ひもろぎ逍遥

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タグ:宗像三女神 ( 41 ) タグの人気記事

ひめちゃご41 「宇佐と六嶽は均し」



ひめちゃご41


「宇佐と六嶽は均し」
 


『八幡宇佐宮御託宣集』に「波豆米」の名が出て来た。

「波豆米」
読み方は分からない。
一応「はづめ」と呼んでいる。
宇佐神宮の禰宜だ。
女性。

これを見て思い出した。
彼女の名は「鞍手町誌」に出ていたはずだ !

そう思って資料を開くと、やはり載っていた。

波豆米は六嶽神社に参拝していたのだ。

「六岳神社降臨紀」という縁起書があるらしい。
そこに次のように書かれているという。
(読みやすく改変)

<養老2年(718)、宇佐の祢宜、辛島勝波豆米という人、ゆえ有りて
この御社に参り至ったが、室木の長田彦の裔孫・室木ノ国彦というものが、云々

この時、辛島氏が
「このお宮は吾が宇佐宮に均しければ、よろしく宇佐の第二宮と称し奉るべきである」と言ったとある。>

これは享保五年(1720)の記録だ。


ついに核心が見えて来た。

「養老二年」(718)という具体的な年が出て来た。
712年を手掛かりに奈良時代を見ると、
710年に平城京に遷都が行われ、
712年に太安万侶が『古事記』を編纂している。

718年、福岡と大分、すなわち鞍手と宇佐で一つの交流があった。

宇佐から禰宜がわざわざ鞍手に派遣され、
「この六嶽神社は吾が宇佐宮に均し」と伝えたのだ。

そう言って、相手に「宇佐の第二宮」の地位を押し付けたのだが、
逆に言えば、当時の六嶽神社の格式が高かったのを明かすものと言える。

この言葉の本質は「宇佐と六嶽」が同じ「比咩神」を祀っている点にある。



これで分かった。

宇佐神宮とは何か?

そう思うだけで霧がかかり、思考停止したのだが、
こちらも三女神信仰だったのだ。

三女神か、あるいは市杵島姫+二女神か。それはまだ不明瞭だが。

繰り返そう。
宇佐神宮の本質は六嶽神社と同じだ。


そして、今日、飯塚での古代史講座の前に雑談をしていたのだが、
宗像大社の本質は市杵島姫で、出雲も、という話を聞いた。

やはり市杵島姫か。

これらを思うとき、六嶽神社に掲げられた縁起絵に思いが至った。

それは六ケ岳の上空に一人の姫がいて、左右で見守るかのような二姫の姿だった。
市杵島姫と姉神二人だ。

そうだ、星読が絵を撮らせていただこうと言ってくれていたね。
一つ一つ、実行していこう。

再び六ケ岳のシリウスの出が見える季節が廻って来ていた。


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御許山



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六ケ岳

山容も似ているような。






※ コメントの返事、少しずつですが、お待ちくださいね。




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by lunabura | 2016-12-15 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご40 薦神社(こも) 中津市



ひめちゃご40

薦神社(こも) 中津市
 








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知らずにまたもや動画ボタンを押していた。










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例の如く足も写っているが、鳥の声がいっぱい。












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境内では全く気付かなかった。







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ここは鳥の音に満ち溢れた世界だった。











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ご神体の三角池。

主祭神 比咩大神。

田心姫命

湍津姫命

市杵島姫命














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この池の真薦から薦枕が作られ、宇佐神宮の神殿に運ばれた。













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作り方は一子相伝で、あいにく途絶えたという。












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コメントありがとうございます。
リンク先など見せていただいています。
返事はまたね。











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by lunabura | 2016-12-12 22:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご37 ヒメコソ三社参り



ひめちゃご37

ヒメコソ三社参り
 



今日はヒメコソ神を祀る三社に参拝した。
ウメとタケが同行してくれた。

エリアは小郡市から鳥栖市、みやき町にかけて。

特に鳥栖市とみやき町には同じ地名「姫方」があるが、
それは物部とイチキシマ姫祭祀によるものと考えられた。

二つの姫方を結ぶ夏至日の出冬至日没ラインを柱にして東から西へと回った。

この行程の計画をしているうちに、
朝日山がそのラインに乗っていることが分かったのだ。

今日は写真整理をしているが、なんと10か所も回っていた。


本日は備忘録として、リストを書いておきたい。

1 媛社神社 小郡市
2 福童神社 小郡市
3 大中臣神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
5 朝日山宮地嶽神社 鳥栖市
6 千栗神社 三養基郡 
7 物部神社 三養基郡
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原
9 北浦天神 三養基郡
10 雌塚 三養基郡 姫方

