ひもろぎ逍遥

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磐井の後の時代って



今日は歴史カフェのテキストの吟味をしました。


鞍橋(くらじ)君が活躍した年だけでなく、その前後の年も訳しました。

すると、百済は何度も「筑紫」を指定して援軍を頼んでいるし、
倭国軍も安羅に駐屯していたりしていて、
新羅の拡大政策に対抗している時代でした。

百済王子が倭国に居たり、
それを筑紫舟師や筑紫火君が送り届けたり。

筑紫が舞台の話が満載です。

百済使者と会見した場所など、
福岡の古代で見つけなければならない課題が随所に出てきます。

卑弥呼の家探しもいいけど、もっとすべきことが沢山ありそうですね^^




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これは鞍手のゆるキャラ。
名前は何だろう。

まだ無い?

銀冠を付けていますね。銀冠君だな。
どうやら、鞍橋君の次の時代の人のようです。

現物は4月13日のバスハイクで見て来ます。
(やけに鞍手がつづく (;’∀’))



歴史カフェの方では、八女のお宮の話もしますね。





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by lunabura | 2017-04-03 21:55 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご22 岩戸山古墳に食い込む太神宮の怪



ひめちゃご22

 岩戸山古墳に食い込む太神宮の怪
 


八女津媛神社のあと、岩戸山古墳に向かった。

何十年ぶりだろうか。

岩戸山古墳は筑紫君磐井の墓に比定されていて有名だが、
やはりアプローチは狭くて分かりにくい。

かつての記憶に残る小さな倉庫は歴史資料館になっているようだが、
これも新しく作り替えられる寸前だった。

岩戸山古墳に関してはまだ投稿していないような気がするが・・・
記憶があいまいだ。





あらためて「ひめちゃご」で「太神宮」の重要性を知ってから、
脳裏に浮かぶのが岩戸山古墳に食い込む、この「大神宮」の存在だった。





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岩戸山古墳の「太神宮」は前方後円墳のくびれ部に食い込んでいる。
明らかに墳丘の築造後に意図をもって建立されたものだった。









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測量図を見ると、古墳の主軸は東西だが、やや南に振っているような印象だ。

これに対して太神宮の主軸は南北だが、やはり西に振っている。







住所は八女市吉田字甚三谷。

「福岡県神社誌」を調べると、
「村社 太神宮 八女郡長峯村大字吉田字甚三谷」がある。
これで間違いないだろう。

この祭神は「大日孁貴尊、菅原道真」となっている。

由緒は不詳だが、菅原道真は字屋敷村の天満宮を大正11年に合祀し、
この時、社号を「村社 太神宮」と改称したとある。

「太神宮」に改称する前の社号は書いていない。

境内神社に松尾宮(大山咋命)祇園社(素戔嗚尊)がある。

以上から、「太神宮」は「大日孁貴尊」のみを祀るものとなる。
「おおひるめのむち」
アマテラスの別名とされるが、これも容易に習合させてよいものか、
段々と慎重にならざるを得ない。

同じものを指すとしても、時代や背景など違うものがあると思われ、
その呼称を使うということに、祀る人たちの意図が秘められているからだ。





何故、磐井君にオオヒルメノムチ?



この「太神宮」の問題は墳丘に食い込んでいるだけではない。

かつては後円部の頂上にも鎮座していたのだ。









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太神宮に向かって左手に鳥居と石段がある。
そこから墳丘に上って行けるようになっている。

まっすぐに前方部の頂上に出る。









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そこに、松尾宮があってまずは驚いた。











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3つの松の紋だが、三階松とは重なり方が違う。
しかも祭神が大山咋命なのだ。
これまでの松尾宮に対する捉え方を考え直さねばならなくなった。







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そこから主軸に沿って墳丘上を歩くと後円部に玉垣が見えてくる。









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磐井を祀ると思いきや、太神宮旧跡とあった。

つまり、磐井君の真上に大日孁貴が鎮座するというのだ。
これはいったいどういうことだろうか。

単純に敵方と考えるのも短絡的過ぎるが、
もし、そうなら、封印的なものと捉えざるを得ないような在り方だった。


鎮魂のために墳丘の上に鎮座したとは考えにくかった。

この太神宮の存在がずっとなじめずにいた。
今、中大兄皇子の祭祀を知ってからも、やはりいぶかしさが取れないままだった。

いったい何のために太神宮が古墳上に造られたのだ・・・








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by lunabura | 2016-10-03 23:04 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご 21 八女津媛神社 聖なる地



