ひもろぎ逍遥

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<   2017年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

ひめちゃご68  勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1



ひめちゃご68

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1
 


今日は所用があって飯塚(いいづか)に行った。
日が長くなったので、一ヵ所探索しようと地図を広げた。

そうだ、勝盛公園と宮地嶽神社を確認しに行こう。

何故なら、飯塚に宮地嶽神社があり、
勝村・勝頼兄弟ともう一柱が祀られていて、
それが「勝守」というのだ。

知られていない謎の兄弟がいる。
「勝盛公園」の名は謎の「勝守大神」から来ているに違いない。

その因果関係を確認しにいこう。
第三の祭神の存在は、宮地嶽一族が飯塚を治めた可能性も秘めていた。
新しい勧請か、古い勧請か知りたかった。






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これが最後に見つけた三柱の名を刻むご神体だ。

「勝村」「勝頼」兄弟の間に勝村大神がいる。
ということはやはり三兄弟だったか。


「勝盛公園」の近くは時々通るが、駐車場を見たことがない。
ナビでも出てこない。

とりあえず周囲を廻ってみると
「勝盛公園入口」(記憶曖昧)の小さな案内板を見つけて
鋭角の角を曲がり、駐車場を見つけた。

多くの市民が集っている。





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噴水が印象的な池があった。

二つの山が東の方に見えた。
いずれかが「勝盛山」で宮地嶽神社が鎮座しているはずだが、
鳥居は見えない。

まずは池の周囲を歩いて地形観察をすることにした。







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駐車場から左手の丘に登ると見晴らしの良い広場に出る。
昼下がりの太陽が傾き始めているので、
南西を向いた岬状の丘になっている。

いかにも古代豪族の治めるにふさわしい地形だ。

散歩する人に「神社がありませんか」と尋ねると、
全く知らないようで「すみません」と逆に言われてしまった。









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公園の沿革を書いた掲示板なんかも見つからない。









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遊歩道を辿って赤い橋に出た。
参道に違いない。
正面に山がある。


しかし、鳥居は全く見えなかった。

                    <2017年4月21日>



勝盛公園









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by lunabura | 2017-04-21 22:37 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

第14回「歴史カフェ」は521と525 「高良玉垂宮神秘書2」



第14回「歴史カフェ」は521と525 

「高良玉垂宮神秘書2」


 
5月の歴史カフェ第14回の「日曜日」はいつもの会場が取れなかったのですが、
午前中なら使えるということなので、

「ひふみ」で5月21日(日)10時半~12時半

に設定しました。



5月21日(日)10時半~12時半
5月25日(木)2時~4時


ご都合のよい日を選んでください。

題は「高良玉垂宮神秘書2」です。

高良玉垂宮の歴史の始まりは仲哀天皇と神功皇后の時代になります。
「高良大社縁起書」も冒頭は「仲哀天皇」です。

「異類」が攻めてくるので、反撃するために新羅討伐に向かう話からです。

それから1500年間、高良山では沢山の史料が書かれ、
それが近世末頃に集められて一巻の巻物になりました。

「文盲のためにカタカナ書き」で書かれたために、
現代人にはかえって読解困難になっています。

私はちょうど『神功皇后伝承を歩く』を執筆したので、
内容が理解できました。
フィールドワークのお陰だと思います。



「神秘書」には色んな謎の答えが書かれています。

謎 仲哀天皇の崩御後、三種の神器はどうなったか。
答 アントンイソラ(安曇磯良)と武内宿禰と神功皇后が一つずつ持った。

謎 神功皇后はどの神器?
答 宝剣!

