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玉垂命は安曇磯良(アントンイソラ)




今日は久留米大学公開講座でした。
参加の皆さま、ありがとうございました。

3時間の講座のために12ページの資料を準備しましたが、
無事、最後まで読むことが出来ました。

あとで何人かの話を伺いましたが、
高良山の歴史は深く、広大な地域に影響を与えているのが
よく分かりました。

古くて、かつ今も歴史が生きているのが高良山です。

さて、準備した画像の一枚です。






c0222861_22412148.jpg

拙著『神功皇后伝承を歩く』からも画像を集めてみましたが、
なかなか面白いです。

左上から干珠満珠の形は15センチの勾玉と伝えています。

上中は高良玉垂宮の正面の龍と波。海の波と龍神の組み合わせは綿津見神ですね。
綿津見神は志賀海神社の祭神で、志賀島は龍の都(たつのみやこ)。


高良山と志賀島の繋がりを示唆しています。


上右は門司の和布刈神社の和布刈神事ですが、これは
安曇磯良が神功皇后に干珠満珠の秘法を授けた(玉垂)ことを示す神事です。

左下は志式神社の「磯良舞」。
海神(わたつみのかみ)が豊姫(神功皇后の妹)に干珠満珠を授ける場面。

どれもが「玉垂」(たまたれ)を表しています。
こうして、正史からは消されたアントンイソラですが、
今でも各地で伝えられています。

玉垂命は安曇磯良のことです。






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by lunabura | 2017-05-27 22:42 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご76 高良山―英彦山 香春岳を巡る争い



ひめちゃご76

高良山vs英彦山 香春岳を巡る争い

 「高良玉垂宮神秘書」より
 



前回まで英彦山の話だったが、
今回は高良山に伝わる謎の本「高良玉垂宮神秘書」に
出てくる英彦山の話を紹介しよう。

142条 彦権現、異国人ニテマシマスノ間、彦権現ハカリコトヲ ナシ玉フ、
(略)高良ノ、彦権現ハ、モツハラノテキ神ナリ


高良にとって彦権現は異国人で「もっぱらの敵神なり」
という、珍しい話が書かれている。

こうなった理由は彦権現がはかり事をしたからだが、
その事情はずっと後の212条に出てくる。


それは豊前国の香春岳を巡る争いだった。
意訳をしよう。

212条

香春岳に異国から異国人が攻めてきたら、
三の岳に高良三所大菩薩が降臨して異類を退治しようと誓いを立てた。

異国征伐の時、高良大菩薩が三の岳に登って
異国のようすを視察したことから、
(香春岳)を高良峰と名付けた。

彦権現がはかりごとをして、高良峰を洗い崩そうと、
横に並んでいた山から樋を掛けて水を流したのを、
高良大菩薩が神通力で知って、樋を蹴ってのけたため大洪水になった。

また、仲哀天皇の崩御のあと、薫香が香春岳に垂迹して留まったので、
香春岳ともいう。

というものだ。

これは三韓征伐の直後、神功皇后や安曇磯良、武内宿禰の時代にあたる。

田川の若八幡神社の縁起によると、ここは神夏磯姫が開発した所だ。

その子か孫の夏羽の時代に仲哀天皇、神功皇后たちがやってきた。

そのあと、田油津姫と夏羽の兄妹は朝廷側に滅ぼされた。

その結果、香春岳は朝廷を支える安曇族の支配下になったことが
この二つの条から伺える。

高良大菩薩とはこの時代は安曇磯良を指している。

この香春岳を彦権現が奪おうとしたとき、
大洪水があったことが神話的に描かれているのが面白い。

二つの条から、かわら岳(香春)の地名由来として、
1 こうら(かうら)が支配したので「高良(かわら)峰」といった。

2 仲哀天皇が亡くなったあと椎の木に立てかけた棺から
良い香りがした(香椎・かしひ)という故事があり、
その香りが垂迹したから「香春」となった。

という、二つの話を述べている。
この本の成立は秀吉や家康の時代の頃なので、
それを考慮にして読まねばならない。

そんな中で、分かるのは
香春岳の銅山が古代から争奪の的になったということだ。
とれるのは銅だけではない。多くの種類の鉱物が採れていた。
金ももちろん。

九州に渡来人が各地からやって来て、この宝の山を発見して、
渡来人同士、争いながらも棲み分けをしていく過程が見えるような条文だ。

人間はロケットを飛ばしてまでも新しいミネラル(鉱物)に好奇心を持つ。

古代から、どんだけ鉱物好きなのか、と時々思う。
この話もそんなことを思わせる話だった。



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一の岳は山が削られてしまって、土台だけになっている中央部分。
三の岳は削られた山の左二つ目。




