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日若神社 (1) 神功皇后が帰り道に禊をした所だった

日若神社(1) (日少神社)
ひわかじんじゃ
福岡県飯塚市多田(旧庄内町多田)
山里に抱かれる古き神社   
神功皇后が帰り道に禊をした所だった


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 多賀神社の古名と同じ名前の神社を発見。

 馬見神社を投稿した後、地方の古い神社誌を眺めていたら、
日少(ひわか)神社という名前が出て来ました。
あれ?この字は見た事がある。
そう、直方(のおがた)市の多賀神社(古くは日若神社)と同じ名前です。
しかも、祭神が同じイザナギの命。

縁起を読み込んで行くと、神武天皇や神功皇后の名前が出て来ました。
そして、馬見の字が…。
「こりゃあ、馬見神社と関係あるかも。」という事で出かけて行きました。

遠賀川の上流に向かった。

今日のルートは遠賀川の河口から川に沿ってさかのぼるルート。
左側の土手を通って行きました。
大きな川で、河川敷は緑が多くて、多くの市民がイベントをしています。
ドッグ・サーキットやら、何十万本ものチューリップ畑やら。
たくさんの鯉のぼりまである!
市民の人たちは色んな川遊びを楽しんでいました。
道の左側には古い神社が次々と現れて来ます。

この日は雨が上がったばかりで、遠くがかすんでいたのですが、
対岸の向こうには、美しい山容が次々に現れては霧の中に消えて行き来ます。
なるほど、遠い昔、この堤防が無かったら、この辺りは全部海の中。

海峡を遡る時にそれらの山は目当ての山になったはずです。
すると、その山を、神あるいは神が降臨する所と思うのも当然です。
この日は山々が霧の中から立ち現れるので、尚一層幽玄な表情を見せてくれました。

この山沿いに縄文や弥生の人々が上陸して暮らし始める気持ちがよく分かります。
資料を見ると、古代の遺跡がずらりと並んでいました。

英彦山方面の支流に向かう。
川が二手に分かれました。
左を採って、さらに遡ります。県道415号線の仁保で左折。
すると、突然きれいな台形をした山が視界に広がりました。
道は山に向かって上って行きます。
そして、こんもりとした森を探していくと、すぐに日若神社が分かりました。
神社のそばには池があり、ヤマザクラがちらほらと咲き始めていました。

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神社は道路と同じ高さにあり、小高い山に寄り添うように建っていました。
鳥居に導かれて、正面の拝殿に向かいます。
境内には巨木がいくつも立っていて、古さを感じさせられます。
上の写真の正面、狛犬の奥が本殿です。
左右にある拝殿やお堂なども、とても古い様式です。

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赤い本殿を右から見た所です。

神社の入口にあった由緒書きを、一部分かりやすく書き換えて紹介します。
日若神社
祭神 伊邪那伎命 須佐之雄命 闇雄神
例祭 10月13日
創立年月日 西暦1287年
由緒
神功皇后が御征討の帰途に、ここを通られて、霊泉の立派なることに感激されて、皇子と共に息災延命を祈願し、禊(みそぎ)された霊場である。

又、付近の神池・神森と共に、この所は誠に「ただならぬところ」であると申されて、この地を多田山と称し、現在の多田の名称の起源と言われている。

それより、筑前・豊前両国民の崇敬の中心となり、藩政時代は、藩主においても特別の取り扱いで、見世物興行を免許して、その利益で修繕維持の資金に当てられた。

また、祇園神社をこの社のかたわらに勧請して祀っている起源は、明暦2年(1659年)に多田村のあたりに疫病が流行して、人民が苦しんだ。その年、10月に宮司の有光時安が17日間身を清めて、神道で、妙見大明神にその事を伺ったところ、「祇園三社を勧請して祈祷すべし。」との霊告を受けて、那珂郡博多の津の祇園の神を祀ると、疫病はたちどころに退いて、村々は喜んだ。

この由緒は天明8年(1788年) 加藤一純の古文書による。

この由緒から分かる事。

神功皇后大分宮で連合軍を解散したのを覚えていますか?
彼女はその後、ここを通って帰って行ったのがこれで分かりました。
そして、この霊泉に感激して、禊をしています。
この時にはすでに生れた皇子と一緒でした。
そして、「ただならぬ所」と言ったのが、多田という地名の由来となりました。

御祭神の三神のうち、須佐之雄命の由来については、
江戸時代に疫病をなくすために、ここの神に祈った所、神のお告げがあって、
その通りにすると、疫病はすぐにおさまったという事です。

ここの神、妙見大明神とは、北斗七星であり、イザナギの命となります。
(直方の日若神社(多賀神社)と同じ)

この御祭神は古くはイザナギの命だけだった
福岡県神社誌によると、明治時代に、闇雄神と須佐之雄命は合祀したと書いてあります。
こうして合祀されたものを引き算して行くと、
この「日若神社」は本来、イザナギの命だけが御祭神だったという事になります。
そこで、ここではイザナギの命に絞って話を進めます。

そして、古い伝承を読み込んで行くうちに、ここは確かに「ただならぬ所だ」と言うのが見えて来ました。
(つづく)
地図   日若神社 日王山 峠







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by lunabura | 2010-05-08 21:54 | 日若神社・ひわか・飯塚市 | Trackback | Comments(0)
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