「ほっ」と。キャンペーン

ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

<   2016年 12月 ( 20 )   > この月の画像一覧

花寄せ




「花寄せ」


c0222861_1652239.jpg


庭の小さな春を集めて、お供えに。



今年もあと数時間で終わりを迎えます。

今年は「交流の年」と定めて、歴史カフェを始めました。
これでも勇気が必要でしたよ。

それから、早良や嘉麻、飯塚でもお話しする機会をいただいて、
多くの古代史ファンの方にお会いしました。

糸島の女神ツアーも今年のことだったんですね。

思いがけず、バスハイクの話をいただき、
神功皇后の百社巡りが始まりました。
(これは最後まで行けるかどうかは決まっていません^^)

美しい福岡の忘れ去られた歴史を人々と共有したい。

そんな思いの一つ一つが
このブログに集う皆様のお陰で実現しました。

経験と出会いは
この花束のように美しい調和を見せてくれています。



また、明日から新しいページが開かれます。

これからも少しずつ書き込んでいきますね。



皆さまも、どうぞ良いお年を!






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-31 16:06 | にっき | Trackback | Comments(6)

歴史カフェ第10回ご案内 115、117は「北極星と北斗七星」



歴史カフェ第10回ご案内

 115、117は「北極星と北斗七星」


遠く氷河期の時代、凍り付く大地に立つ人類の頭上に輝く星は
どれほど明るく煌めいていたことでしょうか。

見上げる満天の星のなか、
北極星の座に煌々と輝いたのは琴座のベガでした。

それから数千年経ち、中国に皇帝たちが出て来て見上げた北極星は
龍座のツバーン。
北の天子の座に蛇のように連なる龍は皇帝の印となりました。

弥生時代が近づくと、ツバーンは北極星の座から離れていったので、
卑弥呼が仰いでも北極星は無く、黒々とした「玄」の状態でした。

卑弥呼の手紙を持って海を渡る海人族はツバーンとポラリスを見て、
羅針盤としました。

そして。

白村江の戦いで倭国が滅ぶころ、
北極星の座にはポラリスが近づいていました。

中大兄皇子も大海人皇子も朝倉で、あるいは那珂川から
北斗七星がポラリスの周囲を廻り始めるのを見たことでしょう。

このように、北極星は時代と共に変化していきました。

渡来人たちが北欧、近東、中東、中央アジアからやって来た頃、
故郷の国の言葉を星の名や地名に付けていきます。

地名の中に、異国の響きが込められています。

さて、ついにチーム・アンドロメダ。
真鍋大覚の伝える古代の星の話です。

今回は、一番分かりやすい北斗七星の話をはじめ、
北極星の変化と主な星々を紹介していきます。

足一騰、妙見、宮司、可愛(え)、勝門、四三嶋、鳥羽、志賀、
厩戸、真名井、麻氐良etc。

北の星との関連で読み解く地名や古代の名、
「北」を沖縄で「にし」と読む理由、
などなど、古代の星の世界を案内します。

会場が狭いため、募集人数を減らしました。

1月15日(日)は満席です。
1月17日(火)を募集します。(2016年12月28日現在)




日程 1月15日(日)2時~4時 受付終了
      1月17日(火)2時~4時

会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)
会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755
申し込み方法 
「歴史カフェ117希望」と書いて、
郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)

メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。
一度参加された方は、住所は書かなくても結構です。

申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ

 



皆さんのご参加をお待ちしています♪






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-28 23:15 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご45 古墳のことで思い出したルーン文字



