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タグ:神功皇后伝承地 ( 245 ) タグの人気記事

高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ 水沼のクニは巫女のクニ



高三潴は連玉ビーズが出ても当然の地だよ

水沼のクニは巫女のクニ



今朝のワクワク新聞記事。

しょっちゅう書いている水沼族の政治の地である高三潴から
連玉ビーズが出たそうですね。





c0222861_19451488.jpg

読み(水沼 みぬま 高三潴 たかみずま)

甕棺からだって。



時代がなんと弥生時代後期で、(1~2世紀)となってます。(西日本新聞)
毎日新聞では(約2000~1800年前)となっているので、
う~む。弥生時代って随分と遡ったんだね。

卑弥呼自死が248年なので、卑弥呼は古墳時代に昇格した?

(どうしてもあの奈良の某巨大前方後円墳を
卑弥呼の墓にしたい感みえみえ(´-ω-`))




ま、それは別として。



『日本書紀』説では神功皇后が1800年前なので、
連玉ビーズの時代に生きていたのは景行天皇やその子の国乳別皇子や
景行天皇を道案内した猿大海が含まれます。

昨日も、三潴は古代に栄えた所だと、飯塚でお話ししたばかりです。

水沼族の湊は大善寺玉垂宮の地で、中国からの文物がダイレクトに
どんどん流入して最先端の物が入って来ていた所です。
(下巻78大善寺玉垂宮)

ビーズどころではないものが沢山眠っているはずですよ。
発掘されていないだけ。


その水沼族の政治の地こそ、少し離れた「高三潴」なのです。
そこからビーズが出たのですね!





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そこには、国乳別皇子を祀る弓頭神社があります。
(下巻57弓頭神社)



田油津姫攻撃の前に神功皇后や武内宿禰が水沼水軍の船でやって来て、
武内宿禰と国乳別皇子が軍議をしているシーンが
大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。(下巻57)



水沼族の聖地は赤司八幡神社で、
道主貴(みちぬしのむち)=三女神が降臨したところと伝えています。

景行天皇はそこで天壇を構え、三女神を祀り、
自分の子供の国乳別皇子を天皇代行として残していきました。


水沼族の版図は広いですよ。
旧三潴郡だけではありません。



筑後平野での三女神信仰を基準に考えると朝倉も入ってきます。
福成神社は最初に景行天皇が祀り、神功皇后も祀り、
あとからは斉明天皇も祈願に来ています。(下巻53福成神社)



その北にある太刀八幡宮も三女神。

神功皇后が太刀「乙王丸」を奉納しました。
そこでは武器を手入れしています。
軍事訓練をするエリアです。
(下巻52太刀八幡宮)




新聞には「伊都国」と比較した記事がありますが、
その広さは比べ物になりません。

水沼のクニの方がはるかに広くて、
邪馬台国の7万戸も容易に賄える所ですよ。

伊都国の南に邪馬台国があるのですから、
当然ながら論争のターゲットになるべきクニです。

これまで話題にならなかったのが不・思・議。


ちなみに、「水沼」とは巫女を出す家系のことです。
ほら、邪馬台国の条件も揃ってますね。

赤司八幡神社の北部には弥生の環濠集落や漢鏡も出てます。


この水沼族の地には、三韓討伐の後、神功皇后を乗せた安曇磯良が入って来ます。

神功皇后が褒賞としてこの地を与えたのでしょう、
ついには安曇族の領地となります。
その祭神が「玉垂命」です。

ここはもともと女神を祀っていたのが、玉垂命に変わったのです。

玉垂とは「干珠満珠を垂れた」神という意味です。


神功皇后が亡くなってしまったのち、
磯良も年老いて死期を覚悟すると、ここに戻って来て、
神功皇后との思い出の船を焼かせます。


その時、竜骨だけは残しました。
それがご神体になったと書かれています。
(高良玉垂宮神秘書)

だから、山号が「御船山」なのです。


国乳別皇子の墓も安曇磯良の墓も高三潴にありますよ。
(下巻78大善寺玉垂宮)



だから、連玉ビーズが出ても当然の地なのです。



ガイドブックの下巻をお持ちの方は上記の番号を参考にしてください。
サイドバーからも各神社の記事が見られます。






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by lunabura | 2017-02-17 19:50 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(7)

