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ひもろぎ逍遥

さすがに




さすがにルナワールドも、年末体制で大掃除モードです。

以前、重層を溶かして拭き掃除をしている話を書きましたが、最近は劇落くんのそっくりさんのダイ○―の「落落くん」を愛用しています。

水だけで落とすやつです。
拭き上げたあと白くならないので、シュッシュッとスプレーして、雑巾をかけて終わりです。
食品まわりも安心の電解水です。

あは。
それでも、すぐにバテますな。

やっぱり、三十分掃除を続けるのが一番合ってます。(´・ω・`)




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# by lunabura | 2017-12-30 20:13 | にっき | Comments(0)

楊貴妃は蜀の人だった




楊貴妃は蜀の人だった




三星堆の不思議な青銅の仮面像から蜀の文化を知ったが、楊貴妃がこの「蜀」の人だと知って驚いた。

唐文化華やかな時、玄宗皇帝に愛された楊貴妃がライチが好きだったとか、傾国の美人とされたこととか、ワンパターンの知識でしか見ていなかったが。

ライチは蜀の産物だったのだ。
故郷から700キロも離れて暮らす楊貴妃。
故郷の思い出と共に食べていたことになる。

彼女は胡舞を舞う美しい娘だったという。
胡舞とは胡人の舞。
胡人とは西域の異民族。
南方の蜀の娘が胡人に紛れて生きた。

当時の胡舞のスタイルはまるでベリーダンスのようなヘソ出しファッション。
その美しさで注目された楊貴妃が皇子の妃となり、その父皇帝に召し抱えらえた。

なよなよとした姿で描かれる楊貴妃だが、胡舞を舞うとなると、纏足(てんそく)もされておらず、生き生きと動く官能的なスタイルの女性だったことになる。

蜀の娘が胡舞族の一員となったのも、哀しい背景があったのだろう。
それ相当の覚悟を持って生きていたと思う。

安史の乱(755)の時、玄宗皇帝が城を脱出して楊貴妃を連れて向かったのが「蜀」だった。そう、二人は楊貴妃の故郷に向かっていたのだ。

安史の乱のうち、安禄山はイラン系ソグド人。
ラクダに荷を乗せてシルクロード交易をする商人、すなわち異民族だった。

唐は多民族国家だった。
その縮図は日本にもあった。
一つ知ると、一つ見えてくる。

ところで、玄宗皇帝に重用された遣唐使に井真成がいる。
その「井」姓も気になるところである。















<2017年12月29日>




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# by lunabura | 2017-12-29 20:04 | メモ | Comments(2)

エジプト太陽の船と筑紫野の五郎山古墳壁画



エジプト太陽の船

筑紫野の五郎山古墳壁画





エジプトのクフ王のピラミッドの脇から二つの太陽の船が出土しているが、そのサイズが違っていて、大小二つあるのがずっと気になっていた。
一つは帆船で、もう一つの船を曳くようになっているらしい。




エジプト太陽の船と筑紫野の五郎山古墳壁画_c0222861_21284112.jpg









エジプト太陽の船と筑紫野の五郎山古墳壁画_c0222861_2129645.jpg




曳かれる船はキャビンだけで、太陽神ラーとファラオが乗るようになっているそうだ。

これと同じ二艘の船の壁画が南アメリカのピラミッド関連の壁画にも描かれていることがRKBテレビであっていた。










エジプト太陽の船と筑紫野の五郎山古墳壁画_c0222861_21295339.jpg
(画像出展)
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo14.htm


これを知った後に筑紫野市の五郎丸古墳壁画を見ると、上の船の四角の構造物は棺ではないのかもしれないと思うようになった。
棺にしてはサイズ感が違うのだ。
これは王の為のキャビンの可能性はないだろうか。

エジプトの壁画と同じ思想の船が浮羽市と筑紫野市にあるのは、
有明海から入って来た渡来人が居をなしたからか。

彼らは石室の空間を埋めずにはいられない観念を持っている人たちだと思う。



<2017年12月27日 >



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# by lunabura | 2017-12-27 21:33 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

王城神社縁起 胸肩県主に阿部高丸・助丸の名が



王城神社縁起 

胸肩県主に阿部高丸・助丸の名が



 太宰府市にある王城神社の縁起を見ていると、
胸肩県主阿部高丸・助丸 今宗像郡宮地村の宮地嶽大明神なり」
という記事が出てきて、思わずのけぞった。

これはどういうこと?????

