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タグ:宗像三女神 ( 54 ) タグの人気記事

宗像大社中津宮1三女神は「本朝八幡宮の根本神」だった




宗像大社中津宮1

三女神は「本朝八幡宮の根本神」だった



神湊からフェリーで渡ると大島の渡船場のすぐ近くに中津宮が鎮座している。









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フェリーから撮ったもの。正面の灰色の屋根の建物の左手に鳥居が一部見えている。









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一の鳥居を撮ると絹のような雲が掛かっていた。
不思議にも、同じ三女神を祀る福津の神興神社(じんごう)の上に掛かった雲と同じ姿だった。









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石段の上に神殿が輝いている。









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拝殿は辺津宮を思い起こさせた。

ご祭神は掲示板によると、
「皇祖天照大神の三女神・湍津姫(たぎつひめ)神、別の大御名を道主貴と申し上げ、あらゆる道を司り給う最高最貴の神様をお祀り申し上げております。」とある。
春季大祭 旧暦3月15日
秋季大祭 旧暦9月15日









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ご神殿は内削ぎ。鰹木が丸と四角の珍しい取り合わせだ。

造営は「筑前国続風土記拾遺」によると、永禄9年、大宮司氏貞によるという。永禄9年は1566年。戦国時代に造営されたことになる。









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手前の赤い灯篭に揮毫がある。これは東郷平八郎の手になるものだそうだ。

社殿は巽(たつみ)の方角、すなわち田島を向いているという。
田島とは辺津宮の鎮座地のこと。









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帰路、参道から宗像の山々が良く見えていた。



福岡県神社誌の「宗像神社」を見ていると、驚くものを見つけた。
その神徳が列挙されているのだが、

 交通主宰の神。国土開発の神。外敵覆滅の神。武運長久の神。
 酒造りの元祖神。本朝八幡宮の根本神。弁財天の総本社。

とあり、三女神が「本朝八幡宮の根本神」と書かれていた。

宇佐八幡宮の祭神は
   八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后
で、この「比売大神」とは三女神なのか、何故中央に祀られているのか、という謎がずっとあったが、宗像大社の方でも、「本朝八幡宮の根本神」と伝えているということは、やはり、比売大神とは三女神であるということになる。そして、中央に祀られる存在だということになる。

思いがけない伝承だったが、
これはさらに、三女神は何故「八幡宮の根本神」なのか、
という新たな謎の出現となってしまった。

宇佐八幡宮の本宮は何故大分宮なのか、という謎と共に。

『神功皇后伝承を歩く』大分八幡宮 下巻84


<2017年12月3日>




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by lunabura | 2017-12-03 21:56 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(0)

宗像大島の観光にはバスツアーが欲しい




宗像大島の観光にはバスツアーが欲しい




昨日の大島の旅はレンタカーを利用した。
予約はすぐに一杯。
あとは周回するバスを利用するしかないが、一時間に一本。
一か所に降りても5分か10分しか必要でなく、ひたすらバスを待つしかない。

それも12月からの冬季には土日だけしか運航しないというので、フェリー客は中津宮ぐらいしか観光できなくなる。いったんバスに乗って降りれば、夏の暑さや寒風の吹きさらす中でバスを待つことになる。

他には自家用車をフェリーに乗せていく手段があるが、初めての旅ならフェリーに乗って、島のガイドに案内してもらって島を一周するのが理想的だ。

島を巡ってみると、そのダイナミックな海岸や起伏のある島内、完備された遊歩道など、そのあふれる魅力に驚いた。遊歩道を歩きたくても、バスの時間が気になって歩くことはできない。

食事も平日は食べるところがない。あらかじめ知っていたので、パンや果物を持参した。

是非とも、フェリーの発着に合わせて、2時間から4時間の観光コースを作り、食事も含めたコースが選べるようにしてほしい。そうしないと、大島のフェリーターミナルで途方に暮れる人が出てくるだろう。

世界遺産に登録されて、多くの人々が憧れる大島になった。
観光協会など、関連のところに早急に対策を立ててほしいと思った。






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by lunabura | 2017-11-22 20:38 | お知らせ | Trackback | Comments(2)

