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ひもろぎ逍遥

「ワダツミ」のケルト版か




今日は藤枝守氏とお茶を飲みながら話をした。

今月には「八雲の向日葵」(小泉八雲のひまわり)が発表される。



藤枝氏は東京から福岡に引っ越しして、志賀島に出会い、その神々の物語をオペラにする衝動が生まれたらしい。氏は恐らく、神々に招かれたのだろう。



今回の「八雲の向日葵」も、ラフカディオ・ハーンが日本に来て「小泉八雲」と名乗り、私達の国の物語を採集してくれた、そんな流れの中に存在している。


「うなさか」という言葉に触発されて生まれた今回の作品は、おそらくワダツミの物語のケルト版なのだろう。


「うなさか」で私達が思い起こすのは、豊玉姫が子を残して戻って行く時に閉じた海の門。

糸島。二見岩。


いずれも海に通じる門。

この単語は何人もの人を巻き込んで、戯曲へと昇華しようとしているようだ。


藤枝守氏は志賀島をテーマにオデユッセイのように、これからも壮大な物語を語り続けるのだろう。



2018年の冬至の日に演じられた「イソラ2018」の時に「次の脚本は綾杉さんに」と言われた。


そしてある日、その全容が私の中で形になった。


これが演じられるかどうかは、神まかせ。そう思った。


ただ、生まれた物を藤枝氏に伝えていた。

それが、来年には形になろうとしている。


演題は「玉垂」。



あの「イソラ2018」の海の底の世界をもう一度感じたい。そう思って作った安曇磯良の物語。それが「玉垂」だ。



それが、現実化する感触を今日は得た。



そして、さらには前回、会った時に出て来たのが仲哀天皇の琴の物語。

そのテーマを頂くと、私の中では完成した形がただちに生まれた。

今日は、それを紙に落とし、話すためのお茶飲みだった。


これを渡したとたん、今度は藤枝氏の中で琴の音が響き渡ったらしい。

「ものごと」が生まれる瞬間。



それは神と通じる瞬間でもある。

それを目撃するのは何よりの喜びだ。



多分、藤枝守氏はワダツミの神のオデユッセイを、あるいは志賀島のオデユッセイをこれから壮大な戯曲にして少しずつ語るのだろう。


今回の「八雲の向日葵」もその一部だ。



あの「イソラ2018」を共有した皆さん。あるいは行けなかった皆さん。

再び、あの幽玄の世界で共に過ごしましょう。


私は「森本能舞台」と「箱崎水族館喫茶室」の二つを鑑賞する予定です。



ちなみに、パンフレットの画像は志賀島の沖津宮で撮ったものだそうです。

ひらめいた一瞬を切り取ったものだとか。



イラストでは表現できない世界です。









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<20210610>


# by lunabura | 2021-06-10 20:40 | 甕の音なひ | Comments(0)

コメントの返事


コメントの返事をようやく書きました。

すべて返事ができなくてごめんなさい。



# by lunabura | 2021-06-06 20:36 | にっき | Comments(0)

5 伝導上人 ここで修行をした



202163日。

田川市の大岩山弘法院に参拝してちょうど一週間目だった。

私達は歴史結願を行うために集まった。


その朝、菊如は「はじむこう」という言葉を聞いたという。

辞書には載っていない言葉だ。

「黎光」という字だろうか、と菊如は言う。

――夜明け前の光か。

鹿児島の高千穂峯で見たご来光を思い出した。

真っ暗な中に一本の紫の光が立ち、すぐに暗闇に戻った。それから次第に太陽の光があらわれた。

そんな光だろうか。


そう、このシリーズもたまたま「ヒカリ」と名付けていた。

実は「光の道」から始まったのだが、それもおいおい記していこう。

「はじむこう」の意味も後に分かるのだろう。


この日、話を聞く相手として、「崋山が観た仏僧」と、「菊如に声を掛けた九寶(くぼう)龍神」に絞った。おそらく、姿を現してくれるだろう。








5 伝導上人 ここで修行をした_c0222861_13155481.jpg


さて、ここで、前回まで伏せていた鏡岩の仕掛けについて記しておかねばならない。

鏡岩は龍穴であり、岩の後ろは洞窟になっている。



もう一か所の洞窟と共に崩落の危険があり、ブログを読んで、中に入る人が出ないようにという思いで洞窟の存在を伏せたが、この話をしておかないと、今日の内容が分からない。


