Comments(3)

ツアーデザイン中



ツアーデザイン中



先日、神功皇后に関するバスツアーの依頼を受け、
早速、そのプランを練りました。

私はお題をいただくと、ワードを打ちながら概要が出来上がるという
速攻プランニングのタイプなので、
集中力が途切れないうちに完成まで持ち込みます。

あの「糸島の女神巡礼」を思い出しながら、
ゆっくりとしたプランがいいなと、考えたりしました。

あれは、案内する方も、もう一度行きたいなと思うようなツアーでした。

グルメのバスツアーでなく、
知的好奇心を満たすようなツアー。
これからの主流になっていくのでしょうね。

今練っているツアーは9月になれば告知出来る予定です。

歴史的なツアールートは自分で地図を見ながら探すと大変なので、
バスに乗っていけるとなると、すごく便利ですよね。

各地域でそんなツアーが出来て、
ネットで選べるようになったらいいな。


この数日、これとは別に二つほど、素敵なタイトルが浮かんできて、
これはいったい何だろう、
本のタイトルなのだろうかと、考えていたのですが、
バスツアーのタイトルだとすると、楽しいです。


タイトルは大切なものなので、すぐには公表できないのですが、
最澄とか、スピ系のポータルとか、
紹介したいものが福岡には沢山あるのです。^^ 







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by lunabura | 2016-07-28 10:22 | にっき | Trackback | Comments(2)

賀茂神社(3)八咫烏



賀茂神社(3)

八咫烏
 

神殿の裏に廻ると絶壁になっていて、
その真下では急な流れが飛沫を見せていた。




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水だ。
水こそ冶金の民に必要なものだった。



急斜面にある参道は川から吹き上げる季節風の道でもあったのだろう。
ここで賀茂の民は汗を流して金属を作り出した。
地形から確信した。



真鍋によると、賀茂の神は蹈鞴の名人だったという。
高温の火を見つめる時、片目で見ていた。
それが一目(ひとつまなこ)の神と呼ばれるゆえんだった。

彼らは八咫烏を伴としていた。
八咫烏とはカササギの一種で、
それを見ては干潟の冠水のようすを観察していたという。

のちに八咫烏が賀茂氏のトーテムとなり、
「八咫烏といえば賀茂氏だ」という共通認識が出来たということになる。

日本書紀の時代は「八咫烏」といえば賀茂氏を暗示し、
「海童」(わたつみ)といえば滅びた安曇族を指すのを
共通の認識としていたのだ。

八咫烏は鉱山を渡り歩き、奥深い山の道を知っていた。
だから、神武天皇が霧に迷って困っていたとき、山道を道案内したのだ。

そこで出くわしたのは、光る井戸から出てくる尾がある人、
岩を押し分けて出てくる尾がある人たちだった。

井戸も押し分ける岩も、坑道があったことを暗示している。

尾がある人。
鬼のパンツは虎の皮でできているが、鬼と呼ばれた鉱山従事者たちは
獣の皮を腰に巻いてどこでも座れるようにしていたのだろう。







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山伏もまた然り。








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ツタンカーメンもまた尾のついた皮を纏っていた。



・・・しっぽがあるほうが個人的には好きだ(´・ω・`)




「鬼」という言葉は、当時は「神」と同じ意味だった。
「卑弥呼が仕えていた鬼道」という例があるように。






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賀茂神社の長い参道を下っていくと「七ツ枝川」の標柱があった。

東京から来ていたMさんからの知らせでは
地元の人に、「七山の七は北斗七星だ」と教わったそうだ。


そうか。

七支刀が物部氏の神社にあり、雷神の神力を仰ぐもので、
そのデザインの元が目に薬効のあるヒカゲノカズラだと分かったが、
何故七つの枝なのか、理由が見つかっていなかった。


これが答えではないか。

七支刀は北斗七星の精霊もまた宿す物だったのだ。


北斗七星は横になると「一目」となり、
縦になると「足一騰」となる。
まさしく賀茂氏の姿そのものだ。

物部氏と賀茂氏の深いつながりをここに見た思いがした。







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by lunabura | 2016-07-26 21:33 | (カ行)神社 | Trackback | Comments(4)

