ひもろぎ逍遥

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糸島バスハイク2  染井の古道を探検した



糸島バスハイク2

染井の古道を探検した
 


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染井神社の下宮にいた時、地元の方が話をしてくれました。

下宮から中宮への道があるというのです。
「道は今は無い」と古書に書いてあったので、
まさかのまさか。

しかも、歩いて5分というのです。

5分( ゚Д゚)
5分♪

中宮ヘは染井信号から車で上れます。
一般車両はUターンできますが、
マイクロバスは厳しいので、今回の予定から外していました。

でも、下宮から5分?
なんでそんなに近い?

人の言う5分はきっと15分ぐらい。
と疑うのですが。

皆さん「行こう」「行こう」と張り切ってある。

道についての説明は
「下宮から突き当りを左に行って右。納骨堂はダメ。」

これだけの情報で山道に入るのはいくらなんでも。
しかも、大勢。

でも、行ったことのある私はいいけど、
初めての人は行きたいよね。

ま、道に迷って遭難しても5分だけだし。
お昼御飯が遅れる程度だし。
予定より30分早く進行しているし。

と、登るのを決定。








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すぐに突き当たって左。
山道でも、石段があってどんどん行きました。
出たのは納骨堂。
「ああ、ここはダメですね。」

そして戻って脇道を発見。
確かに右だったのですがね。
陰になっていて、見逃すのが当然。

皆さんの後について山道を登ると、すぐに中宮の脇に出ました。









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確かに迷わなければ5分。

神功皇后が下宮で鎧を染めたとして、山の中腹になんで持っていく?
という謎があったのですが、
歩いて5分なら、有り得ますね。

ちなみに、本当は鎧ではなく「旗」だったようです。

と、知らない山道の探検は無事に終わりました。
行けて良かった(*´з`)








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いいでしょ。こちらは染井神社中宮の参道です。



『神功皇后伝承を歩く』下巻63 染井神社



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by lunabura | 2017-09-22 20:04 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

糸島の秋 彼岸花と赤米アート! sanpo



糸島の秋

 彼岸花と赤米アート!




秋のバスハイク、糸島を堪能してきました。
今日は旬の光景です。






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天神からの都市高速でのシーホークとドームの光景。
大好きな構図だけど、シャッターチャンスは一瞬!
助手席でないと撮れないんですよね。
ついにゲット。でも、ランプが正面(´・ω・`) 
また、いつか。








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カメラを持ってたら、一度は撮りたい彼岸花。
稲と彼岸花を撮るなら糸島、お勧め♪





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染井神社の所。
あちこちの田圃で見れますよ。











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こちらは二丈町。
赤米のハート。








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「いいね!」

マムシ温泉を目指してから浮嶽神社に行く途中です。

『神功皇后伝承を歩く』下巻61浮嶽神社
           下巻63染井神社




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by lunabura | 2017-09-21 21:45 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

豊玉姫の岩 sanpo



糸島






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染井の森







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木漏れ日


豊玉姫が彦火火出見と共に祀られている宮



豊玉姫は愛しき人を追って糸島へ



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この木の下の岩の上で髪をくしけずった


同じ光景を見たのだろう





撮影場所 上二枚
『神功皇后伝承を歩く』下巻63 染井神社
神功皇后がウケヒで白糸の鎧を井戸につけると赤く染まった

下 志登神社



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by lunabura | 2017-07-11 20:45 | 豊玉姫と玉依姫 | Trackback | Comments(0)

苔と光



苔と光





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苔の世界の小宇宙。



ガイアの森の世界





撮影場所
『神功皇后伝承を歩く』上巻28 高祖神社
神功皇后は五十迹手の奉斎する宮で祈願した




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by lunabura | 2017-07-10 22:25 | にっき | Trackback | Comments(0)

い・と・し・ま




い・と・し・ま

女神巡礼








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たかす









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さくらい










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さくらい








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ふたみがうら








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ふたみがうら









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by lunabura | 2016-03-06 20:34 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

