ひもろぎ逍遥

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古代鉄の謎 ホの一族とはスズ鉄の一族だった?


古代鉄の謎 Q&A
ホの一族とはスズ鉄の一族だった?


ある日の昼さがり、ルナは聖洲さんと話をしていました。
(聖洲さんの絵は名島神社に載せてます。)

「聖洲さん、この前ですね、馬見神社をブログに出したんですけど、
アマテラス大御神の系図を書いていたら、名前にが付いてる世代が
三代も続いているので、「ホの一族」と名前をつけちゃったんです。」

その系図がこれです。
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古代史に詳しい人は、この赤字で書かれた人たちが
天皇家の祖先だとすぐピンと来ると思います。
でも、そんな先入観をなくすためにわざと、カタカナで書いてみました。

すると面白い事にアマテラスの子供からひ孫まで、
直系にずらりとホの字が付いています。
このホに「穂・菩・番・火」の字が当てられています。
稲穂を指しているというのが定説です。

『ひもろぎ逍遥』の旅をしていて分かったのは、
アマテラスの子供と孫が三人も遠賀川流域の山々に降臨したという
伝承がある事です。
具体的には、
     天のオシミミの命 ⇒ 英彦山
     天のアカリの命  ⇒ 笠置山
     天のノニニギの命 ⇒ 馬見山
です。
定説では、先ほど書いたように「ホ」を稲穂と解釈し、
「豊葦原の水穂の国」を「稲穂が豊かに実る国」とします。
でも、ルナはなんだか納得できなかった。

「葦原になんで稲穂が出来るんだ?」そんな素朴な疑問です。
訳をするととても不自然なのです。
ところが思いがけず、この日、そのホの謎が解けました!

では、先ほどの会話のつづきに戻りましょう。
ルナと聖洲さんの話に大長老の光さんが入って来ました。

光さん「あのね、豊葦原の水穂の国の水穂って何だか分かる?」

そう聞かれて、何故か突然、の意味が分かりました。

るな 「え?水穂?…。あっ、そうか。分かった!葦の穂ですね。」
光さん「そう。水穂の穂は稲穂の穂じゃなかとよ。」
るな 「何だあ。そうですね。そうか。
葦原の水穂って、そのまま解釈すればいいんですね。」
光さん「そう。」

「豊葦原の水穂の国」とは、そのまま、「葦が豊かに水辺で茂っている国」と
解釈すればいい事で、無理に葦を稲にすり替える必要なんてないんですね。
なんてシンプルな事。

でも?あの葦が沢山生えてる事が何の役に立つの?
なんで日本の国を象徴するんだろう?

そこまでルナが辿り着くと光さんがさらに話してくれました。
光さん「昔は、スズ鉄と言ってね、葦の根を焼いて精製して、
     鉄を作りよったと。」
るな 「え~?葦ってあの植物の葦ですか?水辺に生えている。」
光さん「そう。これで作った鉄は固い。しかし、戦うと折れてしまうったい。
     草薙のつるぎがそうたい。
     韓国人が熱田神宮から、持って帰ろうとしたのがそれたい。」
るな 「韓国人が草薙の剣を持って帰ろうとしたんですか?」

これは今から二か月前の話で、まだ八剣神社を調べていなかったので、
初耳でびっくりするばかりでした。

今では、それが天智天皇の時代の事件で、犯人は道行で、
取り戻された草薙の剣は、一時期、八剣神社に保管されたかもしれない
とまで、知っています。
(初めての方は、八剣神社、古物神社を見て下さいね。)

光さんはさらに話してくれました。
「それから、青銅の時代になったと。そのあと、砂鉄の時代になった。
韓国の伽耶(かや)から出雲族が持ってきたのがそれたい。
玉鋼(たまはがね)の事で、日本刀の材料。
しなやかでそりが戻るのが特徴。」
「ああ、日本刀ですね。材料は砂鉄なんですか。」

それから数日後、偶然テレビで日本刀を作っている所を見ました。
白装束を着て、伝統的に作っていました。
そしてラスト。
まっすぐな刀を水に入れたとたん、ぐぐぐっとそりが入りました。
真っ直ぐの刀がですよ。
水の中で反るなんて。びっくりしましたよ。
光さんの言うのがこれ?

るな 「でも、ま、ま、待って下さい。
    歴史の教科書では、青銅器時代から鉄器時代と習ったんですが、
    そうじゃないんですか。」
光さん「そう。」
るな 「ええ?じゃあ、鉄器時代から青銅器時代になって、
    また鉄器時代になったというのですか?」
光さん「そう。」

教科書を信じ込んでいたルナはホント、たまげました。
でもこれなら、「ホの一族」の謎が解ける!
とも思ったのですが、正直、半信半疑でした。
どうやってこれが検証できるの?

