ひもろぎ逍遥

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高宮神奈備祭・古式の祭りが復興された

宗像大社(3)
高宮神奈備祭

たかみやかんなび祭
古式の夜の祭りが復興された

 
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平成18年にこの高宮祭場で、800年前の祭りが再現されました。
それを新聞で知って、さっそく夕方から出かけました。
宗像大社の一番のお祭と言えば「みあれ祭」で、例年10月1日にあります。
その最終日の3日に、夜を待ってのお祭りです。
この日はこの神域の中に一般の人も入れました。

手元にその時配られた案内の紙があるので、見てみると、
「伊勢の神宮で斎行される多くの祭儀が夜の祭りであることから解かるように、
古来の祭儀は浄闇の中で執り行われたと考えられています。」と書いてあります。
古儀祭事の復興を図った時、このお祭りは古式にのっとって夜に決められました。

古文書には「この高宮で『餅5枚、神酒』が備えられて、
八女(やおとめ)神事が斎行された」と書いてあり、それも再現されました。
餅は「あおつみの餅」と言い、「事無柴(ことなきしば)」をお供えします。


当日の祭りの流れの記憶を辿ってみます。
高宮祭場の玉石の脇に座って、闇に包まれ始めると、
遠く下の第一宮あたりから、笛の音が聞こえ始めました。
ゆっくりと、ゆっくりと行列が近づいて来ます。
何もない浄闇。そして、近づいてくる祭りばやし。
体験したことのない、感動が湧いて来ます。
神官や氏子の人たちが座に着きました。
祝詞が奏上されると、氏子の人たちが歌い始めました。
神功皇后が筑紫を行幸された時に詠まれたという神歌だそうです。

「八女は 誰か八女そ 天に座す 天若御子の 神の八女」
(やおとめは たがやおとめそ あめにます あめわかみこの かみのやおとめ)
ドミミミミ ファララララファファ ファミミミミ ドドドドドミミ ドミミミミミミ

初めて聞く旋律です。ドミファラだけで作られた歌。
日本人のDNAに眠る音階です。こんな旋律が歌い継がれていたとは!
必死でそのメロディーを書きとめました。4節目が少し曖昧です。

それから、四人の巫女による「悠久の舞」が奉納されました。
太宰府天満宮の巫女たちだそうです。平安の時代の美しい衣装と
髪飾りが闇の中に浮かび上がり、格別でした。

祭りは大変シンプルで、優雅でした。
姫宮さまたちの祭りに相応しいもので、今だに忘れられません。

この歌の「天若御子」って誰なんだろう。
「八女は 誰か八女そ 天に座す 天若御子の 神の八女」
ずっと気になっていました。
「天若日子」なら、高天原から遣わされたので有名だけど。
すると、昨夜、何気なく開いた本に書いてありました。
「天稚御子」…中世のお伽草子に登場するそうです。
「天上から降り、姫と結ばれる神であり、七夕説話と結びついて、
年に一度しか会えない遠い存在」だとか。
そう言えば、中津宮には天の川があって、七夕伝説があります。
神功皇后とは全く時代が違うけど、もしかして、この方かな。
(神社に聞けばすぐ分かるんだろうけど…。)

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(パンフレットより転載)
10月1日のみあれ祭です。
地元の漁船団が姉妹の女神を迎えに行きます。
御座船に選ばれると、その一年の豊漁が約束されるそうです。

ワクワク
さっき、この「みあれ祭」をよく知ってる友達がやって来ました。
もしかしたら、お祭に行けるかも!
行けたら、また報告しますね。




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# by lunabura | 2010-08-16 16:23 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(8)

古高宮・「たま出版」創始者・瓜谷侑広氏と参拝しました


宗像大社(4)
古高宮 
「たま出版」創始者・瓜谷侑広氏と参拝しました

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10年以上前の話です。
イベント企画・コモンセンスの諏訪さんに頼まれて、たま出版の当時の社長の
瓜谷侑広(うりたにゆうこう)氏(故人)を、宗像大社に案内した事があります。

