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ひもろぎ逍遥

斎宮(山田)(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して    

 斎宮(いつきのみや) 山田(Ⅰ) 

 福岡県粕屋郡久山町山田

神功皇后の神懸かりの地を捜して  
 
 
 


二つの斎宮候補地


斎宮(山田)(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して    _c0222861_1211547.jpg



さて、もう一つの「小山田斎宮」の候補地、「山田斎宮」へ。

福岡県の粕屋郡の集合商業施設、久山トリアスの近くの下山田の交差点に
「九州の伊勢、伊野皇大神宮」の案内板があります。

「斎宮」はその伊野皇大神宮に向かう道沿いにあります。
周りが開けた平野で、人家も少なく、周りの山々もよく見える場所にあります。

神社の名前は『斎宮』ですが、便宜上、ここでは『山田斎宮』とします。

「山田斎宮」は伊野皇大神宮に対して、「外宮」でもあり、
豊受大神も併せて祀っています。
そばを流れる猪野川の名も五十鈴川という名を持っていて、伊勢と同じです。
でも、「外宮」としてより、「斎宮」としての方が有名です。


まず、正面の脇に「斎宮 聖母屋敷」の石碑が目に入りました。
「聖母」とはここら辺では神功皇后の事です。
「しょうも」と読みます。


斎宮(山田)(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して    _c0222861_122694.jpg


堂々とした銀杏の巨木が二本並んでいます。

その間を通って本殿に行って、手を合わせました。

道路沿いに、分かりやすい由緒書きがありました。
書き写してみましょう。


 神功皇后と斎宮

 神功皇后は、『古事記』『日本書紀』に登場し、
日本史上はじめて朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。

『日本書紀』巻第九、神功皇后(オキナガタラシ姫)の章には、
夫である仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、
応神天皇をお産みになられた宇美八幡宮などとともに
斎宮の事が記されています。

 『日本書紀』によると神功皇后は仲哀天皇が香椎でお亡くなりになると、
小山田邑(むら)に斎宮を作らせ、天皇の亡骸を運んで安置し、
自ら神主となられています。

この斎宮の故地について、江戸時代の学者、貝原益軒が
『筑前国続風土記』のなかで次のように述べています。

「聖母屋敷 上山田村にあり。其の所に神功皇后のお社あり。
是、神功皇后の跡なるにや。」

「この山田村は、香椎に近ければ、この村にある聖母屋敷こそ、
まさしき斎宮の跡には侍るべき。」

 ここ山田の地に鎮座する斎宮は、日本最古の国史に記載された
「小山田邑 斎宮」の比定地とされる神社です。
千数百年の間、人々に深く信仰され、大切に守られてきました。

 町内には六所宮跡や審神者神社など神功皇后にゆかりの深い神社や、
神功皇后を描いた絵馬などが多く残っています。
  平成16年3月  久山町
                     久山町教育委員会
 


子供たちにも分かるように、平易に書いてあります。
伝承をこうして伝えて行こうという地元の人たちの熱意が伝わってきます。

貝原益軒の考え

ここでは、「小山田斎宮」が「山田斎宮」である理由として、
貝原益軒の意見を採用してあります。
益軒の文には、省略されている文があるので、
それを加えて箇条書きすると、こうなります。

1、 上山田と小山田と似ているのでこの山田の地の可能性がある事。
2、 ここは香椎宮に近いこと。
3、 聖母屋敷の名が伝わること。
4、 小山田の方は、山越えをするので、地理的に無理があること。

などが理由のようです。

それに対してルナが考える事は

1、 山田と小山田は似ていますが、小山田がある以上、
   無理に山田にしなくてもいいのではないか。
2、 香椎宮にはどちらも一日あれば歩いて行ける。
3、 聖母屋敷の名がどちらにも伝わる。
4、 小山田にも山越せずに行けるが、益軒はそれを知らなかったようだ。

という事で、益軒の意見には賛同する理由が見つかりませんでした。

ではルナが「小山田斎宮(Ⅰ~Ⅱ)」の方で持った、
三つの疑問に対してはどうでしょうか。

 Q1 交通手段は本当に船なのだろうか。 
 西暦200年頃に道路網が発達していたとは考えにくいです。 
 地上を歩くと 川や沼が道をさえぎったに違いないと思うのです。
 
 ですから、昔の交通手段は船ではないかと考えるようになりました。
 この斎宮のそばを流れる川を見た時に、その想像は確信になりました。

 香椎宮から海に出て、左に舵を取り、多々良川の大きな河口から遡って、
 久山に向う支流に入って行けば、ここに出ます。

 香椎から右に行けば、「小山田」へ。
 左に行けば「山田」へ。という感じです。

 そのルートをずっと考えていた時、
 川を中心とした逆さまの地図があれば便利なのにと思っていたら、
 ありました、ありました。
 『香椎宮史』に載せてありましたよ。
 やっぱり、川のルートがあったよ。


Q2 移動時間はどのくらいかかったのだろうか。 
 どちらも一日以内で着きました。

Q3 何故この地が選ばれたのだろうか。  
 これについては、特別の理由がみつかりません。
 神功皇后たちにはこの時点では、ここは土地勘がありません。

 小山田が丘の上にあるのに対して、ここは平地の真っ只中です。
 目標がない所です。
 もし、ここを選んだとしたら、誰かよほど信用の置ける人の案内が必要です。

 いろいろ想像をたくましくしてみると、
 ここは船を出してくれた海人族の安曇族たちの
 特別な場所だったのかも、と思いました。

 その安曇族の長が勧めるこの地に
 ついて行ったというストーリーができます。

 本当に信用置ける人ならいいけれど、
 相手に主導権を与えてしまうので、
 ルナが当人なら、知らない所にノコノコとはついていかないなあ、
 と思いました。

 それでも、考えましたよ。
 ここにも何らかのメリットがあるはずだ、と。

 そうだ。川の上流にある伊野皇大神宮に近いぞ!


斎宮(山田)(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して    _c0222861_1242239.jpg


この川の上流に見える山の麓に伊野皇大神宮があります。


伊野皇大神宮に神功皇后の伝承がある。 

伊野皇大神宮と神功皇后との間に接点があるのです。
彼女が伊野皇大神宮の裏の山の、遠見岳に登ったという伝承が
伝わっています。

このお宮は天照大神が祀られている神社で、かなり古いのですが、
原初の由緒が伝わっていません。
それでも、後の時代に、天照大神の神霊が自ら、この地に祀られる事を
望んだ話が伝わっています。

天照大神は神功皇后が神懸かりした時に最初に現れた神です。
(オキナガタラシ姫や小山田斎宮の所を読み直してみてください。)

彼女が何故、遠見岳に登ったのか、ずっと不思議だったのですが、
  (あまりに辺鄙な所だったので、です。
  現代人の視点は捨てないと。うん。)


仲哀天皇に死をもたらしたのが、天照大神だと名乗られては、
祀らないわけにはいきません。

この遠見岳を中心に考えると、この山田斎宮がずっと近距離です。

            ( Ⅱにつづく )
             
by lunabura | 2009-11-05 12:27 | 斎宮・いつきのみや・粕屋郡 | Comments(0)

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