ひもろぎ逍遥

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<   2017年 03月 ( 25 )   > この月の画像一覧

第4回 神功皇后伝承地巡り バスハイク




今日はあいにくの雨模様でしたが、
予定通り、バスハイクに行ってきました。

遠賀川中流域の中間と鞍手を始めとして田川、飯塚への旅です。

このエリアは『日本書紀』には書かれていないのですが、
仲哀天皇と神功皇后の足跡が濃厚に伝わっています。

田川の田原麻瑠と宇美町の宇美八幡神社の伝承が対応しているのは面白いです。

逆に、田油津姫が兄の夏羽と共に怨霊となってしまった話が
田川に伝わっているのは哀しい対応です。

百社廻ったおかげで、
バラバラの伝承が繋がっているのが分かったのですが、
それを伝える機会をこんな形で頂いたのは有り難いです。



雨の中の宮はいずれも重厚な美しさをたたえていました。

桜のつぼみが膨らみ出してピンクになり、
先が赤く染まっています。

幹がしっとりと雨に濡れて黒々として、
つぼみの色を際立たせています。

開化前の美しさをゆっくりと見たのは初めてでした。

昨年の今頃は満開だった桜がまだ開かない。
こうして一喜一憂するから、桜がなおさら愛おしいんでしょうね。





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by lunabura | 2017-03-31 22:50 | Trackback | Comments(0)

第13回歴史カフェ 406・416のご案内



第13回 歴史カフェ 

406・416のご案内


第13回 歴史カフェの詳細、お待たせしました。

「磐井の乱後2 ― 磐井の孫・鞍橋君は百済王子を助けたー」
です。

新羅(しらぎ)が拡大するのを防ぐために、
百済(くだら)が何度も筑紫に援軍を頼みます。

倭国はそれに応じ、鞍橋(くらじ)君が出兵して
百済王子とともに新羅に入って籠城したことが
『日本書紀』に書かれています。

この時、鞍橋君が敵の大将を矢で射て窮地を脱します。

鞍橋君の身分は「筑紫国造」ですが、
筑紫君葛子の子とは書かれていませんでした。
『日本書紀』は重要な情報を書かなかったのですね。

鞍橋君はこの功により、
鞍手の新延(にのぶ)と新北(にぎた)を与えられました。
脇巫女の舞台となった地です。

天皇も継体天皇からその子、欽明天皇の時代に変わっています。

今回はこの鞍橋君に焦点を当て、筑紫の状況を探っていきましょう。


前回の時には、磐井君の末裔十人の紹介と、
磐井夫人が幼子を連れて福津に逃げ、宮地嶽神社を中心に展開して、
菩提寺を造った話に焦点を当てました。

今回は前回のおさらいをして、磐井を祀る宮など、新しい資料も紹介します。

昨年の第3回「磐井の乱後」を聴いた方には新たな話を、
また、初めての方には前回の復習で全体像がつかめるようにしています。

福岡の古代史が少しずつ立体的に理解できて面白いですね。

皆さまのご参加をお待ちしています。^^



日程 4月6日(木)2時~4時
   4月16日(日)2時~4時

会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)
会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755
申し込み方法 
「歴史カフェ406希望」もしくは「歴史カフェ416希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。
オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)


地図 オーガニックひろば ひふみ
 




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by lunabura | 2017-03-30 10:39 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀



ひめちゃご63

 景行天皇の三女神祭祀
 



ヤマトタケルの父、景行天皇は九州の各地を回った。
その戦いの記録は『日本書紀』にも書かれているが、
祭祀については触れられていない。

パワーポイントをつらつらと流していると、
どうしてもここで止まってしまう。

何度も書いてしまうが、
今日も、水沼(みぬま)の話にお付き合い願おう。







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福岡県の筑後川。向こうに見えているのは耳納(みのう)山脈。
かつては水縄とも書かれていた。


こちら岸に赤司八幡神社が鎮座する。



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主祭神は道主貴(三女神)だ。
『日本書紀』には水沼君がもちいつくと書かれている。

止誉比咩命は豊姫、すなわち神功皇后の妹。(武内宿禰の妻)
與止比咩命は淀姫、すなわち津波を知らせてくれる水の女神。






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古くは筑紫中津宮といい、止誉比咩神社となった。

しかし、守り続けた水沼氏はキリシタン大名の大友氏に
神殿を燃やすか、名を捨てるか、選択を迫られて、名を捨てた。
今は宮崎氏となっている。

この時、八幡神社となった。


かつて景行天皇がここで三女神を祀り、皇子を御手代として残した。
その皇子が国乳別皇子だ。

神功皇后でさえ、妹の豊姫を神形代に立てた。
何度も書いた話だ。



この国乳別皇子(くにちわけのみこ)の墓所が在る所が高三潴。
だから、古代の連玉ビーズが出ても何の驚きもない地だ。





そして飯塚での話で、景行天皇は日尾山(ひおさん)でも
三女神を祀ったと聞いた。
それが飯塚の厳島神社の由来だ。







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これは飯塚市の日若(ひわか)神社だが、
右の画像に日尾山が写っているので、ご紹介。
右の道を走ると行き止まり。


