ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

<   2017年 03月 ( 22 )   > この月の画像一覧

ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀



ひめちゃご63

 景行天皇の三女神祭祀
 



ヤマトタケルの父、景行天皇は九州の各地を回った。
その戦いの記録は『日本書紀』にも書かれているが、
祭祀については触れられていない。

パワーポイントをつらつらと流していると、
どうしてもここで止まってしまう。

何度も書いてしまうが、
今日も、水沼(みぬま)の話にお付き合い願おう。







c0222861_20512411.jpg

福岡県の筑後川。向こうに見えているのは耳納(みのう)山脈。
かつては水縄とも書かれていた。


こちら岸に赤司八幡神社が鎮座する。



c0222861_2051504.jpg








c0222861_2052780.jpg

主祭神は道主貴(三女神)だ。
『日本書紀』には水沼君がもちいつくと書かれている。

止誉比咩命は豊姫、すなわち神功皇后の妹。(武内宿禰の妻)
與止比咩命は淀姫、すなわち津波を知らせてくれる水の女神。






c0222861_20522845.jpg

古くは筑紫中津宮といい、止誉比咩神社となった。

しかし、守り続けた水沼氏はキリシタン大名の大伴氏に
神殿を燃やすか、名を捨てるか、選択を迫られて、名を捨てた。
今は宮崎氏となっている。

この時、八幡神社となった。


かつて景行天皇がここで三女神を祀り、皇子を御手代として残した。
その皇子が国乳別皇子だ。

神功皇后でさえ、妹の豊姫を神形代に立てた。
何度も書いた話だ。



この国乳別皇子(くにちわけのみこ)の墓所が在る所が高三潴。
だから、古代の連玉ビーズが出ても何の驚きもない地だ。





そして飯塚での話で、景行天皇は日尾山(ひおさん)でも
三女神を祀ったと聞いた。
それが飯塚の厳島神社の由来だ。







c0222861_20532012.jpg

これは飯塚市の日若(ひわか)神社だが、
右の画像に日尾山が写っているので、ご紹介。
右の道を走ると行き止まり。


車で走ってもかなり大きな山塊だ。
ひおさんは「日尾山、日王山、日思山」の表記があった。








c0222861_2055251.jpg

この日尾山の重要性は何を意味するのだろうか。




c0222861_20534556.jpg

右の画像の川の右手の方から山道があるという。
古代の銅の道だ。

この日若神社そのものには景行天皇関連の伝承はないが、
日尾山が写っていたのでUPしてみた。

何故、景行天皇はこの山に三女神を祀ったのか。

三女神に祈り続けた景行天皇は何を知っていたのか。

『日本書紀』からは全く伺えない、筑紫の女神信仰。
景行天皇より古い時代からの水の女神。

それを消し去ろうとしたキリシタン大名。

そこらへんにも手掛かりがあるんだなと思う。





(神社についている番号は
拙著『『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号。
ゆっくりと読み直してくださいませ)





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-28 20:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(1)

多年草







c0222861_2124997.jpg

ムスカリとスノードロップ








c0222861_21244343.jpg

スノードロップと忘れな草の先祖返り









c0222861_21245833.jpg

冬からまだ咲いてくれているツツジ



植えっぱなし (^^;

植物の生命力  ( ´∀` )





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-26 21:25 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご62 二見岩の穴の向こうは八女の奥まで



ひめちゃご62

二見岩の穴の向こうは八女の奥まで
 




c0222861_2223279.jpg

この二見岩の穴はランドマークではなく
天文祭祀ラインではないかという新たな謎に、チェリーが応えてくれた。

以下、チェリーからのメールだ。

***

「志賀島 二見岩」の記事、ありがとうございました。
相島、立花山をのぞんだ写真がとても美しく、
やはり志賀島はこの周辺の中心的な意味を持った島なんだなぁ〜
と思いました。

さて、 二見岩の穴は、北西-南東の方向に近く穿たれていると思います。

可能性があるのは最も南寄りに出現する太陽=冬至の日の出が
この穴を通過するかどうかです!


二見岩から見た今年の冬至(2017年12月22日)の日の出の画像を作りました。
lunaさんの「志賀島 二見岩」の記事の最後の写真に合わせています。

http://lunabura.exblog.jp/26504548/


c0222861_2032337.jpg

カシミールの画像は二見岩の上に立った位置からですが、
それほど誤差はないと思います。

う〜ん、微妙ですねぇ…光が通ることは間違いないと思いますが、
それが志賀島の岸部に、または海面に届くかどうか、
これは現地で確認するしかないかなぁ…






c0222861_20323499.jpg

日が昇る地点は、三郡山と宝満山の間の稜線のどこかです。


もうひとつの考え方としてなんですが、
穴の正面がどこを向いているかなんですけど、
要するに、うちのサイトが扱っているところの「何かが通る」と
仮定した場合なんですけど…

