ひもろぎ逍遥

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雷山・パラグライダー・お空を散歩する鳥人たち、めっけ


お空を散歩する鳥人たち、めっけ
前原市雷山のパラグライダー


伊都国から那の国に抜ける途中、雷山が三角形に見えます。
鳥がいっぱい飛んでる、と思ったら、人間だよー。
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パラグライダーだ。途中に基地を発見。さっそく突撃~。
道路沿いに、着陸地がありました。
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来た来た。真上に来たよ。
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見とれているうちに、次々と着陸。
音もしないので、あれっ?いつの間にか着いてるという感じ。
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こちらではいつの間にか畳んでいる。大きいな~。
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振り返ると、今度は大きな荷物を抱えた人。
あまりに静かな着地なので、見逃しちゃった。
尋ねると、この大きな荷物を背負って飛んでるんですって。
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「こんにちは。」
「こんにちは。」
「写真撮って、ブログに載せてもいいですか?」
「どうぞ。いいですよ。」
今日、初めてのフライトだったそうです。
大感激のようす。
半年間、稽古を重ねたそうです。
パラグライダーは初動が一番大切で、これが9割以上を占めるとか。
あとは、鳥になりたい心かな…?

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やっと、着陸のシーンが撮れた。仲間に見守られていいな~。
ロケーションも最高。

みなさん、スクールの生徒さんたちでした。
パラグライダーのレンタルはないそうです。
自前なんですね。ん十万円するそうですよ。

でも、一度でいいから飛んでみたい人は?
ビジターで先生と一緒に飛ぶことが出来るんですって。
一度チャレンジするかな。
でも、酔う人もいるんですって。空酔いするんだ。
見るだけとするか…。高所好きなんだけどな…。

ここで飛んでいるのは
アクション パラグライダー スクール
http://www.action777.com/para/

の皆さんでした。
HPのぞいたら、フライトの写真がいっぱいありましたよ。
海も山も平地も綺麗だな~。



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# by lunabura | 2011-03-08 13:56 | <催しもの・あそび> | Trackback | Comments(0)

鏡山稲荷神社(1)松浦佐用姫伝説の石を見に行ったけど


鏡山稲荷神社(1)
佐賀県唐津市
松浦佐用姫伝説の石を見に行ったけど

唐津は海も山も松林も素敵な所です。その中でもひと際目立つのがこの山。
今日は、この台形の鏡山に登ります。


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唐津市に入ると赤い巨大な鳥居があって、登山用の車道はすぐに分かります。
車道は何度もヘアピンカーブが続く道です。その両脇がずーっと桜。
半端な数ではありません。これは春に登るべきだ。
この日は雪を心配しながらの、あいにくの空模様でした。
(写真は別の季節に撮った分です。)

頂上に着くと、昔とすっかり様子が変わっていて、
いったい何を見たらいいのかも分からなくなってしまいました。
駐車場のすぐそばに池がありました。山頂に池?どうなってる?
それよりも、昔は佐用姫が悲しみのあまり石になったという
あの岩はどこに行ったのだろう。
そう、ここは松浦佐用姫(さよひめ)が狭手彦(さでひこ)を慕って
悲しみのあまり岩になったという伝説があったはず。
日本書紀にはこう書いてあります。
宣化天皇の2年の冬、10月の1日に天皇は新羅が任那を攻撃している件で、大伴の金村大連に命じて、その子の磐(いわ)と狭手彦(さでひこ)を遣わして、任那を助けた。この時に、磐は筑紫に留まって、その国に政治をつかさどり、三韓に備えた。狭手彦は朝鮮半島に出撃して、任那を鎮め、また百済を救った。

この狭手彦は欽明天皇の時にも再び渡海していますが、
松浦郡では松浦佐用姫を娶りました。
しかし狭手彦は出兵しなくてはならず、佐用姫はその船が出港するのを慕って、
この鏡山の山頂から領布(ひれ)を振って、悲しみのあまりに岩になり、
鏡山を領布振山(ひれふりやま)とも言うようになったと
当時のガイドさんが話してくれたのを、今でも覚えています。
子供心に領布を振るという優雅さに憧れながらも、
人間が岩になる話が不自然に思えたのを思い出しました。

