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歴史カフェ第12回は「糸島―木花咲耶姫伝承とエジプト人渡来伝承―」



歴史カフェ第12回は

糸島

―木花咲耶姫伝承とエジプト人渡来伝承―



歴史カフェのタイトル、お待たせしました。

「糸島―木花咲耶姫伝承とエジプト人渡来伝承―」

です。今回のテーマは二つに絞りました。

糸島から佐賀基山に掛けて展開するニニギノ命と木花咲耶姫の伝承と
真鍋による糸島へのエジプト人渡来についてです。

ニニギノ命と木花咲耶姫は神話とされる部分ですが、
意外にも糸島には二人の伝承が色濃く残っています。

有名な細石神社と高祖神社を中心に伝承の整理をします。

また、うきは市の珍敷塚装飾古墳に描かれている太陽の船が
エジプト壁画と類似していることが指摘されていますが、
どのようにしてこのシンボルがもたらされたのか、
その道筋を求めて真鍋の著書を紐解きましょう。

糸島の地名に残されたエジプト人渡来の手掛かりを解説します。





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福岡県観光パンフレットより。





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壁画の左に該当する太陽の船がある



ガイドブックをお持ちの方は下巻のみで結構ですよ。


日程 3月5日(日)2時~4時
3月9日(木)2時~4時

会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)
会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755
申し込み方法 
「歴史カフェ305希望」もしくは「歴史カフェ309希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。
住所は書かなくても結構ですよ。
申し込みがあれば必ず返信しております。
返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、
調査をお願いします。
DoCoMo社に返信が届かないケースがみられます。

オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ
 
皆さんのご参加をお待ちしています♪








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by lunabura | 2017-02-27 20:30 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

古代史が盛ん



福岡では各地で古代史講座が盛んにあっています。

どれも受講したいのですが、なかなか動けないでいます。
でも、今日は久留米大学の公開講座に行ってきました。

古代の瓦が定説では飛鳥から始まったとなっているらしいのですが、
福岡や熊本からはもっと古いものが出ているそうです。

また、三角縁神獣鏡が中国では出ていないのが定説ですが、
三角縁の規矩鏡や神獣鏡的なものが「越」の国から出ていました。

画像を一瞥しただけですが、平原遺跡から出た鏡に似てましたよ。

古代史、もっともっとダイナミックに描かれる時期が到来する予感。

こういう在野の研究が真実の歴史の構築に繋がるように願っています。


私も真鍋について、一つずつまとめたいという思いがつのっています。

そのためには、これまでにやり掛けたものを完成させなくては
ならないという、ジレンマの中、時間を生み出す工夫をする日々です。

そして、今日はもう一つ、水沼の関連から
大木町の三島神社に参拝して、お話を伺う事が出来ました。

落ち着いたら報告したいと思います。





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by lunabura | 2017-02-26 23:26 | にっき | Trackback | Comments(2)

クシュ王国の鉄製品に驚いた



クシュ王国の鉄製品に驚いた



今日もテレビの備忘録。


アフリカ大陸のスーダンにクシュ王国がありました。





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紀元前2000から紀元400年ごろまでの国で、
メロエのピラミッド群はエジプトの影響だといいます。





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この国は鉄製品の輸出で栄えたといい、鉄滓が山積みになっていました。

日本のデコポコしたのと違って、粘質的なものが固まっています。

その鉄製品が一瞬写ったのですが、
生産用具がメインで、ヤットコもありました。

すでに紀元前から現代に通じるデザインがあったんですね。

ピラミッドを造る能力があるのだから、
そのようなものを作って当然なのですが・・・。

それに驚く私の頭の中はまだまだ固い(´-ω-`)




その北のエジプトから日本に渡来した人たちは
まずは糸島に入植したと真鍋はいいます。

エジプトーチベットー日本をつなぐ一つのストーリー。
エジプトの母系制など。

これも3月の歴史カフェのテーマの一つです。
真鍋の解読はとても興味深いです。



タイトルを「糸島―倭国創世紀前の王と王妃―」
にしようかなと考え中。

基本は昨年のものと同じですが、神話を読んでいなかったので、
今回は関連する天孫降臨の所も読もうと思います。

遠賀川上流の馬見山にニニギ尊が降臨した話。
韓国に向かう糸島に降臨した話。

など、まずはどんな課題があるのかを知ることから始めましょう。


『日本書紀』ではニニギ尊を
「筑紫日向可愛(え)の山稜に葬る」とあります。(p124)

