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ひめちゃご95 ついに出現した双龍と鷹取結界 



ひめちゃご95 

ついに出現した双龍と鷹取結界 
 




三つの「鷹取山」(たかとりやま)による三角形の結界。
それをチェリーが作図してくれた。








c0222861_22132617.jpg

二つの「ヒメコソ」神社の中央にある「福童神社」から見ると、
冬至の朝、鷹取山から日が昇る。青いラインだ。

そして、今ブログでは赤いラインを辿っている。
夏至の朝、馬見山から日が昇るラインだ。

この途中で三つの鷹取山の結界の話が出たのだが、
左上の鷹取山は綾部神社の北にあり、見事な三角錐を描く神奈備山だ。

この続きはチェリーのブログで見てほしい。
なんと二つの龍が現れたのだ。


脊振(せぶり)山系と耳納(みのう)山系だ。

龍脈の先には龍穴がある。

チェリーは耳納山系の龍は味水御井神社の水を飲むとにらんだ。

脊振山系の龍はどこの水を飲むのか。
地元の方、探してほしい。


久留米の北部からは耳納の龍がよく見える。
また脊振の龍が姿を見せるのは久留米~八女方面だ。


双龍の龍穴があるイヤシロチを発見した人は
三つの鷹取で結界を張った。


いやあ、これは集団幻想小説なのだから、妄想は大歓迎だ。

自分も妄想してみよう。

倭国の創世記、龍穴を求め、結界を張る人がいた。

鷹取結界の中には水を祀る君がいた。それが水沼君だ。
水沼君の斎き祀るは三女神。


驚いたことに、この結界の垂線は岩戸山古墳の松尾宮を通る。
その垂線は沖ノ島からスタートするとチェリーは考えた。



私は思う。

岩戸山古墳の築造者はこの結界を知っていた。
鷹取結界に倭国の秘密がある。

中大兄皇子は瀬高太神(おおが)で、その秘密を知ったのではないか。
しかし中大兄皇子が天智天皇に即位したあと、倭国は滅びる。

わずか9年で崩御した天智天皇。
その後、戦って天皇の地位を得た天武天皇もまた
筑紫に滞在していた時、その秘密を聞いていた。

天武天皇は即位すると倭国の結界を封じた。

どんな手段で?
それは、神社を寺院に変える手法だ。

天武天皇の即位元年、大善寺玉垂宮は大善寺となり、
翌年、高良玉垂宮もまた高良大明神が発心した話を創り出し、
高隆寺を造らせた。

こうして倭国の神々は封じ込められていった。

今、その封印が解けようとしている。

ついつい、そんな妄想をしながらチェリーの作図を眺めた。

前畑遺跡関連の土手は、
相島の墓域で見つけた龍の積石と同思想のものかもしれない。
それは熊本の久米八幡宮の龍と同じだ。

ところで、チェリーに。
鷹取結界の中央部分を拡大して作図してほしい。
持っている地図では鷹取結界が描けない。


以下はチェリーの作図。
「ひめちゃご」がつなぐライン群 ふたつの龍と1本のライン



皆さんにも、集団幻想に思いのまま参加してほしい。



コメントの返事は明日にしますね。







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by lunabura | 2017-09-12 22:16 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(10)

ひめちゃご93 千栗八幡宮2 祀られた武雄心 鳥栖は白鳥座から



ひめちゃご93

千栗八幡宮2 

祀られた武雄心 鳥栖は白鳥座から

 




千栗八幡宮の鎮座地の地形は丘陵だった。

本殿の右手に武雄神社がある。








c0222861_2234782.jpg

ご祭神は武雄心命(たけおごころのみこと)だ。
境内掲示板には
<孝元天皇(第八代)の皇子彦太忍信命の子。祭祀・占(卜)を司る任に当たり、景行天皇(第十二代)にお仕えした臣下で、高良大社のご祭神武内宿禰は御子である。>
とある。