光さん「そのあと、鉄鋼石の時代が来たと。
     これは切れ味がいい。ゾーリンゲン砲弾によい。
     しかし鉄鋼石より、砂鉄のほうが質がよかった。
     戦艦大和陸奥はアメリカのクズ鉄の再生品で作ったね。
     自分の所の船は新品でね。」
るな 「はあ。そうなんですか。そんな素材の違いの問題もあったんですか。」
光さんは、戦争の秘話にも詳しいのです。

さて、光さんが金属に詳しいとなると、どうしても知りたい事がもう一つある。
あの平原遺跡に眠る日の巫女は胸に水銀を入れた壺を抱えていた…。

るな 「じゃあ、水銀は?」
光さん「水銀があれば、金と銀が採れるね。」
るな 「そんなにすごいんですか。そう言えば昔は白粉や口紅も水銀で
    作っていて、それで水俣病になったという話も聞きますよね。」
光さん「そう。」

水銀の重要性にもう一つ、鏡を磨くのに必要だったそうです。
平原の日の巫女は鏡のコレクターだったので、それで鏡を磨いたんだろうか。
それとも、お化粧として持っていたのだろうか。

なんでも詳しい光さんに、もう一つ聞きたいのは、
あの『竹内文書』に出てくるヒヒイロカネ
るな 「ヒヒイロカネは?」
光さん「ヒヒイロカネは自然鋼。硬すぎて折れてしまう。」

ヒヒイロカネの存在を知る人も少ないと言うのに、
その使い心地まで知ってるなんて…。
余りにも物知りなので、ルナも興奮して、さらに質問です。

るな 「じゃあ、餅鉄(べいてつ)は?」
光さん「餅鉄はヒヒイロカネとは違う。」
まいったなあ。なんでも知ってるなんて。

餅鉄は川で自然に見つかったりするものらしく、もちのように丸い自然鋼です。
これをヒヒイロカネだと言う人があるのを御存じなんですね。
「ふうん。鉄と言っても色んな鉄があるんですね。」
光さんはうなずきました。
そうか、おかげで色んな謎が解けた。

「葦原の水穂の国」とは「葦からスズ鉄が採れる国」という事なんだ。

遠賀川河口に砂鉄で作る芦屋釜という茶道具の名品があるのですが、
これを現代に再現した人の話が新聞に載っていて、
砂鉄だけでは、割れてしまうので大変苦労したと書いてありました。
昔の人の技術の素晴らしさを痛感したそうですが、
もしかしたら、同じ鉄でも材料が違うんだ。
もっと上流に残っている、スズ鉄で作ったのが本来の芦屋釜かもしれない。

そんな事も考えながら、帰りましたが、
はてさて、どうやってスズ鉄を検証したらいいんだ…。

それで、ネットで「スズ鉄・葦」を検索すると、
「もりもりキッズ」さんのブログに写真入りで記事が出ていました。

川にが浮かんでいるのを見た事がありませんか?
「こんな所に油を捨ててひどいなあ」とルナも思った事があるんですが、
その油は鉄バクテリアの集まったもので、それが鉄を集めているそうです。
ですから、その葦の根を焼けば簡単に鉄が採れるんですね。
温度は野焼きで大丈夫だったらしい。

知らなかったァ。
でもね、これで日本神話の初めの神の名の意味が分かったよ。

「古事記」の冒頭の文です。
天と地が初めて別れた時、高天(たかま)の原に現れた神は
天の御中主((あめのみなかぬし)の神でした。
次に、タカミムスヒの神。
次に、カミムスヒの神です。
この三柱の神は、みな単独の神として、身を隠されました。

次に国土が出来たばかりで、水に浮かんだ油のように、
クラゲのように漂っている時に、
葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようにして、
出現した神の名はウマシアシカビヒコヂの神。

次に、アメノトコタチの神。
この二柱の神もまた、単独の神として、身を隠されました。
以上の五柱の神は特別な天(あま)つ神です。

この太字の部分をスズ鉄の出来るようすとして解釈すると、
「それまで海だった所に次第に土砂が堆積して、国土が出来始めた頃に、
川には鉄バクテリアが油のように浮かんで、クラゲのように漂っている時に、
葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようす」を神格化したのが、
「ウマシ葦カビヒコヂの神」という事になります。

「ウマシ」は「すばらしい」、「カビ」は「芽」、「ヒコヂ」は「中州」です。
組み合わせると「すばらしい葦の芽が生える中州の神」。
おお、なんとすっきりと訳が出来るんだい。