このうち、ヒメコソ神三社とは次の三社を指す。

1 媛社神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原

9時から3時ごろまで、ゆっくりと昼食を取ったので実質5時間の行程だった。
皆さんの参拝の参考までに。







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4 姫古曽神社にて







                     <2016年12月8日>



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by lunabura | 2016-12-08 23:16 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(3)

歴史カフェ 次回は「物部とヒメコソ神」



歴史カフェ 

次回は「物部とヒメコソ神」



今日の歴史カフェ、第一日目、ご参加ありがとうございました。

テーマは中大兄皇子(天智天皇)の
福岡での事績、水城や漏刻、指南車、観世音寺などでした。

中大兄皇子や斉明天皇の存在は福岡では語られることがなく、
記憶から消え去っている印象を受けます。

二人(に限らす大田皇女や額田も藤原鎌足も)が福岡に来たことを、
私たちは子供のころから教えられなかったので、
『日本書紀』の話が奈良や京都の話と思い込んでいたんですね。

新たな視点を得て読んでみると、
『日本書紀』は身近な歴史を伝えてくれているのがよく分かりました。

改竄や捏造も納得しながら読み込めば、
もっと故郷の歴史を導き出せることを確信しました。

「ひめちゃご」は中大兄皇子を通して見せられている部分もあり、
女神だけでなく、日本を守った人たちを知ることでもあるのだと
思うようになってきました。


百済が滅びて唐軍が占領し、
難民が筑紫に押し寄せるのを目の当たりにした中大兄皇子は、

続けて筑紫もまた唐軍に占領されることを恐れ、
筑紫の神々を守るために京都などに神々を遷したのではないか。

中大兄皇子の筑紫での祭祀を見ていると、そうも思われてくるのです。



「脇巫女」と「ひめちゃご」は同じテーマでありながら、
別の時代を教えられてもいるようです。

奇しくもその舞台は、鞍手、姫方、太神長島という「物部の里」でした。
(くらて、ひめかた、おおが・おさじま)

次回のお題は「物部とヒメコソ神」です。

物部の祭祀、出自、ヒメコソ神など、
これまでブログに出て来た内容を整理して、一緒に考えていきいと思います。

目次など詳細が決まったら、また案内しますが、募集は開始しますね。
ご参加お待ちしています。


また、本日(10月30日)の内容を11月10日にも話します。
興味のある方は申し込みお待ちしています。





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by lunabura | 2016-10-30 22:10 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

9月の歴史カフェお礼





今月の歴史カフェは「中大兄皇子と朝倉橘広庭宮」でした。
ご参加の皆さまありがとうございました。

朝倉というエリアに絞ったので、
具体的なイメージが掴みやすかったのではと思いました。

同じ朝倉でも、西の方では神功皇后と羽白熊鷲との戦いがあり、
東の方では斉明天皇と中大兄皇子の祭祀がありました。

二つの歴史に共通したのが「福成神社」でした。

福成神社は三女神を祀る宮。

景行天皇が水沼の三女神を祀り、
神功皇后がその縁で三女神を祀り、
斉明天皇が宗像三女神を祀りました。


また、宮野神社では中臣鎌足が祖神と大己貴を祀りましたが、
それは神功皇后の時代の中臣烏賊津臣と大己貴を思い出せます。

神功皇后と斉明天皇を同一人物とする人もいますが、
時代も内容も全く違っていますね。



歴史カフェは、これまでのブログ記事を
一つずつテーマを決めてまとめようと思って始めました。

バラバラの記憶をつなぐと、
筑紫の各地域の歴史や特性が浮かび上がってきて、理解が深まります。

理解すると、その地を訪ねて体感したいと思うようになるのが不思議です。

どの回でも、現地に行こうという会話があっています。

そのとき欲しいのはやはり地図。
古代史には、平地でなく、山を中心とした地図が欲しいですね (^_-)-☆

古代史という難解な話題に賛同していただいて、
シェア出来るのはありがたいなといつも思います。



次回の歴史カフェは中大兄皇子の続きです。
水城や観世音寺、太神宮を柱として考えています。

大宰府の天文祭祀官の家系だった真鍋の力を借ります。

詳細はお待ちくださいませ。
募集は開始します。





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by lunabura | 2016-09-27 22:44 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご20 天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社