胸肩県(むなかたのあがた)の長は「阿部高丸・助丸」だというのだ。
この二人はもちろん宮地嶽神社の失われた祭神で、安曇族だ。
宗像の長は宗像氏ではないことになる。
そして、宗像は安曇族の領地だったということになる。

これをいったい、どう解釈していいのだろうか。
大体、あの時代、釣川の河口域に平地があったのだろうか。
かなり奥まで海が入っていたはずだ。
そして、奥には安曇族が入っていた。八所宮然り。安倉然り。

宗像大菩薩とはいったい誰だったのだろうか。

改めて、この「胸肩県主=阿部高丸・助丸」でどのようなストーリが出来るのか考察せねばならなくなった。 

この一文の前後は神功皇后が出産ののち、王城神社で「皇子の賢くましまさんこと」を祈った時のことが書かれ、阿部高丸・助丸と武内宿禰が側で祈ったとある。

すでに阿部高丸・助丸は豊浦宮で戦死しているはずだ。
忌宮神社(豊浦宮)で戦死している。それは出雲でも神楽になっている。


実はここに『日本書紀』がどうしても隠したい歴史がある。
それは新羅が先に倭国の皇居を襲って侵略しようとしたことだ。

三韓征伐の真の目的は新羅の侵略を食い止めるためだったのだ。
徹底的に隠された戦いが今でも古代史家を欺いている。

真実は忌宮神社に残されているのだ。




王城神社縁起 胸肩県主に阿部高丸・助丸の名が_c0222861_2054389.jpg


それにしても、阿部高丸・助丸(高麿・助麿)兄弟が宮地嶽神社の祭神であるという記録に初めて遭遇した。

この史料は『大宰府市史』の「王城神社縁起」だ。



ところで、王城神社の神紋の扇は安曇磯良が神功皇后から賜った紋と同じだ。
当社の真魚箸神事(まなばし)は志式神社の早魚(はやま)神事の継承変形だ。

明らかに安曇族の聖地だったものが、白村江戦ののちに事代主命に上書きされている。

王城神社にはいくつも大事な記録がある。

神武天皇の城が四王寺山に築城された件もその一つだ。中国史に載る筑紫城の候補となる。
水城の水は山口川から入れられた。

今日は取りあえずメモしておこう。
ちょっと、時間をかけて取り組む内容だ。史料には間違いも含まれているので慎重に当たらねばならない。



最近、当たる資料が多すぎ、アイデアも、どこに書いたか忘れて探すこともしばしば。
ブログに書いておくのが一番確実だと気付いた。

自分で、自分のブログのサイドバーで検索するっちゃ。(´・ω・`)

『神功皇后伝承を歩く』上巻1 忌宮神社 p11「塵輪の襲撃」





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# by lunabura | 2017-12-25 20:56 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(7)

昨夜のラジオ放送 八幡古表神社


昨日のRKBラジオ「古代の福岡を歩く」は八幡古表神社でしたね。

四年に一度の傀儡舞・神相撲があるそうで、前回行く予定にしていましたが、あいにく台風が接近中で、急遽取りやめました。

でも、この番組のディレクターは出かけたそうで、その内容の放送がが昨夜ありました。

宮司さんの話、自分が行っても聞けない話で興味深く聴きました。

神功皇后が船や兵士の調達に来たということなので、時期を考えると、豊浦宮の時だろうなと思いました。

また、隼人の乱と傀儡舞の話は、大伴旅人の歌人とは違う側面が印象深かったです。

番組を聴くのはブログのサイドバーからRKBラジオをクリックして、左上のラジコを開いていますが、この時、テーマになった神社や古墳のHPをパソコンで開いて、画像を見ながら聞いています。

神相撲の取組表が掲載されていたので、マジマジと見ました(´・ω・`)
いろんな発見があります。
次回はその神相撲の話だそうですね。
年末の12月30日に放送されるのかな、翌年になるのかな。

聴きそびれてもアーカイブがあるから安心ですね。


豊前の方にも神功皇后伝承地がたくさんあるのですが、それを一つずつ訪問するのをあきらめたことを思い出します。慣れない土地の小さな祠を探すのは体力と気力がいるんです。

地元の市町村で伝承地のマップを作ってくださると、嬉しいですね。


飯塚市では素敵な伝承地マップが出来ていました。
ソラリアステージで作成した方とお会いしましたよ。

今年は色んな体験をしたんだなあ。





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# by lunabura | 2017-12-24 18:09 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

by luna