スズ鉄の氏族はこの葦の芽映えを心から待ち望みました。
この神は、中州が出来て、鉄が採れる葦が生えて来るようすを
神格化したものでした。

こうすると、アマテラスのあと二人の息子の「天津日子根
活津日子根」のも葦の根を象徴しているのが分かります。

この砂鉄とスズ鉄の事については、真鍋大覚氏も詳しいのですが、
さすが工学部の助教授らしく、化学式で説明されているんです。
鉄の鉱石成分はFe3O4とFe2O3の二種があって、
日本には前者は無限に埋蔵されており、原料に事欠くことは絶対にないが、
これを還元するには山林をあまねく伐採しなければならない。
しかし、後者はわずか少量で事足るが、産地が稀である。

これを言い換えると、
砂鉄は火山の国、日本なので、無限に採れるのですが、
木を沢山燃やすために、周りの森がすぐになくなってしまいます。

スズ鉄は葦の根を燃やせばいいので、木も少なくていいけど、
河口の湿原地でないといけないので、
遠賀川や信濃川など、産地が限られてしまう訳です。

スズ鉄は農耕には十分だけど、戦いの為の刀にすると折れやすいので、
砂鉄の部族の方が有利だったのが分かります。
なるほど、これで、いろんな歴史的事件の謎も解けるんだ。
(パズルがカチカチとはまる音)
でも、今日はここらへんで。

今回は、思いがけず「ホの一族」の謎が解けたページになりました。

なお、「もりもりキッズ」さんから教えてもらった、古代鉄を知る本はこれです。
古代の鉄と神々」真弓常忠 学生社 1997年刊

これにスズ鉄の事が詳しく書かれています。

それでは、「銀の冠」を見に行きましょか♪
鞍手町歴史民俗資料館へ。



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# by lunabura | 2010-07-05 17:23 | ◆古代鉄・スズ鉄 | Trackback | Comments(14)

古物神社(1)宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった


古物神社(1)
ふるものじんじゃ
福岡県鞍手郡古月村大字古門字西山(旧名)
原初の神気を今なお残す宮
宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった


国道三号線、富地原から猿田峠を通って鞍手に入ったら最初の信号、新延(にのぶ)で左折します。
伊藤常足翁旧宅」の案内板を目印に左へ左へと曲がって行きましょう。
古物神社への案内板はないのですが、
伊藤常足が古物神社の神主さんだったのでそれを目指せばOKです。

この人は国学者で、『太宰管内志』という本を書いた事で有名なのです。
途中の道は人家もほとんどありません。山脈の中腹を横ざまに走って行きます。
なにせ山の中です。いつものように、こんもりとした杜を目指しても、駄目です。
案内板のおかげで、そこが古物神社と分かりました。
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桜の青葉とアジサイの青い花に迎えられて、参道を歩きます。
古木の作り出す、しっとりとした空気に心が躍ります。
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ここは山であり、里である。人々と神社の始まりを思わせる趣が残っています。
いくつかの石段を登りつめると、古き宮の前に出ました。
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形容しがたい重厚さです。
神霊と土地の融合したエネルギーが古代からそのまま残っているような聖地でした。

参拝を済ませて、境内をぐるりと回ると、古い祠がたくさんあって、それぞれに立札が掲げてありました。
とても分かりやすく、どうやってここに勧請されて来たのか、歴史が偲ばれます。

特に境内の右側は一段高くなっていて、そこにもずらりと祠があります。
祠の中の御神体は大体、楕円の石でした。
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では、早速、『福岡県神社誌』を見てみましょう。
祭神
天照大御神、日本武尊、仲哀天皇、スサノオの命、
神功皇后、ミヤズ姫神、応神天皇、布留御魂神

ずいぶん沢山の祭神ですねえ。
でも、よく見ると神功皇后の八幡グループと、八剣神社のグループがありますよ。
まずは、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
    香椎宮からずっとお馴染みの「夫と妻と子」の組み合わせです。
続けて日本武尊、スサノオの命、ミヤズ姫の神
    これは八剣神社の三柱と同じ組み合わせです。「草薙の剣の継承者たち」でした。
残りは天照大御神布留御魂神です。
どうやら三つの神社が合体しているようです。
では続きを読みましょう。
由緒は不詳。
祭神・布留御魂神は大正時代に布留神社から合祀している。
社説に曰く、当社は、もと剣神社、八幡宮、二つの産土神だったのが、文政11年に九州一帯の暴風で剣岳の剣神社の神殿などがことごとく倒壊した。よってこの西山に鎮座の八幡宮に合祀した。
明治4年に神祇官の依命が村の名前の旧号を取って、古物神社と改めた。

