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ひもろぎ逍遥

何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚



何故か「こだま」たちが(^^♪

羽白熊鷲塚




朝倉バスハイクⅡで羽白熊鷲塚を見学に。

すると、何故にか「こだま」たちに遭遇。








何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚_c0222861_22501454.jpg

ほよ。









何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚_c0222861_22503246.jpg

ほよよ。










何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚_c0222861_22505236.jpg

いいね。










何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚_c0222861_2251950.jpg

羽白熊鷲塚。




水の文化村の職員駐車場付近で熊鷲は倒されたという。





羽白熊鷲塚 熊鷲は矢で射られた



『神功皇后伝承を歩く』上巻50




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# by lunabura | 2018-01-21 22:52 | バスハイク | Comments(2)

ラジオの日でした



先ほど、8時からのラジオを聴きました。
サイドバーからRKBに入ってラジコをポチって聞いています。


香椎宮の本殿から古宮のサニワ斎場までの放送でしたね。
私がとても好きな所です。

案内したのをこのように放送していただいてすごく嬉しく思いました。

誰もが自由に参拝できる天皇の旧跡なのです。
本当にありがたいですね。

来週も続きがあるように言われていましたね。

古宮の後は、武内宿禰屋敷横の不老水に行き、
栄西の寺、御島神社などに行ったので、
その放送があるのかもしれません。

外での収録はとても楽しかったです。

拙著には更に詳しく書いていますが、
スマホやパソコンで検索してHPなどを見ながらだと、
地形がよく分かると思います。

神功皇后伝承地は地形が面白いんです。
一昨日の羽白熊鷲塚も、戦術を練った喰那尾神社と組わせて行ったので、
地形の持つ意味深さを体感しました。

朝倉の様子、ボチボチご案内しますね。

ラジオのタイトルは「古代の福岡を歩く」です。

「ご来福」しよう
は「福岡古代コラム」
だんだん混乱してきちゃいました(;’∀’)






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# by lunabura | 2018-01-20 20:48 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(0)

ご来福しよう 「福岡古代コラム」 UPされました



ご来福しよう 

「福岡古代コラム」 UPされました
 



福岡県の古代史を含む観光スポットを案内するホームページ
「ご来福」しよう
に「福岡古代コラム」欄がありますが、
私が書いたコラムがUPされました^^

01~05です。
5本あります。

画像も私が撮ったものを使っていただきました。
ブログでも掲載した画像がほとんどですが、
大判なので見応えがあって、感動です。



HP「ご来福しよう」

から入って

右の「古代探訪」の方に入って、



福岡古代コラム


を見つけてくださいね。



今週書いた
「日本書紀に書かれた磐井と福岡の伝承」
も掲載されました。
長すぎるので(;'∀') PDFにしてくださっています。

最初は字数制限内に書いたのですが、
字数制限を取り払うことになったら
3000字を超えちゃいました。(^^♪
(書き過ぎだとは分かってたんですけどね)

内容は、
日本書紀の磐井の乱の現代語訳と
福岡と佐賀に残る磐井一族の話
をかいつまんで書いています。

ブログでは既に書いてはいますが、ランダムに書いているので、
このPDFなら、あらすじがよく分かると思います。

磐井の話は胸がキュンキュンしますね。


以下からPDFのあるページに飛べます。





トップページの鈴をクリックすると、
「おみくじと推薦神社」が出てきます。

今日は末吉でした。(´・ω・`)
で、これから運が良くなるんだって(^^)/


推薦神社は宇美八幡宮でした^^
ちょっと年齢的にはご利益がアレですが(;’∀’)

泉とクスノキに運をもらいに行こうかな。







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# by lunabura | 2018-01-19 20:20 | ご来福しよう | Comments(0)

今日は朝倉へ 2回目のバスハイク



今日は朝倉へ 

2回目のバスハイク



今日は『歴史と自然を守る会』のバスハイクで、朝倉に行ってきました。

朝はまだ雲が低く残っていましたが、午後からは晴れ間が見えました。

都市高速が渋滞していたのですが、なんと黒猫が道路に入り込んだためだったと、帰宅してニュースで知りました。

今回は神功皇后軍が秋月の羽白熊鷲を追い詰めて寺内ダム付近に行った所からのスタートです。

水の文化村の羽白熊鷲塚を見学して朝倉の平野部に下って各地を参拝してきました。
山は幻想的な雲が掛かっていましたよ。



林田の美奈宜神社ではちょうど小学生の学習があっていたので、参加させてもらったり、と面白い体験をしました。


平塚川添遺跡も初めて見学しました。
広大な弥生の環濠の中の遺跡は水の豊かな環境で、吉野ケ里遺跡とはまた趣が違っていました。福岡にこんな素敵な弥生遺跡があったとは!また改めて紹介したいと思います。