ひめちゃご21

八女津媛神社

聖なる地
 





昨年、炎のピラミッドからの帰り道。

阿蘇から八女に行くルートを探しながら、山越えが出来ないかと考えた。
古代に阿蘇と八女を行き来する人たちがいたはずだという思いがあった。

松原ダムからの道路標識に八女への矢印が出ているのを見つけた。
ダムが有るほどだから現地は深い山の中だ。

そこから筑後平野に抜けることができることを確認した。

古代の道そのものでなくても、山越えを体感したかった。

そのルート沿いには鯛生金山(たいおいきんざん)があり、
カメルーンのサッカー選手をもてなした中津江村がある。

そして、八女津媛神社もそのルート上にあった。

 矢部(やべ)村に出てひとまず「杣(そま)のふるさと文化館」をめざす。
そこからの道は車が離合できないほど狭く曲がっていた。

しかし紅色の幟が道案内代わりに次々に立てられていたので、
安心して深い山に登っていった。



 逢いたかったのは八女津媛神。





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そう、それは景行天皇の所にその名が出てくる女神だ。

6月には阿蘇にいた景行天皇は
秋7月4日、筑後の御木(みけ・三池)に至って
高田行宮(かりみや)に滞在した。

この高田行宮へ案内したのは宇津羅姫だった。
書紀には書かれていないが、釣殿宮(つってんさん)の傍に眠る女神だ。
(ひめちゃご17)

その三日後、7日には八女県(やめのあがた)に着いた。


それから久留米の藤山を通り、南粟岬(みなみのかたあわのさき)から
はるかに山を眺めた。


景行天皇は水沼県主(みぬまのあがたぬし)の猿大海(さるおおみ)に尋ねた。
「山々が重なってなんと美しい所だ。神があの山にはいらっしゃるのか」
「女神(ひめかみ)がいらっしゃいます。名を八女津媛といいます。
いつも山の中におわします」
と猿大海は答えた。

こうして八女(やめ)国という名がついた。

有名な景行紀のくだりだ。


さて、久留米の赤司八幡神社に屋敷があった水沼の猿大海は
景行天皇を自分の屋敷に連れて来たという。

そこで天皇はみずから祠壇をかまえて三女神を祀った。
三女神を道主貴(みちぬしのむち)ともいう。
これは筑後川の話である。


書紀によると、8月、天皇は浮羽(うきは)に着いている。

そうすると、景行天皇が赤司八幡神社に行ったのは7月のことだろうか。
これも書紀には書かれていなかった。




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八女津媛神社。
「存在」を感じずにはいられない。




手を合わせて境内を離れる時、何かが光った。






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振り返ると、女神像に朝日が当たり始めていた。







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聖域。
そのものが今に伝わっていた。











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by lunabura | 2016-09-29 22:00 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご19 離石神社 イザナミの磐座



ひめちゃご19

 離石神社 イザナミの磐座
 


奥八女の宮に戻ろう。
最後に参拝したのが「離石神社」だ。「はなれいし」と読む。







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この磐座の画像。
「はなれいし」と言われながらも、「はなのいわや」と聞こえたのが
この奥八女の旅のきっかけだった。

「はなのいわや」は「花窟」と書く。
三重県熊野市に鎮座する宮だ。
イザナミの墓所とも言われている巨大な磐座がある。






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遠くかけ離れたここ、筑紫の八女の奥にある離石神社も祭神は「イザナミ」だという。

偶然にも紀州と奥八女がつながった。






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それにしても、どうしてこの白木川沿いにイザナミが単独で祀られているのか。

以下のように「福岡神社誌 中」を見ても由緒は分からない。

「村社 離石神社 八女郡白木村字東一ノ瀬
祭神 伊邪那美神
由緒 不詳、明治6年3月24日村社に列せられる。
例祭日 11月15日」


祭神は「伊邪那美神」一神だけなのだ。
一柱だけという宮はとても珍しい。

いったい誰が磐座を置き、イザナミを祀ったのか。





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ご神木は楠のようだが、この楠が磐座群に食い込んでいる。
樹齢はまだ1000年には満たないだろう。

