ひもろぎ逍遥

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幣立神宮(3)予言が示す日本の理想の未来社会とは


幣立神宮(3)

ホピから日本人へのメッセージ(3)
予言が示す日本の理想の未来社会とは


最終的な結果として、すべての火の内で「一番強くパワフルな太陽の火」という見えない神性が働き、私たちを正そうとして浄化をもたらします。大地と生命の破壊行為を阻止するために私たちを滅ぼします。

それは「上空から層をなして降りてくるたくさんの稲妻で、その下に生きているものをすべて灰にしてしまう」のです。

そのあとに太平洋と大西洋は「かつてそうであったように再び一つとなって」大地を完全にきれいに洗い流します。そして天地が全く逆さまとなり、今上にあるものは下に沈み、今下にあるものは上に上がります。

この地に人間が住んでいたことを示すものはあとかたもなくなります。天地のひっくり返りが始まると、2・3回はゆさぶりが続きます。これらは昔にもあったことです。もしそれが起こってしまうと、この大地に人間がもう一度暮らすことが許されるかどうかは大変疑わしくなります。

私たちが幾度も繰り返し、やり損なってきたために、その権利を剥奪されてしまうでしょう。そしてその後には村単位の生活を営むアリたちがこの地球を受け継ぐでしょう。

遅すぎることのないように、地球の生命を破壊し続けている貴重な鉱物資源を掘りだすことを止めましょう。再び間違いを犯さないようにしましょう。トーマス・バニヤッカの言うように、地球の生命を破壊し続けている貴重な鉱物資源を掘り出すことを止めましょう。

工場や街、拝金主義的な考えを捨てて、食べ物、着る物、家屋、道具を自給自足できる村単位の生活に戻りましょう。隣人たちと相互扶助の行える生活をしましょう。村全体が一つの家族であるような生き方をしましょう。

平和と統合という大きな波のうねりを、この幣立神宮から押し出していきましょう。そして、地球全体がかつて始まりの時、そうであったように、真の平和、真の兄弟愛、地上天国での「永遠の命」の中で生きていけるようにしましょう。

(1)増加し続ける狂気および戦争
(2)不治の病の増加
(3)家庭崩壊の増加
(4)風、水、火、土の4元素による災害の増加
などで私たち自身を滅ぼさないようにしましょう。堕落しすぎないようにしましょう。
さもないと、阿蘇山の力が働いて火と水の力で大地や山が水浸しとなり、その高さが1600mにまで達してしまうでしょう。これは過去にもあったことなのです。

この地に奉斎されている崇高な太陽の女神に浄化を起こさせないようにしましょう。太陽の女神は「目には見えないが一番パワフルで決してきえることのない火」なのですから。

そうしたみっともない終わり方を迎える替わりに、1995年8月23日の11:30、こうしてここにいる私たちの「6000年ぶりの五色神(人)様の集まり」から「立ち止まってよく考え、自分を正し、変えて」行きましょう。過去の誤りを正して行きましょう。
「前に進み、幸福でいましょう。子供たちを養って行きましょう。」

以上です。
この阿蘇山はかつて富士山よりはるかに高くそびえていましたが、
大噴火のために山容を失いました。
その時大地震が起こり、1600m高さの津波となって、
ロッキー山脈を越えて東海岸まで達したという伝承をホピ族は持っていたので、
こうして、メッセンジャーを日本に送りました。

ホピの予言の中では、人類は今、分かれ道に立っていて、
一つは月にまで達する発展的生き方による破滅への道。
もう一つは大地を耕す循環的生き方をする平和への道
のどちらかを選択する時だと言っています。

私たちが今、消費によって成り立つ社会を見直し、それぞれが大地の暮らしに戻る時、
この悪い方の予言は成就しないのです。
ホピたちは日本人が大きな役割を担っていると伝えています。

私たちが目指す未来社会のヒントは
「工場や街、拝金主義的な考えを捨てて、食べ物、着る物、家屋、道具を
自給自足できる村単位の生活」
「隣人たちと相互扶助の行える生活」
「村全体が一つの家族であるような生き方」
です。

ダッシュ村のあり方はそのモデルだったなあと思っています。
一日も早く原発問題が終息しますように祈ります。
美しい日本を子供たちに残したいです。

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ララミー砦の協定
シャイアン族とスー族の長老たち 1868年


ホピ族は日本と同様に雛型思想を持っています。
(ホピで起こる事は、世界でも起こるという思想)

