2017年 07月 28日
愛する人の御魂を石に留めて 御勢大霊石神社
愛する人の御魂を石に留めて
御勢大霊石神社
みせたいれいせき
不吉な鷹が止まったという隼鷹神社。(上巻34)
その鷹は南にある御勢大霊石神社の場所から飛んできました。
この地に仲哀天皇が羽白熊鷲攻撃のための陣を敷いて、
祭祀を始めた時でした。
高木の神が鷹に化身して飛んできたのです。
そして、北に向かって飛んで行きました。
ある日、天皇が夕暮れに前衛の兵士たちを励まして戻ってくる時、
敵の流れ矢が天皇に当たりました。
そして、天皇は崩御してしまいました。
激戦中だったので、天皇の死は伏せられたといいます。
神功皇后は天皇を御勢(みせ)の君と呼んでいたそうです。
愛する天皇の御魂を霊石に留めました。
こうして、この宮を御勢大霊石神社と呼ぶようになりました。
凱旋後、神功皇后が天皇のゆかりのものを埋納した所を
御本体所(殯斂地)といいます。
隼鷹神社では高木の神を祀りました。
高木の神は高良山の地主神でした。(上巻26高良玉垂宮)
成末神社には仲哀天皇の荒魂が祀られています。三韓鎮撫神として。
弥生の墓からこのような石が出てきます。
埋もれかけたものを手にすると、朱がついていました。
これが霊石(みたまいし)ではないかと思っています。
神道では今も御魂を木や紙に留めているようですね。
この石を撮影したのはみやま市(旧山門郡)の車塚古墳。
神功皇后の田油津姫攻撃の陣営地と伝わっています。
撮影場所
『神功皇后伝承を歩く』上巻33御勢大霊石神社 仲哀天皇は敵の矢に討たれた
下巻59老松神社 田油津姫の墓と言われる蜘蛛塚 「車塚古墳」の項
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