ひもろぎ逍遥

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洞(くき)と企救(きく)の地名の由来



洞(くき)と企救(きく)
の地名の由来


北九州市に「くき」と「きく」という間違えやすい地名があります。

洞海湾を昔は「洞の海」と書いて「くきのうみ」と呼んでいました。
また、その東にある企救半島は「きく」と読みます。
菊や聞の字を当てるケースもあります。

「くき」の海と「きく」半島の地名の由来は
「北斗七星」から来ていると真鍋大覚は伝えています。


「北斗七星」を「規矩の星」(きくのほし)と呼ぶ集団がいました。
中国語で「規」とはコンパス、「矩」とはサシガネ(L字型定規)のことです。








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北斗七星の柄をサシガネに見立て、
マスの部分をコンパスで描いた円に見立てたのです。

そのサシガネと円の形を洞海湾と企救半島に重ね合わせた結果、
クキとキクという表現が生まれました。

洞海湾と企救半島に地名がまだ無い時代、
北斗七星になぞらえて表現した訳です。

サシガネとコンパスはいつの時代からあるのでしょうか。

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は
中国神話に出てくる「人類を創造した神」ですが、
女媧の手にはコンパス(規)、伏羲の手にはサシガネ(矩)があります。

太古からこの二つの製図道具があった証しです。

北斗七星は北にあるので、南に住む人が名付けたことになりますが、
真鍋は宇佐からの見立てだと言います。

宇佐に住む集団が北斗七星を見て、規と矩を連想し、
宇佐の北にある北九州市の地形を呼ぶとき、
洞海湾はサシガネのように細く曲がった地、
企救半島は円の中に入る地、
そんなイメージを持って、北斗七星の印象を重ねたということになります。

「キ」と「ク」だけでは分からないので、
「キクのキ」「クキのク」と強調表現をしたのでしょう。

新羅が攻めてこないように、関門として、北斗七星を並べたそうです。
北斗七星(規矩の星)の守護を願ったのでしょうか。




<2017年3月19日>

※ コメント欄が現在使えないようです。連休明けに直るかな? (´-ω-`)


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by lunabura | 2017-03-19 21:42 | <地名の由来> | Trackback | Comments(2)

天豊財重日足姫天皇の名に星の名が込められていた



天豊財重日足姫天皇の名に

星の名が込められていた





天豊財重日足姫天皇
(あめのとよたからいかしひたらしひめ)
とは斉明天皇の名です。
皇極天皇とも言いますね。

この長い名前の一部「重日足」は「いかしひたらし」と読みますが、
これはシリウス星を指しているそうです。

「古代エジプト人は夏至の東の空に上がるシリウスを
ソティス、あるいはコプトと崇めた」
と真鍋は書いています。

ソティスとは豊穣の女神で、イシスの化身ともされています。
コプトとはプタハとも言い、鍛冶や職人の守護神だそうです。




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(左 ソティス 右 コプト)

シリウスを見て、豊穣を祈る氏族と、
鍛冶の成功を祈る氏族がいたということになります。

後者については、
シリウスはそのプラチナのような、ダイヤモンドのような輝きから
坩堝の職人たちが生み出した結晶とも例えられ、
その達人は石上(いそのかみ)、あるいは五十師(いそし)、
あるいは伊覩率(いとし)とも呼ばれていたそうです。

そう、この名前は五十迹手(いとて)の所に出てきます。『日本書紀』にね。
拙著『神功皇后伝承を歩く』では上巻28高祖神社p85に書いています。

伊都の県主の祖である五十迹手(いとて)を仲哀天皇が「いそいそし」とほめますが、
これは「坩堝の達人」という意味だと言うことになります。




また、前者については、
「古代エジプトでは夏至の正午を一年の中日」としたそうです。
つまり、夏至の朝、シリウスの出を見て、
その日を一年の折り返しと認識したわけです。
これは暦を作る人たちの考えになりますね。

シリウスはナイル川の氾濫を知らせる星でもあるので、
豊穣をもたらす女神だったということになります。


さて、タイトルの斉明天皇の名前ですが、
天豊財重日足姫天皇の「重日足」を「いかしひたらし」と読むののですが、
「いかたらし星」もまたシリウスを指しているそうです。

