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タグ:久留米市・うきは市 ( 96 ) タグの人気記事

ひめちゃご99 明星山  磐井君が見た展望



ひめちゃご99

明星山 

磐井君が見た展望
 


さて、チェリーが明星山からの展望を三方向作成してくれた。

代々の筑紫君が山城を作ったという明星山。

山城そのものは少し下がった所だろうと推測したが、
山頂からの展望は筑後国造のいうように豪快だ。

昔、ここには物部の天津赤星の居城があり、
武内宿祢も長らくこの山中から西海を監察したという。

磐井は東北のカマ石谷から石を切り、「今の社地」に
岩構えをして住んだことから、「岩井」と呼ぶようになったという。

その「社地」がわかれば、磐井の山城が特定できる。
手がかりは「岩構え」だ。

城壁があった。

たぶん、現地に入れば容易に見つかりそうに思われる。
なぜなら、山道が残っているはずだからだ。


『高良山雑記』(わかりやすく改変)
によると、<明星山は別名、般若方谷山といい、
高良内の主人公とみるべき山である>という。

明星山は「高良内の主人公」ということは、
久留米側から見た描写となる。

高良山の西の磐井城と明星山の山城という構えが見えてくる。


<山形勢は雄偉で、頂上は東西80歩、南北170歩。>
細長い平地があったようだ。
頂上から見て、東、北、西の三方面に深い谷がある。












c0222861_20223769.jpg

これは南西の方角の展望。

<南面に山脈を延べ、上妻の諸山となる。
その一線西南に長く引きて、飯盛(いいもり)、膳盛(けもり)、
鳶岳、藤山の諸山と分かる>

八女方面が見えているが、地元の人なら、この描写が分かるだろう。

鳶岳は飛岳か。
また、藤山とは、八女津媛(日本書紀)に出てくる景行天皇のルートか。










c0222861_20232673.jpg

北西~北の展望。
高良山が右端に見えている。
味水御井神社まで道がありそうだ。

<北方に高良の諸峰、毘沙門岳、また名城平杉城、共に湟(ほり)の跡あり。
鷲尾、愛宕、その右翼を張れり。(中略)
絶頂の下に大道ありて小椎尾、逆瀬谷に通じ上妻の諸村に往来すべし>












c0222861_20235325.jpg

西側の展望。
有明海から大善寺に船が入るのが見えたのではないか。
武内宿祢がこの方向を観護していたという。

まさに<筑前、豊前、豊後の諸峰を見る>天然の<城塁>である。

この『高良山雑記』はクジラが提供してくれたものだ。
まさか、チェリーの作画で「明星岳」の項目を目の当たりにできるとは。

両人に感謝。




赤は明星山






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by lunabura | 2017-10-14 20:26 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

水沼三女神  『日本書紀』一書第三



水沼三女神

『日本書紀』一書第三



『日本書紀』では三女神について、いくつかの伝承を集め、
整理して記録しています。

「本文」に対して「一書」という形になっています。

そこには、私たちが断片でしか知らない話が一つの物語になって
載せられています。

今回は「水沼君」(みぬまのきみ)が祭る三女神の記録です。
ここに初めて「海北道中」「道主貴」(みちぬしのむち)が出てきます。

地形的には「ありなれ川」が筑紫を貫いて
右佐(宇佐)島と左佐島(天原)に分かれていた時代です。

筑紫は筑前、筑中、筑後の三府がありました。

例の如く、短縮したり、追加したりして現代風にしています。


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『日本書紀』【一書 第三】水沼三女神

アマテラス大神はスサノオ尊と天安河(あめのやすかわ)を隔て、
向かい合ってウケイをされました。

「もし悪い考えが無いなら、そなたが生んだ子供は男の子だろう。
もし男の子を生んだら私の子として高天原を治めさせよう」

そう言うと、
アマテラス大神はスサノオ尊の十握剣を食べて市杵島姫を生み、
九握剣を食べて湍津姫を生み、
八握剣を食べて田霧姫をお生みになりました。

 スサノオ尊がアマテラス大神の左の髷(まげ)の勾玉(まがたま)を
口に含んで左手に載せると男の子になりました。
「私の勝ですね」
そういうと、右の髷や首飾りなどから次々と男の子を六人お生みになりました。
この六人の男の神は約束どおり高天原を治めました。

