ひもろぎ逍遥

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ウーナ56 七つの珠17  サワラビメのミコト1



ウーナ56

七つの珠17  

サワラビメのミコト1
 



その日は白皇の右目が初めから変だった。

ワダツミの神の話が終わって一段落すると、
白皇は敵対するような眼つきになった。

「ジンムか?話を聞くゆえに、その者を解放せよ」
と、菊如が言うと、その存在は崋山に懸かった。

その男は両手で誰かの首を絞めるような動作をし、
「ひと~つ。ふた~つ。みいっつ。
ひと~つ。ふた~つ。みいっつ」
と低い声で挑発するような物言いをした。

菊如は言った。
「鐘を鳴らしながら来られたんですね。銅鑼(どら)のような」
それを聞くと、男はすばやく剣を抜く構えをした。


菊如は「どちら様ですか」と尋ねた。
「我に何を尋ねる」

「菊如と申します」
「我の邪魔をするでない」

「どんな邪魔ですか」
「あの宮はわれらの物」

「どちらの方から来られたんですか。あの宮に」
「我らは海よりあの宮にやって来た」

「周りは海だったんですか。干潮と満潮の差が激しい所だったんですか。何ゆえに来られたのですか。どなたかいらっしゃいましたか。多くの者が見えますけど」
「わしの仲間か」

「いえ、もともと居た」
「あそこに住んでいた者のことか。
あの一族?
海を自由に操る一族。
海神族。
そう我らは聞いておる。我らの行く手をはばむ一族」

「大きな一族のようですね」
「ああ。一説には海の底で暮らしている者が上がって来たとな。
海の底にある宝をた~んと持つ、不思議な一族だとな」

「あなたのお名前は?」
「わしの名はジンムではない。ジンムは動かぬ」

「イワレビコですか」と私は尋ねた。イワレビコとは神武の本名だ。
「イワレビコではない。わしの名はサワラビメのミコトだ」

「ウガヤフキアエズをご存知ですか」と菊如が尋ねた。
「ウガヤフキアエズか。あの地を去った。自分で去った。
去ったのか?
去って何処に行ったのじゃ。
ウガヤフキアエズは去ったのか?」

「去ってないのですか?それはどういうことですか?」

訳の分からないことを言い出した男は白皇に向き直って言った。
「そなたは去ったのか。あの地から」
含み笑いをしていた。

「殺されたのですか?」
と菊如が尋ねると、男は笑った。


20180622

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# by lunabura | 2018-06-22 23:45 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

ウーナ55 七つの珠16 ワダツミの神



ウーナ55

七つの珠16 

ワダツミの神
 

その翌日、3月14日。
緊急の案件があって結願に参加した。

五つの珠に関して確認をし、それから、問題解決のための結願をした。
無事にそれを終えて休息していると、語り掛ける存在があった。

それは祭壇に置かれた二つの石を通して現れた。
そして崋山に懸かった。

その存在はゆったりとアグラをかき、上機嫌で拍手をした。
パチパチパチパチパチ。

「あわてぬとも良い。良き、良き。
この時のため、この場所にいた。
今から始まる。
さあ、何が聞きたい」

菊如は既に誰なのか分かっていたようだが、改めて尋ねた。
「どなたさまでしょうか」

「ワダツミの神のほんの一部だ。
竜宮の門を開けよ。
大島の竜宮だ。
わが本体はあの日しか、あの門を開けることはできぬ。
あの海より船で渡り、七つの道具を我が血筋、投げ入れよ。
集める物をあの門より投げ入れよ。
ワダツミの神の復活。
そのままでよい。
いずれ本体をつなぐ役割をする。

和布刈(めかり)に行き、わが杖を。
そして最後に竜王崎に豊玉姫を迎えに行き、預けた竜宮の門の鍵をもらい、
玉手箱の中にすべてを入れ、門の鍵を上に置き、投げ入れよ。

