2010年 03月 06日
多賀神社(5)ここでは歌垣があっていた?
ここでは歌垣があっていた?
恋を成就させる神様の前で踊ろうよ。

多賀神社には「日若(ひわか)踊り」が伝わっていました。
これには歌詞も伝わっています。
それを現代語に直しました。
多賀のカムロギイザナの君は
黄泉の国や常世の国にお行きになって、
国を生み、人を生んで、筑紫に帰って来られた。
ここを倉戸と、お倉を定めて、
百千万代、静玉が鎮むように鎮まられたからか、
日の若宮とここの山を神も言うし、人も伝えた。
多賀の宮の主、イザナの君は
天降りなさって大八洲島を生み、
天地の神も生んで、
八百万のものを生んで、
豊かな国筑紫の島根、この島の
比古と宇麻美の河合の
小高い山根を見て、ここがよい、
ここがふさわしいと立ち寄って倉戸を造られた。
永久にその身を隠した玉を置いて、
玉を留められた。
こういう事で、神代から伝えて、
天津御国に高く光る日の若宮とこの宮を、
日の若山とこの山を
すべて称えて仰いだことよ。
天に輝く国の 棚機(七夕)か
それか あらぬか
高く光る 日の若宮の
神嘗(かんなめー今年の収穫を奉納する)の日若祭りは。
今日一日 舞え舞え騒げ 騒げ舞え
妹今に来む 背子今に来む
これは万葉調で、長歌の一部だそうです。
原文でよむとリズム感があってとてもいい雰囲気です。
では、まず、前半のポイントを見て行きます。
比古と宇麻美は聖なる山
前半の内容をまとめると、
イザナギの命は国や神や人を生んでこの筑紫に帰ってきた。
そして、この多賀の地を見て、
「ここがいい」、といってお住みになって、
最後にはこの地で亡くなりました。
という事になります。
そして、イザナミの命がこの地を気に入った理由が
豊かな国、筑紫の島根、この島のという事です。
比古と宇麻美の河合の
小高い山根を見て、ここがよい、
ここがふさわしいと立ち寄って倉戸を造られた。
この歌には、比古と宇麻美への賛歌が込められています。
今日はこれに注目しましょう。
比古と宇麻美とは、
英彦山(ひこさん)と馬見山(うまみやま)だと思います。
この多賀神社のずっと南に聳えている山です。
遠賀川はこの二つの山から流れて来る水を集めて、海にそそいで行きます。
その途中にある小高い丘(岬?島?)を見て、
ここが良いと言って倉戸を建てて、
魂を鎮める玉を置かれた訳ですから、
気に入った理由が、この地形だというのが分かります。
英彦山と言えば、福岡県では古来から篤い信仰があります。
なにしろ、かつては県内の男性が成人すると、
必ず参拝しに行ったというのですから。
馬見山については、荒穂ネットワークらしきものがあるのが分かりました。
(日天宮、荒穂神社参照)
流域の氏族がこの二つを聖なる山としていた事が
思いがけずこの歌で分かりました。
だから、この先、この流域の伝承を見て行く時に、
英彦山と馬見山は
押さえておくべき大切な場所だと思iいました。
***
次に歌の後半を見てみましょう。
祭りのようすが歌われています。
七夕さまのように年に一度の恋を
今日一日 舞え舞え騒げ 騒げ舞え
妹今に来む 背子今に来む
(彼女が来るよ。彼氏が来るよ。)
妹(いも)や背子(せこ)は、
恋い慕う男女が互いを呼ぶ名前です。
今日一日だけは踊って騒いで、
好きなあの子に会えるんだと、
ずいぶん盛り上がった祭りのようですね。
歴史の教科書に
古代日本には歌垣が各地にあったと書いてありました。
こんな歌がその歌垣の歌かもしれないなと思いました。
「天に輝く国の棚機(たなばた)か」と歌っているので、
年に一度の恋のお祭りだったんでしょう。
歌垣から古代の日本人について考えました。
縄文時代の日本人は平和な暮らしをしていたと言われます。
弥生時代になって、半島や大陸から渡来人がやって来ると、
稲作が飛躍的に向上したけれど、
反面、戦いも持ち込んだようです。
部分的には戦闘があったけれども、
それでも、縄文人と弥生人とは、
うまく住み分けをして、平和に暮らしていたらしいです。
それが、だんだん単一民族としてまとまって行きました。
伝承を尋ねていて、
かつては隣村とは決して結婚しなかったというケースを、
北九州市と宝珠山村で聞きました。
部族が違っているので、結婚が禁じられた例かなと思いました。
そんな例がある一方で、
縄文人と弥生人の混血がすすんでいきます。
この謎を解くカギがこの歌垣かも、と思いました。
大体が通い婚の時代です。
魏志倭人伝には、一人の男に対して、妻が何人もいると書いてあります。
そして、国が100ぐらいに分かれていたというので、
結婚となると、自分の国(氏族)の中で行われたと思われます。
しかし、
人間や動物は本能的に近親婚を避けようとします。
そして、出来るだけ遠い種と交配する事で、
種を健全に保とうとします。
そんな機会がこの歌垣だったんじゃないかなと、ふと思いました。
玉依姫のような極端な近親婚が支配者層にはあっても、
一般の人たちは、年に1,2回の自由恋愛の日があって、
隣の国のお祭りなんかにこっそりと加わって、
それで、ゆるやかに単一民族になって行ったのかもしれないと思いました。
幼子の棺が出土した例があります。
とても、大切に埋葬されていたその子は
縄文人と弥生人の混血でした。
両親はさぞかし悲しい思いをしたでしょうが、
そこに、日本人のルーツの愛の姿を垣間見る事が出来ます。

境内には蛭子社がありました。
蛭子は二人が初めて生んだ赤ん坊。
でも、子供の数には数えないと古事記には書いてあります。
エビスともヒルコとも読みます。
さて、という事で次回は気になる馬見神社に行ってみましょう!
鞍手郡が古代物部氏(ニギハヤヒが祖先)の本貫地だったということで、改めて多賀神社のことを調べていまして、るなさんのサイトにお邪魔しました。
物部氏は、神武東進に先立って東進した氏族ですよね。
谷川健一氏の「青銅の神の足跡」や「鍛冶屋の母」などでは、物部氏は金属精錬の技術者集団と関係深く、金属精錬技術者が信仰したのが、北極星・白鳥だそうです。
宮若市には妙見谷という地名もあります。
多賀神社と北極星との関連は初めて知りました。
馬見山は遠賀川の源流ですから、次のレポートも楽しみにしています。
どうしても、鉄の事など触れないといけないのですが、素人の為に、並行して調べています。
白鳥の情報を頂いてなるほどと思いました。宗像の八所宮は白鳥だと分かっているのですが、力不足で、書けないでいます。宮田町の裏側に当たりますよね。
ニギハヤヒの降臨した笠置山も、聞くと、道がなかったとか。
物部氏についても、新たな情報があるのですが、驚く事ばかりで、まだ書けないでいます。それでも、来月から遠賀川流域に再びチャレンジします。
素敵な情報ありがとうございます。励みになります。(*^_^*)