鞍手の六ケ岳には瓊瓊杵尊(ニニギ)が葬られた「可愛の宮」があるのです。
これもまた大きな謎です。






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by lunabura | 2017-02-25 17:40 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ハイランド




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キルトのパターンの最新作のパターン名が「ハイランドトレイル」
と気付いて笑っちゃいました。

ハイランドはスコットランドの高原地帯ですね。
ケルトの雰囲気があります。



以前、書いた話ですが、
スコッチウィスキー工場に掲げられていた創業時の働く人たちの集合写真が
明治時代の日本人とそっくりで二度見をしたことがあります。


シェイクスピアの生家も天井が低かったです。
入口が小学生の身長ギリギリだった。


部屋と部屋をつなぐドアは私でもかがまないと頭を打ちます。

ケルトも今では大柄かな。

ケルトが中央アジアから西に行ったのなら、
東に行った人たちもいたんだなと一昨日のテレビで思いました。

ケルトの風習と同じ「力石」が今は神社に奉納されていますが、
それを繋ぐ歴史を誰か研究していないかな。


日本の古墳時代の平均身長が165センチでしたっけ。

それでも関西の石棺はそれよりも短いのがあって、
膝を曲げたのか、小柄だったのかと思ったりしました。

きっと部族によって平均身長は違っていたんですね。

ニュージーランドに行った友人が、
山を隔てて全く違う人種が住んでいたと言ってましたが、
弥生時代ってそんな感じなんだろうなあと思ってます。


「ハイランド」からのいつもの連想パターン ^^






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by lunabura | 2017-02-24 22:17 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご60 アイルランドのケルト テレビ備忘



ひめちゃご60

アイルランドのケルト 

テレビ備忘
 

昨夜、NHKでアイルランドのケルトを尋ねて
ロックルーの丘からタラの丘までを歩く特集があったので、
備忘録を書いておこう。



ロックルーの丘 ― クロッサキール ー ケルズ ー 
コージーファーム ー ワードの丘 ― ダンデリー ー タラの丘まで。


ハロウィンの原点の「ソーウィン」の祭を目指す旅だが、
当方は遺跡目当て。

今回はマウンドが空から写されていて興味深かった。







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ロックルーの丘。
魔女の椅子。



ケルト人は中央アジアから紀元前3世紀ごろにアイルランドに到達した。
鉄と馬を持っていたという。







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ケルト十字架の十字はキリスト教で、丸は太陽を表す。









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ケルト文化とキリスト教の習合による模様。










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途中で一瞬写ったマウンドの遺跡。
今ゆっくりと見ると、タオの勾玉から始まる文様だ。










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ハロウィーンの原点である「ソーウィン」。
大地の女神の名は「トラクタ」。
この祭は祖霊祭だ。









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最後にタラの丘。








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各地の王が年に一度集まって儀式をするという。





タラという地名は世界に分布する。






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by lunabura | 2017-02-23 20:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

歴史講座でした



今日はリュックを背負って早良区まで。

「歴史と自然を守る会」の歴史講座、神功皇后の話の最終回でした。

『日本書紀』では消されていた一年間に沢山の謎の答えがありました。
これまでは伝承を客観的につなぐスタイルでしたが、
今日は総まとめとして、私の考えも話しました。

同じ話を次回の飯塚の麻生TNC文化サークルでもします。
消されていた筑豊の話、3月16日までお待ちくださいね。


友人と話をしていて、九州の古代の文化が
現代でも書き換えられようとしていることを聞きました。

ちょっと執筆を頑張ろう(^^;
と、昨日は気合が入りましたよ^^

アイデアが出るシーズンみたいで、
次々に出てくるテーマを記録しています。

皆さんにも、次世代にも伝えたい筑紫と豊と火国の古代史です。




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by lunabura | 2017-02-21 20:12 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご59 ジンヨウとパオタン