楠はこれからさらに巨大化するので、残念ながら磐座群は破壊されていく。
これも自然の営みか。

原型を見てみたいという思いはある。









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拝殿の彫り物の豪勢さは当時の信仰の篤さを示している。
菊紋だろうが、小菊のように見える。





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花窟との関わりは同じ「イザナミ」を祀るという事以外には分からない。




しかし、チェリーが意外な測量図を送って来た。


それは大地に描かれる二等辺三角形を示した地図だが、
その底辺の左のポイントには七支刀の「こうやの宮」があり、
右のポイントには「小国両神社」があった。

「小国両神社」は阿蘇山の「炎のピラミッド」を形成する一社だ。

「こうやの宮」と「小国両神社」を底辺とした二等辺三角形の頂点には
「麻氐良山」があった。

その「麻氐良山」(まてらやま)こそ、
中大兄皇子が母の斉明天皇の命乞いのために
麻氐良布神社の複数の祭神の中で、イザナミだけを降ろして祀ったという山なのだ。
だから、イザナミは消えている。

これが今月の歴史カフェのテーマに連なってくる。

この離石神社はその二等辺三角形とは関連はないのだが、
「ひめちゃご」としては「イザナミ」というキーワードが浮上した。

「花窟」(イザナミ)-「離石」(イザナミ)-麻氐良布(イザナミは朝倉橘広庭宮のそばに)

イザナミは日本神話の大母たる女神であり、
黄泉の国の住人となった哀しき女神でもある。


このタイミングでイザナミの話をするとは思いもよらなかった。

堂々巡りの大きな螺旋に呑み込まれていくのだろうか。
大地母神たるイザナミの螺旋に。

何故、中大兄皇子がからんでくるのか。

答えはまだ見えない。



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by lunabura | 2016-09-21 20:34 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご15 天道、乙姫、於保美和



ひめちゃご15

天道、乙姫、於保美和
 




ついでと言っては何だが、
ミナツキが気にしている「天道社」が太神(おおが)にもある。
祭神が「天下皇神」とだけしか分からない。

面白いことに、それは溝を隔てて「乙姫神社」と背中合わせに建っているという。

「乙姫神社」は先述のように祭神が「豊玉彦・豊玉姫」だが、
慶応4年の由来縁起には
「川上明神、祭神罔象女(みずはめ)神・瀬織津姫神」と書かれているという。

水の女神たちだ。これまでに出て来た神々である。

近くの川の名を調べると、矢部(やべ)川ではないか。

あの釜屋神社の美しい緑の水はここに流れていた。

そして、松尾弁財天の横を流れる辺春川も矢部川に注いで
この太神宮・釣殿宮のそばを流れていくのだ。
その水源の山が犬岳となる。

これまでの一連の水の女神と中大兄調査は矢部川で結ばれていた。

中大兄皇子を追ってここまでやって来たことが、
無関係ではなかったことに驚かされる。





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(釣殿宮の東側面)





今、「ひめちゃご」の旅は矢部川の中流から下流域を辿ったことになる。



ここ、みやま市は中大兄皇子の時代はまだ有明海の波に洗われていた。
点在する島の中、皇子は釣殿宮から犬岳を望んだ。

その山こそ矢部川の水源の一つであり、
春分・秋分の日の出に輝く山だった。


「ひめちゃご」で何を知らされているのか。
中大兄の足跡から、おぼろげに見えてきた気がする。




さて、この「太神」(おおが)という地名は、
「倭妙類聚抄」では「於保美和」(おほみわ)と読み仮名が付けられていたという。

「大神」で「おおみわ」と読ませるのは他に、
福岡市東区の大神神社がある。

神功皇后が船舶を集めたが集まらず、大三輪の神に祈ったと

『日本書紀』に書かれた所だ。

共通するのは鉄。

このみやま市の「太神」(おおが)にはかつて鍛冶屋がずらりと並んでいたという。
東区の「大神神社」の裏手の古墳群では古代製鉄所の跡が発見されている。
(『神功皇后伝承を歩く』下巻68大神神社参照)




