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ひもろぎ逍遥

馬見神社(2)そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。


馬見神社 (2)
福岡県旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路
上宮の白馬大明神とはニニギノ命だという。
そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。


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霧が晴れていく中を登ったせいでしょうか、しっとりとした、この空間では
五感が開かれていく感じがしました。

ここが、古代の人々が憧れた所です。それが、清浄なまま、静かにたたずんでいました。
もう一つの大事な山・英彦山の方は今でも多くの参拝者を迎えていますが、
この馬見神社はほとんど知られていないようです。

でも、エネルギーとはそのようなものかも知れません。陽があれば、陰がある。

ここは人知れずにいたお蔭で、数百年の昔そのままの姿を残しています。
それでも、営々と築かれた石段や鳥居、神殿を見れば、
氏子さんたちがどれだけ大切にしてこられたかが、良く分かります。

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忘れられた聖地が紐解かれるのかもしれない。
ここは遠賀川の源の一つです。
ここに向かって、荒穂神社―日天宮―馬見のレイラインがうっすらと見えたのは、
日天宮荒穂神社に行った時でした。
御祭神がニニギの命と、祀られていない荒穂の神。複雑な歴史を匂わせていました。

さらに下流の多賀神社に行って知ったのは、
イザナギの命が多賀の地に玉を鎮めた理由が英彦山と馬見山を控えた丘だったからという事でした。
この馬見山に向かう古代の人々の視線。それが気になって訪れました。

ここの御祭神はこれに呼応するかのように、イザナギの命ニニギノ命の名前がありましたよ。

神社入り口に手書きの由緒書きが貼られていました。
馬見神社由緒
1祭神  伊弉諾尊(イザナギのみこと)
     天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
     木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
      (大山津見の女(むすめ)日本一の美人神)

2 祭日   4月18日
       10月30日

3 由緒 ○上宮の創立は不詳であるが、3千年前と言われる。
       馬見山頂(987M)の頂上近く御神所(ごしんじょ)岩の
       巨岩あり、ここに鎮座。
       瓊瓊杵尊は天孫降臨の御神で、日本民族の祖。
       比類なき神徳をもって尊崇される。
       ○中古仏法隆盛の頃、約1300年前、鎮西八郎為朝現在の神社(下宮)建立。
        また神木寺も建つ。
       ○天正前後、武家政治となり、秋月藩主秋月種実公、毎年参拝せられ尊崇を集めた。
       ○黒田藩となり嘉穂郡の総社として、代々尊崇あり。
        2月、8月、5昼夜の五穀豊作の祈願祭を行う。
       ○大正12年11月24日。県社に定めらる。宮司江藤貞利氏。

       ○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
        その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。

4  境内2500坪。
   郡内最高の景勝地にあり、又馬見キャンプ村、又リンゴと梨の産地として、
   その美味は県下に知られて有名である。
                            平成8年春   縄田小観 記
        (句読点のみ追加しました)

御祭神はまず、イザナギの命でした。
それに、ニニギノ命コノハナサクヤ姫の夫婦神です。

由緒には「その祭神は分からない」と書いてありますが、すぐ続けて、ニニギノ命の
天孫降臨の話が書いてあるので、本当は、「ここはニニギノ命の降臨の地だ」と、
言いたいのではないかと考えました。

由緒については他の本にも載っていたので書いてみます。
『筑前国続風土記附録』から抜き出します。
馬見大明神社
産土神である。御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からないという。

ここでは、御祭神に、イザナギの命の名はありません。その代りに、ホホデミの命が出て来ました。
ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名です。

また、山頂の神は白馬大明神だと言っています。どんな神なのかは分かっていません。
二つに共通するのはニニギノ命でした。そろそろ系図なしには理解が出来ませんねえ。
(と言って、パッと出てくる。親切ですねえ。)

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三つの由緒書の祭神を色分けして囲みました。
これで分かるように、共通するのはニニギノ命でした。

江戸時代のガイドブック『筑前名所図会』にも、白馬大明神について書いてあります。

馬見大明神
古宮は馬見山上にあり。
御神域という大岩の辺に石の祠あり。
今の社は山下にあり。
白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。
この神、葦毛の馬を忌むという。
この里に飼うを忌むのみならず、
他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。

ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神だと書いています。

○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。

このように、神社の由緒書きには神武天皇もここに来て、
その馬の脚の色が白いので、馬見の地名が起こったと書いています。

この神社の地名が旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路です。

神武天皇と馬については、馬が暴れて逃げたのを見送ったというエピソードや、
また、老人が馬を提供して、天皇を見送ったという話もあります。

これらから推測すると、全体に流れるモチーフは、
山頂にニニギノ命が白馬大明神として祀られていて、後に子孫の神武天皇が参拝された

という事のようです。
その時、馬が暴れて逃げたなどという何らかのトラブルがあったのでしょう、
その毛色の馬がタブーとなったり、地名が起こったりしたようです。

3000年前について
神社の由緒書きには始まりは3000年前の事だと書いてあります。
縄文時代になります。縄文です…。でも、もう驚かなくなりましたよ。

神武天皇は2600年前と(日本書紀から計算して)言われています。
年代については、例の如く、暦の大家の真鍋大覚氏が、訂正せずに、このまま使ってあるので、
それに倣いたいと思います。

ニニギノ命は神武天皇のご先祖ですから、3000年というのも、そう見当違いではないかとも思いました。
この辺りの神社にはこんな古い年代がどんどん出て来ますよ。

古い遺跡が出ているよ

ここからずっと下った盆地の中央に位置する飯塚市の立岩遺跡が2000年前の頃のものだそうです。
2000年前と言えば、キリストが生きていた時代です。これで、覚えやすいですよね。

鏡の完品が沢山出ていて、大変価値のある遺跡だと言う事を知りました。
(飯塚市歴史資料館は撮影禁止だったので、そのお洒落ぶりをお見せできないのが残念です。)

この馬見地区からは、その立岩遺跡よりも、もっと古い遺跡が出ているそうです。
この山の近くには早くから人々が住んでいたのですね。
3000年前という数字も、それほど無理な数字ではないと思いました。
そのころには、すでに馬見山への信仰があったという事でしょう。

ここの文化圏の氏族たちが馬見山をニニギノ命の降臨の地と考えて祀っていた
というのが伺えます。
言葉に出すのをはばかる内に、忘れ去られてしまったのでしょうか。
(つづく)
馬見神社(2)そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。_c0222861_20493421.jpg


Commented at 2010-03-26 10:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-03-26 10:42
非公開さん。コメントありがとうございます。
このブログでは、目の前の神社について、
レポートしているのですが、
確かに、霊的な世界(神界)について、見て行くのも
面白いですね。
インスピレーションのままに、これからも、
お話を聞かせてください。
お役に立てたら、うれしいです。
Commented by 桜もち at 2013-08-27 22:10
鎮西八郎に関する馬見神社の社伝です。
『…今の社は源為朝の建立なり、為朝十三歳にして鎮西に下り、[中略]當社に詣で、祭神を問われれば瓊々杵命と答ふ、…』
この人の屋敷は香春の天台寺跡(上伊田廃寺)の隣にあり、5年間過ごしたとされています。(すぐ近くの鶴岡八幡は、この人由来です。)
この屋敷から馬見へ参内途中で正八幡に立ち寄ったとされています。

鎮西八郎を疑いの目でみている理由は、採銅所にある『現人神社』を自分由来だとする伝承を残しているからです!この社は『原田氏』の祖霊(原田種直の子を祀りて現人神と号す、或は母の墓との説あり)を祀っているのに!
正八幡でも同じようなことがあったのではないかと思っています。
Commented by lunabura at 2013-08-28 21:00
何だか情報満載ですね。
採銅所の現人神は原田氏なのですか?
そういえば、糸島の高祖神社でその名前が出て来たような…。

鎮西八郎の話はこうして一部だけ聞いても怪しいですね。
この人のせいで伝承が混乱しているってこと、ありませんか?
でも、動きを見ると、当時の価値観が見えそうですね。
Commented by 桜もち at 2013-08-28 22:11
るなさん、こんばんは。

伝承等で『鎮西八郎、この名前を聞いたら要注意!』だと思ってます(笑)

この『原田氏』は、応神朝に帰化した東漢氏を祖とする『大蔵氏』の流れなのですが…、例の『田原麿』の子孫ではないかなと…『タバラ』って妙だと思うので。
その伝承を書き換えるために正八幡に立ち寄った可能性はあるような気が…。

因に、北九州の勝山勝田神社の『大倉彦』は『大蔵彦』で、『大蔵氏』の祖ではないかとも思っています。
つまり、岡湊神社の『大倉主』とは別系統で、皇后に忠誠心をもっていた一族の子孫ではないかなと…。
Commented by lunabura at 2013-08-28 22:19
あれ? 原田と田原?
大蔵と大倉。…私は単純に大倉彦と大倉主は一族かと考えてしまいましたよ。
桜もちさん、詳しいんですね。
是非、研究を完成させて下さいね。
Commented by 桜もち at 2013-08-28 23:10
地名は『大蔵』なので!

