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ひもろぎ逍遥

伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)アマテラスの伝承 貝原益軒が教えてくれたお話


伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)
いのてんしょうこうたいじんぐう
アマテラスの二つの伝承 
貝原益軒が教えてくれたお話


伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)アマテラスの伝承 貝原益軒が教えてくれたお話_c0222861_0462925.jpg

正面の谷の所にお宮があります。左の山が遠見岳。
神託を受けた神功皇后が登ったという伝承がある山です。


神社史を頂いて、早速このお宮の由来を読みました。
まずは江戸時代の学者、あの有名な貝原益軒の文が書いてありました。
これが、このお宮についての最初の文献らしいです。

アマテラスの話はそれに書いてありました。
何せこの宮は九州のお伊勢さんです。
伊勢神宮から誰かが勧請したのだろうなという程度に
思っていたら、話は思いがけないものでした。

アマテラス大御神みずから、この地を望んだのです。
それも二度。いえ、三度だよ。

それを神社史から口語訳しましょう。

貝原益軒の話から

貝原益軒の『筑前国糟屋郡 伊野天照大神大神宮 縁起』に書いてあります。
文中の「大神」は「天照大御神」の事です。


伊野皇大神宮の始まり

昔、豊丹生(ぶにゅう)氏と言う人がいて、
都に仕えて代々、大神の祀りごとを司っていました。

足利将軍の末の代に、豊丹生佐渡守も先祖のように
大神にお仕えしていました。

ある時、公の場で同じ宮仕えの人と、どちらが上座に座るかと争って、
ちょっと怒ってののしり合って闘いになろうとしたので、
このような場所で争った罪は深いと言う事で、
遠く豊前の国の彦山の麓に流される事になりました。

佐渡守はもともと大神にお仕えするこころざしが深かったので、
神職を辞めることをとても悲しみました。

その時、夢の中で大神のお告げがありました。
「お前は先祖からよく私に長らく仕えてくれた。
今私に別れる事を嘆き悲しむのも良く分かる。
お前は私を連れて、流されて行く所に行くがよい。」と。

佐渡守は夢から覚めて、大神のお言葉を有難く思って、
秘かにご神体を捧げ持って、豊前の国(福岡県)に行って
そこで大神にお仕えしました。

長年経って佐渡守は亡くなりました。
その子供の兵庫太夫もまた、父親のこころざしを受け継いで
怠らずに大神にお仕えしました。

ある時、大神が夢の中でお告げをされました。
「お前は私を連れて、筑前の国糟屋郡のイノという所に移りなさい。」と。
兵庫太夫はお告げの通りにご神体を持って伊野に行って
宮を立ててお仕えしました。

それから時代が変わって、豊臣秀吉公の時に、
西(西日本)の方の騒ぎが鎮まらないので、
薩摩の国の島津の兵を遣わして、
筑前の国の立花城を囲む事がありました。

伊野の里は立花城に近かったので、
その薩摩の兵たちがこの伊野の里にも乱れ入って、
里人の財宝を盗み奪い取ったので、
兵庫太夫はその難から逃れようと、ご神体をお持ちして
筑前の国の御笠郡のかまど山のほとりにご神体を隠しました。

薩摩の兵たちはこれを見つけ出して、薩摩に持って帰ろうとしましたが、
途中で大神が祟りをされたので、
賊兵たちは恐れてご神体を豊後の国(大分県)の、
ゆすはらの八幡宮に納めて置き去りました。

それでもご神霊はさらに祟りをされ続けて、
その八幡宮の神官に託宣して、
「お前は私を筑前の糟屋郡の伊野という所に返しなさい。」
とお告げになりました。

その神官は急いで使いを伊野に走らせて兵庫太夫を招いたので、
兵庫太夫はいち早く、ゆすはら八幡宮に行って大神をお迎えしました。

その時、ゆすはらの里人たちが大勢ついて来てお見送りしました。
その時、矛を持って来たのか、今でも残っています。

この時、大神は霊異を顕わしました。
兵庫太夫は大神に元の通りにお仕えしました。
その子孫が代々お祀りして、佐渡守から今の左近太夫信重までで八代です。
最近ようやく神風を尊んでお参りする人が多くなって、
これから先はますます栄えるでしょう。

伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)アマテラスの伝承 貝原益軒が教えてくれたお話_c0222861_0495794.jpg



ちなみにゆすはらの八幡宮とは大分市の柞原八幡宮が現存していて、
仲哀天皇と応神天皇と神功皇后がご祭神です。
宇佐八幡宮の分霊地だそうです。

 この話によると、足利将軍の時代に、
京都で祀られていたアマテラスの神前で
神官同士の喧嘩があって、片方の豊丹生(ぶにゅう)氏が
福岡県の英彦山に流される時に、アマテラスが、夢に出て、
連れて行くようにと言われました。

そして、流されたあとも豊丹生氏は大切に斎(いつ)き祀って、
後に亡くなりました。

ところが、後を継いだ長男に再びアマテラスが夢枕に立ち、
同じ福岡県の粕屋郡の伊野というところに移るようにと言われました。
その通りに、現在の伊野に御神体をお連れしてお仕えしました。

時が流れて、秀吉の命令で伊野の近くの立花城攻めをしていた薩摩軍が、
伊野の里で略奪を始めたので、
神官が御神体を持ち出して、宝満山の麓に逃げたけれど、
見つけ出されて、取り上げられました。

が、たたりがあったので、薩摩軍は途中の大分県の
ゆすはら八幡宮に納めて帰ったという事です。

それでも、アマテラスはお告げをして、再び、
この伊野に戻って来られました。

こうして、アマテラスは二度この伊野の地に来られました。

             (Ⅲ)につづく
       
by lunabura | 2009-11-11 00:00 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Comments(0)

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