ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

タグ:大分県 ( 8 ) タグの人気記事

ひめちゃご41 「宇佐と六嶽は均し」



ひめちゃご41


「宇佐と六嶽は均し」
 


『八幡宇佐宮御託宣集』に「波豆米」の名が出て来た。

「波豆米」
読み方は分からない。
一応「はづめ」と呼んでいる。
宇佐神宮の禰宜だ。
女性。

これを見て思い出した。
彼女の名は「鞍手町誌」に出ていたはずだ !

そう思って資料を開くと、やはり載っていた。

波豆米は六嶽神社に参拝していたのだ。

「六岳神社降臨紀」という縁起書があるらしい。
そこに次のように書かれているという。
(読みやすく改変)

<養老2年(718)、宇佐の祢宜、辛島勝波豆米という人、ゆえ有りて
この御社に参り至ったが、室木の長田彦の裔孫・室木ノ国彦というものが、云々

この時、辛島氏が
「このお宮は吾が宇佐宮に均しければ、よろしく宇佐の第二宮と称し奉るべきである」と言ったとある。>

これは享保五年(1720)の記録だ。


ついに核心が見えて来た。

「養老二年」(718)という具体的な年が出て来た。
712年を手掛かりに奈良時代を見ると、
710年に平城京に遷都が行われ、
712年に太安万侶が『古事記』を編纂している。

718年、福岡と大分、すなわち鞍手と宇佐で一つの交流があった。

宇佐から禰宜がわざわざ鞍手に派遣され、
「この六嶽神社は吾が宇佐宮に均し」と伝えたのだ。

そう言って、相手に「宇佐の第二宮」の地位を押し付けたのだが、
逆に言えば、当時の六嶽神社の格式が高かったのを明かすものと言える。

この言葉の本質は「宇佐と六嶽」が同じ「比咩神」を祀っている点にある。



これで分かった。

宇佐神宮とは何か?

そう思うだけで霧がかかり、思考停止したのだが、
こちらも三女神信仰だったのだ。

三女神か、あるいは市杵島姫+二女神か。それはまだ不明瞭だが。

繰り返そう。
宇佐神宮の本質は六嶽神社と同じだ。


そして、今日、飯塚での古代史講座の前に雑談をしていたのだが、
宗像大社の本質は市杵島姫で、出雲も、という話を聞いた。

やはり市杵島姫か。

これらを思うとき、六嶽神社に掲げられた縁起絵に思いが至った。

それは六ケ岳の上空に一人の姫がいて、左右で見守るかのような二姫の姿だった。
市杵島姫と姉神二人だ。

そうだ、星読が絵を撮らせていただこうと言ってくれていたね。
一つ一つ、実行していこう。

再び六ケ岳のシリウスの出が見える季節が廻って来ていた。


c0222861_20324866.jpg

御許山



c0222861_203341.jpg

六ケ岳

山容も似ているような。






※ コメントの返事、少しずつですが、お待ちくださいね。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-15 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご40 宇佐神宮 菱形池



ひめちゃご40

宇佐神宮 菱形池
 








c0222861_21325813.jpg

宇佐神宮の本殿の前で三人とはぐれてしまった。


参拝を済ませて、遥拝所から御許山を撮影していたら、
互いを見失ってしまったのだ。









c0222861_21332161.jpg

御許山には神代に比売大神が降臨したという。








三人を追って下宮に向かうが、どうやら自分が先に移動しているようだった。

携帯があるから安心できる時代だ。

私は連絡して場所を確認すると、その足で菱形池に向かった。

もう一度行っておきたい。








c0222861_2134261.jpg

しかし、行けども行けども記憶の池は無かった。

他の神社の記憶と混じり合ったのか。

それとも、夢の中の記憶なのか。












c0222861_21343042.jpg


菱形池は広かった。









c0222861_2134593.jpg


石橋をいくつか渡った。









先ほど行った薦神社のご神体である三角池を考えながら。


 
三角池は三つの沢で形成されていた。
「鏡澤」「鉾澤」「玉澤」
渡来人が造成したと書かれているが、目的がよく分からない。
隣の地名は「加来」すなわち「星」の意味だ。