次のリンクは、阪神淡路大震災の後に出された日本人へ向けたメッセージなどが
書かれています。興味のある方はどうぞ。

ホピ族の長老マーティン・ガスウィスーマから日本人への伝言
「神戸地震について、日本の人たちへ伝えたいこと」 ほか
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeword/Word28.htm#1




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# by lunabura | 2011-05-14 00:15 | 幣立神宮・へいたて・ホピ予言 | Trackback | Comments(2)

裂田神社(1)日本書紀に書かれた裂田溝は現存していた


裂田神社(1)
さくたじんじゃ
福岡県筑紫郡那珂川町安徳
日本書紀に書かれた裂田溝は現存していた

日本書紀を現代語していく内に出て来た「裂田溝」(さくたのうなで)。
遠い過去の話かと思っていたら、今でもそれが残っているという。
しかもこの神社は古代祭祀線の南北線に乗っかってくる…。

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車で移動すると、いかにも神社らしい杜が見えて来ました。
右側の手前の杜が「裂田神社」。その左奥の森は「安徳台」です。

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車を駐車場に止めて、正面に廻りました。
田園風景の中に流れるせせらぎの横に立つ神社でした。
なんと心地よい。

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川が下の方を流れていて、そこにせり出すような場所に神社はあります。

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拝殿の彫刻は雅(みやび)な装いで、姫宮らしい雰囲気です。
そう、ここもまた神功皇后のゆかりの宮でした。
参拝を済ませて、案内板を読みました。
裂田神社安徳、宇竜頭にある。裂田の溝を記念して神功皇后を祀ってある。朱塗りの拝殿は間三間、入二間、絵馬がところせましと奉納され、その奥に神殿がある。

神殿の扉には菊花の紋章がある。境内には明治39年の鳥居をはじめ、こまいぬ、注連掛石などが、杉の老木や古株と並び、裂田の溝が周りをめぐっている。
例祭は11月28日で、針口の人たちが集まって火たき ごもりをする。
(社)つくし青年会議所

安徳と言えば安徳天皇を思い出しますが、その名の通り、
この地には安徳天皇を迎えた伝承も残っていました。
御祭神には神功皇后だけが書かれています。
どうして、ここに彼女の名が残るのか、日本書紀を抜き出しましょう。
(神功皇后は佐賀県の松浦郡に行って、ウケイをした。
西の方を討たねばならなかったのだ。
ウケイは裳の糸に針をつけ飯粒で釣りをするという方法だった。
「もしそれが成就するなら、魚よ、かかれ。」
みごと川魚がかかって、吉と出た。)

皇后はこうして神の教えの霊験がある事を確信して、さらに天つ神、国つ神を祭って祈り、西の方を討とうと思いました。そこで神田を定めました。その時、儺の川の水を引かせて、神田を潤そうと思って、溝(うなで)を掘りました。とどろきの岡に至ると、大岩がふさがって、溝を通す事が出来ません。

皇后は武内宿禰を召して、剣、鏡を捧げて天地の神に祈らせて、溝を通そうとしました。すると雷が急に鳴り出して、その岩を踏み裂いて水を通しました。そこで人々はその溝を裂田溝(さくたのうなで)と言いました。

神功皇后は夫の天皇が亡くなっても、戦争への流れを止めることが出来ず、
行き先々でウケイをしています。不安で仕方がなかったはずです。
天皇の死を隠しているために、作戦通りに着々と軍備は整えられて行きました。

佐賀県の松浦郡は朝鮮に向かう港がある所です。
この那珂川町は距離的にも近く、古くから栄えていて、重要拠点だったようです。
後の時代にも、斉明天皇中大兄皇子たちが新羅との戦争のために、
この那珂川町の行宮を目指してやって来ています。

日本書紀によると、神功皇后たちは本格的な祭祀をするために
この地で神田を作ることにしたようです。
すぐ近くまで海が迫っていて、だんだん干潟になっていく時代です。
しかし地形を見ると、田を潤す川がありません。
そこで那珂川から導水する工事を行った訳です。
それが裂田溝(さくたのうなで)です。

これらは、いくつかの伝承を組み合わせたものではないかとも思いますが
まさしく1800年前の工事の現場が残されていました。


水路をまっすぐ掘っていく途中で、神社の下の岩盤にぶつかってしまいました。
「武内宿禰に剣と鏡で祈らせると、雷が落ちて岩盤が砕かれた。」
となっていますが、横の安徳台からは紀元前の製鉄跡が見つかっていることから、
現実には、その鉄器の援助を竹内宿禰らが融通してくれたのではないかと思いました。