ひめちゃご45

古墳のことで思い出したルーン文字
 

昨日はクリスマスだったんだね。

古墳を見に、鞍手に行ってきた。
新延大塚古墳。
中は三つの部屋がある、豪華なものだった。
遠賀川流域でも最大クラスという。

そのあと、もう一つの古墳群へ。
名前忘れたので、また落ち着いて調べよう。


そういえば、スコットランドで円墳に入ったことを思い出した。
天井が高く、ドーム型だった。
この新延大塚古墳のように。

あれは古墳だったのだろうか。
冬至か夏至の日が羨道から入るように設計されていた。
多分、冬至の日だったと思う。

長い冬が終わる喜びの日。

そこにルーン文字が落書きされていた。

訳を見たら、「隣の未亡人は美人だ」と書いてあったとさ。

バイキングの文字。

そういえば、ルーン文字を彫った石で占うんだよね。

彼らは航海がたくみだった。
欧州大陸の北に住んでいた人たち。

そんなことを思い出した。


さて、この日一日で色んなことがあった。
ブログに書いていいのかどうかさえ、考え込んでしまう。

世に出る必要があれば、そうなるのだろう。

成り行きに任せるというのも、一つの智慧。

一つ賢くなったかな。

<2016年12月26日>









いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-26 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご44 狩尾神社 天智天皇の狩



ひめちゃご44

狩尾神社 

天智天皇の狩
 


天智天皇が狩をしたという狩尾岬の山の中に狩尾神社が鎮座する。



c0222861_21274935.jpg

社殿が古くなって壊れてしまったという。









c0222861_21281498.jpg

前回はうっそうとしていたので、入るのがためらわれたが、
今日は天気に恵まれ、鳥の声のにぎやかさに、誘われるように石段を上って行った。










c0222861_2134030.jpg

多くの灯篭や石碑は、戦いのために故郷を離れる人々の祈りが込められていた。










c0222861_21284659.jpg

やはり、神殿あとは何もない。

祭神は中殿に大国主神、右殿に豊受太神、左殿に天児屋根命










c0222861_21292580.jpg










天智天皇もこの山に入って来たのだろう。

この体験が元になったのだろうか、
天智天皇の狩の記録が二回ほど『日本書紀』に綴られている。

天智七年五月五日、蒲生野(かまふの)に縦猟(かり)したまう。
この時、大皇弟(大海人皇子)、諸王、内臣(中臣鎌足)など群臣ことごとく参加する。

天智八年五月五日、山科野(やましなのの)に縦猟したまう。
大皇弟、藤原内大臣、および群臣が従う。

とある。




推古天皇の時代にも五月五日に薬狩というのが行われていて、
薬草を求めて野山に入る行事が行われた。

天智帝の二回の狩もそのならいなのだろうが、
白村江の戦いを経たあとは、やはり軍事訓練の意味合いが強くなったと思う。

この時のメンバーの中に内大臣(鎌足)がいる。

ここ狩尾岬(かりおみさき)の狩にも中臣鎌足がいたのだろうなと
想像された。

左殿に天児屋根命が祀られているのをみて、鎌足と繋がっているような気がしたのだ。








c0222861_2130402.jpg


社殿は無いが、聖なる地のあとをさまよう風情だ。









c0222861_21305678.jpg












c0222861_21311590.jpg


帰りの鳥居の向こうに海がキラキラと光っていた。






c0222861_21313137.jpg










いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-23 21:34 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご43 狩尾岬の天智天皇



ひめちゃご43

狩尾岬の天智天皇
 


バスハイクで千畳敷を案内したいと思い、再び訪れた。









c0222861_22431194.jpg

行けども行けども、知らない光景だ。










c0222861_22433838.jpg

ここは山鹿半島から響灘(ひびきなだ)に突き出た狩尾岬。










c0222861_224414.jpg

ぐるりと「なみかけ遊歩道」があって、海岸沿いに歩くことができる。


あとで調べると、結局、もう一か所、同じ千畳敷という海岸が存在したのが分かった。

例の如く、勘違いして訪れたのだが、そのお陰で天智天皇の伝承に出会った。






天智天皇がこの岬の山で狩をしたという。そこから「狩尾」の名がついた。

狩は軍事訓練の一つだ。
遠賀水軍や陸軍など多くのものが関わったのだろう。

時期は遠賀川中流域の中間市「磐瀬」にある行宮(あんぐう)に
滞在している時と考えられる。
まだ中大兄皇子と称した頃だ。

斉明天皇も元気だった。









c0222861_2245545.jpg

帰り道に視界に入って来るのが「洞山」(どうやま)の「洞穴」。
神功皇后が矢で射た穴が大きくなったという。

このような地形は世界中にあるので、海人族の湊の印だろうと考えている。

この穴がいつ頃、掘られたのかは分からないが、
同じ光景を中大兄皇子も見たのではないか。







c0222861_22452797.jpg

二つの小山の左が「堂山」右が「洞山」だ。
どちらも「どうやま」と読む。
思いがけず、先日のバスハイクの時、この堂山で遊んだ。

もう三度も続けてこの芦屋の磯で遊んだことになる。




                       <2016年12月21日>









いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-21 22:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