安心院との繋がりが思い起こされた。
鉄の匂いがする。


地形的に、この宇佐神宮も同じ匂いがするのだ。



『八幡宇佐宮御託宣集』によると、
欽明29年(569)この池の辺に鍛冶(かじ)の翁がいたという。

その翁は頭が八つあり、人々が見に来ると、その半分を殺した。

大神比義が行くと、人はおらず、金色の鷹がいた。
その鷹は金色の鳩となって袂(たもと)に止まった。

それから大神比義は三年間穀断ちをして祈ると、三歳の子供が現れた。

竹の葉の上で
「自分は辛国の城に八流の旗をともに天下りして日本の神となった。
釈迦菩薩の化身である。

十六代誉田天皇広幡八幡麻呂である。云々」
と語った。

三歳児、即ち応神天皇だ。
十六代であるのは神功皇后を十五代天皇として数えているから。

それがここの池の話だった。

文脈からは「鍛冶の翁」は応神天皇の化身となる。

ここには鍛冶の民が住んでいた。

豊かな水と湖沼の葦。鉄の材料に事は欠かない。



そして、神代から比売神がおわした。

参拝した人の多くは本殿の正面が八幡神でなく、比売神であることに驚く。

しかも、宗像三女神の称号ではない。

宗像三女神では不都合なのか。



『託宣集』では応神天皇の母は神功皇后で、父は住吉とする。
ここ宇佐では住吉族が活躍していた。

住吉族が宗像の三女神を崇敬するのでは都合悪かったのか。
あるいは、別の姫神だったのか。

薦神社では明らかに宗像三女神の名が書かれていたが。





c0222861_2137451.jpg

(水分神社)







いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-12-13 21:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

 三女神社 1 不思議な「二女神社」と 水沼の君

宇佐・安心院トレッキング(20) 

三女神社

 不思議な「二女神社」の扁額 と 水沼の君


今朝は夢の中で一枚の映像を見ていました。
高原の展望のよい所に二人の女性が向こうの山を見ています。
向こうの山は台形の形をした緑の美しい山でした。
二人はレギンスをはいたスレンダーな姿で伸び伸びと手を広げ、
とても気持ちよさそうでした。

二人の女性…。
夢の話をしながら、あれ?と思いました。
これは昨日記事にした二女神のシンボルでしょうか。
現代の女性だったのですが、何となくそう感じられました。
後ろ姿だったので、これから顔が見えたり、名乗りがあったりしたら、
逍遥の道程が一歩進んだということかも知れないな…

そんな事を考えたのですが、今回の三女神社の一の鳥居の扁額の
金色に縁取られた文字は何故か「二女神社」だったのです。

トマコさんからもコメントで指摘があったのですが、その通りなのです。
「三女」神社なのに「二女」と書かれた扁額。
これを掲げた人の強いメッセージを感じずにはいられません。


c0222861_21214047.jpg


ここは「家族旅行村 安心院」の隣にあります。
隣といっても、山ですから、10分ぐらいは歩いたかな。
舗装道路に面したいかにも古社の風情。

c0222861_2122169.jpg

これが一の鳥居の拡大です。「二女」神社と書かれています。謎めいた扁額です。


c0222861_21221671.jpg

石段を上ると、広い参道。
土の道で、とても心地よいのですが、るなの頭はまたもや何故?
どうして参道がこんなに広いのだろう。
土の道なのに草が生えていないのはよほど踏みしめたのか。
回りに人家のない所に、これほどの参道を作るのは何故?
るなの何故?なぜ?が始まります。

c0222861_2123070.jpg

次々と石段を上りながら、当然、扁額に意識が行きます。
これは「三女神社」。とてもがっしりとした鳥居です。
他の鳥居も全部「三女神社」でした。

c0222861_21231842.jpg

ようやく神門前に着きました。
ここもまた正面でなく、脇から参拝するようになっていました。

c0222861_21234254.jpg

神門の正面にまわりました。

c0222861_21235958.jpg

思いがけず大きな本殿でした。

祭神は 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 他十柱です。
宇佐神宮の比売神、宗像三女神と同じです。