 アマテラス大神が生んだ三柱の女神(ひめかみ)は
葦原中国の宇佐島に天下りされました。

今は海の北の道の中にいらっしゃいます。

名付けて道主貴(みちぬしのむち)と言います。
これは筑紫(ちくし)の水沼君らが祭る神です。


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水沼君の聖地は久留米市の赤司八幡神社。(下巻56)ここの縁起が詳しい。
政治の地は同市弓頭神社(下巻57)
ありなれ川のそばの湊は同市大善寺玉垂宮(下巻78)


みなさん、【「ご来福」しよう】の鈴を鳴らしておみくじを引きましたか?
実は、私が引いたのは「宗像大社」でしたよ。

タイミングの良さに、笑ってしまいました。

来週になりますが、ラブFMの「古代の福岡」のイベントに参加します。
『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群世界文化遺産登録記念イベントです。

そこで、「宗像三女神」と「女神に逢える福岡の神社」みたいなテーマで
話をする予定です。

おみくじがタイムリーでした^^


10月7日(土)と8日(日)の二日間の参加です。
天神の三越前か、その近くです。
はっきりしたらお知らせします。

てか、もう一週間切れた(;’∀’)

(これは以前書いたマスメディアとは別件です)


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by lunabura | 2017-09-30 20:58 | 赤司八幡宮・あかじ・久留米 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご97「鷹取山結界」と脊振山と代々の筑紫君



ひめちゃご97

「鷹取山結界」と脊振山

代々の筑紫君
 


「鷹取山結界」についてブログに挙げると、
それに関する電話が複数あった。

糸島~脊振山に形作る龍を教えられていた人の話とか。
また、酔っぱらうと物部が出る人が「鷹取は三つある」と言った話とか。
いったい何が始まったのやら。

チェリーが、結界の中心を作図してくれた。









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明星山の頂上から南西に下がった所にある。
陸上自衛隊の正面から国分寺跡を結ぶ道路にも赤い垂線が重なっていた。
かなり古い道だったのだろう。

南への垂線にも道が重なる部分があるようだ。

さらに、中心部を拡大してくれた。







c0222861_2150720.jpg

中心点は明星山からの尾根の﨑に当たり、視界が良さそうだ。
東~南は急峻で守り易い。

飛岳も視界が効くということで、物見の砦でも置きたいところだ。
代々の筑紫君の山城を探すにはこの中心点からが目安になるだろう。

江戸末期の記録には山中に「社地」があったという。

磐井君はカマ谷から石を採って強固にしたので、
磐井の名がついたとも言われている。
「社地」には何らかの石垣が残っているはずだ。

三つの鷹取山によって結界を築いたと考えてよいだろう。


【脊振山】(せふりさん)
その龍を思わせる脊振山系について、昨日、真鍋を読んでいると、
脊振山は金龍山(からやま)とも言ったと伝えていた。
徐福関連の地名の金立(きんりゅう)はそこから付いたという。

神功皇后が登頂して神々を祀り、航路の説明を受けた。
また、
<行基、最澄、空海、栄西に至るまで唐土で修業した名僧智識は
韓泊(からどまり)で船から上がるとまず
脊振山頂に詣でて四方を拝し、
それから大宰府に下りて帰朝の手続きを済ませたのである。>
(『儺の国の星』)
と記す。

今は自衛隊のレーダーがあるが、
駐車場の近くの池は「龍ケ池」というそうだ。

鉱物の金も採れ、薬草が多彩だという脊振山系は
私たちが思う以上に神の山として崇敬されていたようだ。

八女の飛形山から見ると、脊振山を中心に両翼が控える形に見えた。


やはり脊振の龍脈と鷹取山結界と代々の筑紫君は深い関わりがあるようだ。






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by lunabura | 2017-09-18 21:52 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご96「鷹取山結界」の中心に筑紫君の城か(磐井の山城)



ひめちゃご96

「鷹取山結界」の中心に筑紫君の城か

(磐井の山城)
 




「鷹取山(たかとりやま)結界」の中央部をチェリーが拡大してくれた。
国土地理院の地図を使用するには大きさの制限があるのだが、
なんということだ。
分割という手段を見出している(;’∀’)
制限ハードルを見事にクリア!