福岡空港まで車で迎えに行って、ここまで私の車で来ました。
第一宮から高宮まで案内して、せっかく東京から来られたんだからと、
この山の頂きにある「古高宮」まで行きました。

距離は短いのですが、山道を歩きます。
瓜谷氏は80歳前後でしたし、スーツに皮靴です。
照葉樹林は落ち葉がとてもすべりやすいので、まずかったなと反省しました。
でも、なんとか登って三人で参拝しました。

その前後、若い私の未熟な話を熱心に聞かれます。
社長さんにべらべら話す私も私ですが、それを受け入れて耳を傾けられる謙虚さに、
感激した事を覚えています。

帰京されると、自伝の本『無視の愛よ 永遠に』を送って来られました。
そのお礼の手紙を書いたりするうちに、ときどき電話でお話をするようになりました。

ある時、「これからの日本には古神道の教えが必要ではないか。」
言われました。そして、
「古神道についての原稿を各神社に書いてもらって本を出したい。」と。

御利益や建物の立派さなどではなく、祈りの原点としての神社の姿を模索されたようです。
私もこの宗像大社の沖ノ島の祭祀こそ、原点だと思っていたので、
嬉しくていろいろと話をしました。

今でこそ、神社を再認識する時代になって、紹介本が沢山出ていますが、
当時は、そうではありませんでした。残念ながら、瓜谷氏の考える本は出ませんでした。
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さて、今、宗像大社の古高宮にいます。祠があるだけです。
古墳があるそうですが、ざっと見てもそれは分かりませんでした。
ペトログリフ(岩に書いた古代文字)があるとも言いますが、それも見つかりませんでした。

祠の中には、かつては赤っぽい自然石が祀られていたと記憶しているのですが、
今回参拝してみると、緑の丸いパワーストーンが置かれていました。
さらにその四方に丸い石を配置してあります。

思い起こせば、初めてここに来た時は、ペトログリフを捜しに、
反対側から山の斜面をよじ登って来ました。
女二人で、道なき道をのぼったら、頂上に祠があるのでびっくりしました。
それから、「あれ、道がある」と言って、その道をたどると宗像大社に出たので、
またまた驚きました。友達が言いました。

「私、宗像大社の巫女をしてたのに、こんなふうにつながっているって知らなかった。」
「ええ?巫女さんしてたの?そのあなたがこの祠を知らないなら、宗像大社の人に教えなきゃ。」
そうして、私は後で神社の人に
「こんな所に祠がありましたが、ご存じですか?」と尋ねました。
「はい。お祭りの時には、ここでも祭祀をしています。」という返事でした。
ここは「高宮」に対して、「古高宮」と言うそうです。

…なんとも若かったなあ。

山を降りると、この山から二つの光が現れてサーチライトのように輝きました。
そして、一つになりました。二人とも興奮して見ました。
その光がなんであったのか今でも分かりません。
ルナのちっちゃな冒険記です。


★「武内宿禰」の古事記と日本書紀の現代語訳が完了しました。
長かったです。でも面白くて、ハマってしまった…。


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# by lunabura | 2010-08-15 11:15 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(3)

お言わずの島」の出土品が見られる神宝館・沖ノ島の岩陰遺跡の三角縁神獣鏡を見に行こう


宗像大社(5)

「お言わずの島」の出土品が見られる神宝館
沖ノ島の岩陰遺跡の三角縁神獣鏡を見に行こう

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拝殿の左側から林の中の小道を行くと、神宝館に出ます。
ここには沖ノ島から出土した国宝がずらりと展示してあります。

沖ノ島の御祭神は田心(たごり)姫神です。
この島は女人禁制です。
男性でも年に一度だけ、抽選で当選した人だけが、参拝を許されます。
その時は、裸になって、海で禊をして上がります。
嵐で避難した漁船の漁師でも、禊をして上がるそうです。