『神功皇后伝承を歩く』下巻60 若八幡神社 皇后軍は夏羽を滅ぼした



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by lunabura | 2017-05-09 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

第14回「歴史カフェ」は521と525 「高良玉垂宮神秘書2」



第14回「歴史カフェ」は521と525 

「高良玉垂宮神秘書2」


 
5月の歴史カフェ第14回の「日曜日」はいつもの会場が取れなかったのですが、
午前中なら使えるということなので、

「ひふみ」で5月21日(日)10時半~12時半

に設定しました。



5月21日(日)10時半~12時半
5月25日(木)2時~4時


ご都合のよい日を選んでください。

題は「高良玉垂宮神秘書2」です。

高良玉垂宮の歴史の始まりは仲哀天皇と神功皇后の時代になります。
「高良大社縁起書」も冒頭は「仲哀天皇」です。

「異類」が攻めてくるので、反撃するために新羅討伐に向かう話からです。

それから1500年間、高良山では沢山の史料が書かれ、
それが近世末頃に集められて一巻の巻物になりました。

「文盲のためにカタカナ書き」で書かれたために、
現代人にはかえって読解困難になっています。

私はちょうど『神功皇后伝承を歩く』を執筆したので、
内容が理解できました。
フィールドワークのお陰だと思います。



「神秘書」には色んな謎の答えが書かれています。

謎 仲哀天皇の崩御後、三種の神器はどうなったか。
答 アントンイソラ(安曇磯良)と武内宿禰と神功皇后が一つずつ持った。

謎 神功皇后はどの神器?
答 宝剣!

神功皇后らしいですね。剣を持つなんて^^

「鏡」は武内宿禰が預かって、なんと高良山に伝世しちゃいましたよ。

それが真実かどうかは別として、
まずは「内容を知らないと」ですね。

前回と重なる部分も多々ありますが、
身近な話を中心に「高良玉垂宮神秘書」を解説していきます。


同じ5月に久留米大学公開講座でも解説しますが、
こちらは専門的な話も多く、
土地勘があり、長らく歴史に取り組んでいる人向けに構成します。

「神秘書」を気軽に楽しみたい方は「歴史カフェ」がお勧めです^^
お茶も楽しみましょう。


なお、今回、会場を調べて教えてくださった方
大変ありがとうございました♫
とりあえず、5月は「ひふみ」でやってみます^^

日程 5月21日(日)10時半~12時半
     5月25日(木)2時~4時


会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)

会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755

申し込み方法 
「歴史カフェ521希望」もしくは「歴史カフェ525希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

返信が戻って来た場合は、サイドバーでお知らせします。
確認されたらもう一度メールをください。
当方の返信代わりにサイドバーの連絡を消します。


オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ
 





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by lunabura | 2017-04-20 20:30 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご67  連玉ビーズは幼な子の胸に



ひめちゃご67

連玉ビーズは幼な子の胸に
 


ロッキーが高三潴の連玉ビーズの公開の画像を送ってくれた。

多分このようなものはネット上でも見ることは出来ないだろう。
貴重な画像を載せて記録としておきたい。

そこには新聞に書かれなかった重要な情報がある。
なんと、連玉ビーズは子供のために副葬されたものだったのだ。

糸島では王墓かもしれないが、
高三潴では幼な子の胸にかけられたものだった。

何故これが新聞には書かれなかったのだろうか。
重要な情報ではないか。












c0222861_2135359.jpg

経年変化のために白濁しているが、見事に姿を留めている。

41基の甕棺があり、何も出なかったと思われたが、
持ち帰って調べて連玉ビーズが確認されたということだ。








c0222861_213622.jpg

しかも朱の中から出て来た。
水銀朱か単なる赤色顔料かは不明だ。














c0222861_2136221.jpg

これを見て目を疑った。二重構造ではないか?
甕棺の中に甕棺が入れられている?

