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ひもろぎ逍遥

荒穂神社(1)荒穂神社なのに、荒穂の神が祀ってない不思議

荒穂神社
福岡県嘉麻市大隈町牛隈

荒穂神社なのに、荒穂の神が祀ってない不思議。

荒穂神社に行ってみました。
嘉麻市を走る211号線と443号線の交差する所が牛隈交差点。
そこから北に入る路地の中に丘があります。

荒穂神社(1)荒穂神社なのに、荒穂の神が祀ってない不思議_c0222861_20572392.jpg

神社はその丘の上に建っていました。住宅が近くまで迫っています。
石段を上がると周りが明るい境内でした。普通の氏神さまの雰囲気です。

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本殿の左右に小さな鳥居の摂社が控えていて、それが素朴で、とてもいい雰囲気です。
下の写真は左側の摂社です。鳥居の字は上手く読めませんでした。

荒穂神社(1)荒穂神社なのに、荒穂の神が祀ってない不思議_c0222861_2181421.jpg


御祭神はどなたでしょうか?
『福岡県神社誌』から御祭神を調べました。
祭神 ニニギノ命 由緒 不明
境内神社 須賀神社、貴船神社、恵比須神社

御祭神はニニギノ命でした。由緒は分からなくなっています。

もう一つ、『筑前国続風土記附録』という古文書に書いてありました。(現代語訳します。)
荒穂社 牛隈村
産土神である。
祭神は三座。ニニギノ尊・別雷神・手力雄命である。
いつの頃からか、馬見(うまみ)大明神を勧請するという。
だから、昔は馬見神社という名前だったか。
明和4年。村民らが石の鳥居を建立した時に、荒穂神社と改名したという。

一純(著者)が思うのですが、
「荒穂の神は五十猛命(いたける)です。ニニギノ命を荒穂明神というのは間違いです。
この事は御笠郡武蔵村の所で西峰老人の説を引用しました。荒穂と改めたのは納得できません。」

これは江戸時代の本です。
二つの説を比較すると、ニニギノ命だけが共通のようです。

由来については、後者に馬見大明神を勧請していると書いてあります。

これで、荒穂神社の元宮は馬見神社だという事が分かりました。
それなら、馬見神社と名前がついてもいいはずなのに、荒穂神社になっています。
この矛盾を江戸時代の著者である加藤一純さんが問題にしています。
「荒穂神社なら荒穂の神が祀られているはずだ。」と。

なるほどですね。そう言えばそうです。名前と御祭神がバラバラのようです。

という事で、今日は荒穂神社に何故荒穂の神が祀られていないかをリサーチしましょ。

ところで、荒穂の神って誰でしょうか?
上の本には
「荒穂の神とは五十猛神(いたけるのかみ)」だと書いてあります。

それじゃあ、荒穂の神(五十猛神)ってどんな神さま?
調べてみました。
スサノオの命の子。
父スサノオの命とともに、高天原より天降るとき、大量の樹木の種子を持ってきた。
いったんは新羅の国に降り、ソシモリというところに住んだが、やがて日本に来た。
持参した種子は新羅の国には播かず、すべてそのまま日本に持ち込み、
全国余すところなく播いた。
『日本の神様を知る事典』より

と言う事でした。
五十猛神って植林の神様なんですね。しかも出雲系です。
なるほどそうすると一純さんが言うように、荒穂神社なら、五十猛神が祀られているはずなのに、
ニニギノ命が御祭神なので、確かに変です。
それなら、もっとルーツへ遡ってみましょう。
勧請元の馬見神社はどうなってるのでしょうか。
同じ古文書から拾い出しました。
馬見大明神社
産土神である。
御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。

馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からないという。

元宮にはニニギノ命が祀られてました。
それと、問題の荒穂大明神の名前も出て来ました。

これらの宮では出雲系も、天孫系もゴチャマゼになっているので、
2000年もの間になんらかの歴史的なドラマがあったんでしょうね。

そこで、推理です。この荒穂神社の御祭神について。
ここには五十猛(いたける)神がもともと祀られていた。
が、元宮の馬見山の祭神が何らかの事情でニニギノ命になった。
そのために、枝社の荒穂神社も御祭神はニニギノ命だと言われるようになった。
名前も変わってしまった。
それでも、地元の人々は「ここは荒穂神社だ。」と宣言するために、
江戸時代に石の鳥居に荒穂神社と彫って、その名を復活させた。