ことのは



ことのは


昨日は「八咫烏」でした。
集まって来てくださった皆様、ありがとうございました。

各資料を声を出して読んでいくと、
単語の「発音」が少しずつ音韻を変えながらも
繰り返し出てきていることに気付いてドッキリするシーンがありました。

例えば、七山では賀茂を「がも」と発音しているそうですが、
山鹿の一ツ目神社の地名が蒲生(がもう)なんです。

どちらも賀茂氏ということが分かりました。

その痕跡は神社の名や祭神や地名に残っているんですね。

氏族は神と地名を持って移動する。
それを目の当たりにする例に満ちていました。

「言葉」は目で見て、耳で聞いて、口に出してみて
深く味わうことが大切なんですね。


古代の言語は、記紀では漢字に変換して記録されているので、
そのニュアンスは失われていますが、
地名などにはしっかりと残っているので、
まだまだ古代への手掛かりは枚挙にいとまがありません。

今回は、「ことのは」の魅力に心惹かれた歴史カフェでした。

さて、今日は、中大兄皇子の整理をしました。
筑紫にいた中大兄皇子の姿を描いています。

これもまた、魅力的な世界です。





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by lunabura | 2016-07-25 23:52 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

チーム・アンドロメダも



チーム・アンドロメダも



明日の「八咫烏」の資料、今回は三分の一を真鍋大覚の記述が占めています。

これまでは神社の縁起を理解するために、真鍋の資料を引用していましたが、
今回は真鍋の資料から「八咫烏、賀茂氏、一目神」に絞って
分類し、整理しました。

これが、以前からやりたかった「チーム・アンドロメダ」の
端緒にもなりそうです。



「チーム・アンドロメダ」とは真鍋大覚の研究チームです。
まだ発足はしていませんが(^^;

「アンドロメダ」は倭名で「大覚」とも言うので、
チームにその名を付けた訳です。



真鍋の口碑が真実かどうか、検証しなくてはならないのですが、
その前にその内容を明らかにする必要がある訳ですね。



いろいろと悩んで、辞書のように単語から引けたら便利だなと
先日思いついた話を書きましたが、
今回、その単語集が「八咫烏」の三分の一を占めることになったので、
歴史カフェで育っていってる資料の中で、
チームアンドロメダの資料も出来ていくことになるかもしれません。





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『古事記』の中の単語で、従来解明できていないものが含まれているので、
るな的にはかなりの嬉しさです。


「七支刀」で物部氏、「八咫烏」で賀茂氏。
これら、古代の鉄の民の姿がうっすらと見えてきました。(^^♪






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by lunabura | 2016-07-23 21:00 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

交流会




昨日の歴史カフェ721、多くの方に集まっていただきました。
ありがとうございます。

今回も関門海峡を越えて遠方から来て下さる方が二人もありました。

九州の古代史に興味を持って調べている方。
自分のルーツを探す方。
あるいは日本人のルーツを探す方。
または隠れ宮の話を持って来て下さる方。
神功皇后の事が知りたい方。

思いはそれぞれですが、
この日、同じテーブルに集うことにさえ、神慮が働いていることに
感動しました。

一人一人のファミリーヒストリーは単独で在るのではなく、
遥かな時間軸、
あるいは広い空間軸、
これらが果てしなく続き、
かつ、アラベスクのように絡まりあった複雑な姿をしていることを
肌で感じる交流会でした。

歴史カフェは
その絡まりを一つ一つ解きほぐして、
自分は誰なのだ、という
永遠の命題の手掛かりを得るための不思議な集いでもあるのかと、
ひそかに思いました。

一歩動くことが縁を引き寄せていることを目の当たりにしています。

お茶を飲みながらの情報交換は次への道筋を
それぞれに見せてくれているんだな、と思うのです。

皆さんが何気なく話す言葉に、大きなヒントを得るのは私だけではないでしょう。


何故?