見間違いだろうか。間違っていたら指摘してほしい。
二重構造の甕棺は初耳だ。












c0222861_21364576.jpg

これが連玉ビーズが副葬されていた甕棺だ。
サイズが書かれていないが、
これでは乳飲み子ぐらいしか入らないのではないか。

パネルのサイズから推測するしかないが、
大人用なら驚くほど大きいのだ。


これはよほど身分の高い人の子供だ。

時代は弥生時代後期(1~2世紀)だという。
景行天皇の没年が西暦130年とされている。

何度も書いているが、
その皇子が国乳別皇子(くにちわけのみこ)で
ここから西に130mほどの所の前方後円墳に埋葬されている。

実はその長さは東西258mもあるという。
それはひっそりと掲示されていた。


岩戸山古墳が135m。
測量の基準が違うかもしれないが、それでも相当の大きさなのだ。





明治時代の弓頭神社の神官の船曳鉄門(ふなびきてつもん)にょると、

〈高三潴地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、
その後は大善寺の宮本山に埋葬するようになった。

そこにはおよそ47、8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。〉
(拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻57弓頭神社より)
とあり、高三潴には国乳別皇子から三代の山陵があることが分かっている。


今回出土した甕棺墓群は水沼一族のものの可能性もある。
水沼一族で夭逝(ようせい)した子だと想像することは許されよう。

連玉ビーズがその身分の高さを証明している。














c0222861_21375787.jpg

画像はレプリカ。












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これは拙著『神功皇后伝承を歩く』に掲げた高三潴付近の地図だ。
出土地は赤い星の右下、「い」と「信」の間付近だそうだ。
持っている方は参考にしてほしい。

烏帽子塚古墳が国乳別皇子の古墳だ。

何とも縁(えにし)を感じさせる位置にあるのだ。



ロッキーに感謝。
                         <2017年4月17日>

画像の著作権はロッキー氏に所属します。
連絡の中継ぎとして、画像には当ブログのサインを入れています。


連絡
04月16日 23時10分にメールを下さった 〇中〇 さま。
返信が戻ってきます。
何らかの手段を考えますね。



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by lunabura | 2017-04-17 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご66 水鳥のすだく水沼を皇都となせり



ひめちゃご66

水鳥のすだく水沼を皇都となせり
 


三島神社の掲示板に足を止めた。
そこには万葉集の一首があった。

「水鳥のすだく水沼を都となせり」

そういえば、この歌は何処の歌かと思ったことがあった。
それがここか。

宮司に尋ねると、ここではなく、高三潴の方だという。
そうだ。高三潴こそ政治の地だった。


念のために万葉集を開いてみる。(岩波)

4261番
大君は神にし坐せば水鳥の多集く水沼を都となしつ 
おおきみはかみにしませばみずとりのすだくみぬまをみやことなしつ

作者詳らかならず
右の件の二首は、天平勝宝四年(752)二月二日に聞きて即ちここに載す


原典は以下のようになっている。

大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通
 
(※尓は山へん)

なんと原典では「都」ではなく「皇都」と書いてあるではないか。
これは大変なことだ。

「皇都」と単なる「都」では意味が違う。
これまではどうして「都」とされてきたのか。

「大君」は「大王」と書いてある。
これもそのまま「大王」で良かったはずである。

万葉集とは、かくも自由に文字変換されていたのか。

一般的な訳は、
大君は神でいらっしゃるので水鳥が集まってくる水沼の地を都とされた
で、
奈良の沼地に大君が木建設工事を采配して都を建設したような歌
となっている。


「右の件の二首」とあるので、
もう一首、その前に書かれた歌について確認してみた。

万葉集の編者は752年に聞いた歌を二首並べて載せていたのだ。

皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
おおきみは かみにしませば あかこまの はらばうたいを みやことなしつ