ひめちゃご59

ジンヨウとパオタン
 


2016年12月5日 結願


スクネが現れて対話があったあと、話題は沖ノ島に移った。
菊如はスクネに島について尋ねた。

「沖ノ島は本来どんな島なのですかね。宝物がいっぱい出るんです」
「海から入ったり出たりする関所だ。
金の無い者はすべてを置いて行かせた。
入れるか入れぬかはそこで決める。
外からの金銀財宝が眠っている」

「神の島と言われているんですが」
「近寄らせぬためじゃ。参道の位置。湊から入って来た。
石があり、小高い山がある。そこから下に降りていく道がある。
あの大社はそれらを隠すためのもの。島には神などおらぬわ」

「誰が島に最初に入ったんですかね。
中国から三隻の船が入ってくるのが見えるんですが。
水軍の長はスサというのではないですか」



この時、新たな男が来ていたらしく、
菊如はスクネをはずしてその男を呼んだ。



「どけどけい」
男が割り込んできた。右手には武器を持って威嚇していた。

菊如は悠然として尋ねた。
「お名前は?」
「ジンヨウ。あの地、我の地。入るでない」

「中国から来たんですか?中国から三隻の水軍で来ましたね」
「関所を通してほしくば、置いて行け」

片手を出して金を催促するジンヨウの言葉に応じて
菊如はまるで船乗りのように演じはじめた。
「他のクニの船はどんなものを置いていってますか。
我らも置いて行きますよ。
ちょっと聞いたんですけど、あなたに任せた人を知ってるんです。
ムカカタにいる人から任されたんでしょ。
その人の名を出せば何もいらん。通行できると聞いてますよ。」
「パオタンか。パオタンがわれにこの地を守れと言った」

「どこからやって来たんですか」
「パオタンはわれと同じだ」

私が横から尋ねた。
「パオタンはどういう地域に住んでいるのですか」
「川だ」

「釣川ですね」
「関所で取ったものを箱に入れて腕に抱えて持って行って、
赤橋の所で待ち合わせをした」


菊如はそれが何処か分かったらしい。
「鎮国寺の橋の所ですね。今は宗像大社になっている。
何があったのですか。
三人の姫様がおられることになっていますが」
「神様は海に住むわけがない。
海に住む神といえば大亀か龍神かだ。ワニ族とか。
いいか。
われの時代は島ばかりだ。
陸などない。
海を船で行き来する。
領土、線引きなどないね。
今の宗像大社の所も海だ」

菊如はさらに突っ込んで行った。
「パオタンって誰?」
「われらの船は陸に停泊なぞしない。
海に留まって小さな舟で陸にあがるのだ」
ジンヨウは質問には答えなかった。

が、菊如はさらに尋ねた。
「三女神の話があるけど」
「われらの時にはいなかった。
月巫女は見たことがある。
金と銀の扇を持って舞う。
突起した岬の上で巫女が踊っていた。
われは神など見たことは無い。
海の安全保障などできないぞ。
で?」
ジンヨウは再び片手を出して金を催促した。

菊如はしらばっくれた。
「何もない。
その人が名前を言えば通れると言ったんで。
パオタン。
どんな漢字なの」
「みな地域の名前を付ける。泡丹と書く。
うちにもヒメがいるぞ」

*****

これはまだ三女神の信仰が生まれる前の話だ。
だからジンヨウは三女神の話を知らなかった。

これを聞いて思った。
日本海を航海するとき、沖ノ島は水の補給地として重要ではなかったか。
水の補給地は陸の方は年毛宮(としもぐう)だった。

安曇族も宗像族もここで水を汲みだして海に向かったという。
沖ノ島は現在、水は少ししか出ないようだが、
腐らないという貴重なものだ。

そうすると、航海中に水を分けてくれる関守がいたとしたら、
宝物を置いていくことは大いにあるだろう。
実務的だ。
水の話は出なかったが。

それにしても、ジンヨウの話は自分の発想と違っていて驚いた。


分からないで書いた部分はコメントで補ってくれるだろう。

*****

年毛宮については『神功皇后伝承を歩く』下巻70に縁起を書いています。
サイドバーからもどうぞ。

                <2017年2月19日>




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by lunabura | 2017-02-19 21:05 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ



今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





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読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





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そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-02-17 19:50 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(7)