「斉明」も、「最明」と同じ「さいめい」ということから、
夜空で一番明るい星、シリウスを指しているとか。
「恵蘇星」(えそのほし)もまたシリウスのことです。



そうすると、斉明天皇のモガリの宮だった朝倉の「恵蘇八幡宮」の「恵蘇」もまた
シリウスを指していると読めます。

これは天武天皇が命名した社号だそうですが、
天武天皇もまた夜空のシリウスを見るたびに母帝斉明天皇を思い出し、
「最明の星」シリウスの別名として「恵蘇」を
モガリの宮に付けたのかもしれませんね。



以上、次回の歴史カフェの予習編でした。^^

 <2016年10月24日>

12回の歴史カフェの予習にもなるので、再掲しますね。

<2017年3月3日>





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by lunabura | 2017-03-03 01:12 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご42 「7」はシュメールの聖数 



ひめちゃご42


「7」はシュメールの聖数 
 


神功皇后が「七日七晩」籠って祈ったという話が『日本書紀』に書かれているが、
この「7日」という日数を他でもいくつか採取した。

「七日七晩」

これを聞くと現代人は「ああ、一週間か」と簡単に脳内変換するが、
紀元200年(日本書紀説)ごろに「七日」という単位があることが
ずっと不思議だった。

「七曜」は平安時代に空海が唐から密教とともに「宿曜経(すくようきょう)」として日本へ持ち帰ってきたという。

神功伝からは、すでにその前から「七」という数字が
祈願成就の単位として存在していたということになる。

この「7」は聖なる数と言えよう。

どの民族かが自分たちの文化と共にその概念を倭国にもたらした。

この「7」について、真鍋は
シュメールの聖数が「7」だ、と書き遺していた。

以下、『儺の国の星』p20より。(読みやすく変更)

<古代中東のシュメール帝国(前2900~1955)は
天変地異の輪廻の明けを七百七歳としました。

七はシュメール民族の聖数でありまして、
現行の七曜はその遺風であります。

始元の数を一とする文化の発祥地であり、
零を始元とする印度アーリア民族とは異なり、
数え年(かぞえどし)の式例を日本にまで及ぼしました。

この値の由来は太陽暦706年と、太陰暦8732月の差が
わずか0.11354日であり、日食月食の会合周期として
暦書作成の基本としたからであります。>

これによると、
シュメールは707年ごとに天変地異が繰り返すという思想を持っていて、
「7」を聖なる数字としていた。

彼らは数字を数える時、「1」からカウントするが、
それに対してインドのアーリア人は「0」から数えた。

(インドの「0の発見」は仏教の「無の思想」と結びつけられている。)

これに対して「1」から数え始める思想は
私たち日本人が人生の年数を「数え」で表すことに反映されている。

これは胎内にいる10月10日(とつきとおか)を一年と数えるため、
生まれた時には既に一歳児となっているという考えが元になっている。

これでは不便なので、「0歳」からスタートする「満」を並行して使用している。

つまり、私たちの日常に始元を「0」、あるいは「1」とする二民族の思想が入り込み、
使い分けをしているということになる。


シュメールが「7」を聖数とし「707」を天変地異の輪廻とする理由は
暦の計算から来た。

太陽暦と太陰暦を併用すると、端数がずっと出て、
累積されると季節感もずれるために調整していくのだが、
約706年後に再び二つの周期が一致する。

この太陽太陰の会合周期と天変地異の周期が連動するというのが、
「7」を聖数とする理由となる。

言い換えれば、シュメールにとって「7」とは
災害警鐘の暗号が込められている鎮めの祈りの数なのだ。


さて、この「707」年の災害周期に関して、
日本でも「性空上人」(しょうくうしょうにん)によって確認されたということが
同書に書かれている。


<花山院(968~1008)の御意を承りて、
地震噴火の動静を会得した性空上人(91~1007)は、
筑紫の伝説でありました山焼(やまやけ)、山燃(やまもえ)、山篝(やまかがり)
即ち噴火の年代が678年8497月ごとに起こる事実を確かめました。

