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(4)「なかて」はメイポールと同起源



(4)「なかて」はメイポールと同起源


「なかて」とは「神を先導する器」というテーマで書き続けていますが、まーりんさんからもコメントをいただきました。

「神を先導する」「紅白を巻いた竿」で、女神フライアに関係するといえば、メイポールがどうしても思い浮びます。
メイポールは世界軸または世界樹を模しているとも言われているそうです(wikiなど)。

いまどきのメイポールはカラフルなようですが、『メイポールは通常は白、よくあるのはさらに赤と青(red, blue)のストライプに塗られている』。

また、その周りを男女が『赤、白そして青のリボン』の端を持って踊りながら回ることで、リボンはポールに複雑なパターンを織り上げながら巻き付く。(The English Village: History and Traditions 著者: Martin Wainwright)


これを読んで福岡女学院のメイポールダンスを思い出しました。
youtubeを見ると、なるほど、紅白のリボンをダンスをしながらポールに巻いています。


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画像出典https://www.youtube.com/watch?v=ZPNQfLbXcss

これを見て思ったんですが、もし、「なかて」を作るとしたら、二人でそれぞれ紅と白の布を持ってぐるぐる回るのが一番合理的なんですね。始まりはそんな形だったのかもしれません。

のちにヨーロッパでは春の祭典としてリボンの数が増え、ダンスが加わって複雑化しながら発展していったみたいですね。


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ウィキペディアより イギリス



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画像出典 株式会社SPI あ・える倶楽部 篠塚千弘の「にこにこ日記」



春の女神フライヤの色は赤となったり、白となったり。冬の神も民族によって異なったりしています。それでも共通するのは春の祭典であること。



そして、Fさんから、メールが!

「福岡県筑紫野市山家の宝満宮で催される神楽。岩戸神楽なのに磯羅が出てきて、赤と青の玉も出てきます。https://www.youtube.com/watch?v=ea8X7hn5G_4
 この磯羅の持ち物が赤と白の「なかて」風なのです。ちょっと面白かったのでご報告まで。」



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画像出典https://www.youtube.com/watch?v=ea8X7hn5G_4

YOUTUBEを見ると、磯良は白装束なのですぐに分かりますね!その手には確かに「なかて」が。\(◎o◎)/!

これが古式を伝えているとしたら、意外にも「なかて」はハンディなサイズでした。もっと大きなものを想像していましたから。


宗像大菩薩が振ったのは「なかて」の方みたいですね!


そして、「なかて」は北欧から発して東西に広がり、サイズを変えながら地球を一周した♪







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by lunabura | 2015-12-17 17:42 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(0)

(5)古代の紅とシルク


(5)古代の紅とシルク


さて、旗を振ったという高磯強石将軍(宗像大菩薩)の旗は何色だったのか?
神を先導する器としての長手は紅白ですが、軍旗なら白旗だけではなかったかという仮説を出しました。

古代の貴重な赤色はどうやって染めたのでしょうか。
その材料としては貝と茜があるのを思い出したのですが、ぱらさんが詳しく書いてくれました♪

「古事記上巻八千矛神の歌に出雲の大神が山畑に茜の種を蒔き染木の汁の染め衣を着ることをうたっております。また延喜式には日本茜の貢進は太宰府の大茜だそうですよ。

古代エジプトのミイラを巻く麻糸は藍や茜で染められていたとか。古代エジプト→ペルシャ→インド→中国と渡り日本へ来たのは秦氏と共に。おっとお話しが近くなりましたね〜〜(^-^)

茜の煮汁で染めて椿の灰汁や明礬や硫酸鉄を使用した媒染技術を伝えたこの頃から鮮やかな染物になったそうです。蘇芳やべに花も赤色ですよね。

茜をそのまま擦り付けて染める方法が古い技法ですが、単一染めでは黄色褐色のまさしく茜雲の色になるようで、それをタンニンを抜き色鮮やかに染める技術を持つってイノベーション。 秦氏凄いわー通婚しとかなきゃですよ。