取り掛かるよ



昨日は、斉明天皇と天智天皇の足跡を確認しに、遠賀川流域へ行きました。

中間市にある磐瀬宮あとから移動したという「斉明天皇の石碑」を確認。

また、天智天皇が狩をしたという「狩尾神社」の現地を見てきました。

これでピースが揃ったので、中大兄皇子について執筆を始めます。

とりあえず、年内は集中して行ける所まで行こう。

気分転換は掃除 (;’∀’) 





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-19 21:45 | にっき | Trackback | Comments(10)

ひめちゃご42 「7」はシュメールの聖数 



ひめちゃご42


「7」はシュメールの聖数 
 


神功皇后が「七日七晩」籠って祈ったという話が『日本書紀』に書かれているが、
この「7日」という日数を他でもいくつか採取した。

「七日七晩」

これを聞くと現代人は「ああ、一週間か」と簡単に脳内変換するが、
紀元200年(日本書紀説)ごろに「七日」という単位があることが
ずっと不思議だった。

「七曜」は平安時代に空海が唐から密教とともに「宿曜経(すくようきょう)」として日本へ持ち帰ってきたという。

神功伝からは、すでにその前から「七」という数字が
祈願成就の単位として存在していたということになる。

この「7」は聖なる数と言えよう。

どの民族かが自分たちの文化と共にその概念を倭国にもたらした。

この「7」について、真鍋は
シュメールの聖数が「7」だ、と書き遺していた。

以下、『儺の国の星』p20より。(読みやすく変更)

<古代中東のシュメール帝国(前2900~1955)は
天変地異の輪廻の明けを七百七歳としました。

七はシュメール民族の聖数でありまして、
現行の七曜はその遺風であります。

始元の数を一とする文化の発祥地であり、
零を始元とする印度アーリア民族とは異なり、
数え年(かぞえどし)の式例を日本にまで及ぼしました。

この値の由来は太陽暦706年と、太陰暦8732月の差が
わずか0.11354日であり、日食月食の会合周期として
暦書作成の基本としたからであります。>

これによると、
シュメールは707年ごとに天変地異が繰り返すという思想を持っていて、
「7」を聖なる数字としていた。

彼らは数字を数える時、「1」からカウントするが、
それに対してインドのアーリア人は「0」から数えた。

(インドの「0の発見」は仏教の「無の思想」と結びつけられている。)

これに対して「1」から数え始める思想は
私たち日本人が人生の年数を「数え」で表すことに反映されている。

これは胎内にいる10月10日(とつきとおか)を一年と数えるため、
生まれた時には既に一歳児となっているという考えが元になっている。

これでは不便なので、「0歳」からスタートする「満」を並行して使用している。

つまり、私たちの日常に始元を「0」、あるいは「1」とする二民族の思想が入り込み、
使い分けをしているということになる。


シュメールが「7」を聖数とし「707」を天変地異の輪廻とする理由は
暦の計算から来た。

太陽暦と太陰暦を併用すると、端数がずっと出て、
累積されると季節感もずれるために調整していくのだが、
約706年後に再び二つの周期が一致する。

この太陽太陰の会合周期と天変地異の周期が連動するというのが、
「7」を聖数とする理由となる。

言い換えれば、シュメールにとって「7」とは
災害警鐘の暗号が込められている鎮めの祈りの数なのだ。


さて、この「707」年の災害周期に関して、
日本でも「性空上人」(しょうくうしょうにん)によって確認されたということが
同書に書かれている。


<花山院(968~1008)の御意を承りて、
地震噴火の動静を会得した性空上人(91~1007)は、
筑紫の伝説でありました山焼(やまやけ)、山燃(やまもえ)、山篝(やまかがり)
即ち噴火の年代が678年8497月ごとに起こる事実を確かめました。