大人たちが、鏡山にあった伝説の立派な岩を見て、「これは不自然だね。
こっちの方がそうだろうね。」と言っていた低い岩を探したい。
しかし探す時間はなく、後で調べると、加部島にその岩はあるとか。

大人になって、こうして日本書紀をみると、
2度も狭手彦が松浦郡に来て、朝鮮半島に渡っているので、
きっと本当の別れは狭手彦が都に帰る時だろうな…。と推理するのでした。
(大人になると、素直に伝説が受け取れないから困ったものだ…。)

さて、今回確認したかった物がもう一つありました。
あの浮嶽との祭祀線です。
浮嶽神社に掲載していますが、浮嶽と鏡山のコラボがあまりにも見事なので、
鏡山の方に遥拝所を示す祭壇石があるのではないかと思ったのです。
でも、この日は全く手が付けられませんでした。

しかし、予想もしなかった世界が待っていました。

さて、時間を戻します。
駐車場を降りるとすぐに大きな鳥居がありました。
山頂にこんなに大きな神社?吸い込まれるように拝殿に行きました。

この神社の参道は上って来る途中、車道から見えていました。

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これがその光景です。なんとも雰囲気があるなあと思ったのですが、
鳥居が赤い。あれ?お稲荷さんなのかな?

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参道の正面に廻り込みました。「鏡山神社」です。
参道の両脇に玉石がずらりと並べられています。
左の手前には白い石が。卵形…。そう、前回紹介した鎮懐石八幡宮の
御神体のイメージに近い石です。これらは海の石ですから、
ここに営々と奉納され続けたものの集積のようです。
ここからまっすぐ正面の奥の高くなった所に拝殿が見えています。

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拝殿前に出ました。急に開けた印象です。

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おお、両脇には眷族さん。狛犬ではなく如何にも稲荷社です。

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参拝をして、左脇に行くと、その裏に神殿がありました。
階段は見えるけど、途絶えていて、一般では行けないようになっています。
振り返ると、
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広々とした境内は海の只中に浮かぶよう。
いい眺めです。なんと気持のいい所。今度は晴れた日に来よう。

いつものように境内をぐるりと廻ろうとすると、赤い鳥居が
左の下がった所にまだまだ続いています。古い…。こちらがルーツ?
ちょっとだけ、行って見るから…。そう言って、一人で鳥居をくぐり出すと、
いくつもいくつも鳥居があって、なかなか辿り着かない。
                                 (つづく)




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# by lunabura | 2011-03-03 18:04 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Trackback | Comments(2)

鏡山稲荷神社(2)異世界は磐座の世界だった/イナリと鉄と悲恋


鏡山稲荷神社(2)
異世界は磐座の世界だった
イナリと鉄と悲恋



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細い山道の古びた赤い鳥居が私を誘う。
異世界への入口のように人の気配がない。
鳥居の扁額を見ると、鏡山神社、白玉神社、そして、荒熊神社。
ええ?なんと色んな名前がついている…。

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道は舗装されているけど、ずっと昔から信仰の対象になっている気配にドキドキ。
そして、参道がどんどん下り道になっていく。ええ?参道が下り坂?
途中、右の高台にも鳥居があったけど、今日は下へ下へと行ってみた。

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とりあえず荒熊神社と書かれた鳥居から左に入ると、またもや下り。え?急坂を下る?
祠が見えた。そして懐かしい巨岩を発見!盤座だ!

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祠の前に立って見上げると、「白玉稲荷大神」と書いてある。
でも、寸前の鳥居には「荒熊神社」って書いてあったんだよ。どうなってるの。
それに、この祠の建つ場所が半端じゃない。巨岩と巨岩の上に、またがって建てられているのだ。

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ガラス越しに覗くと、お稲荷さん。幟には、荒熊稲荷大明神と書いてある。
白玉なのか荒熊なのか、よう分からんけど、同じものを指しているのだろう。
ここはまさに稲荷信仰。
でも、みんなに見てほしいのは左右に迫る岩。磐座信仰の上に稲荷信仰が重なっているのだ。

稲荷と磐座…。同じ組み合わせがあった。そう、大嶽神社。
あの時、磐座の上に神社が建ってるんじゃないかと推測したけど、同じパターンだ。
ここはさらに原形を残してる…。

