2010年 03月 09日
多賀神社(2)ここは北斗七星を祀る宮だったよ
多賀神社 (2)
ここは北斗七星を祀る宮だったよ
多賀も妙見もイザナギ夫婦も
みーんな同じ星座の事だった

今日も由緒書きをひも解いて行きましょう。
御祭神 イザナギの大神とイザナミの大神。この由緒書きにはこの宮が日の若宮とも言っていたと教えています。
寿命の神である多賀大神は天照大神のご両親で、この宮は古く日の若宮と言いました。
奈良朝の養老三年に再建し、天平八年に妙見(みょうけん)大明神と称えました。
なんともゆかしい名前ですね。
また、奈良時代になると妙見大明神と称えたとも書いてあります。
すると、イザナギ・イザナミ夫婦を妙見大明神と呼んだんだ。
どういう関係があるんだろ。今日はその由来を考えてみました。
辞書で確認すると、妙見とはもともとは北極星の事でした。
のちに北斗七星とごちゃまぜになったそうです。
その原因は歳差運動のせいじゃないかな~
もともと5000年前の中国では天子のシンボルが北極星でした。
当時は竜座のツバーン星が北極星として真北に輝いていました。
ですから、天子のシンボルは竜とツバーン星になりました。
ところが、歳差運動のために北極星は移動して行き、数千年たつと真北には星が無くなりました。
そんな時代に、北極星の信仰は、言葉だけは残っているのに実際に星が見当たらないので、
人々は近くにある北斗七星を当てはめるようになったのではないかと考えました。
それから、さらに数千年たった現在、私たちの夜空にはポラリスが北極星となって輝いています。
こんな事情で、妙見は北斗七星でも北極星もOKになっちゃったと考えました。
(歳差については、高良大社でも少し書いてます。)
それじゃあ、この多賀の地に祀られたのは
北斗七星かな、北極星かな?
その手がかりはイザナギとイザナミにありました。
『儺の国の星』によると、北斗七星のうち、四角い枡(ます)がイザナギで、
三つの星の柄(え)がイザナミだと言い伝えていました。
柄が、はまる所がタガ(多賀)です。
こうして、北斗七星を多賀の星と呼んでいました。

(ついに星座が作れるようになりました!)
まとめてみると、北斗七星をイザナギ・イザナミの神に例えた氏族がいて、
多賀の星と呼んでいたけれども、仏教が入って来たので、新たに妙見とハイカラに呼び方を変えた
と解釈しました。
いずれにしろ、ここは北斗七星を祀る聖地でしたよ。
氏族によって、聖なる星が違うので、ここの里人は北斗七星。
覚えておかなくちゃ。(つづく)
ありがとうございます。
多賀神社は地元にも多賀大社から、分霊されたものがあります。しかし、多賀大社の記録を調べると、遠野の多賀神社は何故か伊弉諾と弥都波能売神の夫婦神として分霊されていました。この奇妙な組み合わせの夫婦神は、もしかして伊弉諾は黄泉国から帰還して、黄泉津大神となった伊邪那美の代わりの妻を娶ったのか?とも考えました。阿波岐原のくだりは、何か隠された部分があるのかとも思えます。例えば、岩手県奥州市の私有地にある菊池神社は、熊本から引っ越した時に分霊された神を祀っているとの事ですが、その祭神が水神姫大神という神名でした。恐らく何かがあったのでしょうが、どの神社にも隠された部分があるのだと認識してしまいます。多賀神社の夫婦神の伊弉諾と伊邪那美が縁結びの神として全国に祀られていますが、根本的に黄泉国と現世で袂をわかって夫婦が縁結びの神というのは、おかしいと思っていました。とにかく、何かが変って、何かを見落としている様な気がします。
いつも深い考察をありがとうございます。
北斗の水汲みは今は宗像が盛んに取り上げています。
古来、香椎での現象と言われていたようですが、
緯度が同じで海に開けた地の現象と理解されるようになりました。
そうすると、北斗と水神の組み合わせの伝播は玄界灘の海人族によるものかもしれませんね。








