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平原遺跡(1) 伊都国の日の巫女(みこ)が眠る墓

平原遺跡(1)
ひらばるいせき
福岡県前糸島市有田 曽根遺跡群

伊都国の日の巫女(みこ)が眠る墓
原田大六氏が救った遺跡だよ

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さあ、今日は那の国のお隣の伊都国(いとこく)に行きましょう。
福岡市の西に当たります。
ここに来ると伊都国に来たとすぐに分かります。
だって、道の駅やらなんやら伊都国の名がついた看板が沢山あるんです。
ここの人々は伊都国を愛し、誇りに思っているんですね。

最近は都市高速なども出来て視界が悪くなりましたが、
今なお、一歩足を踏み入れると、
いきなり古代にタイムスリップしたような風景が広がっています。
ずっと広がる平野と不思議な形をした山々。
豊かな緑と、その緑に照り返されて不思議な感覚を蘇らせてくれる太陽の光。
2000年間変わらぬ光景を見せてくれるのがここ糸島(旧前原)市です。

今日、案内するのは「平原遺跡」です。ヒラバルと読んで下さいね。
福岡県の「原」という字がつく地名は、ほとんど「ハル」と読みます。
古代朝鮮語がいろんな地名に残されているんです。

さて、久し振りの平原遺跡。驚きのカッコイイ石碑が建っていました。
良く見ると、「内閣総理大臣 海部俊樹」と書いてあります。
かつて消えてしまう寸前だった遺跡がここまで大切にされようとは。
とても嬉しいです。

原田大六氏の業績だよ!

発見されたきっかけは畑を開墾していて、鏡などが出て来たと聞いています。
その当時は誰もその重要性が分からずに、消えてしまいそうになったのを、
原田大六氏が個人で立ち上がり、人生と私財を投げ打って保存調査して
その価値を日本に轟かせた遺跡なのです。

その頃は開発が優先で、多くの遺跡はブルドーザーで破壊されました。
そんな流れを食い止めたのが原田大六氏であり、この平原遺跡なのです。
そう、考古学の記念碑のような遺跡なんです。

今日、再び訪れると、もう一つの奇跡がありました。
遺跡を含んだ平野の全景が保存されていたのです!

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何もないでしょ。これが素晴らしい。
素晴らしいというには大きな訳があります。
それはこのお墓の周囲の山の形が重要だからです。
平原遺跡は伊都国を囲む山々の稜線を含めての遺跡なのです。
古墳自体は10メートル位で小さいです。
(写真の盛り土は現代のもので、昔の姿ではありません。)

ルナは山との関係が知りたかった。
さて、行った日は3月21日。春分の日です。
この日を選んで来たのには訳があります。
原田大六氏が書いた一文が忘れられなかったからです。引用します。
この大女王を葬った木棺は、東南方の日向(ひなた)峠の方角に正確に合わせ、
股間をそちらに向けてあった。
こうなると、日向峠から昇る太陽の光芒は彼女の股間に射しこむことになる。
太陽祭祀を行った大女王が太陽と性的に結ばれているこの事実を解釈すれば、
彼女こそが太陽の妻であり、
日本古典のあの大日靈貴(おおひるめのむち)であったことになる。
(原田大六著 『日本古墳文化』 三一書房)

これは1975年に出版されました。

大日靈貴(おおひるめのむち)とは天照大御神の別名です。
この話は「古事記の神々」で現代語訳したアカル姫を思い出させます。
女が太陽の光を受けて生んだ赤い玉を生みました。
その玉から出現したのがアカル姫で、新羅の王子と結ばれます。
そのアカル姫は日本が祖国だと言って、帰って来ます。

太陽の子供を孕む話はたくさんあります。
原田氏も棺の方向から、そんなイメージをもたれたのでしょう。
その棺の主をアマテラスとしたのは、
出土した鏡があまりにも巨大な鏡だったからです。

この本のかすかな記憶をたよりに訪れたのがちょうど春分の日でした。
夕方四時ごろに来ました。
背中に太陽を受ければ私は真東を向く事になります。

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この茶色のマウンド(墓の盛り土)の向こうの山の稜線を見てください。
ここから朝日が出ます。
朝日は毎日少しずつ出るところを変えていきます。
この朝日のズレを暦にしたのです。

一番高いのは高祖山です。
そこから稜線を右に辿っていくと、一番低くなった所があります。
そこが日向(ひなた)峠です。
そこから出る朝日を受けるように棺が置かれていたというのが原田大六氏の説です。

しかし、こうして現場に立つと、中心線と日向峠はつながらないように思えて驚きました…。
看板に航空写真がありました。

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看板の写真です。下の方の黒い溝に囲まれた部分がお墓です。
中央の長方形の穴の中に棺がありました。
棺の延長線に見える山の稜線とつないでみてください。微妙ですねえ…