すべてのワダツミの祠(ほこら)にワダツミが戻る。
海より来たる敵、我が国を滅ぼさんとする者、封じることとなる。
あとは任せればよい」

「和布刈神社ですね。金と銀の扇を持った人と行った所ですか。
九州と山口の間の波が回る所の下ですね」

「杖はそこで。午前中に行けばよい。
白皇がすること。手を広げればよい。その手に私の杖が乗る。
縮めれば小さくなる」

そう告げると、しばらくして石に戻って行った。

その石は数年前、菊如たちが志賀島の勝馬(かつま)すなわち、沖津宮のある浜からもらってきた物だった。

二つある。
一つは船、一つは帆のような形をしていた。
組み合わせるとまるで帆掛け船のような形になった。

ワダツミの神の言葉を聞いて私はいささか驚いた。
これから困難があるのかと思っていたが、
いともあっさりと二つの奉納先が告げられた。

一つはやはり和布刈神社だった。
そして、もう一つは糸島。
道に迷って偶然に行った船越の綿積神社だった。

それから、揃った物を持って行くところは大島。
そこにある竜宮の島。
それが何処にあるのか。
候補はあったが、これまた行ってみないと分からなかった。

持っていく日は5月3日。
その日に竜宮祭が行われるのは分かっていた。
既にその祭に参加することを決めていた。
連休なので、宿も早くから抑えていた。
決行するのはその日だ。
場所はきっと現地で分かるだろう。
多分、厳島神社から見える海だ。

その前に、あと二つを奉納しに行こう。
四人の日程を合わせればよい。

既に時間は22時になろうとしていた。

これで終わりだと思ったが、話そうとする別の存在が現れた。



20180621




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# by lunabura | 2018-06-21 21:20 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(2)

ウーナ54 七つの珠16 ワダツミの龍



ウーナ54

七つの珠16 

ワダツミの龍
 

七つの珠の内、五つが奉納できた。
残るはあと二つ。
それを何処に納めたらよいのか、いくつかリストが挙がった。

北九州市の和布刈(めかり)神社は豊玉姫が夫の彦ホホデミと皇子のウガヤフキアエズと共に祀られているので、確実だろう。

そこでは干珠満珠の秘儀が和布刈神事の形で伝えられている。
関門海峡を前にした磐座の宮でもある。

神功皇后関連の百社を選ぶとき、ラストの百番目に取り上げた
思い入れのある宮でもあった。


もう一つは?

神功皇后が干珠満珠を奉納した下関市の干珠満珠島か。
それを見晴らすのは豊功(とよこと)神社だ。
これもまた拙著の冒頭を飾っている。
しかし、福岡県外にあった。
福岡県内という条件からはずれるのが気になった。

もう一か所の候補地。
それは新宮町の相島の若宮神社だ。
豊玉姫と玉依姫が祀られている。
一説にはウガヤフキアエズも一緒だという。
しかし、崋山は「ここではない」と言った。

では、残る一社は何処なのか?

ここまで絞り込んだ時、菊如から連絡があった。
それは糸島に行った二日後。3月13日の夜だった。

糸島の日以来、崋山と菊如そして白皇たちは持ち帰ったものを精査していた。
その結果は既に五社の各宮に書いている。
どれもが目的の物だったという。
これを聞いて安堵した。


そして、三人が集まった時に染井神社の龍が出て来たという。
菊如が「ここには龍がいる」と言った神社の龍だ。

左半身をケガしていた。

この龍はワダツミの神に仕えていた龍で、染井神社で祀られていたのだが、
350年前に池を作った時に置いた石が、
龍の左肩にクイを打つ形になってしまい、
大蛇になってしまったのだという。

菊如たちが龍のケガを癒すと復活し、「ワダツミの龍」と名乗ったそうだ。

その礼なのか、話をしていったという。

ワダツミの神が封印された時、法具が七つの方向に散らばったのだが、
これが再び揃うと、海の中から嵐を起こすことができるようになるという。

ワダツミの神の復活。
これが七つの珠の奉納の目的だったのだ。







c0222861_19505462.jpg

これは染井神社の社前の池。右手に三角の石がある。
これなのだろうか。崋山がこの池を知る由もない。









c0222861_19511817.jpg

これは社前から見えた木。不思議な形をした白い木。

20180619











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# by lunabura | 2018-06-19 19:52 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(6)

ウーナ53 天山12 千葉氏が晴気に住んだ



ウーナ53

天山12 

千葉氏が晴気に住んだ
 


小城では殿様の名に「千葉氏」という名がよく出てくる。

「須賀神社由来」にその始まりが書かれていた。

「肥前国の地頭職であった千葉大隅守平胤貞は正和5年(1316)鎌倉幕府の命により、九州下向(略)」とある。

その名について、同じ須賀神社に掲示された「千葉城跡 須賀神社」の方では「千葉大隅守胤貞」とあり、「平」の字が無い。いずれが正しいのか分からないが、地元では「平氏」ではなく、「千葉氏」と呼んでいる。




c0222861_2316860.jpg

その胤貞は
「下総国(千葉県)より下向し、晴気に居住し、それとともに千葉城をつくったとしています。」
とあることから、まずは「晴気」に住んだことが分かった。

晴気に住みながら須賀神社の地形をみて山城を造ったのだろう。


この千葉氏について、真鍋大覚が記録を残していた。(儺の国の星p21)

