ひもろぎ逍遥

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寄せては返す



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寄せては
返す










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寄せては返す









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寄せてばかりでは

いかんぜよ。


シフトしようっと。


撮影場所 綿津見神社 下巻75











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by lunabura | 2017-06-27 20:30 | にっき | Trackback | Comments(0)

相島積石塚―綿津見神社の参道―香椎宮古宮 安曇族の墓地と聖地を結ぶ不思議なライン



相島積石塚―綿津見神社の参道―香椎宮古宮

安曇族の墓地と聖地を結ぶ不思議なライン


チェリーが福岡市東区の綿津見神社の参道の向きに注目して、
ラインを見つけてくれた。

それは相島積石塚と香椎宮古宮を繋ぐライン上にあった。


どれも安曇族関連の墓地であり、聖地だ。
いったい何を示しているのだろうか。

私の写真とのコラボを楽しもう。





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相島積石塚と香椎宮古宮のライン上に綿津見神社が乗ってくる。










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この積石塚は大きなヤツかな。








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赤いラインを辿るとこのように、綿津見神社の参道を通って香椎宮の古宮に達する。









次は紫のラインを辿ろう。

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相島のピークから綿津見神社を通ると本殿から古宮に向かう道に交差している。
(g22の言う夏だけ温泉に向かう山?)








現地のようす。

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相島積石塚の一番大きい古墳。







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そこからのラインが綿津見神社のこの参道を通り、







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古宮のこの正面を横切る。









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この画像付近かな。これは棺掛椎のすぐ手前の石段。

異次元が重なっているように見えるお気に入りの写真。
(ここで使えた♪)

初めて訪れた時には、ここに衛士が並んでいるイメージが浮かんだ。





安曇族の墓地と二つの聖地を結ぶライン。

面白い。



カテゴリをとりあえず<相島>にしておこう。




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by lunabura | 2017-06-26 21:21 | 相島 | Trackback | Comments(6)

不思議な光の玉




不思議な光の玉



カメラを覗いたら、白い玉がポツンと見えて、
あれあれ?
またカビさせた?
と心配しながら、シャッターを押そうとすると、
ピカピカピカと光の玉がいくつも出て来て、パシャリ。










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こんな画像になりました。


ここは香椎宮の古宮。

仲哀天皇が崩御して御前会議があった所。
スピカを祀っていたという。


掲示板に太宰帥(だざいのそち)が年に二回参拝する話を見つけて
撮ろうとした所でした。

そこだけは、ちゃんと写ってます^^

大伴旅人もまた、香椎宮に年に二回参拝したのでしょうね。



ここは、このブログの始まりの地でした。





『神功皇后伝承を歩く』上巻24 香椎宮 仲哀天皇はここで天下を治めた





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by lunabura | 2017-06-25 20:29 | バスハイク | Trackback | Comments(4)

行って来ました(^^)/ 香椎~古賀


バスハイク第6回

香椎・古賀



バスハイク、行って来ましたよ!
とても良い天気でした。





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香椎宮参道。







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香椎宮拝殿。









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神殿。
朝の神社はとても素晴らしいですね。
朝日に輝いています。










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これは綿津見神社の横の三苫海岸。

初めての時と、こうして改めて参拝するときとでは、
神社の様子が全く違って感じられます。

どの表情もそれぞれに感じ入る所があります。

「自然と歴史をまもる会」主催のバスハイクで、6回目でした。

次回は久留米と小郡です♪



画像を撮った場所は『神功皇后伝承を歩く」

上巻24 香椎宮 仲哀天皇は香椎宮で天下を治めた
下巻75 綿津見神社 海神に捧げられた苫が三枚ここに流れ着いた




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by lunabura | 2017-06-23 21:19 | バスハイク | Trackback | Comments(8)

歴史講座、ありがとうございました。




今日は香椎東公民館での歴史講座、
「香椎が都だった頃」というタイトルで、
仲哀天皇、神功皇后、そして安曇磯良を柱にお話ししました。

沢山のご参加ありがとうございます。


香椎宮の周辺には神功皇后の史跡が特に多く、
謎に思っていた方も多かったと思います。

講座を終えて、「点が線になりました」
と話してくださる方もありました。



今朝は香椎参道を通って行きましたが、
楠の並木道が美しくて、感動しました。

運転手席でないと味わえない光景です。
つまり、道路の中央付近からの景色が素晴らしいのです。

車の通行量が多いので、道路からの撮影は無理なんですが、
明後日、またここを通るので、バスの中からトライしてみようと思います。





昨日は久しぶりに雨が降って、カラッカラの大地の恵みとなりました。

雨天の湿りにほっとしながらも、バスハイクの日は晴れてほしいと、
都合の良いことを考えています。

今日は夏至でしたね。
「カヒ」の民にとっては、日本では曇り空が多いので、
ちょっとあいにくです。

そろそろ真鍋の研究に戻りたいなあ。




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by lunabura | 2017-06-21 21:40 | にっき | Trackback | Comments(0)

万葉集「いざ児ども 香椎の潟に」の歌はココ 香椎潟での玉藻刈りはミソギ



万葉集
「いざ児ども 香椎の潟に」の歌はココ

香椎潟での玉藻刈りはミソギ







香椎廟参拝後、この香椎潟に大伴旅人が馬でやってきて、
玉藻を刈る歌を詠んでいます。






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(御島神社と香椎潟)


6巻 957番
 冬11月、大宰の官人ら、香椎廟を拝し奉りおえて、まかり帰る時、
馬を香椎浦にとどめて各々思いを述べて造る歌
 帥大伴卿の歌一首
いざ児ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ

(さあ、みんな、香椎潟で白い衣の袖も濡らして 朝菜を摘もう)

ここが神功皇后が海に入って禊をした海だということを承知のうえで
朝菜摘みすなわち、玉藻刈をしているんですね。

冬の11月。香椎廟に参拝しての帰りです。

大宰帥が赴任する時、必ず香椎宮に参拝して、
神官から冠に綾杉の枝を挿してもらうといいます。

それに加えて、別の機会にも参拝したのでしょうか。


万葉集では連番で、小野老(おゆ)の歌も載せています。

958番
 大弐小野老朝臣(あそん)の歌一首
時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな

(冬の季節風が吹く頃になった。香椎潟の潮干の浦で玉藻を刈ろう)

ここは北向きの浜。
北風が吹き付ける寒さ厳しい玄界灘です。
大弐とは副長官の身分。
小野老は「青丹よし 奈良の都は~」を詠ったことで有名ですね。

この人も、香椎潟に出て、玉藻刈りをしています。

この「玉藻を刈る行事」とは単なる食材採りの行為ではなく、
禊(みそぎ)のことと考えています。


福津市の年毛宮(としも)の拝殿前の石の棚に
砂混じりのワカメが置いてありました。

同じ福津市の風降天神社でも見かけました。

そこで、年毛宮の宮司に伺うと、
氏子さんが海に潜って禊をした証しとして、
海藻を二つ採って神社に参拝し、
一つは神社に奉納、一つは自宅に持って帰るそうです。

これはお汐井取りと同じ思想ですね。

和布刈神事とも根底は同じです。

和布刈神事は安曇磯良が神功皇后に
干珠満珠の秘法を伝える様子を現しています。

干珠満珠を海神(わたつみのかみ)から貰う姿が、
磯に入って海藻を採る姿になっているわけです。

志賀海神社でも、沖津宮で今も行っています。

干珠満珠は筥崎宮では「玉せせり」の二つの木玉に変化します。

形が変わりながらも、「ミソギ」という思想が通底しています。


太宰帥だった大伴旅人が香椎廟参拝後、わざわざ香椎潟に立ち寄って
みんなで禊をする情景を詠んだものでしょう。

あの岩礁の石祠に祀られているのは綿津見神ですから、
まさにミソギの神様にその姿を見せている訳です。


「朝菜」については、
朝餉の材料としてワカメを摘むと習ったのですが、
そうではないと思います。
太宰府の長官が朝餉を準備するのは何だかねえ。(´・ω・`)


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万葉集には連番でもう一首出てきます。
959番
 豊前守宇努(うのの)首(おびと)男人(おひと)の歌一首
行き帰り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁(よし)も無し

(行き帰りに常に見ていた香椎潟も 明日から後は 見ることもない)

豊前守の宇努首男人を調べてみて、驚きました。

宇努首男人は養老4年(720年)に隼人の乱を征圧しています。
この時、大伴旅人が隼人征圧軍の大将軍なのです。


これが薦神社の創立と関わっていました。
薦神社について、ウィキペディアより。

<養老3年(720年)、大隅・日向の隼人の反乱(大隅国府襲撃)で
大伴旅人が率いる大和朝廷軍
および宇佐神宮の辛島波豆米(からしまのはづめ)率いる宇佐「神軍」が、


薦神社の三角池に自生する真薦を刈って作った枕形の御験、
薦枕(こもまくら)を神体に、
神輿を奉じて日向まで行幸し、乱を鎮めたと言われる。>

波豆米はこのあと、鞍手の六嶽神社に三女神の優位性を説きに来ていましたよね。
その年、六嶽神社の神官の家系は断絶します。
何とも不気味に思ったことを思い出します。

香椎潟からここに繋がるとは思いもしませんでした。

また、大伴旅人の五世代前が大伴金村です。
筑紫君磐井を滅ぼした人ですね。

大伴旅人には万葉歌人としての側面と
磐井一族や隼人を滅ぼした武人の家系という側面があります。

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と言いますが、
歴史もまた、縒り合わせた縄のように、
表裏一体となっているのでしょう。

光と影。

歴史を学ぶということは、両面を学ぶということでもあるんですね。



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『神功皇后伝承を歩く』
下巻67 御島神社 神功皇后は髪をすすぐと美豆良に結った






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by lunabura | 2017-06-16 20:17 | 日本書紀・万葉集の風景 | Trackback | Comments(2)

『日本書紀』に書かれた「神功皇后の美豆良結い」の場所はココ 海の中の御島神社 

 


『日本書紀』に書かれた

「神功皇后の美豆良結い」の場所

海の中の御島神社





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香椎イオンに行く途中の橋の上に細長い公園があります。

そこから見える海の中の鳥居が御島神社♫

海ですねえ。
ええ、岩礁が神社なんです。
かつては大きい岩だったらしいですが。

向こうには照葉の新しい街が出来ましたが、ちょっと前までは海でした。

昔、この岩は船の人にとっては
香椎宮へ向かうための良いランドマークでした。

ここが『日本書紀』に書かれた有名なシーン、
神功皇后が海に入って
「戦いに勝つなら髪が二つに分かれますように」
とウケヒをした所です。

二つに分かれた髪を美豆良に結ったといいます。

それまでは海を渡っての戦いに躊躇していた皇后が
男装をして決意を示すパフォーマンスをした訳ですね。

このあと、御島崎(みしまざき)の浜に上陸して
香椎宮へと戻って行きました。
その続きの道のりが今も伝わっています。

この場所の話が『日本書紀』に書かれているので、
訳して紹介します。

※※ ※

皇后は橿日浦に帰還すると髪をほどいて海に臨んで言われた。

「私は天つ神、国つ神の教えを受けて、
皇祖の御霊(みたま)の助けを頼みとし、
青き海原を渡って、みずから西を討とうとしています。

今から頭を海水ですすぎます。
もし霊験があるなら髪が自然と分かれて二つになりますように」

海の中に入ってすすがれると、髪は自然と二つに分かれた。

皇后は男の髪型の美豆良に結われると、群臣に仰せになった。

「そもそも軍隊を興し、衆人を動かすのは国の大事である。
戦いが容易でも危険でも、勝ち戦さでも負け戦さでも、
軍隊に掛かっている。

今、征伐する国がある。戦いの指揮を群臣たちに命ずる。

しかし、もし勝つ事が出来なければ群臣たちが罪に問われる。
それは私に取って不本意である。

私は女で戦には慣れていない。
しかし、しばらく男の姿になって雄々しく戦おうと思う。

上は天つ神、国つ神の御霊の助けを頼み、下は群臣たちの助けを頼り、
兵士を奮い立たせて険しい波を渡り、
船隊を整えて財宝の国を手に入れよう。

勝利すれば軍功は皆と共にある。
勝利しなければ罪は私だけが引き受ける。
私はそう決心した。皆はどう考えるか、協議するがよい」

群臣たちは皆、
「皇后陛下。天下の為に、国家の安泰の為に全力を尽くします。
負けて罪を問われるような事態は決してありません。
謹んで勅命を承ります」と申し上げた。


※※ ※

『日本書紀』が饒舌な部分は作文だな、とよく思いますが、
それはそれとして、なかなか臨場感がありますね。

現地に立つと、群臣たちは浜辺に待たせたことが分かりました。
何故なら、ここは小舟でないと来れない場所だからです。

群臣たちは御島崎(みしまざき)の浜で
神功皇后のパフォーマンスを見ていたのでしょう。

浜から岩礁は良く見えています。


さて、ここはなかなか良い写真を撮るのが難しい所でした。






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こんなとか(´・ω・`)
いや、人の大きさがよく分かりますがね。

撮り直しに行ったのですが、Pm2.5 でモヤがかかっていて・・・

私の画像が黄色味がかっている時は、そんな時です。

今度のバスハイクでいいのが撮れたらいいな。
え?
来週は北部九州も梅雨入りですって?





『神功皇后伝承を歩く』
下巻67 御島神社 神功皇后は髪をすすぐと美豆良に結った





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by lunabura | 2017-06-13 20:20 | 日本書紀・万葉集の風景 | Trackback | Comments(0)

6月21日 香椎東公民館にて歴史講座



6月21日 

香椎東公民館にて歴史講座



6月21日(水)10時から12時まで、
福岡市東区にある香椎東公民館の歴史講座で話をします。

タイトルは
「香椎に都があった頃 -仲哀天皇と神功皇后―」
です。

香椎を中心に仲哀天皇と神功皇后の史跡が沢山残っています。
皇居だった香椎宮、神功皇后が禊をした御島神社。

そのほか和白や志賀島、古賀の小山田斎宮、久山の斎宮など、
福岡全体では数百か所に及びます。

今回は下関から香椎宮に来て、下関に戻るまでの
仲哀天皇と神功皇后の足跡を紹介します。

パワーポイントで、画像が中心です。


公民館主催の講座ということで、
対象は福岡市民および近郊の方ということになっています。

参加費は無料です。

申し込みは香椎東公民館
092-672-7098
まで。

福岡市東区香椎台1丁目3−7

駐車場が無いので、公共機関の利用、
あるいは有料駐車場の利用をお願いします。

香椎東公民館は香椎宮のすぐそばです。
菖蒲祭が始まったばかりなので、当日まで咲いてくれているといいですね。
参道は素敵なお店があるので、午後の散策もお勧めです。






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by lunabura | 2017-06-12 19:45 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

最澄と神功皇后



最澄と神功皇后


神功皇后関連で時々、最澄が出てくるので、
ちょっと整理しておきましょう。

楯崎神社(下巻70)楯崎寺 福津市
「桓武天皇の御世、最澄師、求法のために唐国に赴かんとして
ここに詣で、宿願を達せんことを祈り、
自ら薬師阿弥陀観音像を彫刻して安置し、楯崎寺という。」


最澄は遣唐使の直前に福津に滞在して、
薬師阿弥陀観音像を彫ったんですね。

巨大な磐座がある宮で、時々紹介していますが、
今も病気平癒祈願の宮として人々が祈っています。


綿津見神社(下巻75) 福岡市東区

神功皇后が海上で嵐に遭った時、綿津見神に祈って難を逃れました。
その時の苫が流れ着いた所に綿津見神を祀りました。

拝殿の右手に社があるのですが、
そこには唐から帰着した最澄が彫ったという
虚空蔵菩薩の木像が祀られています。


最澄が上陸した場所は古賀市の花鶴(かづる)浜です。
皇石神社(上巻25)の近くですね。

そこは仲哀天皇と神功皇后が軍事訓練を見守った宮で、
神功皇后はドルメン石でウケヒをしたと言われています。

そこには三山が並ぶ神名備山がありましたが、昭和になって削られて、
わずか鹿部山(ししぶ)だけが残っています。

ほんの数十年前までは、海から筑紫に上陸するとき、
立花山の三山を目指し、次にこの三山を目指せば、
安全に入港できる灯台代わりの聖山でした。

最澄はこの花鶴浜から投げた独鈷が落ちた所に
独鈷寺(とっこじ)を建てました。
新宮町です。延暦24年(805年)のことでした。

近くに千年家(横大路家)があり、最澄の法燈の火が伝わっています。
(伝えるのが難しくなってよそ(太宰府天満宮?)に預けられたといいます)



風治八幡宮(下巻89)田川
 暴風雨が起こったために、神功皇后が太刀を献上して
天神地祇と伊田大神に祈願したら風が治まったといいます。

伊田大神もまた綿津見神です。

弘仁五年(814)6月、大旱魃が起きた時、
郡司が最澄に伊田大神への祈願を依頼したところ、
潤雨があって五穀は豊かに実ったといいます。


若八幡神社(下巻60)田川 
慈光寺、竹林寺、恵光寺、当光寺、本台寺、安明寺

『田川郡誌』に、
「夏焼村は夏羽及び田油津姫の霊が祟りを成すので、
最澄が香春宮参籠の折、八幡大神二座及び若宮を創造して
神夏磯姫と合祀し奉り、

六ヶ寺(慈光寺、竹林寺、恵光寺、当光寺、本台寺、安明寺)を置き、
祭祀をさせたところ、怨霊が鎮まったと言うことである。」
とあります。

神功皇后軍に殺された夏羽と田油津姫の怨霊鎮めのために、
最澄は香春宮に参篭し、六ケ寺を建立しました。

最澄は神功皇后の各地の足跡で祈り、
また皇后の業も鎮めたようですね。


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         最澄



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by lunabura | 2017-06-07 19:52 | <神功皇后伝承を追って> | Trackback | Comments(6)

第6回バスハイク 香椎・古賀は『日本書紀』の世界だった



第6回バスハイク

 香椎・古賀は『日本書紀』の世界だった


今日からバスハイクの資料作りを始めました。

「歴史と自然をまもる会」の神功皇后の足跡を辿るバスハイクで、
6回目を迎えます。

仲哀天皇の皇居となった香椎宮周辺と、
天皇崩御後に神功皇后が神の教えを乞う古賀市の小山田の斎宮
中心として構成しています。

驚いたことに、資料がかなり『日本書紀』なのです。

神社に向かいながらその歴史をバスの中で読むのですが、
これまで遠賀川流域は各神社の縁起を読みました。

ところが、今度は『日本書紀』をどんどん引用することになります。
『日本書紀』の現地に立つというのは、なかなか面白いですね!

リアルなんです。

古墳や史跡も大神(おおみわ)神社境内や、
国指定になった船原古墳!

また、葛子が献上した糟屋屯倉(かすやのみやけ)候補地
を見学します。

すでに満席ですが、自分で回る時の参考にしてくださいね。

福岡県内の方は半日ずつまわるも良し。
県外の方は効率よくまわる参考にしてください。



福岡市東区コース
① 香椎宮・古宮(上巻24)福岡市東区香椎4丁目16-1
② 御島神社(下巻67)福岡市東区香椎浜 

③ 大神神社・古墳公園(下巻68)福岡市東区高美台2丁目24-1
④ 綿津見神社・三苫浜(下巻75)福岡市東区三苫6丁目21-19


古賀市コース
⑤ 鹿部田淵遺跡(上巻25)古賀市美明1丁目4-11
⑥ 皇石神社(上巻25) 古賀市美明1丁目25-1

⑦ 五所八幡宮(上巻35) 古賀市青柳1656
⑧ 小山田斎宮(上巻36) 古賀市小山田346

⑨ 船原古墳(国指定史跡)古賀市小山田
⑩ 古賀市歴史資料館 



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by lunabura | 2017-06-06 22:37 | バスハイク | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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