ウーナ10 宗像大島行 市杵島姫の縁はつづく



ウーナ10

宗像大島行 市杵島姫の縁はつづく
 


今日は初めての大島へ。
交通事情が分からず、渡ることがなかったが、菊如と崋山が最近大島に渡り、厳島神社とのご縁を得て、秋の祭のために再び渡ることになったので、私も同行させてもらった。

そして、大島に祀られる市杵島姫に玉串を捧げるご縁をいただいた。
まだまだ、イチキシマ姫の旅は続いていた。


今日は備忘のためのもの。








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フェリーを待つ間、宗像神社頓宮へ。









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大島が見える。











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大島の厳島神社。










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夢の小夜島。









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宗像大社中津宮。










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沖ノ島遥拝所。沖ノ島が見えた。









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ガドゥが物見をした岩。








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加代(かしろ)浜。










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沖ノ島。展望所より。









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御嶽宮。英彦山がみえるという。


もやが掛かりながらも、沖ノ島が良く見えた幸運な日だった。





<2017年11月21日>



異世界小説





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by lunabura | 2017-11-21 20:28 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご101 物部神社2 板部城と中津隈城



ひめちゃご101

物部神社2 

板部城と中津隈城
 


さて、物部神社の西から聞こえてきた
「私たちはここにいます」という森について、
密かに筑後国造の調査を期待していたが、やはり調べてくれた♪

以下はそのコメントだ。

<物部神社の西の森は、板部城という中世の城跡で、古墳は無いようです。
しかし物部神社の西500mの宝満神社
(祭神は玉依姫命であり、息長足姫命、市杵島姫命、大山咋命も合祀されています)
の境内には、前方後円墳である中津隈宝満宮古墳や
他の古墳の石室の石材が露出しています。
また、三階松紋もあります。>

このように、西の森には板部城があることが分かった。

また、さらに西にある中津隈宝満神社にも三階松紋があるという。
「宝満神社と三階松」は珍しい組み合わせになる。

実は、これと前後して、地元に詳しい方が
その宝満神社の画像と掲示板の説明文を寄せてくれた。








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幡の上部に赤い三階松紋が見える。
この石垣が古墳の形状を残しているのだろうか。
ほかの古墳の石材もあるということで、
もともと複数の古墳が築造されていたようだ。

この宝満神社自体は732年に松本というところに勧請されたのが、
812年に現地に遷されたということだ。

すでに古墳があったので、神社を建てる時に一部の古墳が壊されたのだろう。

「城」の話を手掛かりに『北茂安町史』を調べてみた。
すると、ここにも中津隈城があったという。
そして、この中津隈宝満神社が城の核とされていた。

つまり、中津隈城の丘の歴史は、もともと古墳があり、
神社が建ち、城が建てられたことになる。

これと同様の歴史を辿ったのが物部神社と板部城のようだ。



町史によると、板部城の敷地に関しては、
西の森説と、物部神社を含んだ敷地説の二つに分かれるという。











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物部神社の境内には上のように古墳の奥壁が並んでいる。
城を建造するときに、奥壁だけ残されて祀られたような趣だ。

この古墳は物部神社敷地にあったものか、
あるいは西の森から移されたのではないか。














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この場所について、チェリーが新たに作成してくれていた
現地周囲の地図があるので、見てみよう。

物部神社の西に島が見える。(「スーパー地形」の「形」の右側)
これが「中津隈西」といい、中津隈宝満神社が鎮座する所と思われる。

そして、物部神社の南に涙の形をした島(岬)が見える。
そこを「中津隈東」と呼ぶようだ。

「隈」は天文観測所の可能性がある。

「西」と「東」があるということは、中央があるということだ。
「西」と「東」に挟まれた岬には重要な施設があったのではないか。

地名と地形からそんなことを考えた。

なお、『風土記』には物部神社の北、綾部八幡宮の南の地点に
「郡役所」があったことが書かれている。
その場所が神社の形で残っていたら素晴らしいが。

そして、綾部~物部の舌状台地の東を流れる川が寒水川だ。
寒水川といえば、先日の朝倉の水害で氾濫した川と同じ名だ。

綾部~物部の東の寒水川も土砂崩れが起こって、僧が祈っている。
(九千部山の語源由来)
周囲は花崗岩質の風化土からなる丘陵地帯で、
綾部の民が故郷に戻らず居ついたのも納得できる。

