ひもろぎ逍遥

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資料完成^^



歴史講座の資料が出来上がりました。
来週の分です。
8ページにもなりました(^^;

最近は紙を節約する事より、
ページ配分をゆったりとして、見て楽に思える方を優先しているので、
ページ数がだんだん増えてます(;’∀’)
(空白が増えている^^)

二時間内にまとめるのに、また一工夫が必要なのです。

今回は物部氏や賀茂氏。
シンボルを理解していくと、随分昔から各地に展開していたのが
見えてきました。

どちらも冶金の民と言えますが、
物部氏は武器を造ってたのかな。
賀茂氏は農機具などがメインということでしたよね。

七支刀は鉄の刀です。
各地に出土するのは青銅器が多いですよね。
どの部族が作ったのかが分かると面白いんだろうなあ。







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by lunabura | 2017-08-21 21:29 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご85 ヒメコソ三社参りに戻ろう



ひめちゃご85

ヒメコソ三社参りに戻ろう
 




ヒメコソ三社参りをしたのは、昨年のこと。
2016年12月8日だった。

この詳細を記録する間もなく、
あちこちのヒメコソ(姫神)たちに参拝して回った。

比売神。
三女神。
何と北部九州の各地に祀られていたことか。


その深層には市杵島姫信仰が流れている。
災害を畏れる人々の祈りの女神だったと思うようになった。


今、各地から絶え間なく知らされる災害が
古墳時代にも起こり続けたのではないか。

あの広大な筑後平野が海から陸地に変化するために、
何が起こり続けたのか、
それを実際に目撃させられているように思われてならない日々だ。

「ナイルの氾濫」は「ナイルの賜物」と表裏一体だったが、
同じことがわが国の各地の平野でも起こり続けた。


昨年と今年では、すっかり世界が変わってしまった。


さて、いったい「ひめちゃご」が何をきっかけに始まり、
何を調べていたのかも、分からなくなってしまった。


今一度、「ひめちゃご35」の一部を掲載して、思い出そう。


ひめちゃご35 祭神の書き換え

このシリーズは「ヒメコソ」という言葉から始まった。
直後に訪れたみやき町の若宮八幡神社には「仁徳天皇」が祀られていた。

「若宮」といえば、仁徳天皇を指す所が多く、ここもそうだった。
この天皇が佐賀に祀られている点も驚きだったが、
もとは「姫古曽神社」と同じ神が祀られていたという話が琴線に触れた。

「ヒメコソ」社といえば、鳥栖と小郡に二社鎮座していて、
わずか2キロ半の距離だった。

が、二つは県が違っていて、佐賀県と福岡県に分かれていた。

稀有な事に『肥前風土記』にその「荒ぶる神」についての記述があるので、
過去記事を整理しようと手順を考えていたのだが、
立て続けに八女やみやまの神社を参拝することになった。

が、ついに歴史カフェのテーマとして、
「物部とヒメコソ神」が浮かんだことから、
11月に徹底的に伝承を並べて比較することにした。

その結果、鳥栖の「姫古曽神社」で起きていた「祭神の書き換え」が、
みやき町の「若宮八幡神社」でも起きたと考えられることが分かった。


つまり、こういうことだ。

鳥栖(とす)の「姫古曽神社」では、本来の祭神は「市杵島姫」だったが、
八幡神が勧請されると、本来の祭神は隅においやられてしまった。

「市杵島姫」は「たなばた屋敷」に留められた。

ところが、明治の維新の時に調査が入り、本来の神を前面に出すこととなり、
「市杵島姫」が主祭神に返り咲き、社号も「姫古曽」となったという。

この「ヒメコソ」は地名の「姫方」の語源ともなった。


「ヒメコソ」とはどういう意味か。

「こそ」とは貴人に使う敬称である。
だから「ヒメコソ」とは「姫さま」という意味となる。「姫方」も同意だ。

「ヒメコソ」とは貴(あて)なる姫神を指すことばで「普通名詞」と考えてよい。

だから、各地に「ヒメコソ」神は鎮座していることになる。
無理に同一神に習合させる必要はない。



鳥栖の「姫古曽神社」の祭神が書き換えられた事情が明らかになったことから、
みやきの「若宮八幡神社」も同様な書き換えがあったことが推測できる。

しかし、「若宮八幡神社」には調査が入らなかったのだろう、
上書きされた祭神の名のみが伝わることになったと考えられる。

しかし、奇しくも口碑に「ヒメコソ神」の存在が残されていた。

姫神さまが祀られていた証しは
その北部に展開する「姫方遺跡」という地名にも残されている。


さて、同じ市杵島姫を祭る二つの宮だが、やや離れている。
地図に落として眺めていると、二つの間に朝日山が乗って来た。


つまり、若宮八幡神社―朝日山―姫古曽神社 (市杵島姫―朝日山―市杵島姫)

