ひもろぎ逍遥

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<   2017年 05月 ( 18 )   > この月の画像一覧

ウェールズの古墳は似過ぎ(^^;



ウェールズの古墳は似過ぎ(^^;



コメントをいただいて、NHKのウェールズ歩きを見ました。
今日の収穫はこれ。

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やっぱり日本の古墳に似過ぎ。(*’▽’)
5000年前だって。
どうなってる?


島の名前や遺跡の名前、チェックした方、教えてくださいね。





時代と場所は変わるけど、
国乳別皇子と玉垂命の墓は同時代、すぐそばにあるけど、
前者は前方後円墳で、後者は円墳。
(『神功皇后伝承を歩く』下巻57弓頭神社)

宮地嶽神社も円墳。

武内宿禰の母の山下影姫の墓は前方後円墳。

なんか気になるなあ。





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by lunabura | 2017-05-30 23:51 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご81 タギツ 石占い




ひめちゃご81 
タギツ  石占い
 


2016年12月5日 結願3

シンロンの次に現れたのも女性だった。

崋山の顔を見て、菊如がクスっと笑った。
「オタフクさんですね」と。美人ではなかったようだ。

菊如が改めて尋ねた。
「地の人ですね。お名前は?」
「タギツ。浜の名前、タギシの浜から付いた名」

タギツの言語は柔らかい外国語だった。
言語変換がされて、日本語となった。

「出雲に多芸志(たぎし)の浜があるけど」
「こちらにもタギシの浜があります」

出雲と鞍手周辺に似ている地名がいくつかある。

特に鞍手のキヅキ(木月)は出雲のキヅキ(杵築)を連想させる。
この話になった。

「木月は杵築だったのでは?」
「その字は使えなくなりました。隠さねばならないものがあるのです」

「何を隠すの?」
「『築』が使えないのです」

それ以上のことは分からない。


「木月に大己貴は住んでいたの?」
「よく分かりません。
あそこの地は沢山の小さなお屋敷がありました。
一つの集落になっていました。
不思議なことに、他とは違っていました」