ひめちゃご20

天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社
 




今日は調べものをしていると
何故か、天智天皇関連の神社が新たに二つ出て来た。
北九州市の狩尾神社と朝倉市の厳島神社だ。

狩尾神社は山鹿半島の西部、狩尾岬にある。
「千畳敷」という、面白い岩盤の海岸があるので、
バスハイクの時間調整の候補としてリストアップしたのだが、
道を覚えておらず、確認していてヒットした。

社号の「狩尾」は山城国岩清水の狩尾神社を勧請したとあるが、
天智天皇がここで狩をしたことが由来するともいう。
主祭神は大国主命。

狩をするほどなので、磐瀬宮での滞在時間は長かったのだろう。

現地には岬をまわる「なみかけ遊歩道」があって、
潮風の中の楽しい散歩道となっている。

潮が満ちていたからか、全く記憶にない風景だった。
しかもカメラ忘れ。

狩尾神社はすぐに分かったが、長らく人が足を踏み入れていない気配で、
参拝を遠慮した。

どうしても風景が記憶に合わず、後で調べると、
やはり場所が違っていた。

ということは千畳敷という地層はかなり広く分布していることになる。
地球のダイナミックな動きが目に見える響灘(ひびきなだ)沿岸だ。

例の如く、勘違いから天智天皇ゆかりの宮へと繋がった。



さて、天智天皇ゆかりの神社、もう一つは、
歴史カフェのために分かりやすい地図を探していた時に見つかった。

朝倉の平松バス停付近に厳島神社があり、
斉明天皇が中大兄皇子に創建させたとある。
祭神は「市杵島姫」一座。

これで、斉明天皇は「志賀様」と「市杵島姫」を祀って、
安曇水軍と宗像水軍の神助を祈願したことになる。

しかし、祀ったのが三女神でなく、「市杵島姫」のみという点が
「ひめちゃご」のテーマに引っかかる。

今日も天智天皇と関わった不思議な一日だった。

カテゴリは「にっき」でもよかったのだが、
どうも気になるので、「ひめちゃご」に投入した。







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by lunabura | 2016-09-22 19:53 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご18 景行天皇の三女神信仰から見えるもの



ひめちゃご18

景行天皇の三女神信仰から見えるもの
 



そういえば、景行天皇は三女神の縁が深い。
景行天皇が三女神を祀った宮が二つあったことを思い出した。

一つは朝倉の福成神社。
もう一つは久留米市の赤司八幡神社である。

そのいずれもが水沼族の領土だったと考えてよいだろう。
そこは筑後川水系である。



景行天皇を道案内したという「猿大海」(さるおおみ)の館は
赤司八幡神社にあったという話を宮司から伺った。

猿大海は景行天皇を自分の館に連れて来たことになる。
天皇はそこで詞壇を構え、三女神を祀った。
その三女神を「道主貴」(みちぬしのむち)という。

『日本書紀』では「三女神を祀っているのは水沼の君」という伝承も書いていて、
その現場がこの赤司八幡神社となる。

「水沼(みぬま)三女神」と「宗像(むなかた)三女神」は違うのか。
否。
同じだと思う。

多分、「みぬまさま」という意味で「みぬま方」と言われたのが
「むなかた」に訛ったのだろう。

水沼族は水軍を持っていたが、筑後が洪積平野となっていくにつれて、
水軍力が発揮できなくなった。

のちにその水軍力を玄界灘で発揮したのだと思う。
そのきっかけは三韓遠征だったと考えている。

筑後川は有明海が深く進入していて、干満の差が激しかった。
そのピークは一日に50分ずつずれていく。
月の観測は欠かせない。
月の観測に長けていた水沼族は太陽暦との調整も長けていた。