というラインが存在するのだ。
驚いてチェリーに確認してもらうと、ドンピシャと重なったという。

それどころか、「姫古曽神社」から見た冬至の日没ラインと重なることが分かった。>



そうだ。こんな話だった。

若宮八幡神社に向かって
小郡の媛社神社(七夕神社)から出発したヒメコソ三社巡りの
詳細を思い出して書いて行こう。

<2017年8月20日>






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by lunabura | 2017-08-20 21:18 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

企画が通れば




今日は某マスコミとお話をしてきました。

歴史関係の番組があって、参画の依頼でした。

OKしましたよ。

ま、これから企画があって、通れば番組に、
というステップがあるので、
未定ではありますが、
ブログとは違う形で
皆さんにお伝えする楽しみがまた一つできました。


経過は順次報告しますね。




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by lunabura | 2017-08-19 21:03 | にっき | Trackback | Comments(0)

ウェールズの音楽は二進法



ウェールズの音楽は二進法




先日、関口知宏がイギリスの汽車の旅をする番組の再放送があっていた。

途中、ウェールズに立ち寄ってハープ奏者と出会う。
ハープ奏者は男性だった。

原始的なハープが出されたが、
忌宮神社で弾かれる琴と同じような大きさだった。
ノートパソコンより少し長いもの。

古代日本でも琴は男性が弾くものだったことを思い出した。


それから現代のハープが奏でられたが、その音色を聞くと、
妖精が飛び出してくるのではないか。
ハープとは妖精を呼び出す楽器ではないかと思われた。

その男性いわく、
ウェールズの音楽は二進法だという。

0と1。

それが意味する物は
「宇宙」と「地球のうつろう一瞬」
そのような意味だったという。

永遠と刹那(せつな)ということだろうか。
地球のすべてのものは一瞬たりともとどまらない。

ウェールズの音楽は、だから、
宇宙への呼びかけということになるのだろう。



真鍋大覚は、神籠石(こうごいし)は「0」と「1」で出来ているという。
ウェールズと同じ思想だ。

神籠石(正しくは「八葉の石畳」)の謎のヒントがここにあるのかもしれない。


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by lunabura | 2017-08-18 21:38 | メモ | Trackback | Comments(0)

ファラオ展に行ってきました。




「黄金のファラオと大ピラミッド展」に行ってきました。




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今回の特徴は何と言ってもファラオの石像が何点も出ていることでしょう。
本物を間近に見られるのは幸運だと思いました。

漆黒のファラオ象の石材は黒砂岩です。
砂岩ですから、ある程度加工しやすいのでしょうが、
表情までも表現されていて、
つややかな肌と共に、魅力的でした。

メモ
水準器は木と石で作る。
石を切るのは石。
石の表面を削るのは銅器。のちに青銅となる。

銅の斧と木を結ぶのは皮のひも。
方解石(アラバスタ―)で器や壺を作っている。
やわらなか乳白色は自分的にも好きな石。



ビーズは石に孔を開けている。かなりの労力。
ラピスラズリはアフガニスタンから。
赤玉や金はアフリカ産。

太陽の船は二つあり、一つは十本のオールで漕ぐ。
もう一つは帆船。

夫婦像では妻が夫の肩に手をかける。
子供は裸で、人差し指を口に当てる。
どの像も裸足。サンダルは見かけなかった。

ミイラの木棺は木と漆。
顔料には鉱物。

筆遣いは絶妙。2ミリほどの線を一筆で迷いなく描いている。
面相筆のようなものを使っていたのではないか。
5ミリほどの線には筆先の跡が残る。

アメンエムオペト王の黄金のミイラマスクは実物大。
実見すると、微笑んでいるように見えた。

比較すると、
それより昔のツタンカーメンのマスク方が技術的には遥かに優れている。
象嵌や、地球でまだ製造法が分からない金属の存在などを考えると、
超技術は進化していくだけではなく、
失われていくものも多かったのだろうと思われた。