お屋敷について尋ねると、
「一人住まいのような」と言って高床式らしき家のようすを手で表した。
「他の人は地面に住んでました」
これは竪穴式住居のことらしい。


「他の人たちってどんな人?」
「他の人とは会ったことはありません」

「六ケ岳はどんな感じの山?」
「とても高い山で、上が雲にかかる高さ。
とうてい登れるような山ではありません」

いったいいつの時代か、また疑問が生じる。

菊如が私に質問を促した。
私は驚いてばかりで、思考停止中だった。

この女性がタギツ姫なら大己貴と結婚していたはず、と思い当たって尋ねた。

「誰かと結婚していましたか?」
「していません」

三女神の一人ではなかった。予測が外れた。

菊所が尋ねた。
「お仕事は?」
「石で占いをしておりました」

タギツは50センチ×60センチほどの平らな石を手で描いた。
右手で複数の小石を石台に投げる動作を繰り返した。

私はルーン文字を描いた小石で占う姿を連想した。


「どこにいたの?」と菊如が尋ねると
「亀甲(かめのこう)」と答えた。

亀甲はヤマトタケルが熊襲討伐から戻ってきて、
戦勝のお礼の祈りをした所ではないか。

熱田神社の宮司が心身清めて祭祀をしていたという。
それは剣岳の麓にある。


「誰か来た?」
「二人で占いに来られた方があります」

二人と聞くと、例の二人すなわちヤマトタケルと武内宿禰を連想した。

「目の色は?」
「一人は黒、一人は悟られぬように伏せて、違う色の目でした」

やはりヤマトタケルと武内宿禰だ。
私の夢に出て来た二人。タケルの目は青。

「何を聞かれた?」
「今いる場所からどの道を通って西に抜けると良いかと。
三つのルートを示されました」

「どう答えたの?」
「その一番真ん中。川と海から離れた場所。陸路です」

西。
これはヤマトタケルと武内宿禰が佐賀の熊襲タケルを襲う時の話に違いない。
遠征ルートを占ったのだ。

熊襲タケルが逃げ込んだのは佐賀だ。
その話はすでにブログで紹介していた。

それと組み合わせると、鞍手からヤマトタケルたちは
陸路を通って当時「ありなれ川」という筑後川に出て、
有明海の波が洗う佐賀に出たことになる。

「白山には誰か他の姫がいた?」
「私には分かりません」

白山とは鞍手にある山のことだ。

ここで、話は終わり、タギツは抜けていった。
崋山の自意識が戻って来たとき、
「出雲はヤマトタケルを快く思っていなかった」
と言った。

                            <2017年5月28日>



以下は佐賀の記録


ヨド姫三社めぐり(6)大願寺廃寺~健福寺
日本武尊が熊襲タケルを討伐した所だった









ヨド姫三社めぐり(7)真手(まて)山
熊襲タケル対ヤマトタケル



木月剣神社 『神功皇后伝承を歩く』上巻17 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った






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by lunabura | 2017-05-28 16:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

玉垂命は安曇磯良(アントンイソラ)




今日は久留米大学公開講座でした。
参加の皆さま、ありがとうございました。

3時間の講座のために12ページの資料を準備しましたが、
無事、最後まで読むことが出来ました。

あとで何人かの話を伺いましたが、
高良山の歴史は深く、広大な地域に影響を与えているのが
よく分かりました。

古くて、かつ今も歴史が生きているのが高良山です。

さて、準備した画像の一枚です。






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拙著『神功皇后伝承を歩く』からも画像を集めてみましたが、
なかなか面白いです。

左上から干珠満珠の形は15センチの勾玉と伝えています。

上中は高良玉垂宮の正面の龍と波。海の波と龍神の組み合わせは綿津見神ですね。
綿津見神は志賀海神社の祭神で、志賀島は龍の都(たつのみやこ)。


高良山と志賀島の繋がりを示唆しています。


上右は門司の和布刈神社の和布刈神事ですが、これは
安曇磯良が神功皇后に干珠満珠の秘法を授けた(玉垂)ことを示す神事です。

左下は志式神社の「磯良舞」。
海神(わたつみのかみ)が豊姫(神功皇后の妹)に干珠満珠を授ける場面。

どれもが「玉垂」(たまたれ)を表しています。
こうして、正史からは消されたアントンイソラですが、
今でも各地で伝えられています。

玉垂命は安曇磯良のことです。






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by lunabura | 2017-05-27 22:42 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(4)

歴史カフェ 6月は休みます



昨日の歴史カフェご参加の皆さま、ありがとうございました。

「神秘書」は昨年に続き、二度目でしたが、
前回より内容を絞り込み、また全体像がイメージできるように試みました。

謎が解けた方、
謎が深まった方
いろんな方があったかと思います。

初めて古代史講座を受けた方もあり、
日常とはかけ離れた世界に驚かれたかもしれません。

誰もが正月や折々に、神社に参拝するのですが、
いったい誰に手を合わせているのか、
ほとんどは分からずに参拝しているのではないでしょうか。

様々の神々がいますが、
その中で最たる謎の神が玉垂命で、
それが誰であり、
どのように名を消されていったのか、
「神秘書」の解読を通してその一端が分かっていただけたらと思います。


ところで、
6月の歴史カフェはお休みにします。
執筆を頑張りますね。

明日は久留米大学の公開講座です。
12時からです。
さらに込み入った話もします。




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by lunabura | 2017-05-26 21:55 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

急遽、バスハイクの仕込み



今日は7月のバスハイクの予定が急に決まって、
案内文の締め切りもすぐにということで、ツアーデザインをしています。

神功皇后伝承をたどるツアーですが、7回目になります。

必要時間を割り出して、最終コースを決めます。
案内文を書くにも、全体が先に決まらないとできないんです。
道の駅も重要ポイントで、行くのが楽しみです。

7回目はガイドブックの順を追って久留米市と小郡市に行きます。
高良山です!
高良玉垂宮神秘書の舞台ですね。

おっと、具体的な案内は「歴史と自然をまもる会」から発表が
あった後でした(^^;