地元の真鍋大覚氏は隕石が落ちた可能性を述べてあります。
隕石が落ちたら植えるという椋の木の古木が近くにあるようです。

隕石がそんなに都合よく落ちるのかなと疑問を持ったのですが、昨夜、韓国ドラマの「トンイ」を見てびっくり。
李王朝時代には宮殿の中に隕石が落ちているのですね。
その当時はよく隕石が落ちたというセリフもありました。
(もちろん史実かどうかは分からず、そんな記事をモチーフにして、ドラマが出来たのかなと想像。)
この岩盤が砕かれたのは隕石の跡なのか、鉄器で穿(うが)った跡なのか、
自分の目で確かめてみたい。

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神社の裏に行くと本当に岩盤が露出していました。
まっすぐ掘られてきた水路は、これにぶつかったため、迂回させています。
この下流に開削した岩盤があるはず。

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現場に写真があるので読んでみると、文面からはこのコンクリートの下らしい。
見ることが出来なくなって残念です。


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                              (つづく)

地図 裂田神社 





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# by lunabura | 2011-05-11 21:25 | 裂田神社とさくたのうなで | Trackback | Comments(4)

裂田神社(2)「おひたき」の語源はギリシア語の「キタヒ」?


裂田神社(2)
「おひたき」の語源はギリシア語の「キタヒ」?
1800年前の行事が続いていた

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(神社から裂田溝(さくたのうなで)を見る。)

前回の案内板の記事に
例祭は11月28日で、針口の人たちが集まって火たきごもりをする。

という文があって、驚きました。
これって、地元の真鍋氏の本に書いてある伝統行事じゃない?
まさか「お火焚き」が残っているとは!

真鍋家って那珂川町の物部氏だったと言うのですが、
その物部氏の末裔が書いた本が『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』。
あまりの難しさに地元では忘れられているようなのですが、
私はこのお蔭でずいぶんと謎解きが出来ました。
今日はこの本を書かれた現地で読んでいきたいと思います。


那珂川では仲哀天皇の頃からお火焚きの催事が始まり、今も部落ごとに守られている。
氏族は自分たちの部落の新年の暦を神に供えて、古い暦を焼き捨てた。これが「お火焚き」で、その語源はギリシア語の「キタヒ」で「書物」の意味である。

陰暦12月15日の夜を「お火待ち」として、部落の一族が一つ家に集い、夜を徹して酒宴をした。この夜には「お火待ち星」(オリオン座のペテルギウス)が夜空に昇った。この星を別名、神直毘星(カムナビ星)とも呼んでいる。


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オリオンは冬の星座。冷たい冬風の中に堂々とその姿を表します。
オリオンの三ツ星は船乗りにとっては道しるべとなる大切な星で、住吉様と呼ばれました。

そのオリオン座の一番高い所にある赤い星がペテルギウスです。
農業をする者にとっては、収穫が一段落して、
土木工事や、農機具を整える季節が来た事を教えてくれる星でした。

「神ナビ」とは暦を作る為に月日を正しく並べる行為をさします。
この星が出る頃は、出来上がったばかりの翌年の暦を祝う時でもありました。

その暦を作ったのが物部氏です。
暦を作るのに必須事項は「満月とついたち(朔月)」と「月食、日食」の完全な予測だった。木の幹を大小に小さく切って、1年の月日を並べ衆議一決するまで立て替え、並べ直して納得のいくまで日取りを組んだ。暦が出来上ると氏族一同に触れて廻り、年毎の資料は神殿に奉納して子々孫々に伝えた。

満月は夜午後8時に昇り、朔月は午前4時に沈む。当時、二つの家系があって、一日の始まりを午後8時とする家系と、午前4時にする家系があった。この為に生じるずれは無理に合わせず、暦の日付を空欄にしておいて、それぞれの家系で解釈できるようにしていた。(神社や寺の銘で日付が空欄になっているのはこれが原因)

私たちは当たり前のようにカレンダーを手にしますが、旧暦のカレンダー作りは今でも計算と予測が大変で、閏月(うるうづき)の入れ方がとくに難しいそうです。

しかし季節がよく予測できるために、現代でも農業や漁業関係者はもちろん、洋服の製造や仕入れの業者など、季節ものに関わる人の大切な情報源になっています。

暦の編纂を行ったのは那珂川町では真鍋勝次が最後で、勝次は陰暦11月になると沐浴潔斎して暦の計算に取り掛かかった。その遺言は     
「明治43年4月19・679日にハレー彗星は近日点を通過する」という内容だった。
明治42年に亡くなったが、この遺言は的中した。