その差はわずか0.02683日でありますから、日本人はいつの頃か、
大陸より遥か程度の高い暦数を知っていたことになります。>

性空上人は脊振山でも修行しているので、筑紫の伝説に接したのはこの時だろう。

噴火が約700年ごとに起きているということを計算したようだ。

有明海の津波も「夜渡七十」すなわち70年ごとに起こっていた。

「7」は、天変地異のサイクルとして畏れられていたのだろう。


さらに、この本は「スバルとシュメール」についても触れている。

<儒波屡(すばる)とは、
源順(911~983)の倭妙類聚抄にある万葉仮名であり、
中東では七星で描写されておりました。

シュメールの聖なる星が春分点に輝いた時代からの名が
伝えられたのかもしれません。>

倭妙類聚抄に「スバル」という読みが書かれていた。
つまり、平安時代には既にプレアデスを「すばる」と呼んでいたことになる。

スバルは六連星(むつれぼし)とも言い、後には六星と捉えられるようになるが、
古代には「七星」で描かれている。

シュメールはスバルを「七星」の聖なる星としていた。

さて、現代。

七色が七回登る「七面山」という意味には
災害を鎮めるというシュメールの聖数「7」の意味が
込められているのかもしれない。







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by lunabura | 2016-12-17 20:23 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)

榧星 かやのほし ベガ 伽耶とはベガを祀る天壇



榧星 かやのほし ベガ


伽耶とはベガを祀る天壇


天の川を挟んで輝く織女と彦星。
織姫星はベガ。

そのベガについて、今日は『儺の国の星』を読んでみます。
今日は、その一部の抜粋です。p156

<榧星 かやのほし> ベガ

古事記神代記上に曰く、
野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。
またの名は野椎神(のづちのかみ)という。

榧星は織女ベガの古名である。

地中海の神話には榧(かや)を神女巫人の化身として
崇(あが)められているときく。
幹の中心部が女人の血液に似て、朱赤に染まっているからと説かれる。


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                画像出典 ウィキペディア
(略)


織女の古名をガリヤと言う。

トロヤ人は母なる大地を女神とした。
そしてエトルリア人は色女として、
冬至の夜に大地に接する彼方をガリヤと呼んだ。

今のライン川とローヌ川あるいはドナウ川のあたりで、
ローマ皇帝ユリウス・カエサルが太守としてその植民地に開拓した地方である。


(略)

韓人倭人は織女を祈る天壇を伽耶と唱えた。
遠く離れた地中海のガイヤに遡る古語である。


ベガを榧の木の精と見たのは地中海の人々。
それは女神の姿で語られました。

トロヤ人もエトルリア人も大地を女神としました。
同様に日本の神話でも野の神は女神でした。



私たちは七夕の時だけ、織女を意識しますが、
時代ごと、季節ごとに方角と時間を変えて姿を見せていました。

古代ヨーロッパで見えたベガは
冬至の夜に大地近くで冷たく輝いていたといいます。

あと少し、寒さを乗り切れば春が到来することを教えてくれる
「春の女神」でもあったそうです。



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           左 彦星 右 織女ベガ


凍り付いた北欧の大地近くに春の女神・ベガが輝く頃は夜も長いことでしょう。

短い昼に凍えた手をふところから出して、食事の支度をしたのでしょうか。

星を仰いでたくましく生き抜いた人間の強さが、心に浮かびます。


「伽耶」(かや)ということばはそんなベガを祀って祈る天壇だったといいます。

その語源がガイヤから来ているということは、
倭人の記憶の中に、遠い西の果ての祈りの心が残っているということでしょうか。




そのベガを志賀星(しがのほし)とも呼ぶそうです。
                          p166p156






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by lunabura | 2016-11-01 21:32 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

日向星(ひむかみぼし)スハイル星 冬至、春分の目安星



日向星(ひむかみぼし)

帆座 アル スハイル アル ワズン
冬至、春分の日の目安の星
 




太陽を観測するだけではどの日が冬至か、夏至か、あるいは春分、秋分か、
目測では決め難い。

暦があるからこそ、観測できるものだ。

特に、太陽がUターンする夏至や冬至は振り子が止まって見えるように、
留まってみえる(だろう)。

(だろう)というのは、寝坊助には観測の経験が無いから(^^;