車で走ってもかなり大きな山塊だ。
ひおさんは「日尾山、日王山、日思山」の表記があった。








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この日尾山の重要性は何を意味するのだろうか。




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右の画像の川の右手の方から山道があるという。
古代の銅の道だ。

この日若神社そのものには景行天皇関連の伝承はないが、
日尾山が写っていたのでUPしてみた。

何故、景行天皇はこの山に三女神を祀ったのか。

三女神に祈り続けた景行天皇は何を知っていたのか。

『日本書紀』からは全く伺えない、筑紫の女神信仰。
景行天皇より古い時代からの水の女神。

それを消し去ろうとしたキリシタン大名。

そこらへんにも手掛かりがあるんだなと思う。





(神社についている番号は
拙著『『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号。
ゆっくりと読み直してくださいませ)





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by lunabura | 2017-03-28 20:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(17)

多年草







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ムスカリとスノードロップ








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スノードロップと忘れな草の先祖返り









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冬からまだ咲いてくれているツツジ



植えっぱなし (^^;

植物の生命力  ( ´∀` )





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by lunabura | 2017-03-26 21:25 | にっき | Trackback | Comments(0)

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



ひめちゃご 番外



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ
 
 


今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





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読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





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そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-03-25 22:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご62 二見岩の穴の向こうは八女の奥まで



ひめちゃご62

二見岩の穴の向こうは八女の奥まで
 




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この二見岩の穴はランドマークではなく
天文祭祀ラインではないかという新たな謎に、チェリーが応えてくれた。

以下、チェリーからのメールだ。

***

「志賀島 二見岩」の記事、ありがとうございました。
相島、立花山をのぞんだ写真がとても美しく、
やはり志賀島はこの周辺の中心的な意味を持った島なんだなぁ〜
と思いました。

さて、 二見岩の穴は、北西-南東の方向に近く穿たれていると思います。

可能性があるのは最も南寄りに出現する太陽=冬至の日の出が
この穴を通過するかどうかです!


二見岩から見た今年の冬至(2017年12月22日)の日の出の画像を作りました。
lunaさんの「志賀島 二見岩」の記事の最後の写真に合わせています。

http://lunabura.exblog.jp/26504548/


c0222861_2032337.jpg

カシミールの画像は二見岩の上に立った位置からですが、
それほど誤差はないと思います。

う〜ん、微妙ですねぇ…光が通ることは間違いないと思いますが、
それが志賀島の岸部に、または海面に届くかどうか、
これは現地で確認するしかないかなぁ…






c0222861_20323499.jpg

日が昇る地点は、三郡山と宝満山の間の稜線のどこかです。


もうひとつの考え方としてなんですが、
穴の正面がどこを向いているかなんですけど、
要するに、うちのサイトが扱っているところの「何かが通る」と
仮定した場合なんですけど…

志賀島の岸部から二見岩が南東に見える画像を添付します。
二見岩の上から南東方向をのぞむ画像も添付します。







c0222861_20331644.jpg

正面に見えるのは大嶽です。
そして、大嶽の向こうに見えるのは八女の一番奥、
大分県との境にそびえる山々でした。

釈迦岳には二つのピークがあって、普賢岳は標高1231mの最高峰ですが、
大分県に属します。

もうひとつの本釈迦が標高1229.5mで、福岡県の最高峰なのです。
(普賢岳の頂上には気象観測所があるようです。
本釈迦は魅力的な岩峰のようです。)

二見岩から大嶽神社まで 134.8°
二見岩から釈迦岳(普賢岳)まで 135.12°

そして、何故志賀島から直接八女の山々が見えるかと言うと、
大嶽の向こう側は海が続いていたのです。
「針摺の瀬戸」だったのでした!


※二見岩の上に立っての画像ですので、穴の中心から釈迦岳が見えるのかどうか、
微妙なところです。
でも、八女の山々が見えることは間違いないと思います。(石割岳も!)

逆に、釈迦岳から見た志賀島の画像は
「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その13 」

http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/blog-entry-66.html  

を御覧ください。

***

どうやら冬至ラインはダメだった。

穴の正面の景観に意味があるのだろう。
そこからは、八女方面が見えているという。

チェリーのブログ記事には釈迦岳からの眺望が載せられていて、
それを見ると志賀島が見えていた\(◎o◎)/!