志賀島の岸部から二見岩が南東に見える画像を添付します。
二見岩の上から南東方向をのぞむ画像も添付します。







c0222861_20331644.jpg

正面に見えるのは大嶽です。
そして、大嶽の向こうに見えるのは八女の一番奥、
大分県との境にそびえる山々でした。

釈迦岳には二つのピークがあって、普賢岳は標高1231mの最高峰ですが、
大分県に属します。

もうひとつの本釈迦が標高1229.5mで、福岡県の最高峰なのです。
(普賢岳の頂上には気象観測所があるようです。
本釈迦は魅力的な岩峰のようです。)

二見岩から大嶽神社まで 134.8°
二見岩から釈迦岳(普賢岳)まで 135.12°

そして、何故志賀島から直接八女の山々が見えるかと言うと、
大嶽の向こう側は海が続いていたのです。
「針摺の瀬戸」だったのでした!


※二見岩の上に立っての画像ですので、穴の中心から釈迦岳が見えるのかどうか、
微妙なところです。
でも、八女の山々が見えることは間違いないと思います。(石割岳も!)

逆に、釈迦岳から見た志賀島の画像は
「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その13 」

http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/blog-entry-66.html  

を御覧ください。

***

どうやら冬至ラインはダメだった。

穴の正面の景観に意味があるのだろう。
そこからは、八女方面が見えているという。

チェリーのブログ記事には釈迦岳からの眺望が載せられていて、
それを見ると志賀島が見えていた\(◎o◎)/!

冬至のような真冬の澄み切った季節には志賀島からも釈迦岳が見えるのだ。
まさかの距離感だった。
大岳(地名)の木々が低ければ、容易に見えるのだろう。

その釈迦岳の裏側には鯛生金山がある!
考えすぎか。

しかし、八女の飛形山からの展望で思ったばかりだった。
「野望を持つ人」は見える範囲をすべて掌握したいと思うだろうと。
それが逆に身を滅ぼすことになった。

それが磐井の乱ではなかったかと。

そんな感想を持ったことが思い起こされた。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-24 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご61 君が代の発祥



ひめちゃご61

君が代の発祥
 



「君が代」が今でも語り継がれているのが「山誉祭」(やまほめさい)だ。








c0222861_21435518.jpg

社人が櫓(ろ)を漕ぎながら語らう中に「君が代」が出てくる。
「君が代」の発祥は志賀島だ。

左手前に正座する三人の後ろ手に持たれた藁は跳ねる魚を現している。

見守る八乙女のまなざしは母のように優しい。
八乙女の発祥もまた志賀島だ。




櫓を漕ぐ二人の社人の語らう神楽の中に、「君」とは誰か、答えが出てくる。








c0222861_2144453.jpg

あれこそは「阿曇の君」。

「君が代」とは「阿曇の君」を寿(ことほぐ)語りで生まれた。

この画像は志賀島の北部の勝馬。下馬の浜。
神功皇后が「皇神」(すめかみ)に祈るために馬から降りて歩いていったという。













c0222861_21455546.jpg

2番 君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜の居(ゐ)る磯と 現はるるまで

「君が代」の二番では荒磯の鵜が歌われている。
この画像は志賀島の二見岩の磯。
鵜が羽を広げるようすはなんとも心ゆかしい。


明治になって、鹿鳴館で外国の客に日本の歌を紹介するために、
資料を求められたのが香椎宮の宮司・木下美重(よししげ)だった。

多くの神楽が香椎宮に記録保存された中からこの「君が代」が選ばれた。

宮内省雅楽寮の奥好義(おくよしいき)によって作曲されたという。
(『儺の国の星拾遺』より)



この「君が代」は万葉集の時代には旅芸人によって、
節をつけられて広められた。

旅芸人とは傀儡女(くぐつめ)。

放浪する安曇だ。


<2017年3月22日>

『神功皇后伝承を歩く』下巻71 志賀海神社 参照





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-03-22 21:49 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

くらじ



今日は早良(さわら)の歴史と自然をまもる会での講座でした。
磐井の末裔たち十人の話をしました。

その中でも、磐井の孫に当たる鞍橋君(くらじのきみ)が
百済王子を助けた話は『日本書紀』に出ているのですが、
当人が福岡県(鞍手)の人と知る人は少数です。

この人がいなかったら百済王家は消滅していたかもしれない。
そんな可能性もあったんですね。

今回はあらすじだけ話しましたが、
もっともっと日本の人に知ってもらいたいなと思いました。


歴史カフェも磐井の末裔たちⅡという形で、
鞍橋君に焦点を当てる予定にしましたが、それで正解だなと思いました。

さて、バスハイクの6回目の日程が入ってきたので、
今から原案を作ります。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-21 20:36 | にっき | Trackback | Comments(0)

