2010年 04月 14日
名島神社(1) 豊臣秀吉が御座所を設けた
名島神社(1)
なじまじんじゃ
福岡市東区名島
かつて、ここは島だった
豊臣秀吉が御座所を設けた

名島神社に行くには福岡の大動脈、国道三号線の
名島信号あたりから海岸に向かって行くのですが、
周囲は次々に埋め立てられて、都市高速道路も走るようになり、道が分かりにくくなりました。
近づいたら、名島城跡や名島帆柱(ほばしら)石の看板を頼りに海岸に向かって行きましょう。
名島神社の看板を見て行ったら、裏参道の急坂に迷い込んでしまいました。
初めての人は、正面(海岸側)からがお勧めです。
駐車場は親水公園の所にあるので、そこに車を止めて、
海を見てから、山に向かって鳥居をくぐって上って行きます。

(へえ?この石段は柔道の谷亮子が鍛えた所ですって?)
その石段を上ればほどなく拝殿に着きます。
境内に着くと、狛犬ではなく、ギョ、魚…?が迎えてくれました。

拝殿です。

この日は四人の青年がお参りに来ていました。
明日はお祭らしく、境内にはテントが張られたりして、準備万端の気運が満ちている日でした。
ここは桜の名所としても有名なお宮です。戻りながら海を見る事が出来ます。
駐車場付近に説明板がありました。
名島城跡 付 名島神社
名島城はもと大友の根拠地で、立花城の出城であった。
天正15年(1587年)豊臣秀吉は島津征伐の後、小早川隆景を筑前国主に封じ、
この城を増強するとともに「御座所(ござしょ)」を設けさせ、
何か事が起こった場合に備えるとともに、九州監察の中心とした。
文禄の役の折に、秀吉は肥前名護屋への西下の途中、
淀君(よどぎみ)らとこの城に立ち寄って宿泊をしている。
この城は関ヶ原合戦後、慶長5年(1600年)黒田長政が筑前国主となり、
やがて福崎の地に新しく福岡城を築いたので、廃城となったが、城跡らしさがまだ残っている。
山腹の名島神社は宗像三女神を祭神とし、元来神宮ヶ峯に祀られていたのを
隆景が築城する時、現在地に移したものである。
なお、神社の本地仏である弁財天はこの宗栄寺に移されている。
福岡市
もともと山頂に神社があったけれども、立花城出城の建設の時に、
山頂から少し下がった現在地に移動させられたのですね。
なるほど。
でも、ここに秀吉と淀君が泊まったなんて、歴史が急に身近に感じられました。
黒田長政がやって来ると、ここの天守閣は解体されて、福岡城の方に移築されました。
福岡城には、ここから移転された名島門というのが現物が残っているそうです。
そして、この神社は黒田氏の四代目によって建立されています。
頂上に行くと360度の展望の地でした。
(ただし、現在は海の方は樹木が茂っていて、見えません。)

前回の梶谷城と同じように、山城として、海上のすべてを掌握できました。
しかも周りは浅瀬です。大きな船で攻められる心配のない所にありました。
ここはかつて島だったのです。それがよく分かりました。
南側の展望です。

正面に見えるのが立花山。三つの峰が特徴的です。
しかし東から見ると二つの峰に見える不思議な山です。
その山頂に立花城があり、こちらはその出城だということです。
その間にビル群がありますが、かつては海でした。
ここは朝鮮半島への海路の大事な足がかりの地でもありました。
神功皇后の伝説も残っていましたよ。
天守閣は造らないで。もっと大切なものがある。
現在、ここに天守閣を作る計画があり、賛否両論があるそうです。
しかし、この名島には山城だけがあったのではありません。本来、神社があったのです。
宮司さんから話を聞くと、ここは古代のロマンを秘めた重要な聖地でした。
福岡市が観光スポットにしたいのなら、絶対古代の名島の復元をお勧めです。
数百年でなく、数千年の歴史と景観を守るために、天守閣は建ててほしくはありません。
せめて、このままにしてほしいと思いました。
次回は宮司さんから聞いた古代の名島です。
地図 名島神社
ほとんど忘れています。 (;一_一)
名島には、ブログでは紹介出来ない大切なものがあるのです。それを公表する事は私には出来ないのですが、殿下が書かれたように「日本のあけぼの」の真実を表すものです。
名島城もほんの一時期のようですし、福岡城も天守閣の存在そのものがまだ証明されていないので、先走りはどうかなと思っています。
(公園化による破壊を恐れています。)
リンクはどうぞ、どうぞ。