神功皇后らしいですね。剣を持つなんて^^

「鏡」は武内宿禰が預かって、なんと高良山に伝世しちゃいましたよ。

それが真実かどうかは別として、
まずは「内容を知らないと」ですね。

前回と重なる部分も多々ありますが、
身近な話を中心に「高良玉垂宮神秘書」を解説していきます。


同じ5月に久留米大学公開講座でも解説しますが、
こちらは専門的な話も多く、
土地勘があり、長らく歴史に取り組んでいる人向けに構成します。

「神秘書」を気軽に楽しみたい方は「歴史カフェ」がお勧めです^^
お茶も楽しみましょう。


なお、今回、会場を調べて教えてくださった方
大変ありがとうございました♫
とりあえず、5月は「ひふみ」でやってみます^^

日程 5月21日(日)10時半~12時半
     5月25日(木)2時~4時


会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)

会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755

申し込み方法 
「歴史カフェ521希望」もしくは「歴史カフェ525希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

返信が戻って来た場合は、サイドバーでお知らせします。
確認されたらもう一度メールをください。
当方の返信代わりにサイドバーの連絡を消します。


オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ
 





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by lunabura | 2017-04-20 20:30 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご67  連玉ビーズは幼な子の胸に



ひめちゃご67

連玉ビーズは幼な子の胸に
 


ロッキーが高三潴の連玉ビーズの公開の画像を送ってくれた。

多分このようなものはネット上でも見ることは出来ないだろう。
貴重な画像を載せて記録としておきたい。

そこには新聞に書かれなかった重要な情報がある。
なんと、連玉ビーズは子供のために副葬されたものだったのだ。

糸島では王墓かもしれないが、
高三潴では幼な子の胸にかけられたものだった。

何故これが新聞には書かれなかったのだろうか。
重要な情報ではないか。












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経年変化のために白濁しているが、見事に姿を留めている。

41基の甕棺があり、何も出なかったと思われたが、
持ち帰って調べて連玉ビーズが確認されたということだ。








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しかも朱の中から出て来た。
水銀朱か単なる赤色顔料かは不明だ。














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これを見て目を疑った。二重構造ではないか?
甕棺の中に甕棺が入れられている?

見間違いだろうか。間違っていたら指摘してほしい。
二重構造の甕棺は初耳だ。












c0222861_21364576.jpg

これが連玉ビーズが副葬されていた甕棺だ。
サイズが書かれていないが、
これでは乳飲み子ぐらいしか入らないのではないか。

パネルのサイズから推測するしかないが、
大人用なら驚くほど大きいのだ。


これはよほど身分の高い人の子供だ。

時代は弥生時代後期(1~2世紀)だという。
景行天皇の没年が西暦130年とされている。

何度も書いているが、
その皇子が国乳別皇子(くにちわけのみこ)で
ここから西に130mほどの所の前方後円墳に埋葬されている。

実はその長さは東西258mもあるという。
それはひっそりと掲示されていた。


岩戸山古墳が135m。
測量の基準が違うかもしれないが、それでも相当の大きさなのだ。





明治時代の弓頭神社の神官の船曳鉄門(ふなびきてつもん)にょると、

〈高三潴地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、
その後は大善寺の宮本山に埋葬するようになった。

そこにはおよそ47、8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。〉
(拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻57弓頭神社より)
とあり、高三潴には国乳別皇子から三代の山陵があることが分かっている。


今回出土した甕棺墓群は水沼一族のものの可能性もある。
水沼一族で夭逝(ようせい)した子だと想像することは許されよう。

連玉ビーズがその身分の高さを証明している。














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画像はレプリカ。












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これは拙著『神功皇后伝承を歩く』に掲げた高三潴付近の地図だ。
出土地は赤い星の右下、「い」と「信」の間付近だそうだ。
持っている方は参考にしてほしい。

烏帽子塚古墳が国乳別皇子の古墳だ。

何とも縁(えにし)を感じさせる位置にあるのだ。



ロッキーに感謝。
                         <2017年4月17日>

画像の著作権はロッキー氏に所属します。
連絡の中継ぎとして、画像には当ブログのサインを入れています。


連絡
04月16日 23時10分にメールを下さった 〇中〇 さま。
返信が戻ってきます。
何らかの手段を考えますね。



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by lunabura | 2017-04-17 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

5月は「高良玉垂宮神秘書」歴史カフェ、久留米大学



5月は「高良玉垂宮神秘書」

歴史カフェ、久留米大学


今日は歴史カフェでした。
ご参加の皆さまありがとうございました^^
県外からも何人も来ていただいて、情報交換も沢山しました。

歴史の雑談をする時、話したいことがあっても
記憶が曖昧で困ってしまうことが多々ありますね(^^;

