ひもろぎ逍遥

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タグ:祭り・イベント・遊び ( 158 ) タグの人気記事

開運桜と神馬


宮地嶽神社(2)
みやじだけ
福岡県福津市宮地

開運桜と神馬(2月)

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拝殿です。日本一の大きさを誇る大しめ縄がかかっています。

今日は3月中旬の暖かさ。桜を求めて宮地嶽神社に行って来ました。(気が早いですねえ。)
やっぱりありましたよ。その拝殿から右の方に回ると、桜が咲いてました!

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家に帰ってみると、夕刊が届いていて、この神社で真っ先に咲く開運桜だと書いてありました。

じゃあ、この御利益を皆様にと、早速、お届けします。

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こちらは御神体山と狛犬。

今日のもう一つのお目当ては神馬です。民家村の左奥にいます。
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退屈そうに、ロープに歯をこすらせて、音をたてて遊んでました。
「ねえ、広い所で撮りたいんだけど。」と、言ったら、桜の木の下に移動して、しばらくポーズ。
三分ほどして、また戻って来ました。ホントに聞いてくれた?!

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この神馬は大祭の時に宮司さんを乗せて歩きます。もと、競馬だったそうです。
ステキな一枚を有難う。

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by lunabura | 2010-06-13 17:56 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(6)

宮地嶽神社(3)6月の菖蒲まつり

宮地嶽神社(3)

福岡県福津市宮地
6月の菖蒲祭りに行きました。
今年の祭王に選ばれる女性歌手は誰かな


さあ、今日は、海岸の一の鳥居から神社に向かって行きましょう。
ここは玄界灘。津屋崎海岸です。宮地浜と言います。

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海から上がって、長い参道を歩きます。両脇は人家です。2キロほど歩いたでしょうか。
お店がたち並ぶ参道を通ると、ようやく境内の石段に着きました。

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今日は菖蒲祭りの最中です。石段の一歩目からずらりと、菖蒲が並んでいます。
すべて鉢植え!すごいおもてなしです。

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石段をいくつか登りきった所で左に曲ります。

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正面に御神体山が見えます。ここからは三輪山と同じような形に見えますね。
ここも左右に菖蒲が…。

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二つの鳥居を過ぎて、さらに右に曲りました。ようやく神門が見えて来ました。

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神門を入ると、広い拝殿前の境内にも、埋め尽くされた菖蒲。
ここは普段は玉砂利が敷き詰められているんですよ。
それを全部菖蒲で埋め尽くすなんて。なんとありがたい。
参拝者を迎えられる神社のもてなしの心に頭が下がります。

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拝殿です。しめ縄の大きさは日本一です。

神社の境内案内図がありました。
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現在地は左下、御本殿の前ですよ。


前回は右奥の「民家村、自然公苑」と「みやz00」を紹介しました。
今回から数回かけて、奥の不動神社まで行きたいと思います。

この綺麗な色の案内図には由緒書きも書いてあったので、書き写します。
御祭神
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
勝村大神
勝頼大神

御創建は約1600年前。当社の御祭神「息長足比売命」別名「神功皇后」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。

古事記・日本書紀等には渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り、
「天命を報じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運を垂れ給え」
と祈願され船出したとあります。

その後、神功皇后のご功績をたたえ、主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神」としてお祀りしました。当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。


御祭神は神功皇后でした。
この神社も神功皇后が来て、山に登って、天地の神々に祈っています。
この祈りが通じたのか、新羅攻撃は勝利をおさめて凱旋します。
このことから、この神社は開運や勝利などを願う参詣者が大変多く、
今年のお正月は、ついに入場制限があったと聞きました。

華やかな秋季大祭
秋季大祭では、歌手が祭王に選ばれて、十二単衣で牛車に乗って参拝されます。

初代祭王が奥村チヨ。そのあと、小柳ルミコ。五代マリ。小林幸子。
三沢あけみ。島倉千代子。八代亜紀。天童よしみ。石川さゆり。などなど。

選ばれた年には、必ず大ヒットするので、女性歌手は選ばれるのを心待ちにすると聞いています。
今年は誰なのか、楽しみですね。

2010年度
菖蒲祭り 6月13日(日)まで
秋季大祭 9月21日~23日
菖蒲はまだまだ三分咲きでしたよ。(6月5日現在)