朝倉は何処も桜の木が沢山ありました。
春、秋月は渋滞するけど、他の神社でた~くさん見られることを発見しました^^






今日は朝倉へ 2回目のバスハイク_c0222861_20363521.jpg







今日は朝倉へ 2回目のバスハイク_c0222861_20365492.jpg

上の2枚は美奈宜神社(林田)上巻43で撮影しましたよ。


バスハイクも十回かけて上巻50社をほぼ回りました。
次回から下巻の内容、田油津姫の里からとなります。





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# by lunabura | 2018-01-18 20:42 | バスハイク | Comments(0)

「三星堆のイ族」と「一目国のイ族」は同じか



「三星堆のイ族」

「一目国のイ族」は同じか



 賀茂氏は日本の開拓者で、刀剣より、百姓の鋤鍬の生産を主としていたという。蹈鞴の名人で北方系の胡人だった。火を見る時、目を守るために片目を閉じる事から、隻眼一目(せきがんひとつまなこ)の神として倭人の間で崇められた、と真鍋は言う。
その目は緑色。

その祖国である一目国が中国の北方にあったという。

中国最古の地理書といわれる『山海経』(せんがいきょう)にその記述が出てくる。『山海経』は紀元前4世紀~3世紀頃の成立とのことで、日本の弥生時代の早い時期には一目国があったことになる。

ウィキペディアによると、
「一目人たちの姓は威(い)であり、古代中国の帝・少昊の子孫であるということ、また、キビを食べているということが記されている。人々はこの国を怖がっており、鬼国(きこく)とも呼んでいたという。」
とある。鉄の民は目が一つだという話になった。

単眼の巨人はギリシア神話にはキュクロプスの名で、卓越した鍛冶技術を持つ神として登場する。
キュクロプスは一目の神であり、噴火口の神であり、蹈鞴の神だと真鍋は記す。

一目は燕語でカナムリと言い、それがカモに変化したという。燕国は鉄で知られる。賀茂氏は雷神を信仰する一族でもある。


武器ではなく、農工具を造ったという賀茂氏は、鉄も銅も加工できたのだろうか。
賀茂氏がつくった黄金の延べ板は「八つ橋」という土産物に、砂鉄で出来た玉鋼(たまはがね)は「おこしごめ」という土産物になったという。



以上は、過去記事に書いた内容でもあるが、昨日は一目国の人たちの姓を見て驚いた。

一目国の人は「威」姓、すなわちイ族なのだ。
先日、三星堆のイ族は追われ追われて絶壁の山に暮らしているのを書いたばかりだ。

いずれも「イ族」、青銅、鍛冶など共通項がある。


「三星堆のイ族」と「一目国のイ族」は同じか_c0222861_20572783.jpg




ギリシア神話の時代に鍛冶をしていた賀茂一族は一目国を造り、南に移動して蜀を造り、東に移動して高句麗壁画に鍛冶と八咫烏の図を残した。
そういうストーリも可能になった。

一方、日本の筑後川沿いにも賀茂氏はいたが、神武天皇以前には入植していたことになる。それが浮羽の賀茂神社の持つ意味だ。


脊振山系で栄えた賀茂氏の祭祀はのちに弁財天信仰に置き換えられていく。
ヒカゲノカズラを髪に差す優美な祭りは中大兄皇子によって京に伝えられた。


賀茂氏は祭祀用具も造ったのではないか。
鉄鐸が岩戸開きの時に造られたというが、銅鐸の製造の担い手はだれか、と考えるとき、この賀茂氏の存在が一番に挙げられるのである。
加茂岩倉遺跡の加茂には賀茂氏がいて、製作にかかわったのではないか。


そして、その技術があったからこそ、
仏寺の梵鐘も早期に国内で作ることができたのではないか。
そう思われて仕方がない昨今である。



歴史カフェ 2018年2月11日(日)
日本の開拓者 賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―




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「三星堆のイ族」と「一目国のイ族」は同じか_c0222861_15184581.gif


# by lunabura | 2018-01-17 20:58 | 歴史カフェ | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

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