出来た赤旗は神様に捧げたくも成りますっ!!随分と目立つ旗だった事でしょうね。」
るな
「紅のレポ、ありがとうございます。なるほどですね!
そういえば、八千矛神の茜のこと、染色家に尋ねた事思い出しました。太宰府の茜も三郡宝満山にあったはず。」


八千矛神すなわち大国主神はおしゃれな神らしく、家出(?)する時の服の色を何にしようか、と歌に読んでいて、その時に茜色の服の話が出て来たんですね。それで染色家に茜染めの話を尋ねた事を思い出しました。特に絹は染めやすいそうです。

そこで思い出したのが吉野ヶ里遺跡で出土したシルク。

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実験復元されたシルクの紫染めです。美しいですね。
有明海にはこの色に染めてくれる貝が自生しているとか。本当に宝の海だったんですね。(諫早の水門、早く開けてね。)





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こちら機織りの実演会場かな。
色がきれいです。草木染めは退色が速いから、色を定着させる技術を持つ古代豪族は他からも一目置かれたことでしょう。



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現代でも草木染めの色の定着は難しいそうで、中東辺りで赤色が褪めない特殊技術を日本人が学んでいるという番組がありました。その技術を秦氏が持っているとしたら、重要視されたことでしょう。


「紫」については貝を直接布にこすりつけている部族のビデオを見た事があります。布一枚を染めるためにはかなりの紫貝が必要です。クレオパトラが帆を紫か紅に染めさせたという話がありますが、これが財と権力の誇示だったのかよく分かります。

しかも、船の帆はシルクでないと物にならないとか。濡れても渇きやすいのが特徴で、綿や麻では使い物にならないと、昨日、ウラさんが教えてくれました。


そして、その日、マミさんが、筑後川の鵜飼の網もかつては絹だったと教えてくれました。

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シルクの需要は王族の衣装しか想像していなかったので、筑後川や遠賀川を走る小さな帆かけ舟の帆や漁具が絹で造られたと思うと、全く新しい古代像が生まれてきます。

筑後川には太宰府の直轄の連絡船があったのですから、それは間違いなく絹だったことでしょうね。


福津市の縫殿神社の集落で縫われた神功皇后の船の帆もシルクだった可能性が高くなりました。

秦氏。
秦氏一族(2万人?)が加羅に留まっていました。

神功皇后が新羅に勝ったお蔭で加羅と交流が始まったという縫殿神社の縁起とようやく繋がりました。
その後、竹内宿禰の子の葛城襲津彦が秦氏を迎えに行きます。

また、応神天皇が招聘した四人の縫い姫の一人が宗像大神の頼みで福津の奴山(ぬやま)に留まったのも、美しい衣装だけでなく、軍事的な需要があった可能性が出てきました。

そうすると、宗像大菩薩の振った旗もシルクだったかもね。





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by lunabura | 2015-12-16 08:53 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(2)

脇巫女11 沖ノ島


脇巫女 11
WAKIMIKO 
沖ノ島


<八>2015年11月16日

沖ノ島を神聖な地としなくてはならない

イチキシマ姫のタタリを恐れ、その地に神殿を建てた

島に上がる前に裸で海に入り、何も隠していないことを示す

二度と命を狙わないと誓うために

◇◇ ◇
託宣は沖ノ島の歴史を語りだした。
それはイチキシマ姫のタタリに関わるものだという。
男たちが裸で海に入るのは、武器を持たたないことを示しているのだという。

二度と命を狙わない?
ということは、イチキシマ姫は命を狙われたというのか。
驚くべき内容だった。

沖ノ島を世界遺産に登録させようとしているが、
「お言わず」の島を何故、世界に伝えようとするのか、
私は理解できないでいる。

テレビがどんどん入って、沖ノ島は秘められた世界ではなくなった。

女神たちはそれを喜んでいるのだろうか。

しかし、もう時間がないのだろう。
姫神たちは隠されたものを出そうとしていた。
             (つづく)





沖ノ島








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by lunabura | 2015-11-25 20:52 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(0)

脇巫女 9 夢物語

 