その差はわずか0.02683日でありますから、日本人はいつの頃か、
大陸より遥か程度の高い暦数を知っていたことになります。>

性空上人は脊振山でも修行しているので、筑紫の伝説に接したのはこの時だろう。

噴火が約700年ごとに起きているということを計算したようだ。

有明海の津波も「夜渡七十」すなわち70年ごとに起こっていた。

「7」は、天変地異のサイクルとして畏れられていたのだろう。


さらに、この本は「スバルとシュメール」についても触れている。

<儒波屡(すばる)とは、
源順(911~983)の倭妙類聚抄にある万葉仮名であり、
中東では七星で描写されておりました。

シュメールの聖なる星が春分点に輝いた時代からの名が
伝えられたのかもしれません。>

倭妙類聚抄に「スバル」という読みが書かれていた。
つまり、平安時代には既にプレアデスを「すばる」と呼んでいたことになる。

スバルは六連星(むつれぼし)とも言い、後には六星と捉えられるようになるが、
古代には「七星」で描かれている。

シュメールはスバルを「七星」の聖なる星としていた。

さて、現代。

七色が七回登る「七面山」という意味には
災害を鎮めるというシュメールの聖数「7」の意味が
込められているのかもしれない。







いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-17 20:23 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)

ひめちゃご41 「宇佐と六嶽は均し」



ひめちゃご41


「宇佐と六嶽は均し」
 


『八幡宇佐宮御託宣集』に「波豆米」の名が出て来た。

「波豆米」
読み方は分からない。
一応「はづめ」と呼んでいる。
宇佐神宮の禰宜だ。
女性。

これを見て思い出した。
彼女の名は「鞍手町誌」に出ていたはずだ !

そう思って資料を開くと、やはり載っていた。

波豆米は六嶽神社に参拝していたのだ。

「六岳神社降臨紀」という縁起書があるらしい。
そこに次のように書かれているという。
(読みやすく改変)

<養老2年(718)、宇佐の祢宜、辛島勝波豆米という人、ゆえ有りて
この御社に参り至ったが、室木の長田彦の裔孫・室木ノ国彦というものが、云々

この時、辛島氏が
「このお宮は吾が宇佐宮に均しければ、よろしく宇佐の第二宮と称し奉るべきである」と言ったとある。>

これは享保五年(1720)の記録だ。


ついに核心が見えて来た。

「養老二年」(718)という具体的な年が出て来た。
712年を手掛かりに奈良時代を見ると、
710年に平城京に遷都が行われ、
712年に太安万侶が『古事記』を編纂している。

718年、福岡と大分、すなわち鞍手と宇佐で一つの交流があった。

宇佐から禰宜がわざわざ鞍手に派遣され、
「この六嶽神社は吾が宇佐宮に均し」と伝えたのだ。

そう言って、相手に「宇佐の第二宮」の地位を押し付けたのだが、
逆に言えば、当時の六嶽神社の格式が高かったのを明かすものと言える。

この言葉の本質は「宇佐と六嶽」が同じ「比咩神」を祀っている点にある。



これで分かった。

宇佐神宮とは何か?

そう思うだけで霧がかかり、思考停止したのだが、
こちらも三女神信仰だったのだ。

三女神か、あるいは市杵島姫+二女神か。それはまだ不明瞭だが。

繰り返そう。
宇佐神宮の本質は六嶽神社と同じだ。


そして、今日、飯塚での古代史講座の前に雑談をしていたのだが、
宗像大社の本質は市杵島姫で、出雲も、という話を聞いた。

やはり市杵島姫か。

これらを思うとき、六嶽神社に掲げられた縁起絵に思いが至った。

それは六ケ岳の上空に一人の姫がいて、左右で見守るかのような二姫の姿だった。
市杵島姫と姉神二人だ。

そうだ、星読が絵を撮らせていただこうと言ってくれていたね。
一つ一つ、実行していこう。

再び六ケ岳のシリウスの出が見える季節が廻って来ていた。


c0222861_20324866.jpg

御許山



c0222861_203341.jpg

六ケ岳

山容も似ているような。






※ コメントの返事、少しずつですが、お待ちくださいね。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-15 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご40 宇佐神宮 菱形池