古代の暦

暦を古代の日本人は持っていて、それは日子(ひこ)か日女(ひめ)の物でした。
この日向峠のように、V字になった所が春分の日や冬至の測量ポイントです。
この観測は想像以上に厳密になされていて、
歳差運動のために春分の日と太陽が一日ずれると、
もう、そこは都として用をなさなくなったほどだそうです。
星の出が一日分ずれるのに、約70年かかるとか。)
ですから、この説については
歳差運動の計算が出来て、測量が出来る人がいたら、
結論が出せる事になります。

その後、お墓の東には大きな柱の穴が、発見されました。
その延長上には変わった建物のあとも。
あらたに謎が生まれたそうです。

そんな事をあれこれと考える楽しみがこの遺跡の特徴です。

この景観こそは平原遺跡の見どころです。
だから、ここに来て、何もないと言って帰らないで下さいね。
この美しい古代そのままの稜線を堪能して下さい。
平地なのに見渡せるのは、今の日本では奇蹟ですから。
(つづく)

地図  平原遺跡  日向峠




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by lunabura | 2010-11-25 17:56 | 平原遺跡と伊都国歴史博物館 | Trackback | Comments(20)
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Commented by のら at 2014-06-12 20:38 x
るなさん、こんばんは(>_<)
今日やっと退院しました!
そして録画していた番組を観ていると中々面白い内容です。卑弥呼関連?
そして女王Xと番組内で名付けられた古墳の埋葬者にワクワクして見続けていると、はて?るなさんとこにあったよな?此処。
番組内容は新たな解釈があったのでしょうね~( 〃▽〃)それともNH○だから股間に云々はカットされたのか?
でも、伊勢神宮の御神体である鏡と同一と言われてましたね♪模様が同じなんだとか。
八つの花弁に八つの葉…大きな鏡の中心の模様ってそういう風に観るのかと勉強になりました。
Commented by lunabura at 2014-06-12 21:40
のらさん、おめでとうございます。
その番組は見逃したんですよ。
新たな仮説が紹介されたそうですね。
ん~残念。
Commented by ぱら at 2014-06-12 22:42 x
るなさんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

うまくゆけばここでみれるかも
http://video.fc2.com/content/20140604gZQnz3q4/
Commented by lunabura at 2014-06-12 23:39
ぱらさん、ありがとう!!
見ましたよ!
見ると、沢山の誤解があるのが分かりました。
桃の話はどこかに書いたけど、一番問題は鏡です。
鏡は凸面鏡なので、光らないのです。
カーブミラーが光らないのと同じで、反射しません。
また、青銅鏡を簡単に割る事もできません。
銅鐸で実験していたけど、焼いても叩いても簡単には割れないのです。
監修した先生はそこをきちんと指摘しないと、事実とだんだん離れてしまいます。
東西軸も問題がありますよね。
そして、代々の伊都国王・五十迹手たちはどうなったのでしょうか…。

残念な番組だったことが分かって良かったです。
ありがとう^^
Commented by ぱら at 2014-06-13 00:13 x
又々( ´ ▽ ` )ノ

なんだかなぁー
オープニングで日が差しているのは印象的でしたが、あの儀式は??驚きのあまり目がパチクリでした。
そう読むかと興味も出たのこちらでした。が興味本位というよりは、リーダー論として成る程なと思った次第
http://www.dailymotion.com/video/x1ovzb9_英雄たちの選択-20140411_shortfilms
Commented by のら at 2014-06-13 11:03 x
るなさん、ばらさん、おはようございます!
銅鏡ってそうなんですか?(割れにくい)
以前、卑弥呼の鏡が魔鏡だったって記事を読んだので薄い気がしてました。
あと銅鏡には金箔が貼ってあったらしい説も見たのでありかな?とも(>_<)

まあ、あの番組は面白いけど肝心な所を言わなかったり突っ込み処満載な番組ではありますよね(爆)
Commented by lunabura at 2014-06-13 21:58
ぱらさん、またまたありがとうございます。
一気に見ました。
こんなのが見たかったです。
呉に関して、安曇族が呉だと言っているので、あの海洋ルートを考えると、安曇族がどう判断したのか、面白く拝見しました。
卑弥呼でさえ、安曇族の世話にならないと、使者が送れないですよね。
鉄生産は、熊本では弥生時代としていますね。
砂浜で船を燃やせば、簡単な鉄鍋らしきものができるそうなので、
6世紀と決めつける理由が分からず、
この辺りで私は異端者かな…なんて思っちゃいました。
Commented by lunabura at 2014-06-13 22:01
のらさん、この辺りの話も面白いですね。
卑弥呼の墓が見つかっていないので、鏡が魔境だということは不可能なんです。
その辺り、番組作成者のトリックに引っ掛からないようにしています。
纒向はやはり天皇家となる人たちの都市じゃないかなあ。
Commented by のら at 2014-06-13 22:15 x
るなさん、こんばんは(>_<)
まあ、卑弥呼の鏡=卑弥呼の時代に贈られた鏡といった方が良いんですかね?

