ひもろぎ逍遥

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16回歴史カフェ「ありなれ川」の準備の仕上げ中



16回歴史カフェ

「ありなれ川」の準備の仕上げ中





あと3日後、11月26日の歴史カフェの準備も仕上げの段階になり、今日は「ありなれ川」について、パワーポイントと資料の見直しを進めていました。

真鍋は水城の成立に関しては通説の防衛説ではなく、雪解けの洪水を防ぐ堤から発展したものと伝えています。この話一つを検証するために、数年かけて水城に関する講演や現地説明会に出かけました。その数は10回近くになります。

今夏の上大利水城の現地説明会に行って、ようやく真鍋の言う小水城の成立事情が理解できました。それに加えて、あいにくの朝倉の水害を目の当たりにしたことも理解を深める結果になりました。災害と利水。営々とした人々の営みを先人から学ぶことは大切ですね。

第1章ありなれ川
第2章針摺(はりすり)瀬戸
第3章宇佐島と左佐島(天原)
第4章水城は瀦水塘(ちょすいとう)だった(小水城と水城 上津土塁)
第5章大宰府と「とほのみかと」は別のものだった
第6章筑後川(千歳川)
第7章古代氏族の分布(蘆木・平群・曽我・葛城・巨勢・物部・中臣・国栖・賀茂)

このような順で話をします。

真鍋は中近東の言葉が倭語にたくさん残っていることを書いています。

テレビを見ていると、エジプトの漁師さんが網を引き揚げるとき、「アラヨッ」と言い、竜骨を大勢で持ち上げるとき、「セーノッ」と言ってました\(◎o◎)/!

こういう言葉を聞くと、真鍋の話が身近に感じられます。私たちの言葉にも案外たくさんの異国の古代語の化石が含まれているんですね。

前回から画像を駆使して話をしているので、以前の歴史カフェより分かりやすくなりました。また、会場が広いので人数制限も無くなりました。皆さんのご参加をお待ちしています。




会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』下巻 を持参してくださいね。

日時 2017年11月26日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 歴史カフェ1126希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
その時は、この記事の下に掲示します。
確認したら、非公開でコメントを入れてください。
そののち、記事からお名前を削除します)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







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by lunabura | 2017-11-23 21:21 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

真鍋ノート魏志倭人伝2 躬巨国 投馬国 伊都国 耶馬国 好古都国


真鍋ノート

魏志倭人伝2

躬巨国 投馬国 伊都国 耶馬国 好古都国



さて、真鍋大覚による魏志倭人伝の国々の記事のつづき。

躬巨国くしこく 古賀政男の出身地・筑後三潴大川。(宮崎康平説)
投馬国とうまこく 天草島。天鳥船の故郷。
早良さわら 魏志倭人伝にはない。
伊都国いとこく 怡土郡。奴国との境は室見川(早良川)
奴国ぬこく 那珂郡。伊都国との境は室見川(早良川)
耶馬国やまこく 筑後八女郡。
好古都国こことこく こごち。満天の星座。不知火の群光を連想させる。
邪馬台国やまたこく 時見の対象となる高山を遠望するところ。

早良に関しては、遺跡がありながら、
魏志倭人伝には記述されていない謎があるが、
真鍋は奴国の一部としているようだ。

伊都国は糸島水道の南から室見川までとしているので、
高祖山や飯盛山の山塊は伊都国ということになる。

奴国は「ぬこく」「なこく」いずれを読んだか未詳だが、
室見川と「ありなれ川」に挟まれた領域で、
那珂川町を中心と考えているもよう。

耶馬(やま)=八女(やめ)

好古都国に関しては断定はしていないが、
文脈からは不知火(しらぬい)の見える有明海沿岸と考えているようだ。

邪馬台国も断定していないが、東か西に時計代わりの高山があるとする。

また、「奴佳鞮」(なかて)とは邪馬台国の「官名」だが、
同名の「王」(あるいは邪馬台国の一官)が
多良岳~諫早を領有していたとする。


前回の地図に追加してみた。









c0222861_19373985.png

「奴佳鞮」(なかて)が邪馬台国の一官名ということは、
邪馬台国はこの付近としているように見受けられる。

倭国の大乱は雲仙岳(画像では普賢岳)の領有を巡ってのものだ
という文も見られた。(少しあいまいな記憶)


見つかったのは以上の国ぐらい。

本をお持ちで、ほかの国を見つけた方は、
コメント欄に、ページとともに一文を是非とも!