武内宿禰の父が祀られていた。
祭祀と卜占で景行天皇に仕えていたという。

高良大社の祭神を武内宿禰としていることから、
白村江戦(663)以降の記事だとわかる。





由緒には
<創建は詳らかではないが、室町時代に描かれたといわれている「千栗八幡宮縁起絵」の境内図の中に「武雄社」が見られるところから、それ以前から信仰されていたと考えられる。>
とある。
勝手な考えだが、武雄社が先にあって、
のちに壬生春成が八幡宮を創建したのではないかと思われて仕方がない。




というのも、さらに右手に稲荷社があったからだ。









c0222861_2241098.jpg


鳩森稲荷神社という。ご祭神は保食(うけもちの)神。

由緒に
<当千栗八幡宮のご祭神は八幡大神で、稲荷神社御創建の由緒紀によると、養父(やぶ)の郡司壬生春成が此の地に狩猟の折、弓の上に鳩がとまった故事によるもので、鳩は八幡さまのお使いであるとその夜の夢枕に八幡宮境内に千本の栗の木が植えてあるのが表れ、一夜にして栗林が現れたと云う。故に鳩森稲荷神社と云う。>

相殿の神として
<天之忍穂耳命、菅原道真、伊弉諾尊(イザナギ)、高木神(高御産霊日神)>
が祀られている。


ここは千栗郷だ。

隣の養父郷の郡司が狩猟に来て、それをきっかけに八幡の縁を得たようにかかれている。

しかし、本殿の掲示板には、<聖武天皇の勅を奉じて>とある。
八幡縁起にありがちな夢のお告げ譚になっていると思われた。



この急勾配の丘に武器製造集団がいたのではないか。
それは武雄組と関わったのではないか。

武雄の武雄組は何氏か書かれていないが、物部氏だと思う。
武内宿禰も物部氏だ。

武雄心の祖父の孝元天皇は高良下宮社の祭神だ。
(幸神社の祭神名が孝元天皇だと分かった。
先月書いた幸夫人が祀られている宮が孝元天皇を祀っていた)

この千栗の丘は栄枯盛衰の流れのなか、祭神が変遷していったのではないか。
難波皇子の子の栗隈王の「栗」の字も気になるところだ。



千栗郷は1965年に「北茂安町」となり、
2005年、中原町、三根町と新設合併し、みやき町となっている。

ここまで考察して、ようやく借りていた『北茂安町史』を開くことになった。

町史には、この千栗社についての記述があり、
やはり創建が新しい点と、隣の養父郡司が創建した点に問題を感じ、
それを解決するために、なんと筑後の神々を調べている。

高良玉垂宮、大善寺玉垂宮、山門郡太神(おおが)などだ。
歴史カフェで話題にした所ばかりで面食らった。
特に太神は来週、再びやる所なのだから。



そして、結論はよく理解できなかった。土地勘が必要だった。
ただ、その中で大宰府との関わりが述べられ、
また古くは海部氏がいたことが書かれている点が印象的だった。





そして、るな的シンクロとしては
真鍋の描く大宰府をまとめている最中なのだが、
その中に長門石が二か所出て来た。


長門石(ながといし)
<千歳川の中州に「長門石」が存在する。
神代の昔から宇佐島と天原島を結ぶところであった。>







c0222861_2252720.jpg

ここから見えている手前の所が長門石なのだ。

前回の画像をもう一度出すが、この奥に高良山~耳納山脈が見えている。
神代にはこれが全部海だったという。

こちらが天原島(あまのはる・左佐島)で、向こうが宇佐島(右佐島)だ。
目の前は「ありなれ川」が流れていた。

もう一ヵ所引用しよう。

<千歳川(筑後川)を中にして、南の筑後に田主丸(たぬしまる)、北の肥前に鳥栖(とす)があり、その中間に北野の長門石があります。昔、有明海が水城を通って玄界灘まで潮を差していた頃、これらは船の始点と終点であり、中継ぎの寄せ場でありました。
白鳥座を鳥巣(とのず)星と呼びました。(『儺の国の星』p140)>