この思いこそ、真理への道を開く扉になるもののようです。



忘れ去られた「九州の古代史」を明らかにする。
これが「日本の古代史」を明らかにすることになるという思いも強くしました。




さて、今日は、打ち合わせをしました。
まだ公開できないのですが、楽しい企画です。

ガイドブックを書いたことで新しい御縁をいただきつつあります。

そして、バスツアーをしようという話も複数浮上しています。

ガイドブックの地に自分の足で立って、歴史を体感したいという流れが
生まれて来ているのだと思います。

ちまたでは、「ポケモンGO」が始まりましたが、
大人のゲームは「ジングウGO」とでも言いましょうか。

神社をカメラに収める大人女子、大人男子の姿が
来年は福岡の各地で見られるかもしれません。






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by lunabura | 2016-07-22 23:11 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

歴史カフェ721「磐井の乱の後」追加日程募集の案内


歴史カフェ721

「磐井の乱の後」

追加日程募集の案内



「歴史カフェ626」と同じ内容を、7月21日(木)に話します。

申し込みの方は「歴史カフェ721」と書いて、住所・氏名をご記入くださいませ。





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「筑紫君磐井」は『日本書紀』には「国造」と書かれているが、
『古事記』には「竺紫君」と書かれている。

『日本書紀』では磐井の乱は継体天皇との戦いのように書かれているが
『古事記』では継体天皇は戦いの前に死んでいる。

このように多くの矛盾を抱えている記紀では、実態を描くには限度がある。



筑紫の各地の伝承はどうだろうか。
それらを総合してみると、次のような世界が描き出された。

磐井君は久留米市の高良山と明星山に居城を構えていた。

磐井君の死後、その末裔たちは筑前と豊前で同時多発的に一斉蜂起したが、
またもや敗北。


磐井君の夫人は幼子を連れて現・福津市へ逃れた。
葛子の夫人は福津市で何者かに暗殺された。


しかし、葛子の子である鞍橋君は百済と共闘して新羅と戦った。
そして、同様に葛子の子である勝村・勝頼は宮地嶽を守った。



福津市では磐井の菩提寺が作られ、宮地嶽には巨大な古墳が作られた。

勝村・勝頼が眠る宮地嶽古墳から出土した鉛ガラスは何を語るか。

古墳内で舞われた筑紫舞にはもう一人の証言者がいた。


そして、昨年。
ついに舞われた秘舞は宮地嶽神社が安曇族であったこと示した。

これら、各地の神社縁起や寺の縁起を通して
磐井の乱の後の子供や孫たちが「磐井の乱の後」にどうなったかを描く。



これは久留米大学の公開講座で話した内容ですが、
今回はパワーポイントを使わずに資料を使ってお話しします。

出版予定の「宮地嶽神社と磐井の末裔たち」(仮題)
の内容の一部を先行して話すものです。


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拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻 69番宮地嶽神社




日時 7月21日(木)2時~4時

会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 18名(要予約)
会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755

申し込み方法 
「歴史カフェ721希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。

(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)

メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。
一度参加された方は、住所は書かなくても結構です。

申し込みがあれば必ず返信しております。
返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、
調査をお願いします。

オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)

地図 オーガニックひろば ひふみ



 皆さんのご参加をお待ちしています♪





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by lunabura | 2016-07-20 22:13 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(3)

添田に行ってきた



月船さんとこのブログに出ていた「ふつもち」の看板の引力が強大で、
気になって仕方なく、ついに、添田神社に行ってきました。(爆)


添田神社、ほんと「天穂日命」でした。



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「天穂日命八十代孫千家・・・」とあります。
記事はいつかゆっくりと書くことにしましょう。


さて、「ふつもち」の看板は添田神社から英彦山道の駅にいく途中、
左手に見つけたけど、立ち寄れず。

道の駅の「よもぎの入った焼き餅」で済ませました。(笑)


