ひもろぎ逍遥

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沖ノ島の海底遺跡 巨大な柱と螺旋階段 再掲



今日は歴史カフェでした。
ご参加の皆さまありがとうございました。

少しずつ研究がまとまってきたなと思いますが、
真鍋大覚のエジプト人渡来の話などは、
まだまだ全体はつかめていません。

他にもフェニキア人やソグド人、ヒッタイトなどなどなど
一部理解できているのですが、それも部分的です。

少しずつブログに挙げながら
全容をつかんでいきたいと思っています。



さて、あとからの話題に沖ノ島の海底遺跡が出てきました。

以下は過去記事です。

この元になる動画は何故か削除されたといいます。
再び復活しているのならいいのですが。

この記事は数年前の記事です。

※※※


宗像・沖ノ島海底遺跡
福岡県宗像市沖ノ島
『海底神殿の遺跡の謎に迫る』から
海底の巨大な四本の石柱―ラセン階段が付いていた



1999年にFBS福岡放送局開局記念番組で、
福岡県の宗像大社の沖ノ島付近にある海底遺跡が放送されました。

しかし、この番組を見た人は少なく、あまり関心が持たれずに
埋没しそうなので、今日はその映像のシーンを紹介します。
タイトルは『海底神殿の遺跡の謎に迫る

レポーターは東京芸術大学助教授(当時)日比野克彦
第一発見者 ダイバー森山俊一郎






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沖ノ島のすぐ近くにその遺跡はあります。
日比野克彦氏の船の下がその現場です。







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地図で見ると、沖ノ島の北東部にあたります。






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今ダイバーが遺跡の柱にあるラセン階段を泳いで登っています。
石の階段は人間が歩いて行けるサイズです。






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切り立った崖と直角にある石段は人工のものだと分かります。







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さらに昇っていった所です。







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第一発見者森山俊一郎氏が説明をしています。
石柱らしき崖の横に階段が彫られていて、頂上にも何かあります。







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この遺跡は地元の漁民の人たちにはよく知られていて、
それを聞き取り調査した結果、
このような四本の石柱の存在が分かりました。
ラセン階段が付いているのは一本だけです。
さっきの写真はこのラセン階段を昇って行った事が分かります。







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この写真は現場付近の一般的な海底のようす。
波によって、岩が丸く浸食されています。
比較するとこの石柱が特殊だという事が分かります。

この付近は流れが大変厳しく、一般のダイバーは潜れません。
さらなる調査報告があるのを待っていたのですが、
与那国島の海底遺跡のように専従で研究する人が出て来ないと、無理かな。

「あんな深い海が陸上の時代があったんだろうか、地質学的な資料が欲しいな」
とずっと思っていたら、NHKで旧石器時代の番組があっていて、
この辺りが陸上だったのが分かりました。








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この遺跡がいつの時代の物かはこれからの研究に委ねられるのですが、
誰もこの番組見ていないから、忘れ去られてしまいそう。
ルナは10年以上この遺跡の事を忘れないでいました。
今日の記事を見て、誰か研究してくれたらいいのにな。
みなさん、そう思いませんか?

 







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by lunabura | 2017-03-09 21:34 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(4)

筑紫舞 2016



筑紫舞 2016





天気予報では一日中、雨だったが、
今年も奇跡的に午後から回復。


宮地嶽神社で筑紫舞が舞われた。


「光の道」が参道に出現して秋祭の始まりを告げると、

九州王朝に伝えられたという筑紫舞が

あでやかな和の彩りを添える。

ご覧になる神は

神功皇后。
勝村神。
勝頼神。



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「千代の友」
千代の友とは菊の事。









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千代に八千代に、国が豊かであるようにと祈る。












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「鑑の曲」かんのきょく
筑紫秘舞。











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浮き立つ春の曙に 白み渡れる山の端の
雲の衣も紫のうら珍しき春の香