さて、さらに。

チェリーによれば
犬岳と麻氐良(まてら)山には繋がりがあるという。

ちょっと驚いた。
麻氐良山からイザナミだけを降ろして祀ったのが中大兄皇子なのだ。

母の斉明天皇の病気平癒の祭祀と考えている。
そこに今なお謎とされている「橘広庭宮」の位置が書かれている。

これが9月の歴史カフェのテーマと重なって来た。

そして、「ひめちゃご」の矢部川の旅の始まりとも。


めまいのように思える水のきらめきの幻想と倭国の終わりの時。

そして、ヘバルとヤーベ。



その深淵を覗くことに、たびたび立ち止まりたくなる。
それでも、一歩ずつ、書いて行こうと、その都度心に言い聞かせている。






ちなみに、星読が行きたいと言っていた「田中物部神社」も
釣殿宮から西に300mといったところか。


矢部川










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by lunabura | 2016-09-13 21:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご12 松尾弁財天4 裏の小道と中大兄と



ひめちゃご12

松尾弁財天4 
裏の小道と中大兄と
 




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磐座の左手には小川を隔てて神楽殿?がある。
この宮では浮立(ふりゅう)が行われていたそうだ。









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その裏手に回ると灯篭が不思議な場所に立っていた。









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そこから上流を見ると石を横たえただけの橋があった。
向こうには小道が続いている。
橋から振り返って灯篭を見ると、この道が正面参道になっているのが分かった。

この宮には二つの参拝道があったのだ。
この道は上流の方、山手からここに下って来る参道だった。




この険しい山中、弁財天に参拝する人は二つに一つ。
厳しい沢登りをするか、
反対側から登山してここに下ってくる方法しかなかったのだろう。

今は、社殿のすぐ上に舗装道路が出来ているが、
これは工事用の道路なので、それを突き進むとラフロードになるという。

反対側から登山する人たちはいったい何処から来るのだろう。
そう、松尾弁財天の西にはみやま市があった。






ちょっと、息をのんだ。




みやま市には中大兄皇子が朝夕祈ったという「太神宮」(だいじんぐう)がある。
そこに行ったばかりだった。

太神宮では、ひもろぎを立てて「朝夕」祈ったという話と
毎朝「東方の朝日」を拝んだという話が見つかった。

中大兄皇子が何故、みやま市の太神(おおが)にいたのか。
それは「乞食の相」があると言われ、即位前にその相を果たそうとしたからだ。
流れ着いたのか、導かれたのかは分からない。

この時はまさしく白村江の戦いで倭国軍が負けたあとのことだ。
襲来する敵を迎え討つために水城や狼煙台を作ったという。

この話には潤色が見られるが、それはそれとして、
筑紫君は捕虜となって連行され、倭国は崩壊した。

日本国の盟主となるはずの中大兄が何故すぐに即位しなかったか。

それは先ほど述べた「乞食の相」を果たしている時期があったからだという
話がここにはあった。

皇子は有明海近くに到達し、朝夕の祈りを捧げたというのだ。
あるいは東方の朝日を。

その方角には松峡八幡宮を含む山塊があった。





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これは太神宮から西南400mほどの所にある住まい釣殿宮から東を撮ったもの。
何の山が見えているのだろうか。









次回の歴史カフェでは「中大兄皇子の即位前」と
「斉明帝崩御ののちの筑紫での足跡」を辿る話をする予定だ。

多分、二回かかるのだろうが、
実は歴史カフェのお題は内なる響きで決めている。
このタイミングで中大兄皇子の乞食時代に至る話をするのは、
もしかして…
そう、もしかしたら、皇子は松尾弁財天のある山塊を拝していた可能性もあるのだ。


「松尾」といえば、「松の尾」すなわち倭国(九州王朝)の末裔を意味する。
唐・新羅連合軍に敗して倭国の前途が失われた時、
中大兄が祈る場所が何故にみやま市の瀬高でなくてはならなかったのか。

皇子は偶然辿りついたのか。
そうではなく、意図的にこの地を選んだのか。
また、考えなくてはならない祭祀線が出て来た。

中大兄とつなげる必要はないかもしれないが、
少なくとも、私にとってはシンクロニシティ―だった。


さて、拝殿に掲げられていた由緒書きには
当社には山門郡山川村中原から伝承された浮立があって、中断しているという。

山門郡(やまと)は今、みやま市という。
やはり、あの山越えの道を通っての信仰があった名残ということになろう。



柳川藩の殿様も通ったのはこの道だろう。







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by lunabura | 2016-09-04 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(31)

ひめちゃご11 松尾弁財天3 大穴貴と狭依毘売を祀る宮



ひめちゃご11

松尾弁財天3
大穴貴と狭依毘売を祀る宮
 


八女市の3号線に沿った辺春川からさらに支流の松尾川に入って細い道を走る。





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行き止まりのような所に松尾弁財天はあった。








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鳥居に華麗な彫刻が施されていた。
ウサギということは、大国主を象徴するのか。
ここには大己貴が祀られているという。