この千栗の丘の麓には湊があったことになる。
そうなれば、武雄と千栗をつなぐ重要な湊でもあったのかもしれない。

そして、すぐ北の鳥栖の地名の起こりは白鳥座だったという。
ありなれ川にかかる白鳥座に例えられた。
そうすると、この千栗の丘陵は星の一つか。

真鍋の話は現地に立って、ようやく理解できる。



PS
9月10日17:10:09にドコモのメールで申し込まれたKさま。
返信が戻ってきます。
申し込み受け付けております。





千栗神社
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁2403




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by lunabura | 2017-09-10 22:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご92 千栗八幡宮1難波皇子、宇治皇子が祀られている



ひめちゃご92

千栗八幡宮1

難波皇子、宇治皇子が祀られている
 


朝日山頂上の宮地嶽神社から3キロ程南へ。




c0222861_20521021.jpg

千栗(ちりく)八幡宮に行った。







c0222861_20522777.jpg

思いがけず高い所にある。
地図では想像つかない岬?丘?の上に鎮座していた。

岬か丘といっても今は平地にある。
だが、古代は有明海の波が届いていただろう。

筑後川が東から流れてぶつかり、南へと流れを変える所で、
蛇行がひどい。
江戸時代に直線に工事をしたという。








c0222861_20525312.jpg

だから境内からは久留米の市役所などがよく見えた。

こんな岬は前回の朝日山同様に戦いの争奪の対象になったのではないか。
そんなことも思われる地形だった。









c0222861_20532275.jpg

ご祭神は
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
さらに難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰
となっている。



難波皇子は初めてだ。
<難波皇子>
ウィキペディアによると、

<難波皇子(なにわ の みこ、欽明天皇21年(560年)前後? - 用明天皇2年(587年)?)は、古墳時代の皇族。敏達天皇と妃・春日老女子の第一皇子。
587年8月、丁未の乱で朝廷軍に味方するが、これ以降史書に登場しないことから、丁未の乱で戦死したと考えられる。>

とある。
何故、敏達天皇の第一皇子がここに?

その子は栗隈王だ。

昨日、今日と私の別件の調査に出て来たので、ウィキペディアで確認した。

<栗隈王(くりくまのおおきみ、生年不明 - 天武天皇5年(676年)6月)は、日本の飛鳥時代の皇族。栗前王とも書く。旧仮名遣いでの読みは共に「くりくまのおほきみ」。敏達天皇の孫(曾孫か)、難波皇子の子(孫か)、美努王の父で橘諸兄の祖父にあたる。橘氏の祖である。筑紫率(筑紫大宰)として唐と新羅の使者を送迎し、672年の壬申の乱では外国への備えを理由に中立を保った。675年に兵政官長。贈従二位。>


白村江の後始末をした人物?
福童神社も広嗣を通して大宰府関連だった。

大宰府の問題は大宰府周辺だけで解くのではなく、
この肥前の支えを視野に入れる必要があるように思えてきた。


<宇治皇子>

次の宇治皇子は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のことだ。
応神天皇の子。
変な経緯で異母弟の仁徳天皇の方が即位した。

宇治皇子は志賀島の山中に祀られていた。
宇佐神宮の春宮にも。

佐賀には仁徳天皇を祀る所も多い。
「ひめちゃご」の始まりの「若宮八幡」もそうだったではないか。

神功皇后の孫世代の問題が佐賀には存在するのか。
これ以上は探求したくないのだが。
ちょっと、ため息が出る。

次の祭神、住吉神は八幡、宇佐関係だから当然のこととなる。

そして、最後の武内宿禰。
宿禰は「紀」の武内宿禰と呼ばれる。
紀は和歌山より、こちらの基肄(きい)郡が該当すると思っている。
橘氏と関連あり?
(知ってる人、請う、ヘルプ)


