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ひもろぎ逍遥

3月25日(土)のバスハイクは九州のお伊勢さんから神功皇后伝承地へ


桜のイメージを抱えたまま、今日、バスハイクのコースを決めました。


九州の伊勢とは糟屋郡久山町の天照皇大神宮と斎宮です。


その間を流れる川を五十鈴川(井野川)と言います。


天照皇大神宮は伊野神社と地元で呼びますが、神功皇后が裏の神路(かみじ)山に登って国見をしたと伝えています。


時期からして、仲哀天皇存命の時です。


パワースポットを尋ねられた時に私が紹介するのがこの神社です。

気の変わる場所がわかります。


手を合わせると、雑念がリセットされます。

無になれるんですね。


天照皇大神宮が内宮で、斎宮が外宮。


斎宮は神功皇后が出産したあと筑豊に行くまで滞在した宮です。


すぐ近くには審神者(さにわ)神社があります。


仲哀天皇の崩御後、琴を弾くのは武内宿禰になったので、審神者する人として中臣烏賊津臣が抜擢されて、そこにまつられています。


現地の警護が厳しかったようすが神社の掲示板に書かれています。


また、五十鈴川は外界との主要な道だったので、黒殿神社に武内宿禰が陣営を構えました。

そこに、いろいろエピソードがあるので、資料をバスの中で読みましょう。


そして、近くに久原本家総本店があります。

茅乃舎(かやのや)のだしで有名なお店です。

以上が久山町です。


で、トリヤス久山で食事をして、神功皇后が出産地に向かう道筋を通っていきます。


日守(ひまもり)八幡宮から駕与八幡宮、旅石八幡宮を訪ねます。


旅石八幡宮では神功皇后が「わびし」と言ったことから付いた社号ですが、境内に桜の道があります。ちょっと早いかな。どうかな。


そして宇美八幡宮へ。胞衣(えな)を納めたという裏手にも行きます。


そこには神領古墳群があります。そこから出土した女性らしいものを宇美町歴史民俗資料館で見学しましょう。


そして、ツタヤで休憩して、光正寺古墳と七夕池古墳を見学します。


道の駅がないエリアなので、ちょっと変わった休憩所を選びました。




 31回  神功皇后の足跡 糟屋郡

志珂郷 表粕屋 天照皇大神宮 宇美八幡宮 七夕池古墳  

2023325日(土)  案内 綾杉るな


斎宮は神功皇后が出産した後、しばらく滞在した所で、武内宿禰が黒男神社で陣営を構えました。


審神者神社には中臣烏賊津臣が祀られています。


天照皇大神宮のある山に仲哀天皇と神功皇后が登ったといいます。


日守八幡宮、駕与八幡宮、旅石八幡宮は神功皇后が宇美八幡宮に向かう途中に立ち寄った場所です。


ほかに神領古墳群、光正寺古墳、七夕池古墳など。途中、桜やバラ園を見て行きましょう。


天神 (9:00)=斎宮・審神者神社=天照皇大神宮=久原本家総本店=黒男神社=日守八幡宮・阿恵官衙遺跡・鶴見塚古墳遠景=駕輿八幡宮・バラ園=旅石八幡宮=宇美八幡宮・神領古墳群・宇美町歴史民俗資料館=ツタヤブック=光正寺古墳=七夕池古墳=天神


◆さて、実はこのコースはまだ守る会には知らせていません。(;’’)


でも、忘れないうちに、ブログに挙げておきます。


月曜日早々には守る会に送るので、申し込み、大丈夫かと思います。


(時々、まだ受け付けていませんと言われるそうです。

時期がはっきりしません。


多分、守る会の会員さんが優先だからだと思います。

臨機応変に対処してくださいませ)


申し込み先 歴史と自然をまもる会

092-408-7140 月~金 10時~16

参加費5000円は当日払い


集合場所は 福岡市天神の日銀の横

初めて参加する方、バス停が集合場所ではありません。

(前ではありません。ファミマまで行けばバスが見えます)