さらに古くは阿蘇Ⅳの火砕流が及んだ所でもあるという。
これは9万年前の話だ。

三人の情報のおかげで、漠然としたまま素通りするところが、
地形と由緒をしっかりとみることができた。
三人に感謝。

<2017年10月30日>





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by lunabura | 2017-10-30 21:08 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(7)

水沼三女神  『日本書紀』一書第三



水沼三女神

『日本書紀』一書第三



『日本書紀』では三女神について、いくつかの伝承を集め、
整理して記録しています。

「本文」に対して「一書」という形になっています。

そこには、私たちが断片でしか知らない話が一つの物語になって
載せられています。

今回は「水沼君」(みぬまのきみ)が祭る三女神の記録です。
ここに初めて「海北道中」「道主貴」(みちぬしのむち)が出てきます。

地形的には「ありなれ川」が筑紫を貫いて
右佐(宇佐)島と左佐島(天原)に分かれていた時代です。

筑紫は筑前、筑中、筑後の三府がありました。

例の如く、短縮したり、追加したりして現代風にしています。


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『日本書紀』【一書 第三】水沼三女神

アマテラス大神はスサノオ尊と天安河(あめのやすかわ)を隔て、
向かい合ってウケイをされました。

「もし悪い考えが無いなら、そなたが生んだ子供は男の子だろう。
もし男の子を生んだら私の子として高天原を治めさせよう」

そう言うと、
アマテラス大神はスサノオ尊の十握剣を食べて市杵島姫を生み、
九握剣を食べて湍津姫を生み、
八握剣を食べて田霧姫をお生みになりました。

 スサノオ尊がアマテラス大神の左の髷(まげ)の勾玉(まがたま)を
口に含んで左手に載せると男の子になりました。
「私の勝ですね」
そういうと、右の髷や首飾りなどから次々と男の子を六人お生みになりました。
この六人の男の神は約束どおり高天原を治めました。

 アマテラス大神が生んだ三柱の女神(ひめかみ)は
葦原中国の宇佐島に天下りされました。

今は海の北の道の中にいらっしゃいます。

名付けて道主貴(みちぬしのむち)と言います。
これは筑紫(ちくし)の水沼君らが祭る神です。


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水沼君の聖地は久留米市の赤司八幡神社。(下巻56)ここの縁起が詳しい。
政治の地は同市弓頭神社(下巻57)
ありなれ川のそばの湊は同市大善寺玉垂宮(下巻78)


みなさん、【「ご来福」しよう】の鈴を鳴らしておみくじを引きましたか?
実は、私が引いたのは「宗像大社」でしたよ。

タイミングの良さに、笑ってしまいました。

来週になりますが、ラブFMの「古代の福岡」のイベントに参加します。
『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群世界文化遺産登録記念イベントです。

そこで、「宗像三女神」と「女神に逢える福岡の神社」みたいなテーマで
話をする予定です。

おみくじがタイムリーでした^^


10月7日(土)と8日(日)の二日間の参加です。
天神の三越前か、その近くです。
はっきりしたらお知らせします。

てか、もう一週間切れた(;’∀’)

(これは以前書いたマスメディアとは別件です)


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by lunabura | 2017-09-30 20:58 | 赤司八幡宮・あかじ・久留米 | Trackback | Comments(0)

宗像三女神の誕生 『日本書紀』本文から



宗像三女神の誕生 

『日本書紀』本文から



宗像三女神の「誕生」にはいくつもの伝承があり、
また三女神の名も異説が沢山あります。

今日は『日本書紀』の本文を訳してみました。
現代人の理屈では理解できない部分があるので、
言葉を補ったり、簡略化したりしています。
(だからコピペはしないでね)


