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ひもろぎ逍遥

日天宮(3)御神体岩はランドマークだった?


日天宮(3)
福岡県嘉麻市嘉穂町牛隈
御神体岩はランドマークだった?

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この松の木が神社の入口の目印でした。

さて、この神社の由来ですが、新聞記事に書いてあったのを紹介します。
天体をあがめ、信仰する日天宮。数少ない資料を手がかりに由来などを調べてみた。
 まず、1857年ごろに書かれた「筑前国続風土記拾遺」には、こう記されている。
「山犬谷という所に日天社とてあり。大岩を神体という。境内奇石多し。」と。

さらに、明治時代に残された「福岡県地理全史」には「星のような小さな穴がある巨石があり、近くで清水がわいている」との記述。しかし、その起源や由来が記された資料は現在まで見つかっていない。」
なるほど、江戸時代から明治にかけては、結構知られていたんだ。

いったいいつ頃建てられたんだろう。
弥生時代ではないのは明らかなので、それより古いとすると、縄文時代?旧石器時代?
だんだん、可能性が低くなりますよねえ。

でも、世界を見回すと、縄文時代には、エジプトではせっせとピラミッドを造っています。
古代が今より進歩していないとは言えない分野もあるんだろうな。

日天宮(3)御神体岩はランドマークだった?_c0222861_15124121.jpg
 
前回、知らない間に御神体岩の上に立っていたと書きましたが、
正面から見たら、独立して立っているように見えています。
なのに、頂上を含む尾根はフラットだったんです。
計算されて置かれていた印象でした。

なかなかやるな。設置者よ。
さて、年代も設置法もお手上げです。そこで日天宮の標高を調べてみました。

古代には海が迫っていた?
ちょうど100メートルほどの高さでした。岬のように出張った地形の上にあります。
思ったより標高が低い所でした。

縄文海進期という言葉があります。
縄文時代は今より平均気温が高くて、氷河が融けていたので、
今よりずいぶん海面が高かったらしいです。
ですから、縄文時代の貝塚遺跡も、今の海岸線より高い所にあります。 

この日天宮は遠賀川の上流にあります。
遠賀川も古代はずいぶん奥まで海が入り込んでいました。
この巨石のに火を灯したとすると、これはランドマークになります。
舟や徒歩で旅をする人たちの、陸の目印です。

これらの事から、この日天宮は超古代のもので、当時はランドマークとして使われ、
後に神話時代になって神社として祀られるようになったと仮説を立てました。

くるま座さんにも話を聞きました。

独自の嗅覚と熱心さで、面白い情報を持っていましたよ。
「この近くに荒穂(あらほ)神社があって、日天宮はその奥宮だそうです。」
「何か書いてあったのですか?」
「先生をしている地元の郷土史家から聞きましたよ。」
「荒穂神社は他に、筑紫野市の天拝山(てんぱいざん)と佐賀県の基山(きやま)の宮浦と長崎県の太良(たら)町にあります。」

「全部で四つ?」
「そうです。その荒穂神社が四つとも馬見山を見ているそうです。」
「え?みんな離れてるのに。」
「そう、天拝山のは確かに東を向いているのを確認しましたが、基山の荒穂神社は方向が違いました。」

「でも、頂上は360度なので、OKでは?」
「頂上ならそうですね。長崎の太良の方は何度か行ったけど、元宮が無くなっていて、分かりませんでした。
でも、なんで、こんな遠い所にと思いましたけどね。」

「ああ、それなら、ちょうど、志賀島の高天原を調べていたら、
二日市水道の右の島を宇佐、左の島を左佐と言っていた時代の地名が
今も残っていて、
宇佐は大分県、左佐は長崎県でしたよ。
古代では、そのスケールで見ても大丈夫みたいです。」

(かつて、宝満山に登った時、山頂から噴煙が二か所見えて驚いた事を思い出しました。
南は熊本の阿蘇山、西は長崎の雲仙の普賢岳でした。
頂上からは思いがけず近くに見えるものです。)


日天宮(3)御神体岩はランドマークだった?_c0222861_1591393.jpg

                 富具永大明神の御神体

くるま座さんはもう一つ教えてくれました。
荒穂神社は馬見山にある馬見神社(宇麻美神社)から分霊したものです。」
「頂上にピラミッド型の巨石がある?」

「それは、9合目あたりです。そのずっと下に馬見神社があります。」
「すると、おおもとは馬見山の祭祀があって、下に馬見神社が出来て、
そこから四つの荒穂神社が分霊されたという事ですか?」
「そうなりますね。」

「すると、この日天宮は地元の荒穂神社の元宮だから、
馬見山―日天宮―荒穂神社のラインがあるのですか?」
「そうなりますね。」

「御祭神は?」
「それが、荒穂神社と言えば、普通は五十猛(いたける)の神なのですが、
ここではニニギノ命とも言われているのです。
馬見神社にはニニギノ命とコノハナサクヤ姫が祀られているとも。」

こんな所でニニギノ命の名前が出てくるとはちょっと驚きです。
(神様の名前が出て来ると訳が分からなくなるので、とりあえずパスしちゃお。)

ふうん。
馬見山を見る四つの荒穂神社のネットワークか。面白そうだな。

とりあえず、馬見山―日天宮―荒穂神社の信仰のラインがあるらしい事が分かりました。
御神体岩は馬見山へのランドマークだったのかも。

地図 馬見山 日天宮  荒穂神社  荒穂神社  荒穂神社 


それでは、次は話題の荒穂神社に行ってみますか。



古代祭祀線や古代の大宰府、地震雲のお話をしたい方
くるま座でティータイムに手が空けば、話が聞けますよ。
福岡県春日市千歳町1丁目24
092-592-8903

玄米定食や天然酵母パンのヘルシーなお店です。



Commented by rinrin at 2013-01-07 22:05 x
はじめまして、嘉麻市にいますが、こんな所があるなんて!と思い近くに行ってみましたが入口を見つけることができませんでした。ぜひ行ってみたくなりました。もう少し詳しく教えて下さい。よろしくお願いします。
Commented by lunabura at 2013-01-07 23:24
rinrinさん、はじめまして。
ここは入口が産廃施設になってしまっています。
友人に連れて行ってもらったのですが、ゲートが出来ていました。
ただ、参拝者はあるようなので、別のルートがあるらしいです。
入り口の目印は百合の花の後ろにある松の木が目印です。

それ以上は分からないのです。
地元で尋ねてみてください。
きっと誰かが教えてくれると思います。
こんな返事でごめんなさいね。
by lunabura | 2010-02-10 15:36 | 日天宮・にちてん・嘉麻市 | Comments(2)

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