今日は神功皇后のお話しでした



今日は飯塚市の麻生西日本新聞TNC文化サークルでの神功皇后の話、
四回目でした。

空気が澄んでいて、幸袋(こうぶくろ)から雪の英彦山が見えましたよ♪
車で移動中だったので、写真は撮れませんでした。


皆さんと相互交流が出来るようになりましたが、
あと一回を残すだけになりました。

この最後の五回目が『日本書紀』から消された歴史が満載なのです。

ガイドブックが出てから現地の皆さんがあちこち調査されて、
情報をいただいたので
より踏み込んで理解できるようになりました。

豊の国であった大きな話が消されたんだなあと今ではきっちりと分かります。
次回はそれが話せます。

今日も意図的に安曇族の歴史が消されたことを痛感したのですが、
これを文章化するには時間と力量が不足していますな (´-ω-`)

でも、少しずつ努力を積み重ねていこうと思います。

春になると、歴史関係の楽しい行事があちこちでありそうです。
どんどんお伝え出来ればと思います。





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by lunabura | 2017-02-16 20:52 | にっき | Trackback | Comments(0)

「弓削」(ゆげ)の話と「中西」の話



「弓削」(ゆげ)の話

「中西」の話

 


弓削の道鏡が建立した由義寺(弓削寺)跡が発見されたという
2017年2月13日の新聞記事をテーブルに置いたのですが、
先日歴史カフェでいただいた久留米市の文化財マップを
整理しようと手に取ってビックリ。


「弓削・北野地区」のタイトル\(◎o◎)/!

c0222861_21221311.jpg

「弓削」と「弓削の道鏡」!

これはいったいどういうシンクロ?

実は高良山に仏教が入り込んだ白鳳二年(673)。

この時、高良山の支配は安曇から物部に変わるのですが、
この物部氏が何故か、のちに武内姓を名乗るようになるのです。

武内宿禰は智将として人気があるとしても、
姓が変わるのはよほどのことと考え、

物部氏の社会的な事件が関わった可能性を想定したのですが、
この二つの資料が並んだ時、弓削氏から考えるようにと
示唆された思いがしました。

白鳳二年に出家したのが隆慶ですが、その母が弓削氏なのです。
つまり、物部氏と弓削氏はここで通婚しています。

この弓削氏だった母も白鳳7年に出家します。
正覚寺を営むとあるので、その寺は久留米で探さないといけないのですが。
(誰か教えて…)

弓削の道鏡が孝謙上皇の病を完治させたのが761年。
隆慶の母が出家した白鳳7年は678年。

弓削氏においては仏教は、道鏡より筑後の方が百年も早いことになります。

百年後の弓削道鏡事件がきっかけとなった可能性、ありますね。

少し時間を掛けて精査したいと思います。
今日はアイデアを忘れないために φ(..)メモメモです。





さて、明日は飯塚での古代史講座です。
神功皇后の話もいよいよ渡海準備の段階になります。
いわゆる三韓征伐ですが、簡単には行けないのですね。

住吉族と安曇族との交渉、
軍事訓練、
決意のパフォーマンス、男装の美豆良結い、
複数の出港地説、寄港地説などを整理します。

神功皇后が渡海の時、「この風は何か」と尋ねると、
「中西」と答えたことから、その水手(かこ)に
「中西」と名乗るようにと告げた話があります。

これがよく分からなかたのですが、
赤間の喫茶店で筥崎宮の氏子さんが突然教えてくれたのです。

「志賀島から朝鮮半島に一気に渡ることが出来る風が吹く季節があり、
その風を中西というんですよ」と。

つまり、魏志倭人伝に出てくる、楽浪郡から糸島に至る航路の
抱える問題が解決したのです。

朝鮮半島から倭国に渡るのは簡単なのですが、
逆のルートは潮流が邪魔をするので、倭国から半島に行くのは難しいのです。

しかし、一年に数日だけ吹く「中西」を捉えたら簡単に行ける!
こうして、不思議な廻り合わせで謎が一つ解けました。

それは学説では出てこない生きた歴史ですね。
伝承とは私たちに伝えてくれる知恵でもあります。

明日は、スポット参加も出来ます。
興味のある方お待ちしています。





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by lunabura | 2017-02-15 21:23 | メモ | Trackback | Comments(26)

明日19日は飯塚で羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です



明日19日は飯塚で

羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です。



明日は飯塚での古代史講座、「神功皇后講座」の3回目です。

前回までは仲哀天皇が崩御して、亡骸を忌宮神社に届けると、
小山田斎宮で教えを垂れた神々の名を尋ねたと『日本書紀』に
書かれた場所が実存することなど紹介しました。

3回目はその『日本書紀』に書かれた
荷物田村(のとりたのふれ)の羽白熊鷲を攻撃し、
山門(やまと)の田油津姫を攻めていくルート上の伝承を話します。

これらもまた書紀に書かれた所が神社となって残っていました。
そして、それを補う神社群がルート上にありました。

神功皇后が大本営とした夜須には松峡八幡宮(上巻41)があります。
皇后軍が敷いた七か所の陣営の跡地は「七ケ森」と呼ばれ、
そこを辿っていくと、羽白熊鷲の終焉地に着きました。

その終焉地には寺内ダムが出来ましたが、
幸いにも墓所は陸地にあります。(上巻50)

その墓が施設のプールに引っかかったため、
現在、直ぐ近くに大きく再興されています。






c0222861_18391181.jpg

地元で採取した話なども紹介します。




さて、神功皇后軍が羽白熊鷲を討伐したあと、寺内から下山すると、
武人たちは武器を研ぎ(太刀八幡宮下巻52)、
次なる田油津姫攻撃の準備をしました。

神功皇后は水沼水軍(下巻56)の出迎えを受けて、
山門に上陸し、ついに田油津姫を討ち取ります。





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(田油津姫あるいは葛築目の墓と言われる、女王塚。今は蜘蛛塚という)
下巻59


田油津姫が何故、殺されなければならなかったのか。


その理由は田川の若八幡神社(下巻60)に書かれていました。

田油津姫は神功皇后を暗殺しようとしたというのです。

『日本書紀』だけでは解けない神功皇后の謎。
今回は朝倉から山門にかけて、次々に現れてくる伝承を辿ります。





この古代史講座はスポット参加ができます。
興味をお持ちの方は、以下に連絡の上、ご参加ください。
パワーポイントで楽しむ古代史講座です。


2017年1月19日 13時半~15時

麻生西日本新聞TNC文化サークル 
アイ&カルチャ あいタウン飯塚
電話 0948-22-3356(申し込み先)

福岡県飯塚市吉原町6-1(あいタウン3階)








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by lunabura | 2017-01-18 18:47 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

バスハイク資料のチェック



今日はバスハイクの資料のチェックと仕上げ。
思いがけず、時間がかかりました。

新原・奴山古墳群の中にある縫殿神社から始まって
玄界灘~響灘の海岸沿いをまわり、
遠賀川に出るコース。

最初、本を書いた頃は手探りでしたが、
俯瞰できるようになると、
神経衰弱のゲームのように、バラバラの情報が繋がってきて、
また広い世界が見えてきました。


縫殿神社にある加羅の話から
功満王、弓月の君、秦氏、葛城襲津彦と
新羅~高句麗~呉の話が繋がりました。


これをブログに書こうとすると、何日か掛かるのでご容赦。



今度のコースには道の駅もいくつかあるので、これも楽しみです。
参加される方でお昼をどうしようと思っている方、
野菜たっぷりの安価なバイキングに行くので、
手ぶらで大丈夫ですよ。

ご自分で回る方も、コースの参考にしてくださいね。


新原奴山古墳群(車窓)

縫殿神社(上巻5) 船の帆を織った神が祀られている

織幡神社(上巻4) 神功皇后と竹内宿禰が紅白の軍旗を織らせた

高倉神社(上巻11) 男女の二神が天皇の船を引き止めた 

岡湊神社(上巻10)岡の水門で仲哀天皇の船が進まなくなった

神武天皇社(上巻12)仲哀天皇と皇后は宗像三神を遥拝した

住吉神社(下巻98) 神功皇后は松を植えて住吉大神を祀った

唐ノ松神社(下巻98)(車窓) 神功皇后は松を植えて住吉三神を祀った

          (番号は拙著『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号)







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by lunabura | 2017-01-05 22:35 | にっき | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご43 狩尾岬の天智天皇



ひめちゃご43

狩尾岬の天智天皇
 


バスハイクで千畳敷を案内したいと思い、再び訪れた。









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行けども行けども、知らない光景だ。










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ここは山鹿半島から響灘(ひびきなだ)に突き出た狩尾岬。










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ぐるりと「なみかけ遊歩道」があって、海岸沿いに歩くことができる。


あとで調べると、結局、もう一か所、同じ千畳敷という海岸が存在したのが分かった。

例の如く、勘違いして訪れたのだが、そのお陰で天智天皇の伝承に出会った。






天智天皇がこの岬の山で狩をしたという。そこから「狩尾」の名がついた。

狩は軍事訓練の一つだ。
遠賀水軍や陸軍など多くのものが関わったのだろう。

時期は遠賀川中流域の中間市「磐瀬」にある行宮(あんぐう)に
滞在している時と考えられる。
まだ中大兄皇子と称した頃だ。

斉明天皇も元気だった。









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帰り道に視界に入って来るのが「洞山」(どうやま)の「洞穴」。
神功皇后が矢で射た穴が大きくなったという。

このような地形は世界中にあるので、海人族の湊の印だろうと考えている。

この穴がいつ頃、掘られたのかは分からないが、
同じ光景を中大兄皇子も見たのではないか。







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二つの小山の左が「堂山」右が「洞山」だ。
どちらも「どうやま」と読む。
思いがけず、先日のバスハイクの時、この堂山で遊んだ。

もう三度も続けてこの芦屋の磯で遊んだことになる。




                       <2016年12月21日>









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by lunabura | 2016-12-21 22:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

北九州の豊かな自然を楽しんだ



北九州の豊かな自然を楽しんだ



12月2日の洞海湾沿いのバスハイクは天気に恵まれました。

かつて参拝した神社でも、アプローチの方角が違うと全く違う顔を見せます。

取材の時には縁ごと、バラバラに探査するので全体像はよく見えないのですが、
今回のように洞海湾に絞って回ってみると、
遠賀水軍の長である熊鰐一族がどのように洞ノ海(くきのうみ)を
掌握したのか、かなり体感することができました。


今回、心に残ったのは北九州の自然の豊かさ。
特に、山沿いの神社の杜は深く、植物相が豊かに残されています。









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最初に行った一宮神社(上巻2)の磐境神籬は神秘的な世界。

朝という時間帯は格別で、異次元への祈りの場として、
聖地のパワーを今なお留めていました。

ここに神武天皇が立ち、神功皇后も立った。

そんな場所がそのままの地形で残されています。
福岡はこんな聖地が自由に参拝できて、素晴らしいなとよく思います。

太陽の方角から、この天円地方は南に向いている印象を受けました。








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勝山勝田神社(上巻3)は深い森が、参拝者の心を癒します。










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飛幡八幡宮(上巻6)は前日、戸畑祇園大山笠が世界遺産に登録されたばかり。
晴れの日に参拝です。











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お昼ご飯は高塔山。
熊鰐一族がここから出入りする船を見張っていたのが良く分かりました。











c0222861_2075771.jpg

若松恵比須神社(上巻7)は、おえべっさんの縁日!
くじに当たった人もいましたね^^




魚鳥池神社(上巻8)や貴船神社(上巻9)では標高から
古代の海の地形を想像。







芦屋歴史民俗資料館で縄文のシャーマンを見学して、
近くの洞山(どうのやま)で磯歩きをしてきました。









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「足場が悪いから、不安な人は待っていてください」
というと、
「そう言われたら(じっとしておれん)」
とワンパク時代の心が蘇り、
全員が凸凹の荒磯を歩いて大きな穴を見学。







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ここにも神功皇后の伝承がありました。


山あり、海あり、の北九州!
その魅力を満喫するバスハイクでした。




私の新しいカメラは知らないうちに動画になって、
足ばかり写っていて、びっくらこん。(;’∀’)

動画ボタンがすぐ横にあった(´・ω・`)

少しずつ親しんで行こうと思います。








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by lunabura | 2016-12-04 20:10 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

神功マップとか 藁シン・ゴジラとか



神功マップとか藁シン・ゴジラとか



パワポを作ったり、バスハイクを練ったり。
ずっと籠っていても、楽しい話がメールや新聞で届きます。



西日本新聞の切り抜き。
例の調子でA4用紙の反故紙の裏側に貼り付けて分類してます。




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昨日(12月2日)の。

筑前町で巨大なシン・ゴジラ。映画は見てないけど、これは見たい。
12月初旬まで、見れるそうです。

場所は役場近くの「田んぼ」なので (^^;
筑前町企画課 0946-42-6601に尋ねると良いみたいです。


「嘉穂アルプス」の画像、綺麗!
遠賀の女神シンポの時、「夢サイトかほ」の舞台の借景がこの馬見山だったのです。

嘉麻市の遺跡から見たこの三山が美しくて、忘れられません。
あいにくのpm2.5のガスで写真が撮れなかったから、心残りです。






しかも、この馬見山は「ひめちゃご」とも関係が出てきました。

最初に登場した佐賀の若宮八幡神社から見ると、
この馬見山山頂から夏至の朝日が出るのです!



http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/blog-entry-145.html

チェリーさんの作った画像と比較すると、反対側から撮ったのが分かります。

はやく「ひめちゃご」に戻れるように、
パワポやバスハイク資料づくりを頑張ってるので、この写真で癒されました。




新聞記事って、その場で切り抜かないと、探し出すのに苦労します(;’∀’)
なんでだろ。
皆さん、そんな経験ありません?