ハレー彗星は、西洋で発見されるよりずっと前に、日本で知られていたそうです。
その予測に成功させる事は、和暦のレベルの高さを証明する事になるので、勝次氏は渾身の力を込めて予測されたのでしょう。

長距離の測量には球面測量の計算が必要だそうですが、そんな計算法も古代から伝わっていました。
古代祭祀線を理解するには、こんな事も計算できないといけないので、
るなさんはお手上げです。くるま座さん、頑張ってくださいね。
と言う事で、「火たきごもり」という行事は「古い暦を焼く」ことから始まったのが分かりました。この行事が1800年も続いたとは素晴らしいですね!

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(裂田溝から裂田神社を見る。)

暦については、後の世の闘争の原因にもなって行きました。
曽我氏と平群氏がいて、早良郡脇山に住んでいた。平群氏は一年の元旦を望旦夏至に固執し、曽我氏は朔旦冬至に改革した。

曽我も平群も「月」の意味で、「曽我」は月の東洋的異称。「平群」は月の西洋的異称だった。これが暦法の採否を巡って中大兄皇子の激烈な論争と対決の背景となった。

ここに出てくる早良郡脇山とは福岡市の西の方にあります。
那珂川町からは西北の方になります。
朝鮮半島で国の興亡があるたびに、大勢の人たちが逃げて来て、それぞれに集落を作っていました。
亡命者同士、緩やかな和平関係が結ばれていたと思われますが、
水利権の争いや、どの氏族の暦を採用するかなど、将来の氏族闘争の火種が生まれました。

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これは「和名抄」に書かれていた地名を現代の地図に落としてみたものです。
平群氏や曽我氏が福岡に居たのは地元でもあまり知られていません。

竹内宿禰が近畿地方に渡来人たちを連れて行って開拓した話になっているそうですが、
そうすると、このエリアに集結していた渡来人たちが、竹内宿禰や神功皇后が
東征した時に、一緒に大和地方に移住したのではないかと考えるようになりました。

彼らが土木技術に長けていた名残がこの裂田溝かもしれません。
ちなみに、実際に工事したのは国栖(こず・くず)と呼ばれる部族です。

ギリシア語で「月」を「フェンガリ」と言い、「ヘグリ」と変わったと思われる。
近東系の出であって、月氏(ササン)の子孫であったと思われる。
早良(さわら)には平群氏が百済人をここに租界せしめた。

考古学的にも、各地の地域の土器が一か所で発見されたり、
朝鮮式の古墳があったりするようなので、
少しずつ、そんな資料に当たって行きたいなと思っています。

                   (裂田溝と安徳台につづく)




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# by lunabura | 2011-05-11 19:19 | 裂田神社とさくたのうなで | Trackback | Comments(4)

裂田溝と安徳台・溝の幅を測った・阿蘇山の火砕流


裂田溝と安徳台

さくたのうなで・あんとくだい
福岡県筑紫郡那珂川町山田
溝の幅を測った
え?ここまで阿蘇山の火砕流が…。

裂田溝は現在よく整備されて、町歩きのメインルートにもなっています。
今日は、現場でどうしてもしてみたかったこと、
「溝の幅を測る」にチャレンジです。

真鍋氏の本によると、「裂田溝は近東の古尺である俔尺で測られている」という
一文があって、これを確かめたかったのです。
しかし、「あっ。巻尺忘れた!」というドジから始まりました。

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裂田神社付近の水路は以前より広くなっているというので、昔に近いものと言う事で、
連れて行ってもらったのが山田地域でした。
片側は舗装道路で、反対側は石組。完全に作り変わっています。
これではちょっとターゲットにならない。
でも、くるま座さんが車から1メートルの定規を持って来てくれたので、
ちょっと測ってみるか…。

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1メートル、2メートルと測り始めたら、
「その定規は1mではないよ。」と奈東南雄さん。(ハンドルネーム)
「あれ?ホント。101センチだ。」
(何でそんな変な定規が存在するのだ…。と思いながら測り直す。)
「斜めになってるよ。」と再び奈東南雄さん。
「あは、ホント。」定規をだんだん斜めに置いていた。
「橋の端に合わせて計らないと。」
「そうですね (・.・;)」我ながらいい加減だ。と思いつつ測り直す。
「出発点はきちんとしてるの?」
「え?いいえ。そう言えば、川ってどこを測るんですか?川幅って、川底?それとも、土手の所?」
そんな基本を考えてみたこともない。