一の鳥居の所にあった由緒を写します。
由来 鎮座地 宇佐郡安心院町大字下毛字三柱

そもそも三柱山三女神は日本書紀神代巻に曰く
「即ち日神(天照大神)の生みませる三女神を以て、葦原の中国の宇佐島に降(あまくだ)り居さしむ云々…」とあり、即ち宇佐島とはこの地宇佐郡安心院邑、当三柱山一帯とされ、安心院盆地を一望する聖地で、宇佐都比古、宇佐都比売は三女神を祖神とするが故に、全国唯一の三女神の御名前をもつ社であるにして、水沼の君等がこれを祀る、爾来一貫してこの地に鎮座して今日に至ると伝えられる。(略)


ここは三柱山といって三女神の降臨地ということですね。
宇佐都比古、宇佐都比売三女神を祖神としています。
そして、驚きの名が…。
「水沼の君が祀る」とあるのです。
まさか、こんな所まで水沼の君の祭祀圏があるとは。

これって、まさか、るなの仮説「水沼―三女神―宗像のライン」をつなぐ証し?

(つづく)


地図 三女神社






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-08-30 21:28 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(4)

宇佐神宮6・呉橋と大善寺 暗号をどう解けというんじゃい

宇佐・安心院トレッキング(16)

宇佐神宮6 

 呉橋と大善寺 
暗号をどう解けというんじゃい
  

上宮参拝の後、下宮を参拝して、今回のテーマの一つ、呉橋へ行きました。

c0222861_224653.jpg

よ~く見て下さい。これは社ではありません。橋です。
しかも開かずの橋。十年に一度、勅使を迎える時にだけ開くそうです。

c0222861_224575.jpg

ちょいと横から。川面が見えます。この呉橋は県の重要文化財です。
宇佐神宮HPには
「鎌倉時代より以前からある西参道の屋根が着いた神橋です。
昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名があります」
と書かれています。

出ました!「呉の国」の人が架けた?
呉の国といえば、二つあります。紀元前と紀元後。どっちだろう。

ちょっと、ウィキペディアで確認しておきましょう。

呉(春秋)
(ご、拼音:wú、紀元前585年頃 - 紀元前473年)は、中国の春秋時代に存在した君国の一つ。現在の蘇州周辺を支配した。君主の姓は姫。元の国号は句呉,勾吳。

呉の成立については詳しいことはわかっていないが、司馬遷の『史記』「呉太伯世家」によると、以下のような伝説が載っている。

周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子・季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていた。長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き、現地の有力者の推挙でその首長に推戴されたという。
後に季歴は兄の太白・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施した。当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉(後に寿夢が呉と改称)と称し、その後、太伯が亡くなり、子がないために首長の座は虞仲が後を継いだという。


呉(三国)
(ご、拼音:Wú、222年 - 280年)は、中国の三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)。孫呉、東呉とも呼ばれる。

222年というのは、それまで魏に対して称臣していた孫権が黄武と言う新しい元号を使い始め、魏からの独立を宣言した年である。正式には呉の建国としては孫権が皇帝に即位した229年を採る場合もある。しかし孫権が勢力を張ったのは父孫堅・兄孫策が築いたものを受け継いでのことであり、この項では孫堅の代から説明する。


紀元後の方は魏蜀の三国で、神功皇后や卑弥呼の時代です。
神功皇后の時代なら、竹内宿禰たちの土木工事の話などが伝わっている時代なので、
橋を作る事もできたでしょう。
これほどの装飾はなくても、当時の船を造る技術で作れたと思われます。

「呉の国」という表現は、まだ日本人に同化する時代の話なんでしょうね。

さて、呉の民といえば安曇族です。
安曇族が三国時代の呉人とすると時代が合いません。
紀元前の呉なのでしょう。そうすると太伯の時代となります。

紀元前の呉と紀元後の呉って同じなのでしょうか?
にわか勉強なので、わけが分かんない~。

c0222861_22141134.jpg


今回のポイントは「呉橋は勅使道に架かっていて、創建は倭の時代」ということです。
(のちに倭国と日本国の並立時代がやってくる)

呉橋(くれはし)には屋根がついていますね。勅使は右の鳥居から橋を渡るのでしょう。
私が建っている所は一般人の通れる橋で、神橋といいます。
川は寄藻川といいます。

で?何なのだ?これが何を意味する?

