ひもろぎ逍遥

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第15回歴史カフェは924に変更です


第15回歴史カフェは

924に変更です




台風18号のために、明日の歴史カフェは延期にしました。

本日、新たな日程を調整して、
来週の9月24日(日)2時~4時に決定しました。

すぐ来週に会場が取れてよかったです。

この日程で都合が悪くなった方、ごめんなさいね。

申し込みの方は只今から受け付けます。

メールフォームを使わずに、
当方からの返信を利用していただければ簡単かと思います。
改めて申し込んでください。

日程の都合がついた方の新たな申し込みも歓迎します。


以下は再掲です。

第15回歴史カフェ924は「二つの七支刀」

サブタイトルは ー福岡と佐賀の物部氏と賀茂氏ー


目次の案内です。
第1章 こうやの宮(磯上物部神社)の七支刀 
第2章 石上神宮の七支刀
第3章 物部氏の剣神信仰 フル 石上
第4章 デザインの元 ヒカゲノカズラ
第5章 賀茂氏の雷神信仰 京都、佐賀、福岡
第6章 まとめ

今回は「二つの七支刀」で共通する物部氏について、
また佐賀唐津と京都の賀茂氏の比較からその信仰など、
古代に重要な役割をする二氏族の基礎を押さえたいと思います。

c0222861_20491175.jpg


左は福岡の南部の物部の里・旧山門郡の瀬高太神(おおが)にある
「こうやの宮」の神像の手にある七支刀。
右は物部氏の武器庫と伝える石上神宮の七支刀です。

「ひめちゃご」で話題になった、
天智天皇が「乞食の相」を果たすために滞在した場所が
瀬高太神です。
ここに「こうやの宮」があります。

滞在した宮を「腹赤宮」と言います。
腹赤魚とはウグイであることが皆さんの協力で分かったのですが、
この魚は次の天武天皇にも??野で献上されます。
それを献上したのは国栖です。

「こうやの宮」には七支刀の武人だけでなく、河童も祀られています。
河童とは国栖(くず)のことです。
瀬高太神と紀州??野をつなぐ国栖の存在がありました。

また、「腹赤宮」や「太神宮」では天文観測の痕跡がみられましたね。

物部の剣神であるフルの御魂とフツの御魂の素材には
「隕鉄」と「砂鉄」の違いがあることを真鍋は語っています。

「隕鉄」は人類が最初に出会った鉄だそうです。

c0222861_2049422.jpg



「ひめちゃご」や「脇巫女」に登場する物部氏。
バラバラのキーワードの断片をつないで整理していきます。




会場は福津市の福間中央公民館です。(宮地嶽神社の手前)
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』下巻 を持参してくださいね。

日時 2017年9月24日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2F 研修室1「ひもろぎ歴史愛好会」

所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)

交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分
会費 1500円(当日払い)

申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 歴史カフェ924希望と記入。


なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)をご希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

コメント欄で申し込みも大丈夫ですが、必ず「非公開」にしてください。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合がありますが、
受け付けておりますので、安心してお越しください。

返事が戻って来た時には、この記事の下に掲示します。
確認したら、非公開でコメントを入れてください。
そののち、記事からお名前を削除します)

福間中央公民館 
所在地:

電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。









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# by lunabura | 2017-09-16 21:21 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

歴史カフェ917 延期のお知らせ



歴史カフェ917 延期のお知らせ


いよいよ台風18号が九州に接近する状況になってきました。

残念ですが、9月17日(日)の歴史カフェを延期します
申し込まれた方、申し訳ありません。

明日、会場にキャンセルを入れて、新たに日程を設定します。
決まったらお知らせします。

今回の台風は上陸しても勢力が弱まらないということで、
災害が無いように願いたいものです。



<申し込まれた方へ>
申し込まれた方にはメールを送りましたが、
届いていない方があります。
こちらの記事でご了承ください。


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# by lunabura | 2017-09-15 20:12 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご96「鷹取山結界」の中心に筑紫君の城か(磐井の山城)



ひめちゃご96

「鷹取山結界」の中心に筑紫君の城か

(磐井の山城)
 




「鷹取山(たかとりやま)結界」の中央部をチェリーが拡大してくれた。
国土地理院の地図を使用するには大きさの制限があるのだが、
なんということだ。
分割という手段を見出している(;’∀’)
制限ハードルを見事にクリア!