ファラオたちの時代は紀元前2558年とか、紀元前2331年とか、
驚くほど古代。




エジプト展は時々ありますが、
展覧会によって、全く違う世界が見えますね。

自分の関心も変化していきます。
今は素材に興味あるのがよく分かりました^^



8月27日まで。





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by lunabura | 2017-08-17 20:54 | にっき | Trackback | Comments(2)

新たな夢



一昨日、あるアイデアが生まれたのですが、
それが実行可能なことが分かって、
その夜はなかなか寝付けませんでした。

試行錯誤があって、夢が膨らんだり、現実が見えたり。
意識が高まったり、急降下したり。
それで眠れなくなったんですね。

で、来年度は実行しようと決意しました。

その時にならないと具体的な内容は発表できませんが、
女神巡礼のバスツアー、
歴史カフェ、
と、これまでもアイデアを実現してきたので、
来年の今頃には発表できるように
少しずつ準備をしていこうと思います。

遠い方にも喜んでいただけるよう。
そんなアイデアです。



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by lunabura | 2017-08-16 21:40 | にっき | Trackback | Comments(0)

青幡神社 伊万里市 神功皇后の青幡白旗にちなむ宮 松浦党


青幡神社 伊万里市

神功皇后の青幡白旗にちなむ宮

松浦党の祖




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いきなり巨大なクスノキ!
ここは伊万里市の青幡神社です。

伊万里湾の西に鎮座する宮です。







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大通りから入ると古社の風情が迫ってきます。
ここからは横から入ることになります。







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正面に回りました。







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拝殿です。
祭神は武甕槌命、経津主命、比売大神、天津児屋根命。
ほか多数。

縁起が見当たらないので、
『佐賀県神社誌要』から口語訳します。

本社、社号及び二の宮白旗神社の社号は、神功皇后征韓の軍旗に始まる。

神功皇后が三韓を征する時、まず神代の天の磐戸の神事に
青と白の幣が使われたことにちなんで、青幡、白旗をつくり、
左右の先鋒旗にされたという。

その後、後冷泉天皇康平6年(1063)、
鎮守府将軍の源頼義が八幡宮を鎌倉に勧請する時、
青幡を陸軍神、白旗を海軍神と定めて左右の摂社として奉鎮した。


青幡、白旗は神功皇后にちなむものでした。
天の磐戸の神事があった所といえば、志賀島の神遊の瀬を思い出します。
そこで皇后は神楽を奏したといいます。

その神事の幣は青と白だった訳ですね。

それにちなんで青幡、白旗を造って左右の先鋒旗にされたという。

この戦いの縁起絵巻が各地に伝わっていますが、
紅白のケースと青白のケースがあります。

紅白の旗は宗像の織幡神社で造らせた縁起があります。
それは長手というものになるので、
ナカテではないかと話が盛り上がったことがあります。

そう、運動会の門に紅白の螺旋を巻くやつ。
ルーツがメイポールダンスと関連してましたね。



話を戻しましょう。
この青幡白旗は鎌倉で陸軍神、海軍神のシンボルとなったそうです。
これは初耳で、興味深いですね。





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さて、縁起の続きです。

近衛天皇久安5年(1149)、源太夫判官松浦直が松浦党の主領として
その政庁を当国松浦郡山代郷、里村に開設し、
南北百間の鬼門の相として青幡神社を創建し、鎌倉八幡宮の末社とし、
郷の宗廟と定め、また白旗宮を伊万里の境に建てて二の宮とし、
共に家門の安泰武運の長久を祈る。


松浦直についてですが、
ルーツは嵯峨天皇の皇子融だそうです。

融が源の姓を賜り、その融の八世の孫源久がこの松浦郷に西下して松浦氏を称し、
松浦党の祖となりました。

その久の長子が源直だということです。

ここは東山代という所ですが、館を設け、政庁の鎮守として青幡神社(一の宮)、
白旗神社(二の宮)および宝積寺を創建したそうです。
(境内掲示板より)



松浦党の歴史、初めて出会いました。



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佐賀県伊万里市東山代町里348






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by lunabura | 2017-08-15 21:34 | 神社(ア) | Trackback | Comments(0)

お勧めは「国立国会図書館デジタルコレクション」



お勧めは

「国立国会図書館デジタルコレクション」



今日は次の神社の縁起を調べるために
『佐賀県神社誌要』を読み込んでいて、時間切れとなりました(^^;

