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ひもろぎ逍遥

海ばかり見ている

  

お籠りの暮らしも一月以上になった。

今、星の世界からは、人々に「何がしたいのか」という課題が出されている。


結果、私は撮りためた海の画像ばかり選んで、見ている。


神功皇后を通して海の神々を知り、いろんな海を見ることが出来たんだと思うこの頃だ。









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海ばかり見ている_c0222861_2241814.jpg

いずれも志賀島の勝馬(かつま)。同じ場所だが、違う日に撮ったもの。

神功皇后が馬から降りて歩いたことから、下馬が浜ともいう。




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# by lunabura | 2020-04-04 22:04 | 「ワダツミ」 | Comments(0)

奈多の浜 

 

ブログを始めた頃、出会ったばかりの女性が私に「是非連れて行きたい所がある」と言った。
待ち合わせて案内されたのがこの海だった。










奈多の浜 _c0222861_19484869.jpg

志賀島へと続く海の中道の根元にある「奈多の浜」だ。

 そこに立って、はっとした。
ここはかつて来た海だった。
ずっと昔、志賀島の友人が連れて来てくれた海だったのだ。

 思えば、これも何かの縁だったのだろう。

 この海から失われた歴史を辿る旅が始まった。

 ある日、独りでこの海に来た時、この後ろにある志式神社の氏子さんから「ここに伝わる神楽があるので、是非見に来てください」と言われた。

 そこで、私は初めて神楽というものを見た。
その中の「磯良舞」は、この海の底に綿津見神がいて、干珠満珠を授ける神楽だった。
磯良神が綿津見神に会いに行くが、結局、干珠満珠は豊姫に授けられ、夫の武内宿禰に渡された。

 この舞を見てから、一週間後、偶然にも久留米市の高良大社でも同じ話を伺った。

 そして数年間、数百の神社を周り、安曇磯良とその海神が玉垂命として祀られていることを突き止めた。

 分かりやすい証拠を挙げておこう。

 高良玉垂命に奉納する品に覆面の布がある。覆面をする神は安曇磯良だ。
 高良の神は子(ね)の日に三本の松を植える。志賀海神社の神幸祭の舞で磯良は子(ね)の日の松を舞う。

 「玉垂」とは干珠満珠を垂れる(与える)こと。
 その干珠満珠は海神の娘、豊玉姫と玉依姫に例えられた。

 そして、山幸彦と結ばれた豊玉姫はこの宮に荒ぶる神として祀られていた。 



 この海は福岡市東区 志式神社の海

<20200403>



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# by lunabura | 2020-04-03 19:50 | 「ワダツミ」 | Comments(0)

竜宮門

 


竜宮門_c0222861_20451612.jpg


このブログが始まった場所。
志賀島の二見岩。

雲に覆われた日、一箇所だけ雲が開いて、スポットライトのように光が海を丸く照らした。

まるで、竜宮城の入り口を示すように。

そこで、勝手にここを竜宮門と名付けた。

そして、日を改めて掃除道具を持って手前の道を掃除していたら、海から女性が上がって来た。

黒いビキニで、顔は興福寺の阿修羅像そっくりだった。

美しくて、私はまじまじとその顔を見つめた。

彼女は両手にゴミ袋を抱えていた。

シュノーケルを付けて海の中のゴミを拾い集めたのだ。

同じ日、同じ時間にここを彼女と私が偶然に掃除をした。


あれから、8年程たって、この海の不思議な物語を書き綴っていた。

ワダツミの神と姫神たちの物語。


振り返れば、まさにゲートが開いた日だったのか。




<20200401>




 竜宮門_c0222861_15184581.gif

# by lunabura | 2020-04-01 20:47 | 「ワダツミ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ54 仲哀天皇 



それから時が経って、仲哀天皇を呼び出すことにした。

病弱だった仲哀天皇は島根出雲にあった朝廷で即位したという。
それから福岡の香椎宮に遷宮したが、その最期は側近のスクネに毒を盛られたというものだった。

すぐに仲哀天皇が現れて、語り出した。

「これが私の終わり。私のこの世に生を受けた因果。
私は何の意味を持ってこの世に生まれ、時を過ごし、生命を閉じる。
私の生に何の意味があった。
人として生きる中で、何者かの考えですべての事柄が進む。自分の意味とは関係なく、一つのコマのように物事が進んでいく。私の生きる意味は何だった?
未だに分からぬ。

私は長く床に臥せ、考える時間が沢山あった。私の想い描いていた私の世界は、今のこの私を取り巻く周辺とは違った。ふと現実に戻る。身体は言うことを聞かず、意見を問う者もおらぬ。すべては
まるで人形のように、こんな世に生まれたくはなかった。
私は生を恨んだ。周りからは崇め奉られ、当の本人は…。

私は一つ思った。
本を読んだ。輪廻転生というものがあって様々な人生を歩むことを。
次には誰にも頼らずに切り開いてみせよう、誰かの策略には乗らず、自分で切り開こう、そう決めた。

私の名を見てみよ。哀しみしか無い名前だ。その私の名はすべてが現れておるではないか。
何か言いたいことはないのか」

菊如が言った。
「天皇の家系に生まれた方々は皆複雑な背景の中におられ、そこに生まれただけで大変な思いをされていますが、食べる事もままならぬ人生に生まれた者もいます」