c0222861_223052.jpg

これをつらつら見ていると、明星山の中腹あたりが中央にに見える。
くじらも指摘したが、ここは「代々の筑紫君が居た」山城があった。
名前が筑紫城かどうかは不明だ。
そここそ、磐井の山城でもあった。
その前は物部の天津赤星が居た所だ。


この明星山と高良山の間の扇状地を「高良内」(こうらうち)という。
こここそ、万葉集の第3番、4番の「内の大野」ではないかと推定した場所だ。


天皇 宇智の野に 遊猟(みかり)したまふ時
、  
天皇が内の野で狩をされるとき、

中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして 
中皇命が間人連老に、献上するように

献(たてまつ)らしめたまふ歌 

(長歌はリンク先へ)

反歌
たまきはる 内の大野に 馬なめて 
朝踏ますらむ その草深野






思いがけず、過去記事の万葉集の「内の大野」が出て来た。
この全体は「内考」というタイトルでサイドバーに置いている。



そこには今、自衛隊の駐屯地などがあるが、
かつては古墳がずらりと並んでいたという。

福山裕夫(久留米大)は、そこに古代の星の観測の痕跡を見出している。



そこから斜め上に道を拾うと、国分寺跡が出てくる。
この斜め道がどうも綾部神社裏の鷹取山へのラインに重なって見える。

なんとなく、古月のドラゴンカーブも思い出させるような斜めの道だ。




一方、南の鷹取山から北の岩戸山古墳を通り、
さらに北上するとツインの磐井城の前を通る。

途中に宮地嶽神社もある。








c0222861_2233765.jpg

これは歴史カフェなどで使用した付近図。
次著でも詳述する。

この付近が中央部になるような気がするが、どうだろうか。
くわしくはチェリーのコメントを待とう。



歴史はラセン階段をぐるぐると昇ったり降りたりするようなものだが、
まさか、ここに及ぶとは思いもしなかった。


水沼君に関しては赤司八幡神社も大善寺玉垂宮も結界の外となった。
チェリーの言うように、それもまた意味があるのかもしれない。





ここまで書いたら、リラから電話があった。
「鷹取山」と「高取山」を調べていたそうだ。

日本全体ではこの二つの山名を持つ山がそれぞれ16、17山あるらしい。
福岡ではそれぞれ四つずつあるという。
その目印となる山や地名を書こう。

「鷹取山」は御牧山、三養基町、耳納山系、福知山。

「高取山」は矢部(八女津媛神社そば)大牟田、天山~川上峡、山鹿との境界付近

山城がある山が多いという。

また、脊振山頂上付近の池は「龍ケ池」といいい、
竜宮城に繋がっているという話があるそうだ。

脊振神社下宮には風穴がある。
沖ノ島の南には芥屋の大戸がある。

このメモは聞き間違いがあったら訂正をする予定だ。



情報が必要な人の所に届くよう、お互いに出し合おうと言って話を終えた。





※歴史カフェと台風の件


歴史カフェの当日、台風が通過しそうです。
現在の予報では9月17日の朝には抜けるようになっています。
台風の情報によっては、変更をしなくてはならないでしょうから、
ご参加の皆さん、前日にブログを確認してくださいね。







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by lunabura | 2017-09-14 22:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご95 ついに出現した双龍と鷹取結界 