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これをつらつら見ていると、明星山の中腹あたりが中央にに見える。
くじらも指摘したが、ここは「代々の筑紫君が居た」山城があった。
名前が筑紫城かどうかは不明だ。
そここそ、磐井の山城でもあった。
その前は物部の天津赤星が居た所だ。


この明星山と高良山の間の扇状地を「高良内」(こうらうち)という。
こここそ、万葉集の第3番、4番の「内の大野」ではないかと推定した場所だ。


天皇 宇智の野に 遊猟(みかり)したまふ時
、  
天皇が内の野で狩をされるとき、

中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして 
中皇命が間人連老に、献上するように

献(たてまつ)らしめたまふ歌 

(長歌はリンク先へ)

反歌
たまきはる 内の大野に 馬なめて 
朝踏ますらむ その草深野






思いがけず、過去記事の万葉集の「内の大野」が出て来た。
この全体は「内考」というタイトルでサイドバーに置いている。



そこには今、自衛隊の駐屯地などがあるが、
かつては古墳がずらりと並んでいたという。

福山裕夫(久留米大)は、そこに古代の星の観測の痕跡を見出している。



そこから斜め上に道を拾うと、国分寺跡が出てくる。
この斜め道がどうも綾部神社裏の鷹取山へのラインに重なって見える。

なんとなく、古月のドラゴンカーブも思い出させるような斜めの道だ。




一方、南の鷹取山から北の岩戸山古墳を通り、
さらに北上するとツインの磐井城の前を通る。

途中に宮地嶽神社もある。








c0222861_2233765.jpg

これは歴史カフェなどで使用した付近図。
次著でも詳述する。

この付近が中央部になるような気がするが、どうだろうか。
くわしくはチェリーのコメントを待とう。



歴史はラセン階段をぐるぐると昇ったり降りたりするようなものだが、
まさか、ここに及ぶとは思いもしなかった。


水沼君に関しては赤司八幡神社も大善寺玉垂宮も結界の外となった。
チェリーの言うように、それもまた意味があるのかもしれない。





ここまで書いたら、リラから電話があった。
「鷹取山」と「高取山」を調べていたそうだ。

日本全体ではこの二つの山名を持つ山がそれぞれ16、17山あるらしい。
福岡ではそれぞれ四つずつあるという。
その目印となる山や地名を書こう。

「鷹取山」は御牧山、三養基町、耳納山系、福知山。

「高取山」は矢部(八女津媛神社そば)大牟田、天山~川上峡、山鹿との境界付近

山城がある山が多いという。

また、脊振山頂上付近の池は「龍ケ池」といいい、
竜宮城に繋がっているという話があるそうだ。

脊振神社下宮には風穴がある。
沖ノ島の南には芥屋の大戸がある。

このメモは聞き間違いがあったら訂正をする予定だ。



情報が必要な人の所に届くよう、お互いに出し合おうと言って話を終えた。





※歴史カフェと台風の件


歴史カフェの当日、台風が通過しそうです。
現在の予報では9月17日の朝には抜けるようになっています。
台風の情報によっては、変更をしなくてはならないでしょうから、
ご参加の皆さん、前日にブログを確認してくださいね。







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# by lunabura | 2017-09-14 22:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご95 ついに出現した双龍と鷹取結界 