(つづく)



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by lunabura | 2010-06-12 15:11 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(4)

冬の駕与丁(かよいちょう)公園

冬の駕与丁(かよいちょう)公園
福岡県糟屋郡粕屋町大字仲原字駕輿丁

冬の薔薇園はつぼみが輝いてました

冬のバラを見に行って来ました。
冬なのに?
そう。
きっと、冬でもバラが咲いてるはずなんです。

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ほら、やっぱり。
小春日和の中で、冬のバラが咲いていました。




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綺麗!
それにつぼみのエネルギーもすごいです。





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花びらが柔らかそう~。


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花の活力がみなぎっていて、体感温度は ↑




薔薇園の隣の散歩道です。

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ベンチの向こうに見えるのは菖蒲園です。
菖蒲はまだまだ、気配もありません。
菖蒲の中を歩ける初夏が楽しみです。

裸の木は桜です。
枝がほんのりピンク色になり始めましたよ。




薔薇園の住人、じゃなく、住猫で~す。



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どう?
決まってる?



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う~。ばりばり。



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んふ~。
%&?¥~$#…。


帰る時、一匹が
薔薇園の端っこまで見送ってくれました。

また会おうね。

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by lunabura | 2010-02-01 20:18 | 駕輿八幡宮・かよい・粕屋郡 | Trackback | Comments(0)

高良大社(10)税として納められた鷹と鷹鳶神人


税として納められた鷹と鷹鳶神人

 高良大社

只今、当ブログの話題は英彦山や高良山、星野村など
福岡の山岳に鎮座する高樹神社や高木の神などに及んでいます。
その山々には鷹が神として飛来する話があるので、
鷹の話題で盛り上がっているのですが、

今回、愛読者さんから、奈良時代に
筑後の国から鷹と鷹匠などが税として納められていたという
面白い記録を紹介していただきました。
その話の中に出て来る、「鷹鳶神人」の持つしるしの写真があるので、
コラボで紹介します。

まずはコメントから。これは「ちょっと」というタイトルの記事にあります。



愛読者:
もうひとつ「鷹」と「高良別宮」ですが、
「筑後国天平十年(738)正税帳」に
「貢上鷹養人参拾人」(略)「貢上壹拾伍頭」、
同じく「周防国天平十年正税帳」に
「従大宰府進上御鷹部領使(ことりづかひ=先導役)
筑後国介従六位上日下部宿禰古麻呂将従三人、持鷹廿人、(中略)御犬壱拾頭」
とあります。

当時筑紫から「御鷹」が筑後の日下部氏に先導され、
併せて「30人の鷹養人・犬25頭・20人の鷹持ち(当然鷹も20羽以上)」が
税として貢がれたというものです。

このような莫大な鷹の献上は筑紫からしかありません。

そして、「筑後の日下部氏」とは、高良大社官長職の日下部氏で、
高良大社御神期大祭の御神幸には羽の付いた冠を被った「鷹鳶」の行列が見られ、
筑後久留米市草野町には「隼鷹(はいたか)天神」もあります。

「御鷹・御犬・鷹持」等の尊称から、
鷹狩は高良玉垂命=九州王朝の尊い行事だったと思われます
(もちろん神功皇后とも関係)。
(「正税」とあるから天平10年に大和朝廷に召し上げられたことになる!!)



るな:
これは、面白いですね!!
税から鷹の話が出て来るとは。
しかも、日下部氏なんですね。
私は高良大社の勅使祭の、その写真を撮っているので、
愛読者さんのコメントと、私の写真でコラボの記事を書きましょう。
とても重要な位置にありましたよ。 (^-^)



ということで、早速行列のイラストを挙げましょう。

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これは2012年10月14日に催行された高良大社神幸祭の行列の一部です。
本来50年に一度あるのが、臨時的に20年目に催行されました。

鷹鳶神人は行列の中でちょうど中央に位置するのですが、
コメントに書いたような重要な位置ということはありませんでした。<(_ _)>

鷹鳶神人の冠を見ると、確かに羽根が挿してあります!!
全然気づかなかった。
私はそれよりも、掲げる太陽らしきシンボルに夢中だったのです。



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ごれが実物。
よく見ると、今回の神幸祭では烏帽子(?)のままですね。
この人が「鷹鳶神人」というのですが、手に持っているのは
太陽という解釈でいいのでしょうかね。
巴神人の後ろに日月神人がいて、そちらにも太陽のシンボルがあるので、
また別の解釈があるのかも、と思ったりもしています。

高良山は「高牟礼山」とも言うのですが、
冗談で「鷹群山」と書いたら、
少なくとも20羽以上の鷹が税納されたというのですから、
確かに鷹が群れ飛んでいたのかもということになりました。

鷹の飼育人30人、鷹匠20人、犬(狩用だと思う)15匹が納められる環境なのですから、
大規模な鷹狩りの為の繁殖や訓練組織があったはずです。

現在の鷹匠は大変少なくなっていて、
佐賀県の女子高生が鷹匠になったという報道を見ました。
カラス対策にすごい効果があるそうです。

鷹の群れ飛ぶ高良山、鷹群山か…。
在り得るかも。



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by lunabura | 2009-12-27 00:53 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(23)

八所宮(Ⅱ) 夜祭りだァ


八所宮(Ⅱ)
はっしょぐう
福岡県宗像市吉留
夜祭りだァ
日向ひょっとこ踊りとお神輿

例大祭
毎年、10月第3土、日がここの大きなお祭りの日です。
夜から始まるという事で、日が暮れてから訪ねました。
あたりは人家がないので、夜は真っ暗です。
お宮の周りに裸電球がぐるりと渡してあって、闇夜にほっとしました。
こんな暗闇は久し振りです。

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参道の灯篭にも火が灯されて、参拝する人を迎えてくれます。
なんとも良い風情です。
石段を上って境内が近付いてくると、祭りの音が聞こえて来ました。
闇夜の笛の音は何とも、心惹かれます。

境内の舞台はすでに盛り上がっていて、地元の人々の舞いや歌、独奏、などなど、芸達者ばかり。
見ていると、次から次へと、こんなに沢山の芸能が日本にはあるんだと、感動です。

今日はそのなかでも「日向(ひゅうが)ひょっとこ踊り」を紹介します。
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鉦と笛の音が聞こえてくると、いきなりハイテンションになりました。

チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。チャ。

金属性の高い鉦の音が四拍子をとります。
(ジングルベルと似たリズムです。)
笛の音がそれに絡むように吹かれます。

男も女も赤い着物を着て、お面をかぶり、ほっかぶりです。
ふんどしを垂らして、一人ずつ踊りながら入って来て、次第に輪を作って、ぐるぐると回ります。

チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。チャ。

周りに原生林しかない、里山の空間に、ひたすら単調なリズムが響き渡ります。
なんとも、キツネやタヌキが人を化かした昔にタイムスリップしたような気分になって来ました。
よく見ると、キツネのしっぽを垂らした人もいます。
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山の精霊たちのお祭りを木陰から覗かせてもらっているような不思議な気分です。
踊り手たちは、滑稽な動きでどこまで人を笑わせられるか、ひたすら追求しています。
こんなひょうきんな踊りが、可愛らしい乙女たちの「浦安の舞」の後に
あるのですから、そのギャップがたまりません。

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ハレとケ。よそ行きと普段。
聖と俗。
闇夜と灯り。
この両極端が、日本人の原風景にあり、自分の身体の中にもあるのを再確認した夜祭でした。

密かに行われる御神事
さて、のど自慢も登場して、舞台がいよいよ盛り上がった頃に、
神殿では、御神体を神輿に移すための祝詞が奏上され始めました。
人々は舞台を見ているので、拝殿の前には数人しかいません。
そこに立っていると、前からは祝詞が、後ろからは南春夫が聞こえて来ます。

聖と俗の境界線に立って、これまた摩訶不思議な空間です。
氏子さんたちが頭を垂れる中、神官の手によって、しずしずと御神体が神輿に移されました。
神輿は三台です。
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御神体が移されて、運ばれるのを待つばかりの神輿。