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イザナギ尊は自分の子供たちを集め、
アマテラス大神には高天原を、
スサノオ尊には青海原を治めるように命じました。

スサノオ尊は姉のアマテラス大神にお別れの挨拶を
しようと思って高天原に昇る時、
海が荒れ、山も激しく吹き荒れました。

アマテラス大神は驚いて、
「海や山が荒れるのはスサノオの猛々(たけだけ)しい心の表われだろう。
わが高天原を奪うつもりではないか」
と思って、男の髪型のミヅラを結って袴(はかま)を着けました。
勾玉の腕輪を着け、ミヅラにも勾玉をつけて、
武装してスサノオを待ち構えました。

スサノオはそれを見て、
「私には悪い考えはありません。お別れに来ただけです。
まさか、姉上がこんなに怒っているとは」と言いました。

アマテラス大神が
「悪い考えがないかどうか、証明しなさい」と言われたので、
「それではウケイをしましょう。
ウケイで占ってお互いに子供を生みましょう。
もし私が女の子を生んだら悪い考えがあり、
男の子を生んだら清らかな考えだということで、どうですか」

「よかろう」
と言うと、アマテラス大神はスサノオ尊から
十握剣(とつかのつるぎ)を貰いうけました。

それを三つに折ると、天の真名井(まない)でそそぎ、
噛み砕いてフッと吹き出すと、
その息吹(いぶき)の中から三人の姫神が生まれました。

名付けて田心(たごり)姫、湍津(たぎつ)姫、市杵島(いちきしま)姫といいます。

 スサノオ尊は勾玉を貰いうけて五人の男の神を生みました。
「私は男の子を生んだのだから、清らかな考えということが証明されましたね」
それを聞いて、アマテラス大神は
「分かった。
五人の男の神は私の勾玉から生まれたから、私の子供にしよう。
三人の女神はそなたの十握剣から生まれたからそなたの子にしよう」
と言われました。

この三柱の女神(ひめかみ)は筑紫(ちくし)の胸肩(むなかた)君らが祭っています。


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(このラインは「素材の小路」より)



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by lunabura | 2017-09-29 21:32 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご83 三女神 世界遺産登録



ひめちゃご83

三女神

世界遺産登録
 


 


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女神たちは天上に在り










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玄海の波の上に在り











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空に在り













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とこしえに守らせたまえ








<2017年7月9日 世界遺産登録の日>





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by lunabura | 2017-07-09 21:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿



ひめちゃご75

 英彦山神宮 

奉幣殿
 


英彦山には福岡県の男子が成人するとみんな登っていた。
父がそう話していたことを思い出した。

母に聞くと、母の故郷でもそうだったという。
福岡県の南部からも英彦山に登ったというのだ。

同じ話が真鍋大覚の本にも出ていたので、一般的な話だと分かった。







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福岡県中から成人した若者が英彦山に登っていたとは。

何のイニシエーションだろうか。

いったい何を求めて青年は登らねばならなかったのか。

英彦山神宮の主祭神は天忍穂耳命だ。
天忍穂耳に何故、祈らねばならなかったのか。


あるいは修験道にちなむ風習だったのか。

今は聞かない。
戦争でその風習は消えたのだろうか。

思えば、神武天皇も北九州の一宮神社の磐境神籬から
祈ったのは天忍穂耳だった。

日子、すなわちアマテラスの子と呼ばれる天忍穂耳。

この山は日子山から彦山となり、英彦山となった。

農耕の神、鉱山従事者の神の性格を持つ。当初は後者だろう。

筑紫の曙の頃の記憶を伝える神でもある。



友人から聞いたエピソードも思い出された。

友人が熊野に参拝したとき、社務所で、どこから来たのか尋ねられた。
福岡から来た、と答えると、
「お疲れさま、英彦山が元宮ですよ」
と言われたそうな。











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奉幣殿に着いた。








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昔と何も変わっていなかった。










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シャクナゲが咲く水場で水をいただく。
そうそう、高住神社も英彦山神宮も水がおいしい。
というか、神水だ。
ペットボトルを持っていこう。
リュックがあれば帰りも重くない。