ひめちゃご95 

ついに出現した双龍と鷹取結界 
 




三つの「鷹取山」(たかとりやま)による三角形の結界。
それをチェリーが作図してくれた。








c0222861_22132617.jpg

二つの「ヒメコソ」神社の中央にある「福童神社」から見ると、
冬至の朝、鷹取山から日が昇る。青いラインだ。

そして、今ブログでは赤いラインを辿っている。
夏至の朝、馬見山から日が昇るラインだ。

この途中で三つの鷹取山の結界の話が出たのだが、
左上の鷹取山は綾部神社の北にあり、見事な三角錐を描く神奈備山だ。

この続きはチェリーのブログで見てほしい。
なんと二つの龍が現れたのだ。


脊振(せぶり)山系と耳納(みのう)山系だ。

龍脈の先には龍穴がある。

チェリーは耳納山系の龍は味水御井神社の水を飲むとにらんだ。

脊振山系の龍はどこの水を飲むのか。
地元の方、探してほしい。


久留米の北部からは耳納の龍がよく見える。
また脊振の龍が姿を見せるのは久留米~八女方面だ。


双龍の龍穴があるイヤシロチを発見した人は
三つの鷹取で結界を張った。


いやあ、これは集団幻想小説なのだから、妄想は大歓迎だ。

自分も妄想してみよう。

倭国の創世記、龍穴を求め、結界を張る人がいた。

鷹取結界の中には水を祀る君がいた。それが水沼君だ。
水沼君の斎き祀るは三女神。


驚いたことに、この結界の垂線は岩戸山古墳の松尾宮を通る。
その垂線は沖ノ島からスタートするとチェリーは考えた。



私は思う。

岩戸山古墳の築造者はこの結界を知っていた。
鷹取結界に倭国の秘密がある。

中大兄皇子は瀬高太神(おおが)で、その秘密を知ったのではないか。
しかし中大兄皇子が天智天皇に即位したあと、倭国は滅びる。

わずか9年で崩御した天智天皇。
その後、戦って天皇の地位を得た天武天皇もまた
筑紫に滞在していた時、その秘密を聞いていた。

天武天皇は即位すると倭国の結界を封じた。

どんな手段で?
それは、神社を寺院に変える手法だ。

天武天皇の即位元年、大善寺玉垂宮は大善寺となり、
翌年、高良玉垂宮もまた高良大明神が発心した話を創り出し、
高隆寺を造らせた。

こうして倭国の神々は封じ込められていった。

今、その封印が解けようとしている。

ついつい、そんな妄想をしながらチェリーの作図を眺めた。

前畑遺跡関連の土手は、
相島の墓域で見つけた龍の積石と同思想のものかもしれない。
それは熊本の久米八幡宮の龍と同じだ。

ところで、チェリーに。
鷹取結界の中央部分を拡大して作図してほしい。
持っている地図では鷹取結界が描けない。


以下はチェリーの作図。
「ひめちゃご」がつなぐライン群 ふたつの龍と1本のライン



皆さんにも、集団幻想に思いのまま参加してほしい。



コメントの返事は明日にしますね。







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by lunabura | 2017-09-12 22:16 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)

ウェールズの音楽は二進法



ウェールズの音楽は二進法




先日、関口知宏がイギリスの汽車の旅をする番組の再放送があっていた。

途中、ウェールズに立ち寄ってハープ奏者と出会う。
ハープ奏者は男性だった。

原始的なハープが出されたが、
忌宮神社で弾かれる琴と同じような大きさだった。
ノートパソコンより少し長いもの。

古代日本でも琴は男性が弾くものだったことを思い出した。


それから現代のハープが奏でられたが、その音色を聞くと、
妖精が飛び出してくるのではないか。
ハープとは妖精を呼び出す楽器ではないかと思われた。

その男性いわく、
ウェールズの音楽は二進法だという。

0と1。

それが意味する物は
「宇宙」と「地球のうつろう一瞬」
そのような意味だったという。

永遠と刹那(せつな)ということだろうか。
地球のすべてのものは一瞬たりともとどまらない。

ウェールズの音楽は、だから、
宇宙への呼びかけということになるのだろう。



真鍋大覚は、神籠石(こうごいし)は「0」と「1」で出来ているという。
ウェールズと同じ思想だ。

神籠石(正しくは「八葉の石畳」)の謎のヒントがここにあるのかもしれない。


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by lunabura | 2017-08-18 21:38 | メモ | Trackback | Comments(0)

高樹神社と磐井城



高樹神社と磐井城



バスハイク。久留米市。







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高樹神社です。

地主神だった高木の神は高良の神に結界を張られて
戻れなくなってここに鎮座しています。





高樹神社の境内から磐井城のあった丘がよく見えてい ます。





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正面の森の中です。

ここは御井郡(みいのこおり)でした。









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その下の放生池は磐井川を堰き止めて出来ています。

磐井城はもう一つ、北側にもありましたよ。












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拙著『神功皇后伝承を歩く』の地図です。

古墳と神社をしっかり書き込んでます♪
すごくお気に入りの地図です。

前回の下宮社も書いてますよ。

本が無い方もスマホを持って、この地図を見ながら高良山を探訪できますね。

見どころは沢山あります♪




撮影場所
『神功皇后伝承を歩く』上巻 26高良玉垂宮 「高樹神社」



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by lunabura | 2017-07-21 21:25 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