だから、川から海へと拠点を移しても新しい環境にうまく順応したのだろう。


この月の観測が「水沼」という巫女の祭祀を支えた。
満月の夜に月の変若水を水に写し、貴人に捧げたのが「水沼という巫女」なのだ。

そうすると「みぬま」は月の巫女であり、水の巫女でもあったということになる。
その巫女がそのうちに神と称されたという。

「みぬま」-「二女神」-「月の女神」「水の女神」
そんな流れが心に浮かぶ。

「ひめこそ」は「星の女神」「水の女神」といったところか。

水沼については、「下巻56赤司八幡神社・78大善寺玉垂宮」を
併せて読めばそのあらましが見えると思う。


水沼の三女神がどれほど重要だったか。

それは景行天皇が自分の代わりに国乳別(くにちわけ)皇子を
天皇代行として置いたことからも良く分かる。

この国乳別皇子が猿大海の姫を娶って水沼の祖となった。

もちろん、『祖』というのは『日本書紀』独特の書き方で、
古来、水沼君はずっと三潴(みずま)にいた。


三女神信仰は、つぎに、福成神社(下巻53)にも出てくる。
ここでも三女神を祀ったのは景行天皇だ。
のちに神功皇后、そして斉明天皇・天智天皇が参拝する。

そう、ここで再び景行天皇と天智天皇の名が重なった。

矢部川水系には安曇の名が見えた。
筑後川流域に水沼がいて、棲み分けをしていたのではないかという
古代の姿がおぼろげに浮かんでくる。

しかし、神功皇后によって大善寺玉垂宮は安曇に与えられた。
だから、氏子たちは、そこはもともと女神だったというのだろう。

三女神から玉垂命へと信仰を変化させたのは神功皇后だ。



三女神あるいは二女神信仰は景行天皇の時代までは
赤司八幡神社を最上の聖地とし、
大善寺玉垂宮はその湊として栄え、
弓頭神社は政治の地として栄えた。
そして、福成神社は水軍の訓練地における聖地だった。

こうして三女神信仰すなわち水沼君は久留米市から朝倉にかけて、
広大な領域を支配していたと考えている。

水沼君が筑紫君の始まりだった。



ここまで書いていて、今、思い出した。
大己貴信仰の宮も「大己貴神社」(旧三輪町)(上巻42)
「美奈宜神社」(林田上巻43)と、筑後川水系にあった。
この大己貴の神々もまた三韓遠征の時に玄界灘を体験していたのだ。

そうすると、二女神と大己貴の縁組はこの筑後川流域の話だったのだろうか。







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by lunabura | 2016-09-19 23:13 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご11 松尾弁財天3 大穴貴と狭依毘売を祀る宮



ひめちゃご11

松尾弁財天3
大穴貴と狭依毘売を祀る宮
 


八女市の3号線に沿った辺春川からさらに支流の松尾川に入って細い道を走る。





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行き止まりのような所に松尾弁財天はあった。








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鳥居に華麗な彫刻が施されていた。
ウサギということは、大国主を象徴するのか。
ここには大己貴が祀られているという。






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苔むした石段が美しい。








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石段はいくつもいくつもあるが、上りやすい。









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渓流沿いにある道だった。

あとで思えば、石段が作られる前は沢登りをしていたのだろう。








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江戸時代、柳川藩の立花の殿様が参拝して子を授かったということで、
立派な社殿が建てられている。

ここは子宝祈願の社だそうだ。


石段もまたその時に造られたのだろうか。
その前までは、かなり厳しい参拝だったに違いない。



松尾弁財天の正式名は由緒では「厳島神社(弁才天社)」となっていた。
祭神は「大己貴命または狭依毘売」となっている。


不思議な組み合わせだった。
狭依毘売は市杵島姫の別名だと『古事記』には書かれている。


大己貴命の妃はタゴリ姫と多紀理姫(あるいはタギツ姫)なので、
この二女神との組み合わせなら理解できるのだが、
物部に嫁いだイチキシマ姫と一緒だというのだから困惑する。

宮の住所は立花町大字上辺春字松尾となっている。








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この拝殿の神々が日々見ているものは磐座だ。


本来、この磐座が祭祀の始まりだったのだろう。








「ここには白蛇さまがいるという話です」と教えられた。
参拝者は卵を持っていくという。

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木の根が蛇の姿を取っていた。






幼な子が「こっちに来て」と私を川に誘う。
この宮の神縁で授かった子だという。
それなら耳を傾けねば。







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連れられて、川を見ると底が赤かった。
この川は鉄分を含んでいるのだ。

最初にこの川を遡ったのは鉄の民か。
彼らが出雲の神を祀ったのか。
鉄を与えてくれる聖なる川として。

それから、水の神である狭依毘売を祀ったのかもしれない。


思えば狭依毘売を祀った宮を参拝したのは初めてのような気がする。
イチキシマ姫とサヨリ姫は本当に同一神なのか。
そんな思いもつきまとう。



この八女には緑の川と緋(ひ)の川があることになる。

緑の川を辿った民はセオリツ姫とミズハノメを祀り、
赤い川を遡った民はサヨリ姫を祀った。

水の女神でも名が違う。

銅の民と鉄の民と分けてよいのだろうか。
あるいは安曇と出雲。

辺春(へばる)という地名の「春」の字は浮羽(うきは)の山春の字も想起させる。
加茂と物部。




そんな古代の民に思いを馳せた。






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by lunabura | 2016-09-03 21:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(8)

