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志賀海神社(4)表津宮跡 祈りの原風景に出会った


志賀海神社 元宮(4)

表津宮跡うわつぐう
福岡市東区志賀島勝馬
祈りの原風景に出会った


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(表津宮あと)
表津宮はどこだろう。

話によると、小戸(御手洗・舞能が浜)の川の近くにあるとか。
仲津宮を出ると、浜伝いに川を探して歩いて行きました。

何軒か海の家などがありました。
護岸のための階段状のコンクリートにはひじきが丁寧に広げられて、干されています。
さっきから釣りをしていると思っていた人はワカメを採っていました。
ここは生きた海です。

川はすぐに見つかりました。
最近では川を見ると、船が通るのだろうかと川幅も気に掛けるようになりました。
ここは、十分に船が行き交えますねえ。
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表津宮はどこだろうか…。
川からは分かりません。

快晴だったのに、どんどん雲が広がり、ぽつりぽつりと小雨まで落ち始めました。
海風もとても冷たいです。
あきらめて帰ろうかなと思った時に、雲間から、一瞬太陽が出ました。
振りかえって、その太陽を撮ったのですが、後で写真を見ると、
その太陽の光の下に表津宮のある小山が写っていました!

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とにかく、その時は「また出直そう」と思って車で帰りました。
ところが、その途中に、細い路地の所で「表津宮入口」の立札を見つけました!
あっ、あった!
すぐに車を止めて立札の所に行きました。

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鳥居もなにもありません。
地元の有志の方が立てたと思われる、この立札のおかげで、参拝口だと分かりました。
左下の遠慮がちな小さな鳥居は椅子のリサイクル材で作ってありましたよ。

勾配のゆるやかな山道を案内の札を頼りに、くねくねと登ると、ほどなく表津宮の跡に出ました。
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立札の先を見ると、しめ縄が目に入りました。
目印に椿の木があって、その足元に二つの丸い石が置かれていました。
これが表津宮の跡です。しめ縄と立札のおかげで、分かりました。

表津宮(うわつぐう)は移動しています。

表津宮が遷座した理由は、宮司さんによると、志賀海神社の現在地点が便利だからだろうという話でした。
遷座は2世紀から4世紀までの間の事だそうです。

なるほど、現在は道路があるのでここまで簡単に行けますが、昔は船でしか、行けませんでした。
玄界灘に面した島の、しかも最北端の地です。ここに来るまでも、命がけだったことでしょう。

志賀島の博多側が発展して行ったので、そちらに勧請して、そのまま、入れ替わったのも当然の理です。

表津宮が遷座したので、いさぎよくこの地は更地になったと思われます。
こんな風に石と木だけでシンプルに祀られているのが、祈りの地の原風景なんだろうなと思いました。

こんな、2000年も前のそのままの風景に立てる事に感動します。
宮が遷座して、1600年もの間、地元の人々が心を配ってお守りして来ました。

夏になると、草が生い茂らないように、手入れされているのでしょう。
それが1600年以上も続けられました。ここは日本の歴史上、大切な所です。
表津宮跡」として、正式の案内板を残すべき所だと思いました。

「沖、仲、表」の三つの宮がセットとなって、初めてここに宮を作った先人の神話の宇宙観を理解できます。
ここは、日本の歴史の夜明けごろの聖地です。日本の始まりの原風景です。

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奥の方に行ってみると、崖になっていました。
そこに立つと、沖津宮と御手洗(小戸)が見渡せましたよ。
この沖津宮と仲津宮と表津宮は、それぞれ、100メートルほどの距離です。

小戸の浜をL字型に囲んで、箱庭のように揃った三つの島(小山)を
発見した阿曇族の人たちは、自分たちの斎(いつ)きまいる三神をそれぞれに配置しました。

その美的感覚は、日本文化の源流とも言うべきものでした。
この表津宮は、もう立派な社も祠も要らない所ですが、後世に伝えたい大切な聖地だと思いました。


地図 



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by lunabura | 2010-01-27 00:00 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(4)
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Commented by jumgon at 2010-10-12 11:24
大嶽神社をみて先に「志賀海神社」を読むべきだと思ってこちらにきました。表津宮はもう遷座していたんですね!
遷座は2世紀から4世紀までの間のこととの事。わたしは今、この意味を考えています。
実は、田中八郎さんの「三輪の昔話」(やっとリクエストした本がやってきました)を読んで先住民(天孫族より早く日本に渡ってきて住んでいた縄文時代人)と天孫族のきしみを神社が表わしているような気がするのです。田中八郎氏の本は奈良弁で、少し読みにくいけど、雑談と思っていたらトンデモナイ新しい見方があって少し興奮しています。
ところで小戸って読み方は「おど」「おと」?知らせてくださいね!
Commented by lunabura at 2010-10-12 14:50
「小戸」は「おど」と濁音で読みます。
確かに、神社の移動を読み取ると、氏族の移動が見えて、古代の分布が見えてくるのではないかと思います。渡来人が一次だけなら簡単だけど、2次、3次と次々に来たでしょうから、またいろんな民族が来ているので、複雑だし、かえって魅力的ですね。
「三輪の昔話」の梗概を楽しみにしています!
Commented by jumgon at 2010-10-12 16:04
「三輪の昔話」の梗概・・・・・ウーン。とにかく色々な話題が詰まっていて、地図と照らし合わせながら、ノートをとっています。ここの考え方を追加しようと思うと、ブログまとめるのが時間がかかります。
それから「三環鈴」の事なんですけど、今馬見公園は平城京遷都1300年祭の参加で「グリーンフェスタ」をやっていて、一度いきましたが広い駐車場なのに駐車できませんでした!ものすごい人です。家族連れ、歩こう会の人々、とにかく警備員さんだけでも相当数います。お天気の悪い日なら駐車できるかも、、、、、気長に待ってください。
Commented by lunabura at 2010-10-12 16:45
分かります、分かります。私も『儺の国の星』、ようやく100分の一ぐらい理解したかなという所です。お互い、気長に行きましょう。
「三環鈴」も、気にしないで。こちらも、それを裏付ける話を日本書紀に見つけたけど、手つかずです。 (^o^)/
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