脇巫女 9
WAKIMIKO
夢物語


星読から預かった託宣や夢はすでに十六を数えた。
通し番号を漢数字で打つことにした。
今日は<四>から<六>までを連続して紹介しよう。

◇◇ ◇
<四> 2015年11月9日
早朝4時45分頃、まどろんでいる時、
若者が懐に飛び込んでくるような勢いで顔がアップになって目が覚めた。
深呼吸を一回したが、気分は落ち着いていた。

◇◇ ◇

懐に飛び込んで来た若者は誰か。
尋ねると、ヤマトタケルだったという。

ヤマトタケルが誰かを殺した時のようだと星読は言った。
驚いて目が覚めた星読だが、感情が乱れることはなかったという。

ヤマトタケルは気性が荒かったらしい。
彼に殺された人を思い起こすと、兄の大碓命、クマソタケル、出雲建などがいる。

星読はこれから解かねばならない謎の重要なシーンを見せられたのだろう。
答えは一つ動けば一つ教えられるのだろう。

◇◇ ◇
<五>2015年11月11日
これからの物語は作者(星読)の「夢物語」

「夢」は未来のためにだけあるものではない

過去を夢見て、そのあるべき姿を知る

今を生きる者たちのために

まだ見ぬ者たちのために

◇◇ ◇
星読の託宣に対して、私は歴史的背景を考察しているが、
この先は驚くべき内容が展開される。

これまでの歴史観に反するものも出てくるだろう。
が、感情が揺さぶられた時には「夢物語」だと受け流そう。

「感情」に「浸る」ことをやめて「感情」を「観察する」ことが
人類の意識の進化に欠かせない。
これを読んで私はそう思った。

◇◇ ◇
<六>2015年11月13日
一人の男が、宇佐神宮の祭殿の前でひれ伏し、
「お迎えに参りました」
「長いことお待たせいたしました」
とつぶやくと
光(風のようなもの)が「われ先に戻る」と告げる

男は「入口と窓を開き、出迎えるよう」(自宅に)告げる

男が(自宅に)戻ると、神棚が騒がしい。

男は山に行く

この地に戻りし神々よ この地を守りし神々よ
この地を守りし われに力を与えよ
この地を奪われないために
◇◇ ◇
「男」とは星読自身のことだという。
星読は宇佐神宮に祀られている三女神を迎えにいった。
女神たちは星読より先に鞍手に戻るので、星読は自宅に連絡して
入口と窓を開けて神々を迎え入れるようにと告げた。

戻ると、自宅の神棚が騒がしかった。

それから、星読は山に行った。
この山とは六ケ岳だそうだ。

そして、星読は戻って来た女神たちに
「力を与えよ。この地を奪われぬために」
と祈ったという。

現在なのか、未来なのかは分からない。

「もののべ」によって鞍手を追われた「星読みの民」は
三女神と共に宇佐に行ったという話が出たが、
星読はその女神たちを六ケ岳に迎える役目があるのだろう。

フラッシュバックのように重要なポイントが示されているようだった。

※ ※  ※

チェリーさんが六ケ岳の祭祀線の記事を投稿してくれた。

「地図でつなぐ聖地の旅」 lunaさんへのレポート 
「鞍手」 その1
 http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/blog-entry-117.html 

六ケ岳は麓からは、六つのピークがきれいに並んだ連山に見えるのだが、
チェリーさんの作成してくれた地図を見ると、
六つのピークを結んだ稜線は馬蹄形になっていて谷を囲んでいた。
想像外の形状だった。

その谷の麓に卍マークがあるが、その寺の名前が分からないそうだ。
馬蹄形の焦点にあるような位置取りで気になった。

私も手元の地図や山の本を調べたが書かれていない。
廃寺となっていれば調査ははかどらないかもしれないが、
六ケ岳信仰の要かもしれない。

七色に調査の依頼メールを送ると、早速、探索に行ったとメールが入った。
七色は鉄砲玉か… ”(-“”-)”

気軽に尋ねたのがこのような展開になると、当方が恐縮する。
星読も同行していた。
場所が分からないようなので、改めてチェリーさんの地図を見ると、
砂防ダムの上流150mほどの位置になる。