古代の人はどうやって見定めたのか。

星見の物部はこれに星の観測を組み合わせていたという。
その時を告げる星を日向星と呼んだ。

学名でアル スハイル アル ワズン。
略してスハイル星という。

以下、『儺の国の星拾遺』から


<冬至>
神代の昔、遠い祖先は暁方にこの星が南の果てに上がるのを見て
冬至の日を見定めたと語られている。

やがて朝日が上がるのを家屋の左端に望んで、
春を待つ心によろこびを感じたと語られている。

今は赤緯歳差で南天の彼方に去ったが、
古今和歌集の頃は大寒厳冬の最中になっていた。

氷上星(ひかみのほし)、或いは氷室星(ひむろのほし)
日甦星(ひのかわりぼし)、氷川星(ひかわのほし)がこれであった。

<春分>
また暮れ方のまだ明るい春霞の彼方に
彼岸の中日に眺めることが出来たところから、
中日星(なかびのほし)、或いは日拝星(ひおがみぼし)、
日向神星(ひうがみぼし)などの名もあったという。

<道真公>
延喜式以降、筑紫では天神星(てんじんのほし)の名が
いつとはなしに出来上がった。
菅原道真の命日に見えたと伝えられる星であった。

<立冬>
今から1994年昔は、
明け方にこの星が有明の干潟の彼方に上がる日が立冬であった。

その頃は立冬を元旦とする氏族も多かった。
因りてこれを冬日星(とうひのほし)、なまって登志星(としのほし)と
呼んでいた。

以上『儺の国の星拾遺』p202

< >は綾杉が追加したもの。


まとめ

スハイル星
冬至 明け方、南から昇る。 氷上星。
春分 暮れ方、明るい春霞の彼方(西?) 中日星、日拝星、日向神星、
立冬 (太宰府から見て?)有明海の方角から昇る。 冬日星、登志星
旧2月25日 道真公の命日にちなんで 天神星



星が季節によって時間と方角を変えて姿を見せる。
ダイナミックな宇宙の動きを古代の人は感じていたんだな。

「日向」の地名を地図で探すと次々に出てくる。
案外、天体観測に関連する地形だったのかもしれない。

日向神(ひゅうがみ)は地名だが、星の名でもあったとは興味深い。
人々は辿りついた地に星の名を付けていったという。
美しい話だ。


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                     画像出典 ウィキペディア 
帆座 λ(ラムダ)が スハイル星




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by lunabura | 2016-10-31 21:03 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(2)

白鳥座 規矩星 きくのほし



白鳥座

規矩星(きくのほし)






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<「さきくさ」は聖書の百合であり、天文学でいう星座の白鳥キグナスであった。

古事記允恭記には木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と
衣通郎女(そとおしのいらつめ)の名が見える。

白鳥座の古名は十薹星(そとうのほし)、木梨星(きなしのほし)、
軽子星(かるのほし)などがあった。

機久(規矩・木魂)星(きくのほし)。物干し竿を衣透(そとほし)といった。

星は記紀の頃にはすでに古人の心に身に溶けてしまって、
表にはもはや出てこなかったのである。>

『儺の国の星』p188


白鳥座もまた見る人によって異なる物語を持っていました。

『古事記』の衣通姫、軽大郎女は同じ人で、
白鳥座の名を持った人ということになります。
でも、『古事記』の時代には星の意味は忘れ去られたようですね。




c0222861_2023073.png

(画像出典 ウィキペディア)

白鳥座を規矩(きく)の星とも言ったそうです。

確か、規矩の星と言って北斗七星を指すという話も載っていたと思います。

さて、企救(きく)国は白鳥座なのか、北斗七星なのか。
どっちかな。



以下はウィキペディアから。

衣通姫(そとおりひめ、そとおし-)は、記紀にて伝承される女性。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される。

『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。




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by lunabura | 2016-10-29 20:06 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