平原遺跡は卑弥呼より少し古い


平原遺跡は卑弥呼より少し古い


資料を片づけたり、整理したり、
あるいは柔らかな春の草を抜いたりして、
グラウンディングの一日を過ごしました。

歴史は研究がどんどん進んでいる分野もあれば、
江戸時代の説のままの分野もあります。

文献が一般人にも手軽に手に入る時代になったので、
考古学的な資料と文献史料が相互に補完し合うようになるといいですね。


3月3日の歴史カフェの遠足バージョン、時系列に回りたかったのですが、
時間の制約があったので、バラバラになりました。

わずか二キロ四方の中でしたが、行ったり来たりしたので、
広い範囲に思えたかもしれませんね。

30分ほどで歩いて行ける範囲だったのです。

そこに歴代の妃、
木花咲耶姫、磐長姫、豊玉姫、玉依姫、奈留多姫が祀られていました。
そして、三雲南小路遺跡も三雲井原遺跡も平原遺跡も、です。

ですから、3月12日の座学では、神社や遺跡も時系列に見て
マップ攻略の時間も取ることにしました。

そうすると、意外にも平原遺跡が一番新しい時代になりました。
中国では後漢が滅ぼうとする頃の墓です。


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平原遺跡の被葬者については、「卑弥呼の時代ですか?」と、
何人からか質問を受けたのですが、
卑弥呼から見ると母か祖母の世代になります。

卑弥呼の死は248年(あるいは247年)とはっきりしています。
お話ししたように、この年を暗記しておくと便利です。
これを以って弥生時代の終わりとする方もいます。
中国では魏の時代となります。

この時代には神功皇后を支えた怡土(いと)国の五十迹手(いとて)もいて、
考古学と中国文献と日本文献がどう結びつくのか、興味深いエリアです。


魏志倭人伝は倭人の風習について、「棺はあるが、槨は無い」と書いています。
ちょうど平原遺跡がそんな感じですが、卑弥呼の墓には盛り土があるのです。

平原遺跡の盛り土は最近、施されたもので、
もともと平坦で果樹が植えられていたそうです。

発掘後は、しばらく木棺のくぼみがそのままだったので、
雨水で消失しないか、心配したものです。

とても広々とした環境でよく整備されていて、とても心地よかったですね。

それでも標高が35メートルほどもあったということで、
弥生人がいかにも好みそうな地形でした。






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by lunabura | 2016-03-04 20:43 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

糸島の女神巡礼


糸島の女神巡礼


ありがとうございました




2016年3月3日。





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約束の日に集った皆さま。






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沢山の笑顔をありがとうございました。








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言葉が生まれてこないほど、喜びに満たされています。








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糸島の女神さま。ありがとうございました。









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かんながら たまちはえませ





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by lunabura | 2016-03-03 21:28 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(16)

志登神社3・ハレー彗星とカノープス


志登神社3
ハレー彗星とカノープス


志登神社は北に柑子岳、南に雷山が見えるという特殊な位置にあり、しかも夏至ラインには今山の二上山が乗るという驚きの位置でもあります。


糸島市 志登神社




「志登」の意味は「海淵」。波が立たない日には星の観測にもってこいでした。星の観測には空を直接見る方法と、プールに映して観測する方法があります。

ティオティワカンでしたか、ピラミッドにプールがあるのは星の観測のためと考えています。水鏡に写る星は、ステラナビゲータなどとは違う軌跡を描くのを見た事があります。


さて、「志登星」(ハレー彗星)は76年ごとに到来しますが、19年を四度(しど)重ねると76年になることから、「四度」→「志登」となって、ハレー彗星を志登星と呼ぶようになりました。

19年って、メトン周期でしたね。(※メトン周期とは19太陽年は235朔望月にほぼ等しいという周期)