例の歌ではないか。

あの天智天皇がみやまヤマトの太神宮で祈りの日々を送って
腹赤魚をもらって吉兆とした謎解きの歌なのだ。

「田」とは「たんぼ」ではなく、「指標となる星」のことで、
「赤駒」とは低緯度オーロラ。

すなわち、オーロラがでる北の天帝の座をも統べるようになったという歌で、
中大兄皇子が長い皇太子時代を終えて天皇の座に就いたという意味が
込められていた。

奈良で泥田を干拓した土木工事の素晴らしさを詠んだという
通説の歌ではないことを確認していた。

まさか、ここに戻ってくるとは。

万葉集の編者は、これが水奴麻(水沼)の皇家と都を示す歌と知ったために、
黙って置いたのか。

「水鳥乃 須太久水奴麻」は「皇都」
水沼の地に「皇都」があった。

こんな重要な歌を知ったため、説明を加えずに置いた。
そんな配慮があったのか。

これが時々浮上してくる三潴の皇都説の由来か。


「水沼」は倭妙類聚抄には「筑後国三潴郡美無万」とあるらしい。


水沼とは天と人をつなぐ巫女を出す家。
そこに入り婿した国乳別皇子。

政治の地、高三潴。(弓頭神社)(下巻57)
国際港、大善寺。(大善寺玉垂宮)(下巻78)

国乳別皇子の霊島、三潴郡大木町。
三女神が降臨した聖地、赤司(赤司八幡神社)(下巻56)

筑後川の真水と有明海の海水がせめぎ合い、
水と干潟が日に何度も姿を変えるところ。

それが水沼の統べる皇都だったというのか。




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水沼ノ総社 三島神社







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by lunabura | 2017-04-11 20:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(21)

ひめちゃご64 ここが高三潴 国乳別皇子の政治の地と前方後円墳



ひめちゃご64

ここが高三潴 

国乳別皇子の政治の地と前方後円墳
 


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景行天皇に命ぜられて水沼に残った国乳別皇子(くにちわけのみこ)は
天壇のある赤司八幡神社から南へ下って高三潴に住んだ。

弓頭神社がその宮跡である。




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神功皇后と武内宿禰がやってくると、
出迎えた国乳別皇子は弓大将として新羅役に参戦したことから、
「弓頭」(ゆみがしら)の社号がついている。
「ゆがしらさん」と呼ばれている。

政治的中心地がここになる。

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すると、仲哀天皇が紀伊にいたときに、
「熊襲が朝貢しない」という知らせの発信者はこの国乳別皇子ではないか。

何故ならここは羽白熊鷲と田油津姫を監視できる位置にあるからだ。







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羽白熊鷲は既に討伐し、ただちに田油津姫討伐のために
武内宿禰と軍議をしたという。








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田油津姫の拠点、ヤマト(山門)は目の前だ。
鷹尾神社もヤマト(大和)のエリアに入るが、朝廷方になる。
赤い点線が神功皇后軍の進軍ルートだ。

鷹尾神社から上陸した。
村人がブリ料理でもてなしたというので、海が深く入っていたことが分かる。

このヤマト地方での朝廷と土蜘蛛の対立は景行天皇の時から既にあり、
ヤマトの女王・葛築目(くずちめ)が滅ぼされている。

ヤマトはこちらでは山門、大和という地名で残っている。
最近はカタカナで「ヤマト」と書くのが流行っているので、ここもそうしておこう。

このヤマト地方では物部氏とヤマトの女王邑が複数世代に渡って対立していた。






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国乳別皇子はこの地で亡くなり、烏帽子塚古墳に埋葬された。
廟堂が建ち、大変厳粛だったと書かれている。
この古墳が前方後円墳で、かなり大きい。

実は、弥生時代の前方後円墳が福岡の各地にある。
被葬者の名も伝わっている。

前方後円墳は古墳時代と思っていたが、
最近では箸墓という巨大前方後円墳が弥生時代とみなされるらしいので、
福岡各地にある弥生時代の前方後円墳も問題ないようになった。(と思う)


例の連玉ビーズが出た高三潴にはこんな歴史がある。




拙著『『神功皇后伝承を歩く』下巻
57弓頭神社
58鷹尾神社
59老松神社




追記、本日の歴史カフェご参加ありがとうございます。



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by lunabura | 2017-04-06 23:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀



ひめちゃご63

 景行天皇の三女神祭祀
 



ヤマトタケルの父、景行天皇は九州の各地を回った。
その戦いの記録は『日本書紀』にも書かれているが、
祭祀については触れられていない。

パワーポイントをつらつらと流していると、
どうしてもここで止まってしまう。

何度も書いてしまうが、
今日も、水沼(みぬま)の話にお付き合い願おう。







c0222861_20512411.jpg

福岡県の筑後川。向こうに見えているのは耳納(みのう)山脈。
かつては水縄とも書かれていた。


こちら岸に赤司八幡神社が鎮座する。



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主祭神は道主貴(三女神)だ。
『日本書紀』には水沼君がもちいつくと書かれている。