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あちこちのめぼしい岩の上には祠が置いてある。祠だらけと言っても過言ではない。

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斜度はかなり厳しい。石段が置かれていなければ、手をついて上り下りするような所なのだ。
下界を覗くと立岩が二つ、急斜面に立っている。人工的な気配がある。
巨石研究会のメンバーならあの岩を調べるだろう。
でも、完全装備で降りないと無理…。一人じゃやばい。
かつて、西日本各地の巨石・磐座を見て回った記憶が蘇って来た。
自然の造形を巧みに利用して、人の手をさりげなく加えた祭祀遺跡の数々。
ここも、そんな所だ。

前回の鏡山の写真を見直してほしい。私はあの台形の山の急斜面にいる。
下からはずっと風が吹いて来て、顔が冷たくなった。
上昇気流が絶え間なく吹きつけるのだ。
風とイナリ。ここは古代のたたら製鉄の場所だ!
そうか。こんな所なんだ。

今は分かる。
「イナ」は鉄の事。たたら製鉄には風が必要で、風の神を祭る。
でも、ここに祀られるのは白玉。「白玉」ももう分かる。「隕石」の事なんだ。

これは秘中の秘だったので、もう誰も分からなくなってしまって、
キツネを祀るようになったけど、キツネの口にくわえている
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
キツネという単語だって、語源は「日経」(ひつね)つまり「暦」のことなんだ。
平安時代にすでに狐と稲荷という形に変わってしまった。
成長したな…。我ながら。(涙)難解な眞鍋大覚さんの本が少し分かって来た。

魏志倭人伝にある。「倭人が伽耶に行って、鉄を買いあさる」と。
伽耶から倭国に帰って来るとしたら、この唐津・松浦か志賀島・新宮にまず
船をつける。そのどちらにも古代製鉄の痕跡があった。
特にこの鏡山の断崖絶壁は一般人を寄せ付けず、製造した武器の盗難の心配がない。
これが志賀島あたりでは、島に隠すしかなかった。

松浦佐用姫狭手彦を慕って涙の日々を送ったけど、
狭手彦は新羅と戦い、次には高句麗と戦った。その時の兵の数は数万と書いてある。
数万と言う数字がオーバーだったとしても、
準備する船と武器の数は少々のものではない。
それを支えたのが、この鏡山の可能性が高い。
誰か、ここの古代製鉄所を調べていないだろうか。
鉄滓で山になった所があるはずだ。

狭手彦は高句麗に勝って、宮殿の豪華な品々を持ち帰り、
二人の美女を連れて帰って、蘇我の稲目に貢いでいる。
彼は勝利に酔いしれて、佐用姫にはもう興味を失った事だろう。
戦に向かう時には鏡をくれるような優しかった男が、
戻って来ると佐用姫には目もくれなくなった。
そんな狭手彦の心変わりが理解出来なくて、佐用姫は泣き続けた。

と、ルナは想像するのでした。

帰りは、車道から浮嶽が見えるのを確認して一安心。
唐津もまた古代史の風景がそのまま残るいい所でした。

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向こうの山の富士山のような形の山が浮嶽です。


この物語を理解するために
狭手彦の訳はしていませんが、「蘇我の稲目」を読むと、「狭手彦」が出て来ます。
「鉄とイナリ」は大嶽神社へ。
「隕石」の話は古物神社へ。だったっけ…。
浮嶽神社もレポートしてます。


地図 鏡山





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# by lunabura | 2011-03-03 13:34 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Trackback | Comments(3)

鎮懐石八幡宮(1)出産が遅れるように願いを託した二つの石


鎮懐石八幡宮(1)
ちんかいせきはちまんぐう
福岡県糸島市二丈深江子負ヶ原(こぶがはら)
出産が遅れるように願いを託した二つの石

福岡県の東部の海岸沿いの神社を廻ると、神功皇后の伝承ばかりでした。
こうなったら、西の方の伝承も確認しよう。
という事で、前から気になっていた鎮懐石八幡宮を目指してやって来ました。
地図にも載ってるし、と思って202号線をやって来ると、
JRの向こうに鳥居が見えました。
ああ、ここは何度も通り掛かりに見かけながらずっと気になってた神社だ。
とてもゆかしい参道…。ここにこれたなんて…。と感激。