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「千鳥」










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梅が枝にこそ 鶯は巣をくへ
風吹かばいかにせん 花に宿る鶯











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「橘」










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雲居の庭に色変えぬ 花橘にほととぢす
千代を鳴らして久方の 空にぞ声の聞こゆる










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浮神(うきがみ)
芸能の祖と言われる阿曇磯良が舞ったという。

天上神が磯良に舞い降りて舞う「つくし神舞」の秘舞。










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イソラ神はここにもおはす。

鞨鼓を持ちて舞いたもう。







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by lunabura | 2016-10-22 20:34 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

「光の道」テレビ取材



「光の道」テレビ取材





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嵐のCMですっかり有名になった宮地嶽神社の「光の道」。

今年はNHK福岡が取材されます。

先週、宮地嶽神社から連絡があり、
「NHKが取材されるが、光の道だけでなく、それを熱く語る女性を」
という話をいただき、および腰でしたが、話をすることにしました。

スタッフが九州に来られて間もないとこのことなので、
土地勘がないのに歴史を聞くのは大変だろうと思って、
前夜に急遽パワーポイントを作りました。

いただいたテーマは
「宮地嶽神社と相島をつなぐ光の道」
 
そして安曇であること。


話したのは

宮地嶽神社
磐井の末裔
筑紫舞
相島
志賀島
奈多の浜
磯良の舞

などなど。



当ブログの訪問者は「またか」というほど馴染みの話ですが(^^;
まだまだマイナーです。



「熱くは語らないぞ」
と思って話し始めましたが気付くと2時間経っていました。

熱くはなかったけど「長~く」話してしまったのでした。

厭きずに聞いて下さってありがとうございます。

この日は顔合わせでした。

テレビに出るのはチョット苦手だなあと思っていましたが、
今日連絡があって、
出なくて良いとのこと!
安心しました。(笑)


「光の道」は天気次第なので、取材は何日にも及ぶことでしょう。

渾身の「光の道」を楽しみにしています(^^)/

放映はNHK福岡 ロクイチ 
6時10分からの番組で21日前後だそうです。

時間は4分程度。
歴史は無しです。
多分、筑紫舞も写されるでしょう。


飛び込みニュースが入ったらずれるでしょうから、
数日間、要チェックですね。



なお、「光の道」は18日の前後一週間が見ごろですが、
参道の石段は時間帯によって締め切られて、
車道を歩いて参拝するようになるそうです。

地元の方によると、昨年は近くの道路が正月よりも混んでいたということです。
正月は入場制限が掛かって正面から入れなかったから、
すごかったんですね。

「光の道」は天気次第です。

宮地嶽神社のHPで確認してから参拝されると安心ですね。

他のテレビ局のクルーも見かけたので、
あちこちの報道で「光の道」が出現しそうです。






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by lunabura | 2016-10-10 20:59 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

参道




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某所。
バレバレですね。

もうすぐ光の道が出現。

すると、祭が始まるのでした。



本日ご縁をいただいての参拝です。






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by lunabura | 2016-10-06 20:36 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(3)

胸形君徳善は684年には生きていた



胸形君徳善は684年には生きていた



各地の考古学の専門家の一般向けの講座には出来るだけ足を運んでいる。
先日も話題の中に「宮地嶽古墳の被葬者は胸形徳善」という話が出た。

考古学会では全くこの説は疑われていないようだ。
聞くたびに悲しくなる。

宮地嶽神社は安曇族であり、宗像族ではない。



今日は中大兄皇子が天智天皇に即位した時期を年表にしていたのだが、
意外な所に徳善の名が出て来た。

岩波文庫で『日本書紀』を読んでいたのだが、
本文では天武天皇2年に
「胸形君徳善の女(むすめ)尼子娘(あまこのいらつめ)」
と出てくる。

その補注に、
「胸形君は天武天皇13年11月に朝臣姓を賜った」
という内容が書かれていた。

天武13年は684年だ。
宮地嶽古墳の築造は600年前後だ。

これで、完全に徳善説を否定する資料が出て来た。
646年には薄葬令が出ている。
徳善の時代にはあれほどの巨大な墓を造ることはなかったはずだ。



今日は宮地嶽神社に参拝したからかなあ。

思いがけない資料に出会った。






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by lunabura | 2016-09-26 23:36 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(0)