また、感覚的に導かれて神社に参拝して不思議な思いをしたことも、
曖昧な記憶だと上手く伝えられません。

体験した歴史的な出会いをさらに深めるには記録が一番ですね。

神社名と住所と縁起のメモを書くと確かなものになっていきます。

私もブログに挙げていないものは、記憶から飛んでしまいます(´-ω-`)
行ったことでさえ (;’∀’)


そこで記録法を考えてみました。

人それぞれ記録法があるようです。


1 自分だけの年表を作っていく。
 今回の磐井の時代などは年表が作れますね。

2 地図にプロットしていく。(グーグルを利用する方もありましたよ)
 神功皇后、ヤマトタケルと色分けして地図に落としていくと、
面白い現象が見えたりします。

地名は知っていても、場所の記憶は案外曖昧なものです。
地名、山の名、道路号数などを記憶していくと、対話が楽しめます。


3 一神社 一カード。
 ワードやカードに一神社ずつ記録して行って、カテゴリに分けていく。


思えば、私が本を書く時も、基本はこんな感じですねえ。

どれか好きな方法が見つかると、楽しさ倍増です。



さて、5月は「高良玉垂宮神秘書」祭というか、、、

歴史カフェと久留米大学公開講座が同じテーマです。
歴史カフェは5月25日(木)会場ひふみです。

歴史カフェでの内容については構成が出来次第お知らせしますが、
前回とは切り口を変える予定です。

観測点が変われば新たな景色が見えるように、
歴史も観点を変えて総合的な理解に繋げたいなと思います。

会場の件ですが、日曜日の「ひふみ」が使えなくなりました。
会場を探してみるので、少々お待ちください。
どこか良いところがあったら教えてくださいね。


 
 
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by lunabura | 2017-04-16 20:19 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

第五回バスハイク鞍手・宮若2




第五回バスハイク鞍手・宮若2




神功皇后の伝承を辿るバスハイクの続きです。







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これは鞍手の古月横穴から見える山並み。→の所が六ケ岳です。
この古墳群は正面に六ケ岳を見ていました!
(上巻60ページ)









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鞍手を離れて宮若へ。
春日神社です。この神紋は撃鼓神社と同じもの。
榊でしょうか。
(上巻20番)









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トヨタ工場を抜けてすぐに笠松神社。
丘を越えて百官百寮も、ここで休憩です。
(上巻21番)









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山口川に出ました。ここは沼口の若八幡宮。
桜並木が道案内してくれます。
神社を背に犬鳴連峰を撮りました。
(上巻22番)



この山の手前に竹原古墳が。
壁画はとても綺麗に見えました。
出土品がどこに収蔵されているのか、やっぱり不明です。
写真だけでも見たいですね。
(上巻64ページ)









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最後の山口八幡宮。最後の石段を振り返ったところ。
どの神社も少し高台にあり、た~くさん石段を上りました。
仲哀天皇と神功皇后の一行も、このあとは厳しい見坂峠越えです。
(上巻23)

万歩計は一万歩越えでしたよ^^


明日は歴史カフェです。
この鞍手のお話も出てきます。
磐井ファンの方も、新情報をご紹介。
飛び込み参加もOKです。






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by lunabura | 2017-04-15 16:51 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

今日のバスハイクは桜吹雪のなかで 鞍手・宮若





今日のバスハイクは桜吹雪のなかで



2017年4月13日の鞍手、宮若のバスハイクは
天気に恵まれ、遅れた桜を満喫してきました。

桜吹雪の舞う中、
鞍手の里は桜の里という新しい姿を見せてくれました。

明日、明後日なら間に合うかも。
あるいは来年行く?