幸神社 山下影姫と幸夫人 武内宿禰の「乳母」を祀る宮か



幸神社 
山下影姫と幸夫人

武内宿禰の「乳母」を祀る宮か






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バスハイク。高良下宮社です。
三つの社殿の右の方に幸神社があります。

幸夫人は物部膽咋(いくひ)の夫人の一人。

物部膽咋は神功皇后の時代の人で、
香椎宮での会議のメンバーの一人ですね。
物部氏の長老的存在です。

その膽咋が娶(めと)った若い幸夫人に赤ちゃんが生まれました。

ちょうど、そのころ山下影姫が武内宿禰を出産しました。

山下影姫の代わりに武内宿禰を育ててくれる乳母を探した結果、
幸夫人に白羽の矢が当たったのでしょう。

幸夫人は我が子と武内宿禰を育てることになりました。

乳兄弟は生涯強い絆で結ばれるそうです。

のちに幸夫人は武内宿禰の乳母として尊崇されたのでしょう。



この幸神社の縁起はまだ出会っていません。

幸夫人については「高良山雑記」の各文を読み込んで解釈したものです。








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撮影場所
『神功皇后伝承を歩く』上巻26 高良玉垂宮 高良下宮社の項




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by lunabura | 2017-07-20 20:30 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

湧水の宮 味水御井神社



湧水の宮

味水御井神社

 

久留米に着いて最初に参拝したのが、御井町の味水御井神社です。
駐車場が無いので、久留米大学前駅にバスを停めて、
そこから歩いて行くことにしました。

駅舎のすぐ左の橋を渡って行きます。
下にはJRの久大本線が通っていました。

石段からはいきなり森の中。
泉がまず目に飛び込んできました。








c0222861_21245164.jpg

二、三か所、水が湧いているようすが分かります。
阿蘇で見かける水源と同じです。

思えば、都会の中の湧水ですから、大変貴重なものですね。









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倒れたクロガネモチの巨木も片づけられて、
水の神・ミズハノメを祀る境内が整えられていました。

境内横の段差が678年の筑紫大地震の断層でしょう。
674年に高良山がついに仏教を受け入れた後の大地震ですから、
地元の人々はそれと結びつけて畏れたかもしれませんね。


そういえば、
「筑紫大地震で泉が湧いたのですか?」と尋ねられて
「そのころはまだ生まれてませんので、よく分かりません」
と返事したのですが、(^^;
神功皇后の時代には泉があったんですね。

大地震でも枯れなかったということでしょうね。

この日は猛暑でしたが、
神社の杜はどこも涼しくて暑さを忘れました。

コンクリートとは違う世界を残してくれる神社の杜。
大切にしていただいてありがたいです。



撮影場所
『神功皇后伝承を歩く』
上巻27味水御井神社 神功皇后は朝妻で水を所望した


※メールを下さった方々へ
今夜はエキサイトのメンテナンスで使えないので、後日、返事します。






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by lunabura | 2017-07-17 21:27 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

 高良大社は平成の大修復中



第7回バスハイク
高良大社は平成の大修復中
 



2017年7月13日、神功皇后の足跡を訪ねて
久留米と小郡へのバスハイクでした。






c0222861_20533452.jpg

高良大社は只今大修復中。
屋根の色が金色になっていましたよ。
これまでの古式の色を見慣れていたので、印象が随分違っています。

檜皮葺きというのかな?
古代の人はこの黄金色を知って使ったのでしょうか。
透明感のある銅のような甘い金色です。







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彩色が施されていたのも、初めて気づきました。
青いラインを過去の画像と比較すると、過去のは白く褪色していましたよ。

ここは日光東照宮と同じ宮大工が来ていたそうです。
(建築上も、同じらしい。← 表現が違っているかも)

完成した時の姿を見るのが楽しみです。


過去記事で「高良山雑記」でしたでしょうか、
家康の位牌が高良山に届けられた話を書きましたが、
なんと霊廟として実在し、
厨子の中には家康の像もありましたよ!

よそならとても見せていただけないような(*’▽’)
伝承が証明されました。



鏡山神社の鏡は方格規矩鏡 1世紀頃? 
土中に埋蔵されていなかったのでピカピカ。

伝祇園山古墳の鏡は三角縁神獣鏡 2世紀だったっけ?

メモを取り忘れました。
これらの鏡については、また各神社の時にでも考察しましょ。






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by lunabura | 2017-07-14 20:59 | バスハイク | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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