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ひもろぎ逍遥

冬至ですね


今日は冬至ですね。

古代の寒い所では春を迎える喜びの日でしょうが、現代の日本では今から真冬になる感覚がします。

日が長くなるのが春めく感じかな。

占星術的には18日の新月から節目が続いているらしく、いくつもの扉を開けていて、来週の月曜日の金星が移動したあと、新しいステージを迎えるらしいです。

古い事を終えて、新しいことを始めるタイミングとか。
いや、古いことが終わらないのに、新しいタイミングが来るらしい。



う~む。ピッタリ過ぎます。

現在執筆中の天智天皇の本はなかなかリーチが掛けられず、ずっとイーシャンテンの状態が続いています。(何だ。麻雀する人しか分からない(笑))

全く誰も触れたことのない話ばかりなので、慎重に進めています。

来年やりたいことのイメージもいくつもありますが、手を付ける訳にもいかないので、今は辛抱の時ですね。

皆さんの節目はいかがでしょうか。



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# by lunabura | 2017-12-22 23:23 | にっき | Comments(0)

最澄と田油津姫




最澄と田油津姫



みやま市に清水寺がある。









雉車(きじぐるま)という木彫りの雉が土産物として売られているが、
車輪のついた玩具は地元の人にとっても大切なシンボルだ。

その雉の由来は清水寺を創建した最澄に関連するもので、
唐からの帰りに、船の上から見えた光る山に至る道で迷った時、
雉が案内したことによるという。

最澄。
え?
また最澄が出て来た。と思わず由来を見直す。

清水寺の隣の山が女山(ぞやま)なのだ。
神功皇后軍に追われて逃げ込んだ女山で田油津姫は討伐されたという。

田油津姫と夏羽兄妹が皇后軍に滅ぼされてその亡霊が出るというのが田川市の方だ。

若八幡神社という。

亡霊を抑えるために八幡神が勧請されたが、
いかんせん、応神天皇と神功皇后では恨みは消えない。

その後、最澄が六ケ寺を建ててようやく鎮まったという。

田川とみやまは対応している。

そうすると、最澄は、田川の夏焼(なつやき)の地だけでなく、田油津姫の終焉の地にも出かけて供養したのではないだろうか。

田川では最澄による怨霊静めの話が伝わっていたが、清水寺ではその話が失われたのではないか。
そんな思いを持つようになった。

清水寺は雪舟が造ったという庭園が伝わっている。
紅葉が美しい所で、地元の人が皆勧めてくれた。

初めて行った時の初夏の美しさは今でも覚えている。




最澄と田油津姫_c0222861_2092333.jpg

女山から有明海に太陽の光が映っていた。
快晴なれども、pm2.5で、視界が悪い。












『神功皇后伝承を歩く』下巻60 皇后軍は夏羽を滅ぼした



                  <2017年12月21日>




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# by lunabura | 2017-12-21 20:13 | <神功皇后伝承を追って> | Comments(0)

猫飼ってないんですけどね






猫飼ってないんですけどね _c0222861_21322348.jpg


猫飼ってないんですけどね、
膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしています (=^・^=)

入れないと網戸破られる(;’∀’)

入れたあとでも破られたけど ( ;∀;)






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# by lunabura | 2017-12-19 21:33 | にっき | Comments(0)

筑後の神々と豪族たち


筑後の神々と豪族たち



先取りのバスハイク計画を立てていますが、11回目は筑後地方になります。
時間的な効率を優先して回るのですが、意外な発見もあって面白いですね。

神功皇后の足跡を追っていると、皇后を迎えた豪族たちの里が見えてきます。

久留米市は水沼族の赤司八幡神社、大善寺玉垂宮、弓頭神社と続くので、水沼族が古有明海沿岸部に広範囲に営んでいたことが見えてきます。

そのあとの行程が、高良玉垂廟、風浪宮、鷹尾神社(旧高良神社別宮)となると、安曇族の里となります。

そうして、鷹尾神社まで来たら、あれあれ?矢部川の対岸には七支刀の「こうやの宮」があるんですね。天智天皇が滞在した釣殿宮や太神宮もそのエリア。何度も登場した物部の里ではないですか。

鷹尾神社から車で10分のエリアに次々と天智天皇関連宮が出てくるので、今回のバスハイクに組み込む事にしました。




筑後の神々と豪族たち_c0222861_20574189.jpg


それから田油津姫終焉の地・女山(ぞやま)に向かいます。
女山は女王山の変化だし、蜘蛛塚は女王塚とかつては呼ばれていた。
つまり、山門県の東部は土蜘蛛たちの里となります。


コースの中に国乳別皇子の墓、安曇磯良の墓、田油津姫(あるいは葛築目女王)の墓と、エポックメイキングな人物たちの墓も次々と出てきます。


筑後地方の神々を尋ねる旅は失われた歴史を訪ねる旅となるようです。

本をお持ちの方は下巻の方にずらりと出てきますよ。






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# by lunabura | 2017-12-18 20:59 | バスハイク | Comments(0)

筑紫舞の琴は「叩く琴」だった



筑紫舞の琴は「叩く琴」だった




RKBラジオ「古代の福岡を歩く」の伊都国博編で、古代の琴の話題が出ていました。
伊都国博物館で「叩く琴」が展示されていたのですが、出雲大社でも叩く琴が神事に使われているということで、その時の実際の音色が放送されました。

叩いて音を出すのですから、弦の琴とは全く趣が違いましたね。

番組を聴きながら、どうやらこのディレクターは「叩く琴」を追求しているぞ、と思い、香椎宮での収録のあと、逆取材を試みました。

厚かましいですな(;’∀’)
でも、るな自身も「叩く琴」を追求していたので、すごくうれしかったのです。

( ..)φメモメモ

何故なら、雉琴神社(上巻31)の伝承に、「雉の声を琴の音かと思って目を覚ました」という話があるからです。

琴の音=「春の海」のような豪華絢爛な弦の響きと思い込んでいたので、雉の鳴き声と結びつかなかった。

そうして調べていくうちに、忌宮神社(上巻1)の「板神楽」を知って、神功皇后時代の琴は「叩く琴」だったのが分かったのです。それなら、雉の声に聞こえる。

そんな話を香椎宮の古宮から不老水に行く途中で話しました。
(これは放送されない)

で、収録が終わって尋ねているうちに、な、なんと!「筑紫舞の琴は叩く琴だった」という話を聞いたのです。

しかも、その言葉は西山村光寿斎さんからの聞き取りだったのです。

それを聞いたディレクターが前回書いたように、筑紫舞の番組を作られたのです。

その番組、聴きたいですよね。
筑紫舞の情報は、古田武彦氏と、私のブログの光氏からの聞き取りしかないのですから。

今度ディレクターに会ったら、再放送か、アーカイブをお願いしようと思いますよ♪
実現するかどうかはその先のこと。

まずは、お願いから。
どうぞ、希望がある方はコメントに書いてくださいね。
きっと、届きますから。






それにしても、日本の神社って、すごい。
2000年ほど前の奏法を伝えているんですから。




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# by lunabura | 2017-12-16 20:56 | メモ | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

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