桜狩の里として物部の里、鞍手は要チェックですよ(*´ω`)





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木月剣神社(上巻17)

桜のトンネルです。3月31日はつぼみだったので、再参拝しました。
「脇巫女」姫巫女たちを養育した舞台。







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古物神社も桜の園。(上巻18)

「脇巫女」ふるべもののべの舞台です。










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神崎神社。(こうざき)(上巻19)
「脇巫女」神崎もののべ。










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同じく神崎神社。
池の色とのコントラストがお気に入り。











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古月横穴。(上巻60ページ)(ふるつきよこあな)

600年前後。









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山ン神。(昼食)
鷹ノ口おだ山が見えました。










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銀冠塚古墳出土レプリカ。(上巻60ページ)
600年前後。
鞍手歴史民俗博物館にて。






仲哀天皇と神功皇后が豊浦宮から香椎宮に至る道を
バスハイクで辿っていますが、5回もかかりました。
真冬の旅だったので、大変だったでしょう。

6回目はようやく香椎宮です。
6月の菖蒲の季節に参ります。





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by lunabura | 2017-04-13 21:23 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

明日はバスハイク



明日はバスハイクです。

バスハイクの時には一週間前からずっと週間天気予報を見ています。
前回は冷たい雨で、桜のつぼみも固かったのですが、
明日は天気で、残り桜も見られるのではないかなと、
ちょっと期待しています。

まわるコースが神功皇后の古代の道沿いになるので、
運転手さんも知らない所ばかりで、
毎回道に迷うのですが、明日は大丈夫かな。

古社の風情に触れる参加者の皆さんの驚きの顔を見るのが
楽しみになっています。

ご案内する立場ですが、バスハイクは楽しくて、
遠足前の子供のようにワクワクしています。




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by lunabura | 2017-04-12 22:11 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご66 水鳥のすだく水沼を皇都となせり



ひめちゃご66

水鳥のすだく水沼を皇都となせり
 


三島神社の掲示板に足を止めた。
そこには万葉集の一首があった。

「水鳥のすだく水沼を都となせり」

そういえば、この歌は何処の歌かと思ったことがあった。
それがここか。

宮司に尋ねると、ここではなく、高三潴の方だという。
そうだ。高三潴こそ政治の地だった。


念のために万葉集を開いてみる。(岩波)

4261番
大君は神にし坐せば水鳥の多集く水沼を都となしつ 
おおきみはかみにしませばみずとりのすだくみぬまをみやことなしつ

作者詳らかならず
右の件の二首は、天平勝宝四年(752)二月二日に聞きて即ちここに載す


原典は以下のようになっている。

大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通
 
(※尓は山へん)

なんと原典では「都」ではなく「皇都」と書いてあるではないか。
これは大変なことだ。

「皇都」と単なる「都」では意味が違う。
これまではどうして「都」とされてきたのか。

「大君」は「大王」と書いてある。
これもそのまま「大王」で良かったはずである。

万葉集とは、かくも自由に文字変換されていたのか。

一般的な訳は、
大君は神でいらっしゃるので水鳥が集まってくる水沼の地を都とされた
で、
奈良の沼地に大君が木建設工事を采配して都を建設したような歌
となっている。


「右の件の二首」とあるので、
もう一首、その前に書かれた歌について確認してみた。

万葉集の編者は752年に聞いた歌を二首並べて載せていたのだ。

皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
おおきみは かみにしませば あかこまの はらばうたいを みやことなしつ

例の歌ではないか。

あの天智天皇がみやまヤマトの太神宮で祈りの日々を送って
腹赤魚をもらって吉兆とした謎解きの歌なのだ。

「田」とは「たんぼ」ではなく、「指標となる星」のことで、
「赤駒」とは低緯度オーロラ。

すなわち、オーロラがでる北の天帝の座をも統べるようになったという歌で、
中大兄皇子が長い皇太子時代を終えて天皇の座に就いたという意味が
込められていた。

奈良で泥田を干拓した土木工事の素晴らしさを詠んだという
通説の歌ではないことを確認していた。

まさか、ここに戻ってくるとは。

万葉集の編者は、これが水奴麻(水沼)の皇家と都を示す歌と知ったために、
黙って置いたのか。

「水鳥乃 須太久水奴麻」は「皇都」
水沼の地に「皇都」があった。

こんな重要な歌を知ったため、説明を加えずに置いた。
そんな配慮があったのか。

これが時々浮上してくる三潴の皇都説の由来か。


「水沼」は倭妙類聚抄には「筑後国三潴郡美無万」とあるらしい。


水沼とは天と人をつなぐ巫女を出す家。
そこに入り婿した国乳別皇子。

政治の地、高三潴。(弓頭神社)(下巻57)
国際港、大善寺。(大善寺玉垂宮)(下巻78)