この島で見聞きしたことは決して他言してはならないと言われ、
お言わずの島」と言われて来ました。
昭和になって、考古学的に調査がされて、
この島の女神に供えられた宝の数々が発見されました。
それは、巨岩の上に1500年以上も置かれたままでした。
岩陰や岩上など、時代時代の祭祀の姿をそのまま残していたのです。
「この島の物は一木一草たりとも持ち出してはならない」
との言い伝えが守られました。
その数8万点。
新羅製、百済製、中国製、ササン朝ペルシャ製などなど。
この沖ノ島が「海の正倉院」と言われるゆえんです。

現在、この時発見された品はこの神宝館で見る事が出来ます。
国宝ばかりです。
もちろん撮影は出来ませんので、パンフレットを購入しました。

一階には、三女神のためのお神輿が置かれていましたよ。
外枠は優美な曲線を描き、黒い漆塗りでした。
女神にふさわしいデザイン!それを間近で見ました。

二階から四階まで、時代ごとに分かれて展示されています。
沖ノ島には各時代の一級品が奉納されているので、
日本の文化の頂点の流れをざっと見渡す事が出来ます。

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三角縁神獣鏡
この有名な鏡が完品でいくつも並んでいました。
展示がとても近いので、細部までまじまじと見る事が出来ます。
この鏡は中国の魏の時代(1700年前)に作られて、日本に来たので、
卑弥呼に与えられた鏡300枚ではないかと注目された、特に有名な鏡です。
しかし、日本全体で300枚以上発見されてしまい、
卑弥呼の鏡ではなくなりました。
それでも、その精緻な作りで重厚な姿は見る者をひきつけます。

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金の指輪
今回どうしても見たかったのが金の指輪です。
新羅の時代(1400年)に作られて渡来した純金製です。
中央の花のデザインが優美ですね。
「あっ、これって女性用だ。」
王様の指輪と思い込んでいたので、驚きでした。
女性の細い指に入るサイズでしたよ。
写真で見るよりも、実物は華奢で、キラキラと輝いて綺麗でした。

このブログの「名島神社」で書きましたが、
名島神社でも、そっくりのデザインの金の指輪が出たそうです。
そんなに同じものがいくつもあるのだろうかと、疑問がありました。
ところが、その後、九州国立博物館の常設展に行ったら、
同じデザインの金の指輪が二つもありました。
新羅製でしたよ。「あ、同じものがある!」
でも、よくよく見ると、デザインは中央の花だけ同じで、
脇にある丸い輪はありませんでした。
技術的にもずっと劣っていました。同じ工房で作ったのかなあ。
新羅工房ブランド?
新羅工房の指輪は人気だったんでしょうね。
それを指に出来るのはよほどの豪族の妻だった?
(九博の常設展は写真撮影OKだったと、人のブログに書いてありました。
それを知らなかったので、写真は撮ってません。残念。
馬展の方はもちろん禁止でした。)
銀の指輪もありました。男性用と女性用が並んでいましたよ。

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金銅製の機織り機
実際に織る事が出来ます。てのひらに乗るサイズです。
奈良時代の作品です。
こんなミニチュアのものが沢山あって、日本人って昔から、
小さくて可愛いのが好きだったんだと思いました。

これら、最高級品が惜しげもなく奉納された沖ノ島。
この島は、朝鮮半島と日本の中間の位置にあります。
この玄界灘の荒海を乗り越えて、命をかけて奉斎した祈りの前には、
ヤマトの人々のこの島への絶対的な信仰を考えずにはいられません。

現在でも、宗像大社の神官が交代で住み込んで祭祀をしています。

世界遺産への課題
この沖ノ島を中心とする「宗像・沖ノ島と関連古墳群」を
ユネスコの世界遺産へ登録する運動があっています。

この島が「お言わず様」であり、女人禁制であり、そのお蔭で、
縄文時代からの祭祀場がそのままに残された「禁忌の島」であるという事と、
世界遺産に登録されたら世界に開かないと行けないという
相反する問題をどうするのかが課題です。
開館時間 午前9時~午後4時30分(入館 午後4時まで)
拝観料
一般     500円
高校・大学生 300円
小・中学生  200円
小学生未満は無料