これはもう土砂の中に埋もれているだろう。
いかにも山津波が起こりそうな地形だ。
砂防ダムの受け皿は大丈夫だろうか。

久山の伊野天照皇大神宮の上の砂防ダムのようすが心に浮かんだ。
すでに土砂はダムを乗り越え始めていた。
大雨が降れば、神殿に掛かるのではないかと恐れている。
あれから対策はされているだろうか。

七色が夜になって電話をくれたが、
鞍手のハザードマップが緊急に必要だと言う。
昭和33年にこの地は災害に見舞われてたそうだ。
地形的には海からの津波が上がれば波高が高くなる所だし、
上流域に大雨が降れば流されるような地形だ。

七色にはその警告の声が聞こえているのかもしれない。


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これは、tatsuさんが作ってくれていた10mの洪水マップだ。
弥生早期の想定地図に当たるが、本来、洪水を調べるのためのソフトだ。
国土地理院のHPの中にもあったはずだから、活用してほしい。


星読の最後の言葉が気になる。

<この地に戻りし神々よ この地を守りし神々よ
この地を守りし われに力を与えよ
この地を奪われないために>


「この地を奪われ」る状況が想像つかなかったが、
あるいは鉄砲水、山津波などの自然災害の可能性もある。




さて、話が変わるが、チェリーさんのブログには
六ケ岳―六嶽神社―宗像大社のラインも描かれていた。

問題は宗像大社の位置だ。
市の発行した本によると、
宗像大社の辺津宮の社殿があった時期は788年までしか遡れていないのだ。
それまでは辺津宮は無かったと考えるのが妥当だ。

不二さんの話によると、昭和に「古高宮」に初めて登った時は木が生えてなく
海が見渡せ、祭神は大国主命だと聞いたという。
宗像族の祖は出雲系なので、当然だと思う。

また、今の「高宮祭場」は「昭和」に作られたものだ。
発掘した時、土器が少し出たので祭祀があっただろうという事で、
現在のように整地して神籬(ひもろぎ)が作られた。

露天祭祀を継承したすばらしいデザインで、神も降りてこられる所だが、
古代祭祀線を考える時には除外したほうが安全かもしれない。
六嶽神社の参道とラインがずれるのは時代が違うためだろう。

高宮祭場の参道を延長したらピークがある。
氏八幡神社の参道を延長するとそのピークと交わる。
そこが「古高宮」だ。
そこが最初の祭祀点ではないかと思われる。

以上、地元の情報をここに記しておこう。
チェリーさんの参考になればと思う。

マップの赤が古高宮(祭神大国主命)青が高宮祭場(昭和のもの)





              (つづく)


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by lunabura | 2015-11-23 21:05 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(92)

沖ノ島・海底遺跡の過去記事



先日、NHKで沖ノ島が放送されました。いつ見ても素晴らしい島です。
そのあと、ブログの方は海底遺跡の記事のアクセスが多かったので、次のページに移動しました。

そちらでは第一発見者の森山氏からもコメントをいただいていますので、ご覧ください。再び調査に向かわれたそうですが、断念されています。

やはり沖ノ島は「お言わずの島」なのでしょう。

海底遺跡の研究者、フランクジョゼフに尋ねたところ、この緯度には古代遺跡がずらりと並んでいるとのことでした。

ちょっと懐かしい^^


画像の下の<遺跡・史跡>からもご覧になれます。






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by lunabura | 2015-07-05 07:26 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(0)

宗像・沖ノ島海底遺跡・謎の海底神殿・巨大な四本の石柱―ラセン階段が付いていた


宗像・沖ノ島海底遺跡
福岡県宗像市沖ノ島
『海底神殿の遺跡の謎に迫る』から
海底の巨大な四本の石柱―ラセン階段が付いていた


1999年にFBS福岡放送局開局記念番組で、
福岡県の宗像大社の沖ノ島付近にある海底遺跡が放送されました。
しかし、この番組を見た人は少なく、あまり関心が持たれずに
埋没しそうなので、今日はその映像のシーンを紹介します。
タイトルは『海底神殿の遺跡の謎に迫る