昨年末、朔旦冬至に志賀島に行ったのも、もう遠い過去のようです。ブログに書かなかったら、記憶に留まらなかったかもしれません。

今年、志賀島のお膝元の志式神社では19年に一度のお祭りがあったそうです。お潮井があった事も重ね合わせると、どうやら志式神社にもまた天文観測官がいたのではと思うようになりました。(ガイドブック下巻72)

さて、糸島市志登は単なる湊ではなく、安曇族の天文観測官がいた可能性が出て来たのですが、tatsuさんが、志登から見える志登星(ハレー彗星)の画像を作ってくれました。

すごく感動したので、ご紹介します。


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これを見ると、以下の真鍋の文がよく理解できます。

 
彗星を志登星という。十九歳を四度かさねるを言う。その大なる時、北斗を覆う故とも説かれる。北斗を四三星(しそのほし)というから、その一つの方言でもあった。(拾遺p51)


ハレー彗星が本当に北斗七星を覆っていました。

画像を見ると、星空を6月1日に固定してあります。固定しないと背景の星は動きっぱなしになって分かりづらくなるんですね。グッド・アイデア!


姫古曾神社の所で考察しましたが、「彗星」を倭人はオオゲツヒメ、燕人系は姫子星と呼んでいました。そこに祀られているのが市杵島姫です。市杵島姫は物部氏と通婚しているので、基山の辺りは物部の天文観測となるのかもしれません。


安曇の星祭祀と物部の星祭祀、いつか区別が分かるようになると面白いですね。



さて、tatsuさんはカノープスの画像も造ってくれました。雷山に沿ってカノープスが動いています。


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「這うように」と描写されるカノープスは、諏訪星と呼ばれ、スサノヲの化身とされました。荒ぶる神です。

以上、志登から見えるハレー彗星とカノープスでした。
Tatsuさんのお蔭で解読が進みました。ありがとうございます ^^







 




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by lunabura | 2015-07-11 18:37 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(2)

志登神社2・志登=海淵・北斗七星 志登星=ハレー彗星


志登神社2

志登=海淵・北斗七星 志登星=ハレー彗星


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志登神社に再び舞い戻って来ました。

志登神社は現在、田園風景の真っただ中、360度が見渡せ、しかも、今山(かつては二上山だった)を夏至ラインに見ているといいます。


豊玉姫が上陸できたのですから、もちろん湊があり、綿津見神が祭られているので安曇の息が掛かった所ですが、太陽祭祀ラインがあるということは、ただの湊ではなく、天文祭祀の観測地点の可能性も出てきました。




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これは神社の前の水路ですが、波がないのでまるで水鏡のようです。

これから思い出したのですが、「志登」(しと)という単語が真鍋の本に出ていたので読み返してみました。「志登」と「志登星」の二つが出てきます。

まずは「志登」から読んで見ましょう。

潮の空間(からま)即ち、海面が静止した時にシリウスが水平線から離れる瞬間に上下互いにとけ合ったように連なる時は必ず地震津浪が現れると語られておりました。仲哀九(200)の時も又然りと伝えられます。

昔の人は外界の波に動じない海淵を沼津、或は志登と呼び、星影のゆらめきを見て海の異変を察しておりました。やがてこれが倭語の鯰(なまず)即ち漢名の鮎魚(せんぎょ)と結び付き地震鯰の説が通りだしたのかもしれません。

山田伏見宮の絵馬には、松浦の鮎の故事を語るかの如く遠い昔の素朴な観天望気が事寄せてあるかと思われます。(儺の国の星p49)


「志登」や「沼津」は海淵のことだと言います。これは火口の跡で、海の中の場合、外で波が立っていても、そこだけ波が生じないという特殊な海面となります。


志登神社の位置は今では田園のど真ん中ですが、かつての糸島水道の中にあります。
大型の船が泊められるなら、そこは火口湖だった可能性もあります。これで「志登神社」と呼ぶようになったのかもしれません。