弘法院では神託があって、洞窟の崩落の危険があるので、仏像を外に出すようにと言われたという。

決して中に入らないでほしい。先にそれを記しておく。



結願が始まった。


出て来たのは男だった。

はあ~、と深い息をし、伸びをしながら周囲を見回すと、かすかに微笑みを浮かべだ。


「はじめまして。菊如を申します」と挨拶をすると、男は合掌して微笑んだ。

菊如は「九寶龍王から伺ったのですが、何時の時代か、あなた様に見つけられたそうで。そのあと、他の人がこの地に鎮座させられたと聞いたのですが」


男はうなずいて答えた。

「私の名前は、デンドウと申します」


「何をなさっていた方ですか」

「あそこは、もともと私達の修験道場でした。多くの行者たちがあの地を道場として修行し、それが済むと、それぞれに他の山に入って行く、そのような行を行っていた場所です。

多い時には130人ほどの者たちが山に入り、あの地で身体を癒しながら休み、再び山に入るという場所でした。



私が尋ねた。

「お名前は、漢字でどのように書くのですか」

すると、男は「伝導」と書いた。


「あの鏡山で修行されていたのですか」

伝導はうなずくと、

「そこはもともと、代々の天台の修行者が使っていたものです。穴の中は修行僧が周りとの関わりを途絶えさせ、おのおのの世界観の中で深い瞑想をするところでした。三十人から五十人の修行僧がその中に入り、一心に阿弥陀仏を願って行をしていました。


あの奥はだんだん細くなって、洞窟のようになり、ずっと進むと水の湧き出る池に繋がっていました。

池は干上がって、湧き水がチョロチョロと出る程度になっていました。


九寶の龍神は、私があの地に入る200年ほど前のことです。ここが開けていない時に九寶上人(くぼうしょうにん)が、一人で入っていました。


ここは異空間というか、一般的な山ではありません。人間社会から離れて山に入れば、草、木、鳥などの息吹が感じられるのです。洞窟の中ですべてのものを遮断して、自分の呼吸を突き詰めると、血液の流れまで体感できる境地になります。


自分を見つめ、世の中を見つめ、

自分は何故この世に生まれたのか、人間は何故この世に生まれてくるのか、


阿弥陀は何を教えているのか。

阿弥陀のその想いに近づけるようにと。


人間の五感を、外では無く、自分に向ける。


そのような行をするためのあの地です。

(つづく)


20210605




# by lunabura | 2021-06-05 20:48 | Comments(0)

4 鏡岩―鏡山ラインは「ハズレ」だった




チェリーが早速ラインを調べてくれた。







4 鏡岩―鏡山ラインは「ハズレ」だった_c0222861_20371546.jpg


これを見る限り、弘法院―真行寺―鏡山大神社は一直線には並んでいない。

東西の関係もない。

しかも、一ノ岳の頂上が不明なので、これも特定できない。

ということで、一つの仮説はハズレになった。


この結果を見て、思い出したのは弘法院から見た一ノ岳の山壁だった。



4 鏡岩―鏡山ラインは「ハズレ」だった_c0222861_20375153.jpg


岩肌が露出しているが、そこが千の仏が並んでいるような印象を受けるのだ。

あるいは千の神か。


石灰岩が浸食されて、人影に見えるようだが、周辺の樹木の茂り方を見るとここだけ石灰岩の地層が露出しているようだ。






4 鏡岩―鏡山ラインは「ハズレ」だった_c0222861_20381943.jpg





千年以上も前の光景とは違うだろうが、この風景を千仏として遥拝したのではないか。

上部が削り取られて居なかったら、さらに上の方にも千仏が並んでいたのかもしれない。

そんな事を考えた。いや、単なる妄想だ。



香春岳は白い山として信仰された時代がある。

格別な山だったことに違いはない。



最澄がこの山の周辺に六ケ寺を創設したのは史実だ。

その目的については、夏羽、田油津姫兄妹を供養した、遣唐して無事に帰国した御礼、日本武尊の導き、などなどがあった。多分、一つに絞れるものではなく、いずれもが含まれているのだろう。



そして、チェリーが最澄に関わる二つの寺を見つけてくれた。

一つ目は神宮院、高座石寺という。


<天台宗の開祖、最澄は804年、桓武天皇の命で唐の国へ渡る際、宇佐神宮に詣でたところ、当時香春明神と呼ばれていた神宮院に行くようお告げがありました。最澄は遣唐使として渡唐し、805年帰国して天台宗を開きました。>

とある。


すると、最澄は渡唐前から香春岳の存在を知っていたことになる。

これなら、最澄の六ケ寺は香春岳を中心にして配置されたと考えてよいだろう。


その二つ目は妙法山 蓮華寺だ。その詳細は分からない。


これによって、前回の、真行寺を入れると三つの寺が見つかった。


思えば、六ケ寺については、田川市の観光協会とか、教育委員会に問い合わせた方が早いなと思った。


何せ、あの最澄の寺なのだ。このような形のものは日本国内にも存在しないのではないか。

これに、三つの神社を合わせると、九つもの史跡が田川には存在することになる。

ちなみに、三つの神社とは、若八幡神社、白鳥神社、風治八幡宮だ。


これって、すごくない?