これを年代順に置き換えると、もともと剣神社、八幡宮だったのが、
江戸時代に台風で剣山の上の神社が倒壊したために、ここに合祀し、
大正時代に布留神社からも合祀したとなります。そして、明治時代に古物神社と改めました。

だから、こんなに沢山の御祭神となった訳ですね。
八幡宮の縁起に曰く、
古門村は神代の昔、スサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。
十握(とつか)の剣スサオノの命を昔から祀る神社で、剣神社と号す。

これは?なんと!
スサノオの命が出雲の国に行く途中、ここを通ったって?
高天原から出雲に行くルートにこの神社があるというのです。
たった二行の文になんと沢山の情報が織り込まれている事でしょう。

ここと関わる『古事記』のあらすじはこうです。
スサノオの命は父親から追放されて、姉のいる「天」に行って、ウケイをします。
その時、十握剣を持っていました。それをアマテラスが三つに折って、そこから、宗像三女神が生れました。
ウケイに勝ったスサノオの命は、暴れまくって、ここも追放されます。そして、出雲へと向かいました。

この宮はこの十握剣と、その持ち主のスサノオの命を最初に祀っていました。
この祭神の組み合わせのポイントは、三女神がこの十握剣から生まれているという事です。

これに気づいてドキドキです。
何故かと言うと、この三女神は、この鞍手町の六ケ岳(むつがたけ)に降臨しているからです。
そして、移動しながら、現在の宗像大社に鎮座していきます。
「スサノオの命が高天原から出雲に行く途中」という事は、三女神は生まれたばかりになります。

ですから、縁起を言い換えると、この宮は宗像三女神の父親とその十握剣が祀られていて、
今、父親はここを通過して出雲に向かう途中の宮だという事になります。
勧請して来たのではないのですね。しかも宗像三女神のお膝元の話です。

ここは大変古い縁起を持つ宮でした。それだからでしょう。
この神社には幾世代にも渡って、剣に関わる歴史が刻まれて行きました。

次回は、さらにその後の由緒を追って行きましょう。

この話を理解するために、スサノオの命
『古事記の神々』に訳を始めたので、そちらも見て下さいね。
(つづく)

地図 古物神社 六ケ岳 宗像大社 八剣神社


右上の飛行機のアイコンを押せば、
灰色の所が昔の海だと分かりますよ。



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# by lunabura | 2010-07-04 11:38 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Trackback | Comments(5)

古物神社(2)草薙の剣が降って来た・筑紫の天智天皇


古物神社(2)
草薙の剣がこの近くに降って来たという。
天智天皇は前年まで筑紫にいて何をしていた?

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神社誌を続けて読んで行きましょう。

剣神社の縁起に曰く、「天智天皇の御世に、僧・道行熱田神宮の神剣を盗んで、新羅に行こうとした時、剣がにわかにその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に落ちた。

その時、光が放たれて、数里四方まで輝いて見え、土地の人が驚いて見ると、剣だった。
みんなこれは神のものだと思って、穢れのないようにと、相談して小さな祠を作ってこれをおさめた。

朝廷がこれを聞いて草薙の剣だと分かり、使いの官吏を派遣して熱田に戻した。これよりその剣が落ちた所を「降物」と言った。剣が自ら降りて来たという意味で、今「古門」と言うのはなまりである。

剣は熱田神宮に戻ったとはいえ、神霊はなお古門に留まっていて、魔を払い、災いを消すということで、万民が崇敬した。」
石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と名付けた。

さて、この剣神社には、道行が盗んだ剣が落ちて来たという縁起が伝わっていました。
さすがに神剣らしく、空を飛んで来ています。
(草薙の剣の歴史と盗難事件の詳細は八剣神社の方に書いています。)

この由緒によると落ちた所を「降るもの」と呼び、「古物」の字が当てられて、
それがなまって「ふるもん」「古門」という地名になっていったようです。

この縁起には見逃せない背景がいくつかあります。
1)天智天皇はこの前年まで筑紫にいた。
2)「ふる」とは隕石を指す古語である。
3)奈良の石上神宮の地名も布留であり、どちらも物部氏の祭祀する所である。
という事です。一つずつ見て行きましょう。

1)天智天皇はこの前年まで筑紫にいた。
天智天皇(中大江皇子)の母は斉明天皇です。
斉明天皇は新羅と闘うために筑紫に来ていました。その流れを追ってみましょう。

        661年 母君の斉明天皇が福岡県朝倉で突然崩御される。
        662年 36歳の中大江の皇子は天智天皇となり、
              筑紫の那の津長洲の宮に遷都する。
                         (現在の博多港周辺) 
        663年 白村江で大敗する。
        667年 大津へ遷都する。
        668年 草薙の剣が盗まれる。