るなの頭はこの辺りで思考停止するのですが、
この呉橋の特殊性に気づいてツアーを組んだ古川清久氏はメンバーにどうしても見せたいものがありました。

それは呉橋のすぐ近くの大善寺です。
大善寺?
久留米市の人は「え?」て思うでしょ。
大善寺玉垂宮と同じ字のお寺が宇佐神宮の隣にあったのです。

私たちは迂回して川の上流に出ました。

c0222861_22152125.jpg


ここは「大善寺橋」の上です。
川の向こうに長い屋根の建造物が見えますが、それが先程の「呉橋」です。
この橋は白龍山大善寺の前に架かっています。

c0222861_22162479.jpg

これが白龍山大善寺の正面です。


古川氏は久留米市の「大善寺玉垂宮」の前に架かる橋「傘橋」も、
「傘」という字から、貴人しか通れない橋を意味していると言います。

宇佐と久留米の相似はいったい何を暗示している?

薦神社の呉橋と勅使道。
宇佐神宮の呉橋と勅使道と大善寺。
大善寺玉垂宮と傘橋。

この三つの橋は貴人しか通れない特別な橋。

U~NN.うまく書けない。
人の発見を、何で るなが苦労して解説しているんだい。 (-_-;)


勅使道というのは天皇の使いが通る道。
奈良・平安時代なら天皇の所在地は近畿なので出発点は近畿だけど、
呉の国の人が生きていた時代は倭の時代だから、勅使の出発点は近畿ではない。

そうすると、
出発点は同じキーワードを持つ大善寺玉垂宮だということでしょうか?
あるいは大善寺玉垂宮は通過点?
つまり、天皇あるいは王は筑紫の方にいた。

そんな理解でよろしいのでしょうか。

これについてしばらく考えていたのですが、まさか。
るなの仮説とつながってる?

るなの仮説は「三女神を祀っていた水沼の君が宗像の君となった」というもの。
つまり、水沼の君の三女神と宗像の三女神は同じ神。

大善寺玉垂宮は水沼の君の都にあります。
水沼の君の三女神と宇佐神宮の三女神もつながってる?

これ、やばくないっすか?


c0222861_22321493.jpg


地図 宇佐神宮の呉橋 大善寺


地図 久留米市大善寺玉垂宮と 傘橋




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-08-21 22:24 | 神社(ウ) | Trackback | Comments(8)

宇佐神宮5・隋神 高良神と阿蘇神

宇佐・安心院トレッキング(15) 

宇佐神宮5

  隋神 高良神と阿蘇神


c0222861_2214384.jpg

上宮の正面です。この門は一般の人は通れません。
その華やかな建築は日本の美を堪能させてくれます。

誰かが質問しました。
「ところで、高良の神は当宮には祀られていますか」
「はい、こちらに祀られています」
そう言って案内されたのが右手の隋神像でした。

c0222861_2213769.jpg
 
威厳のある美しい神像です。
御顔を見ると、阿蘇の神に比べてずっと長老です。


c0222861_22124998.jpg

こちらが阿蘇の神。正しい名称は分かりません。

しかし、こうして守護神となられたということは、二神は宇佐の下になったことを意味しています。
どんな事情があったのでしょうか。

宝物殿で伺ったことばを思い出しました。
「高良山は第二の宗廟で、守る人がいなくなったので、こちらでお守りしました」
必死でメモをしただけなので、その内容は分かりません。
初耳で、時代もいつの事が分からず、驚くばかりでした。
何が起こったのでしょうか。

阿蘇の神と高良の神。
九州王朝を連想させます。
鷹居神社の「松と鷹のモチーフ」が再び出て来ます。
こうなると、金の鷹が鷹居神社に飛んで行ったという話にも深い謎かけがありそうですね。


黒男神社
高良の隋神像の御顔を見た時、長老だったので、竹内宿禰のことかと思ったのですが、
実は、竹内宿禰は鳥居の外に祀られています。

c0222861_22161796.jpg

黒男神社 御祭神 武内宿弥
武内宿弥は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、五代の天皇に二百四十余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもってお祀りされています。
八幡大神にご奉仕された神であり、古くから大鳥居の外に鎮座になって大神をお護りされています。長寿、忠誠、奉仕などの高いご神徳を授けられます。
   (宇佐神宮Hpより)

