2009年 12月 14日
八所宮(Ⅰ)
はっしょぐう
福岡県宗像市吉留3186
平和示現の宮
日本神話の始まりの四組の夫婦の神を祀る宮

この八所宮は福岡県の北九州市と福岡市の真ん中あたりから
少し南に下った所にあります。
国道三号線で宗像市に入ったら、冨地原(ふじわら)の信号から
鞍手方面へ向かいます。
しばらく行くと、左手に大きな鳥居が見えてきます。
古い作り酒屋が目印です。そこから左折して、しばらく走って、
人家も途絶えた所に丘が見えたら、そこが宮のある所です。
ここまでは、橋を渡ったり、川に沿って行ったりして、
田んぼの中を走って行きます。水の豊かな里山です。
さあ、ではお宮へ。
鳥居をくぐると、いきなり、森の中です。
写真の鳥居の奥が真っ暗でしょ。
木が生い茂っているんです。
気温がぐっと下がり、夏でも快適な涼しさです。
ゆるやかにな階段を上りながら左右を見ると、
木の幹の大きさに目を奪われます。
幹には苔が生えています。
足元の石段も苔むしています。
「うわっ、ここは古いお宮だ。」
案内書より
境内のご神域約6・5ヘクタールは
昔から手つかずの原生林で覆われております。
林内には、樹齢数百年のイチイ樫や常盤柿など学術的にも貴重な
植物が生存し、福岡県指定天然記念物です。
その他、タブ、ネズの大木があり、氏子は大切に守っています。
原生林の植生ってほんと豊かです。
ゆらゆらと木漏れ日の中を上って行きました。
途中、左手に小さい社がありました。
「現人(あらひと)神社」とあります。
森の中に、ひっそりと祀られていますが、
地元の人々がよくお参りしているような、風情です。
よく願い事を聞き遂げてくれる神さまらしいです。
さらに、石段を上って行くと、古い石の鳥居が迎えてくれました。
鳥居にまでコケやら草なんかが生えています。
それをくぐると、八所宮の拝殿の前に出ました。

明るく開けた境内です。
社殿の後ろには深い森が控えていました。
お汐井とり
拝殿の脇には、ここにもお汐井とりがありましたよ。
この砂をもらって帰り、外出する時のお清めの砂として、使うものです。
志式(ししき)神社の所でも書きましたが、
この砂は昔の天気予報の名残です。
外出時に砂を風に吹かせて、掌に残った砂の残り具合で、
その日の天気を予報しました。
それが形を変えて、現代にまで伝えられています。
この山の中にある砂はどこのものでしょうか。
説明が書いてありました。
このお汐井は赤間の里から釣川(つりかわ)に流れ、美しき水で清められ、
玄界灘の荒波で更に清められた真砂を社領に持ち帰ったものです。