地図 宗像大社(辺津宮)、大島(中津宮) 、沖ノ島(沖津宮)




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# by lunabura | 2010-08-14 12:17 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(2)

神興神社・三女神はここで神威を発揮・タケシ番組に出た所

《宗像三女神の元宮を辿る旅》

神興神社
じんごうじんじゃ
福岡県福津市津丸645-1
宗像三女神はここで神威を発揮したという。
タケシ番組に出たのはココ

鞍手町の六ケ岳に降臨した宗像三女神は、室木の六嶽神社に着いたあと、
この神興神社に着かれたと文献に書いてありました。
そこで、そのルートをたどって神興神社へ向かうと、大きな山が立ちはだかっています。
この山を迂回する道があって、古くからの人家が所々にあり、
かつての街道だったんだろうなという風情のある、いい感じの道です。
ナビなら福間東中学校と入れると簡単です。
その隣に神興神社はあります。廻りにはほとんど人家はありません。

ゆるやかな峠の頂きに出ると脇に小さな丘があって、こんもりと樹木が杜を作っています。

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この石段を登れば、すぐに境内です。

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いかにも氏神さまの雰囲気ですが、三女神を勧請したのではなく、元宮にあたります。
そう言う点では特別なお宮です。

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拝殿正面に石の祠が見えます。

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誰かが祠の扉を開けたままだったので、中を写せました。二つの細長い石が御神体のようです。


ここにどんな歴史があるのでしょうか。

入口に書いてあった縁起を写します。(一部分かりやすく変えています。)
神興神社縁起
祭神宗像三女神 (天照大御神の御子神)
多紀理姫命
市杵島姫命
多岐都姫命

神興神社は往時よりこの地に御鎮座あり。
11部落、即ち上西郷、下西郷、久末、津丸、手光、
村山田、八並、本木、畦町、内殿、舎利蔵
の住民により、祭祀を斉行する。(例祭は10月5日)
宗像社縁起に曰く、
「宗像三女神、初め、室木の六ヶ嶽にお着きになって、その後この地に留まり給う。
この村において神威輝耀されたことから、神興と号す。
その後、三所に霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云々とある。

三女神がその三所に遷った後も、この地にも御社殿はおごそかで、祭祀も盛んだったと聞く。しかしいつ頃か、兵乱に遭い、御社も崩壊したが、村民の「土一」という者に夢のお告げあって、小さな祠を営んだ。
その後、旱魃、凶作年に祈願すれば、霊応があるといって、隣村、民力を合せて、石祠を建立する。

大正年間、古瓦が発見されて、鑑定の結果、延喜11年の銘があり、我が国で二番目に古い瓦と解り、この神社の往時の壮大なるをしのぶ。
昭和55年10月吉日建立
神興神社氏子会

宗像三女神は、六嶽神社からここに遷られました。
ここで、大変な神威を発揮されたという事で、「神興(じんごう)」という名の由来になりました。
三女神が宗像に遷られたあと、いったん衰退しますが、「土一」という者に夢のお告げがあって
、再び石祠が建てられて、この地に恵みをもたらしました。

古い瓦が境内から発見されて、すぐそばには寺院も建てられたのが明らかになりました。
その楚石の石がこれです。

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大きいですね。当時の規模のすごさが分かります。

さて、蛇足です。
タケシのTVタックル裏話

ずっとずっと前にタケシの番組でUFOをやってた時、友人のNちゃんが出ていてびっくりしました。
そして、再現ドラマがはじまりました。
それはNちゃんが神社の境内で、女性三人で輪を作っていると、空から黄金の玉が降りて来る話でした。