今日は神功皇后のお話しでした



今日は飯塚市の麻生西日本新聞TNC文化サークルでの神功皇后の話、
四回目でした。

空気が澄んでいて、幸袋(こうぶくろ)から雪の英彦山が見えましたよ♪
車で移動中だったので、写真は撮れませんでした。


皆さんと相互交流が出来るようになりましたが、
あと一回を残すだけになりました。

この最後の五回目が『日本書紀』から消された歴史が満載なのです。

ガイドブックが出てから現地の皆さんがあちこち調査されて、
情報をいただいたので
より踏み込んで理解できるようになりました。

豊の国であった大きな話が消されたんだなあと今ではきっちりと分かります。
次回はそれが話せます。

今日も意図的に安曇族の歴史が消されたことを痛感したのですが、
これを文章化するには時間と力量が不足していますな (´-ω-`)

でも、少しずつ努力を積み重ねていこうと思います。

春になると、歴史関係の楽しい行事があちこちでありそうです。
どんどんお伝え出来ればと思います。





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by lunabura | 2017-02-16 20:52 | にっき | Trackback | Comments(0)

「弓削」(ゆげ)の話と「中西」の話



「弓削」(ゆげ)の話

「中西」の話

 


弓削の道鏡が建立した由義寺(弓削寺)跡が発見されたという
2017年2月13日の新聞記事をテーブルに置いたのですが、
先日歴史カフェでいただいた久留米市の文化財マップを
整理しようと手に取ってビックリ。


「弓削・北野地区」のタイトル\(◎o◎)/!

c0222861_21221311.jpg

「弓削」と「弓削の道鏡」!

これはいったいどういうシンクロ?

実は高良山に仏教が入り込んだ白鳳二年(673)。

この時、高良山の支配は安曇から物部に変わるのですが、
この物部氏が何故か、のちに武内姓を名乗るようになるのです。

武内宿禰は智将として人気があるとしても、
姓が変わるのはよほどのことと考え、

物部氏の社会的な事件が関わった可能性を想定したのですが、
この二つの資料が並んだ時、弓削氏から考えるようにと
示唆された思いがしました。

白鳳二年に出家したのが隆慶ですが、その母が弓削氏なのです。
つまり、物部氏と弓削氏はここで通婚しています。

この弓削氏だった母も白鳳7年に出家します。
正覚寺を営むとあるので、その寺は久留米で探さないといけないのですが。
(誰か教えて…)

弓削の道鏡が孝謙上皇の病を完治させたのが761年。
隆慶の母が出家した白鳳7年は678年。

弓削氏においては仏教は、道鏡より筑後の方が百年も早いことになります。

百年後の弓削道鏡事件がきっかけとなった可能性、ありますね。

少し時間を掛けて精査したいと思います。
今日はアイデアを忘れないために φ(..)メモメモです。





さて、明日は飯塚での古代史講座です。
神功皇后の話もいよいよ渡海準備の段階になります。
いわゆる三韓征伐ですが、簡単には行けないのですね。

住吉族と安曇族との交渉、
軍事訓練、
決意のパフォーマンス、男装の美豆良結い、
複数の出港地説、寄港地説などを整理します。

神功皇后が渡海の時、「この風は何か」と尋ねると、
「中西」と答えたことから、その水手(かこ)に
「中西」と名乗るようにと告げた話があります。

これがよく分からなかたのですが、
赤間の喫茶店で筥崎宮の氏子さんが突然教えてくれたのです。

「志賀島から朝鮮半島に一気に渡ることが出来る風が吹く季節があり、
その風を中西というんですよ」と。

つまり、魏志倭人伝に出てくる、楽浪郡から糸島に至る航路の
抱える問題が解決したのです。

朝鮮半島から倭国に渡るのは簡単なのですが、
逆のルートは潮流が邪魔をするので、倭国から半島に行くのは難しいのです。

しかし、一年に数日だけ吹く「中西」を捉えたら簡単に行ける!
こうして、不思議な廻り合わせで謎が一つ解けました。

それは学説では出てこない生きた歴史ですね。
伝承とは私たちに伝えてくれる知恵でもあります。

明日は、スポット参加も出来ます。
興味のある方お待ちしています。





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by lunabura | 2017-02-15 21:23 | メモ | Trackback | Comments(16)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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