大鳥居の外で大神を護っているという位置づけです。
この黒男神社の竹内宿禰と上宮の隋神は同神なのでしょうか。

さらに、その裏には仲哀天皇の祠があったそうですが、最近、神功皇后のおそばに祀られたそうです。
神功皇后の神殿の横には住吉神社があります。
これらの配置からは宇佐神宮の創建時の思想が伺えそうです。


ウィキペディアより
宗廟(そうびょう)とは、中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと。中国の歴代王朝においては、廟号が宗廟での祭祀の際に使われる。台湾の台中にある林氏宗廟や、世界遺産に登録されている朝鮮王朝の李氏宗廟が有名。
または日本に適用して、伊勢神宮・石清水八幡宮のこと(二所宗廟)。



c0222861_22321493.jpg




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-08-19 22:19 | 神社(ウ) | Trackback | Comments(24)

宇佐神宮4・八頭の鍛冶の翁 宇佐と出雲 大神

宇佐・安心院トレッキング(14) 

宇佐神宮4

八頭の鍛冶の翁 宇佐と出雲 大神


c0222861_22362672.jpg

(菱形池への案内板―当日は行きませんでした (+_+))

今日は八幡神信仰の始まりについて縁起を見てみましょう。

欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形(ひしがた)池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。

大神比義(おおがのひぎ)が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹(たか)が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩(はと)となって比義の袂の上にとまりました。

神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。

わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。

そしてたちまち黄金の鷹になって駅館川(やっかんがわ)の東岸の松の上にとどまったといわれます。 そこに和銅元年(708)鷹居社をつくり八幡さまを祀り、のち霊亀2年(716)小山田の林に移られ、ここに小山田社を造営。

神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(かめやま)(菱形山とも小椋(おぐら)山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。
(宇佐神宮HPより 一部変更)


鷹居神社で見た由緒が分かりやすく書かれていました。
金色の鷹は金色の鳩になり、三才の童子になり、再び金色の鷹になって
駅館川の松の上に留まりました。
それが鷹居神社の始まりになっています。

その前の存在は「一つの身体に八つの頭の鍛冶の翁」。
これを見ると、誰もがヤマタノオロチを思い浮かべます。
しかも「鍛冶の翁」なのですから、「鉄の出雲」を連想させます。

私はこれを書きながら、真鍋大覚の不思議な文を思い出しました。

神代の昔、出雲に大穴牟遅神、又の名を八千矛神と申す。
八幡の遠祖であったが、出雲と宇佐が別れ分かれになってからは、その由来をあえて語る人はなくなった。

祭祀は人の心の奥にはいつまでも続いていても、表面(おもて)立って儀式を行うことが遠慮せざるをえない時勢がある時は、いつか絶えはてることが多い。
神は人を護り給うも、人は神を守らぬのが世の常である。
『儺の国の星・拾遺』p200

いつかはこの文をものにしたいと思っていたのですが、今、この「鍛冶の翁」が解き明かしてくれました。

出雲と宇佐はもともと同祖だったというのです。

その証しとしては、両者が「二礼四拍手」という共通する作法を持っていることが
すぐに浮かびますが、それだけでは記事にはできませんでした。

しかし今、こうして宇佐の縁起に現れた「八頭の鍛冶の翁」を知って、
歴史の一部が謎のベールを開けた思いがします。

出雲と宇佐は土地が離れていたこともあって、別れ別れに祭祀していくうちに、
いつしか互いを語らなくなったのでしょうか。
何かはばかられる事情があったのかなとも思われます。


さて、その「鍛冶の翁」を見に行った大神比義とはどこの人でしょうか。

「大神」は「おおが」と読みますが、このブログでもたびたび出て来たので、
復習してみたいと思います。

朝倉市の大己貴神社は「おおがさま」とも呼ばれています。
七支刀を掲げた神像を祀る「こうやの宮」の地名は太神(おおが)です。
遠賀川の「おんが」「おが」「おか」は同じ言葉が音韻変化したもので、
「おおが」に通ずるのではないかと考えています。