実はその話の現場がこの神社です。三人の内の一人は私です。
テレビでは三人の輪の中に降りて来たようになっていましたが、そうではアリマセン。

事実は、私は本殿の裏にいて、Nちゃんは境内の左。もう一人は右。
と三人はバラバラにいました。
すると、Nちゃんが、「金色の玉だ。ほらほら見て。」と空中を指していました。
すぐに行ってみたけど、私には全く見えません…でした。(;一_一)


再現ドラマは事実よりかっこよく製作されていましたが、(神社も東京あたりで撮ったのでしょう。)
この神社で起こった事です。
テレビで放映されたのを、書こうかどうしようかと迷ったのですが、平成になってもいまだに、
三女神はこの地で人々に恵みを垂れているという証を示されたのかもと、書く事にしました。

地図 神興神社


では、いよいよ宗像大社へ。



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# by lunabura | 2010-08-11 13:37 | 神興神社・じんごう・福津市 | Trackback | Comments(0)

宗像三女神の元宮を辿る旅・六獄神社(1)宗像三女神の降臨した六獄の下宮


《宗像三女神の元宮を辿る旅》
六獄神社(1)
むつがたけじんじゃ
福岡県鞍手郡鞍手町室木
宗像三女神の降臨した六獄の下宮

西川を遡りながら町の一番大きな山に向かって行くと、田んぼの中にぽつんと鳥居が見えて来ます。
そこが六獄神社です。
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両脇の植え込みを過ぎるといよいよ石段です。
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ひと登りすると、さらに石段と鳥居が迎えてくれます。
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だんだん古代の世界にいざなわれるようです。
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ここちよい杜の中を抜けていきます。
足元は松の落ち葉がふわふわと気持ちいい昔ながらの道。ずっと奥にお宮が見えて来ました。
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とても古い趣です。古来、賑わった華やかな残り香がそこかしこに漂っています。
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陽光が降りそそぐ、拝殿前に出ました。参拝を済ませて、案内板を読んでみましょう。
六獄神社由来
紀元前700年のころ、皇女三神 霊山六獄崎門峰に御降臨あり、この地を上宮と定め室木の里に下宮を建立し、安産交通安全の守護神として鎮守の杜とす。
御祭神 田心姫の神 湍津姫の神 市杵島姫の神
大祭日  春季大祭  4月8日 秋季大祭  10月17日
六獄神社社務所
今から2700年前に、宗像三女神が霊山・六獄(むつがたけ)の崎門峰(さきとやま)に降臨されて、
そこを上宮とし、ここ室木の方を下宮とした、という事です。

そう、三女神といえば、田心姫の神、湍津姫の神、市杵島姫の神
(たごりひめ・たぎつひめ・いちきしまひめ)
現在は宗像市に祀られていますが、降臨の地はこの鞍手町の六獄だと言われています。
鞍手町自体も、古くは宗像郡だった時代があり、この山は特別な山として崇敬を集めていました。

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正面が六獄(六ケ岳)です。
最高峰から左へ、旭岳(あさひだけ)、天冠(てんがい)、羽衣
高祖(たかす)、崎戸(さきと)、出穂(いずほ)。

この山にはニニギノ命の御陵があるとも言われています。
伝説によると、旭岳になきがらを、天冠岳に冠を、羽衣岳には衣を埋葬したそうです。
左手前の方にはヤマトタケルの住まいがあった八剣岳が見えます。

この六獄神社は右下の方にあります。降臨した宗像三女神を祀る古いお宮です。
境内は巨木に囲まれて、森厳な趣に包まれていますが、木がなければ六獄を遥拝できたと思われます。