この時代の筑紫では日本と百済の連合軍vs新羅と唐の連合軍の戦いがあり、
日本が敗北した上に、百済からの難民があふれて、大変慌ただしい時代でした。
しかも、その間に天皇の突然の死と天智天皇の即位がありました。
WIKIでは、その当時の事は謎だと書いてあるのですが、筑紫の方では話が伝わっていました。

眞鍋大覚氏によると、
天智天皇は即位後、磐井氏が作った水城(みずき)に手を加えて、
筑紫の南北を通す運河にするために、大工事をしていたそうです。
このブログに何度も登場する針摺の瀬戸(はりずりのせと)の事です。

さらに、時計磁針づくりに取り組んでいました。
磁針とは細い磁石の事で、細戈(くわしほこ)と言います。
これで羅針盤が出来る訳です。
また、背振(せぶり)の葵祭を京にもたらしたのも、天智天皇だそうです。

こうして、天智天皇は敗戦後に、新たな文明を取り入れて、強固な国造りに取り掛かっていたのが伺えます。
新羅に対する防衛の基盤を整えてから、大津に遷都しました。草薙の剣が盗まれたのはその翌年です。

新羅へ逃走するにはここを通らずにはいられない?
さて、剣を盗み出した道行の話に戻りますが、彼は新羅へ逃走するのですが、どこを通ったのでしょうか。
船路にしろ、陸路にしろ、九州に上陸して博多方面に行かねばなりません。

さて、昔の遠賀川のイラストを見て下さい。
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(鞍手町「古月横穴」の資料を一部改変)
これを見ると現在の平地はほとんど海没しているのが分かります。
左下に古物神社があります。その北の虫生津がありますが、
神功皇后たちはここから上陸して、この古門神社に移動します。
昔はこのルートがあった訳です。この古門は、交通の要衝です。
道行もここを通らずにはおかれなかったはずです。

ところが、この地は天皇の軍隊であり、警察でもある物部氏の本貫地です。
敗戦した後ですから、まだ警備は厳しかったでしょう。

だから、道行がここで捕まった可能性は高いなと思いました。
そして、取り返された剣の保管地に剣神社が選ばれた訳です。
それを神剣らしく、光って降って来たと色付けされて伝えられました。

蛇足です。
奈良時代をあなどるなかれ!

この当時は平城京から全国へのまっすぐの道が作られていて駅家(うまや)が16キロごとに整備され、太宰府から都まで、「4日」で情報は伝わった。
(2009年11月24日放送 NHK『謎の古代の道』より)

奈良時代に、驚きの道路網がありました!

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境内の左奥にある「旧剣神社拝殿跡」です。

(つづく)



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# by lunabura | 2010-07-03 11:34 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Trackback | Comments(2)

古物神社(3)「ふる」は「隕石」の古語。石上神宮の元宮か?


古物神社(3)

「ふる」は「隕石」の古語。
ここは石上神宮の元宮かもしれない

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それにしても、剣が空中から落ちて来て光ったとはねえ。ちょっと無理があるなあ。
その謎を解くヒントは「ふる」にありました。

2)「ふる」とは隕石のこと。

眞鍋氏によると、
記紀にある「布留の御魂」は隕鉄を精錬した剣で、
布津の御魂」は砂鉄を精錬した剣である。
昔から隕石が落ちた所には椋(むく)の木を植えて祀った。椋の木の実は羽根つきに使われる黒い実。2000年以上前には、その形が隕鉄の象徴だった。
1500年前頃には真金、即ち砂土を溶かして得た鉄を指した。
という事です。
この辺りの地名を「門、月、物」と並べると、
光が数里四方にまで見えたというのは、「ふる」すなわち隕石の落下を描写していると推測しました。

御神体が隕石だという神社は近くにもあります。
合祀する前には久保にあった剣神社も、もともと隕石が落下した場所だった可能性があります。
その隕石と、草薙の剣の事件が融合して、「剣が落ちた時、光が放たれた」という話になったんじゃないかな…。

3)奈良の石上神宮の地名も「布留」であり、
どちらも「物部氏」の祭祀する所だよ。


さて、最後の一文に注目!
石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と名付けた。
これがその一文です。
布留魂大神の上に石上(いそのかみ)が付きましたよ。石上布留魂大神…ここの神の名です。
石上って、奈良にあるのと同じだ!