なお、糸島水道に関しては、かつて水道はなかったという論文が出ているそうですが、この広い地域で、水路が無かったことを証明するのは困難ではないかと思っています。

わずか3メートルほどの水路でも船の航行には十分です。
縄文海進期や弥生小海進期などで水深が確保できたら船は十分通ります。やはり伝承どおりに水道はあったと考えられます。また、いつ、ふさがったのか、その時期について真鍋家では具体的に伝えています。(何処かに書いたと思う)

引用文に出てくる山田伏見宮とは那珂川町の伏見神社のことですが、「伏見」は観星台の上で水平線から出てくる星を観測するために、伏して見ることから出来た言葉だそうです。(ガイドブック下巻64)

神功皇后が馬に乗っていてナマズが飛びついたり、松浦で鮎(あゆ)占いをしたのも、実は観天望気のようすを民話化したものだということです。


古人は時刻を計るに水平線を出入りする星影を見遣った。この種の星を伏見星と言った。これとは別に四季を教える頭上の星を天津星と区別した。

たしかにシリウスは冬の真夜中に天頂までのぼるのであったが、古人は早く臥し、つとに起きるを務めとしていたから、シリウスは宵星(せうのほし)であり、又暁星(けうのほし)であり、要するに伏見星の類であったことになる。(儺の国の星)p48


水平線に掛かる星で時間を計り、頭上を通過する星で季節が分かったといいます。シリウスは民間にとっては、時計代わりの星でした。

天津星という言葉も、神話ではなく、観測用語の一部ということになります。

以上のことから、現在地に「志登」という名の神社があるのは、観星台(伏見殿か隈本)があった可能性が高いと思います。

さて、別の本に「志登なる社」について書いてありました。
斗極をともに七等星(ななつならびのほし)と呼びました。和名類聚鈔には筑前志摩郡の条に登志(とし)の鄕名が見えます。舟人の守護神なる七星になぞらえて、昔は巨石を配列した遺跡がありました。

 図七(とし)或は七斗(しと)を万葉仮名で写した地名であり、怡土もその派形であります。志登(しと)なる社は妙見の祠が建つ天平以前の昔の信仰の存在を示しております。(儺の国の星p50)


志登神社の東の方に「登志」という地名が残っています。そこには巨石を配列した遺跡があったそうです!もう名残もないでしょうが、そこには登志神社があります。

空さんのブログ記事を見ると、登志神社の社殿の後ろに石が並べてありますね。もしかしたら、それらの石が巨石だったのかもしれません。



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こちら志登神社にも正面にこんな大石がありました。支石墓とは趣が違うので、これもストーンサークルだったのかもしれません。

「とし」も「しと」も北斗七星から来た言葉で、怡土(いと)もまたそれから派生したものだそうです。妙見信仰が入ってくる前から、糸島には北斗七星の信仰があったということです。

海人族ならみな北斗七星を崇敬していたことでしょう。


もう一つ。
 彗星を志登星という。十九歳を四度かさねるを言う。その大なる時、北斗を覆う故とも説かれる。北斗を四三星(しそのほし)というから、その一つの方言でもあった。(拾遺p51)


彗星を志登星と言いました。19年×4=76年。これはハレー彗星のことですね。それが最大になった時には北斗七星が隠れてしまうほどだったことから、北斗七星の名が重ねられたようです。

北斗七星は四+三で、「しそ」のほしと言い、それが訛って「しと」となったと言います。小郡に「四三」と言う地名がありますね!
まとめると、
志登=海淵(星を観測した)
志登=北斗七星の言葉の一部から生じた
志登星=ハレー彗星 北斗七星を覆うようすから。
こんな感じでしょうか。「しと」には北を示す星の印象が色濃いようです。

続きにこんな文がありました。
 筑紫の人々は二千年以上も昔から、よく近東の文化を心得ていたらしい。(拾遺p51)


糸島は近東からの渡来人の時代のち、朝鮮半島からの渡来人の時代を経ているので、ルーツを考える時、北の方だけでなく、もっと多面的な方向からの考察が必要ではないかと思っています。

真鍋はそれをかなり具体的に伝えているので、少しずつ紐解いていきたいのですが、もう少し古代史の知識が必要です (/・ω・)/ .