ひめちゃご95 

ついに出現した双龍と鷹取結界 
 




三つの「鷹取山」(たかとりやま)による三角形の結界。
それをチェリーが作図してくれた。








c0222861_22132617.jpg

二つの「ヒメコソ」神社の中央にある「福童神社」から見ると、
冬至の朝、鷹取山から日が昇る。青いラインだ。

そして、今ブログでは赤いラインを辿っている。
夏至の朝、馬見山から日が昇るラインだ。

この途中で三つの鷹取山の結界の話が出たのだが、
左上の鷹取山は綾部神社の北にあり、見事な三角錐を描く神奈備山だ。

この続きはチェリーのブログで見てほしい。
なんと二つの龍が現れたのだ。


脊振(せぶり)山系と耳納(みのう)山系だ。

龍脈の先には龍穴がある。

チェリーは耳納山系の龍は味水御井神社の水を飲むとにらんだ。

脊振山系の龍はどこの水を飲むのか。
地元の方、探してほしい。


久留米の北部からは耳納の龍がよく見える。
また脊振の龍が姿を見せるのは久留米~八女方面だ。


双龍の龍穴があるイヤシロチを発見した人は
三つの鷹取で結界を張った。


いやあ、これは集団幻想小説なのだから、妄想は大歓迎だ。

自分も妄想してみよう。

倭国の創世記、龍穴を求め、結界を張る人がいた。

鷹取結界の中には水を祀る君がいた。それが水沼君だ。
水沼君の斎き祀るは三女神。


驚いたことに、この結界の垂線は岩戸山古墳の松尾宮を通る。
その垂線は沖ノ島からスタートするとチェリーは考えた。



私は思う。

岩戸山古墳の築造者はこの結界を知っていた。
鷹取結界に倭国の秘密がある。

中大兄皇子は瀬高太神(おおが)で、その秘密を知ったのではないか。
しかし中大兄皇子が天智天皇に即位したあと、倭国は滅びる。

わずか9年で崩御した天智天皇。
その後、戦って天皇の地位を得た天武天皇もまた
筑紫に滞在していた時、その秘密を聞いていた。

天武天皇は即位すると倭国の結界を封じた。

どんな手段で?
それは、神社を寺院に変える手法だ。

天武天皇の即位元年、大善寺玉垂宮は大善寺となり、
翌年、高良玉垂宮もまた高良大明神が発心した話を創り出し、
高隆寺を造らせた。

こうして倭国の神々は封じ込められていった。

今、その封印が解けようとしている。

ついつい、そんな妄想をしながらチェリーの作図を眺めた。

前畑遺跡関連の土手は、
相島の墓域で見つけた龍の積石と同思想のものかもしれない。
それは熊本の久米八幡宮の龍と同じだ。

ところで、チェリーに。
鷹取結界の中央部分を拡大して作図してほしい。
持っている地図では鷹取結界が描けない。


以下はチェリーの作図。
「ひめちゃご」がつなぐライン群 ふたつの龍と1本のライン



皆さんにも、集団幻想に思いのまま参加してほしい。



コメントの返事は明日にしますね。







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# by lunabura | 2017-09-12 22:16 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(10)