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スロープカーで登って来た人たちがどっと訪れる。
憧れても登れない人たちがいた時代が千年以上もあったことからすると、
なんと良い時代になったことか。











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こちらは遥拝所で、頂上への登山口だ。
中宮に市杵島姫が姉姫たちと共に祀られている。

スロープカーで奉幣殿まで来て、ここから登れば
時短で市杵島姫に参拝できる。それも一手か。


二女神のラインが日王山を通って六ケ岳グランドクロスに届く。

地のラインだが、天空のラインとも呼びたい神々の世界だ。


奉幣殿から先は登山靴が必要だ。寒い季節はアイゼンも。

かつて春でも石段が凍って滑り台になっていたために断念したことがある。



雷鳴の間隔が短く近くなってきたが、不思議にあわてる気にならない。

なるようになるさ。








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長い石段を下りていく。

車に乗ると、ついに雨が降り出した。
ヒョウも降る。



途中、高木神社の祭に遭遇した。
ここだけは雨が降っていない。

そして、その町を抜けると土砂降りだった。

神輿を担ぐ人たちは周囲が雨とは知らなかっただろう。

神懸かった不思議な光景を見せられた。


『神功皇后伝承を歩く』上巻2 神功皇后は神武天皇の旧跡で祈った


<2017年5月7日>



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by lunabura | 2017-05-07 20:31 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)

ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか



ひめちゃご 72

英彦山は宗像に転写されたのか
 

前回は
「英彦山―六ケ岳」の間には
「三女神ライン」と名付けた一直線のラインが存在し、

それと重なりつつ、角度を変えて存在する
「日子ライン(日子―日王―日子)」が存在すること、
また、六ケ岳グランドクロスの持つ意味の考察などを記した。


が、
これらのラインが実際にどうやって測量されたのか、
という疑問が当然ながら出てくる。


それに簡単に答える画像をチェリーは添付してくれていた。

なんてことはない。
英彦山から見れば日王山と六ケ岳は目視できるのだ。
それが次の画像だ。










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まるで神々の視点を得たように美しく見えている。
英彦山からは日王山、六ケ岳がよく見えていた。
その奥には孔大寺山が雄大な姿を見せている。
この山の向こうは玄界灘だ。















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これは六ケ岳の上宮からの英彦山。逆からも当然ながら見えている。
こうしてみると、「英彦山北嶽ー中岳」は不思議な形だ。

この「英彦山北嶽」にいた「二女神」は「市杵島姫と合わせて三女神」となって、
「日王山」を経てこの「六ケ岳」に降臨した。

このように完璧な一本ラインが存在することは、
三女神の降臨神話は何らかの「寓話」として、あるいは「暗号」として
伝えられたのではないかという、新たな思いを生じさせた。

これまでは、「氏族は氏神を持って移動する」という考えで考察してきたが、
天空のこのラインはそれでは上手く説明できない。

何らかの別の意図があったのではないかと思うと、
かえって謎が深まってしまった。




つぎに「大己貴ライン」について考えた。

一枚目の画像に見える孔大寺山についてだが、

この山には宗像大社の摂社である孔大寺神社(こだいじ)がある。

その祭神が大己貴少彦名だ。

その麓に指来(さしたり)神社があり、

祭神は気長足姫命、阿蘇津彦命、大己貴命、高龗神、

少彦名命、水波能売命、豊日別命。



この指来神社の位置は綿密に目視しながら測量して決められたことを

チェリーはブログですでに証明していた。







二女神と暮らしていた「大己貴」は「英彦山北嶽」から宮若市の
「若宮八幡宮」を通り、「指来神社」に到達する。
そのラインは宗像大社辺津宮を通り、中津宮(大島)に延伸する。

大己貴と二女神が宗像でそれぞれの宮に鎮座しながらも、
英彦山への繋がりを伝えようとしているかのように見える。

大己貴は宗像の「許斐山(このみやま)」にも鎮座する。

まるで「英彦山」が宗像に転送、あるいは転写されたように見えてきた。
チェリーが「豊前坊」(高住神社)が孔大寺にあることを述べているが、
これも「英彦山」の拡大写し絵である印象を強くしている。