6月のバスハイクは香椎宮から古賀市にかけてですが、
すでに満席だそうです。


明日は歴史カフェの14回目。
高良玉垂宮神秘書です。

高良山の祭神が変遷していくのも、時代の変化と切り離せません。

祭神は安曇磯良(アントンイソラ)と武内宿禰の上宮下宮二祭神から
武内宿禰単独、底筒男と変化していきます。
そして、江戸時代には再び武内宿禰となります。

ブログでは断片的にしか語れない内容ですが、
歴史カフェでは大まかな流れが掴めるようにと工夫しています。

明日の飛び込み参加、大丈夫です。
テキストの印刷の都合があるので、明日の午前中までに連絡くださいね。

『神功皇后伝承を歩く』の上下巻を持って来てくださいませ。





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by lunabura | 2017-05-24 22:55 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご80 シンロンの長はオージー


ひめちゃご80

 シンロンの長はオージー
 

2016年12月5日 結願2

ひめちゃご59 「ジンヨウとパオタン」の続きを書こう。

59回の概要は、
ジンヨウは長のパオタンの命令で沖ノ島の関所を守っていた。
ジンヨウは船乗りからカネを受け取った。
カネが無い者からは宝物を受け取った。
それをパオタンに渡していた。

ジンヨウにとって海に住む神といえば大亀か龍神だ。
月巫女を見たことがあるという。
月巫女は岬の上で金と銀の扇を持って舞っていた。
ジンヨウの部族にも姫がいた。シンロンという名だった。

崋山にシンロンが懸かった。

菊如は船乗りのふりをしてシンロンに尋ねた。
「はじめまして。関所の方から聞きました」
「わらわのことか」

「お名前は?」
「われ。シンロン。日本語で田心と書く人と同じ。われ心田(シンロン)」

「タゴリ姫と呼ばれていたのですか?」
「我はあの者の仲間ではない。そこに居たことはありますが。
その人は大切にされていた。
宗像の田島に住んでいる「心」の字が付く女性で通訳をしていました。
田島に住むシンロンさん。「田心」さん」

「その人はどういうことをなさっていたの?」
「雨が降らなければ降らしたり、祈りを捧げたり。
神ではない。雨が降り過ぎて波が高くならぬように祈りを捧げただけ。
神ではない」

「いっぱい素晴らしいものが届きよったんですね」
「そう。光る石も採れるし」

「それは金ですか?そこでも精製していたのですか?」
私が訪ねると首を横に振った。
「ほら見たことあるでしょ」
とシンロンに言われたがその時は思いつかなかった。

今思えば、鞍手の大塚古墳の
ラメをまぶしたようにキラキラと輝く石のことだろうか。
よく分からない。違っていたら、訂正が入るだろう。

「農耕をしていました。畑だけでは暮らしていけなかった」
とシンロンが答えたが、菊如は話題を変えた。

「タギツさんは御存じ?」
「知らない」

「イチキシマヒメは?」
「知らない」

「他の女の人は知らない?」
「山の上に女性が一人住んでいると聞いたことがあります」
シンロンは四つの山の連なりを手振りで示し、海から三つ目の山を指した。
「四塚ですね。海から三つ目の山」
と、私が確認した。

四塚(よつづか)とは宗像の四連山のことで、
釣川を挟んで宗像大社の対岸にある。

海から湯川山、孔大寺山、金山、城山。
金山(かねやま)!!
そこに女性が一人で住んでいたという。

孔大寺山は金が採れていた。
そこで、金を採っていたのか、と私は尋ねた。
「いいえ」
「金細工は?」
「それもしていません。関所から宝は来ていました」

菊如が尋ねた。
「長の名前は?」
「長はオージー様」

「姓は?」
「ウエクサ ジン・・(不明)」

「どこに住んでいるの?」
「釣川の上流に行きついた所」

菊女が、時代が知りたいけど、どうしたらいいか、私に振って来た。
私も困ったが、北極星と北斗七星の名前を尋ねた。

「星には名前は付けません。ぐるぐるまわる・・あれ。
名前でなく、形で伝えます。絵を見るように。
人に知らせる時は絵に描いて知らせます。名前を付ける感覚はないんです」