集合 845 出発 900








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# by lunabura | 2023-02-04 20:48 | バスハイク | Comments(0)

3月は五十鈴川の桜が見れるかな

先ほど、2月のバスハイクを再投稿しました。
すぐ次の記事に見れるようにしています。
2月25日(土)に行きます。主に阿曇郷になります。

で、3月の日程は3月25日(土)に決定しました。


そろそろ桜の季節ということで、盛りより一週間早いかなという感じですが、頭の中に久山町の天照皇大神宮と五十鈴川の桜が浮かぶので、そのルートを考えています。

天照皇大神宮は伊野神社と地元では言いますが、九州のお伊勢様と呼ばれ、その内宮にあたり、斎宮が外宮に当たります。

その間を五十鈴川が流れていて、すべて桜並木です。
ただ、もう部分的にしか桜の木が残っていませんが、豪華な春の景色が楽しめるかと思います。

この二社は神功皇后関連の神社なので、そこから宇美八幡宮まで、出来るだけその足跡を辿って行こうと考えています。

こちらはほぼ志珂郷になります。

また、詳細は追ってお知らせします。





3月は五十鈴川の桜が見れるかな_c0222861_21545322.jpg

3月は五十鈴川の桜が見れるかな_c0222861_15184581.gif

# by lunabura | 2023-02-03 14:11 | バスハイク | Comments(0)

2023年2月25日(土)のバスハイクは阿曇郷に行こう


2023225日(土)のバスハイクは阿曇郷巡りです。

福岡市の東区から新宮町、古賀市にかけての旅になります。


例の如く、お昼ご飯の場所から逆算してコースを作りましたが、大きな道の駅がありません。


そこで大勢で食事できる場所として、スウェーデン家具で有名なイケアのレストランにしました。


バスハイクにしては、珍しいチョイスです。時間もゆっくり取って、少しお買い物も出来るようにしています。



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で、肝心の訪問地ですが、まずは香椎宮に参拝します。古宮ももちろんです。