ここが赤間の里です。
ここから玄界灘に流れる美しい川の水で清められた真砂(まさご)が
社殿に来ていました。
さあ、御祭神はどなたでしょうか。
御祭神
泥土煮の尊(ういじにのみこと) 沙土煮の尊(すいじにのみこと)
大戸の道の尊(おおとのじのみこと) 大戸の辺の尊(おおとのべのみこと)
面足の尊(おもだるのみこと) 綾かしこねの尊(あやかしこねのみこと)
いざなぎの尊 いざなみの尊
「うわあ、古い。すごい。
こんな由緒の古い御祭神、みたことない!」
これを見て、私はすっかり興奮してしまいました。
なんでって?
この神さまたちは、古事記の第一ページを飾る神様たちなのです。
しかも、八柱も揃いにそろって。
日本中探しても、こんな御祭神の顔触れはないかもしれません。
こんな人里離れた所だからこそ、よくぞ守られた。
と、有り難く参拝しました。
この八柱の御祭神について、境内には由来書がありました。
アマテラス大神のご両親をはじめ、神代四夫婦八柱の神を祭り、
よって、八所宮と言うようになりました。
アマテラス大神のご両親とは、イザナギ、イザナミの神の事です。
ここの神様は全部、夫婦の神さまたちなんですね。
また、案内書にも
八所宮は自然創造の神、六柱と
日本国の始祖、二柱をおまつりしております。
本宮の名は八柱の神を祭っておりますので八所宮と申します。
と、書いてありました。
舌を噛みそうな、最初の三組の夫婦神たちは、
地球を創造した時に生まれて働かれた神々なのです。
造化の神ともいいます。
そして、四組目のイザナギとイザナミの神は日本の国土を
作りました。沢山の島々と神々を生みました。
では、さっそく古事記の巻頭を開いてみましょう。
古事記
天と地が初めて別れた時、
高天(たかま)の原に現れた神は
天の御中主((あめのみなかぬし)の神でした。
次に、タカミムスヒの神。
次に、カミムスヒの神です。
この三柱の神は、みな単独の神として、身を隠されました。
次に国土が出来たばかりで、水に浮かんだ油のように、
クラゲのように漂っている時に、
葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようにして、
出現した神の名はウマシアシカビヒコヂの神。
次に、アメノトコタチの神。
この二柱の神もまた、単独の神として、身を隠されました。
以上の五柱の神は特別な天(あま)つ神です。
次に現れた神の名はクニノトコタチの神。
次にトヨクモノの神。この二柱の神もまた
単独の神として身を隠されました。
次に現れた神の名は、
ウヒヂニの神、次に妹(いも)スヒヂニの神。
次にツノグヒの神、つぎにイモイクグヒの神。
次にオホトノヂの神、次にイモオホトノベの神。
次にオモダルの神、次にイモアヤカシコネの神。
次にイザナキの神、次にイモイザナミの神。
(以上、クニノトコタチの神からイザナミの神までを合わせて、神代七代と言う。
数え方は、二柱の単独の神は各一代とする。
次の男女ペアの神々は各二神を合わせて一代とする。)
さて、始めの五柱の天つ神がイザナギノ神とイザナミの神に
「このクラゲのように漂っている国を、つくろって、固めて完成させなさい。」
と言って、天の沼矛(ぬぼこ)を与えられました。
太字で示した八柱がこの八所宮の御祭神です。
最初の五柱の神々は宇宙に表れて、身を隠しました。
続けて現れた夫婦の神々が五組。
そのうちの四組がここに祀られています。
天と地が分かれて、次々に地上が形成されて行く過程が
神として描かれています。
言葉にして読むと大変格調高い気持ちになる名文です。
何故この八柱の造化の神がこの宗像市の吉留(よしとめ)に
祀られているのでしょうか。
神社の由来も古いですよ!
神社の説明文です。
由緒
今を去る2千数百年前、神武天皇が日向の国から御東遷の際、
この地の御手洗池のほとりに鎮座を賜りました。
その折、赤い馬に乗った神が現れ、道案内されたとされ、
これが宗像市赤間(馬)の地名の起こりと伝えられています。
その後、天武天皇の御代、白鳳2年(674年)12月28日、
ご神託により、清水池のほとりから鶺鴒山(せきれいさん)(現在地)に
御遷座されました。
今では、この日を創立の日と定めております。
―略―
なんと神武天皇が出て来ました。
神武天皇がここを通る時に赤い馬に乗った神が道案内をしたという
いわれです。
同じような話を地元の研究家の本からも見つけました。
宗像伝説風土記 下 上妻国雄 (西日本新聞社)
赤間 神武天皇の御東征のおり、ひとりの先払いの神さまが赤い馬に乗って、
この地を通られてから、この地名が起こったという。
吉留(よしとめ) 吉留の起源も、やはり神武天皇御東征にまつわる伝説で、
赤間をお通りになった八人の神さまが、通りすがりの白髪の老人に
「どこかよい休憩する場所はないか」とお尋ねになったところ
「この釣川の上流には、よい丘がある」と
お答えした。
神さまがたはたいそうお喜びになって、その丘でご休憩をとられて、
ここを「吉」と宣うて(のたもうて)、
「留(と)」まられたので、吉留の名が起こったという。
三つの話のキーワードをまとめてみると、
「八人の神さまがこの丘に鎮座された。
神武天皇が東征する時に赤い馬に乗って道案内をされた」
ということでしょうか。
そして、この赤い馬が赤馬(あかま)となり、赤間と書かれるように
なったという事のようです。
さて、この話を読んで、
「あれっ、神武天皇が何故こんな所を通ったのだ。話が変だぞ。」
と思った方は、かなりの歴史通です。
そう、通説では宮崎から船で北九州の近くに行ったはずですから。
こんな所に来たとは、不思議です。
だから、フィールドワークって面白いですよね。
この宮から北西の方の海岸に、神武天皇が一年間滞在した
岡湊(おかのみなと)神社(もしくは岡田神社)があります。
直線で2~30キロメートルほどの距離です。
東征の途中か、滞在中か、ここに来られた可能性は十分にあります。

参道を下って帰り道。
木漏れ日と苔の緑の癒しの空間です。
神社の方々にお話を聞いていると、もうすぐ、ここの年一度の
お祭があるとか。
そこで、夜祭りに出かけましたよ。
(Ⅱ)へつづく
さて、全国各地のみなさまへ
お汐井とりがあるお宮が日本全国でどれくらいあるのか、気になって来ました。
近くのお宮でお汐井とりを見かけたら、コメントで教えて下さいね。
るな (^-^)