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苔むした石段が美しい。








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石段はいくつもいくつもあるが、上りやすい。









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渓流沿いにある道だった。

あとで思えば、石段が作られる前は沢登りをしていたのだろう。








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江戸時代、柳川藩の立花の殿様が参拝して子を授かったということで、
立派な社殿が建てられている。

ここは子宝祈願の社だそうだ。


石段もまたその時に造られたのだろうか。
その前までは、かなり厳しい参拝だったに違いない。



松尾弁財天の正式名は由緒では「厳島神社(弁才天社)」となっていた。
祭神は「大己貴命または狭依毘売」となっている。


不思議な組み合わせだった。
狭依毘売は市杵島姫の別名だと『古事記』には書かれている。


大己貴命の妃はタゴリ姫と多紀理姫(あるいはタギツ姫)なので、
この二女神との組み合わせなら理解できるのだが、
物部に嫁いだイチキシマ姫と一緒だというのだから困惑する。

宮の住所は立花町大字上辺春字松尾となっている。








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この拝殿の神々が日々見ているものは磐座だ。


本来、この磐座が祭祀の始まりだったのだろう。








「ここには白蛇さまがいるという話です」と教えられた。
参拝者は卵を持っていくという。

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木の根が蛇の姿を取っていた。






幼な子が「こっちに来て」と私を川に誘う。
この宮の神縁で授かった子だという。
それなら耳を傾けねば。







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連れられて、川を見ると底が赤かった。
この川は鉄分を含んでいるのだ。

最初にこの川を遡ったのは鉄の民か。
彼らが出雲の神を祀ったのか。
鉄を与えてくれる聖なる川として。

それから、水の神である狭依毘売を祀ったのかもしれない。


思えば狭依毘売を祀った宮を参拝したのは初めてのような気がする。
イチキシマ姫とサヨリ姫は本当に同一神なのか。
そんな思いもつきまとう。



この八女には緑の川と緋(ひ)の川があることになる。

緑の川を辿った民はセオリツ姫とミズハノメを祀り、
赤い川を遡った民はサヨリ姫を祀った。

水の女神でも名が違う。

銅の民と鉄の民と分けてよいのだろうか。
あるいは安曇と出雲。

辺春(へばる)という地名の「春」の字は浮羽(うきは)の山春の字も想起させる。
加茂と物部。




そんな古代の民に思いを馳せた。






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by lunabura | 2016-09-03 21:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(8)

ひめちゃご10 松尾弁財天2いしわり



ひめちゃご10

松尾弁財天2
いしわり
 



チェリーが画像を作製してくれた。
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この画像がカシミール3Dではこうなる。

c0222861_20112614.jpg

比較すると驚きの精度だ。
見えている山脈にはチェリーのコメントに散見される女岳と男岳がある。
そしてその奥に覗くのが石割岳。
三つのピークがほぼ等間隔に見えている。





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二上山に見えたのは日向神(ひゅうがみ)の石割岳と平野岳だった。
標高は1000m近いそうだ。



この二つの山の名が分かって、ようやくこれからの記事を書く心の準備が出来た。

禁忌なのか。
封印なのか。
手を止める感覚があった。

自己の中からのものか、他者のものか分からないが、
それは閉ざされていた。

しかし名前が分かったから、もう前に進める。
そう思った。




が、何故、名前が知りたかったのか。

私は何故この遥けき二上山の名にこだわりを持ったのか分からなかった。

ただ、これから歴史に埋もれた神々の叙事詩を辿るに当たって、
何らかのサインが欲しかった。
「それで良い」というサイン。




そう思っていると、リラから連絡があった。
リラは言霊や数霊で紐解くという。

「石割」とは「意思を割って神々が出てくる」という意味だと、
リラ自身が思ってあの山に登ったという。

行ってみると石割岳には割れた石が沢山あり、
隣の平野岳は磐座だらけだったという。

また、日向神ダムの傍の巨大な磐座が「けほぎ岩」で
日向神社の境内にあるのは「けほぎ石」だとも教えれくれた。

県外の方は何処の話が分からないかもしれないが、
これもまた福岡の話だ。





リラが語るには、これまでやって来たことが、このブログと繋がっていて、
これまでの謎が解き明かされているのだという。

「いしわり」
そうか、封印を解いて古代の神々が出てこようとしているのか。
ようやく自分がこだわった理由が分かった。


これで失われた神々の世界に旅立つ心の準備が出来た。
が、目的地は分からない。
着地点さえも。


                         