磐井君の末裔たちのレジメ完成



磐井君の末裔たちのレジメ完成




次回の歴史カフェのレジメが仕上がりました。


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神社の縁起を調べていくうちに、磐井君の末裔について、
子供は四人、孫は六人、合わせて十人の存在が分かりました。

今回はこの十人について、磐井君に近い順から、
系図や伝承、また墓や神社など、分かった事をお話ししていきます。

パワーポイントではなく、史料を読んでいくので、
かなりの理解が進むのではないかと思っています。

この史料を読み込めば、
磐井君が新羅寄りではなく、百済寄りだったこと。

宮地嶽神社の境内にある宮地嶽古墳の被葬者は
宮地嶽神社の祭神であること、
など、おのずと明らかになります。

徳善説の誤解
宗像族の人物が安曇族の聖地に葬られることはあり得ません。

胸肩徳善説を唱える方は、時代が100年以上違う点について、
説明すべきでしょう。

なにせ、徳善は天武天皇の時代に活躍した人物ですから、
生まれる前に墓を作ったということを立証するのは出来ないことです。



新羅寄り説の誤解

また、磐井君新羅寄り説の方は、
磐井の孫の鞍橋君が百済王子と共に戦っていることを知らないのでしょう。

宮地嶽古墳から出土した「鉛系ガラス板」は磐井と百済の深い関係を物語っています。





逆賊という汚名を、しかも濡れ衣を着せられながらも、
自分たちの矜持を守り続けた磐井君の末裔たち。

今回は、久留米と糟屋、福津を結んで「磐井の乱の後の世界」を描いていきます。




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by lunabura | 2016-06-20 20:50 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

宮地嶽神社 参拝


宮地嶽神社 参拝



先日、久留米で磐井君の末裔たちの話をするに当たって、
事前に宮地嶽神社に参拝する時間が取れず、
ようやく、今日、参拝することができた。








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菖蒲の花の盛りは過ぎたが、
社殿前に敷き詰められた花々を見ると、
祀られている神功皇后や勝村・勝頼神への祈りの思いが
伝わってくる。






神々が一番喜ばれるのは何か。
それは花を見て喜ぶ参拝者の笑顔ではないか。
そう考えたという宮司の話を思い出す。














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宮地嶽古墳へと続く小道。
いつも巨大なクスノキが迎えてくれる。

この小道は禊池(みそぎいけ)を造る時に、土取りのために作られたという。




宮地嶽古墳は宮地岳と不動を祀る山と、今は無いもう一つの山の
三つの山に囲まれた所に秘めて作られた。

もう一つの山は、池を造る時に削られて堤となった。







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古代にはこの岬に海がすぐ近くまで迫り、相島から巨大な石が運ばれた。
磐井の孫たちの世代はひそやかに日本で一番大きなものを作ってみせた。
そんな気概が込められていることを知った。








私はいつのまにか、この宮に祀られている
神功皇后の下関と筑紫での歴史を人々に伝えるようになった。




そして、ついに勝村・勝頼の歴史的位置づけを語り始めた。
筑紫君磐井の末裔たちの居城がここだ。


私の物語はすべてこの宮地嶽神社に立ち返ってくる。


思ってもいなかった。
私がそれらの歴史をしたためる日が来ようとは。








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この境内の美しさを記録にとどめられたら、と思った日から、
消された倭国の王たちの歴史が私の前に展開されていった。




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私は傀儡舞をジプシーのように伝えた安曇のように、
この歴史を伝えていくのだろう。

覚悟。

そんな言葉が響いてきた。




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by lunabura | 2016-06-15 22:13 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(7)