日本遺産レベルだ。

しかし、日本遺産は締め切りになった。



20210601



# by lunabura | 2021-06-01 20:39 | ヒカリ | Comments(2)

3『高良玉垂宮神秘書』に書かれた香春岳は「高良岳」だった



「香春岳」は「かわらだけ」と読むが、万葉集には「加波流」と書かれていて、「かはる」と呼ばれていたことが分かる。


「豊前国風土記逸文」では「鹿春」と書いて、やはり「かはる」と読ませている。


その語源は鹿春郷の中を西に流れる真漏川(まろがわ)の瀬が清いので、「清河原」(きよかはら)の村と呼んだことからで、「清河原」が「鹿春」に変化したという。「かはら」⇒「かはる」だ。


「かはら」の方が古いことになる。真漏川とは現在の金辺川のことだろう。


さらに、川の北にある峰について、一ノ峯の頂上には沼があって黄楊(つげ)の木が生え、龍骨があると記している。


また二ノ峯には銅と黄楊、竜骨があり、三ノ峯には龍骨があったという。


一、二、三の岳の記述から、「北にある峰」とは香春岳のことだと分かる。龍骨とは恐らくは化石で、薬材だったのだろう。


この香春岳のことが『高良玉垂宮神秘書』にも二か所ほど記されている。

そこには香春岳が「高良峯」と名付けられたことが記されている。


高良(こうら)は他の地で「かわら、かはら」と書かれている例があり、「かはら」⇒「こうら」と変化した可能性を示している。


さらに『神秘書』には、「香春」の字が当てられた理由として、仲哀天皇が崩御した時の勲香にちなんだとしている。香椎宮の香椎と同じ理由だ。


そして、さらに香春岳を巡る戦いが記されている。

それは高良と英彦山の争いだった。






3『高良玉垂宮神秘書』に書かれた香春岳は「高良岳」だった_c0222861_19404058.jpg

212条を訳そう。


<豊前国に一峯二峯があるが、異国から異類が攻めて来たら、その三ノ峯に高良三所大菩薩が降臨して異類を退治しようという御誓いを立てられた。


また、異国征伐の時にその三ノ峯に高良は登られて異国異類の様子をご覧になったことから高良峯と名付けた。


しかし、彦山権現は謀り事をして三の峯を洗い崩そうと、近くの山から樋を架けて水を流したところ、高良大菩薩は透視力でお気づきになり、その樋を蹴りのけられた。


そのため、彦山の領地三百余丁、白河原にその水があふれて洗い崩した。今もそれは無くならない。この謂れにより、彦山権現が樋をかけられた山を樋峯と名付けた。


(同筆書入れ)仲哀天皇の崩御の時の勲香が垂迹して留まっていることから、香春岳ともいう。>


142


<彦山権現は異国人で、(高良に対して)謀りごとをされた。そのために豊の国を治めていない。諸国の檀家はハツヲをもっぱらとしている。高良にとって彦山権現はもっぱらの敵神である。>


ここには高良と英彦山のダイナミックな戦いが書かれている。

彦山権現は異国人だった。


高良が異国征伐の時に三ノ岳に登ったことから、「高良峯」と名が付いた。


彦山権現は近くの樋峯から樋を掛けて水を流して三ノ岳を崩そうとした。

高良は神通力で気づいてその樋を蹴りのけた。その水は彦山の領地にあふれた。

この謀りごとがあって、(高良は?)豊国を治めていないという。


恐らくは香春岳や英彦山の周辺に起きた大洪水を神話化したものと思われるが、高良山と英彦山の関係が悪かったことが根底にある。


両者の対立のため、のちに宝物騒ぎがあったことが知られている。宝物とは神功皇后に関する物で、英彦山が奪ったので、高良がそれを取り戻そうとしたら、法外の金を請求されたという話だ。


英彦山に拠点を持った渡来人と倭国が対立していたということになろうか。


さて、「高良峯」の名がついた時代はいつのことか確認しておくと、高良が異国征伐の時に三ノ岳に登った時というので、三韓討伐の頃の話だ。


この裏を考えると、安曇族が先に香春岳を開発したことを表しているのかもしれない。

ちなみに、高良山の近くにも銅山がある。

戦いの原因が書かれていないが、銅山を巡る争いだったのだろうか。


菊如の話では、1800年前に九寶龍神が香春岳の西に鎮座したというので、この時代に起きた事件として、夏羽、田油津姫兄妹の話以外に、高良と英彦山の争いがあったことを記憶に留めておくことにしよう。


20210531


# by lunabura | 2021-05-31 19:41 | ヒカリ | Comments(0)

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