もう一つ説明板がありました。
六岳(むつがたけ)神社と室木(むろき)神楽
町指定無形文化財

六岳神社は三女神を祀る近郷で最も由緒古い神社である。
筑前風土記逸文の中に「宗像の大神、天より降り、崎戸山(さきとやまー六岳の古称)に居ましし時、云々」とある。

室木神楽は江戸に直方多賀神社宮司青山雅楽頭(うたのかみ)が京都より宮中に伝わる神楽を伝え帰り、鞍手地域に拡めた優雅な神楽である。
はじめは神社人が舞い奉納していたが、明治以降は別に神楽座が組織されるようになり、郡内に3,4座あったが今日は室木のみに残っている。
歴史を守る会(くらじの会)
この室木の里の室木神楽の由来は
直方市の多賀神社の宮司の青山氏が京都の宮中に伝わる神楽を学んで、各地で教えたのが始まりです。
今ではここだけに残っているそうです。
子供神楽座を作って継承しているという話ですが、どのような音楽が奏でられているのでしょうか。
聞いてみたいものです。
(つづく)
さあ、今日から、宗像三女神の元宮の移動ルートを辿ってみましょう。



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# by lunabura | 2010-08-09 13:52 | 六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)

六嶽神社(2)御神体は玉と鏡・十握剣から生まれた三女神と物部(もののふ)たち

《宗像三女神の元宮を辿る旅》

六嶽神社(2)
御神体は玉と鏡だった
十握剣から生まれた三女神と物部(もののふ)たち

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神社の始まり
『福岡県神社誌』を見てみましょう。
六嶽上宮としていて、由緒は宗像三女神が影向(ようごう)された霊地である。
成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。
これがこの神社の始まりで、昔は堂々とした社殿だったが、享禄年間に燃えて、社殿が無くなってしまったので、御神体を下宮に移してその後、社殿が再び作られる事は無く、今わずかに石殿が一宇あるだけである。
                              影向(ようごうー神が一時姿を現すこと)
                              神籬(ひもろぎー神が降りる所)
六ケ岳(むつがたけ)は宗像三女神が降臨された霊地で、成務天皇の御世に、長田彦に神示が降りて、
六ケ岳の山上にヒモロギを作って、お祀りをしました。これが神社の始まりです。
昔は山上に社殿が建っていたのが、戦国時代に火災に遭って、無くなってしまい、
石の祠だけが残りました。御神体はこの下宮に移されました。

成務天皇と言えば、ヤマトタケルの兄弟です。
と言う事は、そばの八剣岳でヤマトタケルをもてなした記憶が
まだ新しい頃のお話だという事になります。
(詳しくは八剣神社を見て下さいね。)
そんな時代に、この神社の祭祀が始まりました。

私もずいぶん前ですが、二度ほどこの六ケ岳に登った事があります。
植物相が豊かな山で、最後の急斜面は綱を頼りに登りました。
頂上は大変眺めが良かったのを記憶していますが、社殿らしきものを全く覚えていません。
あったのかも知れませんが…。(今どうなっているのか、登った方教えて下さい。)
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御神体は玉と鏡だった
続きを読みましょう。
『宗像宮縁起』の記事に『西海道風土記』に、宗像大神が天より降って、崎門山にいます時から、
青蕤(ずい)玉」を奥宮の表に置いて、
八尺瓊(やさかに)の紫玉」を中宮の表に置いて、
八咫(やた)の鏡」を辺宮の表において、
この三表が御神体の形となって三宮に納めて、人の目に触れないようにした。
これによって身形(みのかた)郡といい、後の人が宗像(むなかた)と言い改めた。
『筑前国続風土記附録』

「奥宮、中宮、辺宮」という三つの宮のそれぞれに御神体が置かれた事が書いてあります。
それはどんな姿だったのでしょうか。具体的に見て行きましょう。

「青蕤(ずい)玉」
「蕤(ずい)」を調べると「垂れさがる花・実」の意味でした。
「青」は古代では「青」も「緑」も青と呼びました。
さらに「灰色がかった白」を指すこともあるので、青か緑が白か決められません。
形は垂れさがるイメージから勾玉っぽいですよね。

「八尺瓊(やさかに)の紫玉」
「八尺」は長さの単位です。
「八尺の長さの紐に通した」とか「大きい」という説があります。
「瓊」は玉。
「大きな紫玉」という事でしょうか。