止誉比咩命は豊姫、すなわち神功皇后の妹。(武内宿禰の妻)
與止比咩命は淀姫、すなわち津波を知らせてくれる水の女神。






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古くは筑紫中津宮といい、止誉比咩神社となった。

しかし、守り続けた水沼氏はキリシタン大名の大友氏に
神殿を燃やすか、名を捨てるか、選択を迫られて、名を捨てた。
今は宮崎氏となっている。

この時、八幡神社となった。


かつて景行天皇がここで三女神を祀り、皇子を御手代として残した。
その皇子が国乳別皇子だ。

神功皇后でさえ、妹の豊姫を神形代に立てた。
何度も書いた話だ。



この国乳別皇子(くにちわけのみこ)の墓所が在る所が高三潴。
だから、古代の連玉ビーズが出ても何の驚きもない地だ。





そして飯塚での話で、景行天皇は日尾山(ひおさん)でも
三女神を祀ったと聞いた。
それが飯塚の厳島神社の由来だ。







c0222861_20532012.jpg

これは飯塚市の日若(ひわか)神社だが、
右の画像に日尾山が写っているので、ご紹介。
右の道を走ると行き止まり。


車で走ってもかなり大きな山塊だ。
ひおさんは「日尾山、日王山、日思山」の表記があった。








c0222861_2055251.jpg

この日尾山の重要性は何を意味するのだろうか。




c0222861_20534556.jpg

右の画像の川の右手の方から山道があるという。
古代の銅の道だ。

この日若神社そのものには景行天皇関連の伝承はないが、
日尾山が写っていたのでUPしてみた。

何故、景行天皇はこの山に三女神を祀ったのか。

三女神に祈り続けた景行天皇は何を知っていたのか。

『日本書紀』からは全く伺えない、筑紫の女神信仰。
景行天皇より古い時代からの水の女神。

それを消し去ろうとしたキリシタン大名。

そこらへんにも手掛かりがあるんだなと思う。





(神社についている番号は
拙著『『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号。
ゆっくりと読み直してくださいませ)





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by lunabura | 2017-03-28 20:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(16)

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



ひめちゃご 番外



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ
 
 


今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





c0222861_19451488.jpg

読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





c0222861_1946948.jpg

そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-03-25 22:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

エジプトの壁画と「吉井」の壁画のつながりが見えてきたかな



エジプトの壁画と
「吉井」の壁画のつながりが見えてきたかな


3月の歴史カフェは、糸島がテーマですが、
二度目の参加の方もあるので、少し変化させて
テーマを絞って、深く切り込むことにしました。


糸島におけるニニギ尊と木花咲耶姫の通婚の話と
真鍋によるエジプト人の渡来についての話の二本立てです。

一年ぶりですが、この間、私の理解がさらに進んだので、
真鍋の解釈のエリアを少し広げることができました。

すると「吉井」の地名が出てきました。

「冬至の日輪」を「ゆつまのひのあかり」と言い、
それが出入りするのを観測する所を、
万葉の頃には「吉日」と書き、平安時代には「日吉」と書いたそうです。

「吉日」はいつしか「よしひ」とも読むようになり
「吉井」という地名になったといいます。

「出入り」ですから、日の出も日の入りも観測するわけですが、
まさに吉野ヶ里遺跡がそうでしたね。





「吉井」の地名は福岡県うきは市吉井町にも残っていますが、
そこから例の珍敷塚古墳の壁画が出ているのです。



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「ゆつまのひのあかり」を観測するところが「よしい」
「ゆつま」はルクソールと同じような地形の場所。

こうしてなんとなく繋がりそうです。

ほかに「小郡」「戸畑」など、
いくつかの地名の成り立ちも関連します。

まだまだ理解の途中ですが、みなさんとシェアして、
理解を深めていこうと思っています。




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by lunabura | 2017-03-01 20:40 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ



今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





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読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





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そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-02-17 19:50 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(7)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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