そのあと、二つの神社を廻って帰宅。



昨日、「八咫烏」-賀茂氏と鉄の民―のレジメがほぼ仕上がりました。

真鍋の伝えるキーワードを整理して関連の神社をリストアップしてみると、
なるほど、「一目」で古代の鉄の民の営みが浮き彫りになってきました。

目から鱗の内容になると思います。

次の時代になると鉄の民の神社に菅原道真が祀られるようになるのも
よく分かります。

だから、その祖先の天穂日の祭祀が英彦山の近くにあるのは
かなり興味深いです。

神社の鎮座する地形がそのまま伝わっている福岡は素晴らしいですね。

さて、今週は21日(木)が磐井の末裔たちの話、
24日(日)が八咫烏と関連の深い賀茂氏の話。
と立て続けに歴史カフェがあります。
楽しみにしています。


追伸
当方からの返信が届いていない「A・F」さま、
21日と24日のどちらを希望されているのか、
ご連絡くださいませ。
(宛先不明で返信が戻ってきました)



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by lunabura | 2016-07-18 17:54 | にっき | Trackback | Comments(6)

賀茂神社(2)景行天皇も来ていた



賀茂神社(2)
唐津市七山藤川
景行天皇も来ていた





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七山には二つの「かも」神社があり、
「賀茂」と「加茂」の書き分けがなされている。
下の地図を拡大するとよくわかる。






玉島川の北にある賀茂神社が、(1)に挙げた神社だと
チェリーさんの指摘で分かった。



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主祭神の「賀茂別雷神」について、掲示板の由緒書きには
「雷の御神威により、厄を祓い災難を除き給う厄除の神として
広く信仰されている」
とある。
この神は父が誰か分からなかったが、のちに雷神と判明する。

その母、玉依毘売も相殿に祀られて、
「母神、玉依毘媛命は沐浴のとき、
川上から流れ来し一本の丹塗の矢を授かられたところ、
一夜にして御祭神、賀茂別雷命を身籠られた」とある。

よく似た話があった。イスケヨリ姫だ。

母と丹塗矢に化身した大物主との間に生まれた。
だから神の子と言われた。

イスケヨリヒメの又の名、ヒメタタライスケヨリヒメに
「タタラ」が含まれるように、製鉄の暗号を秘めた姫神である。

そして、賀茂氏もまた製鉄、鍛冶の民である。

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ほぼ同じような世代にこのような神語りがあったのは、興味深い。




これは、日本神話の解釈は稲作でなく、
鉄や銅の物語で解く必要があることを教えている。

この玉依毘売の父が建角身命で、由緒書きには
「賀茂県主族の祖神で、霧に迷われた神武天皇の軍を
八咫烏となられ、道案内された」
とある。

賀茂氏が古代から、のちの天皇家と深いつながりがあったことを示している。




さて、掲示板には宮の由緒がさらに書かれている。

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「延暦15年(796)に京都の上賀茂社と下賀茂社を勧請した」
とするが、ここにはもっと古くから賀茂氏が入植していたことが
掲示板の続きを読めばすぐわかる。

景行天皇の時代にここに県主(賀茂氏と思われるが)がいて、
天皇がやって来て歓待しているのだ。
その時、雷が鳴り出して一晩中鳴り響いたために雷神を祀るようになった。

これは賀茂氏の信仰する雷神が喜んでいたからだ。
だから、景行天皇が格別に祀った。

これらから、ここには古来、原始的な雷神祭祀があっていたが、
改めて延暦15年に京都風の祭祀形態が取り込まれたという事が分かる。

これは筑紫の神社でもよく見かけるパターンだった。



さて、何度か書いているが、
真鍋は賀茂の祭・葵祭が脊振山で行われていたのを
天智天皇が見て、京都でも行うようになったという。

この脊振山の葵祭がどこで行われていたのか探さねばならなかった。

脊振山は祭神は市杵島姫(弁財天)なのだ。

賀茂神社はどこにあるのだろう。
そう思い続けていたが、
こうして予期せずにこうして七山の賀茂神社に案内された。

七山の賀茂神社は脊振山系のはずれにあるので、
これが天智天皇が見た祭りの場かどうかわからない。

しかし、周辺には景行天皇ののち、神功皇后の足跡も見られ、
天皇家に友好的な土地柄だったことは確認できた。

(つづく)












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by lunabura | 2016-07-16 23:03 | (カ行)神社 | Trackback | Comments(11)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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