この本は「国立国会図書館デジタルコレクション」→
「佐賀県神社誌要」で検索すると出てきます。

リンク先は以下。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020648








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こんなページです。

この本は目次が付いていないのが難点です。

で、最初から順番に探していったのですが、
福岡県と違った趣があって、はまり込んでしまいました。

一番最後に祭事日程一覧表とかがあるので、
これが目次代わりに利用できるかなと思います。

やはり景行天皇、神功皇后関連は創建の事情が分かりやすいです。

水軍が住吉水軍がメインの所、安曇水軍の所など、
エリアで分かれています。
宗像は三女神が山々にずらりと祀られているのが興味深いですね。

本格的には各市町村誌が必要ですが、
とりあえず、導入としていいかなと思います。

私は他にも、「福岡県神社誌」上中下「太宰管内志」など、利用しています。
「福岡県神社誌」は分量が多いので目次だけ印刷しておくと便利ですよ。
(と言ってる本人は一部しか印刷してないけど(^^;)

50年以上前の地方誌は大体読めそうですねえ。
誰でも読める!すごい時代になりました^^


面白い本を見つけたら、教えてくださいね!



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by lunabura | 2017-08-14 21:52 | にっき | Trackback | Comments(2)

淀姫神社 伊万里市「末羅県鎮守の霊場」



淀姫神社 

「末羅県鎮守の霊場」
豊玉姫を祀る宮
 
伊万里市大川町

伊万里(いまり)市から武雄(たけお)市に抜ける途中、
山中で通行止めに遭った話を前回したが、迂回する途中で、淀姫神社の前に出た。







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「こんな所に大きな淀姫神社がある」
「お参りしなさいということだね」
ということで参拝した。

佐賀には淀姫神社が多い。
既に何社か記事にしているが、すべてが川の合流点にあった。
川の氾濫を鎮める女神だと総合的に考えている。








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こちらは神社の前の風景。盆地のようにもみえる。
地図を見ると、松浦川に支流が流れ込む小平野のようだ。

この小平野も何千年もかけて激しい雨に流された土砂で形成されたのだろう。

ここは佐賀県伊万里市大川町大川野。








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いかにも古社らしい風情がある。









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参集殿だろうか、
まるで武道館のようにも見える建物に心が引かれた。

お武家が少年剣士たちに武道を教えていそうな、
映画の舞台になりそうな雰囲気のある建物だ。





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御祭神:與止日女命・建御名方神・菅原道真公








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神殿が白色で珍しい上に、女神の華やかさがある。
右手には龍と波が描かれていた。與止姫そのものだ。




幸いにHPがあったので、由緒の一部を引用しよう。
 

【由緒】
大川野盆地中央の伏熊山に鎮座する当社は 第29代欽明天皇の御代24年(563年)に御鎮座されたと伝えられています。

古代、『魏志倭人伝』に登場する末廬国(まつらこく)が唐津地方に栄えた頃であり、古くは「末羅県鎮守の霊場」とうたわれました。

かつては「河上大明神」と称されており、松浦川の鎮守の神でありました。現在も鳥居の扁額は「河上社」と掲げられています。

 與止日女命(ヨドヒメノミコト)を主祭神とし、後代に建御名方神(タケミナカタノカミ)、菅原道真公を合祀しています。

この建御名方神は、古くは長野原の古鳥居(現 肥前長野駅の北側)にあった「諏訪大明神」の御祭神で、今から千年以上前に合祀されたと伝えられています。



前回は武雄の磐井八幡宮を紹介したが、
欽明天皇は磐井の次の時代の天皇だ。6世紀の鎮座だという。

ここは末盧国のエリアでもあるらしい。






【與止日女命 (よどひめのみこと)】

与止日女命はまたの名を豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)といい、海神・大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘にあたります。

 記紀神話では海神・大綿津見神と豊玉姫命は、海神宮(わたつみのみや)にやってきた火遠理命(ホオリノミコト)=山幸彦に、潮の満ち引きを自在に操る「潮満玉(しおみつたま)・潮干玉(しおひるたま)」を与えます。

陸に戻った山幸彦は、低い土地や高い土地に田んぼを作りますが、水をつかさどる玉を持っているので、いつも豊作となります。

豊玉姫命が五穀豊穣の神様として祀られる由縁です。古来、大川「松浦川」の氾濫に苦しんだ人々が、潮満玉・潮干玉を以って水を自在につかさどりたいという願いが垣間見えるようです。