石上神宮を辞書で引きました。
石上神宮
祭神は布都(布留)の御霊の剣。
この剣は神武天皇の大和平定に先立ち、天照大神が天皇に授け、物部氏がこれをまつって氏神としたと伝える。かつて本殿はなく、拝殿の奥の禁足地が神聖な霊域とされていた。社蔵に七支刀がある。
物部氏が代々祭祀に当たっている。後に石上と改姓した。

御祭神の名前については「布留と布都」と両方ありました。

「ふる」と「ふつ」が材料の違いなら、その違いは一般の人には分かりません。
だんだん混乱して行って、「ふるの御魂」とも「ふつの御魂」とも、なって行ったと考えられます。

注目するのは御祭神が鞍手も奈良も「布留御魂」であり、
物部氏が祭祀し、地名が布留だと言う点です。
明らかにこの鞍手郡の古物神社と奈良の石上神宮は深くつながっています。
ルーツはこの古物神社の方と思われます。

物部氏は石上に改姓しましたが、眞鍋氏によると、
「石上(いそのかみ)とは坩堝(るつぼ)の達人」を指すそうです。

神社誌はさらに、仲哀天皇と神功皇后の事も書いていました。
「宗像記」に、古物村にある西山八幡宮は仲哀天皇神功皇后、共に熊襲及び三韓征伐の時の行在所(あんざいしょ)である。

天皇、皇后が筑紫の岡湊から香椎宮に行かれた時、遠賀郡芦屋から船に乗って、同郡虫生津に御上陸、鞍手郡古門村にみ輿(こし)を留められた。
そこから白山嶺を越え、省木村三坂峠を過ぎて、宗像郡に移動された旧跡という事で、村民はここに祠を建てて奉斎している。

大変具体的に二人の辿ったルートが書かれています。
前回の地図に岡湊と虫生津と古物神社を書いているので見て下さい。
当時はこれが一番安全で確実なルートだったのでしょうね。
ここは筑紫と本州を結ぶ重要な邑だったのが分かります。

この神社は旅の貴人たちを泊める所でもあったのかもしれません。
その中から祭神として祀られる人も出て来ました。
後に、ここの神主になった伊藤常足が、この人里離れた宮に、
天皇たちが訪れた伝承があるのを不思議に思って、日本書紀の研究をし始めたのではないかと思いました。

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拝殿前の狛犬。

(つづく)



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# by lunabura | 2010-07-02 13:42 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Trackback | Comments(8)

古物神社・物部氏は中東から来た星見の氏族


古物神社(4)

物部氏は中東から来た星見(ものみ)の氏族
物部氏を勉強しなきゃ…。(でも、ちょこっとだけね)

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物部氏と言う名はよく歴史の本に出てくるのですが、ルナはよく分かっていません。
そこで、この『ひもろぎ逍遥』で伺える姿だけ時代順にまとめてみることにしました。

馬見神社日若神社で分かった事は、
馬見物部氏が天皇家の祖先を祀り続けていて、
神武天皇が古遠賀地方にやって来た時に迎えに行って、
馬を提供して家に連れて行って、馬見神社まで案内したという事です。
神武天皇は東征の準備のためにやって来たと推測しました。

八剣神社ではヤマトタケルに行宮(あんぐう)を建てて援助しています。
この古物神社では、仲哀天皇と神功皇后を留めています。

これらはすべて戦争がらみなので、天皇家は物部氏に対して、
船、馬、武器、武人などの軍備を要請したと思っています。

物部氏と天皇家には深い関わりがあり、
祭祀、軍事力、水準の高い連絡網などがあるのが見えて来ました。
物部氏の天皇家を支える信念は半端じゃありません。

しかし、辞書を見ると、そんな深いつながりは見えて来ません。

広辞苑
物部
古代の大豪族。姓(かばね)は連(むらじ)。ニギハヤヒの命の子孫と称し、天皇の親衛軍を率い、連姓諸氏の中では大伴の連氏と共に最有力となって、族長は代々大連(おおむらじ)に就任したが、6世紀半ば仏教受容に反対、大連の守屋は大臣の蘇我馬子および皇族らの連合軍とたたかって敗死。
律令時代には、一族の石上・榎井氏らが朝廷に復帰。

同じ物部氏でも、大和地方と、この本貫地ではずいぶん違う顔に見えます。
忘れてならないのは彼らが祭祀をしていたという事です。
物部氏の流れである真鍋大覚氏が、本来の姿を書いています。

物部とは星見の氏族
物部氏と鞍手族について、一部現代語に変えています。
唐戸(からと)の星(ケフェウス座 アルデラミン)
肥前では韓比(からこ)と言い、肥後では倉戸(くらど)という。また、筑前で唐門(からと)と言い、豊前では鞍手(くらて)と言う。

水門・井堰の管理をして、昼夜をおかず水神に仕え、また舟運・灌漑の利をもって、その余沢に薪炭魚藻を納める氏族である。これを記紀では国栖(くず)、あるいは葛生(くず)と書いている。

