2010年 02月 03日
高天原(2) 砂鉄による地震予知の方法
福岡県福岡市東区志賀島弘
真鍋大覚に学ぶ地震予知(1)
「地震とナマズの伝承」は、
浜が砂鉄で真っ黒になる事だった。
福岡市の志賀島の高天原の海です。

この浜には荒磯があって、ごつごつした岩が波に洗われています。
砂の色は、黒みがかった灰色です。砂鉄が行く筋も走っていました。
「砂鉄だ。」
懐かしいなあ。子供の頃は磁石で遊んだっけ。
そう思いながら帰ったのですが、その夜、真鍋大覚氏の本を読んでいると、
浜辺の砂鉄と地震予知についての記述を見つけました。
「地震とナマズ」の伝承は、浜辺の砂鉄が真っ黒になる事だった!
日本は太古から噴火が多い。降り落ちた灰は地熱と日射で分解して砂鉄となる。
これを駿河で「はまな」、石見で「はまだ」、筑前で「はまを」と言う。
又、肥前では「ぬち」、肥後では「うと」と言う。
波打ち際に沿って、干潟の浜に行く条もの縞模様が、或いは濃く、或いは淡く、えんえんと連なる。
漁師はこれを見て、海が荒れるか、和らぐかを見極めた。
特に地震の直前は、海底からの無数の気泡が間断なく噴き上がるので、思い砂鉄の粒はいつもより多量に海水の中に浮き上がり、これが長い波に大きく寄せられて、浜に上がる。
浜は一面に炭の屑を厚く固めたかの如く黒く敷かれる。
かつて、漢人が日本の西海に如墨という国名を記録した理由はこの青黒い海の色を見ての事ではないか。
地震鯰(なまず)のことわざは上流の火山を水源とする大河の口に(住む)漁師であれば(分かっていて)、日本のいたる所で(起こる)津波の、地磁気の(観察)から生まれたことわざであった。
鯰の黒い背の色はまさに「ぬち」の塩水にぬれた色そのものであった。漁師は水の底に巨大な鯰を空想して、これが地震の前になると里人に教えていると考えていたのである。
砂鉄を肥後で「なぎ」、伯耆で「のぎ」、越後で「ねぎ」、美濃で「なへぎ」という。
地震即ち「なゐ」(地震の古語)で、ゆり動いて煽り出るからと説かれている。
『儺の国の星・拾遺』より (一部、読みやすく追加、変更しました)
「地震の前にはナマズが暴れる」ということわざの由来が
現代では分からなくなっていたのですが、地震雲の大家、真鍋氏は
「地震の前には、浜辺が砂鉄で真っ黒に埋まり、それが海水に濡れて、
ナマズの背中のように黒く光る現象だ」
と説明してくれています。
それは地震の直前には、海底から無数の気泡があがって、
砂鉄を舞い上げて、それが浜に打ち上げられるからだという事です。
地名に込めたメッセージ
これ(砂鉄)を駿河で「はまな」、石見で「はまだ」、筑前で「はまを」と言う。
又、肥前では「ぬち」、肥後では「うと」と言う。
筑前の「はまを」は「浜男」と漢字で書きます。香椎宮のすぐ近くです。
かつてはそこまで海だったと、いろんな方から聞きました。
浜のラインに沿って、鉄道が通っています。
「浜男」とはその浜が真っ黒になるほど、砂鉄が上がって来た事を
伝えるためについた地名の可能性が出て来ました。そこには、浜男神社もあります。
よど姫神社や豊姫神社も70年に一度の津波を知らせるための
神社だという事を「高良大社」で書きました。
地名は歴史を物語ります。これらの地名は、津波が押し寄せた事を
後世に教えようとしている先人からのメッセージなのです。
福岡県の国道3号線の古賀市の所に「流」という変な名前の交差点があります。「ながれ」と読みます。
江戸時代にここまで津波が来て、家が流れたと言い伝えています。
浜辺の砂鉄。
これは誰でも観察できる地震の予兆です。
全国のビーチ・コーマーの皆さん、また、浜辺を散歩する皆さん、
浜歩きの時には砂鉄を観察してください。
そして、検証して行こうではないですか。浜辺の砂鉄ほど分かりやすいものはありません。

この日の高天原の砂浜の砂鉄です。薄い砂鉄の筋が何本か走っていました。
まだ、この砂鉄の重要さを知らなかったので、ちゃんと写真に撮ってませんでした。
それにしても、ここの砂浜が黒いのは、砂鉄が多かったからなのですね。
同じ砂鉄でも、小戸(御手洗)の方では、筋にならずに、50センチの塊の状態でしたよ。
砂鉄が海岸で見れるなんて、海に近い人だからわかるのですね。
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そうですね。海岸を散歩する人は全国にいるはずなので、その人たちがこれと地震雲を観測してくれたら、かなりの確率で地震予報が出来るのではないでしょうか。
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by lunabura
| 2010-02-03 20:37
| 志賀島の各地
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Comments(5)