記紀には仲哀天皇が天下を治めた所と書かれているので、当時の日本の都は香椎にあったことになります。


この宮は大宰帥が赴任する時、必ず参拝する神社でもあります。

大伴旅人とか、来ているんですね。


志式神社には豊玉姫が荒ぶる神として祀られています。

神功皇后が神楽を七日七晩奉納した所です。


ここが317日の「玉垂」の舞台でもあります。


海神が祀られている綿津見神社には最澄の足跡もあり、最澄の火を千年以上伝えた千年家、投げた独鈷が着いた独鈷寺と関連の施設があります。


またすぐ近くに立花道雪の墓もあります。


誾千代(ぎんちよ)をNHK大河ドラマに、という声が挙がっていますが、その舞台の一つとなる所です。


また、最澄が上陸したという、古賀市の花鶴浜に近い鹿部田淵遺跡。


その近くにあるのが仲哀天皇と神功皇后が訪れた皇石神社。


また、花鶴川を遡れば船原古墳と小山田斎宮に出ます。


神功皇后伝承地巡りの第二巡目が何となくスタートしていますが、コースを変えると、さらに立体的な理解につながると思います。


30回 神功皇后、最澄、立花道雪 福岡市・新宮・古賀

阿曇郷 香椎宮 綿津見神社 独鈷寺 船原古墳

2023225日(土)  案内 綾杉るな

 香椎宮は仲哀天皇が天下を治めた所です。


志式神社はその軍議所で、干珠満珠の磯良舞を伝えています。


綿津見神社は三韓出兵時の嵐を鎮めたお礼に海神が祀られました。


最澄の足跡が綿津見神社、千年家、独鈷寺にあります。


梅岳寺は立花道雪の墓所です。


小山田斎宮は神功皇后が仲哀天皇の崩御の原因を神に尋ねた宮で、五所八幡宮はその道中になります。


船原古墳は前方後円墳の麓の土坑から馬具や武器などが未盗掘で発見されました。


鹿部田淵遺跡は筑紫君葛子が献上した糟屋屯倉説があり、最澄は近くに上陸しています。皇石神社は神功皇后が占いをした所です。


今回は阿曇郷を巡りましょう。



天神(900)=香椎宮=志式神社=綿津見神社=新宮歴史資料館=イケア新宮店=千年家=独鈷寺・六所宮・梅岳寺=五所八幡宮=船原古墳=小山田斎宮=鹿部田淵遺跡=皇石神社=古賀市歴史民俗資料館=天神





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# by lunabura | 2023-02-03 14:02 | バスハイク | Comments(0)

藤原四兄弟 宇合(うまかい)の場合 万葉集より


藤原宇合(うまかい)は藤原四兄弟の第三男だ。


万葉集に彼の歌が出てきた。


藤原宇合はある時、奈良の都から近江に向かう道中、石田の神社で幣(ぬさ)を捧げて祈った。


1731

山科(やましな)の 石田(いわた)(もり)に 布麻(ぬさ)()かば けだし()(ぎも)に (ただ)()はむかも


(山科の石田にある神の社に 幣を捧げて祈れば もしかしたら またお前に直接逢えるのか)



宇合が祈るのは都に残した妻との再会だった。


――こうして神に祈れば、生きて再びお前を胸に抱けるのか

今度はもしかしたら生きて戻れないかもしれない


そんな不安が頭をよぎったが、宇合はそれを打ち消した。








次の歌は福岡県の宗像市にある勝島で詠まれたと言われている。


1729

(あかとき)の (ゆめ)()えつつ (かじ)(しま)の (いそ)()(なみ)の しきてし(おも)ほゆ


(暁の夢にお前が出て来た 梶島の磯を越す波のようにしきりに思い出される)


旅の途中、明け方の夢に妻が出て来た。はっとして目が覚めた宇合は不安に駆られた。


――何故、お前が夢に出て来た

何かあったのか

お前は無事か。泣いてはいないか


宇合は何度も妻を思い出さずにはいられなかった。


寄せる波のように繰り返し、繰り返し。


ここに出てくる梶島とは福岡県宗像市の勝島だと言われている。






藤原四兄弟 宇合(うまかい)の場合 万葉集より_c0222861_21303255.jpg


(手前がアチメ浦。目の前の島が勝島。その奥の島が大島)