曽我稲目
(そがのいなめ)は伊都郡と那珂郡の間に新開の土地を開き、筑紫の国造磐井と共に473年の洪水を修めたのであるが、神崎の物部氏那珂の中臣氏の間に水利の紛争が昂じて、552年の仏像を巡っての対立に及んだ。

葛生(くず)の氏族を「つづらみびと」と言った。星占の達人の家系であった。一般に「つづら」とは黄道から南天の星を見定める氏族であり、「かづら」とは黄道から北天の星を見取る氏族であった。

吉野は国栖(くず)の故郷であった。国栖は倭人に星占の方策を口授した氏族であった。歴代の天皇が吉野に行幸するときには、必ず国栖の長老が伺候して、講義をした。

物部氏は元来は星辰を祭る家系で、その先祖は近東にあった。いつのころか中臣の氏族と和睦して、背振の北と南を領有していたのである。

恒星に対して遊星、彗星は振れ動き、又、揺れ偏って、その位置が定まることがない。それを「ふれ」と言い、そのわずかな方向の差別を物部・中臣の両氏は「つづら」と「かづら」にわけて、その観測記録を撮り続けた。
物部氏は星見(ものみ)の家系であった。

あちこちに散らばっている文章を集めたので、理解しにくいのですが、びっくりする事ばかりです。

「くらて」「からと」とはケフェウス座・アルデラミンの和名で、
その星を信仰する氏族たちは、水利を管理する技術があった集団で、
それぞれの地でこのアルデラミンの和名を名乗り、それが地名となったという意味です。

「物部氏」については、福岡県と佐賀県の県境にある背振山の南、
佐賀県側にいて、南天の星座を観測していたと書いています。
福岡県の那珂(なか)の中臣(なかとみ)氏と和睦したり争ったりしています。
彼らは中東がルーツで、倭人に星占を教えています。

これらから、思うに、物部氏は背振山の南から、山沿いに馬見山の方に向かい、
遠賀川が奥深い入江であった時代に、馬見神社あたりに下りて来て
入江が陸地化するにつれて、下流に広がって行ったと思われます。
(馬見の縄文遺跡は彼らの遺跡かも知れません。)

何のために?
それはスズ鉄という古代鉄を生みだす葦の宝庫だったからです。
(これについては、また別項で検証しましょう。)

物部氏とは、本来は星を観測して、暦を作ることで天皇家をサポートする氏族で、
古代鉄の製造の技術もあることから、軍事的な力も持っていたと考えました。

物部氏が石上神宮で祭祀をするのも、それが本来の姿であるからなのですね。
物部氏が「軍事や刑罰を司る」という見方だけでは正しく理解していない事が分かります。

Wikiで物部氏を引くと「鞍手」の文字がありません。
これが物部氏論が迷路にはまっている理由だと思います。

物部氏の真の姿を研究をするには、この鞍手地から始めるべきであるし、
天文の研究と古代鉄と、縄文馬背振山の伝承。
これらを追求する事で実像に迫る事が出来ると思いました。
(古代馬は馬見神社・日若神社に少し書いてます。)

物部二十五部人と出身地 

『日本の神々 神社と聖地 九州』の奥野正男氏の文章にも
鞍手郡を中心とした地名と物部氏の関わりが書いてあったので、
ちょっと抜き書きしておきます。

          若宮町の芹田(せりた)    芹田物部
                都地(とち)      十市(とおち)物部
          小竹町の小竹(こたけ)    狭竹物部
          鞍手町の新北(にぎた)    贄田(にえた)物部
          飯塚市の新多(にいだ)    二田物部
          遠賀町の島門(しまど)    嶋戸物部
          宗像市の赤間          赤間物部
          北九州市の旧企救(きく)郡  物部
など物部二十五部人の居住地と見られる地名が残されている。

彼らの名前が出身地にちなんで付けられて、古里を離れて、日本の歴史の深い所で活躍したのが伺えます。

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次回は古代鉄にチャレンジするかな…。


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# by lunabura | 2010-07-01 12:52 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Trackback | Comments(42)

八剣神社(1)ヤマトタケルをもてなした一族の神社があった


八剣神社(1)
やつるぎじんじゃ
福岡県鞍手郡鞍手町中山
豊かな里山の神名備山に
ヤマトタケルをもてなした一族の神社があった


宗像の国道三号線沿いの富地原信号から、鞍手町への案内板に従って行きます。
峠道に入るとすでに里山の風情。
名前もゆかしい猿田峠を出ると、そこは別世界。
山々に囲まれた、古代の香がそのまま残るような鞍手町に入ります。