西暦や年号の無い時代、何を以って時代を確認したらいいのだろうか。
今でも分からない。

シンロンの声が良く聞こえない。
以下はその断片。

「今は六ケ岳にいます。姫が集まるから。
それぞれの姫が集まっています。
それぞれの名前でこの国を表しています。
一つは田畑・・・田心(たごり)
一つは鉱山・・・市杵島(いちきしま)
一つは魚や水産・・狭依(さよりひめ) 海はさよりひめ
この三つで表しています」

シンロンの語りはここまで。次の存在が待っていた。

       <2017年5月22日>









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by lunabura | 2017-05-22 22:55 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

今日は歴史カフェでした



今日の歴史カフェ、ご参加ありがとうございました。

お茶タイムの話が盛り上がって時間が不足。

最後は駆け抜けましたが、
皆さんが疑問を出し合って、互いに解き合うのが理想だったので、
理想に一歩近づいたなと思いました。

筑紫の古代史を把握するには、
1 景行天皇・ヤマトタケル・神功皇后の時代。
2 磐井の時代。
3 白村江の戦の時代。

この三つを押さえるのが大事だなとよく思います。

古代地図が大きく変わった時代です。

古代は「氏族が氏神を祭祀している」ので、
神社の祭神を覚えていくと、古代豪族の分布が推測できます。

古代からめんめんと伝える地名も見逃せないですね。

これらが自分の中に構築されると、
名もなき古墳と祠の関係も少し推論を立てることができます。

福岡は未指定の古墳がいっぱいです^^
口コミで噂しあってます。


関連の単語を覚えると、自分の出会った謎も説明できるようになって、
楽しいですね。

最近はとくに、それぞれの人に
古代の人たちの呼びかけが届いているなあと思います。

ご先祖だったり、自分の過去世だったり、土地神だったり。
その呼びかけに応えるうちに、大きな輪ができている印象ももちます。


「思い」と「行動」これは自分を変える手段でもあるようですね。




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(高住神社にて)




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by lunabura | 2017-05-21 21:11 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

ミニ胡蝶蘭が咲き始めた



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ミニ胡蝶蘭が一昨日から咲き始めました。

昨年の2月、田川で「遠賀水軍」について話をしたときに、
そっと届けられていた花です。ありがとうございます。


自然に育つと5月の下旬に咲く花だったのですね。
つぼみも次々に膨らんでいて、数週間は咲き続けるのではないかと楽しみです。

明日から一週間は、自分的には「神秘書」祭です。
歴史カフェと久留米大学公開講座で話をします。

歴史カフェではイメージが造りやすいように、
カラー画像を準備しています。

久留米大学ではテキストは文章ばかりです。
地元の人特有の謎に応えるべく、
マニアックな話になっていく予定です。


歴史カフェでは『神功皇后伝承を歩く』で見どころを紹介します。

先日、チョイドライブにいつも同じ所に行くという方と話をしていて、
ガイドブックを持っている方だったので、
この本で近場の新鮮なドライブコースが開拓できるという話になりました。

何せ古代の人が聖地としたパワースポットばかりですから、
もれなく感動も付いてきます。^^

道の駅も楽しみですね。
一億円のトイレとか(^^♪ そんなのが福岡にはあります。


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庭のバラも咲きました。



明日は10時半開始です。
「ひふみ」は10時オープンです。

私はいつもは30分前に来ていますが、
明日は町内会の当番を済ませて、15分前ぐらいに着くかもです。

飛び込み参加大丈夫です。
コメント欄に非公開で申し込みもOKです。





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by lunabura | 2017-05-20 20:56 | にっき | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご79 神武天皇の足跡の話まで来たが