準備中



今年はキンモクセイの花がびっしりと咲いて、
家中に香りが漂いました。

撮った画像を見たら、空っぽ。
なんだ、バッテリー無しで撮ったんだ。

わずか一週間で散ったけれど、
今日は土の上に黄金色の小花の重なりがびっしり。
その間から水仙の芽が出ています。

キンモクセイはもうすぐ二番花が咲いて、
もう一度、甘い香りを漂わせてくれます。





さて、昨日から歴史カフェのテキストに画像を入れる作業をしています。

文字ばかりの資料にカラーの画像をたっぷりと入れていくと、
ワクワク楽しくなってきます。

自分で天智天皇紀を読んでみると、知らなかったことばかりでした。

人の考えを通さず、自分の目で見ると
ウロコがびっしりと付いてたんだなあ、とよく分かりました。(^_-)-☆

難しいけど、今回もやっぱり原典を読みましょう。

今回は真鍋大覚の資料と突き合わせるので、
ほぼチーム・アンドロメダです。

「チームア・アンドロメダ」とは、
アンドロメダを大覚星とも呼ぶことから勝手に付けた研究会の名前です。

さて、このアンドロメダ星雲を「太歳の星」とも呼ぶそうです。


神功皇后の時代、太歳の予定の日に日食が起こって空が暗くなり、
アンドロメダが日中に黄金色に輝いたことから付いたそうです。







c0222861_233988.jpg






人々は驚き、その神秘性を心に深く刻んだのでしょうね。


ということは、神功皇后は即位したんだろうな。
田川の位登八幡で。
筑紫の資料では「十五代」と書かれたものを見かけるもんね。
中国の史料にも。

そして、天智天皇もまた「太歳」した年に即位したんだろうね。

以上、これも歴史カフェの予習編でした。






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by lunabura | 2016-10-27 23:05 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

リラとベガの和名・ リラは伊豫・ベガは志賀


リラとベガの和名

リラは伊豫・ベガは志賀

琴座はリラ。
この美しい発音を倭人は上手く出来なくて、イヨと発音したといいます。

また、織姫星はベガ。
天の川のほとりに輝くベガも倭人が発音するとチカ、シカとなったと
真鍋は言いました。

志賀星 ベガ
 北辰が左枢(さすの)星(ほし)と右枢(うすの)星(ほし)を双方に立てた時代は、垂仁帝三十七(後八)年であった。伊勢神宮御遷座は同二十五(前五)であったから、何かこの前後に日と星の天文観測があったらしい。かつての井澗(しかの)(志賀)星であった織女が、北天に燦爛と輝いていた時代は一四〇〇〇年前のことであった。そして織女(※ベガ)が最も遠く北天から離れた時代は、一條帝正暦三(後992)年の頃であった。『儺の国の星拾遺』p154


北辰とは北極星。左枢星と右枢星とはポラリスとツバーン。
「阿氐良」(アテラ「麻氐良」(マテラ)と同じ意味ですね。

弥生時代は北極を示す星がなくて、ポラリスとツバーンを見て、
北を決めていたという話は何度か書きました。

じゃあ、何にもない、真っ暗な北を何と呼んだか?
「天御中主」と言ったそうです。
そう、志賀島の元宮三宮の沖津島。
ここには「天御中主」が祀られています。

さて北極星は時代によって変わります。
現代はポラリス。縄文時代のころはツバーン。
そして、14000年前の頃、(旧石器?)の北極星はベガでした。
「ベガは氷河を煌々(こうこう)と照らしていた」ことになります。(p157)

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 榧(かやの)星(ほし)は織女ベガの古名である。(略)
 琴座リラを倭人は伊豫とよんでいた。

 魏志倭人伝に伊邪(いや)なる国名は、何か西域の遥か彼方の神話を千七百年昔まで保存していたかのごとき響きをあたえていたものと感ぜられる。

所はいずれも肥前松浦の地で太(おほ)身(みみ)の氏族が青海原を前に逞しく生きていた地である。又の名を千顆(ちくわ)の里という。無数の島々が碧潭(へきたん)に連なる地でもある。

 昔はv,w,b,t,nは音が交って聞きとりも書きとりも難儀した時代があった。これは近東民族のきわめて珍しい先天的素質であった。

前述のベガは、この方式に則して倭人に伝えられた訛をさがすと、値(ち)加(か)、志賀或は千岩(ちいわ)などの地名を挙げることができる。

そして又l,r,yが言い別けられぬ倭人にあってはリラは伊豫(いよ)などの地名として昔生きていたことにもなるのである。 『儺の国の星』p156  榧星 ベガ


あれあれ、魏志倭人伝に出てくる「伊邪」国は松浦にあったと言ってますね。
松浦=末廬が通説ですが、これもまた見直しか…。

太身族については、他所にもいくつか見られます。
断片を繋ぎ合せて、いつか紹介できたらと思っています。

異国の人の発音は難しいですよね。
中近東の人の発音を聞いたら今でも難しい。

ベガ (vとtが混乱)→ チカ・シカ → 値加・志賀
リラ (l、r、yの区別がつかない) → イヨ → 伊豫

思いっ切り変わったもんですな。

「魚」の発音が上手くできないことを思い出します。
(ユー・イユー・イオ・イヲ)