JRの踏切を渡ろうとすると、車は通れない!!
歩いてしか行けないようになってるけど、駐車場もない。どうなってるの?
ナビを拡大すると、道がありそうなので、西の方に迂回してみると、
だんだん道幅は狭くなり、農作業中のビニールハウスに突っ込みそうな勢い。

しかも、先の方は行き止まりかも。へたしたら、溝に落ちてしまう。
もしかしたら、このくねくねの細い坂道をバックで帰る?(汗)
とうとう車を降りて、道を確認しに行くと、あったあった、
駐車場もあるし、目指す神社がありました。

(このブログを見て行きたいと思った方、このルートを通るのは
お勧めしません。(;一_一)JRの踏切を歩いて渡りましょう。)

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ここは海に近い高台にあります。さっきまでのどしゃぶりも止んで、
曇り空ですが、光を集めたように明るく開けた境内でした。
ああ、ここも桜がいっぱい。花芽を含んで、充実しきった冬の枝もいいですね。

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拝殿に出ました。参拝して、右を見ると神社の由来に関する資料が
沢山貼られていました。それに、持ち帰り用の資料が置いてありました。
ありがたい…。資料館に行かなくていい。お礼を投入してっと。
この神社は古代史を調べる人は必ず押さえに来るんだろうな…。
そう。だって、日本書紀に書いてあるもんね。

まずは、拝殿にある由緒書きを見てみましょう。

祭神 神功皇后(息長足日女命)
     応神天皇(八幡大神)
     武内宿禰

おお、見事な組み合わせです。ずっと、この三人は一緒です。
母と子と重臣です。黒男神社では、武内宿禰がすべてをかけて、
この母子を守ったのが思い出されます。
では、この神社の「鎮懐石」って何?

由緒 昔神功皇后は応神天皇を懐胎しながらこの地を通って、新羅へ向かって兵を出された時に、卵形の美石2個を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って、帰国後、宇美にて応神天皇を御安産されたのである。

そこで皇后がかの経尺の璧石をこの丘の上に、お手ずから拝納されてより、世の人は鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。

そうか、ここはいよいよ新羅への出兵の場所だったのですね。
でも、あれっ?出兵は志賀島からじゃなかったっけ?
そうか、当時は朝鮮半島に行く湊と言えば志賀島と松浦と二つあって、
そのどちらにも、伝承があるんですね~。困ったですね。
まあ、それはそれとして、西の方にはどんな伝承があるのか、
楽しみに見て行きましょう。

さて、神功皇后は夫が亡くなる寸前に、神託で懐胎を告げられています。
それから三輪町では戦をして、新宮町では訓練を見て、
古賀市では船団を待って、久山町や福津市など色んな所で祈願をして
忙しく過ごします。そうこうしている内に、産み月が近づきました。
そんなお腹で、戦闘に出かける?戦争中に船の上で出産する?
しかし軍備は整って、流れは止められない。

そんな彼女を助けてくれたのが、この二つの石だったのです。
その石に願を掛けて懐に収めていたお蔭で、出産が延びました。
当然ながら、この件がいろんな本で問題にされています。
(さすがに、石を懐に入れただけで出産は延期出来ない)

神社史によると、神功皇后はこの湊に戻って来てから、
みずからその石を奉納しています。
なるほど。これは現地に行かないと分からなかった話ですね。

(つづく)
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獅子が睨む先には海が広がってます。


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# by lunabura | 2011-02-20 22:20 | 鎮懐石八幡・ちんかいせき・糸島 | Trackback | Comments(8)

鎮懐石八幡宮(2)石の大きさの謎をルナもやっぱり考えた


鎮懐石八幡宮(2)
石の大きさの謎
ついついルナも…

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それではこの神社に関わる日本書紀のシーンを読んでみましょう。

新羅へ出兵する時、ちょうど皇后は産む月にあたっていた。
皇后は石を取って腰に挟んで、祈って言った。
「戦が終わって戻って来た日に、ここで生まれたまえ。」
と。その石は今は伊都の県(あがた)の道のほとりにある。

とあるのが、まさしくこの鎮懐石八幡宮の場所です。
当時は道のほとりにあったと書いてあります。この部分だけでも、謎だらけです。
石のサイズです。腰に挟めるサイズですから、小さいはずです。
でも道のほとりにあるなら、認識出来る、ある程度の大きさがあるはずです。
古来、この石のサイズの矛盾の謎解きと妊娠期間の計算から
神功皇后にハマる人が出て来ているようです。