ひめちゃご79

神武天皇の足跡の話まで来たが
 

日少(日若)神社の縁起で気になっていたのは馬の話だ。

神武天皇が中州(なかつくに)に行こうとして日向国から豊国に向かい、
田河の吾勝野に出て、兄弟山に天祖を祀った時、
馬見物部の末裔の駒主命が駿馬を連れて天皇を迎えにいったという話だ。

筑紫に行って、その家に行き、馬見山上で皇祖を祀った。
そこから北麓を巡って日尾山に向かう途中の谷で難渋して、
日若の水で祓って霧が晴れた。

簡単にはこのような話だが、調べていくと、
日王山(日尾)で比売神を祀って嵐が収まった話もあった。


前回の話と合わせると、神武天皇は
日王山から馬見山に向かう途中、鹿毛馬に立ち寄っていることになる。
そこで新たな馬に出会う。

しかし、馬はこれくらいにしておこう。

これらを読みながら、日王山が格別な山だったことを改めて認識した。

ネットでは神武天皇の足跡を
北九州と筑豊を中心に念入りに探査したサイトもあった。
福岡の東部は網羅されているといえよう。

これに加えて福岡の西部での
糸島での兄妹婚、太宰府の王城神社での政を組み合わせると
壮大なストーリが描きだせると思う。

東部での足跡は地元の人が一番分かりやすいし、
地元のために掘り起こさねばならない歴史だと思った。

誰か立ち上がって、本を書いてくれることを願うばかりだ。


「ひめちゃご」は次々に入れ子を造り遠くまで来てしまった。

ここらへんで、帰り道を辿ろう。
開いた入れ子を完結させながら戻る時に来た。





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『神功皇后伝承を歩く』下巻87日若(日少)神社











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by lunabura | 2017-05-19 20:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご78 綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン



ひめちゃご78

綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン

まさかの、続きがあった
 


前回の厳島神社の投稿のあと、チェリーから新たなライン図が届いた。

「最早、言葉はありません」と。
それを見て私も驚いた。

確かに!
それを見ると、あのラインの続きが赤色で描かれていた。
私も、驚いて、何を返事したらいいのか言葉が無かった。


それは飯土井神社へのラインだった。
(福智町神崎)

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厳島神社の縁起では、
日王山で祀られていた天照大神が勧請されたのが飯土井神社とある。
それは14世紀の半ばのことだった。

飯土井神社を調べると、もともと仁徳天皇一柱を祀る宮だ。
かつては若宮神社と号したそうだ。
そこに天照大神が合祀されたことになる。

チェリーが驚いたのは、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のレイラインの
「延長のポイント」が見つかったことなのだ。

まさか、こうして迂回してポイントが見つかるとは私も思いもしなかった。

例の調子で私の勘違いで始まった
ひめちゃご71からの一まとまりのシリーズだ。
無名山をバスの中から撮って、載せたことが始まりだった。

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この山が無名山と分かり、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のラインが
日王山を通らないのが残念だったのだが、どっこい、
それは飯土井神社(いどい)に達した。

チェリーによると、
<189.3mのピークから綱分八幡宮を見て、その反対側に
ラインを延ばしていったと考えられます。(飯土井神社は見えません)>
ということだ。

これで、無名山の隠れた価値が見えて来た。
その姿の美しさからも、聖山だったことは間違いない

この発見に何らかの見えない世界の意図を感じずにはいられない。

あとは、誰か、現地踏査する人が出てくるだけだ。(*´з`)
(^^;

あるいは、誰か祈る人が出てくることだろう。

何せこのシリーズは集団幻想による小説なのだ。
それぞれの得意分野を持ち寄って何かが分かればいい。


さて、私が驚いたのは、
日若神社には神武天皇の馬の話が出ていて、
前回の鹿毛馬神籠石の話に連なるようなので、

もう一度、あの漢字だけの縁起を読み直そうと思った矢先だったことなのだ。
中国語と日本語が全部漢字で書かれているため、

文法がぶっ飛んでいる和製中国語( ゚Д゚)

がんばるべ。






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by lunabura | 2017-05-17 21:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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