「おおが」を辿ると、古代の鉄の文化が重なって見えて来るのですが、
あくまで直観の域を過ぎませんでした。

当ブログによく登場した岡の縣主の祖・熊鰐。
この熊鰐もまた「おか」「おんが」の人です。

岡田神社(北九州市)に行くと、熊鰐は出雲神と共に祀られています。

(熊手宮)大国主命(オオクニヌシノミコト)
          少彦名命(スクナヒコナノミコト)
          県主熊鰐命(アガタヌシクマワニノミコト)

ご覧の通り、大国主神と少彦名命です。
神社では結びつきは定かではないとのことですが、地主神として祀られています。
この岡田神社のブログ名が「八咫烏の声」というので、その縁も尋ねたのですが、
はっきりとは答えられませんでした。

神代の昔、出雲に大穴牟遅神、又の名を八千矛神と申す。
八幡の遠祖であったが、出雲と宇佐が別れ分かれになってからは、その由来をあえて語る人はなくなった。   『儺の国の星・拾遺』p200


神代に八百万神、八岐大蛇そして八千矛神が出る。賀茂の氏人の祖先であった。
『儺の国の星・拾遺』p170


これらから熊鰐は八咫烏をトーテムとする賀茂氏と考えて大丈夫のようです。
賀茂氏は鉄器を作るけど、主に農具や大工道具の類だったと真鍋は書いています。

だから、熊鰐の館・仲宿神社では造船や修理が出来るほど鉄器を持っているのです。
未確認ですが、北九州市は古代の大工道具がかなり出土するそうです。

神武天皇がこの熊鰐の祖を頼りにしたのもうなずけます。
(サイドバー 岡田神社・仲宿神社・一宮神社)

熊鰐一族は遠賀水軍でもある訳ですが、
豊富な葦原を元にしたスズ鉄の製鉄を行っていたと思っています。
のちに砂鉄の製鉄が導入されて行ったことでしょう。

大己貴の伝承や出雲(飯塚市)という地名から
古代の遠賀川流域の出雲を探究している最中ですが、
大神比義は「おおが」という姓であることから、
遠賀(おか)の製鉄の民の祭祀者ではないかと思いました。

出雲のトーテムを持つ「八頭の鍛冶の翁」を祀るために同族の祭祀者が招かれた。
そんな気がしてきました。
そう考えると、縁起に、
鍛冶の翁の姿を見た者がたちまち病気になったり死んだりした、というのは、
冶金時に起こる中毒事故などを表しているのかもしれないとも妄想は広がって行きます。

縁起の一部だけで推定するのは危険なので、メモとしておきましょう。


八幡の道は銅の道と書きましたが、宇佐神宮へ来てみると、
思いがけず鉄の道が続いていたのでした。

前回ちょっと書いた国東の奈多宮近くの古代遺跡とは縄文製鉄遺跡のことなのです。
また、安心院には高度な製鉄技術が近代に伝わっていました。
のちほど紹介する予定です。



c0222861_22321493.jpg





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-08-18 00:01 | 神社(ウ) | Trackback | Comments(10)

宇佐神宮3 上宮 比売大神考

宇佐・安心院トレッキング(13) 

宇佐神宮3

 上宮 比売大神考


c0222861_1034736.jpg

瀟洒な西大門をくぐり抜けて、本殿へ。

c0222861_10342469.jpg

こんな角度から本殿前に出ます。勅使を迎える準備で修理中です。

御祭神は
一之御殿 八幡大神〔誉田別尊(応神天皇)〕
二之御殿 比売大神[多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命]
三之御殿 息長帯姫命
です。
その由来についてはHPにこう書いてありました。

御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。これが宇佐神宮の創建です。

宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りしました。

いよいよ話題の比売大神ですが、八幡神以前に「地主神として祀られ」ていたと書かれていました。
八幡神を祀った6年後に、二之御殿が造立されたということなので、
愛読者さんがコメントされたように、祟りを恐れての祭祀かもしれません。

この「地主神」という表現ですが、神社の境内マップを見ていると、
上宮内に北辰神社が見えます。そこにはこう書いてありました。
北辰神社
比売大神の脇殿といわれ、本宮の地主神と伝えられる造化三神を祀っています。上宮西中門の中に鎮座しています。