でも、この鏡が天皇家の神器ではないというのが判っただけでも収穫?
Commented by lunabura at 2014-06-13 22:42
大体、神功皇后200年説を取ると、卑弥呼はその後の人なんですね(+_+)
神功皇后は近畿に行っちゃったらしいけど、お家何処?
いつもそう思うんです。
神功皇后の場合は朝鮮半島との外交が出てくるけど、卑弥呼は中国との外交が出てくる。
この違いはけっこう地の利に関係ありそうだけど。
学者さんとか、神功皇后は不在で、卑弥呼が天皇家の祖となったと考える人もあるので、
その辺りのスタンスをお互いはっきりさせないと、話が上手く噛み合わなさそう。
その点、のらさんのイメージする天皇家と、私のとは違うのか同じなのか、そこから話さないと、話がずれるかも知れませんね。
Commented by のら at 2014-06-13 23:13 x
今のとこ、各種族の集合体のトップ?が王家の始まりだと良いなあ的な。
例えそれが最初は力任せだとしても。
卑弥呼に関しては実在云々は解りませんが、該当する女王が多々居たと思っとります。女王達の世紀といえる時代が古代には確かにあったと思いますし。



Commented by lunabura at 2014-06-13 23:23
そうですね。
各種族の王たち。
たまたまその一つ、二つが歴史に名を残しているのでしょうね。
女王たちも沢山いて…。
名を残す女王もいれば名も残らぬ女王もいる。
そんなあるがままの時代をあるがままに見てみたいです。
Commented by のら at 2014-06-13 23:30 x
あぁ、○たか子の『ありの~ままの~♪』が聴こえてくる!Σ( ̄□ ̄;)

しかし、これだけ女性をトップに立てていた時代もあるのに、いつから男尊女卑みたいな事態に陥ったんでしょうね?我が国は。
Commented by lunabura at 2014-06-14 00:06
そうですね。
つい先月も男尊女卑の気風に当たって、驚いた事件がありました。
とても珍しい経験でした。
これからは男も女も光り輝く時代へ。
と、あいなりますように^^
Commented by 弥沙(みさ) at 2015-04-22 13:01 x
はじめまして^^
弥沙(みさ)と申します。

去年、平原遺跡に行きました。
当時の面影が浮かばれて、とても穏やかな場所でした。
側の資料館?も見ました。
銅鏡でかかったですね!

こちらでお話されてる番組も見ましたが、「銅鏡を割る」シーン、とても疑問でした。
以前、吉野ヶ里で小型の銅鏡を作った時、(材料は当時とほとんど同じだそうです)
とても割れるようなものではなかったからです。
ようやく納得しました^^

蛇足ですが、吉野ヶ里で作れる銅鏡は、”久 不 相 見、 長 毋 相 忘”と刻まれてあり、
「長く会わなくても、お互いを忘れないようにしましょう」という意味なのだそうです。
甕棺の上部につけられていたものだそうです。
古代の人もロマンチックだったんですね。
では、また^^


Commented by lunabura at 2015-04-23 00:32
弥沙さん、はじめまして^^
吉野ヶ里の銅鏡には文字が刻まれていたのですか !
甕棺の上部に!
文字はすでに日本にあったのですね!
それにしても、銅鏡の文面が素敵ですね。教えて下さってありがとうございます♪
Commented by ichiro_suzuki_mlb at 2015-06-11 23:36
はじめまして。
平原古墳の墳墓の方向についてですが、
一の鳥居が日向峠の方向、二の鳥居が高祖山の方向、墳墓がほぼ真東の方向だったと思います。
確か日向峠から太陽が昇る時期(10月20日頃)が稲刈りの時期と重なるような話でした。
(間違っていたらごめんなさい。)
Commented by lunabura at 2015-06-12 22:10
イチローさん、はじめまして。
どなたか、研究してくださったんですね。
情報、ありがとうございました^^
Commented by 上野俊一 at 2016-11-24 17:20 x
楽しく読ませていただいています。
平原遺跡と日向峠の方位の件ですが、昭和40年の西日本新聞社提供の写真、私も?だったのですが、左の高い山は高祖山ではなく、その南の王丸山だと思います。
下記「糸島市文化課」の写真の山の形をご比較参照下さい。この写真では王墓はほぼ日向峠を向いています。
http://www.city.itoshima.lg.jp/site/bunkazai/hirabaru-iseki.html
Commented by lunabura at 2016-11-24 23:23
上野さん、ありがとうございます。
随分前の記事なので、新たに学んだことも多く、
訂正の必要な部分も出てきています(^^;

情報ありがとうございます。
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