<2017年10月27日>




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by lunabura | 2017-10-27 19:38 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(0)

真鍋ノート 魏志倭人伝 奴国 不彌国 為吾国 伊邪国 姐奴国 巴里国


真鍋ノート

魏志倭人伝 


奴国 不彌国 為吾国 伊邪国 姐奴国 巴里国



邪馬台国論争に参加する気持ちはサラサラないが、
真鍋大覚の本には各国の場所がちりばめられている。

単語帳をエクセルでボチボチと作り始めたところ、
真鍋による魏志倭人伝の各国も少しずつリストに挙がってきた。


今回は、その国々の中、わずか六国ではあるが、
その場所を確認しよう。


奴国ぬこく二万戸余り。戸をもって数えた。ありなれ川を挟んで対岸に不彌国。
不彌国ふみこく千余家有り。家をもって数えた。ありなれ川を挟んで対岸に奴国。
為吾国ゐごこく肥後菊池泗水。ゐご=地底から湧き上がる水をためた深い池。
伊邪国いざこく肥前松浦伊万里。筑紫の天原の領域。
          中東民族が住み着いた歴史あり。
姐奴国そなこく宮崎康平によると、肥後益城。(ましき)
          そぬ・せの=女人が衣装を洗い濯ぎ、
          砧でたたき晒して干し、頭に乗せて帰る姿。
巴里国はりこく朝倉郡。あさくら・はり=高瀬舟の元祖の名。

地図に落としてみた。









c0222861_20324216.png

真鍋は「奴国」の位置を「ありなれ川」の西としている。

私自身、論を立てるようなレベルには達していないが、
真鍋の言う奴国の位置に関しては違和感がある。

香椎宮の位置が儺県(なのあがた)だからだ。

奴国とは、
委奴国(倭奴国)の金印が出た志賀島を中心とした博多湾沿岸全体、
すなわち、那珂川~那の津~香椎~旧粕屋郡北部を考えている。


真鍋による魏志倭人伝の世界は、
これからも少しずつ追及していこう。

あくまでも真鍋の世界であって、
私の説ではないことを断っておきたい。


真鍋の邪馬台国は何処だろうね。

<2017年10月26日>



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by lunabura | 2017-10-26 20:35 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(5)

土蜘蛛



真鍋ノート

土蜘蛛



土蜘蛛といえば田油津姫だ。

兄の夏羽も、その祖の神夏磯姫も土蜘蛛ということになる。

真鍋は、土蜘蛛は地中海のエトルリア人の子孫、トロヤ人、
フェニキア人、更にはペルシャ人を含むという。

金工の術に長じた西域出身の異邦人である。

「つくみ」とは夜の間も眼光炯々(けいけい)として目を輝かす
フクロウ(梟)ミミヅク(木菟)のことをさすが、
一方で、鉄を溶かす炉の火口(ほぐち)の形容でもあったという。

仕事が終わるまで昼夜の区別なく
赤く燃え盛る炎の中身を除く窓のことも指した。

近東では、火の加減はすべて未婚の女人があつかったという。

ギリシャ神殿では、神に供える料理を作るために
巨大なレンズで天の日(火?)を集めて火をともすのは
神殿の女官の務めであったという。
(儺の国の星拾遺 p108)

2018平昌冬季オリンピックの聖火の点火は
え?
本日24日?




c0222861_1923449.jpg


<2017年10月24日>



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by lunabura | 2017-10-24 19:25 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(2)

新月のいざないは



10月20日は新月でした。
なんだか、大きな節目の「新月」だったようですね。

今回の「新月」は
「新しい体験が始まる」のと、「根気のいること」がセットらしい。

わたしもまたまた新しいことを思いついたのですが、
さすがに根気が要る(´・ω・`)

そういう点では新月の占いは当たっているなあ(;^_^A

何を思いついたかというと、
「真鍋の本の単語帳を作る」というアイデアです。

これまでも何度も単語帳を作りました。

手書きやワード打ち込みなどなど。

でも、利用しにくいのです。

最終目標の渡来人の読解に関して、
言葉が重複したり、難解だったりして理解が進まないのです。
誤植もあります。
「カン人」が「韓人」か「漢人」か、分からないのです。
「漢字」が「韓字」となっているのを発見したからです。
「展開」が「転回」となったり。

真鍋が盲目になったため、校正が出来なくなったのがその理由です。

ですから、根本的に読んで理解しないと、
誤植のまま解釈する危険性があります。

そのためには、単語帳を作って正誤表も要るなあと。
いったいどれだけの労力が必要だろうか。


大体、言葉にすると「思い」は消えてしまいます。
だから、普段は「形」になるまで発表しないのですが。
今回は書いてみようと思います。

書いて消える思いなら、大したことはありませんね。




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by lunabura | 2017-10-22 20:47 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(0)

歴史とスピリチュアル




歴史とスピリチュアル


昨夜は床につくなり、
来年の講演の概要が浮かんできてびっくりしました。
(まだお知らせしていない分です)

スピリチュアルの極みである『ガイアの森』を出しながら、
今の私は学問のような歴史を書いています。


神社を参拝するうちに
神話は歴史だったことに次第に気が付いてきました。

その神々を祀った人々がいます。
その歴史が日本の歴史でもあります。
わたしにはこれを学ぶことがとても大切なことでした。

今思えば、歴史カフェやお話会では、
スピリチュアルな話を求めてきた方も多かったのでしょうね。

なのに、ガチガチの歴史の話をしました(;’∀’)


このブログに初めてアクセスした方の中には
神社や神々に惹かれる謎解きがきっかけだった方もあるでしょう。

『ガイアの森』というスピリチュアルな世界が
展開しているのではないかと思う方もあったことでしょう。


しかし、分かったのです。
神話と歴史は密接につながっていることが。


沖ノ島関連遺跡がすべて世界遺産に登録されたのは
スピリチュアルだったから。

まさに、地に着いた歴史の学びがあってこそ、
このスピリチュアルな価値観も理解できると思うようになりました。

気が付くと、このブログももうすぐ丸8年。

8年間の歴史の学びをしてきました。
基礎を勉強したのですね。

スピリチュアルな世界と歴史が融合していきますように。


この数日、執筆に戻るために真鍋大覚を精査していますが、
今朝、ふと思いたって、
「那珂川町 儺の国の星 復刻版」
で検索したら、すでに復刻版が出ていました。
「拾遺」の方はなんと初版本が出ています。

うれしい旧価格1000円と1500円。

チーム・アンドロメダ。
この指止まれ。
一緒に学びましょう。




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by lunabura | 2017-10-19 21:01 | にっき | Trackback | Comments(2)

上大利小水城3 悠紀田・主基田の原型

【真鍋ノート】


上大利小水城 3

悠紀田・主基田の原型




悠紀田・主基田(ゆきでん・すきでん)といえば、
大嘗祭の時に卜占される二か所の水田のことだが、
真鍋によると、
原型は瀦水塘(ちょすいとう)を利用した耕作時代にあるという。

すると、瀦水塘とは小水城や水城のことなので、
川を堰き止める土塁や下流にあるプールの存在は
寒冷な時代の倭人の知恵によるものだったということになる。


『儺の国の星 拾遺』p40

<天皇即位の大典に献上する新米を作る所を
悠紀田および主基田という。

昔の瀦水塘耕作時代の名残りである。

悠紀田が上田(うえた)であって、
「ゆき」は冬の間に降り積もった雪とその溶水・湧水を
瀦水するからである。

主基田は下田(すけた)、即ち夏の間の水を受け敷(す)けて
熱水を貯めるからである。>

寒冷の時代、山に積もった雪が川を流れてくる。
その災害を防ぐために土塁で止めて、水を蓄えた。
それを上田といった。

田植えの頃になると、
溜まった水を土塁の下流の下田に流し込み、
太陽熱で温めて田園に流す仕組みだ。

確かに、米作は水温が低いと作れない。
私は水田跡を借りて畑にしたことがあるが、
貸主に水田を放棄した理由を尋ねたら、
水温が低くて収穫できなかったということだった。

福岡でも少し標高があると、このような水温の管理の問題があったのだ。
この体験から、稲作が朝鮮半島から渡ってきたという学説は
妄想だと理解するようになった。

古代の筑紫では雪解け水をいったんプールして
温めてから灌漑していたのだ。
この仕組みが小水城であり、
のちに巨大な土木工事となった水城と考えられる。

悠紀田(ゆきでん)とは雪水の上田が原型で、
主基田は下田(すけた)が「すき」田になったということになる。



古代は不作を考慮して、多種な品種を揃えて、
気候に合わせて何種類も植えたという。
上田と下田は当然品種が異なっただろう。

水城や小水城の一部には土塁を貫通する「木樋」が発見されている。
それを「根太扉」(ねだび)と言ったという。



上田から下田に水を落とすのは寒食から立夏の頃で、
菜種の花や実がついたころだという。
イタドリの葉の色が変わるのもこの頃か。

瀦水塘の閘門(こうもん)の上で渡水が厳粛に執り行われたという。
これを歳祭(としまつり)といい、
百姓が年(とし)すなわち米稲の収穫の平安を
牛飼い座のγ星・セギヌスに祈ったという。

ウィキペディアによると、
牛飼い座は日本では春から夏にかけて見られるそうだ。

牛飼い座といえば、アルクトウルスなら知ってるぞ。
春の星だ。


過去記事

上大利小水城 現地説明会



上大利小水城 2






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by lunabura | 2017-10-18 20:27 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(0)

地名の由来 宇陀野 有年野 有智野 内野 宇都野 宇佐野 加茂


【真鍋ノート】 

地名の由来 


宇陀野 有年野 有智野 内野 宇都野 宇佐野 加茂



今日は地名の由来について。
「ウチ・ウヅ・ウダ」系の地名が
山麓に展開する扇状地につけられ、
そこには鉱物を求めて加茂氏が移り住んだようすを
『儺の国の星 拾遺』からみていきたい。



P10
<山麓に展開する扇状地を、万葉の頃までは
宇陀野(うだの) 有年野(うねの) 有智野(うちの)
内野(うちの) 宇都野(うつの) などといった。

大和、近江、筑前、駿河などの諸国に今も郷名として生きている。
昔は宇佐野ともいったらしい。

万葉集巻一 間人(はしひと)連老作
  たまきはる 宇智(うち)の大野に 馬並めて
  朝踏ますらむ その草深野

伊都の北、葛城の南五條のあたりの風景である
中世からは津江(つや)の邑が開拓された。>

ウチ系統の地名は山から運ばれた土砂によって
形成された扇状地につけられるという。

津江に「つや」とルビが振ってあることから、
砂鉄関連の地名だということも見えてくる。

伊都の北は加布里山からの土砂崩れをさすのだろう。
葛城とは福岡の犬鳴連邦から宝満山の山系を指すと思われる。
すなわち、太宰府の五條の地のことか。


上記の万葉歌については「ウチ考」というタイトルで
すでに過去に考察した。

古田武彦氏の著書に啓発されて、現地調査したのだが、
氏の指摘する地名「内野」は江戸時代まで存在しなかったことが
証明されるという残念な結果となった。




今日のテーマはこれではない。



この扇状地に加茂氏が好んで集落を形成したという話だ。

<加茂の氏族はこの「うづみの」即ち山が崩壊して沢を
押し潰したところを選んで部落を形成した。

鉱脈が粉砕され、これが土地の下敷に沈殿しているからである。

橐師(たくし)を石上(いそのかみ)といい、
石を打ち金を鍛(う)つから、
その常用必携の団扇(うちわ)や扇子(せんす)を
その地形に見立てたものと考えられる。
(橐=ふいごう)

沼沢地であるから、水鳥がよくそばまで泳いできた。
特に鴨や加茂なる氏名に採られて今も京都に残っている>
<前述の万葉集の歌は、その狩場の描写であった>

うきは市、唐津市七山、京都市の
賀茂神社系を思うと、どれも清流のそばに鎮座する。

特に唐津市七山の地形は急斜面だ。
加茂氏が日本に入植してきて、
険しい山の麓という、あえて土砂災害の危険な地域に住むのは、
その下に沈殿する鉱物の存在を知ってのことだという。

「加茂」の地名も
山―川―扇状地
という地形で見ていくと、
全国に分布している理由がわかるのかもしれない。



                       <2017年10月17日>
                    <加茂氏><地名>




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by lunabura | 2017-10-17 21:11 | <地名の由来> | Trackback | Comments(0)

【真鍋ノート】南十字星と大宰府

【真鍋ノート】


南十字星と大宰府


真鍋大覚の星に関する史料は『石位資正』といい、
漢名の星宿の項目に対し、日本の古い和名を列記したものだという。
中国の星名と日本の星名の照合表のような感じなのだろう。

この『石位資正』が書かれたきっかけは、
刀伊の入寇という侵略事件だった。
この時、異国の天文知識に接した藤原隆家が編纂したものという。
隆家はこの時、大宰権帥だった。

当時は太宰府から南十字星がまだ見えていたという。
南十字星が将来見えなくなるにつれて、
星の和名が消えることを案じたことからの編纂だった。



緒言より(改変)
<『儺の国の星 拾遺』の原本は『石位資正』で、
藤原隆家が1039年に大宰権帥に再任された時、
九州で星暦についての古今の見聞録を編纂したものである。

執筆の契機は1014年から1019年の任期中に
刀伊の入寇に遭い、大陸の夷狄(いてき)の
偉大なる天文知識に感銘してからのことと伝える。>

ウィキペディアによると、
藤原隆家が大宰権帥になったのは
眼病(突き目)の治療のために筑紫行きを望んだからだという。
この時に、刀伊の入寇に遭い、応戦している。
刀伊とは満州の女真族と考えられ、
壱岐・対馬を襲い、筑前まで上陸したという。

この時に隆家は敵ながら天文知識の豊富さに感銘したのだろう。

この頃は太宰府から南十字星が有明海のかなたに沈むのが見えていたが、
将来、この星座が見えなくなるとともに、
世人の関心が星空から離れていく気配を察してこの本を企画したという。

太宰府から最終的に見えなくなったのは明治15年(1882)だそうだ。

真鍋大覚の父、真鍋利市は明治43年(1910)3月27日に
脊振山頂から南十字星のγ星(一番上の星)を有明海上に見たという。

今年(2017年)、脊振山系から南十字星のγ星が撮影されて、
話題になった。
まだ、年に数回は観測することができるらしい。

済星(さいせい)
韓人は南十字星を「済星」と呼んだ。
巨済島や済州島はこれに由来する地名で、
昭和60年から換算して35年~309年前に出来た名である。

わたしの星

倭人は南十字星を「わたしの星」と呼んだ。
「済」が菱形の川瀬舟をさすことからついた。
「済」(さい)がなまって「さやのほし」と呼ぶこともあった。



真鍋の本は文章だけなのに、色彩があふれている不思議な本。


<2017年10月16日>



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by lunabura | 2017-10-16 20:56 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご97「鷹取山結界」と脊振山と代々の筑紫君



ひめちゃご97

「鷹取山結界」と脊振山

代々の筑紫君
 


「鷹取山結界」についてブログに挙げると、
それに関する電話が複数あった。

糸島~脊振山に形作る龍を教えられていた人の話とか。
また、酔っぱらうと物部が出る人が「鷹取は三つある」と言った話とか。
いったい何が始まったのやら。

チェリーが、結界の中心を作図してくれた。









c0222861_21485085.jpg

明星山の頂上から南西に下がった所にある。
陸上自衛隊の正面から国分寺跡を結ぶ道路にも赤い垂線が重なっていた。
かなり古い道だったのだろう。

南への垂線にも道が重なる部分があるようだ。

さらに、中心部を拡大してくれた。







c0222861_2150720.jpg

中心点は明星山からの尾根の﨑に当たり、視界が良さそうだ。
東~南は急峻で守り易い。

飛岳も視界が効くということで、物見の砦でも置きたいところだ。
代々の筑紫君の山城を探すにはこの中心点からが目安になるだろう。

江戸末期の記録には山中に「社地」があったという。

磐井君はカマ谷から石を採って強固にしたので、
磐井の名がついたとも言われている。
「社地」には何らかの石垣が残っているはずだ。

三つの鷹取山によって結界を築いたと考えてよいだろう。


【脊振山】(せふりさん)
その龍を思わせる脊振山系について、昨日、真鍋を読んでいると、
脊振山は金龍山(からやま)とも言ったと伝えていた。
徐福関連の地名の金立(きんりゅう)はそこから付いたという。

神功皇后が登頂して神々を祀り、航路の説明を受けた。
また、
<行基、最澄、空海、栄西に至るまで唐土で修業した名僧智識は
韓泊(からどまり)で船から上がるとまず
脊振山頂に詣でて四方を拝し、
それから大宰府に下りて帰朝の手続きを済ませたのである。>
(『儺の国の星』)
と記す。

今は自衛隊のレーダーがあるが、
駐車場の近くの池は「龍ケ池」というそうだ。

鉱物の金も採れ、薬草が多彩だという脊振山系は
私たちが思う以上に神の山として崇敬されていたようだ。

八女の飛形山から見ると、脊振山を中心に両翼が控える形に見えた。


やはり脊振の龍脈と鷹取山結界と代々の筑紫君は深い関わりがあるようだ。






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by lunabura | 2017-09-18 21:52 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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