 また、豊玉姫命は、山幸彦と結婚し身ごもりますが、天の御子を海の中で産むわけにはいかないと、陸に上がり浜辺に茅(かや)の代わりに鵜の羽で産屋を作ります。

しかし途中で産気づき、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を「鵜の羽も葺き終わらないうちに」あっさりと出産されます。このことから、縁結び・安産の神様としても信仰されています。


やはり、松浦川の氾濫を鎮める神として淀姫を祀ったようだ。
與止姫を豊玉姫とする例は時々見られる。
本来、與止姫は豊玉姫とは別神で、
夜渡(よど)七十の津波を鎮める神だと考えている。

夜渡七十とは七十年に一回、有明海から津波が遡上する現象をさす。
夜渡祭があるところは、津波の喫水線に当たることを
数年前に調べた。

真鍋は七十年というサイクルは、この夜渡七十に限らず、
災害のサイクルだということを言い伝えている。
今がその時なのだろうか。

さて、
豊玉姫は玉依姫とともに、潮満珠、潮干珠と考えられている。
豊玉姫は潮満珠なので、津波の寄せ波の象徴でもあり、
與止姫と同じといえば同じ現象なのだ。

「トヨ」と「ヨド」が混同されるようになったのだろう。




参照 河上大明神 淀姫神社 HP
http://www2.ihn.jp/~t-nk.410/index.html

鎮座:佐賀県伊万里市大川町大川野






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by lunabura | 2017-08-13 22:19 | (ヤ・ラ・ワ行)神社 | Trackback | Comments(4)

磐井八幡宮2 磐井の乱の3年前に築造した砦



磐井八幡宮2 

磐井の乱の3年前に築造した砦





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磐井の丘にどんどん近づいてます。






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こちらが正面。右手に駐車場があります。







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参道は簡易舗装になっていて、
小さくて馬力がある車なら登れそうですが、
最後に急カーブの急坂があるので、覚悟してください。








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歩いて行くと、こんな景色が見えます。
双峰の御船山です。神功皇后の船が山になったという。


武雄神社がありますね。

主祭神は武内宿禰です。父の武雄心命も祀られています。
組織は武雄組というようですが、
系譜からいうと物部氏ではないかと思っています。


磐井の時代はどのようになったのでしょうか。
物部氏なら、のちに戦うことになります。







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いよいよ社殿の前の石段を上ります。








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拝殿前に出ました。

磐井の砦跡なので、「磐井」の社号はついてますが、
祭神は応神天皇で、磐井は祀られていません。


磐井がこの砦を築いたのは524年。
磐井の乱が527年ですから、3年前だったことが分かります。
磐井が領土を広げていく中で、ここにも拠点を置いたのでしょう。

砦があるということは本丸があるのでは?

すぐ近くの柏岳(238m)がふさわしいように思われますが、
ざっと見て、その記録は見当たりません。
ご存知の方は教えてください。



帰り道、高橋駅前を通過しました。
武内宿禰がこの「高橋の津」を奪還したのでしたね。
福母八幡宮あたりで調べました。



また、朝倉林田の美奈宜神社の社伝には神功皇后の船は、
この高橋の津に凱旋したと書かれています。
(上巻43)


磐井がここを重要な拠点と考えた理由に
この「高橋の津」の存在が挙げられるでしょう。
湊は絶対条件ですよね。


また、書いていて気になったのが、この地名の朝日町です。
もう一つ砦がありましたが、鳥栖市の朝日山山頂でした。
共通するのが「朝日」という地名。
何らかの符合を感じるのですが。
これも情報があったら教えてください。



この近くには「がばいばあちゃん」のロケ地となった
淀姫神社があります。
神功皇后の妹の豊姫がここで亡くなりました。

そこには「武以」が祀られています。
仲哀天皇の重臣の大伴武以だと思っています。
また、武内宿禰の母山下影姫に関わる黒尾神社。
などなど。
既にいっぱい書いている。
曖昧なままでは困りますね。(^^;
この周辺の過去記事を復習する必要がありそうです。


この磐井八幡宮は次著でも紹介します。

磐井八幡宮
武雄市朝日町中野5483










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by lunabura | 2017-08-12 21:17 | 神社(イ) | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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