冬至のような真冬の澄み切った季節には志賀島からも釈迦岳が見えるのだ。
まさかの距離感だった。
大岳(地名)の木々が低ければ、容易に見えるのだろう。

その釈迦岳の裏側には鯛生金山がある!
考えすぎか。

しかし、八女の飛形山からの展望で思ったばかりだった。
「野望を持つ人」は見える範囲をすべて掌握したいと思うだろうと。
それが逆に身を滅ぼすことになった。

それが磐井の乱ではなかったかと。

そんな感想を持ったことが思い起こされた。





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by lunabura | 2017-03-24 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご61 君が代の発祥



ひめちゃご61

君が代の発祥
 



「君が代」が今でも語り継がれているのが「山誉祭」(やまほめさい)だ。








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社人が櫓(ろ)を漕ぎながら語らう中に「君が代」が出てくる。
「君が代」の発祥は志賀島だ。

左手前に正座する三人の後ろ手に持たれた藁は跳ねる魚を現している。

見守る八乙女のまなざしは母のように優しい。
八乙女の発祥もまた志賀島だ。




櫓を漕ぐ二人の社人の語らう神楽の中に、「君」とは誰か、答えが出てくる。








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あれこそは「阿曇の君」。

「君が代」とは「阿曇の君」を寿(ことほぐ)語りで生まれた。

この画像は志賀島の北部の勝馬。下馬の浜。
神功皇后が「皇神」(すめかみ)に祈るために馬から降りて歩いていったという。













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2番 君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜の居(ゐ)る磯と 現はるるまで

「君が代」の二番では荒磯の鵜が歌われている。
この画像は志賀島の二見岩の磯。
鵜が羽を広げるようすはなんとも心ゆかしい。


明治になって、鹿鳴館で外国の客に日本の歌を紹介するために、
資料を求められたのが香椎宮の宮司・木下美重(よししげ)だった。

多くの神楽が香椎宮に記録保存された中からこの「君が代」が選ばれた。

宮内省雅楽寮の奥好義(おくよしいき)によって作曲されたという。
(『儺の国の星拾遺』より)



この「君が代」は万葉集の時代には旅芸人によって、
節をつけられて広められた。

旅芸人とは傀儡女(くぐつめ)。

放浪する安曇だ。


<2017年3月22日>

『神功皇后伝承を歩く』下巻71 志賀海神社 参照





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by lunabura | 2017-03-22 21:49 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

くらじ



今日は早良(さわら)の歴史と自然をまもる会での講座でした。
磐井の末裔たち十人の話をしました。

その中でも、磐井の孫に当たる鞍橋君(くらじのきみ)が
百済王子を助けた話は『日本書紀』に出ているのですが、
当人が福岡県(鞍手)の人と知る人は少数です。

この人がいなかったら百済王家は消滅していたかもしれない。
そんな可能性もあったんですね。

今回はあらすじだけ話しましたが、
もっともっと日本の人に知ってもらいたいなと思いました。


歴史カフェも磐井の末裔たちⅡという形で、
鞍橋君に焦点を当てる予定にしましたが、それで正解だなと思いました。

さて、バスハイクの6回目の日程が入ってきたので、
今から原案を作ります。





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by lunabura | 2017-03-21 20:36 | にっき | Trackback | Comments(0)

洞(くき)と企救(きく)の地名の由来



洞(くき)と企救(きく)
の地名の由来


北九州市に「くき」と「きく」という間違えやすい地名があります。

洞海湾を昔は「洞の海」と書いて「くきのうみ」と呼んでいました。
また、その東にある企救半島は「きく」と読みます。
菊や聞の字を当てるケースもあります。

「くき」の海と「きく」半島の地名の由来は
「北斗七星」から来ていると真鍋大覚は伝えています。


「北斗七星」を「規矩の星」(きくのほし)と呼ぶ集団がいました。
中国語で「規」とはコンパス、「矩」とはサシガネ(L字型定規)のことです。








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北斗七星の柄をサシガネに見立て、
マスの部分をコンパスで描いた円に見立てたのです。

そのサシガネと円の形を洞海湾と企救半島に重ね合わせた結果、
クキとキクという表現が生まれました。

洞海湾と企救半島に地名がまだ無い時代、
北斗七星になぞらえて表現した訳です。

サシガネとコンパスはいつの時代からあるのでしょうか。

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は
中国神話に出てくる「人類を創造した神」ですが、
女媧の手にはコンパス(規)、伏羲の手にはサシガネ(矩)があります。

太古からこの二つの製図道具があった証しです。

北斗七星は北にあるので、南に住む人が名付けたことになりますが、
真鍋は宇佐からの見立てだと言います。

宇佐に住む集団が北斗七星を見て、規と矩を連想し、
宇佐の北にある北九州市の地形を呼ぶとき、
洞海湾はサシガネのように細く曲がった地、
企救半島は円の中に入る地、
そんなイメージを持って、北斗七星の印象を重ねたということになります。

「キ」と「ク」だけでは分からないので、
「キクのキ」「クキのク」と強調表現をしたのでしょう。

新羅が攻めてこないように、関門として、北斗七星を並べたそうです。
北斗七星(規矩の星)の守護を願ったのでしょうか。




<2017年3月19日>

※ コメント欄が現在使えないようです。連休明けに直るかな? (´-ω-`)


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by lunabura | 2017-03-19 21:42 | <地名の由来> | Trackback | Comments(2)

谷の春・里の春




<谷の春・里の春>


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谷間の木立はまだ眠っているのか


空は春を連れてきて、芽立ちを促す









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空と交歓しながら
木立は春のきざしを身にまとい始める










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博多にお帰りなさい









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里はもう春の盛り



                      <2017年3月18日>


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by lunabura | 2017-03-18 19:37 | にっき | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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