この、きっちりと測量されたラインが何の意味をするのか、
別次元の暗号があるのどうかも分からない。

今は、このラインを知ったことで十分だろう。

思えば、ここに挙げた山のうち、
許斐山、孔大寺山、六ケ岳、英彦山は全部二回(以上)は登っている。

チェリーの画像を持って、もう一度すべてを登り直したい気分になった。





                          <2017年5月1日>

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by lunabura | 2017-05-01 14:47 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご66 水鳥のすだく水沼を皇都となせり



ひめちゃご66

水鳥のすだく水沼を皇都となせり
 


三島神社の掲示板に足を止めた。
そこには万葉集の一首があった。

「水鳥のすだく水沼を都となせり」

そういえば、この歌は何処の歌かと思ったことがあった。
それがここか。

宮司に尋ねると、ここではなく、高三潴の方だという。
そうだ。高三潴こそ政治の地だった。


念のために万葉集を開いてみる。(岩波)

4261番
大君は神にし坐せば水鳥の多集く水沼を都となしつ 
おおきみはかみにしませばみずとりのすだくみぬまをみやことなしつ

作者詳らかならず
右の件の二首は、天平勝宝四年(752)二月二日に聞きて即ちここに載す


原典は以下のようになっている。

大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通
 
(※尓は山へん)

なんと原典では「都」ではなく「皇都」と書いてあるではないか。
これは大変なことだ。

「皇都」と単なる「都」では意味が違う。
これまではどうして「都」とされてきたのか。

「大君」は「大王」と書いてある。
これもそのまま「大王」で良かったはずである。

万葉集とは、かくも自由に文字変換されていたのか。

一般的な訳は、
大君は神でいらっしゃるので水鳥が集まってくる水沼の地を都とされた
で、
奈良の沼地に大君が木建設工事を采配して都を建設したような歌
となっている。


「右の件の二首」とあるので、
もう一首、その前に書かれた歌について確認してみた。

万葉集の編者は752年に聞いた歌を二首並べて載せていたのだ。

皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
おおきみは かみにしませば あかこまの はらばうたいを みやことなしつ

例の歌ではないか。

あの天智天皇がみやまヤマトの太神宮で祈りの日々を送って
腹赤魚をもらって吉兆とした謎解きの歌なのだ。

「田」とは「たんぼ」ではなく、「指標となる星」のことで、
「赤駒」とは低緯度オーロラ。

すなわち、オーロラがでる北の天帝の座をも統べるようになったという歌で、
中大兄皇子が長い皇太子時代を終えて天皇の座に就いたという意味が
込められていた。

奈良で泥田を干拓した土木工事の素晴らしさを詠んだという
通説の歌ではないことを確認していた。

まさか、ここに戻ってくるとは。

万葉集の編者は、これが水奴麻(水沼)の皇家と都を示す歌と知ったために、
黙って置いたのか。

「水鳥乃 須太久水奴麻」は「皇都」
水沼の地に「皇都」があった。

こんな重要な歌を知ったため、説明を加えずに置いた。
そんな配慮があったのか。

これが時々浮上してくる三潴の皇都説の由来か。


「水沼」は倭妙類聚抄には「筑後国三潴郡美無万」とあるらしい。


水沼とは天と人をつなぐ巫女を出す家。
そこに入り婿した国乳別皇子。

政治の地、高三潴。(弓頭神社)(下巻57)
国際港、大善寺。(大善寺玉垂宮)(下巻78)

国乳別皇子の霊島、三潴郡大木町。
三女神が降臨した聖地、赤司(赤司八幡神社)(下巻56)

筑後川の真水と有明海の海水がせめぎ合い、
水と干潟が日に何度も姿を変えるところ。

それが水沼の統べる皇都だったというのか。




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水沼ノ総社 三島神社







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by lunabura | 2017-04-11 20:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(21)
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