「天皇になりたくて生まれたわけではない。
何をするにも一人では出来ず、三、四人がいつもついて歩いた。それが幸せか。
私の自由の時間などはない。
事ある毎に、天皇の意味、この国の長たる姿、心得、そればかり重んじる。自分の心と周りの状況はどんどん、ずれていった。自由に山、海を…いいや海など見たことは無い。この意味が分かるか」

「どういう意味ですか」
「この国に伝わる伝承とは違う」
「駕籠の中にいたのですか」
「私は幼い頃から持病を持ち、身体は強くなかった。私の影武者が三人作られた。私は名前が生きておった。私ではなく、私という名前が大切であった。この国ではそういうこと。
私の名。私という家系が大切だった。

そなたとの話は後に。政治的な流れを聞きたい者がおる」

そう言うと、仲哀天皇は私を見た。
ここからは私が尋ねた。
「あなたの名前を教えてください。本当の名前です」
「私の名は栄天(えいてん)」

「仲哀天皇になられたのですね」
「私はその名は好かん。哀しい、つらい、寂しい、空しいが詰まった名だ」

「慈恩さんではなかったですか」
「慈恩だ。我らの時代は位が進むうちに名前が変わる。慈恩から七歳の時に栄天となった」

「天皇になったのはいくつの時ですか」
「十五の時だ」

「お父さんはどなたですか」
「父親?私の中では父親と共に触れ合ったことはない」

「お父さんは天皇だったのですか。お名前は?」
「神武だ」

「あなたの前の天皇はどなたですか」
「前の天皇は女性と聞いた。私は天皇らしきことは何もしていない。床に臥せってばかりで」

「景行天皇の名前は知っていますか」
「会ったことは無いが、名前は聞いている」

「あなたの一つ前の天皇は女性だということですが、成務天皇ですか」
「女性なのに方々を動き回った。先頭に立って各地を回って行脚したと聞いている。
ある日、次の天皇が私だと知らせが来た。どうにか排除することはできないかと言ったが駄目だった」

「天皇になった時、妃はいたのですか」
「十七歳の年にある女性と知りあった。いや、勝手な縁組よ」

「どなたですか」
「夫婦になった時の名か」

「はい」
「神納(じんのう)。そういう者に興味はなかった。生命が尽きるのを待った。書物で魂は生まれ変わることを知って、早くこの生命が尽き、普通の思いのままに生きていけるように願った。この国にはとらわれず、もっと広い地、狭い国でなくて、生まれ変わりたいと思った。
この国には何の未練もない。恩恵を感じたことも、血筋に捉われたこともない」

この神納という人が神功皇后のことだ。

仲哀天皇自身が言うように、この話は日本の歴史とは全く系譜が違っていた。

歴史では12代景行天皇の子供にヤマトタケルや後の13代成務天皇がいた。ヤマトタケルの子供が14代仲哀天皇だ。ヤマトタケルが若死にしたので、13代は弟の成務天皇が即位したが、成務天皇が死ぬと甥の14代仲哀天皇が即位した。仲哀天皇には妃がいたが、即位して神功皇后を皇后として迎えた。


これに対して、異世界の仲哀天皇は次のように答えた。
仲哀天皇の幼少の名は慈恩。7歳の時に栄天となり、15歳で即位した。17歳の時、神功皇后を后とした。
父は神武。(これが初代神武天皇かどうかは未確認)
仲哀天皇の前の天皇は女性天皇。これが成務天皇の時代に当たる人となろう。

景行天皇は存在しているが、ヴェベル・エンコアがすり替わったかもしれない。
ヤマトタケルはヴェベル・エンコアの子。

経歴を書き変えれば、何となく歴史と対応する印象を受けた。

さて、この後、「脇巫女」がどのように展開するのか、あるいはしないのか、誰も知らない。


<20200331>





パラレルワールド 異世界小説

「脇巫女」はコチラ  
「脇巫女Ⅱ」を始めから読む⇒コチラ


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# by lunabura | 2020-03-31 20:02 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

ほうれん草



ほうれん草


桜がまだまだ五分咲きですが、藤の花も五分咲き!
藤の花はゴールデンウイーク頃に咲く花なのに、一月以上も早く咲き始めました。

昨秋、蒔いたほうれん草や春菊は間引き菜の頃からずっと楽しめましたが、ようやく大人の姿になりました。



ほうれん草_c0222861_1943465.jpg

二つとも茹でて、ほうれん草は鶏皮の揚げたのと一緒に。
それに飽きたら茹で豚と一緒に。
春菊は白和えや吸い物に。

庭から摘んで、気分で決めています。


藤の花を見て、ミニトマトの苗を植えようとしましたが、ほうれん草などはまだまだ片付けるには早いので、一坪菜園はそのままにして、一部を鉢植えにしました。

昨年は晩春が無く、いきなり夏になったので、剪定が遅れてしまい、花芽を切ってしまったものもありました。今年も花と新しい葉芽が一緒で、どうしたものか悩んでいます。

誰だ?るなさん、料理するの?って。
良く聞かれるんですが、三度三度食事を作ってますよ。


<20200330>



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# by lunabura | 2020-03-30 19:43 | にっき | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25