この石は今はどうなっているのでしょうか。
神社に置いてあった資料を読んで見ましょう。
鎮懐石物語 白く光り輝く二つの石 (糸島伝説集よりーその一部を)

新羅遠征も勝利の中に無事凱旋になると、めでたく胎中の天皇が御降誕になった。後の応神天皇である。皇后の御安堵と喜びは一方ではなかった。その後、皇后はこの神意志を祈願した地・子負ヶ原(こぶがはら)の丘上に納めて永く祀られたのである。

その後この宮の前を行き来する者は下馬したり、ひざまづいて拝んだと万葉集にも書き残されているが、その頃からこの神石を皇子産石(みこうみ)とも鎮懐石とも呼ぶようになった。

帰国してから、無事に出産したんですね。そして、例の石をこの丘の上に納めたんだ。
万葉集にはこの宮の前を行き来する人が参拝している様子が書いてあります。
なんと、この万葉歌人って、山上憶良ですって!
筑前の守として、ここまでやって来たんですね。
彼の詞書きによると、この時の石は大小二つあって、サイズは
大が長さ1尺2寸6分(約40㌢)、周囲1尺8寸6分(約60㌢)
小さい方は長さ一尺一寸(約36㌢)、周囲1尺8寸(約60㌢)
(一尺を33センチで計算してみました。)
う~。大きい。どうなってるの?話が伝わる内に、
こんなに大きな石を袖の中に挟みつけたという事になってる。
無理ですね…。ま、つづきを読みましょう。
この石は寛文年間(1661年)まで残っていたが、いつの間にか盗難にあってしまった。ところが、天和3年(1683年)の夏、六郎という里人が卵形の珍しい美麗な一個の石を拾って家に持ち帰っていると、ある日、一羽の鳩が飛び込んで来て、床の間に据えていたその石に止まったので不思議に思い、ある博識の古老に話した。

するとこれは子負ヶ原から失せていた鎮懐石の一つに違いないと教えられたので、六郎も近隣の人々も、瑞鳥が飛んで来て止まったのも道理だ、もったいないことだと、子負ヶ原丘上に納めたのであった。そして、貞享2年(1684年)に社殿を新築して、これを御神体にしたという。

現在、疑問を感じるのはこの石の大きさである。今の石は横7寸(約23センチ)高さ6寸(約20センチ)径5寸(約16センチ)と言。
われているが、古書では皆、長さ1尺2寸6分(約40センチ)、まわり1尺8寸6分(約60センチ)と記されていることである
貝原益軒は如何に長い年月を経たとて、大きな石が小さくなる事もあるまいが、神仏のことは常識を以て論じ難いと評論を避けている。

それにしても、このように大きな石を御腰に挿まれたとか、御裳の中にいれられたということは誰もが不審に思うであろうが、これも皇后に神力があったと考える外はない。

なるほどですねえ。
これはまた大変大きな石が盗まれたんですね。持ち上げればぎっくり腰間違いなし
ですが、後から奉納された小さな方でも、ラグビーボールぐらいの大きさ?
これを二つねえ…。妊婦が腰に挟んだ…。貝原益軒が評論を避けるのも無理ないな。

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これは、境内にあった白い石です。無造作に置いてるので、
何だろうと思って取り敢えず撮影したのですが、
古書にある大きい石がこのくらいの大きさみたいですね。
う~ん。ますますミステリー。続きをもう少し読んでみましょう。
なお、社前に御船をつながれたという「とも綱石」が
玉垣を巡らして残されているのも、珍しい。



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 境内にこんな石があって、これもまた何だろうと思って撮影しました。
 ほかには「とも綱石」らしきものには気づかなかったです。
この神社そのものが移動しているので、よく分からないです。
(地元の方で、これが何か分かる方、教えてください。)