さて、由緒は
<神亀元年(724)聖武天皇の勅を奉じて養父(やぶ)郡司 壬生春成
この地に社殿を造営し創建したと伝えている。
以来、本宮は宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、
朝廷からも厚く尊崇を受けた。>
とある。

夢のお告げが壬生春成にあったらしい。

ここはそれよりも遥か昔から祭られていたはずだ。

横に武雄神社があった。(つづく)




<今回のコース>
1 媛社神社 小郡市
2 福童神社 小郡市
3 大中臣神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
5 朝日山宮地嶽神社 鳥栖市
 千栗八幡宮 三養基郡 
7 物部神社 三養基郡
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原
9 北浦天神 三養基郡
10 雌塚 三養基郡 姫方




PS
本日申し込まれたA・Nさま、受け付けております。
返信が戻ってきたので、こちらに書いております。






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by lunabura | 2017-09-08 20:57 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご91 朝日山宮地嶽神社 葛子は守り抜いたのだろう



ひめちゃご91

朝日山宮地嶽神社 

葛子は守り抜いたのだろう
 




c0222861_2153316.jpg

私たちは姫古曽神社からさらに南西に向かった。
四キロほどの所に朝日山があり、頂上に宮地嶽神社が鎮座している。


鳥栖市の朝日山頂上には宮地嶽神社があるが、
すでに「ひめちゃご38」に訪問のようすを記録している。



ここはチェリーの測量で、総本社の福津市宮地嶽神社がこの真北にあり、
筑紫国造が調べた十連寺古墳上の宮地嶽神社が真南にあることが分かった。

古代筑紫と肥前の南北をつらぬく宮地嶽信仰ラインが存在したのだ。

宮地嶽神社は安曇族の一族である阿部氏だ。
これこそが磐井の姓でもあった。
阿倍磐井という。

その子が葛子。






c0222861_21611.jpg

さて、この朝日山には葛子の伝承があった。
磐井が火君と通婚して葛子が生まれたという。


地図を見ると、ここは物部の福童神社とみやき町の物部神社の中間点にある。
ここで物部たちと戦ったのか。

もともと磐井と物部麁鹿火(あらかひ)が戦う必要はなかった。
大伴金村の差し金で、両者が戦わざるを得なくなった。
結果、磐井は殺されたが、葛子はこの砦を守り抜いたのだろう。

物部麁鹿火は磐井の亡き後数年で没した。

このあと、筑紫はどうなったか。
再び磐井の一族に政権は戻った。

すなわち葛子へ。そして勝村・勝頼へ。

だから、葛子のもう一人の子の鞍橋(くらじ)は百済に派遣され、
百済王子を助けた。
そして、『日本書紀』は鞍橋の本名を抹消した。

だが、真実は蘇るのだ。




c0222861_2163012.jpg





<今回のコース>
1 媛社神社 小郡市
2 福童神社 小郡市
3 大中臣神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
5 朝日山宮地嶽神社 鳥栖市
6 千栗神社 三養基郡 
7 物部神社 三養基郡
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原
9 北浦天神 三養基郡
10 雌塚 三養基郡 姫方










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by lunabura | 2017-09-06 21:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご90 姫古曽神社 蘇る社殿