レポーターは東京芸術大学助教授(当時)日比野克彦
第一発見者 ダイバー森山俊一郎
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沖ノ島のすぐ近くにその遺跡はあります。
日比野克彦氏の船の下がその現場です。
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地図で見ると、沖ノ島の北東部にあたります。
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今ダイバーが遺跡の柱にあるラセン階段を泳いで登っています。
石の階段は人間が歩いて行けるサイズです。
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切り立った崖と直角にある石段は人工のものだと分かります。
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さらに昇っていった所です。
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第一発見者森山俊一郎氏が説明をしています。
石柱らしき崖の横に階段が彫られていて、頂上にも何かあります。
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この遺跡は地元の漁民の人たちにはよく知られていて、それを聞き取り調査した結果、
このような四本の石柱の存在が分かりました。
ラセン階段が付いているのは一本だけです。
さっきの写真はこのラセン階段を昇って行った事が分かります。
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この写真は現場付近の一般的な海底のようす。
波によって、岩が丸く浸食されています。
比較するとこの石柱が特殊だという事が分かります。

この付近は流れが大変厳しく、一般のダイバーは潜れません。
さらなる調査報告があるのを待っていたのですが、
与那国島の海底遺跡のように専従で研究する人が出て来ないと、無理かな。

「あんな深い海が陸上の時代があったんだろうか、地質学的な資料が欲しいな」
とずっと思っていたら、NHKで旧石器時代の番組があっていて、
この辺りが陸上だったのが分かりました。
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この遺跡がいつの時代の物かはこれからの研究に委ねられるのですが、
誰もこの番組見ていないから、忘れ去られてしまいそう。
ルナは10年以上この遺跡の事を忘れないでいました。
今日の記事を見て、誰か研究してくれたらいいのにな。
みなさん、そう思いませんか?

地図 沖ノ島海底遺跡





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by lunabura | 2015-07-05 06:26 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(23)

アチメ浦を探して



アチメ浦を探して



海に行こう。



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「神功皇后が志賀、住吉を遠く拝され肉落(ししおち)のみそぎをされたアチメ浦」が何処かにある。
「アチメ浦」なら安曇の浦だ。






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風が強くてまっすぐ歩けない。









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岬の突先まで行こう。見知らぬ風景を見るために。









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満ち潮か、海流が激しくなる。

波が引く時ガラガラと音を立てている。








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1800年も前の地を探そうとするのだ、見つからなくてもかまわない。

ただ、感じてみたい。








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ここは厳しい荒磯。





また心に残る海に出会った。







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by lunabura | 2015-06-28 22:00 | にっき | Trackback | Comments(6)

散り初めの開運桜 宮地嶽神社


宮地嶽神社

散り初めの開運桜


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今日の宮地嶽神社の開運桜です。




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昨日の雨で、花びらが散り始めていました。




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この桜と出会って6年目。


今思い返すと、当社の御祭神のことが全く分からなかったのに、
いつの間にか本を出し、人に伝えるようになっていました。




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神功皇后。息長帯姫。ここには何度も来られ、宮地岳に登って神々に祈られた。
その女神の本がもうすぐ出来あがります。

阿部高麿神と助麿神。仲哀天皇と神功皇后を守って下関の忌宮神社で亡くなられた。
敵は新羅。



勝村神と勝頼神。この神々は筑紫の君・葛子の御子神。磐井の君の孫に当られる。勝村・勝頼神の二柱は宮地嶽古墳に共に眠られた。

鞍手の鞍橋(くらじ)の君はその御兄弟。百済の王子余昌と共に新羅を攻めて籠城し、王子の窮地を救われた。

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そして、もう一柱。謎の阿部相丞(しょうじょう)の神。
お尋ねします。
あなたは安曇磯良なのですか?
大善寺玉垂宮と宗像大社ではそう伝えていますが、それでよろしいですか?