日本人はlとrは今も区別が苦手です。
中国語のリーはジーと聞こえる時があります (^_^;)
2000年以上経っても、耳は弥生人のままの、るなでした。(´・ω・`)

それにしても、伊豫の国がリラの国だったとは、
星の名が地名になって行くのですが、これは想像つかなかった。


2015年1月6日



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by lunabura | 2016-07-05 09:01 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(2)

脇巫女 25 神秘のセイリオス


脇巫女 25
 WAKIMIKO
神秘のセイリオス


2015年12月25日。

ようやく天気予報に星マークがついた。
六ケ岳に出るシリウスを観測するチャンスだ。
カレンダーを見ると、すでに「シリウス観測」というメモを
その日の所に書き込んでいた。
星読から初めて聞いた日に書き込んだものだ。
結局、当初の直観が正しかった。

この日をメモしたのには理由があった。

古代の人が冬の間ずっと出続けるシリウスを祀るために
祭日を設けるとしたら、新月か満月の時だろうと睨んだのだ。

しかし、新月を待つとしたら来年になってしまう。
それなら、満月しかないな。一番星が見えない日だけど、
と思いながらチェックしたのだった。

今年は満月とクリスマスが重なる。
ベツレヘムの星はシリウスとも言われている。
何か意味ありげでもある。

タツさんの予測した時刻は20:30。
シリウスが六ケ岳山頂で輝く時間だ。
実際に確認した星読が「その10分ほど前に稜線に現れて山頂に昇っていく」
という興味深い現象を話したので、20時頃に現地入りすればよい。

いや、待てよ。
夜だから場所が分からない事もあるかもしれないから、もう少し前だ。
と考えて7:50には到着するようにした。

六嶽神社に行って参拝を済ませて境内の右手から出れば目的の公民館がある。
しかし、夜中の神社は漆黒の闇に包まれていて、さすがに恐ろしげだった。
すぐにあきらめた。

次に公民館を目指すが、ナビに出てこない。
最初の路地から入ってみて、星読を待つことにした。
まもなくやって来た星読に先導されて六嶽神社の裏手に出た。
やはり、案内人がいなくては夜中の探査は無理だった。

公民館の周囲は明るかった。
「ボッコン、ボッコンの左の方」
と星読が崎戸山を教えてくれるが、それじゃあ分からん。
ボッコンという単語は私には引っ込んだ所という印象なのだ。
星読にとっては山を指す表現らしい。
星を見ているうちに、二つのピークの左手が「崎戸山」ということが分かった。
「崎戸山」(さきとやま)こそ、三女神が降臨したと言われる山なのだ。

観測ポイントを決めたので、裏手から入って六嶽神社に参拝する。
初めて当社に来た時もこの道からだったが、
木の根に足を取られ、記憶とは違う道のように思えた。
社前に出て、ようやく見慣れた景色を思い出した。

常夜灯が一つだけ、境内を照らす。
参拝を済ませて上空を見ると満月が木の枝の向こうに輝く。
足元はまるで木漏れ日を通したような影が出来ている。

そして、拝殿の屋根の上方にオリオンの三ツ星がかすかに姿を見せていた。
星読がメールで「三ツ星が三女神ではないか」と言った理由が腑に落ちた。

三女神を祀る神社の上空に三ツ星が掛かろうとしていた。
もうすぐ、真上に来るだろう。
まっすぐ。立ち上がって。

「ここに座って見上げると、六ケ岳が正面に見えて、
シリウスと三ツ星が縦に並ぶのが見えたのでは」
と星読が言う。

星読の心にはアグラをかいて星の出を待つ氏族の長(おさ)の姿が
あるようだった。
その発想は私にないものだった。
星読自身が過去世で、ここでそうやって祀ったのだろう。
そして、2700年経って再発見した。
そう考えると面白い。
過去世をやり直すことは、ままあることだ。

私は初めて三脚を設置した。
デジカメも「星空」バージョンだ。
こんなことは明るいうちにして置かねばならない、
とテレビで言っていたが、本当だった。

夫が懐中電灯で照らしてくれて、シャッターを押せる状態になった。
――ようわからん。押してみるわ。
すると、いきなり「15秒」が出てきて、
カウントダウンし始めたのでびっくりした。
何と便利なのだ。