「川幅は土手の端から端を言うけど、この工法だと、川底を測ったらいい。土手が90センチくらいだから、石垣ののり面を測って、足し算をしたらいい。」
なるほどですね。といって再び測り直し。
「最後は50センチ!」
「全体でどれだけ?」
「あっ。定規を何回置き直したっけ。」
テンションが上がると足し算もままならず、5回も測り直したのでした。
それで、350センチが川底の幅で、斜めの石垣や土手を合わせたら約5mになりました。

これだけ整備されているのですから、これで古代尺と比べようと言う愚かさに
我ながらアホらしいのですが、現地に行って見ないと状況は分からなかったので、
取り敢えず、やってみたかった事をやって、満足しました。

あとでネットで調べると、昔の素掘りの跡もあったそうですが、
古代史跡としての保存はされず、消滅しています。
幅も3~5mでいろいろとあるそうです。当然ながら何回も改修されています。

で、眞鍋氏が書いている古代尺は何センチ?
裂田溝も早鞆の門も近東の古尺である俔尺(けんしゃく)1.05006メートルで設計してある。

ふうっ。細かいな…。私から見ればほとんど1メートルなのに。
眞鍋氏はそれじゃ済まないんだ。
しかも失明されてからの口述筆記ですから、暗記力も半端ではない…。

結論から言えば、現代の水路では古代の水路の幅を想像する事も出来ず、
古代尺測量実験は失敗に終わりました。

それにしても、この裂田溝を巡るコースはよく整備されていて、
田園風景の中を「さるく」(方言で「歩きまわる」という意味)のはとても心地よく、
トイレや説明板が完備されていて、一度は全体を歩きたいなと思いました。

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そして、説明板を見ていて驚きました。

9万年前の阿蘇山噴火の時に火砕流がここまで流れ込んだというのです。
阿蘇4期という有名な噴火…。
正面に見える安徳台はその火砕流で出来た丘だったとは!
阿蘇からここまでどんだけ~?さすがにぞっとする。

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(裂田溝から安徳台を見る)
約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回 (Aso1-4) あった。地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。

その中でも4回目の噴火 (Aso4) が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。

Aso4の火山灰でできた地層を見つければ、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われている。
(ウィキペディア)

この阿蘇の噴火は「ホピの予言」と繋がっています。
信じられないかもしれませんが、彼らは阿蘇山の噴火を伝えていたのです。
次回はちょっと寄り道して、幣立神宮(へいたてじんぐう)に託された
「ホピ族からのメッセージ」について書きたいと思います。

那珂川町 阿蘇山 





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# by lunabura | 2011-05-09 16:43 | 裂田神社とさくたのうなで | Trackback | Comments(8)

御中主神社・古代祭祀線を追って

御中主神社
福岡県筑紫郡那珂川町片縄
古代祭祀線を追って

珍しく、くるま座さんから連絡がありました。
「天の御中主神社って、そんな名前の神社は聞いたことがないと思っていたら、那珂川町にあるって聞いて、今度行こうと地図に印をつけていたら、とてもびっくりしたんですよ。」
「なんですか?」
「それが、他の神社と一直線上に並ぶんです。」
「へえ、そうなんですか。」
「南北ラインでは、北は名島神社箱崎宮
南は現人神社、裂田神社、日吉神社、不動岩、そして何故かグリーンピア那珂川がライン上に乗ってくるんです。」
「え~?那珂川の真北が箱崎宮と名島神社なんですか?」
「そうなんです。」
「南も有名な神社ばかりですね。
グリーンピアも、もともとイヤシロ地だったのを知らずに作ったのかも。」

「それがですね、さらに驚いたのが、東西にもラインが出たんです。」
「東西?」
「そうなんです。西は日向峠で東は日拝塚古墳、太宰府天満宮、大根地山なんです」
「ひ、ひなた峠!!!太宰府天満宮?」
「ただし、東西線は微妙にずれています。」

「東西線は、歳差運動でずれている可能性がありますよね。」
「そうなんですか。」
「測量線は厳密で、日の出が誰が見ても、ずれるようになったら遷都をしなくてはならなかったのです。70年で一日ずれます。東西ラインがずれていたら、逆算すると測量した年が却って分かるかも知れません。」
「70年。」
「真鍋大覚さんがそう書いているのです。」
「そうですか。その天之御中主神社に連休に行こうと思ってるんですが。」
「え?れ、連休?行きます。行きます。連れて行って下さい。」