ひめちゃご40

宇佐神宮 菱形池
 








c0222861_21325813.jpg

宇佐神宮の本殿の前で三人とはぐれてしまった。


参拝を済ませて、遥拝所から御許山を撮影していたら、
互いを見失ってしまったのだ。









c0222861_21332161.jpg

御許山には神代に比売大神が降臨したという。








三人を追って下宮に向かうが、どうやら自分が先に移動しているようだった。

携帯があるから安心できる時代だ。

私は連絡して場所を確認すると、その足で菱形池に向かった。

もう一度行っておきたい。








c0222861_2134261.jpg

しかし、行けども行けども記憶の池は無かった。

他の神社の記憶と混じり合ったのか。

それとも、夢の中の記憶なのか。












c0222861_21343042.jpg


菱形池は広かった。









c0222861_2134593.jpg


石橋をいくつか渡った。









先ほど行った薦神社のご神体である三角池を考えながら。


 
三角池は三つの沢で形成されていた。
「鏡澤」「鉾澤」「玉澤」
渡来人が造成したと書かれているが、目的がよく分からない。
隣の地名は「加来」すなわち「星」の意味だ。

安心院との繋がりが思い起こされた。
鉄の匂いがする。


地形的に、この宇佐神宮も同じ匂いがするのだ。



『八幡宇佐宮御託宣集』によると、
欽明29年(569)この池の辺に鍛冶(かじ)の翁がいたという。

その翁は頭が八つあり、人々が見に来ると、その半分を殺した。

大神比義が行くと、人はおらず、金色の鷹がいた。
その鷹は金色の鳩となって袂(たもと)に止まった。

それから大神比義は三年間穀断ちをして祈ると、三歳の子供が現れた。

竹の葉の上で
「自分は辛国の城に八流の旗をともに天下りして日本の神となった。
釈迦菩薩の化身である。

十六代誉田天皇広幡八幡麻呂である。云々」
と語った。

三歳児、即ち応神天皇だ。
十六代であるのは神功皇后を十五代天皇として数えているから。

それがここの池の話だった。

文脈からは「鍛冶の翁」は応神天皇の化身となる。

ここには鍛冶の民が住んでいた。

豊かな水と湖沼の葦。鉄の材料に事は欠かない。



そして、神代から比売神がおわした。

参拝した人の多くは本殿の正面が八幡神でなく、比売神であることに驚く。

しかも、宗像三女神の称号ではない。

宗像三女神では不都合なのか。



『託宣集』では応神天皇の母は神功皇后で、父は住吉とする。
ここ宇佐では住吉族が活躍していた。

住吉族が宗像の三女神を崇敬するのでは都合悪かったのか。
あるいは、別の姫神だったのか。

薦神社では明らかに宗像三女神の名が書かれていたが。





c0222861_2137451.jpg

(水分神社)







いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-13 21:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご40 薦神社(こも) 中津市



ひめちゃご40

薦神社(こも) 中津市
 








c0222861_22265318.jpg

知らずにまたもや動画ボタンを押していた。










c0222861_22272096.jpg

例の如く足も写っているが、鳥の声がいっぱい。












c0222861_22274969.jpg

境内では全く気付かなかった。







c0222861_2229194.jpg


ここは鳥の音に満ち溢れた世界だった。











c0222861_22282293.jpg

ご神体の三角池。

主祭神 比咩大神。

田心姫命

湍津姫命

市杵島姫命














c0222861_2230037.jpg

この池の真薦から薦枕が作られ、宇佐神宮の神殿に運ばれた。













c0222861_2230226.jpg


作り方は一子相伝で、あいにく途絶えたという。












c0222861_22304057.jpg











コメントありがとうございます。
リンク先など見せていただいています。
返事はまたね。











いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-12 22:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー