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ひめちゃご67  連玉ビーズは幼な子の胸に



ひめちゃご67

連玉ビーズは幼な子の胸に
 


ロッキーが高三潴の連玉ビーズの公開の画像を送ってくれた。

多分このようなものはネット上でも見ることは出来ないだろう。
貴重な画像を載せて記録としておきたい。

そこには新聞に書かれなかった重要な情報がある。
なんと、連玉ビーズは子供のために副葬されたものだったのだ。

糸島では王墓かもしれないが、
高三潴では幼な子の胸にかけられたものだった。

何故これが新聞には書かれなかったのだろうか。
重要な情報ではないか。












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経年変化のために白濁しているが、見事に姿を留めている。

41基の甕棺があり、何も出なかったと思われたが、
持ち帰って調べて連玉ビーズが確認されたということだ。








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しかも朱の中から出て来た。
水銀朱か単なる赤色顔料かは不明だ。














c0222861_2136221.jpg

これを見て目を疑った。二重構造ではないか?
甕棺の中に甕棺が入れられている?

見間違いだろうか。間違っていたら指摘してほしい。
二重構造の甕棺は初耳だ。












c0222861_21364576.jpg

これが連玉ビーズが副葬されていた甕棺だ。
サイズが書かれていないが、
これでは乳飲み子ぐらいしか入らないのではないか。

パネルのサイズから推測するしかないが、
大人用なら驚くほど大きいのだ。


これはよほど身分の高い人の子供だ。

時代は弥生時代後期(1~2世紀)だという。
景行天皇の没年が西暦130年とされている。

何度も書いているが、
その皇子が国乳別皇子(くにちわけのみこ)で
ここから西に130mほどの所の前方後円墳に埋葬されている。

実はその長さは東西258mもあるという。
それはひっそりと掲示されていた。


岩戸山古墳が135m。
測量の基準が違うかもしれないが、それでも相当の大きさなのだ。





明治時代の弓頭神社の神官の船曳鉄門(ふなびきてつもん)にょると、

〈高三潴地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、
その後は大善寺の宮本山に埋葬するようになった。

そこにはおよそ47、8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。〉
(拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻57弓頭神社より)
とあり、高三潴には国乳別皇子から三代の山陵があることが分かっている。


今回出土した甕棺墓群は水沼一族のものの可能性もある。
水沼一族で夭逝(ようせい)した子だと想像することは許されよう。

連玉ビーズがその身分の高さを証明している。














c0222861_21375787.jpg

画像はレプリカ。












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これは拙著『神功皇后伝承を歩く』に掲げた高三潴付近の地図だ。
出土地は赤い星の右下、「い」と「信」の間付近だそうだ。
持っている方は参考にしてほしい。

烏帽子塚古墳が国乳別皇子の古墳だ。

何とも縁(えにし)を感じさせる位置にあるのだ。



ロッキーに感謝。
                         <2017年4月17日>

画像の著作権はロッキー氏に所属します。
連絡の中継ぎとして、画像には当ブログのサインを入れています。


連絡
04月16日 23時10分にメールを下さった 〇中〇 さま。
返信が戻ってきます。
何らかの手段を考えますね。



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by lunabura | 2017-04-17 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

第五回バスハイク鞍手・宮若2




第五回バスハイク鞍手・宮若2




神功皇后の伝承を辿るバスハイクの続きです。







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これは鞍手の古月横穴から見える山並み。→の所が六ケ岳です。
この古墳群は正面に六ケ岳を見ていました!
(上巻60ページ)









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鞍手を離れて宮若へ。
春日神社です。この神紋は撃鼓神社と同じもの。
榊でしょうか。
(上巻20番)









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トヨタ工場を抜けてすぐに笠松神社。
丘を越えて百官百寮も、ここで休憩です。
(上巻21番)









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山口川に出ました。ここは沼口の若八幡宮。
桜並木が道案内してくれます。
神社を背に犬鳴連峰を撮りました。
(上巻22番)



この山の手前に竹原古墳が。
壁画はとても綺麗に見えました。
出土品がどこに収蔵されているのか、やっぱり不明です。
写真だけでも見たいですね。
(上巻64ページ)









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最後の山口八幡宮。最後の石段を振り返ったところ。
どの神社も少し高台にあり、た~くさん石段を上りました。
仲哀天皇と神功皇后の一行も、このあとは厳しい見坂峠越えです。
(上巻23)

万歩計は一万歩越えでしたよ^^


明日は歴史カフェです。
この鞍手のお話も出てきます。
磐井ファンの方も、新情報をご紹介。
飛び込み参加もOKです。






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by lunabura | 2017-04-15 16:51 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

今日のバスハイクは桜吹雪のなかで 鞍手・宮若





今日のバスハイクは桜吹雪のなかで



2017年4月13日の鞍手、宮若のバスハイクは
天気に恵まれ、遅れた桜を満喫してきました。

桜吹雪の舞う中、
鞍手の里は桜の里という新しい姿を見せてくれました。

明日、明後日なら間に合うかも。
あるいは来年行く?



桜狩の里として物部の里、鞍手は要チェックですよ(*´ω`)





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木月剣神社(上巻17)

桜のトンネルです。3月31日はつぼみだったので、再参拝しました。
「脇巫女」姫巫女たちを養育した舞台。







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古物神社も桜の園。(上巻18)

「脇巫女」ふるべもののべの舞台です。










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神崎神社。(こうざき)(上巻19)
「脇巫女」神崎もののべ。










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同じく神崎神社。
池の色とのコントラストがお気に入り。











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古月横穴。(上巻60ページ)(ふるつきよこあな)

600年前後。









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山ン神。(昼食)
鷹ノ口おだ山が見えました。










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銀冠塚古墳出土レプリカ。(上巻60ページ)
600年前後。
鞍手歴史民俗博物館にて。






仲哀天皇と神功皇后が豊浦宮から香椎宮に至る道を
バスハイクで辿っていますが、5回もかかりました。
真冬の旅だったので、大変だったでしょう。

6回目はようやく香椎宮です。
6月の菖蒲の季節に参ります。





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by lunabura | 2017-04-13 21:23 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご64 ここが高三潴 国乳別皇子の政治の地と前方後円墳



ひめちゃご64

ここが高三潴 

国乳別皇子の政治の地と前方後円墳
 


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景行天皇に命ぜられて水沼に残った国乳別皇子(くにちわけのみこ)は
天壇のある赤司八幡神社から南へ下って高三潴に住んだ。

弓頭神社がその宮跡である。




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神功皇后と武内宿禰がやってくると、
出迎えた国乳別皇子は弓大将として新羅役に参戦したことから、
「弓頭」(ゆみがしら)の社号がついている。
「ゆがしらさん」と呼ばれている。

政治的中心地がここになる。

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すると、仲哀天皇が紀伊にいたときに、
「熊襲が朝貢しない」という知らせの発信者はこの国乳別皇子ではないか。

何故ならここは羽白熊鷲と田油津姫を監視できる位置にあるからだ。







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羽白熊鷲は既に討伐し、ただちに田油津姫討伐のために
武内宿禰と軍議をしたという。








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田油津姫の拠点、ヤマト(山門)は目の前だ。
鷹尾神社もヤマト(大和)のエリアに入るが、朝廷方になる。
赤い点線が神功皇后軍の進軍ルートだ。

鷹尾神社から上陸した。
村人がブリ料理でもてなしたというので、海が深く入っていたことが分かる。

このヤマト地方での朝廷と土蜘蛛の対立は景行天皇の時から既にあり、
ヤマトの女王・葛築目(くずちめ)が滅ぼされている。

ヤマトはこちらでは山門、大和という地名で残っている。
最近はカタカナで「ヤマト」と書くのが流行っているので、ここもそうしておこう。

このヤマト地方では物部氏とヤマトの女王邑が複数世代に渡って対立していた。






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国乳別皇子はこの地で亡くなり、烏帽子塚古墳に埋葬された。
廟堂が建ち、大変厳粛だったと書かれている。
この古墳が前方後円墳で、かなり大きい。

実は、弥生時代の前方後円墳が福岡の各地にある。
被葬者の名も伝わっている。

前方後円墳は古墳時代と思っていたが、
最近では箸墓という巨大前方後円墳が弥生時代とみなされるらしいので、
福岡各地にある弥生時代の前方後円墳も問題ないようになった。(と思う)


例の連玉ビーズが出た高三潴にはこんな歴史がある。




拙著『『神功皇后伝承を歩く』下巻
57弓頭神社
58鷹尾神社
59老松神社




追記、本日の歴史カフェご参加ありがとうございます。



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by lunabura | 2017-04-06 23:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

第4回 神功皇后伝承地巡り バスハイク




今日はあいにくの雨模様でしたが、
予定通り、バスハイクに行ってきました。

遠賀川中流域の中間と鞍手を始めとして田川、飯塚への旅です。

このエリアは『日本書紀』には書かれていないのですが、
仲哀天皇と神功皇后の足跡が濃厚に伝わっています。

田川の田原麻瑠と宇美町の宇美八幡神社の伝承が対応しているのは面白いです。

逆に、田油津姫が兄の夏羽と共に怨霊となってしまった話が
田川に伝わっているのは哀しい対応です。

百社廻ったおかげで、
バラバラの伝承が繋がっているのが分かったのですが、
それを伝える機会をこんな形で頂いたのは有り難いです。



雨の中の宮はいずれも重厚な美しさをたたえていました。

桜のつぼみが膨らみ出してピンクになり、
先が赤く染まっています。

幹がしっとりと雨に濡れて黒々として、
つぼみの色を際立たせています。

開化前の美しさをゆっくりと見たのは初めてでした。

昨年の今頃は満開だった桜がまだ開かない。
こうして一喜一憂するから、桜がなおさら愛おしいんでしょうね。





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by lunabura | 2017-03-31 22:50 | Trackback | Comments(0)

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ



今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





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読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





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そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-02-17 19:50 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(7)

今日は神功皇后のお話しでした



今日は飯塚市の麻生西日本新聞TNC文化サークルでの神功皇后の話、
四回目でした。

空気が澄んでいて、幸袋(こうぶくろ)から雪の英彦山が見えましたよ♪
車で移動中だったので、写真は撮れませんでした。


皆さんと相互交流が出来るようになりましたが、
あと一回を残すだけになりました。

この最後の五回目が『日本書紀』から消された歴史が満載なのです。

ガイドブックが出てから現地の皆さんがあちこち調査されて、
情報をいただいたので
より踏み込んで理解できるようになりました。

豊の国であった大きな話が消されたんだなあと今ではきっちりと分かります。
次回はそれが話せます。

今日も意図的に安曇族の歴史が消されたことを痛感したのですが、
これを文章化するには時間と力量が不足していますな (´-ω-`)

でも、少しずつ努力を積み重ねていこうと思います。

春になると、歴史関係の楽しい行事があちこちでありそうです。
どんどんお伝え出来ればと思います。





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by lunabura | 2017-02-16 20:52 | にっき | Trackback | Comments(0)

「弓削」(ゆげ)の話と「中西」の話



「弓削」(ゆげ)の話

「中西」の話

 


弓削の道鏡が建立した由義寺(弓削寺)跡が発見されたという
2017年2月13日の新聞記事をテーブルに置いたのですが、
先日歴史カフェでいただいた久留米市の文化財マップを
整理しようと手に取ってビックリ。


「弓削・北野地区」のタイトル\(◎o◎)/!

c0222861_21221311.jpg

「弓削」と「弓削の道鏡」!

これはいったいどういうシンクロ?

実は高良山に仏教が入り込んだ白鳳二年(673)。

この時、高良山の支配は安曇から物部に変わるのですが、
この物部氏が何故か、のちに武内姓を名乗るようになるのです。

武内宿禰は智将として人気があるとしても、
姓が変わるのはよほどのことと考え、

物部氏の社会的な事件が関わった可能性を想定したのですが、
この二つの資料が並んだ時、弓削氏から考えるようにと
示唆された思いがしました。

白鳳二年に出家したのが隆慶ですが、その母が弓削氏なのです。
つまり、物部氏と弓削氏はここで通婚しています。

この弓削氏だった母も白鳳7年に出家します。
正覚寺を営むとあるので、その寺は久留米で探さないといけないのですが。
(誰か教えて…)

弓削の道鏡が孝謙上皇の病を完治させたのが761年。
隆慶の母が出家した白鳳7年は678年。

弓削氏においては仏教は、道鏡より筑後の方が百年も早いことになります。

百年後の弓削道鏡事件がきっかけとなった可能性、ありますね。

少し時間を掛けて精査したいと思います。
今日はアイデアを忘れないために φ(..)メモメモです。





さて、明日は飯塚での古代史講座です。
神功皇后の話もいよいよ渡海準備の段階になります。
いわゆる三韓征伐ですが、簡単には行けないのですね。

住吉族と安曇族との交渉、
軍事訓練、
決意のパフォーマンス、男装の美豆良結い、
複数の出港地説、寄港地説などを整理します。

神功皇后が渡海の時、「この風は何か」と尋ねると、
「中西」と答えたことから、その水手(かこ)に
「中西」と名乗るようにと告げた話があります。

これがよく分からなかたのですが、
赤間の喫茶店で筥崎宮の氏子さんが突然教えてくれたのです。

「志賀島から朝鮮半島に一気に渡ることが出来る風が吹く季節があり、
その風を中西というんですよ」と。

つまり、魏志倭人伝に出てくる、楽浪郡から糸島に至る航路の
抱える問題が解決したのです。

朝鮮半島から倭国に渡るのは簡単なのですが、
逆のルートは潮流が邪魔をするので、倭国から半島に行くのは難しいのです。

しかし、一年に数日だけ吹く「中西」を捉えたら簡単に行ける!
こうして、不思議な廻り合わせで謎が一つ解けました。

それは学説では出てこない生きた歴史ですね。
伝承とは私たちに伝えてくれる知恵でもあります。

明日は、スポット参加も出来ます。
興味のある方お待ちしています。





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by lunabura | 2017-02-15 21:23 | メモ | Trackback | Comments(26)

明日19日は飯塚で羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です



明日19日は飯塚で

羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です。



明日は飯塚での古代史講座、「神功皇后講座」の3回目です。

前回までは仲哀天皇が崩御して、亡骸を忌宮神社に届けると、
小山田斎宮で教えを垂れた神々の名を尋ねたと『日本書紀』に
書かれた場所が実存することなど紹介しました。

3回目はその『日本書紀』に書かれた
荷物田村(のとりたのふれ)の羽白熊鷲を攻撃し、
山門(やまと)の田油津姫を攻めていくルート上の伝承を話します。

これらもまた書紀に書かれた所が神社となって残っていました。
そして、それを補う神社群がルート上にありました。

神功皇后が大本営とした夜須には松峡八幡宮(上巻41)があります。
皇后軍が敷いた七か所の陣営の跡地は「七ケ森」と呼ばれ、
そこを辿っていくと、羽白熊鷲の終焉地に着きました。

その終焉地には寺内ダムが出来ましたが、
幸いにも墓所は陸地にあります。(上巻50)

その墓が施設のプールに引っかかったため、
現在、直ぐ近くに大きく再興されています。






c0222861_18391181.jpg

地元で採取した話なども紹介します。




さて、神功皇后軍が羽白熊鷲を討伐したあと、寺内から下山すると、
武人たちは武器を研ぎ(太刀八幡宮下巻52)、
次なる田油津姫攻撃の準備をしました。

神功皇后は水沼水軍(下巻56)の出迎えを受けて、
山門に上陸し、ついに田油津姫を討ち取ります。





c0222861_18395093.jpg

(田油津姫あるいは葛築目の墓と言われる、女王塚。今は蜘蛛塚という)
下巻59


田油津姫が何故、殺されなければならなかったのか。


その理由は田川の若八幡神社(下巻60)に書かれていました。

田油津姫は神功皇后を暗殺しようとしたというのです。

『日本書紀』だけでは解けない神功皇后の謎。
今回は朝倉から山門にかけて、次々に現れてくる伝承を辿ります。





この古代史講座はスポット参加ができます。
興味をお持ちの方は、以下に連絡の上、ご参加ください。
パワーポイントで楽しむ古代史講座です。


2017年1月19日 13時半~15時

麻生西日本新聞TNC文化サークル 
アイ&カルチャ あいタウン飯塚
電話 0948-22-3356(申し込み先)

福岡県飯塚市吉原町6-1(あいタウン3階)








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by lunabura | 2017-01-18 18:47 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

バスハイク資料のチェック



今日はバスハイクの資料のチェックと仕上げ。
思いがけず、時間がかかりました。

新原・奴山古墳群の中にある縫殿神社から始まって
玄界灘~響灘の海岸沿いをまわり、
遠賀川に出るコース。

最初、本を書いた頃は手探りでしたが、
俯瞰できるようになると、
神経衰弱のゲームのように、バラバラの情報が繋がってきて、
また広い世界が見えてきました。


縫殿神社にある加羅の話から
功満王、弓月の君、秦氏、葛城襲津彦と
新羅~高句麗~呉の話が繋がりました。


これをブログに書こうとすると、何日か掛かるのでご容赦。



今度のコースには道の駅もいくつかあるので、これも楽しみです。
参加される方でお昼をどうしようと思っている方、
野菜たっぷりの安価なバイキングに行くので、
手ぶらで大丈夫ですよ。

ご自分で回る方も、コースの参考にしてくださいね。


新原奴山古墳群(車窓)

縫殿神社(上巻5) 船の帆を織った神が祀られている

織幡神社(上巻4) 神功皇后と竹内宿禰が紅白の軍旗を織らせた

高倉神社(上巻11) 男女の二神が天皇の船を引き止めた 

岡湊神社(上巻10)岡の水門で仲哀天皇の船が進まなくなった

神武天皇社(上巻12)仲哀天皇と皇后は宗像三神を遥拝した

住吉神社(下巻98) 神功皇后は松を植えて住吉大神を祀った

唐ノ松神社(下巻98)(車窓) 神功皇后は松を植えて住吉三神を祀った

          (番号は拙著『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号)







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by lunabura | 2017-01-05 22:35 | にっき | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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