ひもろぎ逍遥

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ひめちゃご65 三島神社 国乳別皇子の御魂を祀る宮



ひめちゃご65

三島神社 

国乳別皇子の御魂を祀る宮
 


高三潴(たかみずま)で連玉ビーズが見つかったことから、
国乳別皇子(くにちわけのみこ)の話になったが、
思えば皇子はヤマトタケルの異母兄弟なのだ。

「ひめちゃご」とは全然違う方向に進んでいるかと思うと、
そうではなかった。

これはヤマトタケルの時代であり、
三女神を祀る水沼(みぬま)の話でもあるのだ。

景行天皇がどれほどこの女神たちを敬愛していたか、
今頃、気が付いた。

三女神の謎は景行天皇を調べる方が早く解けるのかもしれない。

ヤマトタケルは粗暴な性格のため、
父の景行天皇に疎まれたように『古事記』では描く。

しかし、『日本書紀』では異常なほどの可愛がり方だ。
嘘をつくと饒舌になるのが書紀の癖だ。

ヤマトタケルには佐賀や東国で戦わせるのに対し、
国乳別皇子には敬愛する三女神のクニを治めさせた。

同じ子供でもヤマトタケルと国乳別皇子の取り扱いが全く違っている。



さて、国乳別皇子の政治の地から出土した連玉ビーズは
さらに新しい出会いをもたらしてくれた。
それが三島神社である。
なんと、ここにも国乳別皇子の御魂が祀られているという。

三潴郡大木町蛭池871

弓頭神社からは南に四キロほどの所だ。
古代は海の中ではないかと思われるほど有明海に近い。






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これが遠景だ。
往時は島だったという。現在でも標高4.8mほどある。












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この鳥居は明治32年に四国から持って来たという。

そして、参道は珍しくL字型になっている。










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こちらが正面参道だ。










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石橋を渡ると神門があり、随身が脇を固めている。










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拝殿には豪奢な彫刻が施されている。

ご祭神は前面に事代主が祀られ、裏に国乳別皇子が祀られているという。

社家は宮崎姓で、かつては水沼姓だったという点で、
赤司八幡神社と同じだ。

大友氏に三女神を祀る神殿を焼くか、水沼姓を捨てるか迫られ、
女神の神殿を守った話は以前も書いた。

そして、事代主命を祀るようになったのは、延応元年(1239)に、
伊豆国の藤原家房(1167-1196)の玄孫(やしゃご)にあたる
西牟田弥次郎家綱が当地の地頭職に任ぜられてやって来たとき、
伊豆の三島神社をここに分祀したことによるものだという。



このようにして祭神が上書きされたのだが、
古絵図にも
「境内末社、若宮神社は延応以前の産神にして、千年以上の旧社なり」
とあり、こちらに国乳別皇子の御魂が祀られていたのが、
本殿に遷されたという。


本殿の右手に若宮神社がある。(上の画像)



こうしてみると、
国乳別皇子の陵墓と廟殿は高三潴に、
そして御魂は格別に南の島に祀ったのだから、
水沼君は景行天皇の皇子を殊の外、尊んだことが分かる。

そのスケールは大きい。




『神功皇后伝承を歩く』下巻
56赤司八幡神社
57弓頭神社





赤 三島神社 三潴郡大木町蛭池871

紫 弓頭神社










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# by lunabura | 2017-04-08 20:46 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご64 ここが高三潴 国乳別皇子の政治の地と前方後円墳



ひめちゃご64

ここが高三潴 

国乳別皇子の政治の地と前方後円墳
 


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景行天皇に命ぜられて水沼に残った国乳別皇子(くにちわけのみこ)は
天壇のある赤司八幡神社から南へ下って高三潴に住んだ。

弓頭神社がその宮跡である。




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神功皇后と武内宿禰がやってくると、
出迎えた国乳別皇子は弓大将として新羅役に参戦したことから、
「弓頭」(ゆみがしら)の社号がついている。
「ゆがしらさん」と呼ばれている。

政治的中心地がここになる。

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すると、仲哀天皇が紀伊にいたときに、
「熊襲が朝貢しない」という知らせの発信者はこの国乳別皇子ではないか。

何故ならここは羽白熊鷲と田油津姫を監視できる位置にあるからだ。







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羽白熊鷲は既に討伐し、ただちに田油津姫討伐のために
武内宿禰と軍議をしたという。








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田油津姫の拠点、ヤマト(山門)は目の前だ。
鷹尾神社もヤマト(大和)のエリアに入るが、朝廷方になる。
赤い点線が神功皇后軍の進軍ルートだ。

鷹尾神社から上陸した。
村人がブリ料理でもてなしたというので、海が深く入っていたことが分かる。

このヤマト地方での朝廷と土蜘蛛の対立は景行天皇の時から既にあり、
ヤマトの女王・葛築目(くずちめ)が滅ぼされている。

ヤマトはこちらでは山門、大和という地名で残っている。
最近はカタカナで「ヤマト」と書くのが流行っているので、ここもそうしておこう。

このヤマト地方では物部氏とヤマトの女王邑が複数世代に渡って対立していた。






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国乳別皇子はこの地で亡くなり、烏帽子塚古墳に埋葬された。
廟堂が建ち、大変厳粛だったと書かれている。
この古墳が前方後円墳で、かなり大きい。