ブログではセオリツを探してアチメ浦に行った話を書いたが、その目の前にあったのが勝島だ。



三女神の筑前大島のすぐ手前にある。


アチメ浦と勝島の間はとても狭く、急な流れだった。


岸部では拳の大きさの石が波に流されてゴロゴロと音を立てるのを私は初めて聞いた。


そこで、藤原宇合はこの歌を詠んだのである。


宇合の人生を大まかにみると、22歳の頃に遣唐副使として唐に渡っている。


帰国すると按察使(あぜち)として常陸(ひたち)へ。


()(せつ)大将軍として蝦夷討伐へ。


また、知造難波宮事として難波へ。


長屋王の変では妹の為に、六衛府の兵を率いて長屋王討伐へ。


そして西海道節度使として筑紫へ。


その数は少々のものではない。


宇合は天然痘に罹って四十三歳で亡くなっている。


約二十年間の間にこれほどの任務があったのだ。


命がけの日々だった。


ようやく無事に家に戻っても妻とゆっくりする暇もなく、再び任地へ、あるいは戦いに赴(おもむ)いた。


藤原四兄弟が無体に栄華を極めたように言われるが、本当にそうだろうか。


万葉集を見ていて私は疑問に思うようになった。



宇合と妻の間に生まれたのが藤原広嗣だ。


宇合が死んで、わずか三年後のことだった。

「広嗣の乱」が起きたのは。


私は福岡や佐賀の伝承地を回ったが、謀反を起こしたというのは「濡れ衣だ」と思うようになった。


この歌を記録してほしい、という思いが何度も浮かび、今こうして書いている。


20230201


この話のカテゴリは「万葉と広嗣の乱」に入れています。


パソコンでは下に出てくる「万葉と広嗣の乱」をクリックすれば関連する過去記事がずらりと見れますが、スマホにはその仕様がない事に気づきました。


試みに「万葉集」でタグを作ってそこに入れてみます。


過去記事は入れてませんが、今日から、新しくという感じです。


バスハイクとか、玉垂とかも、スマホでは過去記事に辿れなかったんですね。


これから、新しくタグを作っていこうと思います。


(昔は20個しか作れなかったので使わなくなっていました)



# by lunabura | 2023-02-01 21:33 | 万葉と広嗣の乱 | Comments(0)

島酔い 海酔い してました


一昨日のバスハイクは朝はとても寒かったのですが、だんだん気温が緩んで、磐井君の菩提寺に着く頃には青空も見えていました。

空海の鎮国寺の山登り(ゆるやか)も、それほど大変ではなく、皆さん日常モード。

鎮国寺や宮地嶽神社は観光ルートに入っていて、再訪の方もありましたが、それぞれ奥の院までは行ったことがないという人もあり、かなりマニアックな旅になったかと思います。

楯崎神社も、手前の神社から奥の院へは未舗装の山道を登ったり降りたり。それでも皆さん元気。

この日は海がとてもきれいで行く先々、美しい海と島々が見えていました。

玉勝間 あべのしま と万葉集に書かれている相島。

藤原四兄弟の内、宇合(うまかい)が筑紫に来た時、妻が夢に出てきてとても心配になったという歌を残した勝島。

三女伸の大島。

思い入れのある島が何処からも見えるのです。

そして、なんと沖ノ島が見えました!

海のもやが掛かっていない日でないと陸地から見えない沖ノ島。

楯崎神社前の道路から見えました。

島酔い 海酔い してました_c0222861_19550742.jpg




画像は右に大島。左にうっすらと沖ノ島が写っています。

沖ノ島に矢印を入れたいのですが、Windows11は文字が入れられなくなって、残念。



この日は磐井君に祈った空海と最澄の存在を地形から感じた一日でした。


宮地嶽古墳も入りました。この日気づいたのはあの大きな石室の岩は砂岩だったこと。

楯崎神社の巨大な磐座と同じ組成でした。

歴史資料館も、当ブログ記事を読んでいったのですが、どれほど重要なものがあったか、今更ながらそれを伝えることの重要性を感じました。

見えなかったものが見えるようになるのが、自分でも分かります。


で、元気に家に帰ったのですが、昨日は頭の中が混乱して、ずっと異次元が重なっているような感覚になりました。

だから、無理せずにぼうっとしていました。

今週はロケで行った豊玉姫の相島、そして光の道から見える相島。

ずうっと見える海。

意識が幾層にも存在して、グラウンディングが出来なかったのです。

で、中国ドラマなんぞを見ていたのですが、蛇行剣がバンバン出てきてまた頭はフル回転。

脇巫女の時の星読(ほしよみ)が持っていた剣だったし。

最近発掘された龍をあしらった剣と同じシンボルだし。

南九州からたくさん出る蛇行剣が中国でも出ていたんですね。

(中国ドラマは創造した剣と出土例のある剣があるので慎重に見なくてはいけませんが)

ということで、ようやく今日になってパソコンに向き合いました。

次回は2月25日(土)ですが、お知らせしていましたっけ。

また、あとで調べておきましょう。

PS
Mさん。

筑紫神社について「筑前国続風土記」で調べましたが、磐井の記事は見つかりませんでした。

ほかの資料かもしれません。よかったらコメントで教えていただけませんか?

よろしくお願いします。

<20230130>



# by lunabura | 2023-01-30 19:58 | バスハイク | Comments(3)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25