洞(くき)と企救(きく)の地名の由来



洞(くき)と企救(きく)
の地名の由来


北九州市に「くき」と「きく」という間違えやすい地名があります。

洞海湾を昔は「洞の海」と書いて「くきのうみ」と呼んでいました。
また、その東にある企救半島は「きく」と読みます。
菊や聞の字を当てるケースもあります。

「くき」の海と「きく」半島の地名の由来は
「北斗七星」から来ていると真鍋大覚は伝えています。


「北斗七星」を「規矩の星」(きくのほし)と呼ぶ集団がいました。
中国語で「規」とはコンパス、「矩」とはサシガネ(L字型定規)のことです。








c0222861_2139723.jpg
 
北斗七星の柄をサシガネに見立て、
マスの部分をコンパスで描いた円に見立てたのです。

そのサシガネと円の形を洞海湾と企救半島に重ね合わせた結果、
クキとキクという表現が生まれました。

洞海湾と企救半島に地名がまだ無い時代、
北斗七星になぞらえて表現した訳です。

サシガネとコンパスはいつの時代からあるのでしょうか。

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は
中国神話に出てくる「人類を創造した神」ですが、
女媧の手にはコンパス(規)、伏羲の手にはサシガネ(矩)があります。

太古からこの二つの製図道具があった証しです。

北斗七星は北にあるので、南に住む人が名付けたことになりますが、
真鍋は宇佐からの見立てだと言います。

宇佐に住む集団が北斗七星を見て、規と矩を連想し、
宇佐の北にある北九州市の地形を呼ぶとき、
洞海湾はサシガネのように細く曲がった地、
企救半島は円の中に入る地、
そんなイメージを持って、北斗七星の印象を重ねたということになります。

「キ」と「ク」だけでは分からないので、
「キクのキ」「クキのク」と強調表現をしたのでしょう。

新羅が攻めてこないように、関門として、北斗七星を並べたそうです。
北斗七星(規矩の星)の守護を願ったのでしょうか。




<2017年3月19日>

※ コメント欄が現在使えないようです。連休明けに直るかな? (´-ω-`)


いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-03-19 21:42 | <地名の由来> | Trackback | Comments(2)

谷の春・里の春




<谷の春・里の春>


c0222861_19341965.jpg

谷間の木立はまだ眠っているのか


空は春を連れてきて、芽立ちを促す









c0222861_19344082.jpg

空と交歓しながら
木立は春のきざしを身にまとい始める










c0222861_19345580.jpg

博多にお帰りなさい









c0222861_19351764.jpg

里はもう春の盛り



                      <2017年3月18日>


いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-18 19:37 | にっき | Trackback | Comments(0)

麻氐良山に登ってきた




今日は朝倉の麻氐良山(まてら)に登ってきました。

実際に登るといろいろと発見、確認ができますね。

やはり、現地を知ることは大切。


もうひとつ、八女の飛形山(とびかた)にも登りました。
こちらは車で登れます(^^)/
「磐井の君の御霊」が祀られている山です。


とりあえず今夜は沢山の写真を整理します ( ..)φメモメモ


<2017年3月17日>



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-17 21:42 | にっき | Trackback | Comments(0)

最終回




今日は飯塚での古代史講座の最終回でした。
ご参加の皆さまありがとうございました。

神功皇后の5回シリーズでしたが、
最終回は出産から豊浦宮還宮まで。

短時間コースでは省略せざるを得ない筑豊での出来事と
北九州の古代豪族たちの話。

地元の方に話せて良かったです。

5回目の部分は『日本書紀』では完全に抹消されている部分なのです。

ガイドブックには情報は書いていますが、
解釈はなかなか伝えることができていません。


書紀に不自然に書かれて整合性が無い部分は
豊国での出来事を隠すためだということが分かりますし、
豊国隠しはこの時代も、また磐井君の時代、天智天皇の時代と続きます。

おいおい書いていきたいのですが、
話すのは数分のことも、書くとなると数時間を要するので、
じれったい思いをしています。


焦らずに一つずつこなしていきますね。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-03-16 21:23 | にっき | Trackback | Comments(0)

志賀島 二見岩の穴!




志賀島 二見岩の穴




このブログの始まりとも言える二見岩です。
2009年8月に撮っています。
志賀島の金印ロード、反時計回りに回るとまず目に飛び込んできます。







c0222861_2203186.jpg

二つの岩の間に見えているのは、
今話題にしている相島と鼻栗瀬ではないですか!


この日は天気も良くて海もきれいですね。






c0222861_2204939.jpg

少しずつ北に行くと、左のろうそくのような岩が大きく見え、
立花山の二つのピークが見えるようになります。

イザナギとイザナミの宮殿と言われています。








c0222861_221658.jpg

さらに北に行くと穴!!!









次は2014年の12月22日。
朔旦冬至の日。





c0222861_2214517.jpg

二見岩と立花山。








c0222861_2221520.jpg

やはり北に歩いていって撮ったもの。









c0222861_2223279.jpg

そして、穴!
今見ると、穴は意外に低い位置にあります。


かつては海の民の道しるべとなるものと考えていましたが、
もしかしたら、特異な日に太陽の光が通るのかなと
思い始めました。


チェリーさんの参考に^^









いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-15 22:07 | 志賀島の各地 | Trackback | Comments(2)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー