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タグ:福岡市 ( 104 ) タグの人気記事

奈多の浜 玉垂たまたれ


玉垂
たまたれ






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福岡市の東区、海の中道の東に奈多の浜がある。










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神功皇后はここで軍議を開かれたという。


ここはかつて和白(わじろ)の一部だった。



安曇族の拠点だ。








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皇后はここを水軍の本拠地とされた。








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ここに祀られている三良天神(さぶろうてんじん)は荒ぶる神。

火明(ホアカリ)神、火酢芹(ホスセリ)神、豊玉姫神。






皇后は七日七晩神楽を奉納された。






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そこでここを神楽岸、躍坂(おどりざか)と呼ぶようになった。











久留米市の高良玉垂宮はこの様子を縁起に描いている。








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金の亀に乗った安曇磯良は鞨鼓を胸に下げて踊りながらやって来る。

磯良に向かって舞うのは八乙女たち。

ここで干珠満珠の秘法が授けられた。

左上、豊姫が武内宿禰に干珠満珠を手渡している。






海神豊玉彦の姫神・豊玉姫が荒ぶる神となってしまったのは、
子を育てられなかったからだろう。

泣く泣く帰る綿津見の宮は対馬にある。


手放した子の名前はウガヤフキアエズ。

自分の代わりに妹の玉依姫が我が子を育ててくれた。
そして後に 二人は夫婦となる。
母系制の名残と思う。

二人には子供がたくさん生まれ、その一人が神武天皇となった。


神功皇后はその末裔だから、豊玉姫の哀しみを深く受け止めたはずだ。







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連れていた八乙女たちを海神に捧げた。



七日七晩、奏上された神楽。






その誠意を受けて、同様に豊玉彦の神裔たる安曇磯良は
干珠満珠の秘法を神功皇后に渡す。






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神楽では海神が豊姫に渡している。

豊姫は武内宿禰にそれを渡した。

豊姫は神功皇后の妹だが、武内宿禰の妻となっていた。










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この物語の現場からは相島(あいのしま)が見える。













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豊玉姫と山幸彦はその島で出会った。

対馬を拠点とする豊玉彦と豊玉姫と玉依姫の出屋敷があったと考える。






ここは安曇の消された物語の舞台。

玉垂の浜。たまたれ。

奈多の浜。








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和布刈神事の舞台でもある。






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『日本書紀』も『古事記』もこの物語を消し去った。

しかし、こうして物語は蘇った。







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『神功皇后伝承を歩く』下巻72志式神社
上巻26 高良玉垂宮








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by lunabura | 2016-07-09 20:58 | 志式神社・ししき・福岡市 | Trackback | Comments(0)

「香椎宮に皇居があった頃」の話をします




「香椎宮に皇居があった頃」
の話をします




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来たる2016年6月12日(日)、福岡市東区で
「香椎宮に皇居があった頃」というタイトルでお話をします。



香椎宮に仲哀天皇が住んでいたのは、わずか一年なのですが、
その周辺には沢山の史跡と伝承が残っています。

天皇と皇后が水軍の訓練を見守った所、
また野外陣営の訓練や会議を行った所。

天皇の亡骸を前にして会議を行った古宮、
今も伝わる武内屋敷、不老水。

天皇の死の原因を尋ねた小山田の斎宮。

羽白熊鷲、田油津姫の討伐後、緊急に遷宮した久山の斎宮。

また、皇后が決意を表明するために、海に入って禊をし、
海から上がってミズラを結った島。

安曇水軍のために祈った志賀島。
八乙女が舞い、磯良から干珠満珠を授かった奈多の浜。

軍勢が集まらなかったために祈った大神(おおみわ)神社。

渡鮮する武将たちが名乗りを挙げた島。

皇后が船に棚を作ってもらった浜。

皇子を出産後、皇后の胎盤を埋めた筥崎。

ショウケ越えするまで子育てした久山の斎宮。

などなど、皇居の周辺の伝承を辿ると、
三韓討伐の戦前、戦後のようすがくっきりと描かれます。

また、新羅が上陸して豊浦宮を襲撃してきた時、
宮地嶽の高麿、助麿兄弟が天皇皇后を守って討ち死にしたことは、
安曇族には大きな痛手でした。

ところが、この戦いを『日本書紀』や『古事記』は隠しました。
このために、三韓征伐の原因が分からなくなったのです。


天皇と皇后の足跡を辿って、
「香椎宮に皇居があった頃」の香椎周辺の歴史を描きます。





社会とつながるアカデミック・カフェ
知的好奇心と社会的関心を持つ市民のコミュニティー

http://academic-cafe.blogspot.jp/
社会とつながるアカデミック・カフェ
「香椎宮に皇居があった頃」
講師 綾杉 るな さん
6月12日(日) 2時30分~4時30分
香椎みゆき通り みゆきビル2階
「コミュニティー ギャラリー」
所在地:福岡市東区千早5-14-30
入場無料 30席 予約優先

講演内容

「仲哀天皇は穴門(あなと)の豊浦(とゆら)宮と
筑紫の訶志比(かしひ)宮で天下 を治めた」
と『古事記』は記し、その史跡も各地に残っている。

しかし、記紀 は、豊浦宮が新羅軍に襲撃されたという重大事件を黙して語らず、
神功皇后の三 韓征伐の原因を隠蔽した。

仲哀天皇の豊浦宮から香椎宮への遷宮と、
その崩御後 の久山への遷宮、そして安曇水軍との関わりなど、
各地の神社縁起をもとに、
香椎が都だった頃の香椎周辺の歴史を紐解いていく。


申し込みは以下へ。
社会とつながるアカデミック・カフェ
http://academic-cafe.blogspot.jp/2016/05/29.html










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by lunabura | 2016-06-12 09:09 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

志賀郷と阿曇郷



志賀郷と阿曇郷



香椎のアカデミックカフェのレジメを作りました。

香椎宮を中心にして起こった出来事を並べ、神社のリストを作ったら、
旧糟屋郡(かすやぐん)と重なってきました。


のちに、旧糟屋郡の一部が福岡市東区に編入したり、古賀市になったりしました。
香椎宮も現在は福岡市東区です。


旧糟屋郡は表糟屋と裏糟屋に分かれるそうで、西の方が表糟屋となります。
これらの地域を考えていると、不思議な感じがしたのです。

それは倭妙類聚抄に書かれた糟屋の志賀郷と阿曇郷と
重なるのではないかという感覚なのです。


阿曇郷はウィキペディアでは新宮町付近に想定してありますが、
それでは狭すぎます。

年毛宮(としもぐう)に尋ねると、私たちは安曇族です、と言われたので、
地図に乗せると、宗像市のすぐ西側まで阿曇郷となってきます。
アチメの浜という安曇の浜もあることだし。



で、南の方、夷守駅(ひなもりえき)のある粕屋町を見ると、
志賀神社があり、鹿の浜と万葉集に歌われているので、
そこまでは少なくとも志賀郷となります。

志賀郷の浜は遠浅(とおあさ)だったので、小舟で輸送していました。
現代の博多湾も昭和になって「しゅんせつ」されて、
ようやく大型船が入港できるようになったそうです。

朝鮮通信使が博多湾に入らず、相島に入港するのは、
水深が足らず、外洋船が入れないからです。

黒船が相島に来たのも、水の深さの問題があったのです。
黒船の婦人が気分が悪いから休ませてくれと言って上陸したそうですが、
なかなかの策略です。

名島は水深が深かったので、大型船が入れました。
秀吉が上陸しています。

こう考えると、
旧糟屋郡全体の海岸線寄りが安曇族の支配下にあったと想定できます。
表糟屋が志賀郷で、裏糟屋が阿曇郷と重なるのではないか。
そんなことを考えた一日でした。


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赤が旧糟屋郡。綾杉が推定する志賀郷が緑、阿曇郷が青。
(マウスで書くラインが震えるので、おおまかなイメージで捉えてください)







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by lunabura | 2016-06-04 23:30 | 安曇族と志賀島 | Trackback | Comments(2)

おど



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たちばなの おどの あわきがはらに



みそぎはらえしときにあれませる



はらいどのおおかみたち



もろもろのまがこと つみけがれを



はらいたまえ、きよめたまえ



と まおすことのよしを



あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみがみともに



きこしめせと かしこみかしこみも まおす




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by lunabura | 2016-05-01 19:49 | 小戸大神宮・おど・福岡市 | Trackback | Comments(2)

大名小学校で救援物資受け入れ

追記

皆さんの協力で、物資が足りて、受付を中断したそうです。

2016年4月22日


大名小学校で救援物資受け入れ


今朝の西日本新聞(2016年4月18日朝刊)から!


福岡市は中央区の旧大名小学校を拠点に、
熊本地震の被災地への支援物資の受け入れを始めた。

物資は以下の六品目に限られていて、
品物ごとに各教室に搬入するようになっている。





以下は福岡市HPより

◆市民・企業からの熊本への救援物資の受け入れを始めます!

 熊本の避難所において、物資等が不足している状況を受け、必要な物資について、市民や企業から受け入れを始めます。
(1)受け入れるもの
 ・生理用品、おむつ(子ども用、大人用)、トイレットペーパー、
  タオル、毛布

(ただし、すべて未使用・未開封のものに限らせていただきます)
 ・ペットボトルの水
(ただし、未開封のもので賞味期限内のものに限らせていただきます)

(2)受け入れ場所
 旧大名小学校(福岡市中央区大名二丁目6番11号)に持ち込みをお願いいたします(旧大名小学校駐車場の使用は可能です。北側の入口から入場してください。)

(3)受け入れ期間 
平成28年4月18日(月)以降 午前10時~午後8時

また、受け入れボランティアも募集しています。
詳細は以下へ

http://www.city.fukuoka.lg.jp/bousai/kumamotozisin.html

品目は日々変わっているので、確認してください。




以上のように、六品目だけです。

福岡市がヘリコプターで輸送してくれます。
すでに、昨日から輸送を始めています。


また、西日本新聞には
阪神・淡路大震災被災者からのお願いが漫画で載っていました。


「今はグッと我慢をして、受け入れる体制が整うまでは
その道のプロや大きな力を持った企業や団体に任せ、
エネルギーを蓄えておいてください」

とのことです。




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画像は西日本新聞より転載






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by lunabura | 2016-04-18 09:25 | お知らせ | Trackback | Comments(15)

御礼



今日は志賀海神社へ新年のご挨拶。
歩射祭があっていました。





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氷雨の中、伝統を守る若者の姿です。


このあと、志賀島公民館で安曇族のお話。
パワーポイントを使わず、文書だけでという試みでしたが、
最後までお付き合いくださってありがとうございます。

ついに応神天皇の父は誰か…など、
綾杉流のお話をさせていただきました。

今日は、愛知県からもお越しいだたきました。
また、いつも来て下さる方々、初めての方々、
ありがとうございました。


講座を終えると、たくさんの質問をいただきました。
そして、今日も物部氏の質問がありました。

本当にあちこちで物部氏を知りたいという思いが膨らんでいるのを
感じます。
今回はとりあえず、高良山の麓の物部氏について、
大まかな流れが分かりました。

講座を終えて、続けて個人的な質問を受けましたが、
脇巫女と関連するような物部の話も出てきました。

古物神社の読み方。
物部氏は「ふるべもののべ」と呼んでほしいと
言っているという話なんぞも。

明日も用があるので、脇巫女にはすぐに戻れませんが、
水面下ではいろいろと動きがあっております。





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by lunabura | 2016-01-17 20:11 | にっき | Trackback | Comments(5)

1月17日『高良玉垂宮神秘書』の中の安曇族についての話をします


志賀公民館
 
歴史講座のお知らせ

志賀島歴史講座で次のタイトルでお話をします。

高良山にいた安曇族
―『高良玉垂宮神秘書』に書かれていた安曇磯良の行方―
                  綾杉 るな

久留米市の高良大社は高良玉垂宮とも言いますが、そこには「高良玉垂宮縁起」(以下「縁起」)と「高良玉垂宮神秘書」(以下「神秘書」)が伝わっています。

「縁起」は第十四代仲哀天皇と神功皇后の話から始まっています。

また「神秘書」でも神功皇后の時代を伝え、「玉垂宮」(たまたれぐう)という名称の由来は、龍宮からもらった干珠満珠を高良に納めたから、と書かれています。

当宮の小祝職を安曇氏が務めています。

そこには「アントンイソラ」が出てきますが、この人こそ「安曇磯良」です。

磯良は何故、高良山に行って名を残し、後にはその名が消されたのでしょうか。


 複雑な「神秘書」のからくりを解き明かして、古代筑紫の最大の謎「高良玉垂命」にチャレンジしつつ、安曇族の足跡を追っていきます。


日時   2016年1月17日(日) 13:30~15:00

場所 志賀公民館  福岡市東区志賀島736-60 
          092-603-6706

駐車場 志賀公民館裏 漁協広場
バス  西鉄バス 志賀島バス停下車1分

船   ベイサイドプレイス 志賀島渡船(博多発) 船きんいん  
 出発到着時間  ① 9:40  ②10:15 
         ③ 11:50 ④12:30
(所要時間30分。これは2015年のものです。必ず確認してください)

参加費 無料
申し込み方法  志賀公民館に電話かFAXで申し込んでください。
        電話 092-603-6706
        FAX 092-603-6172
主催 福岡市志賀公民館

1月17日の午前中は志賀海神社で歩射祭が催されます♪
(問い合わせは志賀海神社へ)

今年の夏は、『高良玉垂宮神秘書』を夢中になって訳しました。
全編、片仮名で書かれていたために読みづらかったのを
平仮名にするだけでも、内容が生き生きと伝わってきました。

時代や項目がバラバラになっていたのを整理して並べなおすと、
ほぼ整合性のある内容が見えてきました。

読んでみて分かったのは、
冒頭と巻末だけ内容が大幅に改ざんされていたということです。

「神秘書」は三つの時代に分けることができました。
〇安曇磯良と神功皇后が高良山にやって来た時代。
〇白村江の敗戦後。
〇中世の戦乱の時代、秀吉との確執のころ。

この間、八幡信仰と住吉信仰の広がりによる書き換えが
どの時代かに行われていました。

今回は志賀島での歴史講座なので、安曇族に絞って話をしますが、
誤解の多い本なので、物部氏にも触れながらとなります。
どうぞ、奮ってお越しください。

申し込みは志賀公民館へ、となります。

寒い季節ですので、足元が冷えないようにしてお越しください。

志賀公民館




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by lunabura | 2016-01-16 22:11 | お知らせ | Trackback | Comments(2)

豊玉姫の宮へ


豊玉姫の宮へ


今日は天気に恵まれて心地よいドライブルートを志賀島へ。
歴史講座は文献読みをしましたが、
熱心に聞いてくださってありがとうございました。

『志賀島所聞録』に書き取られた志賀島の歴史は、
伊邪那岐の禊で始まっていましたが、
その後は神功皇后の三韓征討が大きな画期だったようで、
皇后の伝承地が沢山ありました。

6年前には一行しか分からなかった話でしたが、
いつの間にか殆どフィールドワークしていたことに、今更ながら驚きます。


講座が始まる前、困ったことに、
新しいパソコンにプロジェクタをつなぐポイントが無いことが発覚。
事務所のパソコンを借りてピンチをしのぎましたが、
まさかのトラブルでした。
でも、USBをちゃんと準備していましたよ(^^)
パワーポイントの接続はいつもハラハラドキドキものです。




さて、講座が終わって志式神社に参拝しました。
豊玉姫へのご挨拶です。


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お潮井が沢山乗せられていました。

ご祭神が分かっての参拝なので、格別な思いです。
講座を終えて参拝された方ともバッタリ会って立ち話。
「隠されていたものが現れていますね」
と言われました。
これからは、そんな時期を迎えるのでしょうね。





奈多の海を見に行きました。
豊姫が海神から干珠満珠を授かった海です。
海風はもう冬の冷たさを含んでいました。


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by lunabura | 2015-10-31 20:42 | にっき | Trackback | Comments(4)

志賀島歴史講座の御案内


志賀島歴史講座の御案内



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昨年に引き続き、「福岡市志賀島文化祭 歴史講座」で話をします。 

今年のテーマは

       ―江戸時代、大門さんがやってきたー 
           『志賀島所聞録』を読んでみる


です。


大門さんとは糸島の老松神社の神職で、宮崎大門と言います。
江戸末期、1830年に志賀島に来て、地元の伝承を聞き取って『志賀島所聞録』を書き遺しました。

志賀島の地名と由来、安曇の系譜、山誉祭の神楽歌(セリフ)などが記録されています。
大門はこの聞き取りをしばらく放置していたのですが、安政4年(1857)に貴人の仰せがあって清書したということです。(人間とは今も昔も、あまり変わりませんね)

今回はこの本を、現代の地名と照らし合わせながら、志賀島の観光歴史ガイドブックとして読んでみたいと思います。
 
日時   2015年10月31日(土) 13:30~15:00
場所 志賀公民館  福岡市東区志賀島736-60 
          092-603-6706

駐車場 志賀公民館裏 漁協広場
バス  西鉄バス 志賀島バス停下車1分
船   ベイサイドプレイス 志賀島渡船(博多発) 船きんいん  
 出発時間  ① 9:40  ②10:15 ③ 11:50 ④12:30
                          (所要時間30分)

参加費 無料
申し込み方法  志賀公民館に電話かFAXで申し込んでください。
        電話 092-603-6706
        FAX 092-603-6172
主催 福岡市志賀公民館

当日のカフェ さざえめし ケーキ おまんじゅう など
      (事前予約をしてください)







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by lunabura | 2015-10-30 19:00 | お知らせ | Trackback | Comments(9)

伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


羽根を広げたような博多湾の描き出す円弧。
その焦点の位置に志賀島がある。
島の最北部は国民宿舎があり、勝間海水浴場がある景勝の地だ。

そこには志賀海神社の三宮があり、綿津見三神がそれぞれの宮に祀られている。
沖津宮
仲津宮
表津宮
これらに祀られている三神はこの海から生まれた神々だった。

その三つの宮に囲まれた海域にはいくつもの名前がついている。

三瀬 神遊の瀬 大戸小戸 舞能ケ浜 御手洗

ここは伊邪那岐が禊をした海だった。

これは糸島の神職、宮崎大門が記録に残してくれていた話だ。
その記録を『志賀嶋所聞録』という。
次にその記録を要約してみよう。

【御手洗】
伊邪那岐大神が与美国の穢れを洗い清め給いしところ。

―イザナギは黄泉の国から戻ると海で禊をした。
衣服を脱ぎながら神々が生まれた。
海に潜ると綿津見の神々と筒男の神々が生まれた。
海と星の神々だ。
そして、最後にアマテラスとスサノオとツクヨミが生まれた。
そのうちの綿津見の三神がここに祀られている。
これを志賀皇神とか志賀大神という。

【神遊の瀬】しんゆうのせ
志賀皇神たちはこの三瀬で遊居されたことからここを「神遊の瀬」ともいう。

【大戸小戸】
神遊の瀬から入海に入ると奥に穴があった。
志賀皇神は神遊の瀬からこの穴に出入りされた。ゆえに「大戸小戸」という。

【舞能ケ浜】まひわざ
息長足姫(神功皇后)は諸臣を連れて志賀大神を招いたが、神は来られなかった。
諸臣は変だと思ったが、かがり火を焚いて天岩戸の神楽を奏すると、
志賀大神は金色の亀に乗って来られた。
ゆえにこの時の様子を9月8日の神幸の神輿の前で奏する。

―亀に乗って現れたのは安曇磯良で、神幸の夜は鞨鼓の舞が奏される。

◇◇ ◇

こうして、志賀島の北端で、イザナギの禊によって生まれた志賀皇神は、
この海域と奥の穴を行き来して遊居したという。

西暦200年、神功皇后はその志賀皇神に参拝するためにやってきた。
安曇族の祖神であり、自らの祖神にもあたる神に渡海の神助を得るためだ。

三宮の手前で馬から降りたことから、そこを「下馬ケ浜」という。
しかし肝心の安曇の長の磯良は、なかなかやって来なかった。

天岩戸の神楽を奏しようとしたが、アメノウズメの舞を舞えるものがいなかった。
臣下の中に、磯良が舞える、と言う者がいた。
磯良抜きで神楽を奏すると、磯良は金の亀に乗って鞨鼓を胸に下げ、
舞いながらやってきた。

志賀島の北端で起こった話だ。

ここでイザナギが禊をした。
そうすると、ここは「橘の小戸のアワキが原」ということにもなる。

イザナギの禊のために志賀島は禊が厳しい島となった。

志賀海神社では、参拝者は一の鳥居の前で「おしおい」で清め、
本殿前でもう一度清める。


『神功皇后伝承を歩く』下巻の表紙はこのシーンを伝えるために選んだ画像だ。
かつて神功皇后が馬から下りて歩いて行った浜辺には今も波が寄せている。

下巻には安曇族の物語が満ちている。
安曇族の功績は正史からは巧みに消されていた。
宮崎大門が残してくれた『志賀嶋所聞録』のお陰でそれを復元できた。
特に志賀海神社の項は長くなった。


奇跡的に出会ったこの小文を志賀島の方々に伝えたい。
そう思い、
今月の最終日、10月31日の志賀島歴史講座の題材に決めた。


神遊の瀬






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by lunabura | 2015-10-28 20:19 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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