ひめちゃご90

姫古曽神社 

蘇る社殿
 




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多くの思いがあって、かえって書けなくなっていたのかもしれない。





c0222861_20424860.jpg










c0222861_2043639.jpg

社殿が焼失したこともその一つだ。



ウメがサイバーダイブして、焼失した状況を語った。

しかし、それは書かない事に決めた。
ネットでは思いがけない方に変形していくからだ。


今ふたたび蘇ろうとしている。




歴史的な暗号が謎解きを求めてくる。



小郡の媛社神社に降りた幡はここから放たれた。

この宮は石段を上った所にある。
そう、ここは佐賀の山塊の東部の岬状の所にあった。

幡はこの岬から媛社神社のある岬へ。
そして、再び戻って来た。


この世界にアクセスしようとすると、モヤがかかる。

それは私の遠い記憶と関わるからか。
あるいは関係ないことだからか。



舞い踊りながら降りてくるクツビキとタタリ。

タタリから思い出すククリ。
白山ククリ。

天河弁財天。黄金の光の柱が立った。

再び天山。

広島 厳島神社。創造と崩壊の山。


私の思考はグルグルまわる。

それはそれでいいのだろう。







c0222861_2044432.jpg



「神のミソギ」そんな言葉が浮かんだ。


それから「変容」が始まる。




<2017年9月1日>






姫古曽神社の過去記事五つ。
   
(6)肥前国風土記的ガイド 媛社(ひめこそ)の鄕 「荒ぶる神」とは?





(7)肥前風土記的ガイド 珂是古(かぜこ)





姫古曾神社1 祭神は何故、市杵島姫なのか





姫古曽神社2 市杵島姫とニギハヤヒ





姫古曽神社3 彗星の化身・市杵島姫










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by lunabura | 2017-09-01 20:46 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご88 福童神社2 冬至の太陽は鷹取山から昇る



ひめちゃご88

福童神社2

冬至の太陽は鷹取山から昇る
 



天照国照彦火明命を祀る福童神社に
天文祭祀の気配を感じたことを書くと、
チェリーがさっそく調べてくれた。

以下、コメントから。

<福童神社は耳納連山の最高峰「鷹取山」から 300.0°になりました。
そして、まれな事だと思うのですが、
ちょうどここから冬至の太陽が昇るようです。

方位のラインと太陽のラインが一致するみたいです。
カシミールの画像が正しければの話ですが…

鷹取山というのはどうなんでしょう?
耳納連山の最高峰になりますので、
ラインの立場としては一番の重要ポイントなのですが、
信仰の対象とはなっていないみたいですねぇ…

画像送りますね!>








c0222861_216441.jpg

<今年の12月22日の日の出です。135mm望遠にセットした画像です。
20分前に同じ鷹取山から金星が昇るようです。見えないでしょうけど>

今年の冬至の日の出だ。20分前に金星の出も見られるとは、
かなり特異な日だ。


鷹取山は耳納(みのう)連山にある最高峰だ。
何度か登ろうとしたが、ルートが分からなかったことを思い出す。

そういえば、鷹取山は三つあるらしい。

一つは綾部神社の山、寒水川の上流域にある三角錐の山だったと思う。
あと一つは?
多分、筑後国造が知っている。
チェリーも簡単に見つけるかもしれない。


佐賀は何本もの太陽祭祀ラインがある地域のようだ。



さて、話は変わるが、糸島の「高祖山」の由来について、
別の人から次のような話をいただいた。

<高祖山の「高祖」は、漢の高祖の子孫の阿智王が
伊都国に来て高祖山になったとの由来もありました。>

これもまた興味深い話だ。
ここに追記しておこう。

お二人に感謝。

<2017年8月30日>












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by lunabura | 2017-08-30 21:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(18)