「磐井の乱後」-磐井の菩提寺と宮地嶽古墳―を話し終えて



「磐井の乱後」
-磐井の菩提寺と宮地嶽古墳―
を話し終えて



今日は久留米大学公開講座で
「磐井の乱後」-磐井の菩提寺と宮地嶽古墳―
の話をしてきました。

足をお運びくださった皆様、ありがとうございました。





パワーポイントの最初と最後の画像は最後に選んだのですが、
こんな風になりました。


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並べてみると、どちらも宮地嶽古墳です。

これは宮地嶽神社の境内にあり、宮地嶽神社の祭神が祀られて続けています。
被葬者は「勝村神。勝頼神」です。

二神は筑紫君葛子の子と伝えています。
ですから、筑紫君磐井の孫に当たります。




これが、ある日突然、宗像徳善の墓だ、と学者に言われて、
その誤解はいまだに解けずにいます。

宮地嶽神社側のショックはただならぬものがあったようです。




宮地嶽神社は安曇族です。

その証が欲しかったのですが、
ついに昨年、宮司だけが舞える秘舞として、
磯良の舞が再現され、発表されました。



こうして、安曇磯良の存在は
志賀海神社、高良玉垂宮、宮地嶽神社へと受け継がれていたことが、
平成になって明らかになりました。



安曇族の境内に宗像族が出かけて行って墓を作ることはあり得ません。
宗像族は自分たちの氏族の近くで眠るはずです。
わざわざ山の向こう、見えないところに作るはずがない。

こんなシンプルな理論も無視されています。



学者の論文に宗像市として堂々と書かれているのを見たことがあります。
正しくは福津市です。


宗像徳善は娘を天武天皇に差し出していて、
飛鳥浄御原宮の時代に外戚として娘の援助をしています。

飛鳥浄御原宮は672~694年です。
徳善はそのころ全盛期だったのでしょう。
孫は大臣に昇りつめています。
ですから、墓は700年前後に作られたと想定するのが理に適っています。

それに対して宮地嶽古墳は600~630年の推定。
両者には100年ほどの違いがあるのです。

もう、宗像徳善の名前を出すのは止めましょう。

「誰かが言ったから、そうだ。」
という発想が古代史の闇を深くしているのです。



今日は、この話や、磐井の菩提寺が作られた話、
また磐井の孫が百済王子と共に戦った話などをしました。


出版は、もうしばらくお待ちくださいね。








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by lunabura | 2016-05-21 23:32 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(4)

お知らせ


お知らせ

豊日社 猿田彦大神のお祭があります



脇巫女に登場する猿田峠の豊日社に猿田彦大神が祀られています。
今年も4月3日に祭が行われます。

今回も福岡 小戸妙見神社の増田宮司に祭祀を、
神楽の代わりに
音楽家 アルパカさんによるアイリッシュフルートの奏上があります。
曲目は「明日への手紙」です。

皆さま、是非ご参加ください。

日時:2016年4月3日 11:00~
  (集合は10:30です)
場所:宗像市吉留1905 豊日社(グローバルアリーナ前)


なお、このイベントは皆さまの志で全てまかなっております。

連絡先 090-7448-0060(田中)




豊日社





以上、菊如さんからの伝言でした♪






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by lunabura | 2016-03-15 20:26 | お知らせ | Trackback | Comments(4)

豊日社


豊日社
とよひ



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猿田峠のかたわらに鎮座する豊日社。


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長い眠りから覚めて集われた六柱の猿田彦さま。

今日はその一周年の神事に参加させていただきました。

その数日前「猿田彦は倭国の大神」と「豊日別神社」(行橋市)にあると知りました。

真実の歴史の再興のとき。
あたらしき枠組みの起こりのとき。

心強き神々の出現を寿(ことほ)ぐ。

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地図
福岡県宗像市吉留







2014年4月6日



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by lunabura | 2016-03-15 20:21 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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