そして、それが大名行列に先導されて、釣川の岸辺にこしらえられた御座所に
運ばれて行きます。

真っ暗な中、紅白の垂れ幕に囲まれた御座所がこうこうと照らしだされて、
祭りならではの、風情のある光景でした。


このお祭りに出かける時は真冬の格好がお勧めです。
秋でも夜中は冷え込みます。
来慣れた人は、ダウンを着ていましたよ。

宮崎県で盛り上がっている「日向ひょっとこ踊り」の動画が見られるサイトがあります。
笛と鉦のお囃子も聞けます。

日向ひょっとこ夏祭り公式ホームページ
http://www.hyottoko.jp/fs/

やっぱり星の神々がありましたよ。しばらくお待ち下さいね。

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by lunabura | 2009-12-13 00:00 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(4)

志式神社 (Ⅱ)万年願と早魚神事と神功皇后


志式神社 (Ⅱ)

万年願と早魚神事と神功皇后


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神社のお話が聞けましたよ。

 秋の日、朝からお参りに行くと、氏子さんが掃除をしていました。
そこでお話を伺いました。

「境内横の大きな穴はどんど焼きでもするのですか。」
「そうですよ。毎年決まった日にしています。
ここは、もともと、三良(さぶろう)天神が祀ってあって、祠の形でした。
昔、奈多の町が大火災に遭った時に、この神が助けられてから、
大きな拝殿を建てたそうです。」
といって、参道の左の足元にある、三良天神の鳥居の額を教えてくれました。


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「へえ、これがそうなのですか。」
聞かなければ、見逃してしまう所でした。

「それから、感謝の思いを万年後も伝えるために、7月19日~20日に、
踊りを奉納する「万年願」の祭りをしています。
神社に入ってすぐ右の方に建物があったでしょう。
そこで、踊るのです。」
「ああ、あれは舞台だったのですか。」
普段は閉まっているために、使っているとは思いもしませんでした。
志式座と言います。
明治時代に伊野天照皇大神宮からここに移籍して、
改築しなら大事につかってあるものだそうです。
(このまえ掲載したばかりの伊野皇大神宮から来ていたなんて、
嬉しくなっちゃいます。)


早魚神事が聞けたよ。

「また11月19日~20日は早魚神事をしますよ。
『はやま』と読みます。

真冬の夜中に、この下の海の中で禊をした若者衆が、階段を駆け上がって、
境内で着物に着替えて、網元の家に行って神事をします。

今ではそれが手狭になって、公民館になっています。
 公民館では夜7時から御神楽を演じて、神事を迎えます。
舞台には二匹の大鯛がおかれ、二人の青年によって、さばかれます。
そして、どちらが神に先に奉納するかが競われる神事です。」

「鯛はウロコを取ったりするのですか。」
「いえ、もう、ざっと二枚にするだけです。あっという間です。」
「そして、どうなるのですか。」
「神官がいて、その人にどちらが先に奉納するかを競うのです。
昔は、漁師がしていましたが、今では人が少なくなったので、地元の青年団たちがしています。」
というお話でした。

この神事で翌年の、漁場が決まるらしく、公平にするために、
当時の夜だけリハーサルをして、くじで決められたそうです。

この神事の由来は分からないという事でしたが、
その答えは、拝殿の上にちゃんと書いてありますよ。

1800年ほど昔、神功皇后に捧げた鯛のお話を神事として伝えているのです。
これはすごい事です。
神事のパワーはこんな所にあるのですね。
先人達がどうしても子孫に伝えたい事を、
こうして神事にしておけば、毎年その話を思い出す。
先人の知恵が、ここに、こうして実っています。

「早魚」を「はやま」と読ませるのは面白いです。
ルナは実は、これを見た時「はやゆ」と呼んでしまいました。
古文の授業で「魚」を「いを」とか「いゆ」とか読んだのを
覚えていますか?
奈良時代には「はやィゆ」と読んだんだろうなと思ったのです。

実は、中国語を三年前から習っているのですが、「魚」の発音の難しいこと。
口を「い」と「え」を発音する形にして、「ゆ」を言うのです。
なんだ、これって、古文の発音じゃん。
日本語で書こうとすると、「いを」「いゆ」「を」「ゆ」としか書けないのです。

現代人でも、発音が難しいのです。
ましてや、部族で言葉が違った大昔、
「はやィゆ」と言われて「え?え?」と聞き返しただろうなと思いました。
今でも、必ず「え?はやま?」って聞き返しますもんね。

それで御祭神の一人、「葉山姫」の「はやま」と関連付けて、
「ハヤマでよかたい」、となったような、印象を受けました。

追記
籠神社を調べていたら、笑原魚居神社というものを見つけました。
「えばらまない」と読むそうです。

そこで「まな」で辞書を引くと「真魚」で「まな」と読み、
おかずになった状態を、そう言うとか。
「いを」は生きた魚だそうです。

すると、「早魚」は「はやまな」とか「はやな」とか、
言っていたのかも知れませんね。

で、やっぱり、「はやま」でよかたい…?
と聞こえてきそうです。

さて、拝殿の正面に板が渡してあり、砂が一つかみずつ盛ってあります。

「このお汐井は?」
「家に皆さんが持ち帰って、清めに使うのです。」
「砂はここのですか?」
「すぐになくなるので、浜から私たちが取ってきます。」
あの急な坂を上り下りして、重い砂を取って下さっているんですね。
御苦労さまです。


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さあ、核心の神功皇后を聞いてみましょう。(ドキドキ。)
「神功皇后がここに来られたように書いてありますが。」
「そうですね。でも、この辺は神功皇后ばかりでしょうが。
私は信じません。」
「ほんと、このあたりはその話ばかりですよね。」

ルナも『ひもろぎ逍遥』で、神社の伝承めぐりをしているだけなのに、
なぜか、神功皇后の追っかけレポーター状態なのですから。
とにかく、ここら辺は神功皇后の伝説だらけなのです。
この伝承をつなげば、彼女がいつ何をしたか、日記にでも書けそうです。

氏子さんは「信じません」と抵抗されますが、それが却って、
彼女の伝説の多さを物語って、伝承に重みを加えていて面白いです。

「ここは、丘でしょうが。ここで神功皇后は軍の会議を開いたそうですよ。」
「え?ここで、ですか?」
氏子さんは境内をぐるりと指し示しました。
広い境内には松林がありました。

 正面鳥居から入ると、石段が十段だけで、平坦な地形だと思ったけれど、
ここは丘だったんだ。
確かに、裏の松原にでると、急勾配で海に降りて行くのを思い出しました。
そうか、海から発想するべきなんだ。


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(やったあ、もう見つかった!
日本書紀に和白(わじろ)で軍衆会議があったというのがここ?)

確かに、この広さがあれば、軍の要人たちや、兵士たちも駐屯できる。
神功皇后が軍勢を解散したといわれる、
大分宮(だいぶぐう)の広い境内を思い出しました。
(あの宮も広かったし、ここもそう言えば広い所。)
(大分宮については、別稿で。)

(でもここは和白じゃない。どうしたら解明できるのだろうか。)
と思いました。

ここは奈多です。

ところが、すぐその後、訪ねた公民館の方が何気なく、
「昔は奈多と三苫(みとま)と和白を合わせて、和白と言っていました。」
と教えてくれたのです。
それなら伝承どおり、ここで軍衆会議があったと取っていい。

拝殿は何故海を向いていない?

「もともと、祠の時には海の方を向いていたんですが、
拝殿を建てた時に反対向きに作られました。」
(なるほど。やっぱり昔は海を向いていたんだ。)
これも謎が解けました。

この玄界灘に面した大きな神社はみんな、海を正面にしているのです。
ですから、(この志式神社は何故海を背中にしてるの?)
と思っていたのです。これも謎が解けて、嬉しかったです。

「11月19日に早魚神事がありますから、見に来て下さい。」
「はい、是非行きます。」

氏子さん、いろいろとお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

という訳で、お祭りへいざ。

                         
                       (Ⅲ)へつづく
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by lunabura | 2009-11-22 00:00 | 志式神社・ししき・福岡市 | Trackback | Comments(2)

志式神社 (Ⅲ)早魚舞―乙太夫の天神尋ね―

志式神社 (Ⅲ)
ししきじんじゃ

夜神楽を見て来ました。

「早魚舞(はやままい)」―乙太夫の天神尋ね―

11月19日

夜の11時半から早魚神事があり、それまで、
8時から浦安の舞いや神楽があると聞いて、
9時過ぎに、奈多公民館に行きました。

玄関に立つと、敷き詰めたゴザが目に飛び込んできました。
気分はそわそわ。

舞台には紅白の垂れ幕があって、すでに神楽が始まっていました。
神楽を奉納するのは宇美神楽座の方々。
ここの神楽は明治時代に、宇美神社の氏子さんたちによる神楽に
引き継がれたそうです。

正面の紺の幕には「早魚神事」。
この神事を象徴する二匹の鯛が踊っています。

志式神社の夜神楽だァ。

一部ですが、写真とともにお楽しみください。
 

久米舞

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折敷に米を入れてぐるぐる廻って舞う。
折敷の米が落ちないのが見どころ。
舞い終えたら、その米は人々に配られました。
もちろん、ゲット。



オロチ退治

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スサノオノ命は嘆いている老夫婦に出会って訳を聞く。
すると、ヤマタノオロチがもうすぐ8番目の娘を奪いに来ると言う。


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「私がそのオロチを退治しよう。
その暁には娘を私にくれ。」


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スサノオは二人に酒を作らせて、オロチに飲ませて、
酔っ払わせて戦う。


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スサノオはオロチを殺して、クシナダ姫を妻にする。



 磯良舞      (武内神 豊姫神 磯良神 海神)
  いそらまい

神功皇后らが新羅へ進軍する時のお話です。
48艘の船団でいよいよ新羅へ。
その時、武内神が干珠満珠を貰い受けるお話です。

磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、
勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。


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いそら神が干珠満珠を海神のところに行って、貰おうとするが、
なかなかもらえず、豊姫が代わりに海神の所に行く。


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すると海神は「神楽を舞うならば、授けよう」と言う。
豊姫は神楽を舞い、海神から干珠満珠を授かる。


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豊姫はそれを武内神に渡す。



 早魚舞
(乙太夫 献魚包丁式 ひれ舞)



これは奈多だけで演じられる独自の神楽です。
『奈多の氏神様 志式神社 「お宮の由来」』から引用します。
いつものように口語訳します。

 「乙太夫の天神尋ね」 

乙太夫が舞いながら歌を詠む。

奈多の里  志志岐の宮の  七不思議
       神の御稜威(みいつ)と 仰がれにけり


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乙太夫

「天神様はいずれにおわしますぞ。
天神様はいずれにおわしますぞ。

三良(さぶろう)天神と称える神様は、
火難盗難を除き、安産を守られるご神徳がお有りになるので、
そのおかげをこうむろうと願うけれども、
何処に鎮座されているのか、全く分からない。

八雲立つ出雲の国は神々が集まる所なので、
そこに尋ねて行ったけれどもいらっしゃらない。
伊勢の国五十鈴川に詣でたけれど、いらっしゃらない。

尋ねあぐんでいると、一羽の雀が飛んできて、
「筑奈、筑奈(ちくな)」と鳴いて教えてくれた。
筑前、奈の里だろうかと、尋ねて来ると、
やっぱりこの吹上の地に鎮まられていたよ。
さあ、参拝してご神徳を頂こう。」


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乙太夫は天神様にお神酒を奉る。

天神様が盃をいただき飲もうとすると、「まあず、お待ちなされ。」
と止められて、盃を下ろされる。
「火難盗難、除きたまえ。」と乙太夫。

また、飲もうとすると「まあず、お待ちなされ。」
と制されて、再び盃を下ろされる。
「大漁、満足、守りたまえ。」
と乙太夫は二拍手拝礼してさがる。


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天神様は酒をいただき、盃と榊を持って正面に向き直り、歌を詠む。

千早振る 神代の手振り 奏でして
    御代を寿ぐ 奈多の夜神楽

右手には盃を。
左手には榊葉を添えて立ち上がり、
乙太夫の願いを聞き遂げて、上機嫌で
「あっぱれ あなおもしろし あなたのし あなさやけおけ」
と目出度く舞い納められる。





 これが「早魚舞」の中の「乙太夫の天神尋ね」です。 

乙太夫が天神さまがお酒を飲もうとするのを、
二度も制して、みんなの願いを伝える所が、
この舞の見せ所。

構成も、
乙太夫が舞って、天神とやりとりをして、上機嫌の天神様が舞を披露する、
という三部構成になっていました。


この奈多の浜を吹上浜と呼んでいたのですね。
(鹿児島の吹上浜しか知りませんでした…。)

宇美神楽座の方にお話を聞きました。 

「見事な舞を有難うございました。神職の方々ですか?」
「いえ、宇美八幡宮の氏子です。」

「何人ぐらいですか。」
「17人です。奉納は宇美八幡宮で年に二回。
この志式神社は年一回しています。」
「福岡県に神楽があったのですねえ。」
「はい、ここ以外にも福岡市内は数か所残っていますよ。」

神楽と言えば、宮崎しか知りませんでした。
もっと、福岡の人々に知ってもらいたいなと思いました。
マスコミの方が取り上げて盛り立ててくれるといいのにな。
そうして若い人たちに受け継いで貰いたいな。

この「乙太夫の天神尋ね」は全国でここだけのもの。
宇美神楽座の皆様、とこしえに、栄えてください。


さて、このあと、いよいよ早魚神事ですが、
12時をずっと過ぎてしまい、あえなく帰宅しました。
写真はなしです…。スミマセン <(_ _)>

また来年?
確約は出来ません…。
この神事の写真はネットで沢山出されています。
検索して見て下さいね。

                  (Ⅳ)につづく

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by lunabura | 2009-11-21 00:00 | 志式神社・ししき・福岡市 | Trackback | Comments(3)

志式神社 (Ⅳ) 磯良神・七不思議・お潮井とり


志式神社 (Ⅳ)
ししきじんじゃ
福岡県東区大字奈多字宮山1236
安曇族(あずみぞく)と奈多の浜
磯良神・七不思議・お潮井とり

いそら舞の神さま
c0222861_16051.jpg


さて、いそら舞の白髪の神さま、インパクトがありましたねえ。
宇美神楽座の方の話によると、
「磯良神は大和で40万年、常陸で40万年、
勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神という事で、御年120万歳。」
これはいったい何の暗号?

これは安曇の磯良神は大和と、常陸と、福岡の志賀島と
3か所で祀られていて、みんな同じ神の事をさすというニュアンスのようです。

 筑前国では  鹿島(しかのしま)大明神  
 常陸国では  鹿島(かしま)大明神、
 大和国では  春日(かすが)大明神    
     
と呼ばれています。

  (ルナはそれを知らなかったので、
   わざわざ常陸国の鹿島神宮までお参りに行った…。
   いえ、それはそれとして、とても良い所でしたが…。
   あとで、志賀島が元宮と知ってショックでした…。)

安曇族を辞書で引くと、 
 上つ綿津見の神の子孫。
 朝廷に仕えて、各地の海人(あま)を支配して、天皇の食事の事を司った。
とあります。

いそら神は安曇族の先祖であり、綿津見の神である訳です。
ですから、とても長生きなのですね。ナルホド。


豊姫は神功皇后の妹だそうです。  

神功皇后が新羅へ行く前に、干珠満珠を手に入れた伝説が、
いろいろ変形して、あちこちで舞われていたのですね。
そして、このお話は昔の日本人の常識だったようです。

ふうっ。
頭がだんだん混乱して来ました。浜で一服しましょ。


c0222861_160564.jpg


この浜を昔は吹上浜と言って、有名だったんですねぇ。
左に見える島が志賀島です。
   
奈多の海 清きなぎさの 浜千鳥 踏み置く後を 波やたつらん   伊  勢
 
波風を おさめて海の 中ばまで 道ある国や 又も来て見ん    宗  祇
         
名にしおう 龍の都の 跡とめて 波をわけゆく 海の中道     幽  斎
 
                     
見て下さい。
古典の教科書に出てくる、そうそうたるメンバーが
この吹上浜で、鳴き砂や海の中道を歌ってます。

奈多の七不思議

「天神尋ね」でなぜか、いきなり雀が…登場した…
尋ねあぐんでいると、一羽の雀が飛んできて、
「筑奈、筑奈(ちくな)」と鳴いて教えてくれた。
筑前、奈の里だろうかと、尋ねて来ると、やっぱりこの吹上の地に鎮まられていたよ。
さあ、参拝してご神徳を頂こう。」

これは乙太夫のセリフです。

ここには「奈多の七不思議」のうちの二つが込められていました。
「雀が歩く」「砂が鳴く」
というのがその不思議です。

雀の足跡がくっきりと残る砂浜だという点と鳴き砂で有名だったのですね。
その七不思議の二つが神楽に込められていました。
ナルホド。

あとの五つの不思議は? 