さて、この「玉垣を巡らす」という言葉で思いだしたのが、
このような丸い石は堤防を作るのに一番いい素材だという事です。
古代には、せっせと海の底に潜っては積み上げて護岸した人たちがいました。
そんな作業中に海の底で白くて綺麗な丸石を見つけると、
神社にでも奉納したくなりますよね。
この浜にいた海人族たちも白い卵型の石を見つけると、神功皇后の伝承を思い出し、
ゆかりの神社に奉納したのではないかなと想像しました。
ここから近い唐津市の鏡山にも、白い丸石が沢山奉納されていました。
そこにも神功皇后伝説があります。

この石のサイズの問題について、ルナはこう想像しました。

「昔の神女は純白な玉石を紅袴の腰紐の中に入れていた。」そうです。
神功皇后も豊浦宮で綺麗な石を見つけて大事に拾ったりしています。
この糸島でも彼女が見つけた石は小さいものだったんではないでしょうか。
そして、出産が遅れる祈願の神事を大々的にしました。
もちろん、兵士たちへのパフォーマンスもこめてです。
彼女はその白い小石をみんなが見守る中で身につけた。

この出来事は人々に強烈な印象として残り、伝えられる内に石は巨大化していった。
それからは白い卵型の石が見つかると、人々は神社に奉納するようになった。
その内で特に大きな二つの石が道端に置かれて、道祖神のように崇敬の対象になった。
それを山上憶良が見聞して記録したのが、そのまま鎮懐石と呼ばれるようになった。
盗まれた最初の石は、きっと懐に入れられるほどの小さな石だったと思われます。

白い石は、次回紹介する唐津市の鏡山にも沢山たくさん奉納されていました。
この糸島から唐津にかけての海人族たちは白い石を見つけると、
「神様に奉納しよう。」という、ならわしがあったのかも知れません。
白い石については、もっと沢山の伝承を見通してみたいと思いました。

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境内からは海が見渡せます。左の方は今から行く唐津方面の海が見えています。

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神社はこの森の向こうにあります。
写真の左が海です。右には大きな道路が出来ています。

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昔の写真も資料にありました。
鎮懐石神社はかつては石垣を巡らした岡の上にあったそうです。
昭和11年(1936年)に現在地に遷りました。
風情がありますね。

地図 鎮懐石神社




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# by lunabura | 2011-02-19 13:35 | 鎮懐石八幡・ちんかいせき・糸島 | Trackback | Comments(10)

鹿家 こんな日でも波乗りする?


鹿家
しかか
こんな日でも波乗りする?


また来てしもうた。
この日の天気予報は雨のち雪。しかし長崎方面は曇りと雨。
もしかしたら雪になる前に帰れるかもしれないと、期待をして長崎方面へ。
だんだん雲が明るくなって来た。前回紹介したルートでやっぱり海岸線を走る。
今日の海は小さな三角波が沸騰したように沸き立ち、小刻みにぶつかりあって、
こりゃあ、荒れ模様。まさかサーフィンしてる人、いないよね。

そして、またまた鹿家の二丈パーキングエリアに来てしまいました。
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ここは鳴き砂の浜というではないですか。
それならと強風の中、浜辺に下りてみました。風は強いが、思ったより冷たくない。
でも写真のように砂は濡れていたので、鳴くはずもない。

サーファーが渚に座り込んでいました。
仲間に「今日は心が折れた。」と言っています。今日は命懸け。
波は立ってはすぐに崩れ落ちるから、乗れそうな波も2~3秒で消えている。

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それなら冬の荒波を撮ってみようと水際で撮ってみると大した波が撮れない。
それならこっちは。

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と、振って見たけど、やはり体感ほどの波は撮れない。
へぼカメラマンは、あきらめが早い。戻るとするか。

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あっ、こんな日でも、波を捉えたヤツがいた。すごいヤツだよ。
次の瞬間、さかさまになった彼の足だけが宙に見えた。

曇り空の冬の海なんて、暗くて載せてもねと思ったけど、
この海の透明感はやっぱり魅力的。

最近は古墳ばかり出していていたので、ここらへんで厄落とし。
訪問して下さってる方々に、きれいな海をプレゼントしよう。

鹿家の意味?  「シカ」は「=スカ=砂の処」、「カ」は「崖」
まさにここは崖と砂浜だけがある所です。古代の地名みたいですね。

鹿家 福岡県糸島市二丈鹿家 鹿家海水浴場




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# by lunabura | 2011-02-18 10:52 | <地名・地形・伝承> | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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