こんな風にごたごたしていると、
星読が公民館の方から「ミルザムが頂上に出た」という。
三脚を持って移動する。

もう、少し離れていた。
「撮れた?」
「分からない」
星影のような小さなものはパソコンに移さないと分からないだろう。
「ミルザムを撮ってから、神社に戻って三ツ星だね」
「そして、公民館でシリウスの出を撮る」
結局は、もう一度神社に戻って三ツ星を撮った。
次回はこれで行こう。

本来、境内から見えていたと思われる景色は
社殿と杜があるので、行ったり来たりして撮らねばならない。

外気温は5度。

満月に照らされる崎戸山を見つめる。

宙でピカッピカッと何かが光った。

そしてその真下からついにシリウスが出て来た。

樹木の間からクリアなプラチナ色がぽつんと見えた。

太陽と違って光芒がないのでクリアだ。

色は赤、青、緑、黄色、白と変化しながら光彩を放っている。
白銀色ではあるが、チカチカと変化しているのだ。

全体が出ると、シリウスは稜線を昇り始めた。
速い。
シリウスの動きが目で観測できるのだ。
木のいただきを一つ一つ辿りながら動いているのがよくわかる。
まるで意思を持つ者のように。

三分の一ほど稜線を辿るとシリウスは上を見た。
そしておもむろに稜線を離れていく。
離陸した飛行機より大きな角度でぐんぐんと頂上を目指す。
シリウスが頂上のラインに達した時には山頂からかなり上だった。
タツさんが計算した通りだった。

そして、私たちは更にその上で淡く輝くオリオンの三ツ星も気にしていた。

山頂と三ツ星とシリウスが一直線に並ぶのではないか。

シリウスがガンガン昇ってくるのを三ツ星は歩調を緩めて待っていた。
それはまるで三女神がセイリオスを待つ姿に見えた。

シリウスの別名、セイリオス。
これがセオリスと変化したのなら、まさしく
セオリツ姫を三女神がお守りするような位置関係だった。

だから、六つのピークのうち、三女神が降臨したのは
「崎戸山」でなければならなかったのだ。

三女神が降臨したというのはこの瞬間ではないか。

そして、何故その時、セイリオスが山頂にあるのか。

その訳は星読の託宣にヒントがあった。
クマソの絶対神セオリツ姫の血を受け継ぐ巫女が三女神なのだ。

「周囲の四つの星は三女神を祀っているように見えるね」
と星読が言った。
――まるで四天王のように、と言いかけて私は止めた。
それは仏教的思想だ。
しかし、思えば三つの星を囲んで四方に鎮座する星々の位置関係は
仏教の曼荼羅とそっくりだ。
阿弥陀の両脇を脇侍仏が固め、四天王が四方の睨みを利かす。
まるで、オリオン座そっくりだ。
四天王の発想もまた、オリオン座から生まれたのかもしれない。
知識による先入観は豊かな発想を封じ込める。
こうして現地で感じるものこそ、古代の人の発想を知ることになるのだ。


崎戸山の稜線は黒く神奈備山のシルエットを描いていた。
シリウスを追う間、残像が白い雪のように山を覆ったり、
雲のように下がったりする。
二人の男性は神秘的だという。
山のオーラが変化しながら輝いているという。

この不思議な山の変化を残像と思い込んだ私は
どうやら男性陣より夢のない人間のようだ。

そして、私たちは拝殿前に戻って三ツ星を見上げた。
ようやく三ツ星が真上に移動してきた。
シリウスがあれほどの距離を移動した間に
三ツ星はほんの少ししか移動していなかった。

もう一度シャッターを切った。

これがその写真だ。

c0222861_2217151.jpg

三ツ星信仰がここにあったに違いない。





しかし、シリウス信仰は?
それは長谷寺の主仏が十一面観音という形で残されているかもしれない。
十一面観音はセオリツ姫のもう一つの姿とされているからだ。









こちらがシリウスの出。

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三ツ星とシリウスと崎戸山。

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試しに撮ってみると、想像以上に撮れていた。
しかし、キラキラと色を変えるシリウスはやはり静止画像では分からない。

いつか、町おこしとして、撮影大会を催してこの神秘の現象を
多くの人に見ていただきたいと思った。

それが、物述の魂たちを呼び出す手段になるのかもしれない。





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by lunabura | 2015-12-26 22:21 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(10)