                        2016年9月2日

※メールやコメントありがとうございます。
返事は後日しますね。



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by lunabura | 2016-09-02 20:14 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(15)

ひめちゃご9 馬蹄石はテーマだったのか



ひめちゃご9

馬蹄石はテーマだったのか
 


完成させたかったものが、一日遅れだが、完成した。
あと一ふんばり、詰めを済ませたら一段落する。


神社の記事を書くときには縁起や神社誌や郷土史などを集めて
読んでから書くので、かなりの時間がかかる。

今、その時間がないので、その日出会ったテーマを書いているのだが、
それが「ひめちゃご」の伏線を知ることになった。

この共時性はどうなっているのか、と驚く日々だ。

みやま市の太神宮(だいじんぐう)から天智天皇が朝夕祈った東に見える山脈に
松尾弁財天があるとチェリーが言う。

ドキッとした。

実は、松尾弁財天の記事を書こうと資料を見たりしていた所だったのだ。
「大国主」と「サヨリビメ」(イチキシマヒメ)という不思議な組み合わせは
新たな謎だった。

そして、そこから見える山脈の峠に見える二上山の謎。
チェリーによれば、日向神(ひゅうがみ)の山だという。

これには肝を冷やした。
もう既にギンとミナヅキが次なるターゲットとして準備を進めていた所なのだ。
直観のおもむくままに。

道草をしているようで、まるで双六のように次の場所へと導かれている。

籠りながらも、話は進んでいる。



何を探せばいいか。

それは、もう一つのテーマ「馬蹄石」だ。

「馬」のテーマは釜屋神社で提示されていたことに気付いた。
そう、馬の神紋だ。
あれは神紋ではない、とリラから示唆があった。
神紋の位置にある馬の彫刻。
それが「ひめちゃご」のもう一つのテーマを提示していたことが分かった。


皆さんの協力のお陰で馬蹄石の例が五つも見つかった。
共通するのは安曇と地主神。あるいは安曇と渡来神との領土の争奪だ。

まるでインドのラーマヤーナを見ているような幻惑を覚える。
日本神話が体系化される前の神々の叙事詩を見せられているような、
そんな世界だ。

八女(やめ)は磐座の世界なのだ。
神馬が駆け巡る。


「ひめちゃご」は「ひめちゃGO」なのか。
籠っとる場合じゃないと言われているような…(´・ω・`)








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by lunabura | 2016-09-01 22:29 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご8松尾弁財天1神社の上方から見える二上山



ひめちゃご8

松尾弁財天1 八女市
神社の上方から見える二上山
 



松尾弁財天について、ゆっくりと記事を書きたいのだが、
ここから見える遠い山の事が気になってずっと書くことができずにいる。


本殿についてはまた改めて書く予定だが、
この神社の上方に工事用の舗装道路が出来ていて、
そこから山並みの峠の向こうに二上山が見えるのだ。



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c0222861_229411.jpg

写真を撮った所は谷の上方で、道は谷に平行している。




c0222861_2292054.jpg

少し移動した所から。





現地では東北よりではないかと推測して、
山の形から英彦山ではないかと思った次第。

チェリーさんに画像を見せずに質問して迷惑をかけてしまった。

この景色は空気の澄んだ日でないと見えないだろう。

このV字の重なりを延長した所をカタカムナではイヤシロチという。

古代の人はこの景色を知って、祭祀をしたのではないかと思うと、
山の名が知りたくて筆が止まってしまった。



地名に「浦」がついているそうで、
経験から、山にある「浦」は展望が効く所に付いている。

分かりやすい例として
「月の浦」は対岸の宮地岳に月が稜線に沿って昇るのが見える所、
そんな感じだ。

ここもこの稀有な景色見えるのが「浦」が付く理由ではないか。

ところで、何の浦なのか、忘れてしまった。
きっとギン、ミナヅキがコメントを入れてくれるだろう。



マップを出そうとしたが場所も分からない。




※コメントの返事は明日までお待ちくだされ。



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by lunabura | 2016-08-31 22:16 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(11)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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