国乳別皇子の霊島、三潴郡大木町。
三女神が降臨した聖地、赤司(赤司八幡神社)(下巻56)

筑後川の真水と有明海の海水がせめぎ合い、
水と干潟が日に何度も姿を変えるところ。

それが水沼の統べる皇都だったというのか。




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水沼ノ総社 三島神社







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by lunabura | 2017-04-11 20:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(15)

福岡もようやく満開




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福岡も一気に満開です。






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待ちに待ったのは人間も桜も







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同じだね。







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真ん丸^^

                           <2017年4月9日>






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by lunabura | 2017-04-09 20:17 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご65 三島神社 国乳別皇子の御魂を祀る宮



ひめちゃご65

三島神社 

国乳別皇子の御魂を祀る宮
 


高三潴(たかみずま)で連玉ビーズが見つかったことから、
国乳別皇子(くにちわけのみこ)の話になったが、
思えば皇子はヤマトタケルの異母兄弟なのだ。

「ひめちゃご」とは全然違う方向に進んでいるかと思うと、
そうではなかった。

これはヤマトタケルの時代であり、
三女神を祀る水沼(みぬま)の話でもあるのだ。

景行天皇がどれほどこの女神たちを敬愛していたか、
今頃、気が付いた。

三女神の謎は景行天皇を調べる方が早く解けるのかもしれない。

ヤマトタケルは粗暴な性格のため、
父の景行天皇に疎まれたように『古事記』では描く。

しかし、『日本書紀』では異常なほどの可愛がり方だ。
嘘をつくと饒舌になるのが書紀の癖だ。

ヤマトタケルには佐賀や東国で戦わせるのに対し、
国乳別皇子には敬愛する三女神のクニを治めさせた。

同じ子供でもヤマトタケルと国乳別皇子の取り扱いが全く違っている。



さて、国乳別皇子の政治の地から出土した連玉ビーズは
さらに新しい出会いをもたらしてくれた。
それが三島神社である。
なんと、ここにも国乳別皇子の御魂が祀られているという。

三潴郡大木町蛭池871

弓頭神社からは南に四キロほどの所だ。
古代は海の中ではないかと思われるほど有明海に近い。






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これが遠景だ。
往時は島だったという。現在でも標高4.8mほどある。












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この鳥居は明治32年に四国から持って来たという。

そして、参道は珍しくL字型になっている。










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こちらが正面参道だ。










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石橋を渡ると神門があり、随身が脇を固めている。










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拝殿には豪奢な彫刻が施されている。

ご祭神は前面に事代主が祀られ、裏に国乳別皇子が祀られているという。

社家は宮崎姓で、かつては水沼姓だったという点で、
赤司八幡神社と同じだ。

大友氏に三女神を祀る神殿を焼くか、水沼姓を捨てるか迫られ、
女神の神殿を守った話は以前も書いた。

そして、事代主命を祀るようになったのは、延応元年(1239)に、
伊豆国の藤原家房(1167-1196)の玄孫(やしゃご)にあたる
西牟田弥次郎家綱が当地の地頭職に任ぜられてやって来たとき、
伊豆の三島神社をここに分祀したことによるものだという。



このようにして祭神が上書きされたのだが、
古絵図にも
「境内末社、若宮神社は延応以前の産神にして、千年以上の旧社なり」
とあり、こちらに国乳別皇子の御魂が祀られていたのが、
本殿に遷されたという。


本殿の右手に若宮神社がある。(上の画像)



こうしてみると、
国乳別皇子の陵墓と廟殿は高三潴に、
そして御魂は格別に南の島に祀ったのだから、
水沼君は景行天皇の皇子を殊の外、尊んだことが分かる。

そのスケールは大きい。




『神功皇后伝承を歩く』下巻
56赤司八幡神社
57弓頭神社





赤 三島神社 三潴郡大木町蛭池871

紫 弓頭神社










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by lunabura | 2017-04-08 20:46 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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