さて、もう一つ楽しい知らせは、崗懸さんからのメール。
これも西日本新聞がらみだけど、

「神功皇后伝説マップ完成 散策向けに16カ所紹介」

筑豊とその周辺に残る歴史遺産の魅力を発信しようと、
飯塚観光協会職員の稗田涼子さん(43)が
「飯塚神功皇后伝説めぐりマップ」を作製した~

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/286278

いつも書いているけど、
地元の方に詳しいマップを作っていただくのが次の夢だったので嬉しいです。

神功皇后関連のマップは福岡県のマップに続いて第二弾ですね!



http://www.kankou-iizuka.jp/public/jingukogo.pdf

PDFで印刷できます。

これを見てると、知っていながら行けなかった所がいくつも出ています。
皆さんが本気出せば、300社ぐらい、行けそう!

崗懸さん、ありがとうございます。






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by lunabura | 2016-11-04 00:01 | にっき | Trackback | Comments(20)

筑紫舞 2016



筑紫舞 2016





天気予報では一日中、雨だったが、
今年も奇跡的に午後から回復。


宮地嶽神社で筑紫舞が舞われた。


「光の道」が参道に出現して秋祭の始まりを告げると、

九州王朝に伝えられたという筑紫舞が

あでやかな和の彩りを添える。

ご覧になる神は

神功皇后。
勝村神。
勝頼神。



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「千代の友」
千代の友とは菊の事。









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千代に八千代に、国が豊かであるようにと祈る。












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「鑑の曲」かんのきょく
筑紫秘舞。











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浮き立つ春の曙に 白み渡れる山の端の
雲の衣も紫のうら珍しき春の香










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「千鳥」










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梅が枝にこそ 鶯は巣をくへ
風吹かばいかにせん 花に宿る鶯











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「橘」










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雲居の庭に色変えぬ 花橘にほととぢす
千代を鳴らして久方の 空にぞ声の聞こゆる










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浮神(うきがみ)
芸能の祖と言われる阿曇磯良が舞ったという。

天上神が磯良に舞い降りて舞う「つくし神舞」の秘舞。










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イソラ神はここにもおはす。

鞨鼓を持ちて舞いたもう。







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by lunabura | 2016-10-22 20:34 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

本日「遠賀の女神」でした




今日は嘉麻市での古代史シンポジウム。
神功皇后について話をしました。

「夢サイトかほ」はとても素敵な会場でしたよ。
ラストに舞台の後ろのカーテンを開くと総ガラスになっていて、
馬見山が美しい姿を見せてくれました。

粋な演出ですね。(^_-)-☆

お世話になったスタッフの方々、
また足を運んでくださった方々、ありがとうございました。



神功皇后伝承に関しては、
「いくつもの話が複合されたのではないか」
というご意見をいただいたのですが、

「神功皇后」がここでこうした、
と書かれたものを、「誰か他の女性」が、と書き換えたとたんに
歴史の改竄になってしまいます。

私が手を入れるのは古語で書かれた文を現代語に直すことだけです。

自分の論に合わせて人物を創り出すような態度は避けています。
ですから、「神功皇后以外の誰か」と書き換えることは決して受け入れられません。



また、会場の質問で「伝承の精度」について質問がありました。

確かに平成になって書かれた説明板には現代人の考えが入ったものがあり、
採用できない内容のものを散見しました。



しかし、1800年もの間、祭や伝承を伝えている当該神社の由緒に対して
敬意と畏れはあっても、
「精度はどうですか」と言うような考えは一切もっていません。

伝承の精度というのは、事実が明らかにならないと比較できないものです。
今、伝承の研究に手が入ったばかりのところ。
精度の検証は次世代に委ねることになるでしょう。


まずは「あるがままを受け入れる」という態度を貫いての研究です。

これは譲れないです (´・ω・`)

その結果、神功皇后が一筋の道を歩んでいたことが分かったのです。
そして、多くの古代豪族たちが協力したり敵対したりした姿が浮かび上がりました。



今日、新たに分かった伝承がありました。

志村裕子氏によると、
「大三島の大山祇神社の縁起に『オチミナミの命』が『新羅の塵輪』の首を
取った時の刀が伝わっている」そうです。

それを謎に思われていたのですが、今日のシンポジウムで
裏付ける伝承が忌宮神社にあったのを知って驚かれたそうです。

私も、まさかあの「鬼石」に係わる武将がいたとは想像もしていませんでした。



古代の人の名がまた見つかった!

と言って、こつこつと伝承をつないで歩むだけです。


我ながら変な趣味だなあ(^^;




※コメント沢山ありがとうございます。返事は待っててくださいね。




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by lunabura | 2016-10-16 21:37 | にっき | Trackback | Comments(6)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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