比売大神のすぐ横に祀られている地主神は比売大神ではなく、造化三神でした。

その三神の名は
天御中主神(あめのみなかぬし)
高皇産霊神(たかみむすび)
神皇産霊神(かみむすび)
です。

北辰とは北極星のことなので、星神が地主神だったということになります。

地主神が二組あります。これはどう解釈したらいいのでしょうか。

マップを見ていると、「大元神社遥拝所」があることに気づきました。
大元神社は御許山にあり、奥宮と言われますが、祭神は比売大神三柱で、
比売大神が降臨された神山とされています。
御許山山頂には磐座があり、禁足地となっています。

推測が許されれば、最初の地主神は造化三神だったのが、比売大神信仰に変化したと考えられます。
それは祭祀する氏族の変化によるものでしょう。

そして、三女神とは宗像三女神というより、水沼三女神という方が
時代的には上手く説明できると思いました。

「三女神」について、
宗像の君がもちいつく神とあるのは『古事記』。
水沼の君がもちいつく神とあるのは『日本書紀』です。
いずれも同じ三柱の女神です。

何度か書いていますが、宗像族という名称は比較的新しいのです。
(新しいといっても古代の尺度で、ですが)

私の仮説は「みぬまかた」が「むなかた」と変化したのだろうというものです。

神功皇后軍を支えた多くの海人族の中に、水沼水軍がありました。
当時三女神を祀っていたのは久留米市の赤司八幡宮でした。
景行天皇が祭壇を設けて祈り、わざわざ自分の皇子を天皇代行として残しています。

水沼君は神功皇后を迎え、有明海まで船で送り、田油津姫攻撃に参戦。
そのまま唐津に抜けて、安曇水軍の先導で新羅へ。

凱旋後に福岡市名島神社、北九州市和布刈神社に三女神が祀られています。
それは水沼水軍の湊の使用権・占有権の宣言でしょう。
それを宣言したのは神功皇后でした。戦いの褒賞と思っています。

この時、水沼族は筑後川流域から、玄界灘~響灘に出て来たと思っています。

その当時、祭祀者はまだ「水沼かた」と呼ばれていたのではないでしょうか。
それが「むなかた」と変化するのは容易です。
以上が私の仮説です。

そしてこの仮説を裏付けるものが安心院(あじむ)に見つかりました。
水沼の君が三女神信仰を持って宇佐に来ていたのです。
詳細は安心院にて述べましょう。

以上から、宇佐神宮の場合、当初は水沼君の三女神だったと思われます。
水沼三女神と書く方が、しっくりくるのかも知れませんね。

ただし、比売神そのものについては、別の神とする神社もあるので、
その時に検討したいと思います。

こちらに、三女神の伝承の宮を集めています。

三女神伝承の宮々
http://lunabura.exblog.jp/i203/


c0222861_22321493.jpg
 




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-08-17 10:40 | 神社(ウ) | Trackback | Comments(6)

宇佐・安心院トレッキング(1)


宇佐・安心院トレッキング(1)

一泊二日で、大分県の宇佐八幡宮とその周囲の古社を参拝してきました。
この旅の企画は太宰府地名研究会主催のもので、
普段はあまり取り上げられない古社を通して、
古代の豊(とよ)の国を明らかにしようとするものです。

二日間ということで、準備したSDメモリーや電池は二つずつ。
撮った写真は300枚ほど。
今、メモリーを登録中ですが、30分経ってもまだ7パーセント。
下手したら一晩掛かるのかも。

私の写真の保存法は神社ごとにフォルダーを作って写真を分類して、
すべての写真に名前を付けています。
名前は自動的に(1)~(X)と付けてくれるので大助かり。
さすがにコンピュータは素晴らしいですね。

宇佐八幡宮は久しぶりでしたが、記憶がかなり薄れていました。
歴史を知って、神々の名前が分かるようになり、
しかも権禰宜さんの説明を伺うことができて、とても有意義な参拝となりました。

安心院は「あじむ」と読みます。
巨石・磐座が多い盆地で、それを探査しに何度が行った所ですが、
古社を巡ると、また別の世界が広がりました。

さっそく写真をUPしたかったのですが、登録がフリーズ気味。
今日は日記のみです。

原稿が戻って来て、また手を加えるので、記事を書くのもボチボチとなりそうです。




いつも応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-07-28 22:03 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(0)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31