実は、弥生時代の前方後円墳が福岡の各地にある。
被葬者の名も伝わっている。

前方後円墳は古墳時代と思っていたが、
最近では箸墓という巨大前方後円墳が弥生時代とみなされるらしいので、
福岡各地にある弥生時代の前方後円墳も問題ないようになった。(と思う)


例の連玉ビーズが出た高三潴にはこんな歴史がある。




拙著『『神功皇后伝承を歩く』下巻
57弓頭神社
58鷹尾神社
59老松神社




追記、本日の歴史カフェご参加ありがとうございます。



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# by lunabura | 2017-04-06 23:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

磐井の後の時代って



今日は歴史カフェのテキストの吟味をしました。


鞍橋(くらじ)君が活躍した年だけでなく、その前後の年も訳しました。

すると、百済は何度も「筑紫」を指定して援軍を頼んでいるし、
倭国軍も安羅に駐屯していたりしていて、
新羅の拡大政策に対抗している時代でした。

百済王子が倭国に居たり、
それを筑紫舟師や筑紫火君が送り届けたり。

筑紫が舞台の話が満載です。

百済使者と会見した場所など、
福岡の古代で見つけなければならない課題が随所に出てきます。

卑弥呼の家探しもいいけど、もっとすべきことが沢山ありそうですね^^




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これは鞍手のゆるキャラ。
名前は何だろう。

まだ無い?

銀冠を付けていますね。銀冠君だな。
どうやら、鞍橋君の次の時代の人のようです。

現物は4月13日のバスハイクで見て来ます。
(やけに鞍手がつづく (;’∀’))



歴史カフェの方では、八女のお宮の話もしますね。





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# by lunabura | 2017-04-03 21:55 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

宮地嶽神社 20170330



宮地嶽神社、一昨日のようす。

今年初めての参拝です。







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ほうき桃でしたっけ?
名前どうしても覚えん。二分咲きかな。




桜は全然です。






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これはモミジの花。







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もうちょっとしたら、竹トンボのようにキュルキュルと飛んでいく。




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# by lunabura | 2017-04-01 20:55 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

第4回 神功皇后伝承地巡り バスハイク




今日はあいにくの雨模様でしたが、
予定通り、バスハイクに行ってきました。

遠賀川中流域の中間と鞍手を始めとして田川、飯塚への旅です。

このエリアは『日本書紀』には書かれていないのですが、
仲哀天皇と神功皇后の足跡が濃厚に伝わっています。

田川の田原麻瑠と宇美町の宇美八幡神社の伝承が対応しているのは面白いです。

逆に、田油津姫が兄の夏羽と共に怨霊となってしまった話が
田川に伝わっているのは哀しい対応です。

百社廻ったおかげで、
バラバラの伝承が繋がっているのが分かったのですが、
それを伝える機会をこんな形で頂いたのは有り難いです。



雨の中の宮はいずれも重厚な美しさをたたえていました。

桜のつぼみが膨らみ出してピンクになり、
先が赤く染まっています。

幹がしっとりと雨に濡れて黒々として、
つぼみの色を際立たせています。

開化前の美しさをゆっくりと見たのは初めてでした。

昨年の今頃は満開だった桜がまだ開かない。
こうして一喜一憂するから、桜がなおさら愛おしいんでしょうね。





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# by lunabura | 2017-03-31 22:50 | Trackback | Comments(0)

第13回歴史カフェ 406・416のご案内



第13回 歴史カフェ 

406・416のご案内


第13回 歴史カフェの詳細、お待たせしました。

「磐井の乱後2 ― 磐井の孫・鞍橋君は百済王子を助けたー」
です。

新羅(しらぎ)が拡大するのを防ぐために、
百済(くだら)が何度も筑紫に援軍を頼みます。

倭国はそれに応じ、鞍橋(くらじ)君が出兵して
百済王子とともに新羅に入って籠城したことが
『日本書紀』に書かれています。

この時、鞍橋君が敵の大将を矢で射て窮地を脱します。

鞍橋君の身分は「筑紫国造」ですが、
筑紫君葛子の子とは書かれていませんでした。
『日本書紀』は重要な情報を書かなかったのですね。

鞍橋君はこの功により、
鞍手の新延(にのぶ)と新北(にぎた)を与えられました。
脇巫女の舞台となった地です。

天皇も継体天皇からその子、欽明天皇の時代に変わっています。

今回はこの鞍橋君に焦点を当て、筑紫の状況を探っていきましょう。


前回の時には、磐井君の末裔十人の紹介と、
磐井夫人が幼子を連れて福津に逃げ、宮地嶽神社を中心に展開して、
菩提寺を造った話に焦点を当てました。

今回は前回のおさらいをして、磐井を祀る宮など、新しい資料も紹介します。

昨年の第3回「磐井の乱後」を聴いた方には新たな話を、
また、初めての方には前回の復習で全体像がつかめるようにしています。

福岡の古代史が少しずつ立体的に理解できて面白いですね。

皆さまのご参加をお待ちしています。^^



日程 4月6日(木)2時~4時
   4月16日(日)2時~4時

会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)
会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755
申し込み方法 
「歴史カフェ406希望」もしくは「歴史カフェ416希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。
オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)


地図 オーガニックひろば ひふみ
 




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# by lunabura | 2017-03-30 10:39 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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