という訳でようやく那珂川町へ行く機会が出来ました。
1週間前に九州歴史博物館で安徳台の展示を見たばかりだったので、
いつになったら行けるのだろうかと思っていた矢先でした。

安徳台では紀元前2世紀の製鉄跡が見つかっていて、早くから栄えていたようす。
その安徳台が那珂川町にあるのです。
それに加えて、この町こそ真鍋大覚氏のホームグラウンドなのです。

こうして、数人で那珂川町の逍遥へ。

込み入った住宅街の中をぐるぐると探して小さな神社に着きました。
扁額を見ると「御中主神社」と書いてあります。
これが神社の正式名かどうかは、まだ未確認です。

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カーブした道路からすぐに一の鳥居がありました。

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昔のままの小さな祠に屋根覆いがしてあります。
地元の氏神さまとして大切に守られているようすでした。

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参拝を済ませて祠の中を見ると、キューピーさんがたくさん置かれていました。
その後ろに丸い御神体石があります。

境内は家が数件分の広さぐらいでしょうか。
祠の裏が小山になっていて、山に向かっての信仰があったような形跡があります。

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この写真の左手が小山です。
かつては大きめの円墳があったような雰囲気で数メートルの高さがあり、
そちらに祭祀点があるような印象を受けました。
宅地が山肌を削りながら迫っています。
イヤシロ地を中心に住宅が迫ってくる場所は、
かつてエネルギースポットだった可能性があります。

古代に祭祀点を決めた時、目印に置くものは石ぐらいしかありません。
しかしあっという間に樹木に覆われてしまいます。
埋もれてしまった祭祀点に祠を置いたりして、
神社の形式を取り始めたのが崇神天皇です。

ここが「天の御中主の神」を祀る神社で、東西線と南北線の中心地だとすると、
何らかの盤座があるのかもしれません。

この神社の由来などに関しては、文献に当たっていないので、
また、おいおい調べて行きましょう。

古代祭祀線を調べるには国土地理院発行の広い地図を使います。
直線上にあると言う時は、少々の誤差も認められません。
古代の人の測量技術は、現代と同じだそうです。
そうでないと、宮殿や寺院は建たないし、船も作れません。

「電波の中継点を作る為に測量して山に入ると、
基準点に盤座が既にあるんだよねえ。昔の人はどうやって測量したんだろ。」
と、関係者が話していたのを思い出しました。

前回、摩利支神社で「天の御中主」を調べて、
「北極星の神」と「曙の神」が合祀されているケースが多いことが分かりました。
これって、「北」と「東」の事ですよね。

もしかしたら、この「御中主」という名前には、
まさしく縦横に走る古代祭祀線の中心点を示している可能性があるのかも。

現地では廻りの山がどう見えるのかは全く確認出来ませんでした。
とりあえず、ライン上の神社を見てまわる事にしました。

このあと、まずは裂田神社に向かいました。

御中主神社 名島神社、箱崎宮、現人神社、日向峠、太宰府天満宮、大根地山

なるほど、それらしきラインが出て来ましたゾ。



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# by lunabura | 2011-05-07 14:56 | 御中主神社・みなかぬし・那珂川 | Trackback | Comments(6)

第3、4回地震雲教室のお知らせ


地震雲教室の開催のお知らせ

真鍋大覚氏の「日本地震雲研究会」を受け継ぐ「新地震雲研究会」会員による
「地震雲教室」の第三回と第四回です。

日時 第3回 5月14日(土) 午後6時~9時
         内容 地震と虹 ムクヒラ・アークを知っていますか

    第4回 5月21日(土) 午後6時~9時
         内容 地震と火山

会場 自然食と喫茶 くるま座 (人数が多い時は変更があります。)
    福岡県春日市千歳町1-24 (JR春日駅から歩いて3分)

講師 中島 茂 (新地震雲研究会会員)
会費 500円

申し込み 電話で予約の上、お越しください。
 092-592-8903 (くるま座)

駐車場がないので、春日市 クローバープラザの駐車場や、
春日駅前100円パーキングを利用して下さい。

変更がある時には、当ブログに出します。最終確認をしてお越しください。
当ブログのカテゴリでは「地震雲教室」とします。

地図 くるま座






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# by lunabura | 2011-05-07 11:08 | <地震雲教室> | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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