『大倉主』は、るなさんの記事にある眞鍋氏の伝承+英彦山の伝承と『海部氏勘注系図』『日本書紀』からすると、『クラヂ族』の祖ではないかと…。

この謎が、私の第2テーマなのですが…なかなか難題で、全容解明する日は来るのかなぁ(涙)
Commented by lunabura at 2013-08-29 21:36
桜もちさん、こんばんは。
「くらじ」に関して、奥野正男氏が「高倉」「高倉下」、いずれも「たかくらじ」と読むので、高倉神社は「たかくらじ」に関連するのではと書いてあります。
サイドバーの本の一番した「日本の神々1」に詳述です。
高倉神社は嶋門物部とも。

物部の本貫地ともいわれる「鞍手」では「くらじさん」という名称が見えます。
私は全部繋がっていると思っています。
桜もちさんの「くらぢ」も同じではありませんか?
そうすると、三人が同じ結論に達している可能性があるのですが。
Commented by 桜もち at 2013-08-29 23:44
るなさん、こんばんは。

『日本の神々1』は、私も持っています。キッカケとなった本なので。

私の仮説は、現段階で少し違ったものになっています。
遠賀川河口に居た最初の神様は『大倉主』で、『高倉下』は神武天皇東遷に随行した『大倉主』の後継者ではないのかなと。
東遷後の一族の本拠地は愛知県。と考えると『クラヂ』のほうが繋がるので。

嶋門物部は『天物部』なので、天香語山命(彦火明命の子)と大屋津媛(五十猛の妹)の子(海部氏勘注系図)である高倉下(大倉主)に仕えた部民だと考えています。
Commented by 桜もち at 2013-08-29 23:46
但し、鞍手については未だ確証が得られてないので判らないのです…。
るなさんの多賀神社の記事にある『倉戸』のあった所だからなのか、『鞍橋君』が居たからなのか。
後者だと繋がらないんですよ~(涙)

因に、英彦山に居た『スサノオの子』とは『五十猛命』だと思っています。
Commented by lunabura at 2013-08-30 22:43
桜もちさん、こんばんは。
少しずつ分かって来ました。
毎回丁寧なご返事ありがとうございます。
確かに、大倉主や高倉下など、長い歴史で見る観点が必要ですね。
『海部氏勘注系図』はネットなどで見られるのですか?
系図がないと理解が難しいですね。

素盞嗚の子 了解です。
調べればいいのですが、なかなか対応できずにいます。
荒穂神社も調べる途中でした。
Commented by 桜もち at 2013-08-30 23:41
るなさん、こんばんは。

『海部氏系図』『海部勘注系図』は関連書籍やネットに記載があるのはあるのですが、一部抜粋のみばかりで…???なので『旧事本紀』の系図と合わせて参考にしています。
Commented by ハコガメ at 2013-08-31 08:16
おはようございます!以前、志賀島が紹介されていた時に志賀海神社、仲津宮、表津宮跡、乙子神社を巡りました。このブログのおかげで景色のいいドライブコースから志賀島の見方が変わりました。何故あんな所で金印が見つかったのか…。漠然と疑問を持っていましたが少し理解を深めました。
表津宮はまさに祈りの原点にふさわしい処でした。私が見た神籬は森の中でしたが、このブログの写真はバックが海のようでしたが…
乙子神社を発見した時は感動しました。
サイドバーにない神社もある事に気づきましたが、福岡人としてはいつでも行けるところがいいですね!
Commented by lunabura at 2013-08-31 21:47
桜もちさん、こんばんは。
系図、一部抜粋なんですね。
簡単にはいかないですね (+_+)
Commented by lunabura at 2013-08-31 21:51
ハコガメさん、こんばんは。
志賀島の深い歴史を知ってから、あの海はますます魅力的になりました。
表津宮は、数―メートル上ればもう崖の上になります。
そういえば、かつて植林されていたような記憶があります。
それが大きくなって森になったのでしょうか。
確か地震の時にがけ崩れでもあったような気がしてきました。
乙子神社、まさしく発見というレベルですね (^-^)
志賀島、あと少しアプローチできそうです。
涼しくなるのを待ってます。
Commented by 桜もち at 2013-08-31 22:23
るなさん、こんばんは。