ひめちゃご94 千栗八幡宮3 縁起絵巻は磯良と神功皇后だった



ひめちゃご94

千栗八幡宮3 

縁起絵巻は磯良と神功皇后だった
いわゆる三韓征伐
 





『北茂安町史』を見ていて目が釘付けになった。






c0222861_21435274.jpg

なんと、千栗八幡宮の縁起絵巻は三韓征伐の絵図だったのだ。

そう、安曇磯良が亀に乗って舞い、
八乙女が磯良を迎えようと舞っている。


同様の物が志賀海神社、高良玉垂宮、大善寺玉垂宮の三社に伝わる

一見して、構図は大善寺玉垂宮タイプと分かった。
しかも、千栗の方が明らかに古い。

何故なら、大善寺ではあやふやになった磯良像、タッチの弱い八乙女たちが
きちんと描かれているからだ。

全体の時系列もしっかりとしている。
大善寺玉垂宮の絵巻は千栗八幡宮の絵巻を模写したのではないかと考えられた。

そうすると、ここは安曇の宮だったことになる。

宇佐の八幡信仰が入っても、
志賀海神社や高良玉垂宮は「八幡宮」の名を受け入れなかった。
風浪宮もそうだ。

この千栗八幡宮は「八幡宮」の名を冠した。

壬生春成が来る前は安曇族の宮だった可能性が出て来た。

いや、絵巻の中央が武内宿禰になっているので、
そうとも言えないかもしれない。




『高良玉垂宮神秘書』を歴史カフェや久留米大学で話したが、
覚えておいでだろうか。

高良玉垂宮は本来、安曇磯良を祀っていて、
祭祀上、物部氏は重要な位置にはいなかった。

ところが白村江の敗戦後、高良山は生き延びるために
天武天皇即位2年に仏教を受け入れた。

その方便として、高良明神が物部に託宣した形を取った。
「高良明神は菩薩になるので、物部に地位を譲る」というものだ。
菩薩を抱き参った物部はすなわち生き仏になるという形になった。

この時、高良明神は安曇磯良から武内宿禰に変わった。


しかし、物部氏が突然、最高官になっても周囲は納得しないはずで、
言い別けのように縁起を次々と創り出した結果、支離滅裂になり、
自己矛盾を生じた。

そんな話をした。

その続きがこの町史に書かれていた。

〈この高良玉垂神が仏教に帰依し、神宮寺高隆寺が建立されたのは九世紀初頭とされている。

「高隆寺縁起」によれば御井郡司草部君(日下部君)は高良神の祭祀を独占していた神部物部氏の男子に高良神の仏教帰依の託宣があったと聞くと、

これを利用して、再度高良神が草壁氏一族の弓削郷長に託宣したと国史に申し出て、
高隆寺を短期間で建立したとある。〉p191



こうして、草壁氏が九州王朝の長、と名乗る話につながった。

三階松紋を阿倍氏と物部氏の両方が使っているという問題がある。

宮地嶽神社が三階松紋なら、次に行った物部神社もまた三階松紋なのは、
白村江戦で安曇族が凋落し、かわりに物部氏が台頭したからで、
この時、九州王朝の紋でもある三階松紋を物部氏が受け継いだと考えていた。

大体これで筋が通りそうだ。


大体、この町史は佐賀なのに、
久留米、特に三潴の話がふんだんに書かれている。
文化圏が同一の感覚なのだろうか。






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# by lunabura | 2017-09-11 21:44 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご93 千栗八幡宮2 祀られた武雄心 鳥栖は白鳥座から



ひめちゃご93

千栗八幡宮2 

祀られた武雄心 鳥栖は白鳥座から

 




千栗八幡宮の鎮座地の地形は丘陵だった。

本殿の右手に武雄神社がある。








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ご祭神は武雄心命(たけおごころのみこと)だ。
境内掲示板には
<孝元天皇(第八代)の皇子彦太忍信命の子。祭祀・占(卜)を司る任に当たり、景行天皇(第十二代)にお仕えした臣下で、高良大社のご祭神武内宿禰は御子である。>
とある。

武内宿禰の父が祀られていた。
祭祀と卜占で景行天皇に仕えていたという。

高良大社の祭神を武内宿禰としていることから、
白村江戦(663)以降の記事だとわかる。





由緒には
<創建は詳らかではないが、室町時代に描かれたといわれている「千栗八幡宮縁起絵」の境内図の中に「武雄社」が見られるところから、それ以前から信仰されていたと考えられる。>
とある。
勝手な考えだが、武雄社が先にあって、
のちに壬生春成が八幡宮を創建したのではないかと思われて仕方がない。