青幡神社 伊万里市 神功皇后の青幡白旗にちなむ宮 松浦党


青幡神社 伊万里市

神功皇后の青幡白旗にちなむ宮

松浦党の祖




c0222861_21292574.jpg

いきなり巨大なクスノキ!
ここは伊万里市の青幡神社です。

伊万里湾の西に鎮座する宮です。







c0222861_21294231.jpg

大通りから入ると古社の風情が迫ってきます。
ここからは横から入ることになります。







c0222861_2130277.jpg

正面に回りました。







c0222861_21302111.jpg

拝殿です。
祭神は武甕槌命、経津主命、比売大神、天津児屋根命。
ほか多数。

縁起が見当たらないので、
『佐賀県神社誌要』から口語訳します。

本社、社号及び二の宮白旗神社の社号は、神功皇后征韓の軍旗に始まる。

神功皇后が三韓を征する時、まず神代の天の磐戸の神事に
青と白の幣が使われたことにちなんで、青幡、白旗をつくり、
左右の先鋒旗にされたという。

その後、後冷泉天皇康平6年(1063)、
鎮守府将軍の源頼義が八幡宮を鎌倉に勧請する時、
青幡を陸軍神、白旗を海軍神と定めて左右の摂社として奉鎮した。


青幡、白旗は神功皇后にちなむものでした。
天の磐戸の神事があった所といえば、志賀島の神遊の瀬を思い出します。
そこで皇后は神楽を奏したといいます。

その神事の幣は青と白だった訳ですね。

それにちなんで青幡、白旗を造って左右の先鋒旗にされたという。

この戦いの縁起絵巻が各地に伝わっていますが、
紅白のケースと青白のケースがあります。

紅白の旗は宗像の織幡神社で造らせた縁起があります。
それは長手というものになるので、
ナカテではないかと話が盛り上がったことがあります。

そう、運動会の門に紅白の螺旋を巻くやつ。
ルーツがメイポールダンスと関連してましたね。



話を戻しましょう。
この青幡白旗は鎌倉で陸軍神、海軍神のシンボルとなったそうです。
これは初耳で、興味深いですね。





c0222861_21311667.jpg

さて、縁起の続きです。

近衛天皇久安5年(1149)、源太夫判官松浦直が松浦党の主領として
その政庁を当国松浦郡山代郷、里村に開設し、
南北百間の鬼門の相として青幡神社を創建し、鎌倉八幡宮の末社とし、
郷の宗廟と定め、また白旗宮を伊万里の境に建てて二の宮とし、
共に家門の安泰武運の長久を祈る。


松浦直についてですが、
ルーツは嵯峨天皇の皇子融だそうです。

融が源の姓を賜り、その融の八世の孫源久がこの松浦郷に西下して松浦氏を称し、
松浦党の祖となりました。

その久の長子が源直だということです。

ここは東山代という所ですが、館を設け、政庁の鎮守として青幡神社(一の宮)、
白旗神社(二の宮)および宝積寺を創建したそうです。
(境内掲示板より)



松浦党の歴史、初めて出会いました。



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佐賀県伊万里市東山代町里348






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by lunabura | 2017-08-15 21:34 | 神社(ア) | Trackback | Comments(0)

お勧めは「国立国会図書館デジタルコレクション」



お勧めは

「国立国会図書館デジタルコレクション」



今日は次の神社の縁起を調べるために
『佐賀県神社誌要』を読み込んでいて、時間切れとなりました(^^;

この本は「国立国会図書館デジタルコレクション」→
「佐賀県神社誌要」で検索すると出てきます。

リンク先は以下。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020648








c0222861_2150476.jpg

こんなページです。

この本は目次が付いていないのが難点です。

で、最初から順番に探していったのですが、
福岡県と違った趣があって、はまり込んでしまいました。

一番最後に祭事日程一覧表とかがあるので、
これが目次代わりに利用できるかなと思います。

やはり景行天皇、神功皇后関連は創建の事情が分かりやすいです。

水軍が住吉水軍がメインの所、安曇水軍の所など、
エリアで分かれています。
宗像は三女神が山々にずらりと祀られているのが興味深いですね。

本格的には各市町村誌が必要ですが、
とりあえず、導入としていいかなと思います。

私は他にも、「福岡県神社誌」上中下「太宰管内志」など、利用しています。
「福岡県神社誌」は分量が多いので目次だけ印刷しておくと便利ですよ。
(と言ってる本人は一部しか印刷してないけど(^^;)

50年以上前の地方誌は大体読めそうですねえ。
誰でも読める!すごい時代になりました^^


面白い本を見つけたら、教えてくださいね!