「八咫鏡(やたのかがみ)」
「八咫」も古代の寸法ですが、「大きい」という意味で解釈されています。
天の岩戸に出て来るので有名ですね。三種の神器の一つです。
普通の鏡のサイズはCDの大きさに近いです。
46,5センチの巨大な鏡が出土したので、これを八咫鏡だという人もいます。
平原遺跡に関連記事。)

次の写真は地元の古墳から出土した玉です。
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(鞍手町歴史民俗資料館)
勾玉がちょうど三色並んでいます。これらの色を古代の人は何色と呼んでたのかな…。
白い勾玉は珍しいです。

御祭神の三女神はこうして生まれた。

古事記を見てみましょう。高天原にスサノオの命がやって来たので、天照大御神が武装して、
迎えるシーンです。
アマテラス大御神は「それなら、そなたの心が清く正しいのがどうして分かる。」と言いました。そこでスサノオの命は答えて、
「それぞれウケイ(うらない)をして子を生みましょう。」と言いました。

そこで、天の安の河(天の川)を中に置いて、ウケイをする時に、アマテラス大御神が先に、スサノオの命の佩(は)いた十拳剣(とつかのつるぎ)を貰い受けて、三段に折ってユラユラと揺らして、天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、息吹きの霧に生まれた神の名は、
タキリビメの命。またの名は奥津島(おきつしま)ヒメの命と言います。
次に、イチキシマヒメの命。またの名はサヨリビメの命と言います。
次にタギツヒメの命。三柱です。   (古事記)

なんと、この女神たちはから生まれています。
スサノオの命の十握剣が三つに折られて、
噛みに噛んでふっと吹き出した息吹の中から生まれました。三人の女神は剣の化身でした。
沖ノ島を中心として、沖つ宮、中つ宮、辺つ宮と、三か所に祀られているのは、
この剣が三つに折られた事から来ていたのですね。

この三女神はアマテラスから天下りするように言われました。
日の神(アマテラス)はスサノオの命に本当に悪い心がないのを知って、日の神から生まれた三柱の女神を、筑紫の洲(くに)に天下りさせました。
その時、
「そなたたち、三柱の神たち。道の中に降って、天孫を助け奉って、天孫の為に祭られよ。」
と言われました。
(日本書紀)
こうして三女神は筑紫の国・鞍手の六ケ岳に降臨しました。
日の神の言葉は
「これから先、天孫・ニニギの命が降臨されるので、その前に、ここで人々に祀られよ」と解釈されています。
祀る人々とは誰か。
まだ平野が海だった頃に、この山の麓に住んでいた人たちです。


その一部に物部氏がいます。

「物部」の「物」は「武」であるとともに、「祭祀」を象徴します。
「もののふ」とは「武士」「物部」と書きますが、
「祭祀をする者」の意味も含みます。



物部氏と天皇家との関わりがわかる伝承が、いくつかの神社に残っています。
神武天皇、ヤマトタケル、仲哀天皇、神功皇后、聖徳太子一族などの名前が出て来ます。

物部氏は星を観測し、暦を作った。馬を育て、武器を作り、馬具を作らせ、戦った。
剣を神格化して祀った。

そんな、古代日本の礎となった一族だったのが見えて来ました。

そして、三女神を祀るのは水沼族。
ここには水摩姓が多く伝わっていると聞きます。



この六嶽神社と六ケ岳の伝承はあまり人々に知られていないようです。
この神社の持つ歴史的な価値を多くの人に知っていただけたらと思います。

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地図 六ケ岳 六嶽神社 神興神社 宗像大社


ブログの中で「物部氏」を時代順に逍遥するコース
馬見神社⇒日若神社⇒八剣神社⇒鞍手歴史民俗資料館⇒古物神社⇒六嶽神社

さあ、それでは宗像三女神の伝承を追って神興神社に行ってみましょう。


追記
物部氏に関して、記事を書いた時点(2010年8月)より研究が進んだので、
記事の一部を変更しています。2015年12月28日





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# by lunabura | 2010-08-08 21:09 | 六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)
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