脇巫女 24 ミルザム


脇巫女 24
WAKIMIKO
ミルザム


ミルザム星はシリウスと同じ大犬座にあり、
シリウスよりほんの少し先に昇ってくる。

初めて聞く星の名だったが、真鍋はその倭名を伝えていた。
それは鐸石別星(つくしわけのほし)という。

鐸石別の名の皇子がいた。

『古事記』に出てくる伊登志別王(いとしわけのきみ)のことで
筑紫(ちくし)では鐸石別命と言ったそうだ。

この命は垂仁帝(すいにん)(前29~後70)の皇子で、
筑紫の人々は蹈鞴(たたら)の元祖として敬っていたという。

鐸石別命は豊前足立山(あだち・北九州)に祀られていたそうだ。
足立山は龍体だと、友人が言っていたことを思い出した。
実際に登ってみると、ところどころに露出した岩は
まるで龍のウロコのように見えた。

足立山の名の由来は、そこで和気清麻呂(わけのきよまろ)が
追っ手に足を切られたが、幸いに治ったことからついたと聞いた。

この和気清麻呂こそ、
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)の天皇即位を阻んだ人だ。

宇佐での託宣事件は当ブログでも紹介した。
そこでは占星術が行われていたという。
脇巫女たちが逃れた先で伝えていたのだろうか。


さて、タタラの元祖・鐸石別命は和気清麻呂にとって祖に当たるという。
和気氏の拠点は備前国藤野で、鉱産氏族であり、医家でもあったという。

ゆえにだろうか、鐸石別命は工人や医人の元祖として拝まれていたが、
天平の世から薬師如来になり、
行基菩薩の石像が祠に安置されるようになったと真鍋は言う。


冬の凍てつく夜にオリオンの後を追って昇ってくるミルザム星を見て、
工人たちは仕事の出来を祈ったのだろう。
その直後、全天一の明るさを誇るシリウスが昇ってくる。
その輝きは工人が作り出した鉱物の輝きと重ね合わされたのかもしれない。

ふと、そう思った。

そして和気氏の活躍を知る人は「医術」の神としても祈ったのだろう。


このミルザム星を見て「ささらのほし」という人たちもいた。
「さざれいし」の古語だ。
「さざれいし」は「細石」とも書くように、砂鉄(磁鉄鉱)のことである。

これを鉄に還元する名匠は伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、
後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼ばれた。

そう、糸島の五十迹手(いとて)の話の時にもよく出て来た名だ。
あのシリウスの輝きが込められた名でもある。

そうすると、ミルザムは砂鉄。シリウスはその結晶。
そう見立てて仕事の成功を祈ったというストーリーも生まれてくる。


思えばここ、鞍手は石炭が採れる所だ。
「燃える石」に関しては古文書に登場するのは中世頃らしいが、
当然ながら古代人たちはそれを知っていたことだろう。
物部たちがこの地を制したのはこの「燃える石」も一因だったのかもしれない。


ミルザム星にはさらに真金星(まがねのほし)という名もあったという。

   真金吹く 丹生(にふ)の真朱(まそほ)の 色に出て
   言はなくのみそ 吾が恋ふらくは
                (万葉集巻14 詠み人しらず)

「まそほ」の色はサイドバーにある下巻の帯の色だ。
デザイナーが私のために、日本の色から選んでくれた色だった。


ミルザム星にはさらに吉備星、気比星という名もあった。
ここで再び「吉備」の和気清麻呂にループした。


他にミルザム星は相模星(さがみのほし)、さねさしの星とも言った。

  さねさし さがむのをのに 燃ゆる火の
  火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

  (古事記景行紀 弟橘比売(おとたちばなひめ)の御歌)

「さねさし」とはタタラの火の勢いを加減調整する名匠のことだと真鍋は伝える。
そうすると、意味不明とされた初句二句には
産鉄の名匠の見つめる炎のような熱い恋が詠み込まれていたことになる。

まさか、ここでヤマトタケルのために海に身を投じた姫の歌が
出てくるとは思ってもいなかった。


そして、今回は行基の名も出て来た。

鞍手には長谷寺がある。
奈良より古いこの古刹(こさつ)の十一面観音が行基の作とも言われている。

この長谷寺が長遠寺別院(じょうおんじべついん)の真北6キロの所にあるとなると、
ここにも解き明かされることを待つ謎が残されているようだった。



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by lunabura | 2015-12-24 22:25 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(5)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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