 






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by lunabura | 2015-07-09 21:36 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(0)

志登支石墓群・倭は朝鮮半島まであったみたいだけど


志登支石墓群

倭は朝鮮半島まであったみたいだけど



志登神社の近くに志登支石墓があります。志登神社から歩いていったはずの豊玉姫の岩の近くに支石墓があったことを記憶していたので「志登支石墓」のことばに引かれていったのですが、結果的には違っていました。

せっかくですから、ご紹介。
近くで農作業している方から志登神社からは一キロほどと聞きました。その時点で探している所ではないと分かったんですが ^^

川の向こう岸にありました。




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全景です。田畑の間、少し盛り上がった地点が耕されずに残っていました。






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何を撮ったのかよく分からない画像(^_^;)
多分、探しているものではなかったので、ほどほどに撮ったみたい。







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で、志登神社の真裏から見える山をここでも発見。皆さんから今山だと教えていただきました。今山は遺跡もあるから、いつか行ってみたいですね。





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反対側は糸島富士、可也山が見えています。この日はpm2.5がひどくて、かすんでいます。最近の画像は晴れていても、こんなのしか撮れません(/・ω・)/




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説明板に出土品の写真がありました。分かりやすくていいですね!
で、気になるのが右下の石鏃です。

「柳葉形磨製石鏃」というそうです。かなり高度な磨き込みですが、説明板にはこうありました。


「柳葉形磨製石鏃」は朝鮮半島で出土するものと良く形が似ており、支石墓と一緒にこの地に伝来してきたことがわかります。志登支石墓群は、大陸・朝鮮半島からもたらされた弥生文化のはじまりを知るうえで重要な遺跡といえます。


で、何が気になるのかというと、「支石墓と一緒にこの地に伝来してきた」という部分です。

朝鮮半島には[倭]があったことが『三国志』に書いてあるんですね。

『三国志』といえば「魏志倭人伝」が載っている本ですが、邪馬台国ばかりが話題になりますが、「韓」を何気に読んでいると、こんなことが書いてあるんです。



韓は帯方郡の南にあって、東西は海まで続いている。南は倭と境を接している。

弁辰の国々は鉄を産出し、韓、濊(わい)、倭の人々はみなこの鉄を取っている。

弁辰の瀆盧(とくろ)国は倭と隣り合っている。

どこにどの国があるのかよく分からないのですが、韓と倭は隣あって接していると書いています。

これって、もともと倭国が日本列島と朝鮮半島の南の範囲にあったということを意味していませんか?

任那(みまな)をあれほど取り戻そうとしたのは、倭国の一部があったからではないかな?



また、出土品の何もかもが朝鮮半島から南下したのでしょうか。
文化は双方向で交流したのではないか、という発想はないのでしょうか。

ある考古学者は数が多い方が中心地だと言われましたが、そうでしょうか。

福岡では出土しながら葬られてしまった遺跡を山ほど見てきました。福岡にはカウントされない遺跡や古墳がどれほどあるのか。出土品はどれほど失われてきたことか。

先日も岡本遺跡の所から多紐鏡の鋳型が発見されて、文化南下説の見直しが迫られました。

支石墓も別の所では倭人が埋葬されていたものがあるといいます。

素人だから言います。
これまでの学会内の因習を乗り越えて、科学的な分析を国民に提供してください。

と、思いながら帰路に付いたのでした。



あ~あ、言っちゃった (´・ω・`)





糸島市志登





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by lunabura | 2015-07-07 22:36 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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