十握剣と天叢雲剣の行方



十握剣と天叢雲剣の行方


今回は、歴史カフェ「七支刀」に来られる方への予習編です。
(^^♪

歴史カフェでは「七支刀」の環境についてお話しするのですが、
ブログでは触れたことのない内容で、
初めて話す話ばかりなので、聞いていて頭の中が混乱するかも、です。


そこで、今日は、理解するための下地として、
「十握剣と天叢雲剣の違い」と、
「その行方」について予習をしておくことにしました。

参加される方、一応頭の中に入れておいでくださいね。
覚えなくていいです。
そんな感じかあ、とでも思っていただければ。

カフェに参加できない方も、楽しんでください。




十握剣と天叢雲剣

素戔嗚命(すさのお)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治しました。
この時、素戔嗚命が持っていたのが「十握剣」(とつか)です。
そして、八岐大蛇のしっぽから取り出したのが、
「天叢雲剣」(あめのむらくも)です。





天叢雲剣

素戔嗚命は天叢雲剣を天照大神に持って行きます。
天照大神はニニギの命が降臨する時、その剣を手渡しました。

そののち、天叢雲剣は天照大神を伊勢神宮に祀った倭姫(やまとひめ)から
甥のヤマトタケルに渡されます。


ヤマトタケルは敵に火を放たれた時、その剣で草を薙ぎ払ったので、
その剣は「草薙剣」と呼ばれるようになりました。

ヤマトタケルはその剣を宮簀媛(みやずひめ)に預けます。

そして、ヤマトタケルが戦死したのち、
宮簀媛は熱田神宮を建てて草薙剣を祀りました。



それから数百年後。
天智天皇7年(668年)に新羅僧の道行がその剣を盗み出しました。

その剣は鞍手の古物神社に降ってきました。
そこで古物神社に大切に祀られました。

それから、福岡県岡垣町の高倉神社に届けられました。

高倉神社では草薙剣の七口のコピーが作られ、七つの神社に配られました。
八つの神社は八剣神社と呼ばれるようになりました。





十握剣

一方、素戔嗚命が持っていた十握剣は、天照大神とのウケヒの時、
天照大神が三つに折って噛み砕きました。
その息吹から三女神が生まれました。

その三女神の降臨の地は鞍手の六ケ岳
あるいは水沼族の祀る久留米の赤司八幡神社とも言われています。

『日本書紀』には「三女神は水沼の祀る神」という話も載せています。

以上、予習でした^^


『神功皇后伝承を歩く』を持っている方は、


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11 高倉神社

17 剣神社


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18 古物神社

56 赤司八幡神社

を読んでみてください。
さらに楽しめると思います。(^^♪







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by lunabura | 2016-05-26 21:35 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

「脇巫女」資料づくり



今日は、歴史カフェの資料作り。

テーマは「『脇巫女』の今」

原典を自分で読んで、直接その息吹に触れていただくというパターンが好きなので、
今回のカフェは、星読さんの出された託宣を皆さんと一緒にじっくりと
読みたいなと思って、冊子化しました。

プリンタの癖が分からず、冊子化するのに何日も何時間も費やしちゃいました。

ようやく、手に取って読みやすい小冊子ができました。
表紙でも付けるとそれなりのお顔に♪


これを改めて読むと、不思議な内容の本なのですが、
鞍手の歴史を学ぶのに格好のテキストにもなるのです。

うん、なかなか良いぞ。

鞍手の一番の宝は六ケ岳。
そして三女神の降臨神話。

これを軸にして、
セオリツ姫のこと。
ヤマトタケルのこと。
古墳のこと。
シリウスのこと。
クマソのこと。
物部のこと。
宇佐のこと。
など確認していこうと思います。

埋もれた沢山の歴史に、
ダイヤモンドのように輝く光を見る思いがします。

星読さんの託宣に加えて、解説用の資料も作っていきます。

意外な歴史観光ガイドブックになるかも、です ^^






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by lunabura | 2016-02-12 22:51 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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