というのも、さらに右手に稲荷社があったからだ。









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鳩森稲荷神社という。ご祭神は保食(うけもちの)神。

由緒に
<当千栗八幡宮のご祭神は八幡大神で、稲荷神社御創建の由緒紀によると、養父(やぶ)の郡司壬生春成が此の地に狩猟の折、弓の上に鳩がとまった故事によるもので、鳩は八幡さまのお使いであるとその夜の夢枕に八幡宮境内に千本の栗の木が植えてあるのが表れ、一夜にして栗林が現れたと云う。故に鳩森稲荷神社と云う。>

相殿の神として
<天之忍穂耳命、菅原道真、伊弉諾尊(イザナギ)、高木神(高御産霊日神)>
が祀られている。


ここは千栗郷だ。

隣の養父郷の郡司が狩猟に来て、それをきっかけに八幡の縁を得たようにかかれている。

しかし、本殿の掲示板には、<聖武天皇の勅を奉じて>とある。
八幡縁起にありがちな夢のお告げ譚になっていると思われた。



この急勾配の丘に武器製造集団がいたのではないか。
それは武雄組と関わったのではないか。

武雄の武雄組は何氏か書かれていないが、物部氏だと思う。
武内宿禰も物部氏だ。

武雄心の祖父の孝元天皇は高良下宮社の祭神だ。
(幸神社の祭神名が孝元天皇だと分かった。
先月書いた幸夫人が祀られている宮が孝元天皇を祀っていた)

この千栗の丘は栄枯盛衰の流れのなか、祭神が変遷していったのではないか。
難波皇子の子の栗隈王の「栗」の字も気になるところだ。



千栗郷は1965年に「北茂安町」となり、
2005年、中原町、三根町と新設合併し、みやき町となっている。

ここまで考察して、ようやく借りていた『北茂安町史』を開くことになった。

町史には、この千栗社についての記述があり、
やはり創建が新しい点と、隣の養父郡司が創建した点に問題を感じ、
それを解決するために、なんと筑後の神々を調べている。

高良玉垂宮、大善寺玉垂宮、山門郡太神(おおが)などだ。
歴史カフェで話題にした所ばかりで面食らった。
特に太神は来週、再びやる所なのだから。



そして、結論はよく理解できなかった。土地勘が必要だった。
ただ、その中で大宰府との関わりが述べられ、
また古くは海部氏がいたことが書かれている点が印象的だった。





そして、るな的シンクロとしては
真鍋の描く大宰府をまとめている最中なのだが、
その中に長門石が二か所出て来た。


長門石(ながといし)
<千歳川の中州に「長門石」が存在する。
神代の昔から宇佐島と天原島を結ぶところであった。>







c0222861_2252720.jpg

ここから見えている手前の所が長門石なのだ。

前回の画像をもう一度出すが、この奥に高良山~耳納山脈が見えている。
神代にはこれが全部海だったという。

こちらが天原島(あまのはる・左佐島)で、向こうが宇佐島(右佐島)だ。
目の前は「ありなれ川」が流れていた。

もう一ヵ所引用しよう。

<千歳川(筑後川)を中にして、南の筑後に田主丸(たぬしまる)、北の肥前に鳥栖(とす)があり、その中間に北野の長門石があります。昔、有明海が水城を通って玄界灘まで潮を差していた頃、これらは船の始点と終点であり、中継ぎの寄せ場でありました。
白鳥座を鳥巣(とのず)星と呼びました。(『儺の国の星』p140)>

この千栗の丘の麓には湊があったことになる。
そうなれば、武雄と千栗をつなぐ重要な湊でもあったのかもしれない。

そして、すぐ北の鳥栖の地名の起こりは白鳥座だったという。
ありなれ川にかかる白鳥座に例えられた。
そうすると、この千栗の丘陵は星の一つか。

真鍋の話は現地に立って、ようやく理解できる。



PS
9月10日17:10:09にドコモのメールで申し込まれたKさま。
返信が戻ってきます。
申し込み受け付けております。





千栗神社
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁2403




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# by lunabura | 2017-09-10 22:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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