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by lunabura | 2017-08-14 21:52 | にっき | Trackback | Comments(2)

淀姫神社 伊万里市「末羅県鎮守の霊場」



淀姫神社 

「末羅県鎮守の霊場」
豊玉姫を祀る宮
 
伊万里市大川町

伊万里(いまり)市から武雄(たけお)市に抜ける途中、
山中で通行止めに遭った話を前回したが、迂回する途中で、淀姫神社の前に出た。







c0222861_22113795.jpg

「こんな所に大きな淀姫神社がある」
「お参りしなさいということだね」
ということで参拝した。

佐賀には淀姫神社が多い。
既に何社か記事にしているが、すべてが川の合流点にあった。
川の氾濫を鎮める女神だと総合的に考えている。








c0222861_22115510.jpg

こちらは神社の前の風景。盆地のようにもみえる。
地図を見ると、松浦川に支流が流れ込む小平野のようだ。

この小平野も何千年もかけて激しい雨に流された土砂で形成されたのだろう。

ここは佐賀県伊万里市大川町大川野。








c0222861_22121651.jpg

いかにも古社らしい風情がある。









c0222861_22123619.jpg

参集殿だろうか、
まるで武道館のようにも見える建物に心が引かれた。

お武家が少年剣士たちに武道を教えていそうな、
映画の舞台になりそうな雰囲気のある建物だ。





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御祭神:與止日女命・建御名方神・菅原道真公








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神殿が白色で珍しい上に、女神の華やかさがある。
右手には龍と波が描かれていた。與止姫そのものだ。




幸いにHPがあったので、由緒の一部を引用しよう。
 

【由緒】
大川野盆地中央の伏熊山に鎮座する当社は 第29代欽明天皇の御代24年(563年)に御鎮座されたと伝えられています。

古代、『魏志倭人伝』に登場する末廬国(まつらこく)が唐津地方に栄えた頃であり、古くは「末羅県鎮守の霊場」とうたわれました。

かつては「河上大明神」と称されており、松浦川の鎮守の神でありました。現在も鳥居の扁額は「河上社」と掲げられています。

 與止日女命(ヨドヒメノミコト)を主祭神とし、後代に建御名方神(タケミナカタノカミ)、菅原道真公を合祀しています。

この建御名方神は、古くは長野原の古鳥居(現 肥前長野駅の北側)にあった「諏訪大明神」の御祭神で、今から千年以上前に合祀されたと伝えられています。



前回は武雄の磐井八幡宮を紹介したが、
欽明天皇は磐井の次の時代の天皇だ。6世紀の鎮座だという。

ここは末盧国のエリアでもあるらしい。






【與止日女命 (よどひめのみこと)】

与止日女命はまたの名を豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)といい、海神・大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘にあたります。

 記紀神話では海神・大綿津見神と豊玉姫命は、海神宮(わたつみのみや)にやってきた火遠理命(ホオリノミコト)=山幸彦に、潮の満ち引きを自在に操る「潮満玉(しおみつたま)・潮干玉(しおひるたま)」を与えます。

陸に戻った山幸彦は、低い土地や高い土地に田んぼを作りますが、水をつかさどる玉を持っているので、いつも豊作となります。

豊玉姫命が五穀豊穣の神様として祀られる由縁です。古来、大川「松浦川」の氾濫に苦しんだ人々が、潮満玉・潮干玉を以って水を自在につかさどりたいという願いが垣間見えるようです。

 また、豊玉姫命は、山幸彦と結婚し身ごもりますが、天の御子を海の中で産むわけにはいかないと、陸に上がり浜辺に茅(かや)の代わりに鵜の羽で産屋を作ります。

しかし途中で産気づき、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を「鵜の羽も葺き終わらないうちに」あっさりと出産されます。このことから、縁結び・安産の神様としても信仰されています。