町の中を走っていると、とにかく目に入るのが、剣岳。
里山の人を見守るような独立した低山は125メートル。
如何にも古代からの信仰の対象となるような神名備山です。
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ここの中腹に八剣神社があります。

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駐車場に車を止めると、すぐそばに鳥居があります。
巨木が生い茂っていて、いかにも古代からの聖地の趣きです。
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参道の両脇はお祭の時に提灯を灯すのでしょうか。
ずらりと瓦屋根の付いた、棚が続きます。
夜祭りにこの石段を上って行く、晴れやかな気持ちの人々の息遣いが聞こえて来そうです。
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拝殿に出ました。

境内には灯篭や狛犬、記念碑などが沢山あります。
いにしえから、崇敬の篤いようすが伝わって来ます。

さあ、今回は『福岡県神社誌』から、ここの歴史を紐解きますよ。
祭神 
日本武尊(ヤマトタケル) スサノオの命 ミヤズ姫の命

由緒
当社は人皇二十七代、安閑天皇の御代に田部人麿という者の神託によって、
この山の上に斎き祀っています。

昔は近郷に比べるものがないほどの御社で、ご神徳はあまねく知られていました。
又、足利尊氏がこの国に没落の時、
左兵衛督直義が当社で武運を祈ったのち、正殿を再建しました。

ここのご祭神は、あの有名なヤマトタケルの命と后のミヤズ姫
スサノオの命でした。
いったい、どのような事情でこの三柱が祀られているのでしょうか。
由緒では田部人麿という人に神託が降りて、祀るようになったと書いてあります。
また、足利尊氏がここで武運を祈っています。

これだけではよく事情が分からないのですが、神社誌を読み進めると詳しい話が載っていました。
祭神の日本武尊豊日別神社に祭祀してあったのを
明治時代に合併しています。その社説にこう書いてありました。

日本武尊が熊襲ご征伐の時、当国を経歴されました。
酋長の今朝麿(けさまろ)は皇子が来られたのを聞き伝えて、手厚くお迎えしました。

日本武尊は広野の石に腰かけて、この国の風俗や地理などをお尋ねになりました。
今朝麿はつぶさにお答えしたので、尊(みこと)は大変喜ばれました。

程なく熊襲を平定して、都に帰る時、再びこの地に留まられたので、
今朝麿は仮宮を建てて守護し奉りました。

尊は剣岳に登って、よくよく四方の風景をご覧になって、言いました。
「この山は他の山より勝れている。
私が今熊襲を平定して国民が帰服して、おのずから静かになった世の中山かな。」
(世の中・中山…掛けことば)
と。ここから中山の名が起こりました。

いよいよ都に戻ろうとして、この山を降りた時に、雷雨が激しかったので、
尊は御供の人たちと木の陰に休み、八つの雷の神を祀ると、雷雨がたちまちに止みました。
(この場所を八雷社と言います。)

雷雨が晴れたので尊は神前原を通って、しばらく(滞在して)休息したしるしを残そうと、
今の日吉神社のある所から三町ほどの所に、弟彦公に松の木を植えさせたので、
ここを植木の森と言って、その邑(むら)を植木の里と言うと伝え聞いています。

それから月日が経って、安閑天皇の御代に,今朝麿の遠孫の人麿に神託が降りて、
この剣山上に創立して奉斎しています。

豊日別神社の方に詳しい話が伝わっていたのですね。ずいぶん具体的です。

伝承のあらすじは
ヤマトタケルがこの里に来たのを、長の今朝麿が手厚くもてなし、
帰路に立ち寄った時には仮宮まで建てた。
剣山の上で、ヤマトタケルはその山を称えて、中山の地名が起こった。
記念に松の木を植えた所は植木の里と言うようになった。
それからずっと後、
今朝麿の子孫の人麿に神託が降りて、剣山の上にも祭祀するようになった。
という事です。地名の中山も植木も今に伝わっています。


この由緒書によって、ヤマトタケルが熊襲征伐に行った時の、ルートが見えて来ました。
遠賀川からここで上陸して、さらに南下して行ったと見えます。
この鞍手町は物部氏の本貫地という話ですから、
ヤマトタケルがここに来るのも軍事的な援助を得る為の可能性があります。

さあ、神社誌の続きを読んで行きたいのですが、この神社の御祭神を理解するために、
『古事記の神々』でヤマトタケルの命について現代語訳しておきましたよ。もう、びっくりする事ばかりでした。

高校生ぐらいの年齢のヤマトタケルがどうして、この八剣神社の里までやって来たのか、
そして、后のミヤズ姫との関係について、是非読んでおいて下さいね。

(つづく)






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# by lunabura | 2010-06-20 14:14 | 八剣神社・やつるぎ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)
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