2010年 03月 07日
多賀神社(4)古縁起が伝える驚きの内容
古縁起が伝える驚きの内容
この宮は高千穂の大宮の鬼門にあたる

神社のホームページには、他にも古縁起が載っています。
そこに驚くべき内容が書いてありました。訳してみます。
そもそも、筑前の国は筑紫の島の北部に位置していて、
特に鞍手(くらて)郡東蓮寺村は古くは日若(ひわか)の里と言っていた。
この地は神代の帝都の日向の国・高千穂の大宮より、ちょうど鬼門(東北)の方位にあるので、
太古、イザナギの大神が国土万物をすべて生成し終わって、この地に御身を隠された。
何に驚いたかと言うと、
①この地は帝都の日向の高千穂の宮の鬼門(東北)にある。
②イザナギの命はここに身を隠した。
という二点です。
さっそく①について見て行きましょう。
古縁起には、この多賀神社が九州の北部にあり、帝都の鬼門にあると書いています。
すると、高千穂の大宮はここから南西にあると言う事になります。
日向の国高千穂と言えば、宮崎県ですが、直方(のおがた)市からは、はるか南の方にあります。
もしかしたら、現代の私たちの知らない日向(ひむか)がある?
これはどういう事だろう。
この古縁起の言う神代の帝都はいったい何処だろうか。
探してみよう。
この文から引き出せるのは、
多賀神社が鬼門にあるという事は、その南西に帝都がある。
そこが日向の高千穂の宮である。
という事です。
日向という地名は各地にあるので、ターゲットは沢山あります。
この神社の南西線上には、何かそれらしき都の跡があるでしょうか。
それを探す前に、古縁起を書いた人の考える鬼門を含む神代の国らしきエリアを
確認しておきたいと思います。
候補1 狭いエリアでは、六獄(むつがたけ)山を中心とした旧鞍手郡のエリア。
候補2 一つ広いエリアを考えると、嘉穂(かほ)盆地全体のエリア。
中心は飯塚市の立岩堀田遺跡か。
候補3 さらに広げて、福岡県北部をエリアとする。
南西の山を越えると、昔から栄えていた太宰府や、背振山がある。
候補4 九州全体をエリアとして、宮崎の日向から見て、直方市が鬼門の方向と勘違いした。
この古縁起を書いた人の宇宙観はどれでしょうか。
とても珍しい資料なので、検証してみると面白そうです。
とりあえず、南西ラインを見て行くと、六獄山、笠置山、立岩堀田遺跡、太宰府、背振山が
線上に浮かんできました。
六獄(むつがたけ)山は宗像三女神の降臨地
笠置山はニギハヤヒの降臨地
として伝えられている所です。
それでは、地図を見てみましょう。
この日向の高千穂がどこにあるのか、古来論争があっています。
候補4の宮崎については、江戸時代の著名人が宮崎県だと言ったために、
定説のようになってしまいましたが、多くの疑問が出されています。
考古学的にも、縄文や弥生時代の出土例があまりなく、宮崎に都を見つけるのは難しいらしいです。
高千穂探しが有名な理由
高千穂が何故話題になるかというと、天孫降臨の地が決まるからです。
ニニギの命が最初に高千穂のクジフル岳に降臨したという事から、
日本の始まりの場所が分かるからです。
これまでは別に、どっちでもいいやと思っていたのですが、
ここに直方市が高千穂の東北にあるという古資料が出て来たら、
がぜん、ホントカナって、調べたくなりますよね。
この遠賀川流域は見逃せない所になりました。(ぶらぶら歩きをする内に、見つかるかも。)
***
さて、②の文章もチェックしましょう。
イザナギの命はここに身を隠した。
身を隠すというのは亡くなるという意味です。
イザナギの命の死去については、古事記では
そのイザナギの大神は淡海(おうみ)の多賀に鎮座されています。
という書き方で、具体的には触れていません。
でも、この宮の古縁起では、「ここに身を隠した」と書いています。
これも、新発見です。
HPには、さらに別の古縁起が書いてありました。
イザナギの命は国土や万物の生成の仕事を成し遂げた。
天徳はとても大きい。ここで天に昇って報告された。
それから、日の少宮に留まって住まわれた。
以上、いくつかの古縁起が伝える内容をまとめると、
イザナギの命が国づくりをしたあと、ここに住居を構え、ここで亡くなった
というモチーフが伝えられている事になります。
真偽は分からないけれど、面白い伝承です。
次回はこのお宮に伝わる古い歌謡です。
http://plusmin.doorblog.jp/lite/archives/3205181.html
確かに、「北東」の反対は「南西」ですね。訂正ありがとうございます。
紹介のページもお邪魔しました。議論が熱いですね!
背振山はかなり魅力的な場所で、もっと調べたい所です。
これからも、よろしくお願いします。 (^-^)
以前、平原遺跡のコメントに書かせていただいた弥沙です。
面白いですね~。鳥肌が立ちました。
私は「高天原」が那珂川の安徳台だと思っています。
こちらのブログにお邪魔するきっかけになったのが、図書館で出会った「儺の国の星」なのですが、その本の隣り辺りに、那珂川町の郷土研究家の篠原正之氏が書かれた「邪馬台国位置論」があります。
氏は著書の中で「安徳台」を高天原だとしています。
(理由は上記のURLに。つたないブログですが)
今日るなさんの「多賀神社」を見て、安徳台はまさにその「南西」に当たるのではないかと思いました。
このページ、リンクしてもよろしいでしょうか。
どきどきしてきました。
伝承って、面白いですね。
高千穂の大宮につきましては、色々な地元の方々の研究からの自説では、桂川の寿命あたりかと。方位は、現在の北より約30度傾き、北をとります。魏志倭人伝の方位と同じです。(吉野ヶ里の北内郭を参考。日の動きから東西決定。) 桂川の地名、『寿命』『出雲』『天道』。『天道』って、まさに天(日)の道なんですね。ここを中心点と考えれば、東西南北に色々な興味深い地点が、ラインとして並びます。南北だと起点を宗像の田島より宮崎の大御神社・鵜戸神社(56度ライン)、宮崎の都農神社(60度ライン)かなと。
駄文長文、スミマセン。ご参考になりましたら幸いです。
今後益々のご活躍を祈念致します。
方位について、この古代方位をとりますと、遼寧・ピョンヤン・ソウルは南北ラインで並びます。
そして、魏志倭人伝での会稽山のまさに東に(メルカトル図ではなく正距方位図で)邪馬台国=北部九州となります。
方位については、日本書記の成務天皇のところにも、『日縦・日横・影面・背面を決めた』とあるので、太陽の運行もしくは、夏至の日の出と冬至の日の入りを繋いだもので、東西を設定したことが読みとれると思います。
六ヶ岳=崎門山の『崎門』←鬼門で、古代方位の高千穂大宮からの鬼門方角の山かな。
英彦山神宮の宮司さんの姓が『高千穂』さん。東山天皇の7世子孫の方が、明治元年に賜った姓『高千穂』。知ってて名乗ったなら、直方平野を囲む山々が高千穂の山々ってことですかね。