やはり、松浦川の氾濫を鎮める神として淀姫を祀ったようだ。
與止姫を豊玉姫とする例は時々見られる。
本来、與止姫は豊玉姫とは別神で、
夜渡(よど)七十の津波を鎮める神だと考えている。

夜渡七十とは七十年に一回、有明海から津波が遡上する現象をさす。
夜渡祭があるところは、津波の喫水線に当たることを
数年前に調べた。

真鍋は七十年というサイクルは、この夜渡七十に限らず、
災害のサイクルだということを言い伝えている。
今がその時なのだろうか。

さて、
豊玉姫は玉依姫とともに、潮満珠、潮干珠と考えられている。
豊玉姫は潮満珠なので、津波の寄せ波の象徴でもあり、
與止姫と同じといえば同じ現象なのだ。

「トヨ」と「ヨド」が混同されるようになったのだろう。




参照 河上大明神 淀姫神社 HP
http://www2.ihn.jp/~t-nk.410/index.html

鎮座:佐賀県伊万里市大川町大川野






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by lunabura | 2017-08-13 22:19 | (ヤ・ラ・ワ行)神社 | Trackback | Comments(4)

磐井八幡宮2 磐井の乱の3年前に築造した砦



磐井八幡宮2 

磐井の乱の3年前に築造した砦





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磐井の丘にどんどん近づいてます。






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こちらが正面。右手に駐車場があります。







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参道は簡易舗装になっていて、
小さくて馬力がある車なら登れそうですが、
最後に急カーブの急坂があるので、覚悟してください。








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歩いて行くと、こんな景色が見えます。
双峰の御船山です。神功皇后の船が山になったという。


武雄神社がありますね。

主祭神は武内宿禰です。父の武雄心命も祀られています。
組織は武雄組というようですが、
系譜からいうと物部氏ではないかと思っています。


磐井の時代はどのようになったのでしょうか。
物部氏なら、のちに戦うことになります。







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いよいよ社殿の前の石段を上ります。








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拝殿前に出ました。

磐井の砦跡なので、「磐井」の社号はついてますが、
祭神は応神天皇で、磐井は祀られていません。


磐井がこの砦を築いたのは524年。
磐井の乱が527年ですから、3年前だったことが分かります。
磐井が領土を広げていく中で、ここにも拠点を置いたのでしょう。

砦があるということは本丸があるのでは?

すぐ近くの柏岳(238m)がふさわしいように思われますが、
ざっと見て、その記録は見当たりません。
ご存知の方は教えてください。



帰り道、高橋駅前を通過しました。
武内宿禰がこの「高橋の津」を奪還したのでしたね。
福母八幡宮あたりで調べました。



また、朝倉林田の美奈宜神社の社伝には神功皇后の船は、
この高橋の津に凱旋したと書かれています。
(上巻43)


磐井がここを重要な拠点と考えた理由に
この「高橋の津」の存在が挙げられるでしょう。
湊は絶対条件ですよね。


また、書いていて気になったのが、この地名の朝日町です。
もう一つ砦がありましたが、鳥栖市の朝日山山頂でした。
共通するのが「朝日」という地名。
何らかの符合を感じるのですが。
これも情報があったら教えてください。



この近くには「がばいばあちゃん」のロケ地となった
淀姫神社があります。
神功皇后の妹の豊姫がここで亡くなりました。

そこには「武以」が祀られています。
仲哀天皇の重臣の大伴武以だと思っています。
また、武内宿禰の母山下影姫に関わる黒尾神社。
などなど。
既にいっぱい書いている。
曖昧なままでは困りますね。(^^;
この周辺の過去記事を復習する必要がありそうです。


この磐井八幡宮は次著でも紹介します。

磐井八幡宮
武雄市朝日町中野5483










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by lunabura | 2017-08-12 21:17 | 神社(イ) | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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