と考えました。

日天宮との関係は?
全体としては馬見山と日天宮は巨石時代にレイラインがあって、
後の時代に、それを祀る神社がそれぞれに出来た印象を受けました。

馬見山(巨石の盤座) ―(レイライン)― 日天宮(巨石の盤座)
↓                 ↓
馬見神社     勧請⇒       荒穂神社

鳥居からは、元宮の馬見山が見えましたよ。
ただ、正面ではなく、少し左にぶれていました。

それにしてもニニギノ命か…。
ちょっと気になる事があります。

ニニギノ命って、天孫降臨で有名な神ですが、
ホントは父親の天の忍穂耳(おしほみみ)の命が降臨する予定だったんですよね。
天の忍穂耳の命の所で紹介してます。)

その天の忍穂耳の命が、すぐ近くの英彦山に降臨したと言い伝えられているんです。

ニニギノ命の降臨の地は宮崎か福岡かで論争があっていますが、
不思議にこの天の忍穂耳の命の降臨の地を争ったのは見た事がありません。

(どだい、天の忍穂耳の命が降臨したとは誰も思わなかった?
だって、古事記などに書いてないんですもん。彼は息子を先に行かせて、
後からいつのまにか降臨したのかな。)

いずれにしろ、親子で近所の山頂に祀られてるって、なんだか、この辺には
この天孫降臨の神話を持つ氏族が来ていたなって感じですよね。
そして、どこからでも見える高い山の頂上に、自分たちの信奉する神々を
それぞれに配置した感じがして来ました。

実はこの遠賀川水系の山には、他にも降臨した神々がいます。
有名な宗像三女神です。ここは神話の神々が降臨した山がいくつかあるので、
要チェックの水系です。

荒穂神社(1)荒穂神社なのに、荒穂の神が祀ってない不思議_c0222861_2162822.jpg

神社の石段で蝶々が死んでいました。その横には木の実が…。
命終えたものと、命を蓄えたものと。象徴的な光景でした。
何か心通わせているような姿でした。  

地図 馬見山 馬見神社 荒穂神社 英彦山



Commented by 水月 at 2016-01-27 00:08 x
こんばんは。またまたすみません。(¯―¯٥)
何度も過去記事を読み返させて頂いております。今夜はこの蝶々と木の実が心に沁み入りました。
一昨年、亡くなった方を思い出しました。私は残念ながらお会いした事が無いのですが主人をとても可愛がって下さりその方はお米を作られていてご自分は独身なので食べきれないからと毎月家族4人でも十分過ぎる程のお米をくださっていました。お礼をしなければねといつも主人と話していたのですがある日あっという間に逝かれてしまいました。

それからしばらくしていつも行く八女の神社に普段忙しく中々行けない娘も珍しく一緒に4人で参拝致しました。すると拝殿に大きなカマキリが。
本当にまるでお詣りしている様頭を垂れて手を合わせていました。秋も深まり山奥ですので多分もうすぐお迎えが来るんだろうね…等と主人をや娘と話しながら帰途に。
帰ってから何気なくカマキリを調べましたら古代より稲作の神様だと。害虫を駆除するからだそうです。もううろ覚えですが…(¯―¯٥)家族でその方が一緒に来られたのかもね…と、最後の一粒まで大事にご飯を頂こうね…と話した事が鮮明に思い出されました。いつかお墓にお礼を言いに行きたいな…。

またもや長々になり、その上何のお役に立てるお話でもなく関係もなく、いつも申し訳ございません。では、おやすみなさいませ…。(*^_^*)
Commented by lunabura at 2016-01-27 22:54
人の思いは亡くなった方も生きている方も通じ合うところがあるようですね。
ありがとうございます。
by lunabura | 2010-02-23 21:41 | 神社(ア) | Comments(2)

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