私は神功皇后の本を書きました。そこには阿部高麿・助麿神も含まれます。

磐井の君の末裔たる勝村神と勝頼神も原稿は出来ました。
そして、安曇磯良神の本も春になったら取り掛かります。


もし、安曇磯良神が阿部相丞の神なら、私は宮地嶽神社の六柱の神、すべての本を書くことになるのです。
今日はその御縁の不思議さに気づいて驚いています。





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by lunabura | 2015-02-21 20:31 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(0)

三女神 再掲


三女神 再掲


先日、NHKのドラマ「ここにある幸せ」を見ました。
福岡県の福津市が舞台です。松田翔太さん、演技が上手かった!

そこに出てくる主人公たちが福津市と縁を結ぶことになる景勝地が
楯崎神社の参道からの恋の浦の眺めでした。

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昨年の冬に行った時、木が切り払われて、海が見える場所が新たに出来ていたのですが、
ドラマの為だったんですね。


神社は出てこなくて残念でした。

で、今日はタイトルに「三女神の再掲」としたのは、
この楯崎神社もまた三女神(二女神)の伝承がある所だからです。
この浜に上陸してくる異敵がいて、
大己貴と二女神の夫婦神が力を合わせて戦ったのです。


三女神の降臨地は筑後川系では久留米の赤司八幡神社。
遠賀川系では鞍手の六嶽(むつがたけ)です。

水沼族と宗像族(多分同族)、
古出雲と三女神、そして物部が絡まり合います。

まだ未調査の部分があるので、全体像は描き出せていません。

三女神論は先々、まだまだ変化しつつ進化させていくつもりです。
今日は「三女神伝承の宮々」をこの後に読めるように再掲しました。

量が多いので、ボチボチと読んでみてください。




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by lunabura | 2015-01-19 20:08 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(4)

測量体験 初!


縁とは不思議なもので、宮地嶽神社から相島に沈む夕陽を見た日、
隣の方に宮地嶽古墳の測量の企画を案内されました。

「伊能忠敬測量200年の会」主催で、古墳とその周囲を測量する企画です。

これはめったにない機会と、早速申し込みしました。


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桜の葉はすっかり落ちて、秋から初冬へのあわい。



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あの輝く春の日とは違う華やかさです。


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正面は奥の宮不動神社。古墳の前の拝殿です。
左が古墳。
拝殿の左がすぐに古墳の入り口ですから、
本来の墳丘は拝殿の場所に及んでいたということが分かります。
封土がかなり失われているんですね。

今回は九州産業大学の学生さんが測量法を教えてくれるのです。
「平板測量」という手法です。

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アリダードも初めて見ます。

水平に保つことから始めるのですが、私の頭の中は三角縁神獣鏡の使用法。

三角縁神獣鏡を見る時には必ず鏡面を見ましたが、どれもが凸面鏡なんですね。

そして、裏の窪みを見ます。
そこに水を貯めれば水準器になります。
ギザギザを北極星に合わせれば、方向バッチリじゃないかな。


そして紅白に塗られたポールを見て連想するのは
神武天皇のイラストには必ずついている杖。

もう一つのアイテムは巻尺。
巻尺は古代には紐を使うのでしょうが、長さがねえ。
せいぜい数十メートルが限度でしょうかねえ。


伊能忠敬は星を見て緯度を調べたとか。
九州歴史資料館で実物を見る機会があったのですが、
その大きさに圧倒されました。

このたびの測量会では、古墳の周囲をぐるりと七班に分かれて部分的に測量し、
出来あがった図を七枚、結合したのですが、驚くほど正確でした。


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小学生と一緒でしたが、測量ポイントをしっかりと把握する少年がいて、
才能って小さい時から現れるんだなあと舌を巻きました。

私もいつもキルトの製図をしているので、線を引くのが楽しかったです。


会の皆さまありがとうございました。

もちろん、古墳に埋葬されている磐井の君の孫の勝村・勝頼神にもごあいさつ。
ここには葛子の君と磐井の君のよすがとなる物も納められたと
確信しています。






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by lunabura | 2014-11-09 20:45 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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