「千葉なる氏姓は楢山を切り薪炭を生産し、これを燃料として得られる鉄の地金を切り売りする家系で、時には司馬、或いは斯波なる富豪が戦国の世に輩出した。」

ここには、まさに千葉氏が小城に来た目的が示されていた。

千葉氏は燃料生産から産鉄の技術と販売ルートがあったので、
鎌倉幕府から晴気に配属になったのだ。

これによって、晴気には鉱物資源が豊かにあったことが、
さらに想像できるようになった。

真鍋によると、シバの付く地名は川や沼、河口で流木が堆積した所に付けられているという。これは晴気の地形そのものでもある。

さらに、シバの語源はジンバルすなわち、英語でいう宙づりの器と同源で、天秤の形も同源としている。

エジプトのナイルでは「麦や綿を計量販売を司る神はソプトと言った」
とも書かれている。
ソプト神とはシリウスのことである。

シリウスは坩堝の民にとっても神であり、計量の神だったのである。
千葉氏の職能から、シリウス信仰があったことを暗示しているのかもしれない。

千葉氏は製鉄に必要な薪炭を生産する職人を抱え、製鉄、販売までを司っていた。
それを古くは国栖氏や賀茂氏が行っていたのだ。
これが晴気の持つ重要性だろう。

須賀神社に行けば晴気の謎解きのヒントがあるかもしれないと思っていたが、
想像以上の収穫だった。

20180618




◆今日の大地震、皆さん無事だったでしょうか。
熊本地震では二度目の方が大きかったです。
大難が無難になりますように、お祈りします。
           




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# by lunabura | 2018-06-18 23:17 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(2)

ウーナ52 ヤマトタケル2 須賀神社



ウーナ52

ヤマトタケル2 

須賀神社
 

小城町(おぎ)の松尾という字に丘陵があり、須賀神社が鎮座している。







c0222861_207468.jpg

ざっと70mほどの標高のようだ。








c0222861_207593.jpg

そこに取り付けられた石段はまっすぐだ。
いつも誰かが登って参拝している。


景色を眺め眺めしながら、登ればそれほど苦労はしない。









c0222861_2082167.jpg

頂上の社殿は参拝する場所がやっととれる程度に狭い敷地に建っていた。

祭神は健速須佐之男大神、櫛稲田姫大神の二神だ。

かつては祇園社と呼ばれていて、桓武天皇延暦22年(803)の創建と言われている。

803年といえば、天山下宮社三社創建からちょうど百年後に当たる。










c0222861_2085794.jpg

拝殿の右手すぐに稲荷社があった。









c0222861_2091689.jpg

左手には天満天神社。

左右に鉄の民の神が祀られていた。
しかも、社殿の後ろは絶壁だ。







c0222861_20112517.jpg

製鉄には最適の地形だった。

こここそ、風土記に描かれた土蜘蛛の砦だったのではないか。
思いはますます募る。










c0222861_2094281.jpg

参拝を済ませて祇園川のほとりで数人で話し合った。
ここに土蜘蛛が居たとすると、ヤマトタケルはどこから攻めたのか。

景行天皇は軍勢を連れて大仰に正面から宣戦布告したが、
土蜘蛛からみたら、「いったい誰がわめいている」、
その程度の認識だったのではないか。

正面は見晴らしが良い。

だから、ヤマトタケルは夜陰に紛れて川を越えて、
裏から登って土蜘蛛の長を一撃したのではないか。


ちょうど、直前に佐賀市で熊襲タケルを襲撃したように。
ここまでは武内宿禰が道案内したに違いない。

あと20キロ西に行けば拠点の武雄(たけお)に着く。
そんな結論だった。

丘陵はいかにも高地性弥生集落が営まれたような地形だ。
しかし、中世時代に山城を造った時、痕跡は失われただろう。
そんな事も考えた。




ここは鎌倉幕府の命により、千葉氏が下向し、八坂神社の分霊を勧請したのだという。

千葉氏。
なんと、その千葉氏が当時、「晴気に居住」していたと看板に書かれていた。

思いがけず「晴気」(はるけ)の地名が出て来た。
天山神社を歴史カフェでやっていなかったら、気づかなかっただろう。

もともと持統天皇が晴気の価値を知っていたのだ。

飛鳥時代から戦国時代までその価値が知られていた。

千葉氏については、真鍋が記録している。
製鉄に関わる一族だ。
真鍋の本を調べよう。

(つづく)

20180617




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# by lunabura | 2018-06-17 20:12 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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