奈多に火事がない。
盗難がない。
難産がない。
神社では波の音が聞こえない。
穴蜂がいない。

ということだそうです。

盗難の話を『お宮の由来』から 

天正14年8月、島津の軍、立花城を囲み、やがて退くとき、志志岐の社の阿弥陀仏を盗み去ったが、神罰のため、その兵は、途中で手足がしびれ、軍旅に従う事ができず、これを助けて薩摩に帰った者も、奇異な事ばかり起こるので、大いに恐れおののき、心から神に謝ったという。

これを書きながらルナはクスクス笑ってしまいました。

同じ話をこの前、伊野天照皇大神宮で書いたぞ。
島津軍はあちこちで御神体を盗んでは、さんざんな目に遭って帰ってるんだ。
それを何百年経っても、福岡でささやかれているんですねえ。
悪い事は出来ません。ハイ。

赤い岩がありました。 
c0222861_162298.jpg


さて、この松林の奥にさっきまで居た、志式神社があります。
入り口が分かりますか?

浜から見ると、入り口が全く分かりません。

神社への入り口は竹の塀より少し手前の所です。
外敵から見えない、安全な地形です。。

  (松林は江戸時代に植林されたので、当時はただの砂丘だった思われますが。)

ここは安曇族の本拠地の一部なのです。

ずっと砂浜が続く中で、海から船で戻って来る時、
この赤岩が目印だったのかもしれないなと思いました。

こんなに低い岩ですが、
この浜の反対側の三苫浜にも同じような赤岩があります。
興味深い事に、そこの赤岩の近くにも神社があります。

その赤岩が30年前には3メートル以上の巨岩だった頃の
写真を拝見しました。
その前は島だったそうです。
それを見て、この奈多の浜の赤岩もかつて巨岩だったんだろう
と思いました。

この重要拠点を安曇族は神功皇后に提供しました。 

新羅攻めに全面協力する安曇族は彼らなりに、
なんらかのメリットがあったのでしょうね。

船と言うのは、海岸があれば、どこでも上陸できるものではないそうです。
でも、ここはすぐ近くには漁港があり、当時も今も変わらず船が泊まれます。

大きな頃の「赤岩と鳴き砂」を紹介しているサイトがあります。
見たい方はコチラ ⇒ 『海辺の散歩』⇒「がんばれ、赤岩」
            ⇒「ぶろぐ 海辺の散歩」⇒「奈多の鳴き砂」
                             「三苫の鳴き砂」


 お潮井とりは、昔の天気予報だったよ。 
お潮井取りのルーツが分かりました。

真鍋大覚氏の本に由来が書いてありました。
『灘の国の星 拾遺』から抜き書きします。

「梅雨時になると、祖先は干潟の砂が濡れ潤うことを知っていた。
そして、土用が近づくと乾くことを心得ていた。
干潟の砂を掌にのせて海の風に吹かせ、もってその渇きを見る儀式が、
今に残る筥崎宮のお汐井とりであった。」

「今は『おしよい』は、門の柱に『テボ』を掛け、これに一年分を入れ、
外に出歩くごとに振って無事を祈る。
昔は手にした砂が乾いていたら、掌から風にふかれて、散っていた。
これが大水の事無きを告げる神の託宣と心得ていた。」


この神託をするのが、巫女や神官でした。

ですから、これをマネして、人々も自宅で出かける時に砂を取って、
手に残った砂のようすで、「今日は一日晴れるぞ。」
とか、判断したのですね。
いつのまにか、これが忘れられて、
今では、払い清めだけに使われるようになったようです。

北部九州では、いろんな神社にこのお潮井が置いてあります。

なるほど、確かにこの志式神社の拝殿前の板に砂を乗せた時、
曇った日には盛り砂がきれいに出来て、晴れた日には崩れました。

c0222861_1644973.jpg


写真の中央の分は昨日のもの。(くもり)
左端のは、今朝、私が置いたもの。(快晴)
置かれた盛り砂の状態も大事な天気予報でした。


この日は二羽の千鳥が遊んでました。
千鳥 「ルナさん。まだ浜辺にいるの?」
るな 「うん。もうちょっとね。
    ここの御祭神の事をお話しないとね。」

と言う訳で、いよいよこの神社の荒ぶる神の話に挑戦です。

                         (Ⅴ)につづく

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by lunabura | 2009-11-20 00:00 | 志式神社・ししき・福岡市 | Trackback(1) | Comments(0)
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