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名島神社(1) 豊臣秀吉が御座所を設けた


名島神社(1)
なじまじんじゃ
福岡市東区名島
かつて、ここは島だった
豊臣秀吉が御座所を設けた

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名島神社に行くには福岡の大動脈、国道三号線の
名島信号あたりから海岸に向かって行くのですが、
周囲は次々に埋め立てられて、都市高速道路も走るようになり、道が分かりにくくなりました。

近づいたら、名島城跡や名島帆柱(ほばしら)石の看板を頼りに海岸に向かって行きましょう。
名島神社の看板を見て行ったら、裏参道の急坂に迷い込んでしまいました。
初めての人は、正面(海岸側)からがお勧めです。

駐車場は親水公園の所にあるので、そこに車を止めて、
海を見てから、山に向かって鳥居をくぐって上って行きます。

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(へえ?この石段は柔道の谷亮子が鍛えた所ですって?)
その石段を上ればほどなく拝殿に着きます。
境内に着くと、狛犬ではなく、ギョ、魚…?が迎えてくれました。

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拝殿です。

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この日は四人の青年がお参りに来ていました。
明日はお祭らしく、境内にはテントが張られたりして、準備万端の気運が満ちている日でした。
ここは桜の名所としても有名なお宮です。戻りながら海を見る事が出来ます。

駐車場付近に説明板がありました。
名島城跡 付 名島神社

名島城はもと大友の根拠地で、立花城の出城であった。
天正15年(1587年)豊臣秀吉は島津征伐の後、小早川隆景を筑前国主に封じ、
この城を増強するとともに「御座所(ござしょ)」を設けさせ、
何か事が起こった場合に備えるとともに、九州監察の中心とした。

文禄の役の折に、秀吉は肥前名護屋への西下の途中、
淀君(よどぎみ)らとこの城に立ち寄って宿泊をしている。

この城は関ヶ原合戦後、慶長5年(1600年)黒田長政が筑前国主となり、
やがて福崎の地に新しく福岡城を築いたので、廃城となったが、城跡らしさがまだ残っている。

山腹の名島神社は宗像三女神を祭神とし、元来神宮ヶ峯に祀られていたのを
隆景が築城する時、現在地に移したものである。
なお、神社の本地仏である弁財天はこの宗栄寺に移されている。
福岡市

もともと山頂に神社があったけれども、立花城出城の建設の時に、
山頂から少し下がった現在地に移動させられたのですね。
なるほど。

でも、ここに秀吉と淀君が泊まったなんて、歴史が急に身近に感じられました。

黒田長政がやって来ると、ここの天守閣は解体されて、福岡城の方に移築されました。
福岡城には、ここから移転された名島門というのが現物が残っているそうです。

そして、この神社は黒田氏の四代目によって建立されています。

頂上に行くと360度の展望の地でした。
(ただし、現在は海の方は樹木が茂っていて、見えません。)

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前回の梶谷城と同じように、山城として、海上のすべてを掌握できました。
しかも周りは浅瀬です。大きな船で攻められる心配のない所にありました。
ここはかつて島だったのです。それがよく分かりました。

南側の展望です。
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正面に見えるのが立花山。三つの峰が特徴的です。
しかし東から見ると二つの峰に見える不思議な山です。

その山頂に立花城があり、こちらはその出城だということです。
その間にビル群がありますが、かつては海でした。

ここは朝鮮半島への海路の大事な足がかりの地でもありました。
神功皇后の伝説も残っていましたよ。

天守閣は造らないで。もっと大切なものがある。


現在、ここに天守閣を作る計画があり、賛否両論があるそうです。
しかし、この名島には山城だけがあったのではありません。本来、神社があったのです。
宮司さんから話を聞くと、ここは古代のロマンを秘めた重要な聖地でした。
福岡市が観光スポットにしたいのなら、絶対古代の名島の復元をお勧めです。

数百年でなく、数千年の歴史と景観を守るために、天守閣は建ててほしくはありません。
せめて、このままにしてほしいと思いました。

次回は宮司さんから聞いた古代の名島です。
地図  名島神社




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by lunabura | 2010-04-14 14:56 | 名島神社・福岡市 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2011-01-20 16:12
タイトル : 性懲りもなく「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」告知
親愛なるアッティクスへ このたび、またもや、性懲りもなく、「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」という歴史小説を出版しました。 内容をかいつまんで申し上げますと・・・、 戦国時代、名うての知恵者として知られた黒田如水も、その智謀ゆえに、その主君・豊臣秀吉との間に葛藤を繰り広げるが、やがて、その子で後に福岡藩初代藩主となった黒田長政も、その重臣で兄弟子(あにでし)とも言うべき後藤又兵衛との間に激しい相克の炎を燃やす・・・。 そして、時代は下り、福岡藩二代藩主となった長政の子・黒田忠...... more
Commented by くみりん at 2010-04-08 20:05 x
3回読みますね(^^)v
Commented by lunabura at 2010-04-08 21:33
ありがとうございます。書いた本人も、何度も読み直さないと、
ほとんど忘れています。   (;一_一)
Commented by 高木と申します。 at 2011-03-10 16:46 x
初めまして、名島城跡の展望台計画の見直しに関わるきっかけで、名島のことを知りました。こちらのページに書かれている内容に私も同様なことを考え、勝手に展望台に代わるモノを計画したりもしました。同一の意識に少々感じ入り、ご連絡いたしました。(リンク御了承下さいますか)(名島の宮司さんのお話もテキストにされていて、これも必要だと思いました。)
Commented by lunabura at 2011-03-10 18:00
展望台計画の見直しがあっているのですか?展望台の現在の計画もよく知らないんですよ。詳しいサイトがあったら、教えて下さいね。経過が見守られたらいいなと思います。
名島には、ブログでは紹介出来ない大切なものがあるのです。それを公表する事は私には出来ないのですが、殿下が書かれたように「日本のあけぼの」の真実を表すものです。
名島城もほんの一時期のようですし、福岡城も天守閣の存在そのものがまだ証明されていないので、先走りはどうかなと思っています。
(公園化による破壊を恐れています。)
リンクはどうぞ、どうぞ。
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