ごめんなさい!記載忘れてましたー。

ある本←忘却(汗)に『勘注系図』の出典に…、

神道大系編纂会、編集発行 神道大系 古典編 十三

とあったので、探しているのですが…田舎では見付けられず…福岡市の図書館にはあるかもしれません。
Commented by lunabura at 2013-08-31 22:44
桜もちさん、いろいろと済みません。
ありがとうございます。^^
Commented by のら at 2013-09-01 07:36
るなさん、桜もちさんおはようございます。
今更ながらの為朝くんばなしですが…。平安末期の人(しかも13歳で勘当されて来た子)の話を真に受けちゃった土地の人にも問題がゴニョゴニョ(>_<)
のら的には由来云々は判りませんが最初、応神天皇に自分と似た身体的特徴を見つけて仲間意識持ったんではと思ってました。応神天皇の幼名が腕が弓矢の鞆に似ていたからでしたよね?為朝も左右の腕の長さが違い、コレが弓矢を引く時に丁度良く名手たる由縁だといわれているのです。内心的にはコンプレックスだったのかもと思ってしまいましたが今回、清和源氏の祖まで遡ると一人あれ?と思う方が居ました。
為朝君のご先祖ですが、告文なるものを直系の祖・清和天皇でも初代・神武天皇でもなく応神天皇陵に奏上したといものです。
何かしらの縁があったと言う事なんでしょうか?なんで中途半端な応神天皇陵に?というのでウィキにも載ってました。


Commented by 桜もち at 2013-09-01 12:48
るなさん、のらさん、こんにちは。

のらさん、凄いですね!
そうなのです、八幡を知るには『源氏』は欠かせないとは認識してはいるのですが…。
日本の神々・歴史は全くの無知で只今猛勉強中の私には未だそこまで及ばず(涙)

当時のこの辺りの神社では、すでに祭神が不明になっていたような気がします。神仏習合や、識字率も低かったでしょうし…『都会からきた人に聞いてみた。』みたいな。
Commented by lunabura at 2013-09-01 20:28
のらさん、桜もちさん、こんばんは。
面白いですね!
なかなか違う時代は調べないので、こうして話していただけると大助かりです。
るなさんは、なにせ弥生人なので… (+_+)
Commented by ハコガメ at 2013-09-04 22:38
ルナさんこんばんわ!先日図書館で西日本古代紀行、神功皇后風土記と言う本を借りて来ました。神功皇后の筑紫での足跡が記載されてました。
少しづつでも知識を深めたいと思ってます。あっ、それと糸島市の櫻井神社は素晴らしい!特に櫻井大神宮は簡素さが良かったです。「すいません、こんな感想で‥」
Commented by lunabura at 2013-09-04 23:11
こんばんは。
その本、私も読んだことがあります。
桜井神社は素晴らしいですね。私も、大神宮の方のたたずまいが忘れられません。 (^-^)
Commented by ハコガメ at 2013-09-05 18:48
やっぱり研究熱心ですね。おそらく読んでるとは思いました(笑)最近、由緒書きを見てあっ!これは神功皇后の事だ。とか武内宿禰を祀っているとか分かるようになりました。ところで大野城市錦町に黒男神社を見つけました。ここは「くろお」と読むそうです。(^.^)結構同じ名前の神社がありますね。
Commented by lunabura at 2013-09-05 21:27
神功皇后や竹内宿禰のイメージが出来ると、福岡の神社はずいぶん身近になりますよね。
黒男神社が大野城市に!
錦町といえば、国道3号線に信号がありますが、あの近くですか?
意外な所だけど、古代に栄えていた所なので、調べるといろいろと出て来そうなエリアですね。 (^-^)
Commented by ハコガメ at 2013-09-05 22:17
黒男神社の所在地は筒井2丁目1で錦町2丁目の交差点を北に20m程入った所で地図で見ると下筒井公民館がありますね。
通りに遠慮気味に小さな看板が出ており気が付きました!
黒男と言う文字に反応してしまいました。
祭神は神功皇后と武内宿禰で由緒があり、欽明天皇の頃、白い雲に乗った輝くばかりの弓を持った美しい女性(皇后)が現れ神社を建てなさいと言って雲に乗って立ち去ったらしいです。ひっそりとありましたが手入れは行き届いていましたよ。
Commented by lunabura at 2013-09-05 22:58
そうですか。
弓を持った皇后というのは珍しいですね。
当時、どのような邑があったのか、興味をそそられます。
詳しくありがとうございました。 (^-^)
by lunabura | 2010-03-28 21:02 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Comments(26)

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